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牛肉、豚肉、鶏肉、焼き物、揚げ物、生など肉がメイン、ハンバーガー、但し、焼き鳥は除く

らーめん専門店・小川 − A Ramen with Riched Tonkotsu Soup.

先週末は平成29(2017)年の残暑のない9月初め、メンテナンスに出しておいたカメラが戻ってきたので早速、城攻めしながら確認することにした。で、今回は大分前に計画していたのだけれど、なかなか機会がなくて実行に移せなかった東京多摩地区の城址と、武田信玄の六女・松姫の菩提寺である信松院(しんしょういん)を巡ってきた。この信松院は甲斐武田氏滅亡を題材にした小説を読んでからというものの、いつか訪れたいと思っていた場所の一つだった :)

都内にある城攻めと云うことで、やや肌寒い天気の中をいつもよりは若干ゆっくり目に行動を開始して、午前中は東京都八王子市片倉にある片倉城跡公園へ。ここは鎌倉幕府創設の立役者である大江広元を祖とする長井氏の居城だったと云う。そのため長井氏の家紋は、同じ大江広元を祖とする毛利氏と同じ「一文字三星」である。
意外と見事な切岸や堀切が残る片倉城のあとは西八王子にある信松院へ。前述の松姫は御家滅亡後に婚約者である織田信長の嫡男・信忠を頼って京へ上ぼる途中に本䏻寺の変を知り、再び関東(八王子)へ戻って出家し信松尼(しんしょうに)と称して、亡き夫らの菩提を供養したと云う。また彼女は、同じく八王子に落ち延びた武田家旧臣らの心の支えでもあったらしい。

そして西八王子からは一旦はJR中央線で高尾に向かい、そこから京王線に乗り換えて高幡不動へ。高幡不動尊にある裏山は実は高幡城跡であっただなんて、ここに参拝にくる人たちの中で気にかける人はどれくらいいるだろう?と考えてしまう:|。おまけに人気のある戦国時代の城でもないし。
まぁそんなことはともかく城攻めの前に腹ごなしをしておこうと、以前誰かに教えてもらって気になっていた高幡不動駅近くのらーめん専門店小川へ:

らーめん専門店小川(高幡不動店)

昼ちょっと過ぎでほぼ満席の中、券売機前に空いていた席へ。初めてのお店なので『濃厚塩豚骨』ラーメンはデフォルト(680円)にし、御飯ものとして炙りちゃーしゅー飯(300円)を追加した。麺の硬さや脂の量、味の濃さなどの他に、チャーシューは豚バラか豚ロースかどちらか選択できた:

らーめん with ロース叉焼(680円)

麺は固め、脂は普通。味も普通だけど、替え玉スタイルなので、やや濃い目。とはいえスープは濃厚でまったりと後味が良い。麺は細麺ストレートと云う博多豚骨ではベーシックな組み合わせ。しかしスープが基本をしっかりと伝えてくれて、ホント、ちゃーしゅー飯じゃなくて替え玉にすればよかったと後でちょっと後悔してしまった;(

こちらが炙りちゃーしゅー飯。濃い味付けの叉焼の細切れが載っかった、これはこれで美味しい一品だった:

炙りちゃーしゅー飯(300円)

次回は替え玉(バリカタ)で食べたい美味しくて優しい塩味の濃厚スープだった。

らーめん専門店・小川(高幡不動店)
東京都日野市高幡3-19


ここからはおまけ。

こちらは片倉城跡公園の駐車場兼入口。駐車場は意外と広かった。で、自分はここではなく南側にあるもう一つの入口から攻めたけど:

八王子市片倉城跡公園の入口

そして城址北側からの眺め。と云っても森にしか見えないけど。往時、この城の周囲は湿地帯であったようで、現在でも水が湧き出て、それを利用した菖蒲田や池などがあった:

