日本の名勝・名跡・名所」タグアーカイブ

日本各地にある名勝や名跡や名所

Seeing Mt.Fuji from a Castle.

先週末は令和3(2021)年の啓蟄の候、緊急事態宣言中に近場の城攻めへ。前評判では城跡へ行くまでの道が狭いとか「城跡」とは関係のないコメントをよく見かけたが、実際に攻めてみたらホント語るほどの遺構は無かった:$。片道二時間かけて行った先で、唯一の救いは富士山の眺めが良かったこと 8)。最寄り駅である小田急新松田駅の改札内からもその姿を見ることができた:

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駅改札内の渡り廊下から

この日は晴天ながら気温は思ったほど高くはなく、大勢のハイカーらが新松田駅向かいにあるJR御殿場線・松田駅へ向かって行くのをよそ目に、自分は20分ほど歩いて城跡へ[a]平時の土日なら富士急湘南バスの松81/102あたりに乗るのが近道らしいが、当時は緊急事態宣言中なので運休だった 😥 。まぁ大した距離ではなかったけど。ここ神奈川県足柄郡松田町で、この時期は「桜まつり」なるイベントが有名らしいが、こんな状況下なので中止の案内をあちらこちらで見かけた。それでも歩いていると意外と人が多い感じがしたが、彼らの目的地はどこだったんだろうか :|。もしかして、ここかな:

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西平畑公園

よく見ると梅か桜が満開で人がそれなりに居たし。桜まつりは中止ではなかったのか。

こんな時期だし(遺構なんて殆どない)城跡を巡る人は自分くらいだろうと思っいたが、車を含めて結構な人と遭遇したな[b]ほぼ全員が城跡入口に建っていた案内板をスマフォで撮ったらすぐに帰っていったけど。。城跡の入口まで行く道は確かに狭かった。しかし何故かほとんどの連中が大型車で来て、案の定、何度も切り返ししたり、すれ違いで苦労していた :D。あと猟友会みたいに散弾銃と犬を連れた集団がオレンジ色のジャンパー羽織って猪射ちしていたけど、この城跡は猟場なのか?何も知らないで立ち入ったけど、誤射したらどうするつもりなんだろうか :|

日本人が大好きな「富士山」だけど、国土交通省は「関東の富士見百景」なる地点をSNSなんかで広めているようだが、御殿場に近いこの辺ならばどこからでも素晴らしい富士山を眺めることができた。なんと贅沢な町だろうか。

こちらは城跡へ向かう途中、東名脇の側道から眺めた富士山;

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左手は東名高速道路(拡大版)

さらにズームで:

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富士山(拡大版)

こちらは酒匂川《さかわがわ》[c]静岡県と神奈川県を流れる二級河川。が流れる足柄平野と富士山。眼下に見えるのは東名高速道路:

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足柄平野と酒匂川と富士山(拡大版)

丹沢山地から流れる酒匂川は足柄平野を南下して小田原市を抜けて相模湾へと注ぐ:

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小田原市方面(拡大版)

ここが城跡。自分が立ち入った時にはオレンジ色のジャンパーを着たハンター等が大勢いたっけ:

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奥が本丸跡

この城跡の背後にある松田山の頂上にはカントリークラブがあるようだが、他にもパラグライダーの滑走路があるようだ:

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松田山

足柄平野は相模湾からの南風と丹沢山地の北風が合流してできる気流が複雑なのだとか。それを利用してフライトを楽しむ愛好家が多いらしい:

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パラグライダー

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パラグライダー

本曲輪跡から眺めた富士山:

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富士山(拡大版)

こちらも本曲輪跡から垣間見た富士山:

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富士山(拡大版)

この城跡からは富士山の他にも小田急のロマンスカーを眺めることができた:

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GSE(70000形)

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GSE(70000形)

すると、突然カメラのレンズの中を横切る物体が。よく見たらかなり大きな鳶:

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突然、眼前を横切った鳶

城攻めを終えた帰りにも素晴らしい姿の富士山:

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富士山(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also相模松田城攻め (フォト集)

参照

参照
a 平時の土日なら富士急湘南バスの松81/102あたりに乗るのが近道らしいが、当時は緊急事態宣言中なので運休だった 😥
b ほぼ全員が城跡入口に建っていた案内板をスマフォで撮ったらすぐに帰っていったけど。
c 静岡県と神奈川県を流れる二級河川。

弁天洞穴 − Ajiro Benten-yama Cave.

