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日本の蕎麦、日本のうどん、愛知のきしめん

手打ちそば処 藤美 − Handmade SOBA of Fujimi.

一昨々年(さきおととし)は平成27(2015)年の秋に千葉県は房総半島の真ん中辺りにある城址公園を攻めてきた。近場ではあったけどマイカーは車検に出していたので、電車かバスでの移動と考えていろいろ調べていたら、浜松町から東京湾アクアライン経由で移動できるバスが出ているのを見つけて、こちらを利用することにした。東京湾をぐるりと周ることなく最短で、おまけに城跡の真下にあるバス停まで2時間かからないとのこと。

ということで、この日は朝7時半ちょっと過ぎに浜松町バスターミナルに到着。それから切符を購入して、朝8時発の京成バス運行・アクシー号安房鴨川駅行きに乗車。日曜日だったけど、始発の浜松町で半分くらいは席が埋まる感じの結構な乗車率だった。そして八重洲口を経由して東京湾アクアラインを通り、一時間ほどで木更津のバスターミナル、そして目的地の久留里城三の丸跡なるバス停に着いたのが朝10時前。所要時間は約1時間45分だった。

それからたっぷり3時間くらいかけて標高145mの山城を攻めてきた。お昼に入ると人が多く目についたが、どうやら久留里城まつりの開催日だったらしい。城址公園の駐車場ではいろいろな催しやフリーマケットが開かれ、寒空の中、結構な家族連れで賑わっていた :)

帰りはJR久留里駅前近くにあるバス停からバスに乗ろうと考えていたこともあり、この後は城址公園を出て国道R410沿いをぶらぶら歩きながら駅方面へ移動した。そして駅前に着いてみると、こちらはこちらで沢山の露店が立ち並んで大賑わい。そんな混雑を抜けて、駅近くにある里見家菩提寺の正源寺を訪問。
これでこの日の予定は完了で、あとはバスに乗って帰るだけだけど、なんだか中途半端に1時間半くらい時間が余ってしまった。オマケに、お昼は山頂にある本丸跡でオニギリを食べたのに、大分歩きまわったおかげで「小腹以上中腹未満」な感覚でお腹が空いてしまった :D

ということで一段と賑いを増していた露店へ戻って何かつまもうかと思っていたところ、正源寺の目の前で蕎麦屋の看板を発見。歩いて直ぐ近くのようだったので行ってみることに:

うどん・そば処の藤美

この入口からは中が覗けなかったので、おもむろに扉を開けて店内へ。ざっと見たところ4つほどあるテーブルは完全に埋まり、その向こうにある厨房前のカウンターは半分くらいが物置き場になっていたが、そのカウンターの端っこに通された。昼過ぎではあったけど家族連れが多かったので混んでいた。

バスの時間もあるので、早速ランチサービス(900円)を注文した。天ざるにオニギリと味噌汁付き:

ランチサービス(900円)は天ざる

オニギリと味噌汁付き

軽くすませようと思ったらオニギリでお腹が一杯になってしまった;)

ということでお腹も時間も一杯になって午後15時過ぎのアクシー号で浜松町バスターミナル経由で帰宅した。帰りはほぼ満席状態だったっけ。

手打ちそば処 藤美
千葉県君津市久留里市場138


ここからはオマケ。

こちらは久留里街道沿いの久留里商店街入口に建っていた、久留里城の模擬天守をモチーフとしたアーチ:

久留里商店街入口に建つアーチ

その昔、城下町として栄えた久留里は生活に密着した水として井戸が沢山あった:

久留里の自噴井戸

こちらは久留里の名水である高澤の水。

久留里の自噴井戸

さらに老舗の酒屋と、その店先にあった井戸:

藤平酒造

久留里の自噴井戸

これらの井戸は全て、その昔は上総堀りで地下水を汲み上げていたらしい(現在は電動)。

次は秋の味覚でもある果物たち:

くだもの

くだもの

くだもの

こちらが久留里城本丸跡に建てられた展望台の模擬天守:

二層三階の模擬天守型展望台

この展望台からの西側の眺望:

模擬天守からの西側の眺望

最後は二ノ丸跡で見かけたカマキリ:

ガン見してきたカマキリ

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also久留里城攻め (フォト集)

手打そば とがくし − A Fried Shrimp Meal Set of Soba Restaurant.