片倉城址

信松院から西八王子へ向かう途中に目撃した「第六回 北條氏照まつり」開催のポスター。近くに八王子城があるからだろう。機会があれば参加してみたい。でも、この日はなにやらお囃子が聞こえたので、あとで調べてみると西八夏祭りの最終日だった:

北條氏照まつりのポスター

こちらは高幡不動へ向かう途中、京王線高尾駅のホームからの眺め。まずは八王子城跡方面(実際には見えている山の裏側):

八王子城方面

そして正面の丘陵は昭和天皇・武蔵野陵と大正天皇・多摩陵方面:

ホームから眺めた天皇陵方面

で、ここ高幡不動尊・金剛寺は新選組副長・土方歳三の菩提寺である:

土方歳三の像(拡大版)

意外と言えば意外だけど高幡城跡から多摩地区、そして都心方面をしっかりと眺めることができた:

高幡城主郭からの眺め

高幡城主郭からの眺め

高幡城主郭からの眺め

こちらは多摩モノレール。一度しか乗ったことがない:

立川へ向かうモノレール

浅川を渡るモノレール

望遠レベルだけど、新宿副都心の他、東京スカイツリーも見ることができた:

新宿副都心方面の眺め(拡大版)

こちらは高幡不動尊の五重塔に納められていた観世音菩薩様:

五重塔に置かれた観世音菩薩像

そして高幡不動尊の玄関口に建つ仁王門の仁王像:

仁王像(吽)

仁王像(阿)

この日最後に高幡城の後にせめたのは分倍河原駅すぐの高安寺(こうあんじ)城跡。足利尊氏や藤原秀郷、そして源義経と弁慶にゆかりのある居館跡らしい。現在は曹洞宗のお寺になっている:

曹洞宗・高安寺の総門

本堂の鬼瓦には清和源氏足利氏家紋である二つ引両が掲げられていた:

二つ引両の家紋

ここには武蔵坊弁慶が主人・源義経と共に写経した際に使った井戸水(弁慶硯の井戸)が残っていた:

弁慶硯の井戸

東京都選定歴史建造物になっている山門の木鼻に付けらた獏は天女だった:

木鼻に付けられていた獏は天女だった

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also片倉城攻め (フォト集)
See Also松姫と金龍山・信松院 (フォト集)
See Also高幡城攻め (フォト集)
See Also高幡不動尊金剛寺散策 (フォト集)
See Also高安寺城攻め (フォト集)

名古屋名物みそかつ 矢場とん − Misokatsu Yabaton.

今年は平成29(2017)年のお盆休みの城攻めツアー最終日[a]予定では、この翌日も帰宅ギリギリまで城攻めする予定だったけど、(連日、晴天だった)岐阜県・愛知県もとうとう雨になってしまい、帰省ラッシュにぶつからないよう早々に帰ってきた。は、何年か前に一度行った国宝[b]くどいけど、天守だけ。犬山城跡と、最近にわかに話題としてあがっていた小牧山城跡へ。
この日は連休明けの月曜日であり、空は曇りでちょっと活気の無い天気だったので国宝といえど、それほど混むことはないだろうとたかをくくって行ってみたら、大変な混みようだった:(。三層四階の天守閣の階段は行列、最上階の展望エリアも行列、どこへ行っても行列状態 :$。ちょっとうんざり。でも今回は木曽川越しに天守を眺めることができてよかった。しかしながら、この年の7月に落雷で鯱の片方が破損したらしく、ちょっと締まりのない天守だったけど。

お昼を軽く犬山駅前で済ませから織田信長が築いた小牧山城跡へ。こちらは想像していたよりも大きな城跡で、さらにニュースでも取り沙汰されていた遺構が見所だった。あと一直線に伸びる大手道なんて、いかにも信長っぽいなぁと思ったり8)