今年は令和3(2021)年の雨水《うすい》の候。それまで厳しい寒さが続いていたのに気温が17℃近くまで上がった週末、COVID-19 感染者が高止まりの気配をみせていた中を東京のあきる野市[a]平成7(1995)年に秋川市と五日市町内が合併してできた東京都多摩地域西部にある市。にある山城(リンクはPDF)を攻めてきた。

こんな時期でもあるし、天気がよく暖かい週末だったのでハイカーらと遭遇する可能性が高そうだったが[b]実際、多くのハイカーや家族連れに遭遇した。、感染対策をして本年最初の城攻めを楽しんできた。ただ緊急事態宣言下での日頃の生活のせいでだいぶ体が鈍っていたのか、城攻め翌日には足がつるなど筋肉痛に見舞われてしまったが :$

まぁ逆に云えば、それだけ山を登り降りしてきたと云うことになるのだけど、城跡の規模が小さかったので確認できそうな遺構をできるだけ見てこようと思った歩き回ったからか :D

で、この日はJR青梅線の武蔵増戸駅からスタート。途中、コンビニでお昼を調達し網代山・弁天山を目指した。当初は、あきる野のホームページにあった『春の弁天山〜小峰公園を満喫』(リンクはPDF)なる記事の中で紹介されていた網代橋を渡って行くコースを利用しようと思っていたのだが、前日に見ていた某登山者向けSNSで、現在この橋は通行不可であることを知った。自治体のホームページには何も書いていなかったが。ホント、自治体のホームページって「情報発信と共有」って基本ができてないよなぁ:|[c]以前も茨城県のとある城跡を攻めた時、現地へ行って初めて立入禁止って知ったケースがあった。台風による倒木が多数あったらしい。どこにもそんな情報は発信されていなかった 👿 。なんのためのホームページなんだろう。さらにホームページ以外で得られた他の情報によると、網代橋は平成31(2019)年の台風19号で被害を受けたらしい。

幸か不幸か事前に情報を入手することができのだが、結局はこの橋を渡れないため、かなりの距離を遠回りする羽目になった :(
こちらが現地へ行って知った迂回路の説明板[d]帰りに、これと同じものが武蔵増戸駅出入り口付近に貼ってあったのを見かけた。行きは全く気づかなかった…。

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現地へ行かないとわからんとは!

秋川を渡るのに使ったのは網代橋ではなく山田大橋:

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山田大橋

でも悪いことばかりではなかった :)。橋の上から秋川を含む周辺の景色の眺望が良かった:

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西多摩の大岳山と御嶽山(拡大版)

秋川の水面を泳いでいた鴨たち:

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秋川と鴨

そして、本日の目的地である網代城山(写真中央あたり)と弁天山(その左横あたり):

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秋川と網代弁天山(拡大版)

山田大橋を挟んで反対側には東京サマーランドのゴンドラが見えた:

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東京サマーランドの裏も城跡(拡大版)

迂回ルートで見かけた五日市トンネル。このトンネルの上が城跡:

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五日市トンネルと都道R61

こちらも迂回ルートで見つけたのだけど、超巨大な堀切と土橋に見えた :O

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急カーブ

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のつづき

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がここまで

これなんかは、もう「現代の土橋」にしか見えない :D

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両脇は谷

弁天山の登山口を示す標柱:

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「網代弁天山」方面へ

こちらが登山口(弁天山東側)。赤い鳥居は貴志嶋神社《きしじま・じんじゃ》のもの:

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網代弁天山登山口+貴志嶋神社の鳥居

ちなみに、この脇にあるのは東京でも珍しい棚田:

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棚田

神社の参道でもある登山道は整備されていたし、急斜面ではないので特に苦労はない。鳥居をくぐって登山道を進んで行くと、貴志嶋神社の社殿(と弁天洞穴)へ向かう道と弁天山・網代城山へ向かう道の分岐点に至る:

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左奥が貴志嶋神社の社殿、正面上が弁天山・網代城山方面(拡大版)

そして、この辺りはその昔は昭和の時代に「網代弁天山公園[e]執筆現在、あきる野市のホームページには「網代弁天山公園」なる情報は無かった。おそらく過去の遺物となったのであろう。」として近くの網代温泉と共に賑わった観光地だったらしく、弁天山リフトなる乗り物が造られていたらしい。現在でもこの辺りに残る遺構から、その面影を見ることが出来た:

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尾根側

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敷設跡

このあと、一通り城攻めを終えて下山する際に弁天山へ立ち寄った。城攻めする前に登山したんだけど、かなり狭いエリアに大勢のハイカーが休んでいたので後回しにしていた。ついでに「弁天洞穴」なるパワースポットにも立ち寄ってきた:

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下山は弁天山から南回りで

この狭いところが弁天山の山頂。標高は292m:

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弁天山山頂

山頂からの眺望。ちょうど福生・拝島方面にあたり横田基地や、さらに西武ドーム(メットライフドーム)が見えた:

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山頂から南回りで下りるコースは意外と難所だった:

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ここから下りる

北回りの平凡な尾根道と違い、こちらは急斜面の上に巨石がゴロゴロしていた:

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弁天山山頂の南側に生えていた巨木[f]これが遠くからの目印になる。

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弁天山の目印

急斜面を下りていくと「洞窟」なる案内板が見えてきた:

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弁天洞穴

ここは貴志嶋神社の奥の院にあたり、実際に洞窟の中に入ることができるらしいが、自分は入らなかった[g]というか、入って良いものか分からなかった。バチでも当たると嫌だったし。。大黒天像や毘沙門天像が置かれているらしい:

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奥の院

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これが入口らしい

他にも幾つか洞穴があったので一つづつ参拝しながら進んでいくと貴志嶋神社の社殿と神楽殿が見えてきた:

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神楽殿と社殿

貴志嶋神社の総本社は広島県にある厳島神社と福岡県の宗像大社。御祭神は弁財天とも云われる市杵嶋姫命《いちきしまひめのみこと》。水・芸能の神様であり、学問の神様。御利益は美容健康・水難守護・航海安全・商売繁盛・技能向上。

二拝二拍一拝で参拝する際の「となえことば」。先に三回唱えてから参拝するものらしい:

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「となえことば」

山頂とは異なり、空気が冷たくシーンと静まり返っていた厳粛な雰囲気の境内と山林を切り開いて作ったような参道:

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こちらが本来の参道

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こちらは鳥居からの参道

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also網代城攻め (フォト集)

参照

参照
a 平成7(1995)年に秋川市と五日市町内が合併してできた東京都多摩地域西部にある市。
b 実際、多くのハイカーや家族連れに遭遇した。
c 以前も茨城県のとある城跡を攻めた時、現地へ行って初めて立入禁止って知ったケースがあった。台風による倒木が多数あったらしい。どこにもそんな情報は発信されていなかった 👿
d 帰りに、これと同じものが武蔵増戸駅出入り口付近に貼ってあったのを見かけた。行きは全く気づかなかった…。
e 執筆現在、あきる野市のホームページには「網代弁天山公園」なる情報は無かった。おそらく過去の遺物となったのであろう。
f これが遠くからの目印になる。
g というか、入って良いものか分からなかった。バチでも当たると嫌だったし。

北斗の拳デザインマンホール − SAKU City Collaboration MC.

