マンホールの蓋」タグアーカイブ

市中で見かけたマンホールの蓋の写真

一茶庵支店 − This Ramen is like a So-men.

今年は令和6(2024)年のGWは暦通りに休めたものの、諸所の手配に出遅れてしまい、宿泊先を確保できた後半に二泊三日の日程で山形県の城跡をいくつか攻めてきた。その中では八年前に初めて山形県入りして以来、いつか行きたいと気になっていた長谷堂城跡とその古戦場跡を巡れたことが一番の収穫だった[a]まぁ、いろいろあったけど 😅️。。また前回の山形入りでは失念して残念な思いをした奥羽国・山形藩・初代藩主の最上義光公ら一族ゆかりの菩提寺も参詣してきた :)。最終日は雨の予報だった[b]実際にその日は雨だった 😞️。ので、時間内に行ける城跡などを詰め込めるだけ詰め込んだった感じの日程で、毎日が濃厚で疲労との戦いの二日間でもあった[c]帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。 :D

東北地方も夏日になった初日は、新庄にある城跡からスタート。東京から新庄までは新幹線で一本。午前中に到着することができたので、城跡へ向かう途中で腹ごなしすることに。山形県は「ラーメン県」と云うことで予め調べておいたラーメン屋へ:

Mikeforce::Today

元祖とりもつラーメンの一茶庵支店

「元祖とりもつラーメン」と銘を打つ店の前には行列はなかったけど、暖簾をくぐって店に入るとテーブル席や奥にある広めの座敷は客で一杯だった。まだ開店して15分くらいなのに:O

この時、かろうじてカウンター席が空いていて店員に促されるまま移動、既に何を注文するかは決めてきたが、一応は真上に掲げられていたメニューを一通り眺めた[d]ぬるまラーメン!?。いわゆる山形県のソウルフード「冷やしラーメン」(冷やし中華ではない)の類 🤨️。

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メニューはこれだけ

初来店と云うことで、ここはお店オススメの「もつラーメン」(700円)を注文し、セルフでお冷を取って席についた。カウンター席の目の前は厨房になっていて、店主が大きな窯鍋で麺を茹でていた。また注文はカウンター越しに厨房にいる店員に告げるシステムだった。

そんな中、厨房にいたおばちゃんが、注文を聞いたあと、その人の名前を聞いてノートに書き入れているのに気づいた。そう云えば、頭上にはこんな注意書きもあった:

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「注文の際は名前をお願いします」!?

どうやら注文は席ではなく名前で区別し、その名前で支払いを請求しているようであった。自分の場合は名前を聞かれなかったのだが、それは目の前にいるカウンター席だからだろうか:|

自分の背中越しに注文していく人が出始めた頃、注文した品がカウンター越しに出てきた:

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もつラーメン(700円)

あっさり醤油ベースのスープに、まるで素麺かのように白い麺の上にネギと細切りのメンマ、そして主役となる鶏のモツ煮がのっていた。麺は見た感じそのもので、コシは無く、まさに素麺かうどんをすするようにして頂くことができた。主役もモツは固くないのに、しっかりと食感を楽しむことができ、スープにも相性バグツンだった :)

と云うことで「干食」(完食)。店名と電話番号がはいったドンブリは、年季のあるラーメン屋の証である 8)

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ごちそうさまでした!

ドンブリと勘定をカウンターにのせて席を立ち振り返ると、結構な客が席待ちしていた。おそらく既に名前を伝え注文し終えた人たちであろう。

次にきた時は熱〜いスープの中に冷たい麺を放り込んでもらう「ぬるまラーメン」の鶏モツ・トッピングで行ってみよう:D

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

一茶庵支店
山形県新庄市鉄砲町10-3


ここからはオマケ。

初日の午前中はまずJR東京駅から新庄駅まで移動。こちらは(福島駅まで一緒に走行した)E5系はやぶさ。そして山形新幹線E3系つばさ。新庄駅では在来線に乗り入れていた:

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E5系はやぶさ@東京駅

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E3系つばさ@新庄駅

東京駅から乗車してすぐ、買っておいた駅弁(1,300円)を頂いた:

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仙臺名物・炭火焼風・牛たん弁当(南蛮味噌漬け+塩竈の藻塩付き)

弁当箱の底に加熱装置が付いていて、紐を引っ張ると湯気が出るほど温かくなる仕組み。下手すると火傷するくらい一瞬で高温になるなんて、なんとも日本人的な発想と技術である 8)。南蛮味噌漬けは猛烈に辛かったし、温かいおかげで一層美味しくいただけるのは確かなのだが、マジで温かい弁当はちょっと駅弁らしくないと思うのは自分だけだろうか。この仕組みのおかげで御飯は少ないし、値段も割高である。ぜひ廉価版を出してほしいところ :D

そして(はやぶさ切り離しのため)福島駅に停車中の車窓からの風景。吾妻小富士《アヅマコフジ》と一切経山《イッサイギョウザン》の眺め:

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車窓からの眺め@JR福島駅(拡大版)

福島を離れ山形へ向かっている途中、車窓から偶然、南陽市の山火事(当時)であろう煙を目撃した。そこから山形方面まで煙がたなびき、晴れなのに空気が霞んで見えたことを思い出す。こちらは、そんな状況を撮ろうした際に偶然にも写っていた上山城郷土資料館[e]時間の都合で、残念ながら今回は城攻めを断念した 😞️。

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上山城郷土資料館(民家の屋根の上)

新庄駅では在来線のホームに到着。改札口へ向かう途中、秋田行き奥羽本線の701系が停車しているのを目撃:

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701系@新庄駅

次は新庄駅でわざわざ出迎えてれくれたオブジェたち。まずはホームにて新庄市公式のイメージキャラクタである「かむてん」。神室山《カムロヤマ》に住む天狗をイメージしたものらしい:

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かむてん

駅構内には、国重要無形民俗文化財新庄まつりの主役であり、有名な歌舞伎を人形であしらえた山車が展示されていた:

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新庄まつりの山車

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新庄まつりの山車

この山車は実際に、昨年は令和5(2023)年の新庄まつりで練り歩いたものらしい。演目は鬼一法眼三略巻《キイチホウゲン・サンリャクノマキ》」。

そもそもこの新庄まつりの起源は、今回攻めてきた城跡(戸澤神社)と深い関係があるらしい。

そして「きてけろくん」とJR新庄駅の駅舎。きてけろくんは正面からだと分かりづらいが、横から見ると山形県の地形になっているのだとか:

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きてけろくん

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JR新庄駅

濠に囲まれた最上公園には歴史ある建築物が多くあった。その中で県指定建造物になっている天満神社脇に学問の神様である菅原道真公を祀った御堂があり、ちゃんと撫で牛《ナデベコ》がおいてあった:

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撫で牛

こちらは、最上公園近くある新庄ふるさと歴史センターの玄関ホールで見かけた隠明寺凧《オンミョウジダコ》:

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隠明寺凧(小型)

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隠明寺凧(大型)

一つ目の城攻めを終えて、次の城跡を攻めるためJR新庄駅へ向かっている途中に見かけたホテルの案内板。ちょっと興味津々なフレーズだけれど、何が小さいのだろうか?[f]「大浴場」ではなく「小浴場」とか? 😅️

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「日本でいちばんちいさな・セントラルホテル」

この日二つ目の城跡は天童市にあった天童(古)城。最寄りであるJR天童駅のホームや駅舎、その周辺はいかにも将棋の駒の形をイメージさせるようなデザインだった:

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@JR天童駅東口

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@ホーム

天童市の市制施行65周年を記念して建立された、このモニュメントの題字は羽生善治《ハブ・ヨシハル》棋士によるもの:

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駒のモニュメント(令和6年設置)

駅下の天童将棋史料館も、竜王で名人である藤井聡太棋士の活躍にあやかり将棋ブームを一段と盛り上げようとしているようだった(知らんけど):

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@天童将棋史料館

現在、天童城跡の一部は人間将棋でも有名な天童公園になっている。観覧席から将棋盤あたりが天童城の段曲輪だった:

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王将の碑

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観覧席から将棋盤

「王将」のモニュメントの題字は故・大山康晴棋士によるもの。六年前の平成30(2018)年には人間将棋の対局数が2千を越えて(2,362)ギネスに登録された:

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1会場で同時に対局した最多数でギネス登録

天童城の主郭は、この公園ではなく山道を登った愛宕神社が建つ場所である。実際に登ってきたのだが、なんとその境内でカモシカにばったり遭遇した。

軍神を祀る愛宕神社で今回の城攻めの成功を祈願したあと、主郭跡を歩いていると正面に白い物体が目に入った。一瞬、何かの剥製?まさか?と思った:0

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え!? 何かの剥製か?・・・

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・・・白いカモシカだった

色からして熊だとは思わなかったが、それでも一瞬、固まってしまった :D。すかさず撮影するも、特にこちらに驚いていた様子はなかった様に見えた。もしかして人間慣れしているのだろうか。それでも接近して縄張り?に入るのは回避し、早々に城攻めを済ませたあと下山しようとすると、今度は参道口の目の前で此方を凝視している:

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此方を凝視するカモシカ

むむっ。日も暮れそうな時間であり、下山してこの日最後の城攻めをしたかったので、あまり刺激しないようにゆっくり参道口へ回り込んで石段を下りて天童公園へ戻った 0:)

このあとは無事に下山し、天童織田藩[g]大六天魔王・織田信長の次男である信雄の子の系統が天童織田家になる。の政庁があった陣屋跡を巡ってきた。城跡は奥羽本線に分断され、宅地化の波に押しつぶされてしまったので特に遺構はない。そんな中、印象に残ったのがやはりこちらのマンホール。さすが将棋の街。詳細は日本マンホール蓋学会山形県天童市のマンホールを参照のこと:

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天童市の市章

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将棋の駒

 と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also新庄城攻め (フォト集)
See Also新庄藩と戸澤家 (フォト集)
See Also天童城攻め (フォト集)
See Also天童御陣屋攻め (フォト集)

参照

参照
a まぁ、いろいろあったけど 😅️。
b 実際にその日は雨だった 😞️。
c 帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。
d ぬるまラーメン!?。いわゆる山形県のソウルフード「冷やしラーメン」(冷やし中華ではない)の類 🤨️。
e 時間の都合で、残念ながら今回は城攻めを断念した 😞️。
f 「大浴場」ではなく「小浴場」とか? 😅️
g 大六天魔王・織田信長の次男である信雄の子の系統が天童織田家になる。

中華飯店 東華 − A Local Chinese Restaurant at MITO.

先週末は令和6(2024)年の雨水の候を過ぎた三連休の中日[a]【今日は何の日?】昭和天皇の大喪の礼《タイソウノレイ》が執り行われた日。に、八年前に攻めた近世城郭跡再び攻めてきた。自分が巡ってきた後に、二ノ丸大手門や二ノ丸角櫓が木造復元されたらしいとのことだったので。

関東地方は、この日が唯一天気が良く暖かいと云う予想だったので直前になって決めた :)。実際、考えることは皆同じで、結構な人出で駅前広場は賑わっていたし、恒例の梅まつりに併せたイベントをいろいろ見かけた。行きは上野から水戸まで久しぶりにJR常磐線を利用したのだが、うかつにも後方の車両(2号車/15車両)に乗ってしまい、途中の土浦で15→5車両に切り離しされたため前方車両へ移動する羽目に〜[b]遠かったし、当然ながら大変混んでいた😞️。以前も同じようなミスをしたような気がする・・・😣️。ただ水戸の一つ手前の偕楽園で人が一気に下りたのには少し驚いたが。 :$

午前中に城攻めを終えたあと、帰宅する前にBS番組で昨年末に紹介されていた水戸駅周辺の町中華でお昼を摂る予定であった。ただ三連休ともあって田舎は休みの店が多い[c]あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。ことが気がかりであったが :|。で、まずは水戸東照宮近くの「中華料理・晴華」へ行ってみると、気がかりが的中 :O

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「中華料理・晴華」はお休み

仕方がないのでもう一軒の店へ向かうために駅へ戻り、さらに南口広場を縦断して川を渡った先の中華飯店・東華へ。歩いているときに営業中のネオンが見えて一安心だった:)。番組でも紹介していたが、お隣は同じ家族経営の雀荘:

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(こちらは店を出た時の写真)

暖簾をくぐって店内へ入ると奥の座敷に家族連れが一組居ただけ。昼の部が11:00〜14:00で、店に入ったのが13:30過ぎなのでギリギリかもしれない。現に食事を終えて店を出たら既に暖簾が下りていたし。「お好きな席へどうぞ」とのことで、長テーブルの厨房よりに座ってメニューを眺める。店の前でランチメニューも見たが、ここは玉ちゃんの「パイコウ」つながりで、パイコウ飯+半ラーメンのセット(1,050円)を選択した。

このあとも予定があったので「喉の洗浄」は割愛し、料理が出てくるまで町中華のしきたりとして、少年漫画に目を通す。ジャンプ、マガジン、サンデーを一通り眺めたが、特に気を引くような作品には当たらなかった。どれも線が細くて昔の作画タッチと違和感があったし、なんか印刷も薄い感じがした :|。今は漫画もデジタルの時代だからだろうか。と昔を懐かしんでいると料理が出てきた:

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パイコウ飯+半ラーメンセット(1,050円)

パイコウ(排骨)とは台湾の夜市でよく食べられる衣を付けて豚肉を揚げたもの。御飯の上で、醤油ベースのタレがかかっており、同じタレをまとった焼きネギも添えられていた:

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パイコウ飯(排骨飯)

ラーメンはあっさり系の中華そば。メンマやチャーシュが大きくて食べごたえあり:

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半ラーメン

細麺は柔らかめ。鶏ベースのしょう油味はやや薄味だった。大部分の麺を一気に食べ終えたところでパイコウ飯へ:

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”肉肉しい”パイコウ

薄い衣をまとった豚肉は肉々しい脂が滲み出していた。これと焼きネギを御飯の上に載せて頂く:

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三位一体の絵

久しぶりに御飯モノが進んだ感じ。タレがいい感じだった 8)。寒い時期のネギは美味いねぇ。

こちらはレジ脇に掲げられていた玉ちゃんのサイン:

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玉ちゃんのサイン

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

中華飯店・東華
茨城県水戸市城南2丁目9-8

 

ここからはオマケ。
水戸と云うと、水戸駅と水戸黄門御一行:

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水戸駅の北口広場より

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黄門さま御一行

この日の水戸城跡は梅、うめ、梅づくしだった:
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弘道館公園の梅林

