カツ丼」タグアーカイブ

肉の中でも大好きな豚肉料理

そば処 東屋 − Some of them recommend Katsudon instead of Wanko-Soba.

先週末は令和5(2023)年の秋分の日[a]昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。貴重な文化財を観に岩手県は盛岡まで行って来た。まだ外が真っ暗の時間帯に起きて東京駅へ向かい、朝7時すぎの新幹線はやぶさ203号・新青森行に乗車して、盛岡に着いたのが朝9時半。この日の東北地方は大雨の関東とは違い、やわらかい陽がさす晴天で、少し厚着して行ったのだけど予想外に暑かった :O[b]流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。

午前中はこの文化財を盛岡の地にもたらした御仁の墓所盛岡城の移築門などを巡ったが、いつのまにか予定のコースから大きくズレてしまい、目的の品を展示している博物館への道のりが遠のいてしまった上に、昼近くになったので、先にお昼を摂ってからゆっくりと博物館へ向かうことにした :)

我が人生初の盛岡入りと云うことで、事前にいくつか気になった御食事処を見繕っておいた中から、豚一家がオススメするわんこそばの老舗店を選択した[c]目的地まで徒歩で移動できることも理由の一つ 😉️。

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創業明治四拾年・そば処・東屋(本店)

昼11時ちょい過ぎに到着した店前に行列はできていなかったので、そのまま「丸に東」の暖簾をくぐって店内に入ってみると目の前に整理券の発券機があった。さらに左手奥の部屋には何組かの人たち座っているのを目撃して、これは意外と待つかなぁと不安がよぎったが、よく見るとこの発券機は「わんこそば」待ち用で、通常の御食事は店員に呼ばれるのを待つシステムのようだ。と云うことで、これと云って待つことなく正面奥にあるカウンター席にすんなり通してもらえた 8)

創業から百年以上の蕎麦屋であるが、だいぶ前に観た放送で豚一家がオススメしていたのは特製カツ丼(1,100円)だったので、こちらを注文し、冷たいお茶を飲みながらしばし待つ:

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丸に東の湯呑

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「おもさげながんすー」

ちなみにトイレ前には有名人らのサイン色紙が飾ってあったが[d]豚一家の色紙を探したが、残念ながら見つからず 😣️。、その中に「実は東屋さんはカツ丼がオススメ!」なんてメッセージが意外と多かったのに驚いたと同時に、すこし安堵した[e]流石に蕎麦屋にきて蕎麦を食べないのはねぇって後ろめたさが・・・😅️。;)

注文して15分くらいたって出てきた特製カツ丼がこちら:

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特製カツ丼(1,100円)

香の物の他に、わんこそばサイズのお椀がついていた。にくいねぇ東屋!:D

厚みのある肉と割り下で味がしっかり付いた柔らかい衣と卵をまとったトンカツは、火傷しそうな熱さだったけどパクパクいけた:

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カツ+タレ+卵の三位一体

こちら少量ながらも、温かくしっかりとした出汁つゆで頂く手打ちそばも美味しかった:

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わんこそば

朝から初めての土地でさんざん歩いてきた体にエネルギーを注入し、午後の城攻めに備えることが出来た感じ。

お店を出て「お椀ではない」限定公開の文化財を展示している博物館へ向かいながら、ふと「そう云えば早朝、東京駅でカツサンドを食べた」ことを思い出したが、特に後悔はなかった :P

そば処・東屋(本店)
岩手県盛岡市中ノ橋通1-8-3


ここからはオマケ。
 
東京から盛岡まで乗車した東北新幹線のはやぶさ:

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JR新幹線はやぶさ

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はやぶさ203号・新青森行

自宅で軽く朝食は摂ってきたが二時間半の乗車後にすぐ歩きまわる予定だったので車内で軽食を。最近のケースだとほぼ決まって「やわらか・ひれかつサンド」(750円)を選択している:

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やわらか・ひれかつサンド(750円)

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朝もトンカツ

こちらがJR盛岡駅(東口バスターミナル)。二階が東北新幹線のホーム:
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盛岡駅

盛岡城の城門(裏門)が移築されたと伝わる報恩寺は山門(三門)が素晴らしかった。この門の楼上には十一面観音が祀られているのだとか:

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報恩寺の山門「瑞鳩峰山」

東屋から博物館へ向かう途中、赤煉瓦の建物が目に入ってきた。明治時代に建てられ、今も現役の都市銀(国指定重要文化財)らしい:
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岩手銀行赤レンガ館

盛岡市内中央を流れる中津川。鮭が遡上するらしい:

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中津川

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also盛岡城攻め (フォト集)

参照

参照
a 昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。
b 流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。
c 目的地まで徒歩で移動できることも理由の一つ 😉️。
d 豚一家の色紙を探したが、残念ながら見つからず 😣️。
e 流石に蕎麦屋にきて蕎麦を食べないのはねぇって後ろめたさが・・・😅️。

そば処・寿庵 − Their Katsudon seems to be just a little bit difference.

先月は令和3(2021)年の立冬の候を過ぎた週末、すこし前に集め始めた「巡礼!戦国北条カード」なるコレクション・カードの最後の一枚を手に入れるため箱根町立郷土資料館へ行って来た。

さらに先日観てきた『開基500年記念 早雲寺−戦国大名北條氏の遺産と系譜−』に展示品を提供し、小田原北條氏五代の墓所(供養塔)が通年で公開されている早雲寺[a]てっきり年に一回(例えば文化の日とか)の公開だと勘違いしていた。年に一回は寺宝の方だった 😮  。にも足を運んできた。郷土資料館から徒歩で15分ほどだった。

それから再び小田原へ向かい、今から430年くらい前の関白秀吉による小田原城包囲戦で豊臣勢の陣地跡を巡る予定だったので小田原駅東口[b]利用するバスが伊豆箱根バスだったので。周辺でお昼を摂ることにした。

で、こののところ三たび(?)、七年前に初めて小田原城跡を攻めたあとにお昼で刺身定食を頂いた居酒屋へ行ってみたけど、未だ開店しておらず、さらに家族連れの行列ができていたので、今回もやむなく諦めることにして:$、バスの時間に間に合いそうな御食事処を探していて見つけたの蕎麦やうどん、さらには丼ものあるし、昼間からお酒も飲めるお店

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そば処・寿庵

このそば処は、東海道本線[c]当時は熱海線。の終着駅として小田原駅ができた大正9(1920)年の創業という老舗らしい。このあとの午後はけっこう歩く予定だったのでいちばんに御飯ものを選択。ただ老舗のお蕎麦も食べたかったので+300円して丼と冷たい蕎麦の合せにした ;)

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カツ丼と冷たい蕎麦の合せ(930円+300円)

メニューには「そば屋のカツ丼は一味違います。」って売り文句が書いてあったので注文してみた。まずカツと同じくらい大きなタマネギ。タマネギ好きとしては高得点。タマネギの甘みに塩っぱい醤油ダレがいい具合で合っていた 8)。とんかつはヒレ肉か何かで柔らかかったの比べ、逆に蕎麦はいたって普通。正直なところ老舗っていう程の特徴は見つからなかった。俺的には前の週に食べた店の方が美味かったと云う感想 :X

そば処・寿庵
小田原市栄町2-1-26


ここからはオマケ。

この日の箱根湯本は天気が良かった:

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箱根湯本駅と箱根町塔之澤(拡大版)

箱根の観光風景:

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早川と箱根の山並み(拡大版)

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国道R1沿いの土産ロード

箱根町郷土資料館へは、まず「あじさい橋」を渡る:

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あじさい橋

渡った先に案内板兼展示紹介が置かれていた。当時の特別展示は、やはり渋沢栄一関係:

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箱根町役場方面へ

こちらが郷土資料館。眼の前に町役場がある:

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箱根町立郷土資料館

観覧料(300円/当時)を払って特別展を観てきた。ここでは早雲寺を開山した以天宗清《いてん・そうせい》像のカードを入手[d]資料館窓口の前に束になって置かれていた。おもむろに三枚も取ってしまった 😀 。し、これで全七種のカードが揃うことになった:

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とうとう全て入手した「巡礼!戦国北条カード」

ここからだと箱根町役場の脇にある階段を使って早雲寺へ行くのが最短ルートらしい:

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早雲寺への近道

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箱根町役場

最短ではあったが坂を登ったり降ったりする必要がある :O

早雲寺へ向かう途中にあった早雲寺林。公園化されておりヒメハルゼミと云う貴重なセミが生息するらしい:

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早雲公園

こちらが早雲寺の惣門(山門)。東海道沿いから:

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早雲寺の惣門(山門)

東海道を挟んで眼の前に建っているのは箱根・花紋と云う温泉旅館。なぜか天守閣のような外観だった:

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箱根・花紋

惣門をくぐって進むと早雲寺の境内に至る。境内はまさに紅葉のまっただ中だった:

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早雲寺の境内(拡大版)

早雲寺は、はじめ秀吉の本陣が置かれた場所であるが、石垣山城が出来て移ったあとは焼き払われてしまった。今の早雲寺は江戸時代に復興されたもの。

ところ変わって、こちらは小田原市内の久野というところを流れている山王川。この川を境に、往時は豊臣勢と小田原北條勢が対峙した:

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山王川

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山王川

この下流に徳川家康らの陣場跡がある。位置関係としては、ちょうど左手に豊臣勢が布陣、右手が小田原勢が籠もる惣構って感じ。

ここから小田原城惣構に食い込むように布陣したのが蒲生氏郷らの軍勢で、氏郷は神山神社《こうやま・じんじゃ》附近の高台に本陣を置いたらしい:

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神山神社

特に氏郷らが本陣を置いた遺構は残っていないが、昭和2(1927)年に奉納された魚雷が展示されていた:

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45cm四四式二号魚雷

この由来によると、神社関係者が戦前に旧日本海軍から譲り受けたものらしい。明治44年制式45cm弐号魚雷とのこと:

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意外としっかりとした魚雷だった。ネジ穴は水中の抵抗を考慮したもの:

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ネジ穴は涙滴型

このあとは黒田官兵衛勢の陣場跡だった高台へ登ってきたが、その周辺は小田原ではおなじみの柑橘系の畑が多かった:

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大きなミカン

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ミカン畑

ホント、ミカンだらけ:

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ミカンだらけ

黒田官兵衛が本陣を置いたあたりから小田原城本丸方面の眺め:

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北條氏時代の小田原城本丸方面(拡大版)

蒲生や黒田らは小田原城惣構を北西側から見下ろすような高台に本陣を置いていたらしい。

この辺からの眺めは抜群だった 8)

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小田原市街地の眺望(拡大版)

こちらは小田原城跡とは反対側の眺め。奥に聳えるのは丹沢連山:

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丹沢方面の眺望(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also小田原城攻め / 北條氏墓所・墓碑 / 早雲寺と北條五代の墓所 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 北條氏墓所・墓碑 / 北條幻庵屋敷跡 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(1) (フォト集)

参照

参照
a てっきり年に一回(例えば文化の日とか)の公開だと勘違いしていた。年に一回は寺宝の方だった 😮  。
b 利用するバスが伊豆箱根バスだったので。
c 当時は熱海線。
d 資料館窓口の前に束になって置かれていた。おもむろに三枚も取ってしまった 😀 。

名代・玉川うどん本店 − A TOYOHASHI Local Curry-Udon.

