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東京国立博物館で、主に本館の総合文化展の日本美術の流れの「武士の装い」の観覧

東京国立博物館 展示 #7658、#7675 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2024.

先々週末は令和6(2024)年の大暑の候を過ぎた週末[a]【今日は何の日?】菜っ葉の日(語呂合わせ)。江戸川乱歩が没した日。オーストリアがセルビアに宣戦布告してWW1が開戦した日。に、今年二度目の東京国立博物館へ:

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大混雑だった本館

今年の関東は梅雨明けするやいなや、日中の気温は「ウナギのぼり」の日が続き、この日も例外ではなく、外に居ても家に居ても暑いので、それならばと冷房が効いた中でお目当ての美術品でも鑑賞しようと思ったのは良かったのだが、皆考えることは同じで、折しも夏休みシーズンに加え、海外からのツアー客が押しかけていて炎天下[b]この日の東京の最高気温は 36.8℃ 😣️。に入場券を購入する長い行列に並ぶ羽目に :$。しっかし自動券売機の処理の遅さはなんとかならないのだろうか・・・ :|。人間も鳩も水分補給は必須だ:

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本館脇の池では

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鳩が、しっかりと水分を

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補給していた🙂️

と云う感じで、のっけからキツイ思いをしておそらくは記憶に残る来館になるのかもしれないが、実は三年かけて「トーハク通い」してきた目的を、今回ついに達成することができたと云う意味でもまた記憶に残る鑑賞になった[c]ホント週一で展示作品をチェックしておいて良かった〜 😉️。 8)

今回、鑑賞した総合文化展[d]料金は大人1,000円。何度も鑑賞することが分かっていたら年間パスポートを買っておけばよかった 😞️。は:

  • #7658:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2024年7月17日(水)〜 2024年10月6日(日)
  • #7796:本館2階3室の「仏教の美術」:2024年7月2日(火)〜2024年8月18日(日)
  • #7633:本館2階1室の「日本美術のあけぼの」:2024年7月2日(火)〜2024年12月22日(日)
  • #7668:本館2階1室の「仏教の興隆」:2024年7月17日(水)〜2024年10月6日(日)
  • #7672:本館1階11室の「彫刻」:2024年7月9日(火)〜2024年9月29日(日)
  • #7675:本館1階13室の「刀剣」:2024年5月28日(火)~ 2024年8月25日(日)
  • #2658:本館1階14室の「人間国宝・平田郷陽の人形」:2024年7月17日(火)~ 2024年9月1日(日)
  • #7641:本館1階16室の「アイヌと琉球」:2024年7月9日(火)~ 2024年9月23日(月)

毎度おなじみの展示の他にいろいろ巡ってきたが、その大体が人混みを避けて歩き回った結果ではある :D。「武士の装い」では念願の「角栄螺《ツノサザエ》」をついに観ることできた ;)。この兜を存在を知って、いろいろ調べていると、ここトーハクが所蔵しているとのことで、何時か鑑賞できるだろうと通いつめること三年目の大収穫。ただ毎回ぼやいているのだが、ホント照明の映り込みはなんとかならないのだろうかと云う点が残念でならない ;(

まずは、その「武士の装い」から「豊臣秀吉朱印状」。安土桃山時代(16世紀):

豊臣秀吉朱印状

織田信長によって衰退に追い込まれていた本願寺(顕如)は、信長亡きあとに秀吉に接近することで復興への道を探っていた。これは、無類の能好きとして知られた秀吉に顕如から能道具が贈られたことへの秀吉直筆の礼状とされている。

これは「毛利元就像(模本)」。原本は安土桃山時代(16世紀)で、模本は昭和時代(20世紀):

毛利元就像(模本)

一代で中国地方を制覇した戦国大名で、長州藩の藩祖でもある毛利元就の肖像画の写し。原本は、元就が中国の覇権をかけて激戦を繰り広げた尼子氏を滅ぼしたのち、永禄9(1566)年に描かせたものと伝わる。

そして「肩脱二枚胴具足《カタヌギ・ニマイドウグソク》」。安土桃山〜江戸時代(16〜17世紀):

肩脱二枚胴具足(表)

肩脱二枚胴具足(裏)

まるで片肌を脱いだ肉体をリアルに打ち出した鉄板で表現すると云う面白い意匠の当世具足。獣毛で毛髪を表した変わり兜と併せると、裸一貫で戦う荒武者を彷彿させる。その一方で、甲冑部は金箔押の切付札《キッツケザネ》を紫・紅・萌黄・紺・白の組紐からなる色々糸威になっている。

こちらは順に、重要文化財の紅糸威星兜《ベニイトオドシ・ホシカブト》・南北朝時代(14世紀)、色々糸威雑賀鉢兜《イロイロオドシ・サイカバチノカブト》・江戸時代(17世紀)、紺糸威烏帽子形兜《コンイトオドシ・トリエボシナリカブト》・江戸時代(17世紀):

紅糸威星兜

色々糸威雑賀鉢兜

紺糸威烏帽子形兜

紅糸威星兜は鉢の前後左右に渡金の地板を伏せたいわゆる五十二間四方白の星兜で、前立は鍬形に利剣を加えた三鍬形、その台に魚子地枝菊紋が薄肉彫りされている。大塔宮・護良親王《オオトウミヤ・モリヨシシンノウ》[e]父は後醍醐天皇。建武の時代の皇族であり天台宗座主であり征夷大将軍である。の兜との伝承あり。

色々糸威雑賀鉢兜に代表される雑賀鉢は雑賀荘の甲冑師による独特な造形を持つ兜。表面を錆地にした鉄板を矧ぎ合わせて縄覆輪を掛け、上部に菊型の鉄板を重ね、装飾を兼ねた菊座鋲で留めている。

紺糸威烏帽子形兜は、烏帽子の中で最も格式の高い立烏帽子《タテエボシ》を模した変わり兜。鉄製の鉢に革で作った立烏帽子を被せ、表面に粗い麻布を貼って漆で固め、金箔押で飾っている。錣や面具にも金箔押を施し、紺色の毛引威として全体的に華麗で高貴な仕立てとなっている。