そして、この日の城攻めを終えて尾張一宮にある宿泊先へ戻ろうと経路を確認してみると、地勢上はホント真西にある街なのに電車ではぐるりと遠回りする必要があった[c]ちなみに、直線距離を徒歩で移動しようとすると2時間ほどらしい。。夕飯のことを考えると昨日のように駅周辺で見つけるのは難しいので、遠回りながら名古屋経由で帰るルートならば名古屋で下車して名物でも食べていくことにした。で駅ナカで迷うのもなんなので、この日も昨日と同様に名鉄百貨店を利用した。

一応は鰻を食べたかったので、名鉄百貨店本館9Fグルメステーションにあるまるや本店でひつまぶしでもとエレベータを下りて向かった先には人、人、人の山。待ち時間は60分以上。もう頭がクラクラしてきた:O。その時、ちょっと途方にくれていた目に写ったのがみそかつ 矢場とん

昭和22年創業の矢場とん

昨日の夜もトンカツだったっけなぁと思うまもなく並んでいた。こちらは10分程度の行列。と思ったらお一人さまと云うことでそのままカウンターに:D!!。まずはグラスビール(432円)。お通しに矢場とん自慢の一品「豚肉のしぐれ煮」が:

豚肉しぐれ煮とグラスビール(432円)

そしてMain Dishには名物「わらじとんかつ(1,296円)」にも惹かれたけど、ここは贅沢に「リブとんかつ定食(1,728円)」にした。さらに「天然ジャンボ海老ふりゃ−(1,296円)」も追加で注文してしまった。どれくらいジャンボなんだろう?と想像しつつ、目の前に置いてあった「矢場とん 〜みそかつのいろいろな食べ方〜」を熟読しておく:

味噌カツの食べ方

で15分くらい待ってできたのがこちら。御飯のおかわりは有料。味噌汁は豚汁でもよかったかなぁ:

リブとんかつ定食(1,728円)+ジャンボ海老ふりゃ−(1,296円)

リブとんかつにはたっぷりの味噌だれを目の前でかけてもらった:

味噌だれをかけたトンカツ

肉厚で、甘みのある味噌だれが口っぱいに広がり、パクパク、もぐもぐ行けた:D。御飯は少なめだったけど、ビールを飲んでいたので良かったかも。

そして「ジャンボ」海老ふりゃ−。あれ!? 俺が想像していたジャンボサイズとはかなり差があるなぁ:|と云う感想がまず出てきた。まぁ頭(かしら)も付いているので残さず全て食べてしまったけど。味はごくごく普通:

「ジャンボ」じゃなかった海老ふりゃ−

まぁ、とりあえず最終日の夜にして本格的な味噌カツを頂けたのはいい思い出になった。ちなみに豚一家も矢場町本店で完食していたようだ。

次の日は加納城・川手城を攻める予定だったけど、雨だし新幹線は帰省ラッシュで混みそうだったので早々に帰宅した。

矢場とん 名古屋駅名鉄店
名古屋市中村区名駅1-2-1名鉄百貨店本館9階


ここからはおまけ。

まずは木曽川にかかる犬山橋から眺めた犬山城。正面に見える山も実は城跡(伊木山城)。前回初めて来た時は本丸跡に建つ天守閣だけ見たけど、是非とも木曽川の対岸から眺めてみたかったので今回は犬山駅ではなく犬山遊園駅で下車した:

犬山城と木曽川(拡大版)

望遠でのぞいた天守閣。朝一で来たのに、この日は予想に反して[d]というか、予想が甘かった。、この後の本丸跡と天守閣は大勢の観光客で大行列になっていた:

国宝・犬山城

よく見るとわかるけど鯱が片方なかった。落雷で破損したらしい。天守閣の中に展示されていた:

木造の現存天守(望楼型三層四階地下二階)

この辺りで目撃した動物たち:

木曽川を泳いでいた鴨の家族

IMGP5639.resized

熱した鉄板のようなアスファルトの上を歩いていたカナヘビ

三度、犬山城の天守閣。これはライン大橋から眺めたところ:

木曽川を望む丘陵上に建つ天守(拡大版)

で、本丸跡はこんな感じ。あまりの人で天守閣くずれないか心配してしまった:

重くて崩れないかと心配になる

三層四階の天守閣最上階からの眺め。木曽川は大きいなぁ:

北東の眺め

南西の眺め

小牧山城跡は現在も発掘調査が続いており、ありがたいことにいろいろ説明板が用意されていた:

本丸石垣跡

本丸跡にあった織田木瓜の幟:

織田家の家紋である織田木瓜

この辺りで目撃したその他のもの。小牧山市には県営名古屋空港があるので、頻繁に飛行機が飛んでいた:

名古屋空港から飛び立った飛行機

なぜか烏と目があった

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also犬山城攻め (フォト集)
See Also小牧山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 予定では、この翌日も帰宅ギリギリまで城攻めする予定だったけど、(連日、晴天だった)岐阜県・愛知県もとうとう雨になってしまい、帰省ラッシュにぶつからないよう早々に帰ってきた。
b くどいけど、天守だけ。
c ちなみに、直線距離を徒歩で移動しようとすると2時間ほどらしい。
d というか、予想が甘かった。

とんかつ珠圓 − Pork Cutlet of Juen at OWARI-ICHINOMIYA.

今年は平成29(2017)年のお盆休みの城攻めツアー二日目は、かっては『西美濃』とも呼ばれていた西岐阜へ。この辺りは、後世に天下分け目の決戦と呼ばれた関ヶ原の合戦場と、その前哨戦の舞台となった大垣城との中間点に位置する交通と軍事の要衝で、この地には、これまた後世に聞こえた名軍師・竹中半兵衛にゆかりの城跡や墓所、そして彼と共に両兵衛と呼ばれた黒田官兵衛の嫡男・松寿丸[a]のちの黒田長政。が匿われた場所[b]父・官兵衛が有岡城に籠城した荒木村重を翻意させるため単身で乗り込んだものの逆に捕縛され幽閉された。この時、織田信長は官兵衛が裏切って村重に同調したと思い込み、人質として岐阜に置かれていた松寿丸を処刑するよう半兵衛に申し渡した。彼は官兵衛を信じていたので、現在は五明稲荷と呼ばれていた家臣の家に匿い、信長には虚偽の報告をした。、さらには病身ながら関ヶ原の合戦では西軍についた義将・大谷吉継の軍勢を実際に指揮した勇将・平塚為広の居城があり、ついでにお隣の大垣市にも足をのばして大垣城もど〜んと見て回ってきた。
特に今回は、標高402m程の山頂に築かれた竹中半兵衛の居城の菩提山城を攻めるために、麓からかれこれ60分以上かけて山登りするなど、見て回る名所が広範囲になったのでレンタル・サイクルを利用することにした。おかげで大垣へ移動した時は足がパンパンになって釣ってしまった:$

この日最後の城攻めを終えて大垣から岐阜経由で尾張一宮にある本日の宿泊先へ移動した[c]お盆シーズンともあって、これはこれで超満員の電車だった。。そして夕飯だけれど、事前に調べておく時間がなかったので現地へ行って決めようと考えていたのだが、駅周辺はなんだか全国チェーン系列のお店ばかり。この日は大変な暑さの中をサイクリングして登山したので、どうしても「肉のパワー」で体の疲れを癒やしたいと思っていたのに。もちろんチェーン店でも味噌カツなんてのはあるだろうけど :O。そう考えると是が非でも味噌トンカツが食べたくなったので、Googleさんにお尋ねしたところ、この周辺にあるとんかつ屋はどれも頭一列といった感じ:/。結局は、この日も宿泊先から近い名鉄百貨店7Fにあるグルメフロアのとんかつ珠圓なるお店へ。