今年は平成30(2018)年の、関東甲信地方の梅雨明けは観測史上初の6月末だった :O。これは、昨年より7日早く、平年だと22日も早い梅雨明け。全国では、この時点で梅雨明けしているのが沖縄・奄美を除いて、関東甲信地方だけと云うのだから、これまた凄い:$。じわりじわりと地球の環境が変化してきた前兆だろうか。

そんな週末は猛暑の中を約一ヶ月ぶりの城攻め。先月は梅雨シーズンの感覚は無かったけど、あまり良い天気に恵まれず、タイミングも悪くて、結局一度も城攻めできなかった。そういことで、この日は気温が30℃を軽く超えると予想されている中、県内にある平山城を二つ攻めてきた。午前中は藤沢市の大庭城跡。JR東海道本線で藤沢まで移動して、北口から出ている神奈川県中央交通の湘南台駅西口行きのバスに乗って20分程のところにある舟地蔵で下車。目の前が大庭城址公園。ここは綺麗に遺構が残っていたのがちょっと印象的だった。

そして、午後は平塚市にある相模岡崎城跡へ。来た時と同じバスで終点の湘南台駅西口へ移動し、そこから小田急江ノ島線で相模大野へ、さらに小田急小田原線に乗り換えて伊勢原へ。駅を降りて、お昼すぎの暑さは強烈だった。そこから普通はバスを使うが、途中で腹ごしらえするために徒歩で移動。県道R61沿いを歩いて、城址までちょうど中間点くらいの、八幡台入口なる交差点近くにある蕎麦屋へ。インターネットで偶然、同じ城攻めしたと云う方のオススメを見かけて行ってみることにした:

「手打そば とがくし」

看板は完全に蕎麦屋であるが、食べて出てきた時の感想としては、よく地元にありそうな蕎麦屋、どちらかと云うと夜は完全に飲み屋って感じの店だった:

「手打そば」がウリのようだが

で店に入った時間帯がお昼過ぎだったこともあり、テーブル3、カウンター5席はほぼ満席で、店員は客がきていることも気が付かないくらい忙しそうに見えた :O。扉の前で5分くらい立ちつくしていると、やっと声かけて貰えて、カウンターの一番端っこにある物置みたいな席に座わることに。

カウンターは正直、汚い。蜘蛛の巣が張っている厨房を覗くと、汗だくの親父さんがとんかつやエビのフライを揚げていた。そう云えば、店の入口に置かれていた看板の「今週のおすすめ」には蕎麦ではなくて、エビフライとヒレカツ盛り合わせ定食(そば、またはうどん付き) と書いてあったっけ。そういうこともあって、店の客はほぼ全員が、この盛り合わせ定食を注文していたようだ。

あと、自分の席の目の前に樽付焼酎が置かれていて、そこへ酒を注ぎにくるため、その度に自分は立ち上がる羽目になった:|。その割には、いっこうに水も出してくれないし、注文も聞きにきてくれなかった:(。結局10分ほど待たされて注文したのが、皆と同じ盛り合わせ定食:D。同じ注文だったら、忘れ去られずに出てくるかなと思ったから。
そしてエビフライが揚がるのを待っている間、500mlのペットボトルに入った冷水とコールスロー、そして漬物で凌ぐことにした:

お漬物

このお漬物は美味しくて、主食が来る前に危うく全部食べてしまうところだった。コールスローの方は、大分「温かった」が一気に食べてしまった。

そして出てきた定食がこちら。左手上に少し見えるが一人一本ずつ配られた冷水(500mlのペットボトル):

エビフライとヒレカツ盛り合わせ定食(そば、またはうどん付き) 」(780円)

