甲冑・陣羽織」タグアーカイブ

主に戦国時代の『勇将の装い』全般

東京国立博物館 展示 #7377、#7274 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2024.

先週末は令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の初日[a]【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。に、栃木県にある城跡を攻め、本場モノの讃岐うどんを食べての帰宅途中に、今年初の東京国立博物館へ立ち寄って鑑賞してきた。

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閉館間際の本館

当時は目玉の特別展があったり、海外からの観光客も押し寄せるなどあって、閉館前二時間くらいの観覧ではあったけれどかなり混んでいた :|。今回、鑑賞した総合文化展[b]料金は大人1,000円(当時)。は:

  • #7377:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2024年2月6日(火)~ 2024年4月2日(日)
  • #2639:本館2階4室の「茶碗」:2024年1月2日(火)~ 2024年3月10日(日)
  • #7273:本館1階13室の「刀剣」:2024年1月2日(火)~ 2024年3月3日(日)
  • #2613:本館1階11室の「彫刻」:2024年1月2日(火)~ 2024年4月7日(日)

全体的には昨年に鑑賞した作品が主であったが、その中で「刀剣」の展示では國寳に指定されている「天下五剣[c]江戸時代、日本刀の中で特に名刀と云われる五振りの総称。」の一つを人生で初めて鑑賞することができたし、「武士の装い」では昨年、岩手県の盛岡まで足を運んで鑑賞してきたにゆかりある御仁の肖像画[d]原本ではなく模本ではあるが 😅️。を鑑賞できたのは収穫であった 8)

まずは甲冑。こちらは樫鳥糸肩赤威胴丸《カシドリイト・カタアカオドシ・ノ・ドウマル》(重要文化財)。室町時代(15世紀)。陸奥三春藩・秋田家の伝来品:

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樫鳥糸肩赤威胴丸

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樫鳥糸肩赤威胴丸

胴に兜と大袖を備えた三ツ物皆具《ミツモノカイグ》の胴丸で、兜は総覆輪筋兜《ソウフクリン・スジカブト》で正面に鍬形を飾り、上級武士の権威を象徴した重厚かつ豪華な造形を持つ。

こちらは黒韋肩白威胴丸《クロカワカタジロオトシ・ノドウマル》(重要文化財)。南北朝時代(14世紀)。加賀藩・前田家の重臣の一人、長《チョウ》家の伝来品:

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黒韋肩白威胴丸

全体を黒韋威とし肩を白糸威とし、棟に杏葉《ギョウヨウ》を下げている。

そして色々糸威腹巻《イロイロイトオドシ・ハラマキ》(重要文化財)。室町時代(15世紀):

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色々糸威腹巻

全体は茶糸と紅糸と白糸を交互に威して華やかな配色であり、胴の胸板、脇板や壺袖の冠板の金具廻を藻獅子韋《モジシガワ》で飾った上に、要所に枝菊紋の飾金具を配す。

兜は既に昨年鑑賞しているものしかなかったが、その中から紺糸威筋兜《コンイトオドシ・ノ・スジカブト》の一頭。室町時代(15世紀):

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紺糸威筋兜

鯨の髭製を束ねた菖蒲形の前立を飾り、鳶口形の鼻を持つ面具を備えている。

そして黒田如水像《クロダジョスイ・ゾウ》の模本。これは昭和時代の作で、原本は如水が亡くなった三年後に嫡子の長政が作らせた[e]こちらは福岡県福岡市の崇福寺が所蔵しているとのこと。

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黒田如水像(模本)

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黒田如水像(模本)

如水は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた戦国武将の一人。頭上には、如水が帰依した京都・大徳寺の僧・春屋宗園《シュンオク・ソウエン》による賛文が記されてる。

こちらは青井戸茶碗・土岐井戸《アオイドチャワン・トキイド》。朝鮮時代(16世紀)。「井戸茶碗」は高麗茶碗の主流の一つで、すっきりと直線的な形状が特徴:

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青井戸茶碗・土岐井戸

刀剣としては、まず國寳の太刀・三条宗近《タチ・サンジョウムネチカ》。名物・三日月宗近《メイブツ・ミカヅキムネチカ》とも。平安時代(12世紀):