一昨々年(さきおととし)は平成27(2015)年の暮れ前の連休を利用して、念願の長篠城設楽原古戦場を巡ってきた。趣味として、城巡りを始めてかれこれ一年半。昔読んだ漫画『信長』(工藤かずや作・池上遼一画)で描かれていた長篠の合戦の古戦場跡を、いつかは巡ることになるだろうなぁと、心のどこかで期待が膨らんでいたと思う:)。それが実現できたのは良かったが、それにしても良く二日間で見て回ってこれたものだと半分は感心した:D。あとで調べたら二日間の歩数は6万歩、歩いた距離は45キロメートルにも及んでいた。とにかく見どころが多いののは当然としても、それらを時間内で見て回る必要があること、公共機関が期待できないのと、柔軟に対応してスケジュールを組み直す必要があったことなどから、公共機関(電車)は宿泊先の豊橋との間でJR飯田線しか使っていない :O [a]というか、利用したくても利用することが出来なかったと云う次第。。本当はもっと新城(しんしろ)市のサービスを調べれば良かったかも知れないが。おまけに、見どころが色々な場所に散在していたことも影響していたと思う。今回は豊橋市内に宿を借りたので初日は設楽原古戦場、二日目の最終日は長篠城跡他を巡るようなスケジュールにした。おかげでJR飯田線を二往復する必要はあったけど :D

初日の古戦場巡りを終えて、JR飯田線・三河東郷駅から宿がある豊橋駅までの一時間ほどの電車旅は眠っていてよく覚えていない。なにせ、この日は朝4時起きで6時半の新幹線で8時前には愛知県豊橋に着いていたくらいだから:|

自身初の豊橋は暗くてよく分からなかった[b]実は、この時から三年後の平成30(2018)年夏には昼間の豊橋市内を歩きまわることができたが、この当時は勿論あずかり知らす。が、駅前は年末のイルミネーションで賑わっていたっけ。で、宿に荷物を置いて温かいものをガッツリ食べようと、予め決めておいたうどん屋へ。やっぱりご当地グルメの豊橋カレーうどんは外せないでしょ。自分はあまりカレーを好んで食べない方だけど :D[c]食べれない訳ではなく、辛いのが苦手という意味で。

こちらが玉川うどん本店

玉川うどん本店

夕食時で混んでいた

夕食時ともあって店内はテーブルも座敷も一杯だったけど、一人だったのすぐにカウンター席へ通してもらえた。カウンターからは親爺さんと話をすることも出来たし、隣にいたアジア系外国人のカップルといろいろ話もできたのも良かった。

まずは生ビール中(580円)を注文し、喉の渇きを癒しつつメニューをつらつら眺め、ノーマルタイプの豊橋カレーうどんにかつ丼(ミニ丼)の合わせに決めた。そして料理がでてくるまで目の前にあった「豊橋カレーうどんの食べ方」なる説明書をじっくりと読んでおく:

なんと御飯が丼底に!!

カレーうどん+カレーライス!!

ここ豊橋はうどんの歴史だけでも100年以上あるらしく、8年前(当時)から町おこしのご当地グルメとしてカレーうどんが誕生したらしい。ただし普通のカレーうどんではなく、なんと「カレーうどん」+「カレーライス」の二層構造で、これだけでも二度美味しいのだそうだ。(かつ丼を合わせたのは失敗か!?)おもしろいのは、丼底にある御飯がとろろで保護されているため、それより上にあるうどんを食べるまで、しっかり「眠った状態」になっていること :)。うどんを食べてから御飯を食べると云う方法が正しい食べ方なのだそうだ。

ということで、出てきた「豊橋カレーうどん(ノーマルタイプ)+かつ丼(ミニ)」がこちら(1,680円):

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豊橋カレーうどん+ミニかつ丼(1,680円)

カレーうどんの方には野菜の素揚げ(ナスとかぼちゃ)とチキンカツ、さらにうずらの卵がトッピングされていた。そして、カレーライスとして頂く時のための福神漬。フルーツものっていた。