エビはタルタルソース、ヒレカツにはテーブルに置いてあったトンカツソースで頂いた。残念だったのが、お蕎麦。完全に温かった。正直、蕎麦屋のくせに美味しくない[a]ってのは救いようがない感じ。

エビフライx2とヒレカツ

反対にエビフライは熱々でプリっとしていて美味しかった。ヒレカツは、ちょっと油ギトギトって感じだが、不味くはなかった。もう少し大きければと思ったが、これらと御飯を一緒に食べて、この先の炎天下を城攻めできるパワーを補給できたって感じ。

店内を見渡した感じだと、自分以外はほぼ地元の人達のようだった。
食べながら、ここは蕎麦屋なんだろうか、それとも定食屋だろうかと考えていたが、食べ終えて店を出たら、あまりの暑さでそんなことどうでもよくなっていた :D

手打そば とがくし
神奈川県伊勢原市東大竹922-1


ここからはオマケ。

これが午前中に攻めてきた大庭城址公園の遠景。結構な高さの舌状台地の上に築かれていた:

大庭城址公園

これは公園入口から園内に上がっていく際の坂で、勿論、石垣は後世の造物ではあるが、城址公園の雰囲気はあった:

公園入口

公園の管理事務所内には大庭城の他に、ここ相模国(神奈川県一帯)にあった城や歴史についての説明板が展示されていた:

大庭城に関する説明板(拡大版)

こちらは現存する本物の遺構。特に堀切と竪堀は綺麗に残っていたが予想外:

竪堀

IMGP9476.resized

竪堀

こちらは、お昼を食べて向かった相模岡崎城跡。残念ながら、城跡には殆ど足を踏み入れることができなかったので外側から眺めるだけだった。この城は北(左手)から南(右手)に向かって3つの郭が階段状につながっている:

北郭跡

中郭跡

南郭跡

最後は、岡崎城の本丸があった無量寺(むりょうじ)というお寺の前から大磯方面の眺め。正面に見えるのは高麗山公園:

大磯方面の高麗山(拡大版)

高麗山を眺めていると、その手前に走行中の東海道新幹線を目撃することができた:

東海道新幹線

東海道新幹線

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also大庭城攻め (フォト集)
See Also相模岡崎城攻め (フォト集)

参照

参照
a ってのは救いようがない感じ。

越後長岡小嶋屋 本店 − A Niigata Local Dish Hegi soba(TAKE2).

今年は平成30(2018)年のGWは、昨年に続いての「越後攻め」で、三日目の午後一杯は新潟県上越市にある高田城跡へ。ここは、昨年には続100名城にも選定された城跡。と云っても、同様に選定され、この日の午前中に攻めてきた鮫ヶ尾城跡とでは、遺構の規模で「雲泥の差」があった。なぜ選定されたのか理解不能[a]個人の感想。まぁなんたら100名城は特に興味はないのでどうでも良いが。 :/。この高田城は廃城後に入城した帝国陸軍によって土塁や堀が破壊されている上に、その後の公園化によって往時は存在しない橋や道が設けられたり、主要なもの以外の郭(くるわ)跡を示す碑が建っていないし。さらに売りの一つである三重櫓は発掘や古絵図の調査結果を基にした模擬復原であるが、築城当時は二重櫓であったし。
と云うことではあるけど、せっかくここまで来たのでお昼を摂った後に同じ沿線にあった高田へ移動して、駅から徒歩で15分ほどのところにある高田公園へ向かった。そして足早に公園を周ったあと、宿がある長岡へ戻ったのが19時すぎ。夕食は、昨年の越後攻めで初めて食べた越後長岡小嶋屋の本店で。栃尾の油揚げがお目当てだ :D

皇室献上・越後長岡 小嶋屋 殿町本店

実のところ、初日の夕飯も同じ越後長岡小嶋屋で食べた。と云っても、この本店ではなく長岡駅に隣接するCoCoLon長岡のレストランフロアの支店の方だけど。そこのメニューは本店と違っていて、残念ながら栃尾の油揚は食べることができないのである :|