こちらは紺糸肩裾取威腹巻《コンイト・カタスソドリオドシノハラマキ》。室町時代(15世紀):

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紺糸肩裾取威腹巻

本来の腹巻きは歩兵用として軽量で動きやすく作られた甲冑であったが、戦国時代初めには重武装化された騎馬武者も着用するようになった。草摺は七間五段下り、威は紺糸を中心にして上下に紅糸を配した肩裾取威としている。

そして栄螺形兜と併せられた胴具足の二領。「栄螺」は丈夫な殻は守りが堅いに通じることから特に戦国武将に好まれた意匠であった。今回のお目当ては手前の紅糸威二枚胴具足に併せた角栄螺形兜 8)

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紅糸威二枚胴具足と白糸威二枚胴具足

まずは白糸威二枚胴具足《シロイトオドシ・ニマイドウグソク》。江戸時代(17世紀):

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白糸威二枚胴具足と栄螺形兜

兜は鉄板を打ち出して栄螺を表した変わり兜。胴は西洋の甲冑を模した和製の南蛮胴で正面に鎬《シノギ》を立てている。草摺は黒毛植で裾板のみ白毛植。要所に丸に梶葉《カジノハ》紋[f]信濃国諏訪神社の神紋。の赤銅《シャクドウ》製金物を飾る:

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白糸威二枚胴具足と栄螺形兜

そして紅糸威二枚胴具足《ベニイトオドシ・ニマイドウグソク》。具足は江戸時代(17世紀)、兜は安土桃山時代(16世紀):

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紅糸威二枚胴具足と「伝・角栄螺」

別名は金魚鱗小札二枚胴具足。胴は二枚胴で、胴正面を西欧の甲冑を模した和製の南蛮胴。袖と佩楯《ハイダテ》は龍(魚)の鱗を思わせる意匠が施されている:

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袖と佩楯には鱗の意匠

こちらも南蛮胴なので正面に鎬を立ててある。草摺は七間五段下りの紅糸威。全体的に金・白・紅といった華やかな色彩を持つ:

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紅糸威二枚胴具足の胴

自分が三年待って注目していたのは、この金箔押な栄螺形《サザゼ・ナリ》のいわゆる突盔形兜[g]読みは《トッパイ・ナリ・カブト》。頭盔とも。鉢の頂部が尖った兜。の変わり兜で、通称は「角栄螺」。ただし、この通名はあくまでも伝承であり、史料として正式な記録はないようだ:

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伝・角栄螺

他に立波の飾り板を添えた画もあるらしいが、今回は付いていなかった:

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伝・角栄螺

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伝・角栄螺

下げには本多家の「丸に立葵」紋があしらわれ、胴背面には「本多内匠 ほん多たくみの助」の金泥字が残る:

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丸に立葵は信濃飯田藩本多家の家紋

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「本多内匠 ほんたたくみの助」

この本多家は江戸時代中期に信濃国飯山藩[h]現代の長野県飯山市にかって藩庁があった。の大名で、三河岡崎藩の本多忠利の系統にあたる。最後は飯山藩本多家が所持していた、この「角栄螺」は一説に、織田信長の召領であったが、蒲生氏郷に婿引出として譲り、氏郷はこの兜を被り、岳父・信長に従って各地で奮戦し大いに名を挙げたと云う。

この兜は、のちに氏郷の家臣の一人で、持ち前の勇猛さと頭の回転の良さで晩年には1万石を食んだ岡越後守こと岡左内の手に渡った。氏郷亡き後は上杉景勝の直臣となり、関ヶ原の戦い前の奥州で伊達政宗率いる軍勢と福嶋城周辺で激戦を繰り広げた勇士の一人であった。この時、左内は角栄螺の兜と南蛮の鳩胸鴟口《ハトムネトブクチ》の具足を身に付け、氏郷の形見分けで拝領した猩々皮《ショウジョウヒ》の陣羽織[i]南蛮舶来の赤みの強い赤紫色の生地で織った陣羽織。たとえば小早川秀秋所用の陣羽織を羽織り、愛刀の貞宗二尺八寸で政宗と一騎打ちしたと伝わる。そののち徳川氏天下の時代になると左内は氏郷の愛児・秀行に仕えて會津で没したと云う。その後、彼の兜は人手を転々とし最後に本多家に渡ったらしい。

ついでながら左内の愛刀・貞宗と同じ刀工の刀も鑑賞することができた 8)。こちらは國寳「刀・相州貞宗《ソウシュウ・サダムネ》」。名物・亀甲貞宗とも。鎌倉〜南北朝時代(14世紀):

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刀・相州貞宗(名物・亀甲貞宗)

相模国鎌倉の刀工であった貞宗は正宗の実子(または養子)と云われ、師風を継承しつつ穏やかで整った作風を特徴としている。この亀甲貞宗は太刀を磨上げ《スリアゲ》て刀にしたもので、指裏の茎尻に亀甲花菱紋の彫物があることが号の由来とされる。徳川将軍家がまとめた刀剣書『享保名物帳』に所載された名物刀剣の一振。

トーハク通い三年目で、氏郷一の家臣である岡左内に由来すると伝わる品々を鑑賞することができて良かった :)

次は陣羽織。戦国時代は実用性の高かった陣羽織は、江戸時代になるとほとんど無くなり、逆に凝った意匠を施したものが作られたと云う。これは白文紗地富士に龍模様 五三桐紋付。江戸時代(18世紀):

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白文紗地富士に龍模様・五三桐紋付

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正面

こちらは黄羅紗地陣羽織 丸四ツ目結文・五七桐紋付。江戸時代(18世紀)。この陣羽織は表と裏で家紋とその替紋が入ったリバーシブル型:

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黄羅紗地陣羽織 丸四ツ目結文・五七桐紋付

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正面

「刀剣」の展示では、先に挙げた國寳・相州貞宗の他にいくつか。まず短刀・青江次直《アオエツグナオ》。南北朝時代(14世紀)。重要文化財:

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短刀・青江次直

小板目の冴えた地鉄に華やかな逆丁子の刃文を焼き入れた作品。寛永7(1630)年に二代将軍・秀忠から伊達光宗[j]二代藩主・忠宗の次男。母が秀忠の養女(実父は池田輝政、実母は家康の次女の徳姫)。が拝領した。