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太刀・三条宗近

宗近は京三条の刀工で、本作はその代表作で、手元が強く反った細身の刀身に、三日月のように見える打除け[f]焼入れの際に刃中に現れる模様のこと。を映す刃紋を持つ(赤丸の中にある破線のように見える模様):

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三日月のように見える打除け(赤丸の部分)

この太刀に付属する梨地菊桐文蒔絵糸巻太刀鞘《ナシジ・キクキリモン・マキエイトマキ・ノ・タチノサヤ》。江戸時代(16世紀)。この糸巻太刀の鞘には金蒔絵で豊臣家の菊桐紋を描き、帯執《オビトリ》の太鼓金《タイコガネ》には雲形と三日月を飾る:

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梨地菊桐文蒔絵糸巻太刀鞘

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金蒔絵の菊桐紋

この太刀・三条宗近は、豊臣秀吉の正室・高台院《コウダイイン》[g]北政所、おね(ねね)はよく知られた呼び名。の遺品でもあり、のちに徳川将軍家に伝来し、天下五剣の一つとなる。

こちらは黒漆太刀《コクシツノタチ》。鎌倉〜南北朝時代(13〜14世紀)。鎌倉時代に多く用いられた太刀拵《タチ・ゴシラエ》:

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黒漆太刀

毛利輝元から小笠原氏に贈られたもので、柄《ツカ》は鮫着黒漆塗《サメキセクロウルシヌリ》に黒韋巻《クロカワマキ》とし、小笠原家の家紋である三階菱紋《サンガイビシモン》の目貫《メヌキ》を飾る:

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目貫は小笠原家の家紋である三階菱紋

光り輝く漆が目につく、こちらは潤漆千段巻塗打刀《ウルミウルシ・センダンマキヌリ・ウチガタナ》。江戸時代(19世紀)。郷義弘の拵《コシラエ》:

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潤漆千段巻塗打刀

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潤漆千段巻塗打刀

鞘全体に多数の凸凹を平行に付けて、表面を漆塗とする千段巻塗で、目貫、笄、小柄には水仙、縁頭には葵紋と六つ葵紋を飾り、葵紋透鍔が付けられている。

これは越前国・朝倉氏景(またはその一族)の所用で、敵の籠手を一刀したことが銘の由来になった、刀・伝相州正宗《カタナ・デン・ソウシュウマサムネ》。名物・籠手切正宗《メイブツ・コテギリマサムネ》とも。南北朝時代(14世紀):

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刀・伝相州正宗

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のちに織田信長が所持して磨上げ、その後は近習の大津伝十郎長昌《オオツ・デンジュウロウ・ナガマサ》が拝領した。

最後は彫刻の作品からいくつか。武家が武運を願い崇敬を集めた八幡神《ヤハタノカミ/ハチマンシン》像。モデルは第十五代天皇である応神天皇《オウジンテンノウ》とも。島根県の赤穴八幡宮に伝わる、慶覚(鏡覚)《キョウカク》作の八幡三神坐像の三体が展示されていた。

まず大和朝廷の守護神でもある八幡神坐像《ハチマンシンザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀):

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八幡神坐像

二体目は息長足姫坐像《オキナガタラシヒメザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀)。息長足姫は応神天皇の母・神功皇后とされている:

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息長足姫坐像

三体目は比売神坐像《ヒメガミザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀)。比売神は特定の神ではなく、神社の主な祭神と関係の深い女性を指すと云われる:

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比売神坐像

最後は千手観音菩薩坐像。南北朝時代(14世紀)。十一の頭上面をいだき、合掌する二本の腕と四十本の脇手《ワキシュ》を表す:

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千手観音菩薩坐像

「千手」とあるが、実際は腕の数を省略した姿が一般的なのだとか。像はもちろん、台座や背後の光背に至るまで精美な彫刻になっている。

今年も時間を作って観覧しに行こうと思う =)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2024年2月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。
b 料金は大人1,000円(当時)。
c 江戸時代、日本刀の中で特に名刀と云われる五振りの総称。
d 原本ではなく模本ではあるが 😅️。
e こちらは福岡県福岡市の崇福寺が所蔵しているとのこと。
f 焼入れの際に刃中に現れる模様のこと。
g 北政所、おね(ねね)はよく知られた呼び名。

柳川フェア in 東京丸の内 − Come and Eat to YANAGAWA City, Fukuoka.