で、この日の日中は暑かったけど、長岡へ戻ってきたら気温が下がって寒いくらいだったが、まずは冷たい生ビール。そして栃尾油揚ハーフと越の鶏(こしのとり)の塩焼きを注文した。

まずは栃尾油揚ハーフ。昨年、初めて食べて好物の一つになってしまった:

栃尾油揚ハーフ(432円)

ハーフ・サイズながらも分厚く、食べ応えがあるので充分ビールのおつまみになる。加えて、この店オリジナルで、油揚げの間にネギ味噌や梅肉が挟まっているのも嬉しい:

小嶋屋オリジナルの栃尾油揚げ

こちらが越の鶏の塩焼き。新潟県のブランド鶏らしい。脂少なめ。そのせいか、ちょっと硬かった:

越の鶏の塩焼き(854円)

ビール一杯飲んだだけで寒くなってきたので早々に退散することに。〆はへぎそばと海老天丼(小)を注文した。例の初日は「へぎそば+タレカツ丼セット」を食べているので被らないようにした:

へぎそばセット(854円)

海老天丼小(864円)

うーん、そばは昨年同様に美味しかったが、この値段で天丼は普通以下だった[b]てんやの方がうまい。。蕎麦屋なのに残念 ;(
ということで栃尾の油揚げは新規に開拓した店でも安く食べれるので、ここ小嶋屋は今回で最後かな :X。正直、前回食べた時の衝撃は無くなっていたし[c]初日にも食べているからかも知れないが、値段的に相応ではなくなっているような気がした。

越後長岡小嶋屋 本店
新潟県長岡市殿町2-2-9


ここからはオマケ。

こちらは自身初の上越市高田で見かけた古物商。店頭に立っていた鉄人28号が目についただけだが:

県道R38沿いで見かけた古物屋

高田は越後高田藩15万石の城下町でもあったことから、その町並みに名残が感じとれた。例えば一直線の通りで町割りされていたり:

真っ直ぐに延びる通り(拡大版)

往時は、高田城の外堀でもあった青田川はたくさんの橋が架けられた憩いの場であり、春の桜の季節では外せない場所になるらしい:

青田川

青田川散策マップ(拡大版)

そして高田城跡に造られた高田公園:

高田公園

その見所の一つである三重櫓(模擬復元):

水堀と三重櫓(拡大版)

なんとなく、西堀橋と極楽橋:

西堀橋(往時は存在していない橋)

復元された極楽橋

最後は直江津駅で電車待ちしていた時に見かけた北越ほくほく線のHK100形:

北越ほくほく線のHK100形

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also高田城攻め (フォト集)

参照

参照
a 個人の感想。まぁなんたら100名城は特に興味はないのでどうでも良いが。
b てんやの方がうまい。
c 初日にも食べているからかも知れないが、値段的に相応ではなくなっているような気がした。

そば工房蕎花 川越札の辻店 − Grinded Homemade Buckwheat Noodle.

一昨年は平成27(2015)年の春、城攻めしに自身初めての埼玉県川越市へ行ってきた。その前日までは一ヶ月ほど広島出張があって、あちらは未だ春が訪れたばかりだったけど、こちらはとポカポカの陽気で、桜が見頃の季節に突入していた :)川越市は城下町の名残を残す「小江戸」のイメージしかなかったんだけど、実際に云ってみると天海僧正が住職を務めた由緒ある喜多院という大師もあったので、東武東上線の川越駅から城跡へ向かう途中に立ち寄ってみると、もう「花見」真っ盛りで大変な賑だった。ホント、江戸っ子はお花見が大好きだなぁ :D

近世城郭はすっかり宅地化されていて、本丸御殿(それも一部だけ)くらいしか見所がなかったので、早々に城攻めを終えて小江戸街を散策し、ちょっとランチタイムを外した時間にそば工房蕎花と云うお蕎麦屋さんで遅めのお昼を摂ることにした。

