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日本の蕎麦、日本のうどん、愛知のきしめん

よしだ麺・荒子店 − This is a specialty of NAGOYA.

先々週は令和4(2022)年の立冬の候少し前、一泊二日の予定で愛知県は名古屋市にある城跡をいくつか攻めてきた。最終日の名古屋は晴天で気温も穏やか。あまりにも気持ちの良い朝だったので、朝食後に宿からほど近い名古屋城の三之丸跡を散歩してきた。三之丸の外濠も意外と残っているものだんだなぁと思った[a]堀底にテニスコートがあるらしいし 😁️。

宿をチェックアウトしたあとは、三年前の名古屋で台風のために城攻めを断念した古城をいくつか巡ってきた訳だが、移動が重なり混雑していたりしてお昼を取りそこね、この日最後の城攻めを終えて最寄り駅へ向かう途中、運良く名古屋名物のきしめん屋が目に入ってきた:

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吉田麺業荒子店

ランチタイムからいくぶん外れていたからか駐車場も空いていたので、これなら待たなくてもよさそうと思い入ってみることに。もしかしたら本格的な「きしめん」は自身初かも =)

案の定、待つこと無くテーブル席に通してもらえた。そして、メニューにざっと目をとおしてみるとベーシックな「きしめん」以外にも「あんかけ」やら「みそ」やら「煮込み」やらあって、きしめん初心者にはなかなか決められずにいたが、隣のテーブルを軽くのぞき見して、すこしボリュームのある「きしめん定食」(1,100円)を注文した。もう少し寒かったら「みそ煮込み」にしたかも:)

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きしめん定食(1,100円)

麺は予想外に柔らかく、いい具合の出汁にからんでずるずるいけた。鰹節のアクセントがいい感じ ;)。付いていた海老天を載せて食べると、これまた違った風味になっていい感じだった。

せっかくなので実家のおみやげに名古屋名物の「みそ煮込みきしめん」を購入。賞味期限を考慮して、出来たてを送ってくれるらしい。

よしだ麺(吉田麺業)荒子店
愛知県名古屋市中川区荒子2丁目222番


ここからはオマケ。

最終日のこの日は午前中から午後にかけて名古屋市内に残る古城跡を三ヶ所巡ってきた。一つ目は中区橘の真宗大谷派・名古屋東別院にある古渡城跡へ:

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真宗大谷派 名古屋別院の本堂

壮麗な建物が建ち並ぶ広い境内の片隅に城址の碑があるだけで、特に目立った遺構はなかったが、堀跡に作られたと云われる近くの下茶屋公園には、(おそらくは)名古屋城のものと思われる石垣が残されていた:

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堀跡に造られた下茶屋公園

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矢穴のついた石垣石材

名古屋城築城時に遠方から運ばれる途中に残されたものか、あるいは廃城後に持ち出されたものか、残された理由は不詳らしい。

二つ目は千種区城山町にある末森城跡。こちらは現在は城山八幡宮になっているが、この神社がきちんと城跡を管理している[b]案内板もあったし。とのことで、予想外に空堀やら土塁、そして石垣が残っていた。

たとえば空堀に架かる土橋跡。現在は太鼓橋が架かっていた:

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土橋跡の参道

本丸跡の境内からの眺め。末森城が高台にあったのがよく分かる:

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境内からの眺め(拡大版)

駐車場脇に建つ城址碑

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「末森城址」の碑

土塁跡や空堀跡が残っていて見どころは意外とあった:

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本丸土塁跡

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本丸の空堀

二ノ丸跡では昭和塾堂なる神社とは関係の無い一風変わった建物を目にした:

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昭和塾堂

最後は中川区荒子の荒子城跡。前田利家の生誕地でもあるらしい。現在は富士天満社:

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富士天満社(富士権現天満宮)

境内にあった前田利家ゆかりの碑。利家が越前へ移る前まで荒子城はあったらしい:

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「前田利家卿誕生之遺址」の碑

さらに、あおなみ線・荒子駅前のロータリーには「前田利家公初陣之像」と「おまつ姫像」があった:

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「前田利家公初陣之像」と「おまつ姫像」

はじめは利家の像だけだったらしいが、大河ドラマの影響か何かで、あとから「おまつ姫」の像が追加されたらしい :D

最後は、荒子城跡へ向かう途中に立ち寄ったガストで食べた「秋のぶどうデザート」シリーズから、ぶどうコンポートサンデー(499円):

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ぶどうコンポートサンデー(499円)

この時、初めてガストの配膳ロボットを体験した。しかしながらテーブルから一番遠いところで停止されても困るなぁ:|。てっきり隣のテーブルに運んで来たのかと思って、あやうく無視するところだった :D

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also古渡城攻め (フォト集)
See Also末森城攻め (フォト集)
See Also荒子城攻め (フォト集)

参照

参照
a 堀底にテニスコートがあるらしいし 😁️。
b 案内板もあったし。

蕎麦・ふる川 − A Typical SARASHINA-SOBA in Sagami Region.

今月は、令和4(2022)年の処暑の候の週末に前々から気になっていた神奈川県の玉縄城跡を攻めてきた。ここ最近は天気に恵まれない日々が続いていたのだが、予報として晴天になるとのことであったので実行に移した次第[a]COVID-19 第七波のピークがやや落ち着いていた時期でもあった😉️。。しかしながら(ある程度は予想はしていたが)気づいたら気温34℃[b]体感で。の相当な酷暑であった。午前中の水分補給だけで千円近く出費した :O。水を飲んでも飲んでも体から出ていくザル状態(?)の中、五時間近くかけて12㎞以上、広大な城を想像しながら神奈川県鎌倉市は大船駅近くを歩いてきた。

こんな具合で暑くなることは予想できていたので早めに行動を開始し、エネルギー補充のお昼も行列を回避するため開店のタイミングで入店した[c]実際は早めに来店したため開店まで5分くらい行列に並んだが😅️。

午前中は龍寳寺境内にある玉縄民俗資料館を観覧し、「地黄八幡の勇将」として知られる北條綱成をはじめ歴代の玉縄城主が眠る供養塔を参詣した。そして広大な玉縄城跡を巡る前に腹ごなしするため、寺から徒歩数分ほどの蕎麦屋へ:

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蕎麦ふる川

開店したら手を消毒してから店内に入り、二人用のテーブルに案内され着席。事前に決めていた冷たい蕎麦系の鴨せいろの他に、メニューを見て玉子焼(小)を注文した。

龍寳寺の資料館ではエアコンが無かったので蒸し暑く汗をかいたので冷たいビールでも飲みたいところであったが、城攻め前なのでここは我慢:D

まず玉子焼(385円)がでてきたので、蕎麦が来る前に頂くことに:

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玉子焼・小(385円)

出汁入りの玉子焼きで甘口。そこに大根おろしをのせて味変でも楽しめたが、居酒屋で出て来るような普通の玉子焼きだった。

こちらが鴨せいろ(1,540円)。鴨肉とネギが入った蕎麦つゆは熱く、初めはおわんを手に持つことはできず、少々難儀した:$

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鴨せいろ(1,540円)

まずは蕎麦をそのまま頂く。更科そばなので、あまり香りは感じられなかった:

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普通の更科蕎麦だった

それから熱々のつゆにあわせて蕎麦をすする。鴨肉の脂が蕎麦つゆを甘くしているおかげで、若干食べていると飽きが出て来るので七味などで味変しながら完食。その頃にはつゆが冷たくなっていたけど、良いタイミングで蕎麦湯が出てきて、鴨肉から出た美味い出汁とともに最後は美味しく締めることができた:)

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完食(ごちそうさまでした)

ただ値段の割には特徴が薄く、普通すぎる味は神奈川県の蕎麦屋の特徴だろう:X

蕎麦・ふる川
神奈川県鎌倉市植木110-2


ここからはオマケ。

大船駅西口に出て柏尾川《カシワオガワ》を渡った先に聳える観音像は大船観音寺のものらしい:

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ここも玉縄城の一部で砦跡

次は龍寳寺境内にある玉縄民俗資料館(有料)で見かけたものの中から、まずは玉縄城のジオラマ。現在の大船駅西側の丘陵がほぼ城域である:

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玉縄城のジオラマ(拡大版)

甲冑なども展示されたが、特に小田原北條氏とは関係ないようだ:

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「鉄錆地三十二間関東型筋兜」

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「鉄錆地紺糸威胸取鎌倉雪ノ下五枚胴と草摺」

龍寳寺の本堂脇にある玉縄北條氏(玉縄城主)の供養塔を参詣:

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「玉縄北條氏供養塔」

供養塔脇にある碑は、なぜかいつも倒れており、直してもまた倒れていることが多かったため「ぶっけり仏」と呼ばれていたらしい[d]現在はコンクリートの上に固められていた。

広大な城域を誇る玉縄城を部分的に巡っていると、よく耳に入ってきたのが救急車のサイレン。この時期は COVID-19 蔓延中であること改めて認識させられる。救急車が立て続けに病院へ入っていったところを目撃。まぁ実際 COVID-19 の感染者かどうかはわからんが:|

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湘南鎌倉救急センター前は救急車だらけだった

最後は大船駅へ向かう途中に見かけた鵜?[e]川鵜《カワウ》と云うらしい。十数年前から大船界隈では話題になっていたようだ。

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電線の上にいた鵜たち?

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also玉縄城攻め (フォト集)
See Also龍寳寺と北條綱成公墓所 (フォト集)
See Also玉縄民俗資料館 (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

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玉縄城攻めルート

活動時間は 05:48、距離は 12.51km、消費カロリーは 2,144Kcal。

参照

参照
a COVID-19 第七波のピークがやや落ち着いていた時期でもあった😉️。
b 体感で。
c 実際は早めに来店したため開店まで5分くらい行列に並んだが😅️。
d 現在はコンクリートの上に固められていた。
e 川鵜《カワウ》と云うらしい。十数年前から大船界隈では話題になっていたようだ。

そば処・よろづや − A Soba Restaurant I was interested in before.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾第三弾、そして第四弾の城攻め(と戦国大名・信濃村上氏ゆかりの地めぐり他)は無事に完了した。そしてGW最後の城攻めは長野県千曲市にある荒砥城跡。千曲川沿いに築かれた山城で、現在は往時の姿を石積で復原・整備し、ドラマのロケ地としても利用されているのだとか。肝心の遺構は少なかったが、とにかく眺めが良かった :D

この日は時間の都合で最寄り駅であるしなの鉄道・戸倉駅からタクシーで山を登り[b]駅前から千曲市城山史跡公園まで1,940円だった(当時)。、城攻めを終えて徒歩で下りてきた。そのおかげで帰りの新幹線[c]GW後半と云うことで混雑を予想して指定席を予約しておいた。まで少し余裕ができたので、せっかくだから信州蕎麦でも食べようと上田駅周辺をうろうろして店を探してみたが、時間的にお昼近くだったこともあり、どこもかしこも大勢の客で混雑していたり行列ができていた:$

そうこうしているうちに帰りの時間が近づいてきたので、半ば諦めて駅弁でも買おうかと駅前へ向っていたところ、以前から気になっていた蕎麦屋が目に入った。この店は外から中が見えないので、これまで何度か敬遠してきた蕎麦屋 。そこで、ダメ元で引き戸を開けてみたら、店内はガラガラだったので拍子抜けしてしまった :O

こちらが、そのお店、手打ちそば・よろづや。なんとも入りづらい店構えである :$

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外から中を伺えない店構えのそば屋

帰りの時間が押し迫っていたので店に入って手を消毒し検温したら速攻で「野菜天ざるそば(1,170円)」を注文した。これは表のメニューを見て決めておいたものだ。

ゆっくり食べている時間がだんだんと無くなっていく中で、しばらくすると蕎麦がでてきた:

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野菜天ざるそば(1,170円)

正直なところ、時間が気になって味はあまり覚えていない :X。特に天ぷらは。ただ平たい蕎麦だったことと、少し硬かったような記憶はある。

でも、次からは食べる機会が増えるかも ;)

手打ちそば・よろづや
長野県上田市天神1丁目6-15


ここからはオマケ。

こちらが千曲川に架かる万葉橋から眺めた荒砥城跡(千曲市城山史跡公園)。このあたりは上山田と云う温泉街なので尾根上に「上山田温泉」の宣伝文字が見えるが、ちょうどその辺りが史跡公園[d]目を凝らすと「戸」の字の上に井楼櫓が見えるはず。