先週は令和5(2023)年の小雪の候の少し前の週末[a]【今日は何の日?】土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。に、神奈川県の大磯町にある山城跡を攻めて、予定していたより大分早めに終えることができたので、早々に帰宅の途についたのだけれど、ふと先日受け取ったメール「柳川フェアin丸の内」を思い出し、丁度、今乗車している東海道本線一本で行けると考えたので、そのまま東京駅へ向かった:

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福岡県・柳川フェア in 東京丸の内

十数年前に復原された東京駅・丸の内駅舎をしっかり眺めるのはかなり久しぶり:

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丸の内駅舎・南側

東京駅丸の内口と直結している南ドームを見上げたところ。窓の上にある緑色の円は八つの方位に掲げられた干支のレリーフだったんだねぇ8)

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南ドーム

柳川フェアの開催場所は、丸の内口を出て眼の前にある東京シティアイ地下1Fのパフォーマンスゾーン:

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柳川フェアin東京丸の内@パフォーマンスゾーン

福岡県柳川市は八年前に城攻めしてきた。人気の鰻屋に行列してせいろ蒸しも頂いた。今となっては懐かしい:)

このフェアでは福岡県柳川市の特産品などが販売されていた他、ふるさと納税コーナーがあったが、自分の場合は「立花宗茂と誾千代NHK大河ドラマ招致」活動を応援するために来たので、買い物は主に立花宗茂関連グッズだけど :D

ざっと会場を見渡してみても、こんな感じで宗茂を前面に押して、某大河ドラマ招致のPRが行われていた。宗茂って知名度があると思っていたけど、東京をはじめ全国的にはそうでもないのだろうか :|。その昔、東京にある江戸屋敷跡菩提寺へも行って来たけど。

この会場には宗茂と誾千代のお二方も応援にきて。このパネルの前で記念撮影やトークしたていた(画:大久保ヤマト):

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立花宗茂とゆかりあるの人たち

宗茂所領の甲冑で、関ヶ原の戦いで装着した「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足《イヨザネヌイ・ノベクリイロ・カワツツミ・ホトケマル・ドウグソク》」のレプリカが展示されていた:

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伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足(レプリカ)

今回、このフェアで入手したものは書籍がメイン。まずは柳川市のコーナーで『柳川の歴史4 − 近世大名・立花家』(中野等・穴井綾香著):

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四六版・407頁(1,500円)

残念ながら品物は売り切れだったのだけど、見本品として展示されていた最後の一冊[b]割印があった以外は、外装・内丁ともに汚れなどは無し 😉️。をお願いして購入した。

あと柳川市役所の方のオススメだったオールカラーの柳川市史別編『新・柳川明証図会』:

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A4版・396頁・貼箱入(3,000円)

先の本と合わせて、かなり重たかった〜 :$

他には立花家史料館のコーナーでグッズを購入。これらの購入額でガラポン抽選会に参加して、さらに荷物が増えて慕った :D

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グッズとガラポンの景品

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年11月 柳川フェアin東京丸の内 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。
b 割印があった以外は、外装・内丁ともに汚れなどは無し 😉️。

東京国立博物館 展示 #7376、#7273 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2023.

