マンホールの蓋」タグアーカイブ

市中で見かけたマンホールの蓋の写真

八千代・彦根駅前店 − The Local food of Hikone City is not only Omi-Beef.

先月は令和6(2024)年のお盆休みは滋賀県と三重県で4泊5日の城攻めツアーへ行って来た[a]両県ともに人生初上陸 😉️。。今回、事前に調べてみると攻めてみたい城跡がいろいろ出てきた上に、直前に台風7号が発生[b]発生当初は本土への上陸の可能性が出ていた。結局は上陸することはなかったが 🙂️。したりしてスケジュールを組むのに苦労したが、何とか 8 つの城攻めに絞ることができた[c]実際はスケジュールどおり全て攻めきることはできなかったのだが 😁️。

初日[d]【今日は何の日?】北海道大学の前身である札幌農学校が開校した日。浅間山が噴火し11人の犠牲者がでた日。安土城跡。天気は晴天で気温35℃の中を、安土駅前からレンタサイクルで移動し、見学ルート(大手道ルート)を2.5時間ほどかけて登り下りしてきた。やや脱水状態で麓まで下りて、水分を補給してから、再びレンタサイクルで移動して東門跡・御茶屋平跡を攻めていたのだが、その途中で左足が痙って《つって》しまい、歩くだけでも難儀するほどになったので、無念ながら途中で下山した[e]収まって歩くとまた痙ると云った感じで、ホント下山するのもキツかったが、一応はレンタル時間もあったので堪えて下山した 😥️。。それから駅前へ戻る途中に安土城天主信長の館安土城郭資料館に立ち寄ってきた。

このあとレンタサイクルを返却し琵琶湖線で宿泊地の彦根まで移動。ホテルへ向かう前に駅西口にある御食事処で夕食を摂ることに:

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八千代 彦根駅前店

この日は早めのお昼を新幹線の中で頂いただけで、酷暑の中での登山とサイクリング中は水分(とアミノ酸)の補給だけで済ませていたせいで、ここに至っては完全に腹ぺこな状態 :D。まずは瓶ビール(500円)で喉を消毒し、そのアテに自家製だし巻き(650円)を頂いた:

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自家製だし巻き(650円)

関西ともあって甘い味のだし巻き。疲労がたまった身体にはやさしく落ち着く味だった。それからミニそば付きの「ひこね丼」(1,440円)を注文した:

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ひこね丼 with ミニそば(1,440円)

彦根市のご当地グルメの丼ぶり。これは「ひところ丼」が正式名らしく、近江牛のスジ肉、赤糸こんにゃくと普通の糸こんにゃく、玉ねぎを醤油ベースのタレで煮込み、温泉卵、青じそ、そしてネギと共に御飯の上にかけたものらしい。スジ肉は近江牛らしく、御飯は近江米とのことで調味料を除いた地産地消のコンセプトで作られた丼ぶり。赤色の糸こんにゃくは同県近江八幡市の特産品らしいが、やはり彦根藩祖で赤鬼と呼ばれた井伊直政にあやかっているっぽい:

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具材を混ぜて頂いた

牛丼とはまた違った味わいがあった。そして平たい蕎麦はやや温かったが美味しく頂けた。と云うことで「干食」(完食)。

八千代 彦根駅前店
滋賀県彦根市旭町9-1


ここからはオマケ。

初日であるこの日は、まず東海道新幹線のぞみ107号・広島行きで名古屋へ。車内では早めのお昼として駅弁(1,269円)を頂いた。茶飯の上に蛤、蛤仔、蜆、貝柱、焼き帆立がたっぷりのった食べ応えがある弁当:

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品川名物・貝づくし

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茶飯の上に貝がたっぷり

当時は8月8日に発生した巨大地震注意(南海トラフ地震臨時情報)を受けて静岡県の三島〜愛知県の三河安城まで速度を落としての運行のため、名古屋から次に乗り継ぐ新幹線こだま767号・新大阪行きの出発時間ギリギリに到着したのだが、全体的に他の列車も遅れが出ていたので「こだま767号」は出発せずに停車したままだった[f]オマケに乗り継ぐホームが到着した向かい側だったのもラッキーだった 😉️。。結局は一番に割りを食った「こだま767号」の出発は遅れたが、下車した米原からは予定通り琵琶湖線快速・加古川行に乗り継ぐことができ、予定通りに目的地である安土駅に到着 :)

それから駅北口一階にある観光案内所のロッカー(当時500円)に旅行バッグ一式を預け、安土城跡について情報を収集。加えて、案内所の人には安土城の東門跡や移築門について確認してみたが、なんとそれらの存在は初耳とのことで特に知っている以外の情報は得られず。え〜、地元の人間なのに知らないのか?と、なんか「灯台下暗し」の案内所だった :(

安土城跡へ向かう前に、ロータリーに建つ織田信長公像に挨拶する:

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織田信長公像

信長公と通りを挟んで向かい側にあるレンタサイクル屋でママチャリを5時間借りた(1,000円)。軽量タイプらしいが、普通のママチャリ。電動の場合、このレンタル時間だと+700円:

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レンタサイクル屋

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普通のママチャリ(1,000円/5時間)