こちらは太刀・古備前友成。平安時代(11〜12世紀):

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太刀・古備前友成

備前国の刀工・友成の作で、刀身は長大で腰元で強く反った力強い太刀姿を示し、板目の地鉄に小沸づいた小乱れの刃文を低く焼き入れている。姫路藩主・酒井家から明治天皇に献上された太刀。

太刀・手掻包永。鎌倉時代(13世紀)。重要文化財:

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太刀・手掻包永

大和国・手掻派の名工である包永の作。反りが浅く、がっしりとした刀身に、小沸づいて冴えた細直刃の刃文を焼き入れ、鋒には二重刃が見られる。茎は大きく磨上げられ、茎尻に「包永」の銘が彫られている。

こちらは刀・主水正正清《モンドノショウ・マサキヨ》。江戸時代(17世紀):

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刀・主水正正清

薩摩国の刀工・正清は徳川八代将軍・吉宗の命により、江戸の浜御殿[k]現在の浜離宮恩賜庭園で鍛刀し、その技量が認められて、茎に一葉葵紋を切ることを許された。精美な板目の地鉄、荒く沸づいた互の目乱れの刃文は、まさに正清の入念作。

そして國寳の短刀・相州行光。鎌倉時代(14世紀):

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短刀・相州行光

行光は、相州鍛冶の祖と呼ばれた新藤五國光《シントウゴ・クニミツ》の実子(または弟子)で、相州伝を大成した正宗の実父(または養父)と云われている。肌立った板目の地鉄に小沸づいて冴えた直刃を焼き入れている。加賀藩主・前田家伝来品。

今回もたくさんの仏像彫刻を鑑賞してきた。撮影可能な像の中から、まずは慶算作の毘沙門天立像。鎌倉時代(14世紀):

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毘沙門天立像

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背面

仏法を守護する四天王のうち多聞天の異名である毘沙門天は単独でも信仰を集めた。引き締まった体、左脇を締め右肘を張るという容姿は鎌倉時代の仏師・運慶以来の正当なスタイル。

こちらは大威徳明王騎牛像《ダイイトクミョウオウ・キギュウゾウ》。鎌倉時代(13世紀):

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大威徳明王騎牛像

五大明王の一尊である大威徳明王も単独でも信仰を集めた。脚が六本ある明王が水牛にまたがっている珍しい容姿。

不動明王立像。平安時代(11世紀)。重要文化財:

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不動明王立像

巻き髪で左肩に結わえた髪を垂らし、左目をすがめ、唇の上下に牙を出す姿は流りのスタイル。顔づくりが中央にまとまり、表情もおとなしいところに洗練した趣をもつ。左手には物事を正しい方向へ導くための羂索《ケンジャク》と云う縄を持つ。

こちらは薬師如来坐像。平安時代(11世紀):

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薬師如来坐像

人々の病気を治し、災厄を取り除く仏さま。厚い瞼やふくよかな頬、奥行きの薄い体つき、柔らかみのあるなだらかな衣文線など、総じて穏やかな作風は平安時代後期に流行したスタイル。

大日如来坐像。平安時代(11〜12世紀)。重要文化財:

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大日如来坐像

密教における大日如来は森羅万象の根源であり、あらゆる仏はその化身とされる。仏の王であるとして、珍しく王族の姿で表現されている。

「アイヌと琉球」文化展からドゥスディー(小袖)とウフスディー(大袖) 。色合いや文様がいかにも琉球ぽい:

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薄藍色麻地水菊芦雁模様

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黄紬地井桁崩模様

最後は現代美術で、人間國寳・平田郷陽《ヒラタ・ゴウヨウ》の創作人形。伝統的な日本人形の技術やスタイルを用いて、「生人形《イキ・ニンギョウ》」が持つ写実性から人々の生活感や心情を情緒豊かに表現をしているとのことで、意外と見入ってしまう作品を幾つか。

こちらは女性の頭部と、足利時代の将士体立姿。ともに昭和時代。写実的な表現にこだわった作品:

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女性頭部と 足利時代将士体立姿

二つに割れた桃と、そこから見栄を切って現れた桃太郎の木彫り。柔らかく肉付きのよい子供の体形は生人形の技術が生かされている。大正時代:

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桃太郎

宴の花。平田郷陽の遺作。昭和時代。若い女性の凛とした表情を木彫彩色で表現したもの:

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宴の花

今年も残り半分。ますます時間を作って観覧しに行こうと思う =)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2024年7月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】菜っ葉の日(語呂合わせ)。江戸川乱歩が没した日。オーストリアがセルビアに宣戦布告してWW1が開戦した日。
b この日の東京の最高気温は 36.8℃ 😣️。
c ホント週一で展示作品をチェックしておいて良かった〜 😉️。
d 料金は大人1,000円。何度も鑑賞することが分かっていたら年間パスポートを買っておけばよかった 😞️。
e 父は後醍醐天皇。建武の時代の皇族であり天台宗座主であり征夷大将軍である。
f 信濃国諏訪神社の神紋。
g 読みは《トッパイ・ナリ・カブト》。頭盔とも。鉢の頂部が尖った兜。
h 現代の長野県飯山市にかって藩庁があった。
i 南蛮舶来の赤みの強い赤紫色の生地で織った陣羽織。たとえば小早川秀秋所用の陣羽織
j 二代藩主・忠宗の次男。母が秀忠の養女(実父は池田輝政、実母は家康の次女の徳姫)。
k 現在の浜離宮恩賜庭園

東京国立博物館 展示 #7377、#7274 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2024.