今週は、令和5(2023)年の立冬の候を目前にした文化の日ウィークの三連休・最終日[a]【今日は何の日?】世界津波の日。2011年3月11日の東日本大震災を受けて制定され、のちに国連で決議されて世界規模に。いいりんごの日に今年3回目の東京国立博物館へ行って来た。今回は開館時間に合わせて行ってみたのだけれど、まだ時間前なのに既に長い行列ができていて、そのほとんどが Foreign Visitors だった。あと、館内[b]正確には敷地内。一応は本館前の中庭でも繋がったので 😊️。 無料Wi-Fiが利用できることを今更ながら知って初めて使ってみたり :)。今回も本館で開催されている総合文化展のいくつかを(午後は別の用事があったので)午前中一杯、鑑賞してきた:

  • #7376:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2023年10月24日(火)~ 2024年2月4日(日)
  • #7273:本館1階13室の「刀剣」:2023年9月26日(火)~ 2023年12月3日(日)

後者では國寳に指定されている「名物・大包平《メイブツ・オオカネヒラ》」を人生で初めて鑑賞することができた 8)

まずは甲冑。こちらは白糸威胴丸具足《シロイト・オドシ・ドウマル・グソク》。江戸時代(17世紀)。徳川家康に仕えた美濃国・岩村藩主・大給《オギュウ》松平家に伝わる当世具足:

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白糸威胴丸具足

全体を白糸縅とし、胸板や草摺や裾板には紅糸で日の丸を大きく表した意匠。家紋である「丸に蔦」紋を蒔絵で各所に飾っている。

こちらは徳川二十将図。江戸時代(18世紀)。家康とその家臣団を描いた肖像画。床几に坐る家康を頂点に徳川四天王をはじめ、後世でも名の知れた武将[c]たとえば今年の大河ドラマとか。が描かれていた:

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徳川二十将図

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頂点は家康

こちらは溜塗打刀《タメヌリ・ノ・ウチガタナ》。室町時代(16世紀)。刀身の根本にあたる鎺《ハバキ》に桔梗紋の透かしがあることから明智惟任日向守光秀《アケチ・コレトウ・ヒュウガノカミ・ミツヒデ》、または明智左馬助光春[d]諱の明智秀満として知られる。某大河ドラマでは間宮祥太朗氏が演じていた。の差料《サシリョウ》と伝えられ、明智拵《アケチ・ゴシラエ》の名を持つ:

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溜塗打刀

無駄のない肉取りの鞘や、先の張った柄頭《ツカガシラ》など簡素ながら実用本位に作られている。

この大笹穂槍《オオササホヤリ》は幕末の刀工・固山宗次が、徳川四天王の一人・本多平八郎忠勝の愛槍「蜻蛉切[e]現在、実物は個人所蔵とのこと。」を写したもの:

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大笹穂槍(蜻蛉切・写)

南蛮胴具足。安土・桃山時代〜江戸時代(16〜17世紀)。舶来の南蛮胴にならって作られたもので、兜は堅牢な鉄の打出し鉢で、前面には兎の耳と抉り半月《クリ・ハンゲツ》の立物があしらわれている。前胴正面に鎬《シノギ》をたてて「天」の字と「髑髏」を、背面に富士山を打ち出している:

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前胴正面

技巧的にも優れた具足で、明智左馬助光春[f]諱の明智秀満として知られる。某大河ドラマでは間宮祥太朗氏が演じていた。の所用と伝わる。

伝・源頼朝坐像。鎌倉時代(13〜14世紀)。重要文化財。笏《シャク》を持ち、高い烏帽子をいただく威厳ある姿は、鎌倉幕府を開いた初代将軍・源頼朝像と伝わる:

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伝・源頼朝坐像(重要文化財)

武家の略装である狩衣《カリギヌ》をまとい、指貫《サシヌキ》という袴をはくが、強装束《コワショウゾク》を着て両脚を倒した坐り方は、当時流行していた貴族の肖像画を手本にしたものとされる。

こちらは茶器の類。今年の2月にも鑑賞した蒲生飛騨守氏郷作の竹茶筅《タケチャシャク》と、大井戸茶碗・銘・有楽井戸。織田信長の弟・有楽斎が所持していたもの:

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竹茶杓

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大井戸茶碗・銘・有楽井戸(重要美術品)

こちらが國寳の太刀・古備前包平《コビゼン・カネヒラ》。名物・大包平とも。平安時代(12世紀):

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太刀・古備前包平・名物・大包平(國寳)