まず向かったのは県道R201沿いのドラッグストア。そこで数本のポカリを調達。そこから県道R2へ真っ直ぐ向かう農道を走って城跡へ。この道からだと左手に安土城跡、右手に観音寺城跡を拝むことができる:

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安土城跡

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観音寺城跡

今回、夏場の観音寺城跡攻めは回避して安土城跡を選択したのだが、こちらも暑くて大変だったので、どちらが正解かは分からない :D

こちらは安土城郭資料館に展示されていた安土城と観音寺城のジオラマ:

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安土山と観音寺山のジオラマ

登城口兼券売所と、そこにあった見学ルートがこちら。安土城跡は国の特別史跡で入場料を支払う必要がある。また現在も傍らで発掘調査が行われているようで、公開されているのは本来の城域の一部のみ。たとえば大手道跡の石段を登って本丸跡と天主跡を巡り、摠見寺跡を経由して再び大手道跡へ戻ってくるコースでも、しっかり見て回ると往復1時間では全然足りない :|

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登城口兼券売所

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安土城址・推奨ルート

入場料(大人700円/当時)を払って大手道跡の石段を登る:

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大手道跡

大手道沿いには家臣らの屋敷があったと云う。たとえば伝・羽柴秀吉邸跡は上段と下段の二段構えだったらしい:

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伝・羽柴秀吉邸跡(上段)

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伝・羽柴秀吉邸跡(下段)

大手道から七曲りに入るあたりから振り返って麓(大手門跡)を見下ろしたところ:

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大手道頂部からの眺め

安土城築城の際に石材が足りなくて近隣の寺院などから石仏や墓石を集めて使用したことは知られている:

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大手道脇に残る石仏

伝・織田信忠邸跡から本丸跡へ、更に尾根道の石段を登る:

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尾根道

尾根道の頂部は櫓門形式の黒金門が建っていた枡形虎口跡:

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黒金門台座石垣

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桝形虎口跡

黒金門跡を過ぎた腰郭跡から更に櫓門跡を経て伝・二の丸跡へ向かう:

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腰郭跡

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櫓門跡

二の丸も上段と下段の二段構えと伝わる。上段には、現在は信長公本廟がある:

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伝・二の丸(下段)

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伝・二の丸(上段)ある信長公本廟

この御廟所は、本䏻寺の変の翌年に羽柴秀吉が織田一族や旧家臣らを集めて一周忌法要を行ったとされる場所で、信長遺愛の太刀や烏帽子、直垂《ヒタタレ》などが埋葬されたとも。また昨年は令和5(2023)年に御廟の門が真新しく改築された。

そして伝・本丸(本丸御殿)跡:

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伝・本丸(本丸御殿)跡(拡大版)

向かって右手が本丸御殿跡で、正面が本丸御殿から伸びた屋根付きの廊下であった本丸取付台跡。石段を登った左手上が天主台跡。

本丸跡奥の伝・三の丸石垣の石材には焼け焦げた跡が今も残る:

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赤茶色した石材

本丸取付台の石段と天主台へ向かう石段:

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本丸取付台の石段

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天主台跡

こちらは信長の館で展示されていた地上6階・地下1階の天主(想像)の模型:

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天主(想像)の模型

実際の天主地階面(地下1階部分)、いわゆる穴蔵跡がこちら:

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天主地階面(穴蔵)跡(拡大版)

こちらは信長の館で観覧した天主最上部二層(5階と6階部分)の原寸大の復元:

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天主最上部二層部(1/1)

さらに安土城郭資料館に展示されていた天主の分割模型(1/20):

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天主の移動分割式の模型(1/20)

天守台に上がって(現代の)琵琶湖を眺めると随分と遠くに見えたが、往時は城下まで琵琶湖だったらしい:

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天主台上から長浜方面の眺め(拡大版)

このあとは伝・本丸跡を下りて摠見寺跡方面へ向かう。摠見寺は安土城築城の際に城下にあった社寺を城内に移築したもの。本䏻寺の変後の焼失を免れたものの、江戸時代に本堂を初めとする主要な建造物を焼失した。現在残っているのは三重塔と仁王門(共に重要文化財)、そして裏門[g]明治時代に、城跡近くにある超光寺の山門に移築さている。こちらは後日、足を運んで見に行った 🙂️。

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摠見寺の仁王門は重要文化財

そして摠見寺曲輪跡からの眺望。見えているのは西の湖。往時は、そのあたりまで琵琶湖だった:

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摠見寺曲輪跡からの眺望

こちらは城跡で見たその他のオブジェ:

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非公式キャラの弥助

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天下布武の草刈り機

これは宣教師が描いたとされる信長の肖像画(コピー)。実物は、この年のGWに攻めた天童陣屋跡ゆかりの天童織田藩の菩提寺にある:

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信長の肖像画

最後は城跡で見かけたマンホール。刻印にある ANZUCCI の文字は、往時の宣教師による「安土」のポルトガル語表記。詳細は日本マンホール蓋学会近江八幡市のマンホールを参照のこと:

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永楽通宝(ANZUCCI)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also安土城攻め (フォト集)
See Also2024年8月 信長の館と安土城郭資料館巡り (フォト集)

参照

参照
a 両県ともに人生初上陸 😉️。
b 発生当初は本土への上陸の可能性が出ていた。結局は上陸することはなかったが 🙂️。
c 実際はスケジュールどおり全て攻めきることはできなかったのだが 😁️。
d 【今日は何の日?】北海道大学の前身である札幌農学校が開校した日。浅間山が噴火し11人の犠牲者がでた日。
e 収まって歩くとまた痙ると云った感じで、ホント下山するのもキツかったが、一応はレンタル時間もあったので堪えて下山した 😥️。
f オマケに乗り継ぐホームが到着した向かい側だったのもラッキーだった 😉️。
g 明治時代に、城跡近くにある超光寺の山門に移築さている。こちらは後日、足を運んで見に行った 🙂️。

一茶庵支店 − This Ramen is like a So-men.