先週末は令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の初日[a]【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。に、栃木県にある城跡を攻め、本場モノの讃岐うどんを食べての帰宅途中に、今年初の東京国立博物館へ立ち寄って鑑賞してきた。

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閉館間際の本館

当時は目玉の特別展があったり、海外からの観光客も押し寄せるなどあって、閉館前二時間くらいの観覧ではあったけれどかなり混んでいた :|。今回、鑑賞した総合文化展[b]料金は大人1,000円(当時)。は:

  • #7377:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2024年2月6日(火)~ 2024年4月2日(日)
  • #2639:本館2階4室の「茶碗」:2024年1月2日(火)~ 2024年3月10日(日)
  • #7273:本館1階13室の「刀剣」:2024年1月2日(火)~ 2024年3月3日(日)
  • #2613:本館1階11室の「彫刻」:2024年1月2日(火)~ 2024年4月7日(日)

全体的には昨年に鑑賞した作品が主であったが、その中で「刀剣」の展示では國寳に指定されている「天下五剣[c]江戸時代、日本刀の中で特に名刀と云われる五振りの総称。」の一つを人生で初めて鑑賞することができたし、「武士の装い」では昨年、岩手県の盛岡まで足を運んで鑑賞してきたにゆかりある御仁の肖像画[d]原本ではなく模本ではあるが 😅️。を鑑賞できたのは収穫であった 8)

まずは甲冑。こちらは樫鳥糸肩赤威胴丸《カシドリイト・カタアカオドシ・ノ・ドウマル》(重要文化財)。室町時代(15世紀)。陸奥三春藩・秋田家の伝来品:

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樫鳥糸肩赤威胴丸

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樫鳥糸肩赤威胴丸

胴に兜と大袖を備えた三ツ物皆具《ミツモノカイグ》の胴丸で、兜は総覆輪筋兜《ソウフクリン・スジカブト》で正面に鍬形を飾り、上級武士の権威を象徴した重厚かつ豪華な造形を持つ。

こちらは黒韋肩白威胴丸《クロカワカタジロオトシ・ノドウマル》(重要文化財)。南北朝時代(14世紀)。加賀藩・前田家の重臣の一人、長《チョウ》家の伝来品:

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黒韋肩白威胴丸

全体を黒韋威とし肩を白糸威とし、棟に杏葉《ギョウヨウ》を下げている。

そして色々糸威腹巻《イロイロイトオドシ・ハラマキ》(重要文化財)。室町時代(15世紀):

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色々糸威腹巻

全体は茶糸と紅糸と白糸を交互に威して華やかな配色であり、胴の胸板、脇板や壺袖の冠板の金具廻を藻獅子韋《モジシガワ》で飾った上に、要所に枝菊紋の飾金具を配す。

兜は既に昨年鑑賞しているものしかなかったが、その中から紺糸威筋兜《コンイトオドシ・ノ・スジカブト》の一頭。室町時代(15世紀):

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紺糸威筋兜

鯨の髭製を束ねた菖蒲形の前立を飾り、鳶口形の鼻を持つ面具を備えている。

そして黒田如水像《クロダジョスイ・ゾウ》の模本。これは昭和時代の作で、原本は如水が亡くなった三年後に嫡子の長政が作らせた[e]こちらは福岡県福岡市の崇福寺が所蔵しているとのこと。

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黒田如水像(模本)

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黒田如水像(模本)

如水は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた戦国武将の一人。頭上には、如水が帰依した京都・大徳寺の僧・春屋宗園《シュンオク・ソウエン》による賛文が記されてる。

こちらは青井戸茶碗・土岐井戸《アオイドチャワン・トキイド》。朝鮮時代(16世紀)。「井戸茶碗」は高麗茶碗の主流の一つで、すっきりと直線的な形状が特徴:

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青井戸茶碗・土岐井戸

刀剣としては、まず國寳の太刀・三条宗近《タチ・サンジョウムネチカ》。名物・三日月宗近《メイブツ・ミカヅキムネチカ》とも。平安時代(12世紀):

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太刀・三条宗近

宗近は京三条の刀工で、本作はその代表作で、手元が強く反った細身の刀身に、三日月のように見える打除け[f]焼入れの際に刃中に現れる模様のこと。を映す刃紋を持つ(赤丸の中にある破線のように見える模様):

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三日月のように見える打除け(赤丸の部分)

この太刀に付属する梨地菊桐文蒔絵糸巻太刀鞘《ナシジ・キクキリモン・マキエイトマキ・ノ・タチノサヤ》。江戸時代(16世紀)。この糸巻太刀の鞘には金蒔絵で豊臣家の菊桐紋を描き、帯執《オビトリ》の太鼓金《タイコガネ》には雲形と三日月を飾る:

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梨地菊桐文蒔絵糸巻太刀鞘

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金蒔絵の菊桐紋

この太刀・三条宗近は、豊臣秀吉の正室・高台院《コウダイイン》[g]北政所、おね(ねね)はよく知られた呼び名。の遺品でもあり、のちに徳川将軍家に伝来し、天下五剣の一つとなる。

こちらは黒漆太刀《コクシツノタチ》。鎌倉〜南北朝時代(13〜14世紀)。鎌倉時代に多く用いられた太刀拵《タチ・ゴシラエ》:

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黒漆太刀

毛利輝元から小笠原氏に贈られたもので、柄《ツカ》は鮫着黒漆塗《サメキセクロウルシヌリ》に黒韋巻《クロカワマキ》とし、小笠原家の家紋である三階菱紋《サンガイビシモン》の目貫《メヌキ》を飾る:

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目貫は小笠原家の家紋である三階菱紋

光り輝く漆が目につく、こちらは潤漆千段巻塗打刀《ウルミウルシ・センダンマキヌリ・ウチガタナ》。江戸時代(19世紀)。郷義弘の拵《コシラエ》:

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潤漆千段巻塗打刀

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潤漆千段巻塗打刀

鞘全体に多数の凸凹を平行に付けて、表面を漆塗とする千段巻塗で、目貫、笄、小柄には水仙、縁頭には葵紋と六つ葵紋を飾り、葵紋透鍔が付けられている。

これは越前国・朝倉氏景(またはその一族)の所用で、敵の籠手を一刀したことが銘の由来になった、刀・伝相州正宗《カタナ・デン・ソウシュウマサムネ》。名物・籠手切正宗《メイブツ・コテギリマサムネ》とも。南北朝時代(14世紀):

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刀・伝相州正宗

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のちに織田信長が所持して磨上げ、その後は近習の大津伝十郎長昌《オオツ・デンジュウロウ・ナガマサ》が拝領した。