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荒砥城跡の遠景(拡大版)

そして、同じく万葉橋から眺めた千曲川と千曲市方面の眺め:

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千曲川と千曲市方面(拡大版)

千曲川を渡ったあと史跡公園へ向かうには、ここから登って行く。今回、登りはタクシーを利用し、下りは徒歩にした:

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ここを登った先に史跡公園がある

しばらく登っていくと展望エリアがあり、さらに勾配がきつくなる:

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キツイ勾配の坂

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一休みできる展望エリア

しかしながら眺めは素晴らしい:)。先程の万葉橋から眺めた時に見た温泉マークあたりから、千曲川を逆に見下ろしてみると、こんな感じ:

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温泉マークあたり(拡大版)

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千曲川と万葉橋(拡大版)

荒砥城跡は千曲市城山史跡公園として整備されており、特に石積みを多用して城跡を復原している:

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二の郭虎口あたり

しっかりとした石積みであるが、これらは復原したもので遺構ではない:

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遺構ではない石積み

復元された井楼櫓《セイロウヤグラ》からの眺めは絶品だった:

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井楼櫓

こちらは、昨日攻めるのを諦めた葛尾城跡。800mを越える葛尾山に築かれていた山城:

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千曲川ごしの葛尾城跡(拡大版)

こちらは本丸に相当する本郭跡を眺めたところ:

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荒砥城跡

本郭跡からの眺めもまたよかった。こちらは千曲市、そして長野市方面の眺望。左手奥に見えるのが北アルプス:

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長野市方面の眺め(拡大版)

さらにズームして戸隠山(標高1,904m)を含む戸隠連峰を望む:

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戸隠連峰(拡大版)

千曲川周辺で見かけた野鳥たち。まずは川辺にいた鷺《サギ》:

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川辺の鷺

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ズームした鷺

飛んでいた鷺:

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荒砥城跡と鷺

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ズームした鷺

電線上にとまっていたムクドリ:

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電線上で一休み中

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ズームしたムクドリ

徒歩で下山して戸倉駅へ向かう途中に立ち寄った水上布奈山神社《ミズカミフナヤマ・ジンジャ》:

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水上布奈山神社

この奥にある社殿が国の重要文化財だったことをあとで知った:P。ちゃんと書いてあったのに:|

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社殿は、この門の背後に見える建物の中にある

最後は古民家風の蕎麦屋。戸倉駅前の国道R18(旧北国街道)沿いを歩いていて目に入った:

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古民家風の蕎麦屋

上田駅周辺で右往左往している時、ここで食べておけばよかったかなぁと後悔した :|

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also荒砥城攻め (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

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荒戸城攻めルート(復路)

活動時間は 02:58、距離は 4.7km、消費カロリーは 946Kcal。

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b 駅前から千曲市城山史跡公園まで1,940円だった(当時)。
c GW後半と云うことで混雑を予想して指定席を予約しておいた。
d 目を凝らすと「戸」の字の上に井楼櫓が見えるはず。

肉うどん・中村屋 − A Well-Established Horsemeat-Udon Restaurant.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾第三弾の城攻めは無事に完了し、GW後半は長野県上田市に宿をとって、その周辺の城跡を攻めてきた。

その第四弾は長野県は埴科郡《ハニシナ・グン》坂城町《サカキ・チョウ》にあった北信(北信濃)の雄・信濃村上氏の居城・葛尾城攻めの予定を変更して、坂城町周辺をいろいろ巡ってきた。

葛尾城下にあたる坂城町は意外と歴史のある街であり、見どころが多かったこともあって半日だけでも結構な歩数[b]この日は26千歩。を稼いだ:D。お昼は坂城町にある御食事処で肉ものを頂いたが旧北国街道・坂木宿巡りを終えて、宿がある上田駅前に戻ってきた時にはお腹がペコペコ状態だった :O

と云うことで、あらかじめ開店時間を調べておいた宿泊場所近くの老舗うどん屋へ。時間帯的には夕食前であったがGWで混んだり並んだりするのは嫌だったので、店内が空いている時に頂くことにした:

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肉うどん・中村屋

このお店の「肉うどん」とは、いわゆる豚肉ではなく信州ならではのさくら肉(馬肉)使ったうどん。国鉄時代に信越線・上田駅ができた頃とほぼ同時期[c]明治21(1888)年ごろ。したがってこの年で創業134年になる(当時)。に創業した老舗中の老舗。信州蕎麦ではなく、信州馬肉うどん[d]創業当時は「肉かけうどん」と呼ばれていたらしい。で勝負する店である。

この日は坂城町を歩き回りって体力的にもヘトヘトで、肉を欲しがっていた体に馬肉うどん(680円)はもちろん、こちらも馬肉を使ったさくら丼(900円)を合わせで注文した :D

厨房近くのカウンター席に座って注文して、しばし待つとまず最初に馬肉うどんが出てきた:

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馬肉うどん(680円)

甘辛い醤油ベースの出汁に、ツルッとして柔らかいうどん。そして真ん中に煮込んだような馬肉がド〜ンとのっていた。薬味のネギは完全に脇に寄せられていた。主役の座を馬肉に渡してしまったうどんの方は飲み込んだら直ぐに消化されそうなくらい柔らかかった。主役の馬肉は意外と弾力があった。この肉はうどんの出汁をとるために煮込んだものらしく、出汁の方も一般的なめんつゆとは異なりに鰹節や昆布なんかは使っていないのだそうだ :|

うどんの量も結構あったような記憶があるが、まだ食べきらない間にさくら丼がでてきた:

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さくら丼(900円)

こちらは味噌汁と香の物たつく他、丼の方も馬肉とネギを(おそらくは)うどんの出汁で煮込んだ風の具材が暖かい御飯の上に乗っかり紅生姜が添えられていた。見た目も匂いも美味そうだったので、残っていたうどんを平らげて丼を頂くことに。丼はうどんほど甘辛くなく、ときおり脂身があったりして御飯がすすんだ :)。注文した時は食べきれるか多少不安であったが、この日の運動量からするにペロリとお腹に入ってしまった次第 :D。紅生姜がいい箸休めになった。

これで次の日の山城攻めのエネルギーを十二分に補充することができた ;)。が、やはりちょっとお腹が窮屈だったので宿泊先に戻る前上田城跡公園まで散歩してきた。

肉うどん・中村屋
長野県上田市天神1丁目6-6


ここからはオマケ。

この日の朝に乗ってきた北陸新幹線はくたか557号・金沢行:

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E7系のはくたか557号

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上田駅

上田駅構内では(相変わらず)眞田の六連銭と赤備えがお出迎え:

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ダンボール製甲冑

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上田城甲冑隊

上田駅のお城口・ロータリー内には、こちらもお馴染みの眞田幸村騎馬像。何年経っても人気者だ:

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真田幸村騎馬像

こちらは肉うどんとさくら丼を食べた後、腹をこなすために散歩してきた上田城跡公園の風景:

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上田城南櫓(拡大版)

かっては千曲川が流れていた尼ヶ淵跡(現在は芝生広場)から見上げた近世城郭・上田城の櫓。こちらも以前と変わりない:

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上田城西櫓(拡大版)

そして階段を登って公園内に入ったけど、いろいろ工事中だった。ライトアップされた櫓を見たのは初めて ;)。但し、公園の中では逆にライトアップの強烈な光で難儀したけど :O

これは初めて見た新しい幸村像:

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眞田幸村像

こちらは東虎口櫓門。向こう側から出てきたけど強烈なライトにやられた感じ:

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東虎口櫓門

最後は、こちらもおなじみの六連銭が描かれたマンホール:

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マンホールと六連銭

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also上田城攻め (3) (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b この日は26千歩。
c 明治21(1888)年ごろ。したがってこの年で創業134年になる(当時)。
d 創業当時は「肉かけうどん」と呼ばれていたらしい。

手打ちそば処 田毎 – Handmade SOBA of TAGOTO(TAKE3).