今年は令和6(2024)年のGWは暦通りに休めたものの、諸所の手配に出遅れてしまい、宿泊先を確保できた後半に二泊三日の日程で山形県の城跡をいくつか攻めてきた。その中では八年前に初めて山形県入りして以来、いつか行きたいと気になっていた長谷堂城跡とその古戦場跡を巡れたことが一番の収穫だった[a]まぁ、いろいろあったけど 😅️。。また前回の山形入りでは失念して残念な思いをした奥羽国・山形藩・初代藩主の最上義光公ら一族ゆかりの菩提寺も参詣してきた :)。最終日は雨の予報だった[b]実際にその日は雨だった 😞️。ので、時間内に行ける城跡などを詰め込めるだけ詰め込んだった感じの日程で、毎日が濃厚で疲労との戦いの二日間でもあった[c]帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。 :D

東北地方も夏日になった初日は、新庄にある城跡からスタート。東京から新庄までは新幹線で一本。午前中に到着することができたので、城跡へ向かう途中で腹ごなしすることに。山形県は「ラーメン県」と云うことで予め調べておいたラーメン屋へ:

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元祖とりもつラーメンの一茶庵支店

「元祖とりもつラーメン」と銘を打つ店の前には行列はなかったけど、暖簾をくぐって店に入るとテーブル席や奥にある広めの座敷は客で一杯だった。まだ開店して15分くらいなのに:O

この時、かろうじてカウンター席が空いていて店員に促されるまま移動、既に何を注文するかは決めてきたが、一応は真上に掲げられていたメニューを一通り眺めた[d]ぬるまラーメン!?。いわゆる山形県のソウルフード「冷やしラーメン」(冷やし中華ではない)の類 🤨️。

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メニューはこれだけ

初来店と云うことで、ここはお店オススメの「もつラーメン」(700円)を注文し、セルフでお冷を取って席についた。カウンター席の目の前は厨房になっていて、店主が大きな窯鍋で麺を茹でていた。また注文はカウンター越しに厨房にいる店員に告げるシステムだった。

そんな中、厨房にいたおばちゃんが、注文を聞いたあと、その人の名前を聞いてノートに書き入れているのに気づいた。そう云えば、頭上にはこんな注意書きもあった:

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「注文の際は名前をお願いします」!?

どうやら注文は席ではなく名前で区別し、その名前で支払いを請求しているようであった。自分の場合は名前を聞かれなかったのだが、それは目の前にいるカウンター席だからだろうか:|

自分の背中越しに注文していく人が出始めた頃、注文した品がカウンター越しに出てきた:

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もつラーメン(700円)

あっさり醤油ベースのスープに、まるで素麺かのように白い麺の上にネギと細切りのメンマ、そして主役となる鶏のモツ煮がのっていた。麺は見た感じそのもので、コシは無く、まさに素麺かうどんをすするようにして頂くことができた。主役もモツは固くないのに、しっかりと食感を楽しむことができ、スープにも相性バグツンだった :)

と云うことで「干食」(完食)。店名と電話番号がはいったドンブリは、年季のあるラーメン屋の証である 8)

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ごちそうさまでした!

ドンブリと勘定をカウンターにのせて席を立ち振り返ると、結構な客が席待ちしていた。おそらく既に名前を伝え注文し終えた人たちであろう。

次にきた時は熱〜いスープの中に冷たい麺を放り込んでもらう「ぬるまラーメン」の鶏モツ・トッピングで行ってみよう:D

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

一茶庵支店
山形県新庄市鉄砲町10-3


ここからはオマケ。

初日の午前中はまずJR東京駅から新庄駅まで移動。こちらは(福島駅まで一緒に走行した)E5系はやぶさ。そして山形新幹線E3系つばさ。新庄駅では在来線に乗り入れていた:

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E5系はやぶさ@東京駅

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E3系つばさ@新庄駅

東京駅から乗車してすぐ、買っておいた駅弁(1,300円)を頂いた:

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仙臺名物・炭火焼風・牛たん弁当(南蛮味噌漬け+塩竈の藻塩付き)

弁当箱の底に加熱装置が付いていて、紐を引っ張ると湯気が出るほど温かくなる仕組み。下手すると火傷するくらい一瞬で高温になるなんて、なんとも日本人的な発想と技術である 8)。南蛮味噌漬けは猛烈に辛かったし、温かいおかげで一層美味しくいただけるのは確かなのだが、マジで温かい弁当はちょっと駅弁らしくないと思うのは自分だけだろうか。この仕組みのおかげで御飯は少ないし、値段も割高である。ぜひ廉価版を出してほしいところ :D