最後は彫刻の作品からいくつか。武家が武運を願い崇敬を集めた八幡神《ヤハタノカミ/ハチマンシン》像。モデルは第十五代天皇である応神天皇《オウジンテンノウ》とも。島根県の赤穴八幡宮に伝わる、慶覚(鏡覚)《キョウカク》作の八幡三神坐像の三体が展示されていた。

まず大和朝廷の守護神でもある八幡神坐像《ハチマンシンザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀):

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八幡神坐像

二体目は息長足姫坐像《オキナガタラシヒメザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀)。息長足姫は応神天皇の母・神功皇后とされている:

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息長足姫坐像

三体目は比売神坐像《ヒメガミザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀)。比売神は特定の神ではなく、神社の主な祭神と関係の深い女性を指すと云われる:

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比売神坐像

最後は千手観音菩薩坐像。南北朝時代(14世紀)。十一の頭上面をいだき、合掌する二本の腕と四十本の脇手《ワキシュ》を表す:

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千手観音菩薩坐像

「千手」とあるが、実際は腕の数を省略した姿が一般的なのだとか。像はもちろん、台座や背後の光背に至るまで精美な彫刻になっている。

今年も時間を作って観覧しに行こうと思う =)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2024年2月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。
b 料金は大人1,000円(当時)。
c 江戸時代、日本刀の中で特に名刀と云われる五振りの総称。
d 原本ではなく模本ではあるが 😅️。
e こちらは福岡県福岡市の崇福寺が所蔵しているとのこと。
f 焼入れの際に刃中に現れる模様のこと。
g 北政所、おね(ねね)はよく知られた呼び名。

東京国立博物館 展示 #7376、#7273 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2023.

今週は、令和5(2023)年の立冬の候を目前にした文化の日ウィークの三連休・最終日[a]【今日は何の日?】世界津波の日。2011年3月11日の東日本大震災を受けて制定され、のちに国連で決議されて世界規模に。いいりんごの日に今年3回目の東京国立博物館へ行って来た。今回は開館時間に合わせて行ってみたのだけれど、まだ時間前なのに既に長い行列ができていて、そのほとんどが Foreign Visitors だった。あと、館内[b]正確には敷地内。一応は本館前の中庭でも繋がったので 😊️。 無料Wi-Fiが利用できることを今更ながら知って初めて使ってみたり :)。今回も本館で開催されている総合文化展のいくつかを(午後は別の用事があったので)午前中一杯、鑑賞してきた:

  • #7376:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2023年10月24日(火)~ 2024年2月4日(日)
  • #7273:本館1階13室の「刀剣」:2023年9月26日(火)~ 2023年12月3日(日)

後者では國寳に指定されている「名物・大包平《メイブツ・オオカネヒラ》」を人生で初めて鑑賞することができた 8)

まずは甲冑。こちらは白糸威胴丸具足《シロイト・オドシ・ドウマル・グソク》。江戸時代(17世紀)。徳川家康に仕えた美濃国・岩村藩主・大給《オギュウ》松平家に伝わる当世具足:

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白糸威胴丸具足

全体を白糸縅とし、胸板や草摺や裾板には紅糸で日の丸を大きく表した意匠。家紋である「丸に蔦」紋を蒔絵で各所に飾っている。

こちらは徳川二十将図。江戸時代(18世紀)。家康とその家臣団を描いた肖像画。床几に坐る家康を頂点に徳川四天王をはじめ、後世でも名の知れた武将[c]たとえば今年の大河ドラマとか。が描かれていた:

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徳川二十将図

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頂点は家康

こちらは溜塗打刀《タメヌリ・ノ・ウチガタナ》。室町時代(16世紀)。刀身の根本にあたる鎺《ハバキ》に桔梗紋の透かしがあることから明智惟任日向守光秀《アケチ・コレトウ・ヒュウガノカミ・ミツヒデ》、または明智左馬助光春[d]諱の明智秀満として知られる。某大河ドラマでは間宮祥太朗氏が演じていた。の差料《サシリョウ》と伝えられ、明智拵《アケチ・ゴシラエ》の名を持つ:

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溜塗打刀

無駄のない肉取りの鞘や、先の張った柄頭《ツカガシラ》など簡素ながら実用本位に作られている。

この大笹穂槍《オオササホヤリ》は幕末の刀工・固山宗次が、徳川四天王の一人・本多平八郎忠勝の愛槍「蜻蛉切[e]現在、実物は個人所蔵とのこと。」を写したもの:

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大笹穂槍(蜻蛉切・写)

南蛮胴具足。安土・桃山時代〜江戸時代(16〜17世紀)。舶来の南蛮胴にならって作られたもので、兜は堅牢な鉄の打出し鉢で、前面には兎の耳と抉り半月《クリ・ハンゲツ》の立物があしらわれている。前胴正面に鎬《シノギ》をたてて「天」の字と「髑髏」を、背面に富士山を打ち出している:

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前胴正面

技巧的にも優れた具足で、明智左馬助光春[f]諱の明智秀満として知られる。某大河ドラマでは間宮祥太朗氏が演じていた。の所用と伝わる。

伝・源頼朝坐像。鎌倉時代(13〜14世紀)。重要文化財。笏《シャク》を持ち、高い烏帽子をいただく威厳ある姿は、鎌倉幕府を開いた初代将軍・源頼朝像と伝わる:

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伝・源頼朝坐像(重要文化財)

武家の略装である狩衣《カリギヌ》をまとい、指貫《サシヌキ》という袴をはくが、強装束《コワショウゾク》を着て両脚を倒した坐り方は、当時流行していた貴族の肖像画を手本にしたものとされる。

こちらは茶器の類。今年の2月にも鑑賞した蒲生飛騨守氏郷作の竹茶筅《タケチャシャク》と、大井戸茶碗・銘・有楽井戸。織田信長の弟・有楽斎が所持していたもの:

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竹茶杓

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大井戸茶碗・銘・有楽井戸(重要美術品)

こちらが國寳の太刀・古備前包平《コビゼン・カネヒラ》。名物・大包平とも。平安時代(12世紀):

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太刀・古備前包平・名物・大包平(國寳)