平安時代末期に備前国の刀工・包平の健全無比の大作(古備前)。包平は、助平・高平とともに「備前三平《ビゼン・サンヒラ》」と呼ばれる名工の一人:

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茎に刻まれた銘は「備前国包平作」

大振りで身幅の広い豪壮成すを形にしたもので、平安時代後期における一形体を代表するもの。地鉄と刃文の美しさに優れ、日本刀の横綱と称される名刀。姫路藩主で岡山池田家の池田三左衛門輝政の愛刀と伝わる。

こちらは刀・越前康継《エチゼン・ヤスツグ》。江戸時代(17世紀)。重要美術品:

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刀・越前康継(重要美術品)

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茎に葵紋が切られている

江戸幕府御用鍛冶を務めた康継は、家康から技量を認められて「康」の一文字を賜った上に、茎《ナカゴ》に「葵」紋を切ることを許された。

ここからは時代を彩る美術品を幾つか。まずは奈良時代の仏像・毘沙門天立像(重要文化財):

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毘沙門天立像(重要文化財)

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邪鬼を踏みつける

水晶で瞳をあらわし、均整のとれた姿と華やかな彩色が洗練された美意識を伝える。

剣と投げ縄を手に執り、怒りの表情で仏教の外敵や人々の煩悩を打ち砕く、不動明王像(鎌倉時代):

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不動明王立像

巻髪で左目をすがめ、口の両端で上下に牙を出すのは平安時代以降に広まったスタイル。

これは江戸の火消しが着ていた半纏《ハンテン》。火消半纏・紺木綿刺子地人物模様《ヒケシ・バンテン・コン・モメン・サシコジ・ジンブツ・モヨウ》。江戸時代(19世紀):

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火消半纏・紺木綿刺子地人物模様

江戸の町方では鳶職の人々が組体制で火消しの役割を担っていた。生地の表は籠目模様を型染にし、衿に火消しの組名の文字を染めている。鎮火したあかつきには、裏地の派手な模様を見せて誇らしげに市中を歩いたと云う。いかにも江戸っ子気風 :D

源氏物語絵巻。江戸時代(17世紀):

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源氏物語絵巻

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源氏物語絵巻

最後は江戸時代(18世紀)に大流行した浮世絵で、喜多川歌麿が描いた美人画「名所腰掛八景・波の花」:

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名所腰掛八景・波の花

浮世絵黄金期と呼ばれる寛政期(1789〜1801年)を代表する浮世絵師の歌麿が、市中の美人から吉原の遊女までさまざまな美人の姿態を描いた。

他にもいろいろ観てきたが、こちらも今更ながらだけど、写真を撮るにしてはガラスの映り込みや照明の反射が酷かった :|。ショーケースの素材とか周囲にある照明の強弱とかでなんとかできないものだろうか[g]もしかして写真撮影を推奨させないため、わざとそうしているとか?🤨️。そういえば隣で同じように撮影していたフランス人も What a reflection!! って叫んでいたっけ :O

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2023年11月 東京国立博物館(1) (フォト集)
See Also2023年11月 東京国立博物館(2) (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】世界津波の日。2011年3月11日の東日本大震災を受けて制定され、のちに国連で決議されて世界規模に。いいりんごの日
b 正確には敷地内。一応は本館前の中庭でも繋がったので 😊️。
c たとえば今年の大河ドラマとか。
d, f 諱の明智秀満として知られる。某大河ドラマでは間宮祥太朗氏が演じていた。
e 現在、実物は個人所蔵とのこと。
g もしかして写真撮影を推奨させないため、わざとそうしているとか?🤨️

焼肉・冷麺 大同苑 − Just ate Morioka-Cold-Noodle Before go Home.