弘道館公園の梅林(偕楽園+弘道館の梅検索)から八重松島《ヤエ・マツシマ》は淡紅色で、見驚《ケンキョウ》は淡紅から移り白色:

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八重松島

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見驚

本丸(御本所)跡へ向かう本城橋あたりで見かけた梅(種類は不明):
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鮮やかなピンク色

こちらは鹿島神社の拝殿:

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御祭神は武甕槌神《タケミカヅチ》さま

その境内にあった神木鈴梅。水戸藩九代藩主・徳川斉昭《トクガワ・ナリアキ》(烈公)お手植えで鹿島神社の神木とされている。一見すると枯れ死しているようだが、ちゃんと生きている。木にまとった苔がその証拠らしい:

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神木鈴梅

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神木にまとった苔

こちらは三ノ丸跡に建つ茨城県庁の庁舎と、北三ノ丸跡に建っている水道の低区配水塔

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県庁@三ノ丸跡

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配水塔@北三ノ丸跡

令和2(2020)年に木造復元された二ノ丸の大手門:

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大手門(復元)

大手門の枡形虎口:

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枡形虎口跡

そして、同じく木造で復元された二ノ丸の角櫓。城内に八基あった隅櫓の一つ:

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二ノ丸角櫓

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二ノ丸角櫓

こちらは本丸(御本所)跡にある高校の敷地に移築された薬医門。本丸の表門にあたる橋詰御門と推定される。八年前は唯一の現存遺構であった[d]今は他にも城門の門扉や土塁などがある。

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薬医門@本丸跡

二ノ丸と本丸との間にあった堀切跡は現在はJR水郡線が通っている:

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堀跡を走る水郡線

本丸(御本所)の東側に置かれた下の丸跡も高校の敷地であるが、こちらはJR常磐線近くから眺めたもの(パノラマ):

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下の丸南側の城塁

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会茨城県のマンホールの解説を参照のこと:

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水戸市のマスコット

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水戸市の木

 と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also水戸城攻め(2) (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】昭和天皇の大喪の礼《タイソウノレイ》が執り行われた日。
b 遠かったし、当然ながら大変混んでいた😞️。以前も同じようなミスをしたような気がする・・・😣️。ただ水戸の一つ手前の偕楽園で人が一気に下りたのには少し驚いたが。
c あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。
d 今は他にも城門の門扉や土塁などがある。

讃岐うどん処・合掌松屋 − This is so the Sanuki Udon.

先週末は令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の初日[a]【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。に、栃木県下野市にある城跡を攻めてきた。

この日は、お昼を目標に城攻めを終えたら、最寄り駅であるJR宇都宮線の石橋駅へ戻る途中にあって創業90年を越す老舗食堂で、とんかつ定食でも食べてから長い帰宅の途につく予定だった。あらかじめ調べておいた時に、この食堂は昼と夜の二部構成で、昼の部は 13:30 がラストオーダーで 14:00 に閉店することは、しっかり頭に入れておいた。

今回の城跡は単郭ながら整備が行き届いていて見所が多く、予想外に時間をくってしまった。城跡から駅までは凡そ徒歩40分ほど。頑張って歩いて[b]往路は初めての土地なのでやや時間がかかったが、復路は信号などの障害を回避したり短縮できた 😎️。ラストオーダーに数分残したまま店前に到着できたのだが、なんと閉店時間を繰り上げたらしく、既に暖簾が下り「午前の営業は終りました」との張り紙が :O

この現実に直面したあと一層お腹が減ってきて、この際は選択肢はないと頭を切り替えて、周辺にある御食事処を探してみた。その時、日光街道(国道R4)を挟んだ所にある大衆割烹料理店の看板が目に入った。店前にはランチタイムのメニューがあって営業中であることをしっかりと確認。しかし暖簾をくぐるやいなや女将から営業終了を告げられた[c]あとで調べてみると、こちらは昼の部は 13:30 が閉店なので、完全な OUT of Service 🤨️ :O

もう、こうなったら何か腹に入れないと電車に乗れないなぁと思っている中、今いる場所から数分のところにあるうどん屋を偶然発見した[d]何か引き寄せられるかのように地図上に浮き上がってきたうどん屋の文字(ただのズーム効果だが)。もしかしたら、この日の運命だったのかもしれない 😃️。

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讃岐うどん処・合掌松屋

まだ暖簾が上がっていることを確認し、窓からは店内が見えたので、まずは一安心で暖簾をくぐった。一見するとテーブル席はだいぶ埋まっているようだったが、忙しそうな主人が奥にある二人席を案内してくれた。

この店は夫婦二人で切り盛りしているようで、水はセルフだし、注文を取りにきてくれるような雰囲気でもなかった :|。ひとまずメニューを見て「讃岐うどん」であることを知り、つけ汁うどん(豚肉汁)と天麩羅(たまご+鶏)に決めて、タイミングをみて注文を完了。この時、「うどんを茹でるのに15分ほどかかるけどいいですか?」と尋ねられたが、この際、腹に入れれるならば待ちましょう!ってことで「全然大丈夫です」と返した :D