平安時代末期に備前国の刀工・包平の健全無比の大作(古備前)。包平は、助平・高平とともに「備前三平《ビゼン・サンヒラ》」と呼ばれる名工の一人:

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茎に刻まれた銘は「備前国包平作」

大振りで身幅の広い豪壮成すを形にしたもので、平安時代後期における一形体を代表するもの。地鉄と刃文の美しさに優れ、日本刀の横綱と称される名刀。姫路藩主で岡山池田家の池田三左衛門輝政の愛刀と伝わる。

こちらは刀・越前康継《エチゼン・ヤスツグ》。江戸時代(17世紀)。重要美術品:

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刀・越前康継(重要美術品)

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茎に葵紋が切られている

江戸幕府御用鍛冶を務めた康継は、家康から技量を認められて「康」の一文字を賜った上に、茎《ナカゴ》に「葵」紋を切ることを許された。

ここからは時代を彩る美術品を幾つか。まずは奈良時代の仏像・毘沙門天立像(重要文化財):

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毘沙門天立像(重要文化財)

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邪鬼を踏みつける

水晶で瞳をあらわし、均整のとれた姿と華やかな彩色が洗練された美意識を伝える。

剣と投げ縄を手に執り、怒りの表情で仏教の外敵や人々の煩悩を打ち砕く、不動明王像(鎌倉時代):

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不動明王立像

巻髪で左目をすがめ、口の両端で上下に牙を出すのは平安時代以降に広まったスタイル。

これは江戸の火消しが着ていた半纏《ハンテン》。火消半纏・紺木綿刺子地人物模様《ヒケシ・バンテン・コン・モメン・サシコジ・ジンブツ・モヨウ》。江戸時代(19世紀):

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火消半纏・紺木綿刺子地人物模様

江戸の町方では鳶職の人々が組体制で火消しの役割を担っていた。生地の表は籠目模様を型染にし、衿に火消しの組名の文字を染めている。鎮火したあかつきには、裏地の派手な模様を見せて誇らしげに市中を歩いたと云う。いかにも江戸っ子気風 :D

源氏物語絵巻。江戸時代(17世紀):

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源氏物語絵巻

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源氏物語絵巻

最後は江戸時代(18世紀)に大流行した浮世絵で、喜多川歌麿が描いた美人画「名所腰掛八景・波の花」:

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名所腰掛八景・波の花

浮世絵黄金期と呼ばれる寛政期(1789〜1801年)を代表する浮世絵師の歌麿が、市中の美人から吉原の遊女までさまざまな美人の姿態を描いた。

他にもいろいろ観てきたが、こちらも今更ながらだけど、写真を撮るにしてはガラスの映り込みや照明の反射が酷かった :|。ショーケースの素材とか周囲にある照明の強弱とかでなんとかできないものだろうか[g]もしかして写真撮影を推奨させないため、わざとそうしているとか?🤨️。そういえば隣で同じように撮影していたフランス人も What a reflection!! って叫んでいたっけ :O

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2023年11月 東京国立博物館(1) (フォト集)
See Also2023年11月 東京国立博物館(2) (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】世界津波の日。2011年3月11日の東日本大震災を受けて制定され、のちに国連で決議されて世界規模に。いいりんごの日
b 正確には敷地内。一応は本館前の中庭でも繋がったので 😊️。
c たとえば今年の大河ドラマとか。
d, f 諱の明智秀満として知られる。某大河ドラマでは間宮祥太朗氏が演じていた。
e 現在、実物は個人所蔵とのこと。
g もしかして写真撮影を推奨させないため、わざとそうしているとか?🤨️

東京国立博物館 展示 #6919、#6946 − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2023.

先週は、令和5(2023)年の啓蟄の候すぎの週末[a]2011年に観測史上最大規模の東北地方太平洋沖地震が発生した日。旧暦だと初代天皇である神武天皇が没した日。甲斐武田家が滅亡した日。に六年前に巡ってきた城跡周辺を再訪したあと帰宅する際に時間があったので上野で途中下車し、先月に続いて東京国立博物館を観覧して来た。今回も本館で開催されている総合文化展のいくつかを観覧してきた:

  • #6919:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2023年2月4日(火)~ 2023年5月7日(日)
  • #6946:本館1階13室の「刀剣」:2023年1月17日(火)~ 2023年4月9日(日)

後者の展示は先月とほぼ同じ。今回は勢州村正《セイシュウ・ムラマサ》や重文指定の刀剣などを、またまた閉館近くまで観覧してきた  :)

まずは甲冑から。こちらは白糸威二枚胴具足《シロイト・オドシ・ニマイ・ドウグソク》。江戸時代(17世紀)。尾張徳川家初代藩主の徳川義直《トクガワ・ヨシナオ》が大坂の陣で携帯したと伝わる具足:

白糸威二枚胴具足(右正面)

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白糸威二枚胴具足(側面)

胴と袖は銀箔押の札《サネ》を白糸で威しており、現在はくすんでいるが、往時は白銀に輝いていただろうとのこと。兜は通天冠《ツウテンカン》[b]中国の冠。を模した変わり兜で、前立は仏具の如意形《ニョイナリ》。

そして紺色縅二枚胴具足《コンイロ・オドシ・ニマイ・ドウグソク》。江戸時代。大名茶人・小堀遠州と呼ばれた小堀政一《コボリ・マサカズ》所用と伝わる具足:

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紺糸威二枚胴具足

全体の縅毛を紺色で統一し、要所には小堀家の家紋である花輪違紋をあしらった飾金具を配している。兜は輪貫《ワヌキ》の前立を持つ尖り帽子のような変わり兜。

今回はいろいろな変わり兜が展示されていたが、その中からこちらは紫糸素懸威烏帽子形桐紋兜《ムラサキイト・スガケオドシ・エボシナリ・キリモンノ・カブト》。江戸時代。これは烏帽子の形を鉄で模した変わり兜:

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紫糸素懸威烏帽子形桐紋兜

側面には切鉄と銀の布目象嵌《ヌノメ・ゾウガン》による大きな桐紋を飾り、正面や裾にも桐紋を打っている。六段下りの錣《シコロ》は紫糸の素懸威。豊臣秀吉の兜と伝わる。

ここからは刀剣。基本的に前回とほとんど展示品は替わっていなかったが、そんな中で重文のものを中心に紹介する  :)

