蕎麦・うどん」タグアーカイブ

日本の蕎麦、日本のうどん、愛知のきしめん

手打ちそば処 麓 − A Soba shop at the Castle Town in Ishioka.

先日は令和6(2024)年の清明の候を過ぎた週末[a]【今日は何の日】徳川家康の三男で二代将軍となる徳川秀忠の誕生日。豊臣政権の五奉行の一人である浅野長吉(長政)が江戸で没した日。共に旧暦。に茨城県石岡市にある城跡を攻めてきた。午前中に城攻め、そして縁ある武将らの墓所を参詣した後はそのまま最寄りのバス停へ向かうつもりだった[b]所要時間としては凡そ徒歩30分。。と云うのも、かって藩があったこの城下町跡は、現在はその大部分が田畑と地主らの豪邸があるだけで御食事処は期待できなかったから :|

ところが、かっての城主である瀧川雄利《タキガワ・カツトシ》ら瀧川一族(雄利系)が眠る泰寧寺《タイネイジ》からバス停へ向かおうとした際に「手打ちそば」なる幟が目に入った。近くに蕎麦屋があったのかと思い、調べてみると寺の裏手にあることが分かった :)

このままバス停へ向かうと予定どおりJR石岡駅へ向かうバスに乗れるが、昼を摂るのが困る[c]駅前にある御食事処は全て日曜が定休 😞️。。反対に、その蕎麦屋でお昼と摂るとバスに乗れるのは二時間以上先になる :O。軽く悩んだが、すぐに足は蕎麦屋へ向かっていた :D

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ここを左に入る

意外と駐車場が空いていたので、すんなりありつけるかなと思い、入口前に置いてあった案内板でオススメを確認してから暖簾をくぐった:

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手打ちそば処・麓

店の中に入り靴を脱いで、厨房と座敷を忙しく行き来している店員に来店を告げると、挨拶されたまま少し待たされた。座敷を覗くとだいぶテーブル席は埋まっていたが、入店時に入れ替わりで出ていった人のテーブル席が空いていることを確認。座敷と反対側にある厨房も忙しそうにしていて声をかけるに戸惑っていたところ、空いている席へどうぞと案内されて座敷の中へ。

一応はテーブルの上にあったメニューを見るが、既に店口の案内板でみた「ぶっかけ納豆そば」(1,250円)に決めていた。さらに店員に確認して大盛りのオプションを追加(250円)。注文してから15分くらい待って出てきたのがこちら。大盛りにしておいてよかった :)

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ぶっかけ納豆そば(1,250円)+大盛り(250円)

この蕎麦屋は、以前までは種から蕎麦の実を育てていたらしいが、今は旧・八郷町(現・石岡市)の農家が作った蕎麦の実を石臼で挽き、黒っぽい色をしたその「挽きぐるみ」で新鮮な味と香りを堪能してもらいたいのだとか。

自家挽き+自家打ち蕎麦の上には薬味として、大根おろし+特製油揚げ+カイワレ+ネギ+大葉、そして山形産の紅大豆「茶々丸」の納豆がかかっている。茨城産ではないところがミソ:

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「茶々丸」納豆

納豆大好きの自分としては、まず素の茶々丸を頂いた。思ったほど糸はひいておらず、小粒ながら咬むとふんわり鼻にぬける香りがいい感じ。味が薄めの蕎麦つゆと衝突せずに、よくよく味わうことができた。箸休めの酢の物もいい感じ。

だいたい食べ終わりそうなタイミングで蕎麦湯とデザートが出てきた:

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蕎麦ゼリーと蕎麦湯

「この蕎麦にこの蕎麦湯あり」って感じで、ホント濃厚 :)。冷めても味わいがあった。ゼリーの方はきな粉がかかっているので香りは感じられないが、口入れるとたしかに蕎麦の味がした:

