昨日は令和6(2024)年の立春の候にあたる週末[a]【今日は何の日?】暦の上では春の気配が現れてくる日。旧暦だと、太政大臣・平清盛が病没した日であり、赤穂浪士の四十七士が切腹した日。、前回の城攻めに続いて再び埼玉県深谷市にある城跡と、その時に見落としていた場所を併せて巡ってきた。
この日は、JR深谷駅前からコミュニティバスで城跡に近い「幡羅公民館《ハタラ・コウミンカン》」まで100円で移動できると云うことで、その時刻に合わせて早起きして向かったのだが、当のバス停には該当する路線や行き先がない 。あれぇ? まわりには他に停留所は無いし、出発時間も近づきつつあって、あげく北口あたりをうろうろしたのだけれど、とうとう見つけることが出来ず 。仕方がないので1,700円をかけてタクシーで移動した。現在「幡羅生涯学習センター」と呼ばれているその場所でゲートボールを楽しんでいた御老人に聞いてみると、なんと自分が見ていたのは平成時代のバスの情報(リンクはPDF)だった〜 。こんな「賞味期限切れ」の情報をいつまでもインターネット上で公開しておくのはどうなんだろうか[b]これだって立派な偽情報だが、Google Searching を信じた俺のミス(自己責任)なんだろうなぁ 🤬️。 。
ともあれ、無事に予定を済ませたあとJR深谷駅へ向かう途中[c]帰りは徒歩にした 😐️。、再び前回お昼を頂いたお店へ(投稿としては同じ店が連チャンになってしまったが・・・):
お昼を少し過ぎただけの時間であったが Eat-In のスペースは誰も居らず、自分が最初の客だった[d]前回と今回の来店で思ったのだが、この店はどちらかというと弁当の持ち帰り客の方が多い感じがした 😮️。。お好きなところへどうぞと云うことで通してもらった。
前回は定食ものを選択したが、今回は御重のエントリからソースかつ重(980円)、そして一品料理から、もも串とねぎもも串(共に塩で210円/本)を注文した:
前回の鳥合わせ定食にもあったチキンかつが三枚、ソースがしっかりとまとわれ、普通盛りの御飯の上にのっていた。味噌汁と香の物は同じ。自家製ソースとの相性が抜群なチキンかつの中は熱々だった:
串ものは脂がしっかりにのっていて、塩でさっぱりいけた:
ビールなどアルコールの提供がないのが残念。
まだまだ城跡の多い深谷市には、これからも足を運ぶ機会があるだろう 。ただ西や南なんだけどなぁ。
登利平(深谷店)
埼玉県深谷市国済寺 332-21
ここからはオマケ。
この日は深谷城の支城とも出城とも云われている東方城《ヒガシカタジョウ》跡へ。ちょうど現在城攻め訪問記で栃木県の西方城《ニシカタジョウ》跡を執筆中であり、なにかしらの「縁」を感じた :
主な遺構は土塁や土壇と云ったところ:
土塁上から見下ろした郭内は藪化し、枯葉の他にチャリが埋もれていた。一応、この敷地は市指定文化財なのだが :
こちらも東方城の一部とされている熊野大神社《クマノ・ダイジンジャ》。「東方」と云う地名もこの神社がゆかりなのだとか:
鳥居の脇には立派な大欅の御神木がある:
深谷城主をつとめた深谷上杉氏が深く崇敬、のちに徳川家康の家臣で、東方城主となった松平丹波守康長《マツダイラ・タンバノカミ・ヤスナガ》が保護し信仰した:
本殿裏には諏訪大社や八坂神社など各地から勧請された社が、土塁跡の上に建っていた:
こちらは熊野大神社のお隣りにあった真言宗の寺院・弥勒院《ミロクイン》:
境内には不動明王が鎮座していた:
こちらは「ガリガリ君」で有名な赤城乳業㈱本社ビル。前日に観た「出川哲朗の充電させてもらえませんか」に出ていて、せっかくなので :
最後は駅前にあった「ふかっちゃん」像:
と云うことで、この時のフォト集はこちら:
東方城攻め (フォト集)
廰鼻和(庁鼻和)城攻め(2) (フォト集)