黒漆銀銅蛭巻太刀《クロウルシ・ギンドウ・ヒルマキノ・タチ》(重要文化財)。南北朝時代:

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黒漆銀銅蛭巻太刀

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柄の装飾は蛭巻

柄《ツカ》や鞘《サヤ》などは補強と装飾を兼ねて、帯状の金属板で螺旋状に巻く蛭巻《ヒルマキ》と云う技法[c]蛭巻太刀は武士に愛好された刀装の一種。を使っている。南朝の武将、南部政長《ナンブ・マサナガ》[d]新田義貞が倒幕のために挙兵した際、正長もこれに呼応して馳せ参じて武功を挙げた。恩賞は陸奥国の一郡。の所用と伝えられる。

青漆銀流水文半太刀大小《セイシツ・ギンリュウスイモン・ハンダチノ・ダイショウ》の一腰。安土桃山〜江戸時代:

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青漆銀流水文半太刀大小

半太刀とは刀装の一種で、太刀のように刃を下にして[e]通常、刀は刃を上にして腰帯に指す。、刀と同様、鞘に栗形《クリガタ》や返角《カエリヅノ》を設けたもの。この二腰は、美濃国・苗木城主の遠山友政《トオヤマ・トモマサ》[f]美濃国苗木藩の初代藩主。父は遠山友忠《トオヤマ・トモタダ》、母は織田信長の姪。の差料と伝わる。青漆塗の鞘に二条の曲線形の銀板を貼って流水の模様を表現している。

太刀・古備前吉包《タチ・コビゼン・ヨシカネ》(重要文化財)。平安〜鎌倉時代。「古備前」とは備前国で平安末期から鎌倉初期に活躍した刀工たちの総称で、吉包はその一人:

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太刀・古備前吉包

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太刀・古備前吉包

刀身は腰反りが高く、よく鍛えられた板目の地鉄に、高さの揃った小乱の刃文を焼き入れている。

ここからは一階の「刀剣]コーナーから。

まずは有名な太刀・豊後行平《タチ・ブンゴノクニユキヒラ》(重要文化財)。平安〜鎌倉時代。行平は平安時代から豊後国で活躍した刀工の一人:

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太刀・豊後行平

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太刀・豊後行平

刀身はやや細身で、板目《イタメ》の地鉄《ジガネ》に「浅くのたれた」小乱《コミダレ》の刃文を焼入れ腰元で焼落としている。

次は太刀・古青江貞次《タチ・コアオエ・サダツグ》(重要文化財)。鎌倉時代。備中国青江を拠点とした青江派のうち、平安末期から鎌倉初期に活躍した古青江と呼ばれる刀工の代表がが貞次:

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太刀・古青江貞次

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太刀・古青江貞次

精美な小板目《コイタメ》の地鉄に、小乱を交えた直刃《スグハ》の刃文を焼入れている。

こちらは太刀・長船長光《タチ・オサフネミツタダ》(重要文化財)。鎌倉時代。備中国長船を拠点に、日本最大の刀工流派として繁栄した長船派:

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太刀・長船長光

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太刀・長船長光

よく鍛えられた板目の地鉄に乱映りが立ち、高低のある丁子に互の目を交えた刃文を焼き入れており、金筋など刃中の働きも豊か。

刀・津田助広《カタナ・ツダスケヒロ》(重要文化財)。江戸時代。大坂で作刀した名工で、寄せては返す大波をかたどった濤瀾刃《トウランバ》と云われる独創的な刃文を作り出した:

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刀・津田助広

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刀・津田助広

小板目の精美な地鉄に、明るく冴えた濤瀾刃を焼入れている。

こちらもよく知られた、刀・勢州村正《カタナ・セイシュウ・ムラマサ》。室町時代。村正は伊勢国桑名の名工で、その作刀は業物《ワザモノ》として知られ、江戸時代には徳川家を祟る妖刀伝説が生まれた:

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刀・勢州村正

やや流れた板目の地鉄、低く焼き入れた乱刃《ミダレバ》の刃文、たなご腹形の茎《ナカゴ》などが特徴。

最後は刀・小野繁慶《カタナ・オノハンケイ》(重要文化財)。江戸時代。繁慶は徳川家康・秀忠に仕えた鉄砲鍛冶で作刀もした:

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刀・小野繁慶

 以上、東京国立博物館蔵の作品は「e國寳」や「文化遺産オンライン」(ともに文化庁)のサイトでも閲覧できる ;)


ここからはオマケ。

千葉県松戸市にあった巨大な平城の外郭跡を攻めていた時に観たマンホール蓋

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「矢切の渡し」柄のマンホール・デザイン

この日は久しぶりに晴天の休日で、沿道に咲いていた梅がとても映えていた 8):

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野梅系

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野梅系

こちらは上野公園でみた梅:

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緋梅系

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緋梅系

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2023年3月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 2011年に観測史上最大規模の東北地方太平洋沖地震が発生した日。旧暦だと初代天皇である神武天皇が没した日。甲斐武田家が滅亡した日。
b 中国の冠。
c 蛭巻太刀は武士に愛好された刀装の一種。
d 新田義貞が倒幕のために挙兵した際、正長もこれに呼応して馳せ参じて武功を挙げた。恩賞は陸奥国の一郡。
e 通常、刀は刃を上にして腰帯に指す。
f 美濃国苗木藩の初代藩主。父は遠山友忠《トオヤマ・トモタダ》、母は織田信長の姪。

東京国立博物館 展示 #6918、#6946 − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2023.