先週末は令和5(2023)年の秋分の日[a]【今日は何の日?】昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。貴重な文化財を観に岩手県は盛岡まで行って来た。まだ外が真っ暗の時間帯に起きて東京駅へ向かい、朝7時すぎの新幹線はやぶさ203号・新青森行に乗車して、盛岡に着いたのが朝9時半。この日の東北地方は大雨の関東とは違い、やわらかい陽がさす晴天で、少し厚着して行ったのだけど予想外に暑かった :O[b]流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。

この人生初の盛岡入りは日帰りのプランではあったが、(可能ならばを含め)観たいものは全て観ることができた[c]観覧ポイントは意外とまとまっていたが、中には結構な移動距離を往復歩くことになりそうだったので 😮️。ので満足して帰宅の途へ。ただ、この日の昼はしっかり食べたのに、城攻めで歩き回ったあとはすっかりお腹が空いてしまった :D。そんな具合で駅へ徒歩で向かっていた時、ちょうど事前に調べておいた御食事処が近くにあることを思い出し、サクッと店まで行ってサクッと盛岡のソウルフードを食べることができた:

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焼肉・冷麺 大同苑

こちらも豚一家の胃袋を満足させたお店で焼肉屋。夕食どきながら焼肉ではなく冷麺だけ食べにきたのに、気持ち良くボックス席に通してもらえて嬉しかった[d]もちろん1時間だけという制限はあったが。 ;)

グラスビール(720円)も注文して、胃袋のウォーミングアップをしながら待つこと10分ほど。人生で数えるくらいしか食したことがない冷麺、それも本場物がこちら:

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盛岡冷麺(1,080円)

前沢牛+いわて牛をベースにしたスープの真ん中に盛られた麺は北海道産のジャガイモ(馬鈴薯)の粉を使っているのだとか。付け合せの大根キムチで辛さを調節するらしいが、ひとまず素の冷麺を頂く:

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盛岡冷麺

さらにテーブルにあった酢を軽くかけて頂いて、キムチをど〜んと入れて食べた:

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盛岡冷麺+キムチ+酢

中太で弾力がある麺と、見た目は薄いがしっかりとした旨味のある冷たい牛スープが、味変でさらに味が引き立てられ、最後の一滴までしっかりと飲み干せた。辛さの苦手な自分でも問題なくいけた:

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しっかり完食

これまで食した冷麺では見事一番。見た目はシンプルながら、スープが美味しいと、それだけで違いが出るものなんだなぁ8)

店を出ると、冷たいものを食べて若干涼しさが増した感じがしたが、そのまま菜園通り沿いを歩き、北上川を渡って駅へ向った:

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開運橋から見下ろした北上川

焼肉・冷麺 大同苑(盛岡総本店)
岩手県盛岡市菜園2-6-19


ここからはオマケ。 
 
今回のツアーの目的である貴重な工芸品の他、もりおか歴史文化館には南部家に関する史料(含むレプリカ)がいろいろ展示されていた:

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不動明王打出五枚胴具足

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白羅紗地日の出紋陣羽織

盛岡城の壮大なジオラマは、城攻めする前に観ておくと良いかも:
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盛岡城のジオラマ

他には、盛岡秋まつりで使われた明治時代と現代の山車(レプリカ)なんて物も展示されていた:

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明治時代の山車

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現代の山車

このツアーの目的を成就したあと、午後は東北随一の石垣を持つと評判の盛岡城跡(巖手公園)を巡ってきたのだが、城址北側にある三ノ丸跡の一部は石垣修復工事のため立ち入りできなかった。そんな情報はホームページには無かったが :|
さらに公園内に入ると、翌日(日曜日)にはなにやらこの街恒例の音楽祭が開催されるとのことで、いろいろな場所[e]会場となる台所屋敷跡の多目的広場だけではなく、三ノ丸跡の一部や石垣の前とか 🤬️。さらに国の史跡である石垣の前に平気で車と停めていた。石垣はお前のものではない 🤬️。に注意書きの看板やら柵がおかれていた。別に今日じゃなくても良いだろうにと思ったが、前夜祭として打ち上げ花火が開催されるとのことで、午後5時頃には(暗黙のうちに)公園から閉め出される羽目に :$。田舎の行政は余所者には斯くの如くキビシイものか :X
 
これが三ノ丸北西部の石垣修復工事現場。もちろん休日なので作業はしていない:
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三ノ丸虎口の瓦御門跡

解体された石垣は公園内で空いているいろいろなエリアに保管されていた。したがって当然ながらそこには立ち入りできない:

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台所屋敷跡(多目的広場)

こちらは公園北側の三ノ丸石垣の上に置かれていた烏帽子岩(兜岩)。築城時に神域から出土したらしく、南部盛岡藩の守り岩:

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烏帽子岩

今回の園内は残念な状態ではあったが、石垣はさすがに素晴らしく見どころはあった8)。たとえば本丸と二ノ丸の石垣と堀切とか:

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本丸北東隅石垣

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二ノ丸南東隅の石垣と堀切跡

こちらは二ノ丸跡から眺めた岩手山:

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岩手山

本丸跡には立派な「トマソン[f]まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物のこと。」があったが、これは盛岡藩南部家四十二代当主であり、日露戦争で戦死した南部利祥《ナンブ・トシナガ》公の騎馬像が建っていたが、先の大戦で供出された状態のままなのだとか:

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南部利祥中尉銅像台座

最後は、惣構え南端にあった穀丁惣門《コクチョウ・ソウモン》跡へ向かう途中に偶然見つけた新渡戸稲造生誕の地:

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新渡戸稲造生誕の地

文久2(1862)年に南部藩士・新渡戸十次郎の三男として、この地で生まれ、農学博士・法学博士となって北海道の札幌農学校や京都帝国大学、東京帝国大学などで教鞭をとった:

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新渡戸稲造像

第一次世界大戦後は国際連盟事務局でも活躍したというが、個人的にはやはり著書の「武士道」と云う日本の魂についての解釈が印象的である

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年9月 もりおか歴史文化館 (フォト集)
See Also盛岡城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。
b 流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。
c 観覧ポイントは意外とまとまっていたが、中には結構な移動距離を往復歩くことになりそうだったので 😮️。
d もちろん1時間だけという制限はあったが。
e 会場となる台所屋敷跡の多目的広場だけではなく、三ノ丸跡の一部や石垣の前とか 🤬️。さらに国の史跡である石垣の前に平気で車と停めていた。石垣はお前のものではない 🤬️。
f まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物のこと。

黒田如水所用・銀白檀塗合子形兜 − You know, this is not a Bowl.

つい最近、十年前の懐かしい大河ドラマをイッキ観していたのだが、その主人公にちなんだ「物」のニュースを偶然インターネットで見かけた。実際のところ、そこに書かれているとおり、既に公開会期は終了していたのだが、よくよく見ていると「次回の公開は2023年9月12日〜25日になります」と追記されていたのに気づいた:)

会場は盛岡と云うことで少し躊躇したが、岩手県は自分にとって未開の地でもあったし、何よりもドラマの後押しもあって実物を観たいと云う気持ちが募って行くことにした。それも日帰りという強攻プランで :D。ただ博物館鑑賞だけではもったいないので、運良く近くにあった城跡も攻めてきた他、この「物」に大きく関与した御仁の墓所も参詣してきた。

先週末は令和5(2023)年の秋分の日[a]【今日は何の日?】昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。、まだ外が真っ暗の時間帯に起きて東京駅へ向かい、朝7時すぎの新幹線はやぶさ203号・新青森行に乗車して、盛岡に着いたのが朝9時半。この日の東北地方は晴天で、少し厚着して行ったのだけど予想外に暑かった :O[b]流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。

午前中は墓所や南部家ゆかりの場所を巡り、豚一家の御用達でもある御食事屋でお昼を摂ったあと会場へ。垂れ幕も架かっていた:

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もりおか歴史文化館

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「これはお椀ではない」

常設展示室の一角に黒田如水(官兵衛)所用と伝わる「銀白檀塗合子形兜《ギンビャクダン・ヌリ・ゴウスナリ・カブト》」(県指定文化財)が展示されていた[c]常設展示室には他に盛岡藩南部氏の歴史やゆかりの品々、そして盛岡城のジオラマが展示されていた。これは城攻めする前に観ておくことをオススメする 😃️。

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銀白檀塗合子形兜(岩手県指定有形文化財)