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濃厚な蕎麦湯

いやぁ〜、大盛りにしておいて良かった。これでも少ないくらいだった。あと日曜日営業で助かった〜。

ちなみに蕎麦はなくなり次第で終了らしく、自分が店を出たときには「閉店」の札がかかっていた。そして、次のバスの時刻まで1時間以上あったので、根小屋周辺をゆっくり遠回りしながら最寄りのバス停へ向かった :D

手打ちそば処・麓《フモト》
茨城県石岡市根古屋829-1


ここからはオマケ。
 
これは七代天神社の北側にある、片野城址の碑と案内板:
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片野城址

この城跡は夏が近くづくにつれて藪化が激しくなって攻めるのが大変らしいので、この時期に行って来た。この時期でも主郭部の大部分は藪化したままで、当時は昨日の大雨で泥濘んでいたこともあり、堀跡に降りることはしなかったが、深く幅広の堀跡は郭跡の上からでも楽しめた。

こちらは城址北東隅の堀跡と郭跡。ここは藪化してなかったので、一応は整備が行われているようだった[d]市指定史跡だから当たり前か😅️。

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城址北東隅に遺る堀跡と郭跡

こちらは根小屋七代天神社。片野城の守護神として、常陸国の佐竹氏の郷から七代天神を迎祀したのが始まり:

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根小屋七代天神社の社殿

片野城址の郭であった境内には神々しい木々が立っていた。これらは御神木として人々から畏敬され神として崇められてきたと云う。樹齢は400年は越えているらしい:

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神々しい杉の木

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神々しい欅

社殿前から鳥居が建つ参道口へ真っ直ぐ伸びた参道。この先の鳥居脇には土塁と枡形虎口が残っていた:

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参道

この神社境内の南側にある浄瑠璃光寺《ジョウルリコウジ》[e]住職が居ない無住寺院。も片野城の郭跡:

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浄瑠璃光寺

この境内には片野城主だった太田資正(号して三楽斎)公の墓所がある:

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太田資正公之墓所

資正は名将・太田道灌の玄孫《ヤシャゴ》にあたる。かっては岩付城主であり、宿敵・小田原北條氏に与した子に裏切られて奪われたのちは、岩付城帰還をよりどころとし、末は常陸国の戦国大名で「坂東太郎」の異名を持つ佐竹義重の客将となって片野城に入った。天正18(1590)年に小田原北條氏は滅亡したが、岩付城には戻ること叶わず、この地で無念ながら没した。享年70。現在の墓所は、平成の時代に十三世後裔が整備したもの。

こちらが瀧川雄利公を祖とする瀧川家の菩提寺である泰寧寺:

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泰寧寺

本堂裏手の小高い丘上に三代当主の瀧川利貞《タキガワ・トシサダ》公の墓所と瀧川雄利公の墓碑が建っている:

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瀧川利貞公の五輪塔

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瀧川雄利公の墓碑

利貞は元は土岐家の次男坊で、のちに片野藩の瀧川正利《タキガワ・マサトシ》の養子に入り瀧川家を継承した。

雄利はかっては出家したが、還俗して織田信長の重臣の一人で関東管領を務めた瀧川一益《タキガワ・カズマス》の娘を娶って「瀧川」の姓を拝領し一族に加わった。のちに太閤秀吉の直臣となり、関ヶ原の戦いでは西軍についたが、徳川家康に召し出されて片野城主となった。

この時期の石岡市根小屋あたりは桜が満開だった:

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片野城下の桜

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片野城下の桜

前日の大雨に負けず満開だった:

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望月桜?