まずはうどん。カレーのとろみは程よい固さ、辛味はさほど無く、旨味をしっかり楽しめた。うどんも美味しかった:)

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まずはカレーうどん

うどんを食べ終わったら、福神漬を落として、とろろに包まれた御飯を頂く:

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お次はカレーライス

ということで、合わせのカツ丼はそっちのけでカレーうどんを堪能した :D

二倍楽しめた豊橋カレーうどん&カレーライス

この日はホントたくさん歩いたので疲労が溜まっていたが、カツ丼を食べて明日へのエネルギーを補給できた。

めん・お食事処・玉川・豊橋広小路本店
愛知県豊橋市広小路1丁目13


ここからはオマケ。

まずは豊橋駅東口(駅前大通側)は季節柄か、イルミネーションが点灯して賑やかな雰囲気だった。これらは「とよはしキラキラ☆イルミネーション」として毎年開催されているものらしい:

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豊橋駅東口はイルミネーションで着飾っていた

豊川駅はJR線の在来線・新幹線の他に名鉄線も乗り入れしていた。あと「豊鉄」こと路面電車も:

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後ろから読んでも前か読んでも「駅前駅」

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キラキラな電飾

こちらはJR飯田線の213系。これに乗って最寄りの茶臼山駅へ移動したが、二両編成であったので激混みだった:

JR飯田線213系

そしてJR飯田線の茶臼山駅(無人駅)。ここで下車して設楽原合戦跡を巡ってきた:

JR飯田線の茶臼山駅

次の二つの山は、それぞれ織田信長と徳川家康が設楽原決戦で本陣を置いた山:

織田信長戦地本陣@茶臼山(拡大版)

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徳川家康戦地本陣@弾正山(拡大版)

信長が本陣を置いた茶臼山は、現在は茶臼山公園になっており、当時は本陣跡として整備されている真っ最中で、そこから茶臼山北にある、こちらも工事中だった新東名の長篠設楽原PAを見下ろしたところ:

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未だ工事中の長篠設楽原PA(拡大版)

家康の本陣があった弾正山の麓には、現在は新城市立東郷中学校が建っていたが、目の前を通る道路に沿って「平成の馬防柵」なるものが展示されていた[d]この学校の生徒や教師が作ったのだろうか?

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「平成の馬防柵」

そして、家康の本陣跡から見渡した設楽原決戦場跡。左から右へ連吾川(れんごがわ)が流れ、往時はその川を境に織田・徳川連合軍と武田軍が対峙した:

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設楽原決戦場跡(拡大版)

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設楽原決戦場跡(拡大版)

現在は田んぼになっている設楽原決戦場跡には馬防柵が復元・展示されていたが、その脇には両軍の戦死者を弔っているかのような地蔵様が置かれていた:

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お地蔵様@設楽原決戦場跡

この設楽原決戦場近くにある新城市設楽原歴史資料館には貴重な史料の他に、鉄砲や甲冑のレプリカなども展示されていた:

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資料館のエントランスに展示されていた甲冑(拡大版)

資料館の裏に建っていた閻魔堂(石造りの閻魔大王像):

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閻魔堂

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石像閻魔大王

二日目の最終日も歩きに歩いたが、迂回しないと行けない長篠城跡へ向かうために川とJR飯田線を2回横断するはめになった。
これは県道R439上のJR飯田線。この先が長篠城跡であるが、手前に豊川が流れている:

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JR飯田線(拡大版)

そして豊川:

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一級河川の豊川(拡大版)

そして、今度は県道R69側から横断したJR飯田線。この先が長篠城跡で、上のJR飯田線を横断した場所に至る:

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JR飯田線(拡大版)

長篠城跡に建っている長篠城址史跡保存館にも貴重な史料が数多く展示されていたが、やはり有名人は鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)だろう:

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「スネエもん」の人形

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also設楽原古戦場 (フォト集)
See Also長篠・設楽原戦没者碑めぐり (フォト集)
See Also長篠城攻め (フォト集)

参照

参照
a というか、利用したくても利用することが出来なかったと云う次第。
b 実は、この時から三年後の平成30(2018)年夏には昼間の豊橋市内を歩きまわることができたが、この当時は勿論あずかり知らす。
c 食べれない訳ではなく、辛いのが苦手という意味で。
d この学校の生徒や教師が作ったのだろうか?