そして(はやぶさ切り離しのため)福島駅に停車中の車窓からの風景。吾妻小富士《アヅマコフジ》と一切経山《イッサイギョウザン》の眺め:

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車窓からの眺め@JR福島駅(拡大版)

福島を離れ山形へ向かっている途中、車窓から偶然、南陽市の山火事(当時)であろう煙を目撃した。そこから山形方面まで煙がたなびき、晴れなのに空気が霞んで見えたことを思い出す。こちらは、そんな状況を撮ろうした際に偶然にも写っていた上山城郷土資料館[e]時間の都合で、残念ながら今回は城攻めを断念した 😞️。

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上山城郷土資料館(民家の屋根の上)

新庄駅では在来線のホームに到着。改札口へ向かう途中、秋田行き奥羽本線の701系が停車しているのを目撃:

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701系@新庄駅

次は新庄駅でわざわざ出迎えてれくれたオブジェたち。まずはホームにて新庄市公式のイメージキャラクタである「かむてん」。神室山《カムロヤマ》に住む天狗をイメージしたものらしい:

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かむてん

駅構内には、国重要無形民俗文化財新庄まつりの主役であり、有名な歌舞伎を人形であしらえた山車が展示されていた:

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新庄まつりの山車

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新庄まつりの山車

この山車は実際に、昨年は令和5(2023)年の新庄まつりで練り歩いたものらしい。演目は鬼一法眼三略巻《キイチホウゲン・サンリャクノマキ》」。

そもそもこの新庄まつりの起源は、今回攻めてきた城跡(戸澤神社)と深い関係があるらしい。

そして「きてけろくん」とJR新庄駅の駅舎。きてけろくんは正面からだと分かりづらいが、横から見ると山形県の地形になっているのだとか:

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きてけろくん

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JR新庄駅

濠に囲まれた最上公園には歴史ある建築物が多くあった。その中で県指定建造物になっている天満神社脇に学問の神様である菅原道真公を祀った御堂があり、ちゃんと撫で牛《ナデベコ》がおいてあった:

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撫で牛

こちらは、最上公園近くある新庄ふるさと歴史センターの玄関ホールで見かけた隠明寺凧《オンミョウジダコ》:

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隠明寺凧(小型)

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隠明寺凧(大型)

一つ目の城攻めを終えて、次の城跡を攻めるためJR新庄駅へ向かっている途中に見かけたホテルの案内板。ちょっと興味津々なフレーズだけれど、何が小さいのだろうか?[f]「大浴場」ではなく「小浴場」とか? 😅️

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「日本でいちばんちいさな・セントラルホテル」

この日二つ目の城跡は天童市にあった天童(古)城。最寄りであるJR天童駅のホームや駅舎、その周辺はいかにも将棋の駒の形をイメージさせるようなデザインだった:

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@JR天童駅東口

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@ホーム

天童市の市制施行65周年を記念して建立された、このモニュメントの題字は羽生善治《ハブ・ヨシハル》棋士によるもの:

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駒のモニュメント(令和6年設置)

駅下の天童将棋史料館も、竜王で名人である藤井聡太棋士の活躍にあやかり将棋ブームを一段と盛り上げようとしているようだった(知らんけど):

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@天童将棋史料館

現在、天童城跡の一部は人間将棋でも有名な天童公園になっている。観覧席から将棋盤あたりが天童城の段曲輪だった:

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王将の碑

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観覧席から将棋盤

「王将」のモニュメントの題字は故・大山康晴棋士によるもの。六年前の平成30(2018)年には人間将棋の対局数が2千を越えて(2,362)ギネスに登録された:

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1会場で同時に対局した最多数でギネス登録

天童城の主郭は、この公園ではなく山道を登った愛宕神社が建つ場所である。実際に登ってきたのだが、なんとその境内でカモシカにばったり遭遇した。

軍神を祀る愛宕神社で今回の城攻めの成功を祈願したあと、主郭跡を歩いていると正面に白い物体が目に入った。一瞬、何かの剥製?まさか?と思った:0

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え!? 何かの剥製か?・・・

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・・・白いカモシカだった

色からして熊だとは思わなかったが、それでも一瞬、固まってしまった :D。すかさず撮影するも、特にこちらに驚いていた様子はなかった様に見えた。もしかして人間慣れしているのだろうか。それでも接近して縄張り?に入るのは回避し、早々に城攻めを済ませたあと下山しようとすると、今度は参道口の目の前で此方を凝視している:

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此方を凝視するカモシカ

むむっ。日も暮れそうな時間であり、下山してこの日最後の城攻めをしたかったので、あまり刺激しないようにゆっくり参道口へ回り込んで石段を下りて天童公園へ戻った 0:)

このあとは無事に下山し、天童織田藩[g]大六天魔王・織田信長の次男である信雄の子の系統が天童織田家になる。の政庁があった陣屋跡を巡ってきた。城跡は奥羽本線に分断され、宅地化の波に押しつぶされてしまったので特に遺構はない。そんな中、印象に残ったのがやはりこちらのマンホール。さすが将棋の街。詳細は日本マンホール蓋学会山形県天童市のマンホールを参照のこと:

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天童市の市章

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将棋の駒

 と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also新庄城攻め (フォト集)
See Also新庄藩と戸澤家 (フォト集)
See Also天童城攻め (フォト集)
See Also天童御陣屋攻め (フォト集)

参照

参照
a まぁ、いろいろあったけど 😅️。
b 実際にその日は雨だった 😞️。
c 帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。
d ぬるまラーメン!?。いわゆる山形県のソウルフード「冷やしラーメン」(冷やし中華ではない)の類 🤨️。
e 時間の都合で、残念ながら今回は城攻めを断念した 😞️。
f 「大浴場」ではなく「小浴場」とか? 😅️
g 大六天魔王・織田信長の次男である信雄の子の系統が天童織田家になる。

中華飯店 東華 − A Local Chinese Restaurant at MITO.

先週末は令和6(2024)年の雨水の候を過ぎた三連休の中日[a]【今日は何の日?】昭和天皇の大喪の礼《タイソウノレイ》が執り行われた日。に、八年前に攻めた近世城郭跡再び攻めてきた。自分が巡ってきた後に、二ノ丸大手門や二ノ丸角櫓が木造復元されたらしいとのことだったので。

関東地方は、この日が唯一天気が良く暖かいと云う予想だったので直前になって決めた :)。実際、考えることは皆同じで、結構な人出で駅前広場は賑わっていたし、恒例の梅まつりに併せたイベントをいろいろ見かけた。行きは上野から水戸まで久しぶりにJR常磐線を利用したのだが、うかつにも後方の車両(2号車/15車両)に乗ってしまい、途中の土浦で15→5車両に切り離しされたため前方車両へ移動する羽目に〜[b]遠かったし、当然ながら大変混んでいた😞️。以前も同じようなミスをしたような気がする・・・😣️。ただ水戸の一つ手前の偕楽園で人が一気に下りたのには少し驚いたが。 :$

午前中に城攻めを終えたあと、帰宅する前にBS番組で昨年末に紹介されていた水戸駅周辺の町中華でお昼を摂る予定であった。ただ三連休ともあって田舎は休みの店が多い[c]あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。ことが気がかりであったが :|。で、まずは水戸東照宮近くの「中華料理・晴華」へ行ってみると、気がかりが的中 :O

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「中華料理・晴華」はお休み

仕方がないのでもう一軒の店へ向かうために駅へ戻り、さらに南口広場を縦断して川を渡った先の中華飯店・東華へ。歩いているときに営業中のネオンが見えて一安心だった:)。番組でも紹介していたが、お隣は同じ家族経営の雀荘:

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(こちらは店を出た時の写真)

暖簾をくぐって店内へ入ると奥の座敷に家族連れが一組居ただけ。昼の部が11:00〜14:00で、店に入ったのが13:30過ぎなのでギリギリかもしれない。現に食事を終えて店を出たら既に暖簾が下りていたし。「お好きな席へどうぞ」とのことで、長テーブルの厨房よりに座ってメニューを眺める。店の前でランチメニューも見たが、ここは玉ちゃんの「パイコウ」つながりで、パイコウ飯+半ラーメンのセット(1,050円)を選択した。

このあとも予定があったので「喉の洗浄」は割愛し、料理が出てくるまで町中華のしきたりとして、少年漫画に目を通す。ジャンプ、マガジン、サンデーを一通り眺めたが、特に気を引くような作品には当たらなかった。どれも線が細くて昔の作画タッチと違和感があったし、なんか印刷も薄い感じがした :|。今は漫画もデジタルの時代だからだろうか。と昔を懐かしんでいると料理が出てきた:

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パイコウ飯+半ラーメンセット(1,050円)

パイコウ(排骨)とは台湾の夜市でよく食べられる衣を付けて豚肉を揚げたもの。御飯の上で、醤油ベースのタレがかかっており、同じタレをまとった焼きネギも添えられていた:

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パイコウ飯(排骨飯)

ラーメンはあっさり系の中華そば。メンマやチャーシュが大きくて食べごたえあり:

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半ラーメン

細麺は柔らかめ。鶏ベースのしょう油味はやや薄味だった。大部分の麺を一気に食べ終えたところでパイコウ飯へ:

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”肉肉しい”パイコウ

薄い衣をまとった豚肉は肉々しい脂が滲み出していた。これと焼きネギを御飯の上に載せて頂く:

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三位一体の絵

久しぶりに御飯モノが進んだ感じ。タレがいい感じだった 8)。寒い時期のネギは美味いねぇ。

こちらはレジ脇に掲げられていた玉ちゃんのサイン:

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玉ちゃんのサイン

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

中華飯店・東華
茨城県水戸市城南2丁目9-8

 

ここからはオマケ。
水戸と云うと、水戸駅と水戸黄門御一行:

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水戸駅の北口広場より

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黄門さま御一行

この日の水戸城跡は梅、うめ、梅づくしだった:
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弘道館公園の梅林

弘道館公園の梅林(偕楽園+弘道館の梅検索)から八重松島《ヤエ・マツシマ》は淡紅色で、見驚《ケンキョウ》は淡紅から移り白色:

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八重松島

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見驚

本丸(御本所)跡へ向かう本城橋あたりで見かけた梅(種類は不明):
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鮮やかなピンク色

こちらは鹿島神社の拝殿:

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御祭神は武甕槌神《タケミカヅチ》さま

その境内にあった神木鈴梅。水戸藩九代藩主・徳川斉昭《トクガワ・ナリアキ》(烈公)お手植えで鹿島神社の神木とされている。一見すると枯れ死しているようだが、ちゃんと生きている。木にまとった苔がその証拠らしい:

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神木鈴梅

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神木にまとった苔

こちらは三ノ丸跡に建つ茨城県庁の庁舎と、北三ノ丸跡に建っている水道の低区配水塔

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県庁@三ノ丸跡

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配水塔@北三ノ丸跡

令和2(2020)年に木造復元された二ノ丸の大手門:

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大手門(復元)

大手門の枡形虎口:

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枡形虎口跡

そして、同じく木造で復元された二ノ丸の角櫓。城内に八基あった隅櫓の一つ:

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二ノ丸角櫓

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二ノ丸角櫓

こちらは本丸(御本所)跡にある高校の敷地に移築された薬医門。本丸の表門にあたる橋詰御門と推定される。八年前は唯一の現存遺構であった[d]今は他にも城門の門扉や土塁などがある。

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薬医門@本丸跡

二ノ丸と本丸との間にあった堀切跡は現在はJR水郡線が通っている:

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堀跡を走る水郡線

本丸(御本所)の東側に置かれた下の丸跡も高校の敷地であるが、こちらはJR常磐線近くから眺めたもの(パノラマ):

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下の丸南側の城塁

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会茨城県のマンホールの解説を参照のこと:

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水戸市のマスコット

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水戸市の木

 と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also水戸城攻め(2) (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】昭和天皇の大喪の礼《タイソウノレイ》が執り行われた日。
b 遠かったし、当然ながら大変混んでいた😞️。以前も同じようなミスをしたような気がする・・・😣️。ただ水戸の一つ手前の偕楽園で人が一気に下りたのには少し驚いたが。
c あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。
d 今は他にも城門の門扉や土塁などがある。

讃岐うどん処・合掌松屋 − This is so the Sanuki Udon.

先週末は令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の初日[a]【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。に、栃木県下野市にある城跡を攻めてきた。

この日は、お昼を目標に城攻めを終えたら、最寄り駅であるJR宇都宮線の石橋駅へ戻る途中にあって創業90年を越す老舗食堂で、とんかつ定食でも食べてから長い帰宅の途につく予定だった。あらかじめ調べておいた時に、この食堂は昼と夜の二部構成で、昼の部は 13:30 がラストオーダーで 14:00 に閉店することは、しっかり頭に入れておいた。

今回の城跡は単郭ながら整備が行き届いていて見所が多く、予想外に時間をくってしまった。城跡から駅までは凡そ徒歩40分ほど。頑張って歩いて[b]往路は初めての土地なのでやや時間がかかったが、復路は信号などの障害を回避したり短縮できた 😎️。ラストオーダーに数分残したまま店前に到着できたのだが、なんと閉店時間を繰り上げたらしく、既に暖簾が下り「午前の営業は終りました」との張り紙が :O

この現実に直面したあと一層お腹が減ってきて、この際は選択肢はないと頭を切り替えて、周辺にある御食事処を探してみた。その時、日光街道(国道R4)を挟んだ所にある大衆割烹料理店の看板が目に入った。店前にはランチタイムのメニューがあって営業中であることをしっかりと確認。しかし暖簾をくぐるやいなや女将から営業終了を告げられた[c]あとで調べてみると、こちらは昼の部は 13:30 が閉店なので、完全な OUT of Service 🤨️ :O

もう、こうなったら何か腹に入れないと電車に乗れないなぁと思っている中、今いる場所から数分のところにあるうどん屋を偶然発見した[d]何か引き寄せられるかのように地図上に浮き上がってきたうどん屋の文字(ただのズーム効果だが)。もしかしたら、この日の運命だったのかもしれない 😃️。

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讃岐うどん処・合掌松屋

まだ暖簾が上がっていることを確認し、窓からは店内が見えたので、まずは一安心で暖簾をくぐった。一見するとテーブル席はだいぶ埋まっているようだったが、忙しそうな主人が奥にある二人席を案内してくれた。

この店は夫婦二人で切り盛りしているようで、水はセルフだし、注文を取りにきてくれるような雰囲気でもなかった :|。ひとまずメニューを見て「讃岐うどん」であることを知り、つけ汁うどん(豚肉汁)と天麩羅(たまご+鶏)に決めて、タイミングをみて注文を完了。この時、「うどんを茹でるのに15分ほどかかるけどいいですか?」と尋ねられたが、この際、腹に入れれるならば待ちましょう!ってことで「全然大丈夫です」と返した :D

注文が出てくるまでの間、メニューの脇にあった一冊のアルバムを眺めた。この中には、ご夫婦が讃岐うどん屋を始めるきっかけとして本場の四国でうどん屋巡りした時の話[e]特にオススメの店などが紹介されていた。や、四国の人たちの交流、試行錯誤で始めた讃岐うどん作りの話など、15分ではぜんぜん追いつかないくらいのストーリーが盛り込まれていた 8)