小江戸の蔵町・菓子屋横丁の近くにある小さな石臼自家製粉の手打蕎麦屋さんで野菜天丼がついた「どんぶりセット」を注文した:

どんぶりセット(880円)

この日は川越駅から川越城まで往復した上に、晴天だったので冷たいお蕎麦にして正解だった 8)。蕎麦はのど越しよく、美味しく頂けた。

そば工房蕎花 川越札の辻店
埼玉県川越市元町1-14-2


ここからはおまけ。

こちらが城攻めする前に立ち寄った喜多院:

星野山・喜多院

山門:

山門

どろぼうばし。その昔、喜多院と東照宮の境内は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、藩の町奉行の力が及ばない場所であったことを知った盗人が、当時は丸木橋だったこの橋を渡って境内に逃げ込んだ。しかし盗人は寺男らに捕らえられ、寺僧に諭されて改心した。厄除元三大師(やくよけ・がんさいだいし)に心から罪を許してもらえるように祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。そこで寺は幕府に事の次第を報告して無罪放免の許しを得た。その後、元盗人は全く悪事を働くことなく真面目に一生を過ごしたと云う:

どろぼうばし

喜多院の境内:

桜が見頃だった

多宝堂と桜吹雪:

多宝堂

多宝堂と桜吹雪

慈恵堂:

慈恵堂

東照宮随身門。この門を潜った先は仙波東照宮:

東照宮随身門

まさに「The お花見」:

桜が似合う多宝堂

山門前に建っていた天海大僧正(てんかい・だいそうじょう)の像。喜多院第27世住職であり、会津高田(現在の福島県會津美里町)出身、江戸時代初期に喜多院を復興した。家康の信頼あつく、宗教政策の顧問としえ助言を行い、家康もまた度々、川越城と喜多院を訪れているのだとか。108歳で遷化(他界)した後、朝廷より慈眼大師の称号を賜った人物:

天海大僧正の像

川越のマンホール蓋は小江戸っぽく粋な纏(まとい)と川越の文字が描かれていた:

粋な纏(まとい)がデザインされていた

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also河越城攻め (フォト集)
See Also河越夜戦跡 (フォト集)

 

越後長岡小嶋屋 本店 − A Niigata Local Dish Hegi soba.

今年は平成29(2017)年のGWは「越後攻め」で、三日目は某大河ドラマの主人公としても知られる直江山城守兼続公の居城であった与板城と、その近くで直江一族の居城でもあった本与板城などを攻めてきた。本当は前日に攻める予定だったのだけど天候が思わしくなかったので予定を変更した。やっぱり山城は晴れの日に攻めないと :)。そして、この日から三日連続で新潟県長岡市を中継して、長尾景虎こと上杉謙信公にゆかりある山城を攻める予定で、まずはその初日と云うことで。

この日は早朝7:00amに新潟から信越本線を1時間半近くかけて長岡駅まで移動した。この駅の西口にあたる大手口[a]JR長岡駅は長岡城址でもある。へ移動して、12番のりばから与板方面へ向かう越後バスに乗り上与板と云う停留所で下車した(当時450円)。そこから「城山(じょうやま)」と呼ばれている与板城址へ向かった。その途中、天地人通りと呼ばれる遊歩道[b]これも某大河ドラマの副産物らしい。前にトイレ付きの立派な道の駅があったので、しっかりと用をすまして万全な体制で城攻めしてきた。