注文が出てくるまでの間、メニューの脇にあった一冊のアルバムを眺めた。この中には、ご夫婦が讃岐うどん屋を始めるきっかけとして本場の四国でうどん屋巡りした時の話[e]特にオススメの店などが紹介されていた。や、四国の人たちの交流、試行錯誤で始めた讃岐うどん作りの話など、15分ではぜんぜん追いつかないくらいのストーリーが盛り込まれていた 8)

そして「お待たせしてすみません」の声と一緒に出てきた品がこちら:

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つけ汁うどん(950円)+天麩羅(350円)

まず最初に目についたのが、太くて形が不均一(non-uniformed)な「讃岐うどん」:

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普通盛りの讃岐うどん(冷)

本場四国の製粉所から取り寄せた小麦粉を玄関前の厨房で手打ちしているようで、その輝きから茹で上がりが見事なうどん。水や塩は店主自らが味わって選択したもの。

そして温かいつけ汁(ねぎと豚肉):

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つけ汁(豚肉汁)

そして薬味(天かすとネギ)と香の物、そして箸休めのデザート付き:

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白菜の漬物+天かす+ネギ+生姜とゼリー(?)

あつあつの天麩羅がこちら。四種から二種を選択するシステムながら、好物のいも天がオマケについていた 8)

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天麩羅二種+オマケ

手打ちの「讃岐うどん」と同様に、天麩羅粉や油はもちろん具材に不純物や添加物はなしとのこと。

最初はつけ汁と併せず、そのまま「讃岐うどん」を頂いたのだが、小麦の香りと甘さが直に伝わってきた上に、コシの凄さはこれまでのうどん人生で一番だった:

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素のままで十分に美味い

この「讃岐うどん」をつけ汁に付けて頂くと、素のコシがすーっと抜けた感じで、しっかりと噛み切れるほど柔らかくなる。これぞ「本場」の証 =)。「讃岐うどん」が太いので、一本一本しっかり頂くことで普通盛りでも十分に満足できた:

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一本ずつ頂く

天麩羅はそのままでいけた。うどんのチェイン店が出す使い古しで匂いがキツイ油ではないし、素材も良いので余計な味付けは不要と改めて思った。ホント、いも天は甘くて美味しかった:

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そのままで美味しい天麩羅

この日、この店にたどり着くまでの仕打ち(?)はどこへやら。大満足で店を出ることが出来た。また食べにきたい。たとえ攻める城がなくても :D

讃岐うどん処 合掌 松屋
栃木県下野市石橋207


ここからはオマケ。

こちらは城跡へ向かう途中にあった下野厄除け大師

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(城跡へショートカットできる?)

立派な山門(仁王門)とその境内:

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仁王門

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本堂や薬師堂があった

このお寺の隣がちょうど城跡なので、境内を横切って行けるか確認したが、途中に私有地があってショートカットは出来なかった :|

城跡の中はもちろん、周辺の案内図も整備されていて道に迷うことはなかった:

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数箇所に案内板あり

登城口前には二台分の駐車場があった:

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この先が城域(二ノ郭跡)

二ノ郭東側の堀跡:

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左手が主郭跡方面

二ノ郭南側にある堀跡近くに建っていた社:

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土塁跡に建てられていた社

二ノ郭跡に作られた遊歩道(登城道)には番犬がいた :D

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番犬?

案内板によると、植物の無断持ち出しがあるらしく、防犯カメラが作動中(?)とのことだった[f]この番犬の目にでも特殊なカメラがついているのだろうか 😁️。

二ノ郭との間にある主郭土橋:

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主郭南側の虎口

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主郭南側の堀

虎口から振り返って見た土橋:

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主郭虎口から見下ろした土橋と堀

虎口からみた 主郭跡。周囲には高い土塁が巡らされていた:

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主郭跡

主郭土塁上とそこから眺めた主郭跡:

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土塁上

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主郭跡

主郭を取り巻く堀跡にも下りてみた:

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主郭の堀跡

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会栃木県下野市のマンホールの解説を参照のこと:

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旧石橋町のマンホール蓋

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also児山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。
b 往路は初めての土地なのでやや時間がかかったが、復路は信号などの障害を回避したり短縮できた 😎️。
c あとで調べてみると、こちらは昼の部は 13:30 が閉店なので、完全な OUT of Service 🤨️
d 何か引き寄せられるかのように地図上に浮き上がってきたうどん屋の文字(ただのズーム効果だが)。もしかしたら、この日の運命だったのかもしれない 😃️。
e 特にオススメの店などが紹介されていた。
f この番犬の目にでも特殊なカメラがついているのだろうか 😁️。

登利平@深谷店 − A Lunch at Restaurant where was acclaimed for “Torijū”.