この日は、城攻めしていた午前中は曇りであったが、お昼を摂ってバス停へ向かう頃は若干、雲がはけて筑波山を眺めることができた:

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筑波山

最後はバス停へ向かっている際に目撃したもの:

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スイーツ自販機

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林小学校のクスノキ

「スイーツ自販機」は需要に供給が間に合わない手作りのデザートのためか、全て売り切れだった。メニューには写真は無く文字ばかりで何が出てくるか分からない気がするが :O

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also片野城攻め (フォト集)
See Also太田資正公墓所 (フォト集)
See Also瀧川雄利公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日】徳川家康の三男で二代将軍となる徳川秀忠の誕生日。豊臣政権の五奉行の一人である浅野長吉(長政)が江戸で没した日。共に旧暦。
b 所要時間としては凡そ徒歩30分。
c 駅前にある御食事処は全て日曜が定休 😞️。
d 市指定史跡だから当たり前か😅️。
e 住職が居ない無住寺院。

讃岐うどん処・合掌松屋 − This is so the Sanuki Udon.

先週末は令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の初日[a]【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。に、栃木県下野市にある城跡を攻めてきた。

この日は、お昼を目標に城攻めを終えたら、最寄り駅であるJR宇都宮線の石橋駅へ戻る途中にあって創業90年を越す老舗食堂で、とんかつ定食でも食べてから長い帰宅の途につく予定だった。あらかじめ調べておいた時に、この食堂は昼と夜の二部構成で、昼の部は 13:30 がラストオーダーで 14:00 に閉店することは、しっかり頭に入れておいた。

今回の城跡は単郭ながら整備が行き届いていて見所が多く、予想外に時間をくってしまった。城跡から駅までは凡そ徒歩40分ほど。頑張って歩いて[b]往路は初めての土地なのでやや時間がかかったが、復路は信号などの障害を回避したり短縮できた 😎️。ラストオーダーに数分残したまま店前に到着できたのだが、なんと閉店時間を繰り上げたらしく、既に暖簾が下り「午前の営業は終りました」との張り紙が :O

この現実に直面したあと一層お腹が減ってきて、この際は選択肢はないと頭を切り替えて、周辺にある御食事処を探してみた。その時、日光街道(国道R4)を挟んだ所にある大衆割烹料理店の看板が目に入った。店前にはランチタイムのメニューがあって営業中であることをしっかりと確認。しかし暖簾をくぐるやいなや女将から営業終了を告げられた[c]あとで調べてみると、こちらは昼の部は 13:30 が閉店なので、完全な OUT of Service 🤨️ :O

もう、こうなったら何か腹に入れないと電車に乗れないなぁと思っている中、今いる場所から数分のところにあるうどん屋を偶然発見した[d]何か引き寄せられるかのように地図上に浮き上がってきたうどん屋の文字(ただのズーム効果だが)。もしかしたら、この日の運命だったのかもしれない 😃️。

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讃岐うどん処・合掌松屋

まだ暖簾が上がっていることを確認し、窓からは店内が見えたので、まずは一安心で暖簾をくぐった。一見するとテーブル席はだいぶ埋まっているようだったが、忙しそうな主人が奥にある二人席を案内してくれた。

この店は夫婦二人で切り盛りしているようで、水はセルフだし、注文を取りにきてくれるような雰囲気でもなかった :|。ひとまずメニューを見て「讃岐うどん」であることを知り、つけ汁うどん(豚肉汁)と天麩羅(たまご+鶏)に決めて、タイミングをみて注文を完了。この時、「うどんを茹でるのに15分ほどかかるけどいいですか?」と尋ねられたが、この際、腹に入れれるならば待ちましょう!ってことで「全然大丈夫です」と返した :D

注文が出てくるまでの間、メニューの脇にあった一冊のアルバムを眺めた。この中には、ご夫婦が讃岐うどん屋を始めるきっかけとして本場の四国でうどん屋巡りした時の話[e]特にオススメの店などが紹介されていた。や、四国の人たちの交流、試行錯誤で始めた讃岐うどん作りの話など、15分ではぜんぜん追いつかないくらいのストーリーが盛り込まれていた 8)

そして「お待たせしてすみません」の声と一緒に出てきた品がこちら:

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つけ汁うどん(950円)+天麩羅(350円)

まず最初に目についたのが、太くて形が不均一(non-uniformed)な「讃岐うどん」:

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普通盛りの讃岐うどん(冷)

本場四国の製粉所から取り寄せた小麦粉を玄関前の厨房で手打ちしているようで、その輝きから茹で上がりが見事なうどん。水や塩は店主自らが味わって選択したもの。

そして温かいつけ汁(ねぎと豚肉):

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つけ汁(豚肉汁)

そして薬味(天かすとネギ)と香の物、そして箸休めのデザート付き:

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白菜の漬物+天かす+ネギ+生姜とゼリー(?)