お盆休みだから並ぶのは必至と思い込んで行ってみると、殆どお客がいなかった…:O。この日の夜は大河ドラマがあるので、さっさと食べて宿へ戻ろうとメニューを見て迷うこと無く「特選厚切ひれかつ膳(140g)」(1,690円)とグラスビール(450円)を注文した。御膳がでてくるまでの間、ビールを飲みながら今日のサイクリングや登山を振り返っていたら、出てきたのがこちら:

特選厚切ひれかつ膳(140g)(1,690円)

やっぱり味噌だれ:

味噌だれ

注文してから豚肉を手切りし、衣をつけて揚げた「つくりたて」のトンカツはジューシーで美味しかった:

柔らかいひれかつを味噌ソースで

柔らかいひれかつを存分に堪能し、丸美屋の卵ふりかけで頂いた御飯はおかわりできないシステムだったので、速攻で宿へ戻って風呂入って、大河ドラマを見て寝ることにした。

とんかつ珠圓
愛知県一宮市新生1丁目1-1


ここからはおまけ。

この日は見て回る所が多く、広範囲にわたったのでJR垂井駅前の垂井町観光案内所で提供しているレンタサイクル(500円)を利用した。
こちらが今回レンタルした自転車で、他もみな関ヶ原の合戦に所縁のある武将の名前が付いていた:

レンタルサイクル(500円)

今回レンタルしたのは「浅野幸長公」号

この観光案内所でのレンタル時間は09:00am〜02:00pmとかなり微妙な時間帯であった。この日は菩提山への登山も予定していたので、02:00pmまでに戻ってこれるものか不安だったので万が一のこととして聞いてみると、戻ってきたら自転車を案内所脇に置いて鍵をしめ、案内所のシャッターを少し上げれると中のドアが開くので、鍵を中に置いておいてくれれば良いよと云って貰えた。まぁ、この時は間に合うだろうと安易に考えていたのだが、実際のところ間に合わなかった。ホント聞いておいて良かった〜0:)

自転車でまず最初に行ったのは垂井城跡。この城跡の近くには『垂井の泉』なる名跡がある。この泉は岐阜県指定の天然記念物で、大ケヤキの根本から湧き出したということで「垂井」と云う地名の起こりににもなったらしい。大ケヤキは樹齢800年程で、高さ約20m、目通り約8.2mもあるとのこと。松尾芭蕉も立ち寄って一句詠んだと云う名跡である:

垂井の泉

大ケヤキ

そしてアブラゼミ:

アブラゼミ

このあとは20分程かけて竹中氏陣屋跡へ。軽い上り坂が続いて意外と時間がかかった。

こちらは相川。岐阜県不破郡関ヶ原と垂井町、大垣市なんてところを流れる木曽川系一級河川:

この日も前日に続いて暑かった〜

こちらが豊臣秀吉の初期の頃の軍師・竹中半兵衛重治の像。竹中氏陣屋前に置かれていた:

竹中半兵衛重治公の坐像

竹中氏陣屋跡を攻めたあとは、この隣りにある垂井町立岩手公民館の駐車場にレンタル・サイクルを置いて菩提山城へ徒歩で移動した。で、その公民館の前には「さざれ石」やら「力石」なる巨石・奇岩が置いてあった:

すぐ近くの伊吹山が主要産地と云われる「さざれ石」

江戸時代の力比べで使われた巨石らしい

自転車を置いて公民館脇に建つ菁莪(せいが)記念館から西へぐるりと周る感じで、菩提山ハイキングコースを利用して山頂にある城まで徒歩で移動した。

その途中の風景。まずは南宮山(なんぐうさん)。関ヶ原の戦では西軍の毛利氏が陣を構えた山であり、現在はその麓あたりにJR東海道新幹線が通っていた:

南宮山(拡大版)

こちらが新幹線。菩提山ハイキングコースの登山口へ移動する間、何度も新幹線を目撃した:

南宮山の麓を疾走する新幹線(拡大版)