昨日は令和6(2024)年の大寒の候にあたる週末[a]【今日は何の日?】二十日正月《ハツカ・ショウガツ》。木曾(源)義仲が討死した日(旧暦)。は、南岸低気圧(South-Coast Cyclone)の襲来で前日から一転して天候が悪化した関東地方。今年一番の城攻めとして、天気が悪くなる前の午前中辺りで巡ってこれそうな埼玉県深谷市にある城跡[b]正確には内郭と外郭の境界となる城域部。へ。しかしながら、午後から雨と云う予報がハズレて、昼頃には冷たい雨が降ってきた。運良く城攻めを予定より30分くらい早めに終えることができたので、雨に打たれつつ早足でJR深谷駅へ向かっている途中に目に入ってきた御食事処の看板。冷たいし寒いしで、ひとまず入ってみることにした:

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見かけた看板

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上州御用鳥めし本舗・登利平@深谷店

入ってすぐ目の前には持ち帰りの受付カウンター[c]御食事の精算も兼ねていた。があって、初めは持ち帰り専門店かと思ったが、左手奥にテーブル席が6〜8席ほど見えたので、食事ができることは確認できた。既に大分テーブルは埋まっていたが、唯一空いていた二人用テーブルに通しもらえた :)

ここはテーブル上に置かれたタブレットから注文するシステム。メニューを眺めて三品あった定食系から鳥合わせ定食(1,200円)を注文。さらに眺めていると、焼き鳥を一本から注文できるようだったのでネギもも串(210円)を塩、レバー串(210円)をタレでそれぞれ追加した :D

これを書いているとき調べたのだけれど、この店は昭和時代の初めに群馬県前橋市で開業した鶏肉の精肉店が始まりらしく、のちに暖簾分けで御食事処の登利平《トリヘイ》を開店。ここの看板メニューにあった「鳥重(Torijū)」が好評だったらしい。チェイン店になった今、この店のホームページのお品書きには重ものや丼ものが掲載されていたけど、ここ深谷店には無く、メニューが限定されていたの気づいた :|

注文してから暫くして定食の御膳が出てきた。なんか想像していたセットよりも意外と豪華だったので少し驚いてしまった :D

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鳥合わせ定食(1,200円)

ライスは大盛り(+100円)にできるようだが、デフォルトのまま。サラダが乗った大皿に鶏モモの唐揚げ3個、サクサクした衣に包まれた鶏ムネのチキンカツ2個が乗っている。そして香の物とみそ汁が付く。

とにかく揚げたてなのが、冷たくなった身体に嬉しいし優しい :)

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から揚げとチキンカツの両方が味わえる

熱々のチキンカツは付け皿に入ったオリジナルのソースで頂く。おそらくソースかつ重でも使っている自家製だろう:

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やや辛めのソースに

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付けてさくっと頂く

テーブル席に置かれたマスタードを衣に付けて、ソースをまとった柔らかいチキンカツを噛むとか湯気がでる。

すると時間差で串ものがそれぞれ出てきた。こちらも焼き立てなのでジューシー。レバーは一部硬かったが、ネギもも串の方は塩味で、鶏肉の旨味を一層よく味わえた感じ:

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やや硬かったレバー串(210円)

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ネギもも串は塩で正解(210円)

鶏唐揚げは下味が付いていた。テーブルに置かれていた小袋のレモン汁をふりかけてそのまま食べた。合わせ定食と云うことでやや小ぶりの肉であったが美味かった:

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小ぶりの唐揚げ

最後に残ったご飯とチキンカツでソースかつ重風にして頂いた。結局、最後はこれが一番美味かったかも :D

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ソース漬けのチキンカツ

サラダもドレッシング二種(和風とベジタブル)あって良かったし、香の物も三種あって、これだけのボリュームで鶏肉を堪能できたので大満足だった 8)

登利平(深谷店)
埼玉県深谷市国済寺 332-21

 

ここからはオマケ。
 
深谷市と云えば、新一万円札の顔である渋沢栄一[d]個人的には、映画「帝都物語」で勝新太郎が演じていた渋沢栄一像が印象に残っている 🙂️。・生誕の地:
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渋沢栄一・生誕の地

 
 廰鼻和(庁鼻和)《コバナワ》城跡とされる臨在宗・常興山・国済寺。もともとは庁鼻和上杉氏の居館であり、のちに国済寺を開基したと云う:
 
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国済寺

この城は、その昔に攻めてきた深谷城の前身。江戸時代の建立と伝わる楼門形式の三門(市指定文化財)と、その柱に掲げられていた花入:

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梅と三門

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「わびさび」

 本堂。屋根の棟や鬼瓦に掲げられた大きな「上杉笹(竹に二羽飛び雀)」紋が目立っていた:

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本堂(正面)

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本堂(側面)

境内にある上杉憲英《ウエスギ・ノリフサ》公とその一族の墓所は市指定文化財:

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「史蹟・上杉憲英公墓所」

 国済寺境内とヤオコーとの間には土塁と堀が残っている:

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堀跡

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土塁と築山

 埼玉県を中心にスーパー(Grocery Shops)を展開するヤオコーが国済寺敷地内の店舗拡張と駐車場建設に伴い、事前に深谷市に発掘調査を依頼した結果、検出した堀跡や土塁が現在残っている(または埋没保存されている)。

城域(国済寺)の北を走る県道R263は旧中山道。往時は外郭と内郭の境界線であった。この通り沿いには寺院や崇拝所が残る。この愛宕神社も江戸時代に勧請された:

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旧中山道と愛宕神社

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会深谷市のマンホールの解説を参照のこと:

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旧深谷市の花「椿」と煉瓦風のデザイン

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旧深谷市のチューリップのデザイン

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also廰鼻和(庁鼻和)城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】二十日正月《ハツカ・ショウガツ》。木曾(源)義仲が討死した日(旧暦)。
b 正確には内郭と外郭の境界となる城域部。
c 御食事の精算も兼ねていた。
d 個人的には、映画「帝都物語」で勝新太郎が演じていた渋沢栄一像が印象に残っている 🙂️。

郡上八幡の城下町散策 − Waterways, Gujō Odori and Old townspace.

今年は令和5(2023)年のGW城攻めツアー2023は三泊四日で岐阜県を中心にいくつかの城攻めと古戦場跡巡りしてきた。

その三日目は、長良川と吉田川を天然の外堀とした郡上八幡城、城下町を流れる用水路、そして郡上おどりでも有名な郡上市八幡町へ。かって奥美濃の小京都とも呼ばれたこの古い町並みは、一部が国の重要伝統的建築物群保存地区にも指定されている。

午前中に城攻めを終えて、老舗の鰻屋でお昼を摂ったあと、城下町を散策してきた。

こちらは大手門跡あたりから見上げた城山(郡上八幡城)方面。城下町と云うことで直線のラインが多い。さらに、ここは大手道だったので幅も広い:

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郡上八幡城下町プラザの横あたり

左上には、つい三日前にリニューアルオープンした模擬天守が見える。町のどこからでも城のシンボルが見えるのは、さすが城下町。

こちらは郡上八幡博物館。「郡上おどり実演中」の幟があったが、夏になると一日中踊り明かすことで有名な郡上おどり。ユネスコの無形文化遺産に指定されているのだとか:

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郡上八幡博覧館

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流響の里にて

毎年8月13日から16日の4日間、徹夜で踊り明かす郡上おどりは「徹夜おどり」とも:

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郡上おどりの像

この銅像が建つ八幡町職人町通りの古い町並み。建ち並ぶ家の前には用水路がある。流れている水も清らかであるが、これは二度の大きな火事による教訓でもあるらしい:

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八幡町職人町本町通り

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用水路

細い脇路地にも用水路があり、町中には宗祇水《ソウギスイ》と呼ばれる湧水がある:

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脇路地の用水路

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この先に宗祇水がある

郡上市のマンホール蓋。清流を泳ぐアマゴ(川魚)を描いたデザイン:

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清流を泳ぐアマゴ

城下町からはどこからでも天守を眺めることができる:

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城下町と城山

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城山に建つ天守

小駄良川《コダラガワ》は吉田川の支流で一級河川。城下町の風景に溶け込む清流である:

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小駄良川

この川沿いにある大乗寺《ダイジョウジ》の山門は江戸時代後期の享和3(1803)年の建立で市指定重要文化財。門の上が鐘楼になっている鐘楼門型式。藤の花も見頃だった:

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大乗寺の山門

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藤の花も見頃

このあとは吉田川方面へ。城跡南側の崖沿いにはいくつかのオブジェがあった。

商売繁盛の神様を祀る神農薬師さま、そして学者・歌人と知られる折口信夫《オリグチ・シノブ》の歌碑。氏が郡上へ来遊した大正8(1919)年には大火に遭遇し、焼け跡の情景を歌に詠んだもの:

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神農薬師さま

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焼け原の 町のもなかを行く水の せせらぎ澄みて秋近つけり” (冒頭の一首)

郡上はこれまでに二度の大火に遭遇し、そのたびに水路を増やしたり整備が行われて、現在見るような用水路網ができあがったらしい。

こちらは吉田川にかかる新橋。この橋の欄干から12mほど下の吉田川に飛び込む人もいるようで、「不慣れな人」向けに警告が出ていた[a]実際、死亡事故が発生しているのだそうだが 😞️。

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吉田川に架かる新橋

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不慣れな人は駄目

この先は高山・下呂方面。ここから渓谷の間を流れる吉田川の眺めがすこぶるいい。右上は稚児山(標高817m)真ん中奥は京塚山(862m):

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吉田川と稚児山(拡大版)

こんな色の川なら飛び込んでみたくなる気持ちもわからなくもない:X。春先は観光客を迎えるために町内あげて川や用水路の清掃を行っているらしい:

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吉田川の水の色

もちろん川と渓谷の絵もいいが、こんな風景もなかなか:

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断崖上にへばりつく建物

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吉田川が運ぶ大量の水

橋を渡った先に建っていた郡上八幡旧庁舎記念館。その昔、この中にある食堂で豚一家がカレーを食べたらしい[b]中で観たメニューには、そんなカレーは無かったけど😞️。

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郡上八幡旧庁舎記念館

吉田川対岸から振り返って観たところ。この崖面上が城山こと郡上八幡城跡:

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吉田川に架かる新橋

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新橋と城山南の崖面

旧庁舎記念館脇の側道に置かれた椅子に座りながら、この渓流と周囲の景観を眺めてゆったりできるようになっていた :)

 

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吉田川に架かる新橋

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意外と巨岩が多い

旧庁舎記念館の駐車場脇には「いがわ小径」と云う用水路を利用した生活用道路への降り口がある:

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いがわ小径(降り口)

民家の用水路沿いに、幅1mほどの生活用道路が120mほど続く:

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いがわ小径

この町では古くから、生活に利用する小さい川や用水路などを総称して「いがわ」と呼んでいたらしい。生活用の水路とはいえ、きれいな水なので大きな鯉がたくさんいた:

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周囲は民家

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大きな鯉

小径の終点近くから吉田川の河原へ降りることができた:

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吉田川

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意外と巨岩が多い

河川敷を上がり、また城下町へ戻る:

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路地裏

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八幡町あたり

こちらは吉田川に注ぐ支流の一つである乙姫川(名広川):

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乙姫川

この川周辺は個性的で、どことなく懐かしさのあるお店が多かった :)

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靴・履物屋の「わだてつ」

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帽子屋の「宮田」

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魚屋の「ひらくす」

こちらは願蓮寺の山門。その昔、城主からの援軍要請で、この寺の住職らも僧兵として参陣し討ち死した記録が残るのだとか:

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願蓮寺の山門

このあたりから再び吉田川方面へ向ったが、そのとき笛(ホイッスル)の音が聞こえたので、振り返ってみると小学生が集団で下校する風景だった 8)。こんなのどかな風景を観て、ああ今日が平日だったことを思い出した ;)[c]ここで小学生らから挨拶の連続攻撃を受けることになる 😁️。もちんろん挨拶で迎え撃ったが 😆️。

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なんか懐かしい集団下校の風景😊️

吉田川に架かる宮ケ瀬橋からの眺めもよかった。吉田川がこの先で小駄良川と合流、さらにその奥で長良側へ合流するところの眺め:

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吉田川と小駄良川の合流点(拡大版)

さらに振り返って、先程の新橋方面の眺め。ここからも城のシンボルが見えた:

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宮ケ瀬橋上から新橋方面の眺め(拡大版)

橋を渡った先が八幡本町で、そのままバス乗り場がある城下町プラザへ戻った。

こちらは、その途中、酒屋の店先で目に入った「ゴジラフライ」なる食品サンプル:

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ゴジラの他にモスラも😄️

近くにあった貼り紙によると、この食品サンプルが作られたのは約35年前。この作者さんをず〜っと探しているようだが、まだ見つかっていない模様。

こちらは城下町プラザの眼の前にあった創作カフェで買った「新食感・冷やしわらび串(250円0」の黒蜜きなこ味。少し溶けてから食べるように云われたが、そんな暇無かったのでそのまま食べたら、新食感もなにも普通のアイスの食感だった :P

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小物屋を兼ねたカフェ・花籠

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冷やしわらび串

以上で城攻めと城下町散策を終え、人生初の郡上八幡をあとにした 0:)

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岐阜バス往復乗車券

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年5月 郡上八幡城下町 (フォト集)


ここからはオマケ。

この日は宿泊先最寄りの名鉄新羽島駅からスタート。この名鉄6800系に乗車して笠松経由で名鉄岐阜へ:

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新羽島から笠松経由で岐阜へ

そして、この日の帰りは大失敗した 。名鉄岐阜から笠松経由で宿泊先へ向かったのだが、笠松で下車せずにうっかりと乗り過ごしてしまった。なので、次の駅で下車し「連絡通路」を使って反対方面のホームから乗り換えようと思ったのだが、その「連絡通路」がどこにもない :0 。仕方なく一度改札を出て、線路を渡った先にあるもう一つの改札口から改めにて乗車するハメに :(:(:(

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絶対に忘れない駅名

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もう絶対に降りない駅

関東人的には「連絡通路」があって無料で乗り換えできると期待するのが普通なのだが、中京地区ではそれは普通ではないようだ :X

参照

参照
a 実際、死亡事故が発生しているのだそうだが 😞️。
b 中で観たメニューには、そんなカレーは無かったけど😞️。
c ここで小学生らから挨拶の連続攻撃を受けることになる 😁️。もちんろん挨拶で迎え撃ったが 😆️。