あつあつの天麩羅がこちら。四種から二種を選択するシステムながら、好物のいも天がオマケについていた 8)

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天麩羅二種+オマケ

手打ちの「讃岐うどん」と同様に、天麩羅粉や油はもちろん具材に不純物や添加物はなしとのこと。

最初はつけ汁と併せず、そのまま「讃岐うどん」を頂いたのだが、小麦の香りと甘さが直に伝わってきた上に、コシの凄さはこれまでのうどん人生で一番だった:

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素のままで十分に美味い

この「讃岐うどん」をつけ汁に付けて頂くと、素のコシがすーっと抜けた感じで、しっかりと噛み切れるほど柔らかくなる。これぞ「本場」の証 =)。「讃岐うどん」が太いので、一本一本しっかり頂くことで普通盛りでも十分に満足できた:

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一本ずつ頂く

天麩羅はそのままでいけた。うどんのチェイン店が出す使い古しで匂いがキツイ油ではないし、素材も良いので余計な味付けは不要と改めて思った。ホント、いも天は甘くて美味しかった:

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そのままで美味しい天麩羅

この日、この店にたどり着くまでの仕打ち(?)はどこへやら。大満足で店を出ることが出来た。また食べにきたい。たとえ攻める城がなくても :D

讃岐うどん処 合掌 松屋
栃木県下野市石橋207


ここからはオマケ。

こちらは城跡へ向かう途中にあった下野厄除け大師

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(城跡へショートカットできる?)

立派な山門(仁王門)とその境内:

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仁王門

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本堂や薬師堂があった

このお寺の隣がちょうど城跡なので、境内を横切って行けるか確認したが、途中に私有地があってショートカットは出来なかった :|

城跡の中はもちろん、周辺の案内図も整備されていて道に迷うことはなかった:

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数箇所に案内板あり

登城口前には二台分の駐車場があった:

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この先が城域(二ノ郭跡)

二ノ郭東側の堀跡:

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左手が主郭跡方面

二ノ郭南側にある堀跡近くに建っていた社:

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土塁跡に建てられていた社

二ノ郭跡に作られた遊歩道(登城道)には番犬がいた :D

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番犬?

案内板によると、植物の無断持ち出しがあるらしく、防犯カメラが作動中(?)とのことだった[f]この番犬の目にでも特殊なカメラがついているのだろうか 😁️。

二ノ郭との間にある主郭土橋:

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主郭南側の虎口

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主郭南側の堀

虎口から振り返って見た土橋:

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主郭虎口から見下ろした土橋と堀

虎口からみた 主郭跡。周囲には高い土塁が巡らされていた:

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主郭跡

主郭土塁上とそこから眺めた主郭跡:

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土塁上

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主郭跡

主郭を取り巻く堀跡にも下りてみた:

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主郭の堀跡

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会栃木県下野市のマンホールの解説を参照のこと:

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旧石橋町のマンホール蓋

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also児山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。
b 往路は初めての土地なのでやや時間がかかったが、復路は信号などの障害を回避したり短縮できた 😎️。
c あとで調べてみると、こちらは昼の部は 13:30 が閉店なので、完全な OUT of Service 🤨️
d 何か引き寄せられるかのように地図上に浮き上がってきたうどん屋の文字(ただのズーム効果だが)。もしかしたら、この日の運命だったのかもしれない 😃️。
e 特にオススメの店などが紹介されていた。
f この番犬の目にでも特殊なカメラがついているのだろうか 😁️。

手打ちそば 車屋 ー This is not just Soba-shop.