そして東海道本線を渡って登山口へ:

東海道本線

登山口から城跡がある山頂までは結構な角度の坂を約50分ほど登っることになったが、その甲斐があって標高402mの山頂からの眺望は素晴らしかった。ちなみに、この城から岐阜城を見ることもできた:

菩提山城の出丸跡からの眺望(拡大版)

こちらが菩提山城の本丸跡。城の周囲は急峻な崖になった戦国時代特有の山城である:

菩提山城の本丸跡

こちらは菁莪(せいが)記念館に展示してあった岩手弾正の鎧。竹中氏はこの岩手弾正を不破から追い出して、この辺り一円を支配したと云う:

岩手弾正の鎧

最後は大垣城天守閣の鬼瓦。天守三層南西隅にある鬼瓦は邪鬼を踏みつけて天守を鎮護していた:

復元された鬼面鬼瓦と邪鬼

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also垂井城攻め (フォト集)
See Also黒田長政ゆかりの五明稲荷 (フォト集)
See Also竹中氏陣屋攻め (フォト集)
See Also菩提山城攻め (フォト集)
See Also竹中重治公墓所と禅幢寺 (フォト集)
See Also大垣城攻め (フォト集)

参照

参照
a のちの黒田長政。
b 父・官兵衛が有岡城に籠城した荒木村重を翻意させるため単身で乗り込んだものの逆に捕縛され幽閉された。この時、織田信長は官兵衛が裏切って村重に同調したと思い込み、人質として岐阜に置かれていた松寿丸を処刑するよう半兵衛に申し渡した。彼は官兵衛を信じていたので、現在は五明稲荷と呼ばれていた家臣の家に匿い、信長には虚偽の報告をした。
c お盆シーズンともあって、これはこれで超満員の電車だった。

風来坊・新岐阜店 − The Original Fried Wing Tips at GIFU.

今年は平成29(2017)年のお盆休みの城攻めツアーはやや強引なプランではあったが、何とか無事初日を終えることができた。しかしながら、この日の岐阜は暑かった:$〜。岐阜城攻めの後は織田信長公の墓所や『美濃の蝮』こと斎藤道三公の首塚や菩提寺を巡ってきた。運良くそれぞれ岐阜城から徒歩30分圏内ということもあって長良川を往復して渡るなどして、なんとか見て回ることができた。しかし、この辺りは日差しを遮るほど高い建物が少ないので、初日にしてかなりのエネルギーを消費し、見事に顔や腕が真っ赤に日焼けしてしまった;(

そういうこともあってJR岐阜駅から遠い宿泊先に着いて、また駅前あたりまで行って夕食を済ます気にはなれなかったので、宿泊先の目の前にあった古臭い[a]すみません。でも最初のインスピレーションはホントそんな感じ。居酒屋の暖簾をくぐった。そこは元祖手羽先唐揚の風来坊(新岐阜店)と云う全国展開のチェーン店だった。あとで知ったけど。てっきり地元のお店かと思った:P

カウンターに座って生ビールを注文すると、お通しとして元祖手羽唐揚一人前(450円)を追加で注文する羽目に。まぁ正直あまり期待していなかったが、出てきたのはタレの付いた唐揚げといった感じ。この店自慢の一品:

元祖手羽先唐揚(450円)

熱々な手羽先を手羽先の食べ方を参考にしてパクパクいってしまった。これが手羽先だねぇ。ここから鶏肉を軸に焼き系・揚げ系を注文した。

これも店オススメの一品である元祖手羽元唐揚(450円)。こちらも美味しかった:

元祖手羽元唐揚(450円)

途中、トマトスライス(300円)やかんぱち刺し(740円)を注文したけど、こちらは大したことはなかったねぇ:O。ということで、ビールと鶏肉で回すことに。

こちらは奥美濃古地鶏串(250円)。もう少し大きい肉を想像していたのだが:

奥美濃古地鶏串(250円)