そして「お待たせしてすみません」の声と一緒に出てきた品がこちら:

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つけ汁うどん(950円)+天麩羅(350円)

まず最初に目についたのが、太くて形が不均一(non-uniformed)な「讃岐うどん」:

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普通盛りの讃岐うどん(冷)

本場四国の製粉所から取り寄せた小麦粉を玄関前の厨房で手打ちしているようで、その輝きから茹で上がりが見事なうどん。水や塩は店主自らが味わって選択したもの。

そして温かいつけ汁(ねぎと豚肉):

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つけ汁(豚肉汁)

そして薬味(天かすとネギ)と香の物、そして箸休めのデザート付き:

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白菜の漬物+天かす+ネギ+生姜とゼリー(?)

あつあつの天麩羅がこちら。四種から二種を選択するシステムながら、好物のいも天がオマケについていた 8)

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天麩羅二種+オマケ

手打ちの「讃岐うどん」と同様に、天麩羅粉や油はもちろん具材に不純物や添加物はなしとのこと。

最初はつけ汁と併せず、そのまま「讃岐うどん」を頂いたのだが、小麦の香りと甘さが直に伝わってきた上に、コシの凄さはこれまでのうどん人生で一番だった:

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素のままで十分に美味い

この「讃岐うどん」をつけ汁に付けて頂くと、素のコシがすーっと抜けた感じで、しっかりと噛み切れるほど柔らかくなる。これぞ「本場」の証 =)。「讃岐うどん」が太いので、一本一本しっかり頂くことで普通盛りでも十分に満足できた:

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一本ずつ頂く

天麩羅はそのままでいけた。うどんのチェイン店が出す使い古しで匂いがキツイ油ではないし、素材も良いので余計な味付けは不要と改めて思った。ホント、いも天は甘くて美味しかった:

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そのままで美味しい天麩羅

この日、この店にたどり着くまでの仕打ち(?)はどこへやら。大満足で店を出ることが出来た。また食べにきたい。たとえ攻める城がなくても :D

讃岐うどん処 合掌 松屋
栃木県下野市石橋207


ここからはオマケ。

こちらは城跡へ向かう途中にあった下野厄除け大師

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(城跡へショートカットできる?)

立派な山門(仁王門)とその境内:

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仁王門

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本堂や薬師堂があった

このお寺の隣がちょうど城跡なので、境内を横切って行けるか確認したが、途中に私有地があってショートカットは出来なかった :|

城跡の中はもちろん、周辺の案内図も整備されていて道に迷うことはなかった:

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数箇所に案内板あり

登城口前には二台分の駐車場があった:

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この先が城域(二ノ郭跡)

二ノ郭東側の堀跡:

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左手が主郭跡方面

二ノ郭南側にある堀跡近くに建っていた社:

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土塁跡に建てられていた社

二ノ郭跡に作られた遊歩道(登城道)には番犬がいた :D

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番犬?

案内板によると、植物の無断持ち出しがあるらしく、防犯カメラが作動中(?)とのことだった[f]この番犬の目にでも特殊なカメラがついているのだろうか 😁️。

二ノ郭との間にある主郭土橋:

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主郭南側の虎口

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主郭南側の堀

虎口から振り返って見た土橋:

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主郭虎口から見下ろした土橋と堀

虎口からみた 主郭跡。周囲には高い土塁が巡らされていた:

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主郭跡

主郭土塁上とそこから眺めた主郭跡:

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土塁上

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主郭跡

主郭を取り巻く堀跡にも下りてみた:

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主郭の堀跡

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会栃木県下野市のマンホールの解説を参照のこと:

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旧石橋町のマンホール蓋

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also児山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。
b 往路は初めての土地なのでやや時間がかかったが、復路は信号などの障害を回避したり短縮できた 😎️。
c あとで調べてみると、こちらは昼の部は 13:30 が閉店なので、完全な OUT of Service 🤨️
d 何か引き寄せられるかのように地図上に浮き上がってきたうどん屋の文字(ただのズーム効果だが)。もしかしたら、この日の運命だったのかもしれない 😃️。
e 特にオススメの店などが紹介されていた。
f この番犬の目にでも特殊なカメラがついているのだろうか 😁️。

登利平@深谷店 − A Lunch at Restaurant where was acclaimed for “Torijū”.

昨日は令和6(2024)年の大寒の候にあたる週末[a]【今日は何の日?】二十日正月《ハツカ・ショウガツ》。木曾(源)義仲が討死した日(旧暦)。は、南岸低気圧(South-Coast Cyclone)の襲来で前日から一転して天候が悪化した関東地方。今年一番の城攻めとして、天気が悪くなる前の午前中辺りで巡ってこれそうな埼玉県深谷市にある城跡[b]正確には内郭と外郭の境界となる城域部。へ。しかしながら、午後から雨と云う予報がハズレて、昼頃には冷たい雨が降ってきた。運良く城攻めを予定より30分くらい早めに終えることができたので、雨に打たれつつ早足でJR深谷駅へ向かっている途中に目に入ってきた御食事処の看板。冷たいし寒いしで、ひとまず入ってみることにした:

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見かけた看板

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上州御用鳥めし本舗・登利平@深谷店

入ってすぐ目の前には持ち帰りの受付カウンター[c]御食事の精算も兼ねていた。があって、初めは持ち帰り専門店かと思ったが、左手奥にテーブル席が6〜8席ほど見えたので、食事ができることは確認できた。既に大分テーブルは埋まっていたが、唯一空いていた二人用テーブルに通しもらえた :)

ここはテーブル上に置かれたタブレットから注文するシステム。メニューを眺めて三品あった定食系から鳥合わせ定食(1,200円)を注文。さらに眺めていると、焼き鳥を一本から注文できるようだったのでネギもも串(210円)を塩、レバー串(210円)をタレでそれぞれ追加した :D

これを書いているとき調べたのだけれど、この店は昭和時代の初めに群馬県前橋市で開業した鶏肉の精肉店が始まりらしく、のちに暖簾分けで御食事処の登利平《トリヘイ》を開店。ここの看板メニューにあった「鳥重(Torijū)」が好評だったらしい。チェイン店になった今、この店のホームページのお品書きには重ものや丼ものが掲載されていたけど、ここ深谷店には無く、メニューが限定されていたの気づいた :|

注文してから暫くして定食の御膳が出てきた。なんか想像していたセットよりも意外と豪華だったので少し驚いてしまった :D

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鳥合わせ定食(1,200円)

ライスは大盛り(+100円)にできるようだが、デフォルトのまま。サラダが乗った大皿に鶏モモの唐揚げ3個、サクサクした衣に包まれた鶏ムネのチキンカツ2個が乗っている。そして香の物とみそ汁が付く。

とにかく揚げたてなのが、冷たくなった身体に嬉しいし優しい :)

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から揚げとチキンカツの両方が味わえる

熱々のチキンカツは付け皿に入ったオリジナルのソースで頂く。おそらくソースかつ重でも使っている自家製だろう:

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やや辛めのソースに

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付けてさくっと頂く

テーブル席に置かれたマスタードを衣に付けて、ソースをまとった柔らかいチキンカツを噛むとか湯気がでる。

すると時間差で串ものがそれぞれ出てきた。こちらも焼き立てなのでジューシー。レバーは一部硬かったが、ネギもも串の方は塩味で、鶏肉の旨味を一層よく味わえた感じ:

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やや硬かったレバー串(210円)

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ネギもも串は塩で正解(210円)

鶏唐揚げは下味が付いていた。テーブルに置かれていた小袋のレモン汁をふりかけてそのまま食べた。合わせ定食と云うことでやや小ぶりの肉であったが美味かった:

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小ぶりの唐揚げ

最後に残ったご飯とチキンカツでソースかつ重風にして頂いた。結局、最後はこれが一番美味かったかも :D

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ソース漬けのチキンカツ

サラダもドレッシング二種(和風とベジタブル)あって良かったし、香の物も三種あって、これだけのボリュームで鶏肉を堪能できたので大満足だった 8)

登利平(深谷店)
埼玉県深谷市国済寺 332-21

 

ここからはオマケ。
 
深谷市と云えば、新一万円札の顔である渋沢栄一[d]個人的には、映画「帝都物語」で勝新太郎が演じていた渋沢栄一像が印象に残っている 🙂️。・生誕の地:
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渋沢栄一・生誕の地

 
 廰鼻和(庁鼻和)《コバナワ》城跡とされる臨在宗・常興山・国済寺。もともとは庁鼻和上杉氏の居館であり、のちに国済寺を開基したと云う:
 
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国済寺

この城は、その昔に攻めてきた深谷城の前身。江戸時代の建立と伝わる楼門形式の三門(市指定文化財)と、その柱に掲げられていた花入:

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梅と三門

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「わびさび」

 本堂。屋根の棟や鬼瓦に掲げられた大きな「上杉笹(竹に二羽飛び雀)」紋が目立っていた:

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本堂(正面)

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本堂(側面)

境内にある上杉憲英《ウエスギ・ノリフサ》公とその一族の墓所は市指定文化財:

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「史蹟・上杉憲英公墓所」

 国済寺境内とヤオコーとの間には土塁と堀が残っている:

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堀跡

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土塁と築山

 埼玉県を中心にスーパー(Grocery Shops)を展開するヤオコーが国済寺敷地内の店舗拡張と駐車場建設に伴い、事前に深谷市に発掘調査を依頼した結果、検出した堀跡や土塁が現在残っている(または埋没保存されている)。

城域(国済寺)の北を走る県道R263は旧中山道。往時は外郭と内郭の境界線であった。この通り沿いには寺院や崇拝所が残る。この愛宕神社も江戸時代に勧請された:

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旧中山道と愛宕神社

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会深谷市のマンホールの解説を参照のこと:

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旧深谷市の花「椿」と煉瓦風のデザイン

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旧深谷市のチューリップのデザイン

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also廰鼻和(庁鼻和)城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】二十日正月《ハツカ・ショウガツ》。木曾(源)義仲が討死した日(旧暦)。
b 正確には内郭と外郭の境界となる城域部。
c 御食事の精算も兼ねていた。
d 個人的には、映画「帝都物語」で勝新太郎が演じていた渋沢栄一像が印象に残っている 🙂️。