先々週は令和二(2020)年の正月明けに長野県佐久市と小諸市にある城を攻めてきたが、宿泊地の最寄り駅である佐久平(さくだいら)駅前には、漫画『北斗の拳』の原作者である武論尊が佐久市出身ということで、市とのコラボレーションの一つとして北斗の拳の登場人物をプリントしたデザインマンホールが昨年は令和元(2019)年9月にお披露目されたらしい。そんな情報を偶然知って、城攻めで移動する合間に観てきた 8)

まずは佐久平駅。JR北陸新幹線と在来線であるJR小海線が乗入れされており、駅ビルである佐久平駅プラザ佐久には武論尊ら漫画家たちの交流会の情報や貴重な品々が展示されていた:

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JR佐久平駅

佐久平駅の南口前には「北斗の拳・デザインマンホール案内図」が立っていた:

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「北斗の拳・デザインマンホール案内図」

昭和58(1983)年から少年ジャンプに連載された『北斗の拳』で、35周年を記念してコラボレーションによるデザインマンホールが作成され、主人公であるケンシロウの胸の7つの傷の形にちなんで北斗七星の形に主要なキャラクターが印刷されたマンホールの蓋が配置されている。

案内図に従って順番に並べてみる:

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①ラオウ

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②トキ

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③ユリア

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④ジャギ

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⑤ケンシロウ

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⑥サウザー

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⑦レイ

こちらは駅に隣接したプラザ佐久内で展示されていたものの中から:

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プラザ佐久内の展示コーナー

まずは「武論尊」先生の肖像画:

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佐久市出身の武論尊

そして劇中でも有名なシーンである「わが生涯に一片の悔いなし!!」のサイン付き原画:

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ラオウ死す

こちらはJR佐久平駅の改札前エントランスに建っていたもの。佐久市は『北斗の拳』を全面押しだった:

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「佐久市に来い!」

こちらはオマケ。小諸市のマンホール蓋:

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小諸城大手門

大黒家天麩羅 − The first Asakusa visit in 2020, and second time.

今年は令和2(2020)年の初詣は例年と同様に浅草寺[a]これに対し、今年は皇居での新年一般参賀には参加しなかった。令和時代初となる徳仁天皇からのお言葉はテレビで頂いた。。ということで初詣の行動パタンはブログのタイトルにあるとおり昨年とほぼ同じ:

朝9:00浅草駅に到着 → 浅草観音・浅草寺で参拝 → 家内安全祈願御札購入 → 御籤をひく → 被官稲荷神社参拝 → 浅草寺周辺散策 → 大黒家で天丼食べる

初詣を終えた午後は毎年違うが、今年は仙台藩上屋敷跡がある新橋を散策し、箱根駅伝を横目に見つつ太田道灌城なる出郭[b]本当に太田道灌が築いたものかどうか個人的に疑問ではある。跡を攻めてきた[c]毎年、この時期にボヤいているが、本当は常磐御門へ行きたかったのだが、未だ復興工事が完了していないようなので。

前年の御籤は「凶」であったが、今年はすべてに良し[d]上手くいく、出てくる、治る、出会いある、と言った感じ。の「吉」だった 8)。気分が良かったので浅草神社の奥にある被官稲荷神社にもお参りしてから、お昼を食べに「公園通り」と「伝法院通り」を経由して大黒家天麩羅の本店へ:

大黒家天麩羅(本店)

開店40分前ぐらいに店の前に行ってみたら既に行列ができており、自分が並んだ場所も昨年とほぼ変わらず。そして11:00の開店で入店した:

開店して店内へ

さらに店内で座った席も昨年と同じだった :D
そしてオーダーも連年どおり。先にビールと「らくきょう」をつまんで、天丼が出てくるまでしばし待つ:

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今年は瓶ビール中(650円)