五平餅みたいなつくね串をタレで。玉子が欲しかった〜。甘たるかったので:

つくね串(250円)

総合的には大した料理は無かったけど、やっぱり店自慢の手羽唐揚げは美味しかった。正直、これとビールで十分だったなぁ :|。ちなみに豚一家も同じチェーン店で完食していたようだ。

明日は西美濃(西岐阜)の垂井まで行って軍師・竹中半兵衛ゆかりの城を巡る予定。

風来坊・新岐阜店
岐阜県岐阜市長住町1-10

 

ということで、この日のフォト集はこちら:
See Also崇福寺の織田信長公父子廟 (フォト集)
See Also道三塚と斎藤家菩提寺 (フォト集)

参照

参照
a すみません。でも最初のインスピレーションはホントそんな感じ。

金華山展望レストラン・ポンシェル − A French Restaurant On The Famous Castle!?.

今年は平成29(2017)年のお盆シーズンは日本全国の天候が不順で、興味深く攻めることができそうな城がなかなか決まらず、休みに入る二日前くらいの天気予報でなんとか攻めれそうな城を見つけ、思い切って宿泊先を確保し三泊四日の城攻めツアーへ行ってきた。
実際のところ、お盆休みは前半の数日間だけ天気が良く、後半はボロボロだった ;(。そういうことで雨ふったらどうしようか等と余計な代替プランも併せて考えるのに時間をくって、やや強行感が否めず、寝不足のままお盆休み真っ只中の新幹線に飛び乗った。行き先は岐阜県。
この日の関東は早朝から大雨。まずは07:47amのJR新幹線のぞみ101号・広島行[a]この新幹線はその昔の広島出張でよく利用した便だった。懐かし〜。に乗り09:21amに名古屋に到着。それからJR東海道本線特別快速・米原[b]「まいばら」と読む。今までずっと「よねはら」って読んでいた。行に乗り、09:50amに人生初の岐阜へ上陸した :)。関東とは異なり、ここ岐阜は晴天。初日の最初は岐阜城跡へ。

まずは岐阜駅の北口に建つ織田信長公に挨拶。でもなんで金色なんだろう!?:|

織田信長公像

それから岐阜バスの岐阜公園・岐阜城・岐阜市歴史博物館行きに乗って岐阜公園歴史博物館前と云う停留所で下車したのが10:25am。ここまでは全然順調。しかしながら、流石に岐阜。気温が高く、ちょっと大変な城攻めになりそうな予感。

バス停から歩いて、プランどおり金華山の麓で現在でも発掘調査が続いている信長公居館跡を見学。暑い中をじっくりとプランどおりの時間を一杯一杯使って見て回り、これまたプランどおり金華山ロープウェイで山頂にある岐阜城を攻めようと切符売り場へ移動してみると、炎天下の中で行列に並ぶことに :O

炎天下の中を10分ほど並んでやっと屋内へ

まぁ、普通に考えれば、晴天の岐阜で眺めの良い金華山へ登ろう感覚で行くなら混雑して行列になるのは当然だろうと想像できたはずで、ゆっくり信長公居館跡なんか見て回っている場合でないことも理解できたはずなのだが、今回の強行城攻め(我攻め)のツケが徐々にやってきた感じ:$[c]混雑や行列を想定して、まず何よりも先に山頂に登って天守閣からの眺望を拝んで、人が少ない時間帯に早々と写真を取って麓に下りるべきだった。眠くて暑くて頭が回らなかった。。これは山頂へ行って天守閣へ向かう時にも痛感した。山頂は、とにかく大変な混みようなのである。
岐阜城をゆっくりと堪能させてくれない人混みと熱気と暑さである。とにかく人ばかりで、天守閣などの遺構を写真に納めるのに炎天下で人が過ぎるのをただひたすら待つしかないのである ;(

そんな感じでなかなか良い写真を取らせてくれないジレンマに悩まされる中、時間はプランどおり刻々と過ぎていく。ということで展望レストランで昼を摂る予定だったけど、次の予定もあるので時間的にスキップするしかないかなぁと思ったが、やはりこの気温では体力の消耗が激しく、この後のお寺巡りも不安が残ったのでしっかりと食べることにした。で、写真の奥に見えるのが展望レストラン・ポンシェル(フランス語で Le Pont de Ciel):

城跡にフランス・レストラン?