先月は令和3(2021)年の小雪《しょうせつ》の候近くの週末に、またまた小田原へ。この日も(前週に続いて)関白秀吉による小田原城包囲戦で豊臣方の諸将が布陣したとされる陣場跡を中心に歩いてきた。

午前中は、七年前に攻めた石垣山城の麓あたりで秀吉本陣の前衛として布陣していた諸将らの陣場跡を巡ってきた。そのあとは早川を渡って小田原北條氏が築いた惣構の遺構へ立ち寄ってから徳川時代の小田原藩主・大久保家の菩提寺を参拝して箱根口跡あたりまでぐるっと散策してきた。

午後も小田原から足柄まで移動して豊臣勢の陣場跡を巡ってくる予定だったので、お昼を早々に摂ろうと、この間に続いて再び手打ち蕎麦屋;)。こうも頻繁に同じ街へくると、なんだか悩みながら店を選ぶのが億劫になってきたことは否めない :D

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手打そば処・ 田毎

で、この日は初心にかえって(?)ミニ天丼と盛りそばのセットメニュー(1,270円)を選択:

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ミニ天丼+もり(1,270円)

ミニ天丼には中サイズの車海老、カボチャ、ピーマン、イカの温かい天ぷらが載っており、何度も同じ店で感想を出すのもなんなんだけれど、安心して食べれる上に普通に美味しい。これが一番かもしれない :D

手打そば処 田毎
神奈川県小田原市本町1-6-20


ここからはオマケ。

まずはJR早川駅から一夜城城通りにそって海蔵寺へ:

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一夜城下通り

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史跡巡りコース

海蔵寺は、秀吉本陣の前衛を任された一人で小田原城包囲中に陣没した堀久太郎秀政公の供養塔[a]この本堂とは道路を挟んで向かい側の高台に供養塔がある。がある:

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海蔵寺本堂

石垣山一夜城歴史公園へ向かう坂道は太閤秀吉にあやかってか「出世道」なんて名前がついているらしい:

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「出世道」

しかし小田原市は、小田原北條氏からみれば敵《かたき》にあたる関白秀吉をいやに持ち上げている感がするな :|

出世道沿いには小田原城包囲戦に関する説明板が立っていた[b]しかし、この手のものに興味がない人にとっては全く無用の説明板だが。

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「宇喜多秀家」の説明板

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「伊達政宗」の説明板

この説明板、よく見ると「石垣山に参陣した」って書いてあるけど秀家の本陣は石垣山ではないし、政宗の軍勢は包囲軍には参加していないけど・・・ :|

こちらは細川幽斎とその息子の忠興が北條勢を蹴散らして陣を置いたとされる富士山陣城《ふじやま・じんじろ》跡[c]遺構は残っているらしいが、現在は私有地で立入禁止だった。先日行って来たと、その麓を走る小田急の箱根登山線:

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富士山陣城跡

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小田急1000形

このあたりは猿が出没するらしい:

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「猿に餌をやらないでください」

こちらは小田原城本丸方面の眺め;

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小田原城の遠望(拡大版)

位置的に、北條氏政が篭っていた本丸が正面あたり(現在の小田原高等学校附近)、右手に見える現代の天守閣が建っている場所は北條氏直が篭っていた御殿跡だったとされている。

ともあれ、石垣山に布陣していた豊臣勢から小田原城は「丸見え」だったと云える。

もう少しズームさせて、近世城郭の小田原城本丸・二の丸・三の丸あたりの遠望がこちら:

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左手に天守閣が建っている(拡大版)

こちらは里見義康や小早川隆景らの陣場跡がある方面:

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里見・小早川・吉川らが布陣した丘陵

のちに豊臣政権で五大老の一人となる小早川隆景が本陣をおいたあたりから小田原城を見下ろしたところ:

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難攻不落?の小田原城を一望できる(拡大版)

こちらは小田原城惣構の早川口遺構の一部:

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早川口遺構

最後は、小田原藩主だった大久保家の菩提寺・大久寺境内に咲いていた御会式桜《おえしきざくら》:

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御会式桜

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also堀秀政公供養塔 / 堀秀政公墓所(2) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(2) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(3) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 早川口遺構 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 箱根口遺構 (フォト集)
See Also大久保家菩提寺の大久寺 (フォト集)

参照

参照
a この本堂とは道路を挟んで向かい側の高台に供養塔がある。
b しかし、この手のものに興味がない人にとっては全く無用の説明板だが。
c 遺構は残っているらしいが、現在は私有地で立入禁止だった。先日行って来た