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らくきょう(300円)

ただ残念なことに辣韮が「痩せていた」ので、楽しみにしていた噛みごたえを堪能できず :O。値段が30円安かったけど、これはその影響なんだろうか!? :/

そしてお待ちかねの天丼(えび2、かき揚げ1、ししとう1)の登場:

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天丼(えび2本、かき揚げ1本)(1750円)

今回はビールとらくきょうが出てくるのが遅かったため、ゆっくりビールを飲んでいる間もなく天丼が出てきた。

おまけに冷たいし。ご飯も少なめで海老も小さいし :$。うーm。なんか正月の大黒家はハズレが多い感じがする。ただ、いつものごま油の味で変わらぬ美味しさではあったが :D

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ご飯少なく天麩羅冷たい、海老も小さめ

正月に並んででも大黒家の天丼を食べたいと云う思いが年を越すごとに小さくなってきている :X。なんかこう20年以上前に初めて食べた時の感動とは雲泥の差なのである


ここで、正月に食べた大黒家の天丼が今ひとつであるかどうかを改めて確かめるべく、実は本日は令和2(2020)年1月中旬の週末に浅草寺でお焚き上げしてきたついでに寄ってみた。

前日は都内でも雪がちらほら降るほどの寒さであったが、この日は一転して晴天で暖かかったもので、ホント『超』が付くぐらい大勢の観光客でごった返していた浅草寺界隈。おかげで境内へ向かうだけでも一苦労だった。そのため今回は本店ではなく別館へ直行した。昼2:00過ぎではあったが行列はできておらず、すぐに席へ通してもらえた :)

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大黒家別館(午後2:00過ぎ)

まずはビール中瓶と「らくきょう」が出てきた。こちらは残念ながら正月に食べたものと変わらず「痩せた」辣韮だった :|

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「痩せた」らくきょう(300円)

そしてお待ちかねの天丼(えび2、かき揚げ1、ししとう1)の登場:

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天丼(えび2本、かき揚げ1本)(1750円)

今日の天丼はご飯も普通の盛りで、かき揚げにもプリプリした小エビが多くて食べ応えがあった :)。それに海老天の海老が大きくて、何よりも天麩羅が温かかったぞ[e]もちろん初めて食べた時ほどの満足度まではいかないけど  😥 。

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ごま油の風味と衣の色が良い感じ

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正月の時よりも美味しかった

こんな感じで食べ比べして分かったことは、正月の大黒家の天丼には期待してはいけないということだ :X。ということで来年は釜飯とかロシア料理とか洋食とか別のものにした方が良いかも :|。浅草界隈はまだまだ他にも美味しいものがあるはずなんで。

大黒家天麩羅本館
東京都台東区浅草1-38-10


ここからはオマケ。と云っても浅草寺界隈は昨年と殆ど変わらない風景だけど :P

まずは門の左右に奉安されている風神と雷神が守護する浅草寺の総門で、「雷門」こと風雷神門(ふうらいじんもん)。トレードマークの赤い大提灯は平成25(2013)年に新調された五代目で、高さ3.9m、幅3.3m、重さ約700㎏:

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朝09:00過ぎの光景

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五代目の大提灯

こちらは朝09:00過ぎの仲見世。まだ人はまばらなのは店が開いていないから。一時間後には大変なことになっている:

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仲見世

こちらも例年通り仲見世は通らずに、その側道を使って境内へ向かった。正面に見えるのが安政元(1854)年創業の甘味処の老舗・浅草梅園:

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朝09:00頃の様子

仲見世を抜けて「宝蔵門」こと仁王門までくると流石に人が多くなってきた。トレードマークの赤い大提灯は平成26(2014)年に新調された四代目で、高さ3.75m、幅2.7m、重さ約450㎏:

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朝09:15頃の宝蔵門前

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四代目の大提灯

この辺りまで来ると恒例の出店もあってか、いかにも下町を思い起こさせるの「食べ物」の匂いが漂っていた :D

そして「観音堂」である本堂。御本尊聖観世音菩薩(ごほんぞん・せいかんぜおんぼさつ)を祀る中心堂宇である:

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朝09:20頃の本堂前(拡大版)

こちらは本堂前にある常香炉(じょうこうろ)とお水舎(おみずや)。本年は初めて線香を購入(100円)した:

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常香炉

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お水舎

そして本堂内部へ。正面に掛かる新橋大提灯は平成16(2004)年に新調された八代目。高さは4.5m、重さは約600kg。本堂外陣(ほんどう・げじん)と奥にあるのが御宮殿。お賽銭を投げて今年の健康無事を祈った:

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大提灯と向拝の聯

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上にある正面額は「施無畏」

このあとは「家内安全祈願」の御札を購入(1,000円/枚)した。朝09:30頃の本堂前は、こんな感じ:

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本堂外陣からの眺め

そして御籤をひいてから浅草寺界隈を散策しながら大黒家へ向かった。こちらは境内から眺めた五重塔とスカイツリー:

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五重塔(拡大版)

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東京スカイツリー(拡大版)

浅草神社はかなり行列だったので、その奥にある江戸の火消し一番組の新門辰五郎で有名な被官稲荷神社でお賽銭(100円)をなげて祈願した:

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朝10:00少し前

このあとは浅草花やしきの前を通って六区ブロードウェーに向かい、演芸ホールから伝法院通りを通って大黒家へ向かいお昼を摂った。

午後は仙台藩守屋敷跡がある新橋へ向かうため、来た時と同じ都営浅草線に乗るために浅草駅へ。雷門通りは歩行者天国になっていたが、既に規制線が設けられて大変な人混みになっていた:

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朝11:30頃の雷門通り

昼近くには来たくない浅草寺である :X

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歩行者天国になっていた雷門通り

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雷門の前もこんな感じ

こんな光景を見るたびに早起きしてよかったと思う新年である 0:)

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朝11:40頃の雷門前

新橋へ向かう前に久しぶりに吾妻橋上から首都高6号線向島線、アサヒビールタワー、そして東京スカイツリーを眺めてきた:

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吾妻橋上からの眺め(拡大版)

こちらは江戸時代に仙台藩の上屋敷があったとされる新橋駅東口の日テレタワー近辺:

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日テレタワー・汐留シティ・センター・カレッタ汐留(拡大版)

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日本テレビの敷地

それから新橋の西側の神谷町辺りにあったとされる太田道灌城跡へ向かう途中、日比谷通りでは箱根駅伝2020の10区の走りを見かけることができた:

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二位から五位の走り

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御成駅前の日比谷通り(拡大版)

最後は、本日浅草寺から秋葉原まで歩いた際、昨年の柳河藩立花家の江戸屋敷跡巡りでも立ち寄った宋雲院の総門に掲げられていた今日の一言。なんとも複雑な感じ =)

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立花宗茂公の御母堂を祀っている

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テレビの見過ぎだろ

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also浅草寺参拝と散策 2020 (フォト集)
See Also仙台藩上屋敷跡巡り (フォト集)
See Also太田道灌城攻め (フォト集)

参照

参照
a これに対し、今年は皇居での新年一般参賀には参加しなかった。令和時代初となる徳仁天皇からのお言葉はテレビで頂いた。
b 本当に太田道灌が築いたものかどうか個人的に疑問ではある。
c 毎年、この時期にボヤいているが、本当は常磐御門へ行きたかったのだが、未だ復興工事が完了していないようなので。
d 上手くいく、出てくる、治る、出会いある、と言った感じ。
e もちろん初めて食べた時ほどの満足度まではいかないけど  😥 。

手打麺処・寿限無茶屋 − A Hand-Kneaded Noodle at the Traditional Architectures.