その与板城址では集団でトレッキングしていた地元の中学生らと遭遇し挨拶合戦で応酬した。結局彼らとは今日一日、街のアチラコチラで挨拶の応酬をすることになった;)。そして与板城跡を攻略した後、お昼を摂ろうと予め見つけておいたお店へ行って見ると定休日で閉まっていた:O。「えっ!?」ちゃんと確認したんだけどなぁと訝しく思ったが、それは「昨日」のことであり、自分が予定を変更したことが仇になってしまったようだ;(。とはいえ今日からGWが始まると云う日なのに定休かよぉ!と思ってしまったが[c]いや自分のせいであることは十分に分かっているのだが・・・。。周囲を見ても御食事処が見つからなかったので、仕方なくお昼を摂るのを諦めることにした。と云っておきながら、実はこの店に来る前に同じ商店街にある「大判屋」という店の前を通り過ぎた時に、焼きたての良い匂いに負けてクリーム入りのオヤキ(120円)をついつい頬張ってしまっていたのだが :D。そういうことで、この後は与板陣屋跡と本与板城址と歩きまわって攻略してきた。それから帰りのバスが来るまで兼続お船ミュージアムこと与板歴史民俗資料館で時間をつぶすことにした。

帰りは与板仲町と云うバス停から越後バスで長岡駅へ。駅に着いたのが5:30pm過ぎで、流石にお腹が空いていたので、駅近くの越後長岡小嶋屋なるお蕎麦屋さんで越後名物の「へぎそば」と「タレかつ丼」の「合わせ」を頂くことにした:

皇室献上・越後長岡 小嶋屋 殿町本店

席にとおしてもらって落ち着いちゃうと、やっぱり今日一日の疲れを癒やすために生ビール(584円)が欲しくなった。さらに今日の一品なる献立から、(明日攻める予定の)栃尾町の名産である厚揚げ(ハーフ、432円)も併せて注文してしまった :D

栃尾油揚げハーフ(432円)

これはビールにも合うし、素晴らしく美味しい食べ物だった。その巨大でぶ厚い油揚げは、中央にねぎ味噌や梅肉が挟んであった:

栃尾油揚げ(梅肉)

栃尾油揚げ(ねぎ味噌)

主食が来る前に既に満足した感が強いが、頃合いを見て、へぎそばとミニ・タレかつ丼のセット(1586円)が登場:

へぎそばセット(1586円)

へぎそばは越後魚沼地方の名品の一つで、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使った蕎麦を、ヘギという独特の器に盛ったものらしい。この蕎麦は喉ごしが素晴らしかった。

そして既にこのGW越後攻めの初日に食べているが、温かいタレかつ丼(ミニ)もまた美味しかった:

へぎそばセット(1586円)のタレかつ丼

越後長岡小嶋屋 本店
新潟県長岡市殿町2-2-9


ここからはおまけ。

これが与板町の「与板・天地人マップ」。兼続公と公の妻であるお船ゆかりの町である:

長岡駅大手口の12番のりば前にあった案内板(拡大版)

こちらは与板城を攻める前に用を済ませた「天地人通り」のトイレ:

天地人通りにあったトイレ

この通りには、他に観光案内所なんかの他、兼続公とお船さんゆかりの門が建っていた:

天地人通りの北端にあるお船門

本与板城跡へ向かう途中に見かけた三国街道(みくにかいどう)。ここには江戸時代の与板宿があった。中山道の高崎から北陸街道の寺泊へ至る街道で、その昔は上杉謙信が関東遠征の際に利用したんだと云う:

三国街道

三国街道と県道R274の合流点

こちらは与板陣屋跡にある長岡市与板支所の前に建っていたゆるキャラのよいたん:

与板のよさと愛を届ける男の子「よいたん」

こちらが城攻めで助かった大判屋のクリーム入り大判焼き。焼きたてのホヤホヤでクリームが一杯だった:

大判屋の大判焼き(120円)

与板は国産麦酒(ビール)の醸造に携わった中川清兵衛の生まれ故郷だった。彼がサッポロビールの生みの親である:

日本ビールの生みの親・中川清兵衛生誕地の碑

こちらは旧黒川と与板河川緑地たちばな公園:

旧黒川と与板河川緑地

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also与板城攻め (フォト集)
See Also与板陣屋・與板城攻め (フォト集)
See Also本与板城攻め (フォト集)

参照

参照
a JR長岡駅は長岡城址でもある。
b これも某大河ドラマの副産物らしい。
c いや自分のせいであることは十分に分かっているのだが・・・。