この難読な名称はあくまでも価値ある工芸品としての現代の呼び名だが、江戸時代には「如水の赤合子[d]合子とは身と蓋からなる小さな器のこと。《アカゴウシ》」と呼ばれていたらしい。

お椀を臥せた形状で、前立など派手な装飾がなく質素で、いかにも如水にピッタリなデザイン。X線透過撮影の結果から、表面は赤みを帯びた漆を塗った(白檀塗《ビャクダン・ヌリ》[e]透明な漆を塗って、下地を浮かび上がらせる塗り方。)、まさに御椀そのもの :D

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銀白檀塗合子形兜

錣《シコロ》は割しころの三段下り。二段以下を三分割して素懸威《スガケ・オドシ》としているが、背面のみ裾板《スソイタ》の一段目が欠損し、二段の備えになっている:

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銀白檀塗合子形兜

一説に、如水の正妻・光《テル》(照福院殿)が実家の櫛橋《クシハシ》家から嫁いできた際の進物とされる。

平成の時代に、東北芸術工科大学・文化財保存修復研究センターがX線透過撮影を実施して内部構造や劣化状態を調査したらしい[f]平成26年度のセンター年報(PDF)を参照。

その結果、鋲で六枚の扇形鉄板を留めて鉢型に成形し、上部から下部にかけて椎形から裾広がりに鞣《ナメ》して、鉢の内部は眉を打ち出して表裏を朱漆塗りした内眉庇《マビザシ》が鋲留めされていることが分かった:

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銀白檀塗合子形兜

特徴的な頭頂部の高台部分は別造りになっており、4カ所でカラクリ留めして取り付けられている:

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銀白檀塗合子形兜

黒田如水は筑前国福岡藩の藩祖であり、なぜ公の兜が盛岡の地にあるのかを説明したチラシがおいてあった:

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「合子形兜」はなぜ盛岡に?(拡大版)

この兜は公の右腕であった栗山利安《クリヤマ・トシヤス》(善助)が如水から形見分けとして拝領した。善助の死後に、彼の嫡男で栗山大膳《クリヤマ・ダイゼン》こと利章《トシアキラ》は父に倣って黒田家を支えてきたが、黒田長政の子で二代藩主・黒田忠之《クロダ・タダユキ》は利章ら重臣と衝突し、多くの者が減封や改易の憂き目にあった。筆頭家老である栗山大膳は主人の暴走を幕府に訴え出たが、三代将軍・徳川家光は大膳の訴えを退けた[g]ちなみに忠之の母は徳川家康の養女。家光はスーパーが付くほどの家康フリークである 😑️。上に、陸奥国の南部家への「御預[h]事実上の流罪・追放 🤬️。」の沙汰を下した(いわゆる黒田騒動)。大膳は、栗山家の家宝であるこの兜を盛岡まで持参し、のちに盛岡藩士となった子孫から南部家に献上されたのだと云う。

大膳は盛岡では手厚く待遇され、盛岡城下の発展に寄与し、同地で死去した。公の亡骸は盛岡城を見下ろす愛宕山中腹の恩流寺に埋葬された[i]現在の恩流寺は山麓へ移設されたが、墓所はそのまま中腹にある。

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栗山大膳墓所

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年9月 黒田官兵衛所用「銀白檀塗合子形兜」 (フォト集)
See Also栗山大膳利章公墓所 (フォト集)

栗山大膳の墓
岩手県盛岡市愛宕下

参照

参照
a 【今日は何の日?】昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。
b 流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。
c 常設展示室には他に盛岡藩南部氏の歴史やゆかりの品々、そして盛岡城のジオラマが展示されていた。これは城攻めする前に観ておくことをオススメする 😃️。
d 合子とは身と蓋からなる小さな器のこと。
e 透明な漆を塗って、下地を浮かび上がらせる塗り方。
f 平成26年度のセンター年報(PDF)を参照。
g ちなみに忠之の母は徳川家康の養女。家光はスーパーが付くほどの家康フリークである 😑️。
h 事実上の流罪・追放 🤬️。
i 現在の恩流寺は山麓へ移設されたが、墓所はそのまま中腹にある。