岐阜城にフランス料理のレストランがあるのか?と思って行ってみると、食券を買って行列に並ぶ普通の日本式レストランだった。違うのは、ここからの見晴らしが岐阜城の天守閣よりも良いこと! 8)。時間帯なのか高い店なのかわからないが、ありがたいことに窓際の席に案内された。岐阜城から長良川を見下ろし、さらに先には関ヶ原が:

展望レストランからの眺め

ここでは予め決めておいた岐阜県B級グルメでグランプリをとった「信長どて丼」(750円)を注文。箸袋には、織田家の家紋である織田木瓜も:

箸袋

信長どて丼(750円)

お腹が減っていたのでペロリと完食した。マスタードが良いアクセントになったし、岐阜の赤味噌もよかった。食べ終わってよく見ると丼の底にも織田木瓜が:

完食

最後にデザートについていた杏仁豆腐を食べながら眼下に広がる岐阜市街地を眺めていると、なんだか店を出たくなくなってきた:P

金華山展望レストラン・ポンシェル
岐阜県岐阜市千畳敷下257 金華山山頂


ここからはおまけ。

実はお金を払って展望レストランに行かずとも、レストランの建物の屋上がビアガーデン会場になっていて、さらに昼時なら誰もいないので思いっきり素晴らしい眺めを堪能できるのだ;)

展望レストランと同じ角度での眺め(拡大版)

岐阜城天守閣近くに建つ岐阜城資料館(天守閣とセットで有料)では信長公ゆかりの甲冑や漫画「センゴク権兵衛」(宮下英樹氏)のパネル、ゲーム信長の野望のパッケージイラストで有名な長野剛氏の信長公肖像などが展示されていた。
こちらは長野剛氏の信長公肖像画:

「信長の野望」ではお馴染みのイラスト

宮下英樹氏のセンゴク権兵衛のイラスト:

IMG_5522.resized

センゴク権兵衛の信長公

センゴク権兵衛

レプリカ甲冑。左手はビロード風の南蛮マントが印象的な銀箔押南蛮胴具足(甲冑師・熱田伸道氏の作)、右手は「舌を噛みそうな名前」の黒塗濃萌葱糸素懸威二枚胴具足(同氏の作):

(ぎんぱくおし・なんばん・どうぐそく)

IMG_5517.resized

(くろぬり・のうもえぎいと・すかけおどし・にまい・どうぐそく)

こちらはロープウェイで下りて岐阜公園総合案内所近くで見上げた岐阜城の山頂付近。左手から天守閣・気象庁の施設・展望レストラン・ロープウエイ山頂駅:

岐阜城山頂付近(拡大版)

そして若き信長公の騎馬像。案内所ができるまでは同じ麓にある信長公居館跡前に置かれていたらしい:

「若き日の織田信長像」

最後に、長良川と金華山。信長公の時代は稲葉山とも。こんな風に眺めるといかにも難攻不落の城のように見えるが、実は五回も落城している:

長良川に架かる長良橋から

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also岐阜城(稲葉山城)攻め (フォト集)

参照

参照
a この新幹線はその昔の広島出張でよく利用した便だった。懐かし〜。
b 「まいばら」と読む。今までずっと「よねはら」って読んでいた。
c 混雑や行列を想定して、まず何よりも先に山頂に登って天守閣からの眺望を拝んで、人が少ない時間帯に早々と写真を取って麓に下りるべきだった。眠くて暑くて頭が回らなかった。