先週は、令和元(2019)年の暑いお盆休みは『桶狭間古戦場』を巡るため三泊四日の日程で愛知県へ。初日は炎天下[a]同じ時期に台風が日本列島を縦断する予報があったので、どうなるものかとハラハラしたが、旅行の大部分はフェーン現象の煽りを受けてとにかく大変な暑さだった 😥 。の中を主に織田勢の砦跡などを巡ってきたが、二日目はこちらも酷暑の中を今川勢に関係のある史蹟や城跡を巡ってきた。

この日の午前中は、宿泊先の三河安城(みかわあんじょう)を朝8時前に出て刈谷(かりや)と知立(ちりゅう)を経由し名鉄の中京競馬場前まで移動。この駅の近くにある桶狭間古戦場伝説地からスタートして、今川義元の本陣跡や桶狭間古戦場公園、信長による義元の首実検が行われた長福寺、信長が嵐の中を桶狭間山へ向かって駆け上ったとされる「信長坂」、そして今川勢の先陣が陣をおいたとされる高根山などを3時間近くかけて[b]涼を取るために無人のコインランドリーや巨大なホームセンターなどに立ち寄ったり、コンビニで水分補給するなどの時間を含む。ホント、外に立っているだけで暑さにヤラれる大変な天気だった。や徒歩で巡ってきた。

お昼は、有松の伝統的な町屋建築が残る旧東海道沿いにあった手打ちうどん屋で頂くことにした:

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手打麺処・寿限無茶屋

この味わいあるとおりには残念ながらお食事処が少なかったこともあって、昼時を外して行ったもののほぼ満席。オマケに店員が少なくて新規の注文や片付けができていない「てんやわんや」状態だった。自分も店に入ってから席が片付けられるまで10分ほど待つ羽目に :$

席についてもなかなか注文をとりにきてくれず、自分も午前中は予想外の暑さのため休憩を多くとったため、ちょっと予定より時間が押していたため諦めて店を出ようかと云う思いがよぎったが、ここで何か食べておかないと午後の城攻めに響くような気がしたので我慢して待つことにした。幸いにも向かいに座っていた年配の方(地元の人)が話し相手になってくれたので大分気を紛らわすことができたが :)

そして20分ぐらい待ったあとに、このお店のオススメ「梅おろし」(860円)が出てきた:

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この店オリジナルの梅おろし(860円)

なにやら三年間、自家製の完熟梅を蔵で熟成させたソースがかかった冷やしうどんだそうで。他に紫蘇、天カス、胡瓜がのっていた。午後も歩きづくめを考えたら丼物を考えたけど、ちょっと夏バテが入っていたので選択したのが、店オリジナルのひと品。

うどんはコシ強く、ちょっとキツ目の酸味の効いたタレが絶妙。胡瓜と梅の組み合わせにより午前中の暑さから解放され、午後の暑さにもバテること無く城攻めすることができた。大盛りにはしなかったけど腹持ちしたし、大変に素晴らしいうどん。これは予想外でちょっと感動した 8)

手打麺処・寿限無茶屋(じゅげむぢゃや)
愛知県名古屋市緑区有松2339


ここからはオマケ。

こちらは名鉄・中京競馬場前駅・南口のホーム脇に建っていた「よろいかけの松旧地」の碑。信長が桶狭間の戦いに勝利して凱旋途中、休憩のため鎧をかけたとされる松があったと云う。大正時代まで立っていたそうだが現在は石碑のみ:

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「よろいかけの松旧地」の碑

こちらは駅ちかくにある「桶狭間古戦場伝説地」に建つ石碑。ここには、この他にも義元の墓や七石表なる石碑群、さらに桶狭間の戦いに関する説明板があった:

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「桶狭間古戦場址」の碑

ここは愛知県豊明市が管理しているが、実はもう一つ同じ桶狭間古戦場として、あとで行くことになる名古屋市が管理する桶狭間古戦場公園が離れたところにある。

実際のところ、現存する古戦場跡はすべて「伝承地」であり、古文書に記載されている遺構が複数あるそうで、どれが本物であるかは確認できないとのこと。

そして伝説地と通りを挟んだところにある古刹・高徳院の境内には「今川義元公本陣跡」の碑が建っていた:

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「今川義元公本陣跡」の碑

この他、墓所脇には今川勢の先鋒・松井宗信の墓もあった。

高徳院を出て、炎天下を徒歩20分くらいかけて桶狭間古戦場公園へ向かった。途中、義元本陣跡に立ち寄ったが、この時点で体の沸点が限界に近づきつつあったので、公園近くの DCM Kahma 桶狭間店 なる巨大なホームセンターに立ち寄って、しばしの涼をとった :O。この後も、クーラーがかかったこのお店には何度か足を運ぶことになり大変ありがたかった。でも何度もぶらぶらしているのもなんなんで、最後は汗拭いにタオルを購入したっけ。

こちらは公園内に建っていた織田信長と今川義元の銅像:

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「織田信長公」像

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「今川義元公」像

義元公の墓碑:

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「今川義元の墓」碑

公園を出て南にある「大池」と云う貯水池前を通って長福寺[c]桶狭間の戦いの後、信長が境内で義元やその武将の首検証をしたとされる。にも足を運んだ:

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大池(拡大版)

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マガモたち

この後は、あまりの暑さで桶狭間神明社という神社に立ち寄るのをうっかり忘れてしまったが、さらに井伊直盛陣地跡、七ツ塚を経由して武路釜ケ谷・信長坂へ移動した。これがまた大学の敷地内にあったため、暑い中をぐるりと回り込んで大学の正門へ移動する羽目に。お盆休み中とあって構内はひっそりとしていたが、なんとか[d]結果的には無断で立ち入ることになったが、なぜ大学の敷地を通らないと史跡にいけないのだろうか。辿り着いた:

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豪雨の中を駆け上った信長坂(拡大版)

そして、お昼を摂った寿限無茶屋周辺は旧東海道にあたり、江戸時代には尾張藩の奨励で有松町屋が造られたとされる伝統的な場所。とういことで有形文化財に指定された豪壮な町屋の一部が残されていた:

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旧東海道有松の町屋街跡

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旧東海道有松の町屋街跡

服部良也邸土蔵(愛知県指定文化財・都市景観重要建築物指定)。この家は寛政2(1790)年創業の絞問屋(しぼりどんや)。有松・鳴海を中心として作られた手ぬぐいなどの絞り染めの名産地である:

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服部良也邸土蔵

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服部良也邸土蔵

同じく有松絞りの井桁屋(服部家住宅)。屋根瓦が豪壮な造りになっているが、これは火災に備えて漆喰による塗籠造で萱葺(わらぶ)き屋根を瓦葺きにしたもの:

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独特の瓦葺き

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服部邸の大屋敷

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井桁屋(都市景観重要建築物指定)

最後は山与遊歩道。名鉄・有松駅と旧東海道を結ぶ遊歩道。平成の時代につくられた。「山与」はここにあった絞問屋が由来だとか。右奥に見える建物が有松駅:

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山与遊歩道

この時のフォト集はこちら:

See Also桶狭間古戦場(今川勢他)巡り (フォト集)

参照

参照
a 同じ時期に台風が日本列島を縦断する予報があったので、どうなるものかとハラハラしたが、旅行の大部分はフェーン現象の煽りを受けてとにかく大変な暑さだった 😥 。
b 涼を取るために無人のコインランドリーや巨大なホームセンターなどに立ち寄ったり、コンビニで水分補給するなどの時間を含む。ホント、外に立っているだけで暑さにヤラれる大変な天気だった。
c 桶狭間の戦いの後、信長が境内で義元やその武将の首検証をしたとされる。
d 結果的には無断で立ち入ることになったが、なぜ大学の敷地を通らないと史跡にいけないのだろうか。