先週は令和5(2023)年の小雪の候の少し前の週末[a]【今日は何の日?】土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。に、神奈川県の大磯町にある山城跡を二ヶ所攻めてきた。一応は、事前にコンビニ製おにぎりを2個購入して、標高167mほどの山頂で(早めの)お昼を摂ったのだけれど、下山して二つ目の山城跡を(徒歩で)攻めた後にはすっかりお腹が空いてしまった :D

昼の1時近く、予定より大分早く城攻めを終え、東海道は国道R1沿いの最寄りのバス停へ向かう途中、一軒の蕎麦屋を見かけた。店の前の水車が、この店は「そこいらの蕎麦屋とは違うぞ」感を醸し出していたが、ひとまずバスの時間を確認。次のバスまで小一時間ほどあったので、それならばと蕎麦屋まで戻って二度目のお昼を摂ることにした:

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旧東海道沿いにある車屋

暖簾をくぐり店内に入ると、一人用のテーブル席に通された。眼の前はテレビというお得な席だった。さらにテーブルの上の壁にはたくさんの御品書きが吊るされていたので、右から順番に眺めていく。

いつもなら城攻めを終えた後のビールで喉を洗浄するのだけれど、このあとも予定があったので、ここは我慢 :D。この日は陽が出ていたけど風が強く、歩いても歩いても体が冷えたままだったので暖かい本鴨南蛮蕎麦(1,210円)を注文した。

昼時ともあって店内には他にも客がいて、その中で最後に注文した自分の蕎麦が出てくるまで時間がかかりそうだなぁと眼の前のテレビを観ながら思っていた時、吊るされていたメニューの中の一つが目に入った。自家製・きゅうりのぬか漬け(300円)。糠が自家製なのか、きゅうりが自家製なのか詳細は不明であるが、乾いた喉を潤すために注文した:

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きゅうりのぬか漬け(300円)

若干、浅漬けに近い味であまり糠感を感じなかったが、みずみずしくて美味しかった。食べながらふと、その奥にあった黒板に書かれた刺し身の御品書きが目に入った。この店は夜は居酒屋にもなるのだろうかと思ったくらい、お酒のおつまみの品揃えが多かった。

ぬか漬けを食べ終える前に、出てきた本鴨南蛮蕎麦がこちら:

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本鴨南蛮蕎麦(1,210円)

熱々の濃い目のつゆに平たい蕎麦を絡ませて頂いた。鴨肉はスーパーでよくあるハム系ではなく、ちゃんとした(?)肉で、ちょっと硬かったが、脂もほどよく食べ応えがあった:

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少々硬めの鴨肉

最後は、肌寒い中で汗をかいたからか、ややしょっぱ目のつゆをしっかりと飲み干せた。おかげで体は暖かくなって良かったけど:)

車屋
神奈川県中郡大磯町高麗2丁目1-34


ここからはオマケ。
この日の午前中は高麗山城跡を攻めてきた。比高150mほどの高麗山[b]読みは《コマヤマ》。その昔、新羅に敗れた高句麗の亡命者が、この附近に移住して高麗神社を建立したことから。築かれた城:
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高麗山城跡と花水川

戦国時代に越後の上杉謙信小田原城攻めした際に、ここ高麗山に本陣を置いたと伝わる。

さらに花水川の先は丹沢方面で、大山を眺めることもできた:

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花水川ごしに大山・丹沢寺山を眺める

昼を摂った蕎麦屋の目の前には化粧坂《ケワイザカ》交差点から旧東海道が走っており、近くには大磯宿跡があった。現在も道路脇に松の木が生えて情緒ある風情が残っていた(化粧坂松並木):

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旧東海道の化粧坂松並木

この旧道沿いをバスの時間まで歩くことにした。こちらは化粧井戸《ケショウ・イド》:

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化粧井戸

現在は水は溜まっていなかったが、鎌倉時代にここ大磯では知られた遊女・虎御前[c]上杉謙信の母御ではなく、吾妻鏡や曾我物語に登場し、「曽我兄弟の仇討ち」の一人、曾我十郎祐成の妾だったとか。がこの界隈に住み、朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでその名がついたと云う。

さらに進むと化粧坂の一里塚なる場所があり、江戸日本橋から十六里のところに設けられた休息所:

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「此辺大磯宿の史跡(化粧坂の一里塚)」

往時は日陰と風よけを目的に、相模湾側に榎《エノキ》、高麗山側に栴檀《センダン》を植えていたのだとか。

こちらは大磯宿跡。江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた「東海道五拾三次之内大磯虎ヶ雨」が案内板として建っていた:

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大磯宿跡

空は鼠色に曇って秋雨が降る中、大磯宿堺の傍示杭が建つ入口近くを合羽を被って馬で行く旅人や野良仕事帰りの人、笠をさした町人など、街道も濡れてなにか寂しげな風景である:

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広重『東海道五拾三次・大磯・虎ヶ雨』

この地に伝わる曽我十郎と虎御前の悲恋にちなみ、恋人・十郎の死を悲しんで虎御前が流す涙と云われ、虎ヶ雨は夏の季語にもなっている。

こちらは化粧坂沿いの民家なんだろうけど、なんとも季節感いっぱいのお宅だったので、ついつい眺めてしまった :D

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柿の木と民家

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椪柑と民家

 
そして大磯八景碑の一つ、「化粧坂の夜雨」の場所に建つ歌碑:
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大磯八景碑 〜「化粧坂の夜雨」

大磯町長・宮台謙吉が選んだ大磯の名所八景を絵葉書として出版したものを、のちに大磯小学校の校長が刻んだ歌碑が建立された。

こちらは平成の一里塚。かっての一里塚を現代に蘇らせたもので、花水川に架かる花水橋傍にあった:

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平成の一里塚

最後は、この日二つ目の城跡である王城山城跡へ向かう途中、道に迷って見かけた「徳川家地堺」と刻まれた標柱。道路脇にあったけど、このあたりは天領だったのだろうか?:

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「徳川家地堺」の標柱

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標柱があった場所

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also高麗山城攻め (フォト集)
See Also玉城山城攻め (フォト集)
See Also2023年11月 旧東海道大磯宿散策 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。
b 読みは《コマヤマ》。その昔、新羅に敗れた高句麗の亡命者が、この附近に移住して高麗神社を建立したことから。
c 上杉謙信の母御ではなく、吾妻鏡や曾我物語に登場し、「曽我兄弟の仇討ち」の一人、曾我十郎祐成の妾だったとか。

生そば 柳屋 − A trivial set of SOBA and box lunch with Tempura.

先々週は、令和5(2023)年の建国記念の日[a]日本の初代天皇である神武天皇の即位日で、旧暦だと紀元前660年1月1日。に六年前に攻めた城跡を再び巡ってきた。六年前は事情 :(があって[b]詳細は、城攻め訪問記を参照のこと 😥️きちんと攻めきれていなかったのと、関係の深い城跡が隣駅にあることを知ったので再訪した次第。

しかしながら再訪した前日の関東地方は大雪で大荒れの天候で、城攻め当日は雪が残っていた公園を歩き回る羽目に :|。ただ当日は打って変わって快晴となった上に、午後から暖かくなってくれたのが救いだった :)

昼過ぎに城攻めを終えたので、何か食べてから帰ろうと思ったのだけれど、最寄り駅に適当な店がなかったので、帰路の途中でもあり御食事処の選択肢が多い久喜駅へ移動。昼どきと云うことで、事前にいくつか決めておいた店へ順に行ってみることした。まずは駅西口にある蕎麦屋へ。暖簾越しに覗いてみると空いていたので、そのまま店内へ:

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柳屋・生そば

一応、注文するものも決めておいたのだが、テーブル上のメニューを眺めて変更。少々グレードをあげて天重のセットメニューにした:

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天重セットもりそば(1,300円)

ザルの上にのっていない蕎麦そのものは普通。その分、みずみずしかったが、あまり香りがしなかった。久しぶりの天重だけど、これまた普通。いかの天ぷらは硬かった。来る前に決めておいた「いか天丼」のセットしなくて良かったなぁと。みそ汁はあってもなくても同じ。味が薄かった〜。
ふm,至ってどこにでもある「町」蕎麦屋の天重セットだった :|。でも店員さんのサービスは Good!;)。お茶や蕎麦湯を出すタイミングはバッチリだった。

生そば・柳屋
埼玉県久喜市久喜中央1丁目1-1


ここからはオマケ。

この日の午前中に攻めた花崎城跡。現在は花崎城址公園。前日に降った大雪が気になったが、実際には心配するほどではなかった:

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花崎城址公園

城址公園ともあって、遊具なんかがある児童公園よりかなり広い。こんな感じで城跡ぽい土塁や堀が復元されているし:

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堀跡

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土塁跡

ここは東武伊勢崎線が横断する城跡。もちろん線路内には立ち入ることは不可;

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特急りょうもう

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特急りょうもう

でもなぜか公園が別々になっていた。こちらは線路の北側にある花崎城跡公園:

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花崎城跡公園

この城跡の最寄り駅である花崎駅からお隣の鷲宮駅へ移動。駅北口から鷲宮神社へ向かった:

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宮前橋

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武蔵國・鷲宮神社

境内の奥にある拝殿。今年、銅板屋根葺き替えが行われるらしい:

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拝殿

境内には鳥小屋もあって、ちゃんと鶏が居た:

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午前中の花崎城の本城にあたる粟原城(鷲宮城)跡へ向かう前に、宮前にあった茶屋で一服した:

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大酉茶屋 田々

甘酒好きなので、その幟を見て入ることにした:D。思ったほど混んでいなかったし。

こちらが甘酒セット(税込み410円)。芋ようかんかどら焼きを選択できる:

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甘酒セット(410円)

暖かい甘酒は、麹の味が前面にでて、やや酸っぱ味があった。ついでに、どら焼きも暖かくして欲しかったが、この地方ではそんな習慣はないようだ :/

このあと鷲宮神社と青毛堀川と東武伊勢崎線を挟んで西側にある粟原城跡を攻めてきた。こちらは東武伊勢崎線。この先は花崎駅:

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東武伊勢崎線

青毛堀川と東武伊勢崎線:

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桜並木と東武伊勢崎線

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青毛堀川と踏切

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also花崎城攻め (2) (フォト集)
See Also鷲宮神社と粟原城攻め (フォト集)

参照

参照
a 日本の初代天皇である神武天皇の即位日で、旧暦だと紀元前660年1月1日。
b 詳細は、城攻め訪問記を参照のこと 😥️

よしだ麺・荒子店 − This is a specialty of NAGOYA.

先々週は令和4(2022)年の立冬の候少し前、一泊二日の予定で愛知県は名古屋市にある城跡をいくつか攻めてきた。最終日の名古屋は晴天で気温も穏やか。あまりにも気持ちの良い朝だったので、朝食後に宿からほど近い名古屋城の三之丸跡を散歩してきた。三之丸の外濠も意外と残っているものだんだなぁと思った[a]堀底にテニスコートがあるらしいし 😁️。

宿をチェックアウトしたあとは、三年前の名古屋で台風のために城攻めを断念した古城をいくつか巡ってきた訳だが、移動が重なり混雑していたりしてお昼を取りそこね、この日最後の城攻めを終えて最寄り駅へ向かう途中、運良く名古屋名物のきしめん屋が目に入ってきた:

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吉田麺業荒子店

ランチタイムからいくぶん外れていたからか駐車場も空いていたので、これなら待たなくてもよさそうと思い入ってみることに。もしかしたら本格的な「きしめん」は自身初かも =)

案の定、待つこと無くテーブル席に通してもらえた。そして、メニューにざっと目をとおしてみるとベーシックな「きしめん」以外にも「あんかけ」やら「みそ」やら「煮込み」やらあって、きしめん初心者にはなかなか決められずにいたが、隣のテーブルを軽くのぞき見して、すこしボリュームのある「きしめん定食」(1,100円)を注文した。もう少し寒かったら「みそ煮込み」にしたかも:)

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きしめん定食(1,100円)

麺は予想外に柔らかく、いい具合の出汁にからんでずるずるいけた。鰹節のアクセントがいい感じ ;)。付いていた海老天を載せて食べると、これまた違った風味になっていい感じだった。

せっかくなので実家のおみやげに名古屋名物の「みそ煮込みきしめん」を購入。賞味期限を考慮して、出来たてを送ってくれるらしい。

よしだ麺(吉田麺業)荒子店
愛知県名古屋市中川区荒子2丁目222番


ここからはオマケ。

最終日のこの日は午前中から午後にかけて名古屋市内に残る古城跡を三ヶ所巡ってきた。一つ目は中区橘の真宗大谷派・名古屋東別院にある古渡城跡へ:

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真宗大谷派 名古屋別院の本堂

壮麗な建物が建ち並ぶ広い境内の片隅に城址の碑があるだけで、特に目立った遺構はなかったが、堀跡に作られたと云われる近くの下茶屋公園には、(おそらくは)名古屋城のものと思われる石垣が残されていた:

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堀跡に造られた下茶屋公園

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矢穴のついた石垣石材

名古屋城築城時に遠方から運ばれる途中に残されたものか、あるいは廃城後に持ち出されたものか、残された理由は不詳らしい。

二つ目は千種区城山町にある末森城跡。こちらは現在は城山八幡宮になっているが、この神社がきちんと城跡を管理している[b]案内板もあったし。とのことで、予想外に空堀やら土塁、そして石垣が残っていた。

たとえば空堀に架かる土橋跡。現在は太鼓橋が架かっていた:

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土橋跡の参道

本丸跡の境内からの眺め。末森城が高台にあったのがよく分かる:

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境内からの眺め(拡大版)

駐車場脇に建つ城址碑

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「末森城址」の碑

土塁跡や空堀跡が残っていて見どころは意外とあった:

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本丸土塁跡

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本丸の空堀

二ノ丸跡では昭和塾堂なる神社とは関係の無い一風変わった建物を目にした:

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昭和塾堂

最後は中川区荒子の荒子城跡。前田利家の生誕地でもあるらしい。現在は富士天満社:

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富士天満社(富士権現天満宮)

境内にあった前田利家ゆかりの碑。利家が越前へ移る前まで荒子城はあったらしい:

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「前田利家卿誕生之遺址」の碑

さらに、あおなみ線・荒子駅前のロータリーには「前田利家公初陣之像」と「おまつ姫像」があった:

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「前田利家公初陣之像」と「おまつ姫像」

はじめは利家の像だけだったらしいが、大河ドラマの影響か何かで、あとから「おまつ姫」の像が追加されたらしい :D

最後は、荒子城跡へ向かう途中に立ち寄ったガストで食べた「秋のぶどうデザート」シリーズから、ぶどうコンポートサンデー(499円):

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ぶどうコンポートサンデー(499円)

この時、初めてガストの配膳ロボットを体験した。しかしながらテーブルから一番遠いところで停止されても困るなぁ:|。てっきり隣のテーブルに運んで来たのかと思って、あやうく無視するところだった :D

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also古渡城攻め (フォト集)
See Also末森城攻め (フォト集)
See Also荒子城攻め (フォト集)

参照

参照
a 堀底にテニスコートがあるらしいし 😁️。
b 案内板もあったし。