先々週は、この年の関東にあって大雪で大荒れの天候だった翌日にあたる、令和5(2023)年の建国記念の日[a]日本の初代天皇である神武天皇の即位日で、旧暦だと紀元前660年1月1日。城攻めしたあとの帰宅途中、時間があったので上野で下車し、昨年6月に続き東京国立博物館へ行って来た。今回も本館で開催されている総合文化展のいくつかを観覧してきた:

  • #6918:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2022年11月22日(火)~ 2023年2月12日(日)
  • #6946:本館1階13室の「刀剣」:2023年1月17日(火)~ 2023年4月9日(日)

今回の目的は関白秀吉の甲冑として伝わる「一の谷馬藺兜」の他、石田治部の所用だった刀剣「石田正宗」など。他に、予想外の出品もあってちょっとだけ嬉しかった :)。今回も閉館までずっと観覧した。

しかしながら、休日のトーハクはホント人が多い :|。あと写真撮影可能な展示が多いのは嬉しいのだが、ガラス面への映り込み(例えば非常灯とか)が激しいのは残念な点であるが:(

まず紺糸威南蛮胴具足(重要文化財)。安土桃山時代。徳川家康の四天王の一人、榊原康政が、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い直前に家康から拝領したと伝わる甲冑:

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紺糸威南蛮胴具足(正面)

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(側面)

兜や甲冑は南蛮胴具足がモデル。異国的で目の引く造形となっており、兜の錣《シコロ》の引廻《ヒキマワシ》や後立《ウシロダテ》にはヤクの毛を飾っている[b]これを「唐の頭《カラノカシラ》」とも云う。。個人的に、康政の具足と云うと前立が三鈷剣《サンコケン》の兜を持つ黒糸威二枚胴具足を思い浮かべるけど。

こちらが一の谷馬藺兜《イチノタニ・バリンノ・カブト》。安土桃山〜江戸時代。豊臣秀吉の兜として三河国岡崎藩士の志賀家に伝来したもの[c]志賀家の先祖が豊臣秀吉から賜った兜らしい。

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一の谷馬藺兜

兜鉢は鉄黒漆塗・一の谷形で、後立には馬藺[d]菖蒲の一種の葉を模した檜の薄板を放射状に配している:

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一の谷馬藺兜

今回は秀吉に関連する作品が他にもいくつか展示されていた。こちらは秀吉所用と伝わる陣羽織・淡茶地獅子模様《ウスチャジ・シシ・モヨウ》。安土桃山時代:

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陣羽織・淡茶地獅子模様

刺繍のように絵緯糸《エヌキ・イト》を浮かせた唐織で、大きな獅子模様を織り出している。背中の模様が背縫いをまたいで大きな獅子を表した手間のかかる技法である。衿には舶来の羅紗[e]これは当て字で、ポルトガル語で raxa と綴る。厚手の毛織物を意味する。《ラシャ》があしらわれ、今は欠損しているが、もともとは白い羽毛のぼんぼりが両脇を装飾していた。

こちらは豊臣秀吉像(模本)。原本は安土桃山時代で、江戸時代後期に焼失した:

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豊臣秀吉像(模本)

これは狩野永徳が描いたと伝えられる秀吉城を、仙台藩御用絵師の菊田伊徳が模写したもの。

そして秀吉直筆の書状。安土桃山時代:

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秀吉筆の書状

秀吉が、「ましどの」(不詳)にお茶を一服点ててもてなしたいと送った手紙。なお、都合が悪ければ構わないとも書き添えてある。こうした気遣いは秀吉の人柄が表れている。

こちらは大身槍《オオミノ・ヤリ》。銘・備州長船祐定《オサフネ・スケタダ》。室町時代・永正元(1504)年:

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大身槍・長船祐定

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丁字乱の刃文

この槍の茎《ナカゴ》に『加藤清正息女瑤林院様御入輿之節御持込』の朱銘があることから、加藤肥後守清正の息女・八十姫、のちの瑤林院《ヨウリンイン》が紀州徳川家初代の徳川頼宣《トクガワ・ヨリノブ》に輿入れの際に持参したもので、清正所用として伝えられる。室町時代後期に活躍した備前国・長船派の刀工・祐定の作。70㎝を超える長大な刀身に、丁子乱[f]丁子の実を連ねた形。《チョウジミダレ》の刃文を焼入れてある。

この刀は名物・石田正宗(重要文化財)。鎌倉時代:

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刀(名物・石田正宗)

無銘ながら沸《ニエ》の美を強調した相州伝の作風から正宗の柵とされ、三成が所持したことから「石田正宗」と呼ばれる他に、刀身の棟に刀傷があるので「石田切込正宗」とも。関ヶ原合戦の前年の慶長4(1599)年の清正ら七将による「石田三成襲撃事件」の御成敗で、三成が佐和山城に蟄居となった際に、その道中を警護した結城秀康に贈られた。

同じく、こちらも三成所用の脇指で名物・石田貞宗(重要文化財)。南北朝時代:

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脇指(名物・石田貞宗)

貞宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した相模国の名工。複雑な変化をみせる板目の地鉄《ジガネ》や、沸の輝きと刃中の働きを強調した刃文は、師の正宗の作風を継承したものと考えられる。「石田貞宗」の銘は、こちらも三成の指料《サシリョウ》であったことに由来する。

この刀は長船勝光・治光の作。室町時代。がっしりとした先反りの刀身に、冴えた直刃調の刃文を焼入れ、腰元の指表《サシオモテ》には倶利伽羅《クリカラ》を、指裏《サシウラ》には梵字が彫られている:

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刀・長船勝光・治光

備前国の長船派の名工・次郎左衛門尉勝光と、その子の次郎兵衛尉治光との合作で、佐々木伊予守こと尼子経久の所持銘が茎にある。

最後は千利休の高弟で、利休七哲の一人である蒲生飛騨守氏郷作の竹茶筅《タケチャシャク》:

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竹茶杓

急角度に曲げた櫂先《カイサキ》が特徴的で、武将らしい力強さを見せている。これほど激しい個性を感じさせる茶筅も珍しいとのこと。

以上、東京国立博物館蔵の作品は「e國寳」や「文化遺産オンライン」(ともに文化庁)のサイトでも閲覧できる ;)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2023年2月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 日本の初代天皇である神武天皇の即位日で、旧暦だと紀元前660年1月1日。
b これを「唐の頭《カラノカシラ》」とも云う。
c 志賀家の先祖が豊臣秀吉から賜った兜らしい。
d 菖蒲の一種
e これは当て字で、ポルトガル語で raxa と綴る。厚手の毛織物を意味する。
f 丁子の実を連ねた形。