唐澤山レストハウス − A Source Katsu-Don with a Nice view.

一昨年は、平成27(2015)年の梅雨入り前のよく晴れた6月の週末に自身初ともなる栃木県の城攻めへ。東京近郊からだと栃木県や茨城県はやはり遠い所と感じるのだけれど、まさしくそのとおりで5本も電車を乗り継いで片道3時間以上かかった。更に駅を下りてから歩いて麓まで行き、そこから山登りもあるのだけれど :O

当然ながら朝が早い上に山登りして唐澤山城跡に到着した時にはお腹がペコペコで、これからガッツリ城攻めで歩きまわる予定だったので先にエネルギー補充するために早めのお昼を摂ることにした。

ここ唐澤山城跡は現在は唐澤山神社とそれに関連する各種施設が充実しており、特に駐車場脇にあるレストハウスは眺望の良いテラスで食事を頂けると云うなんとも贅沢な場所だった。そんなレストハウスの御食事メニューも唐澤山名物の手打ちそばの他に、丼物や定食、果ては団子[a]季節メニューの一つで、3月下旬~5月中旬の桜・つつじ開花期間のみの提供とのこと。なんてのも用意されているらしい。

で、名物の手打ちそばにしようかと思ったけれど、これから城郭を登ったり降りたりして遠くまで歩くことが予想されていたので御飯物を選択。ということで注文したのはソースカツ丼(950円)。そしてカツ丼が出来あがるまで、みそおでん(330円)で小腹を落ち着かせることにした:

みそおでん3串(330円)

「おでん」と言っても串コンニャクだけど、濃厚で香り立つ甘じょっぱい味噌が温かいコンニャクにぴったりだった。一気にペロリといけた :D

そしてキャベツの上にアツアツのトンカツが載ったソースカツ丼の登場:

ソースカツ丼(950円)

これまた熱〜い味噌汁と自家製の香の物つき。なぜか福神漬けも付いていたけれど、いいアクセントになった。揚げたてなので肉が柔らかく肉汁も楽しめた:

御飯+キャベツ+トンカツ+福神漬け

辛子を付けて、いい感じに腹ごなしした後は店のご主人から風景などについて、いろいろ教えて貰って、城攻めへ出立することにした =)

唐澤山レストハウス
栃木県佐野市富士町1409


ここからはオマケ。

まずは久喜駅で乗った東武伊勢崎線区間急行・太田行の10030型:

東武鉄道の10030型

こちらは館林駅で乗り継いだ東武佐野線・葛尾行の850型:

東武鉄道の850型

東武田沼駅を下車して県道R115から見上げた唐澤山城跡。関東平野を一望できる山城である。手前に見えるのは秋山川:

唐澤山城の遠景

唐澤山城跡には現在は唐澤山神社が建っているが、こちらは麓に置かれていた注意書き。車であればR115を登って神社はすぐ。車からゴミを捨てる罰当たりな輩がいるのだろう :(

唐澤山は神聖な山なので汚すな!

こちらは鏡岩と云う岩の一部で、その昔、軍神・上杉謙信が唐澤山城を攻めた際に西日が反射して目くらましとなり攻めることを困難にしたと云う城の護り岩の伝説が残る:

鏡岩

この鏡岩辺りから城跡西側の眺望。空気が澄んでいたので赤城山など群馬連峰を拝むことができた:

城跡西側の眺望(拡大版)

山内では沢山の猫を見かけた。城跡に猫を捨てていく罰当たりな輩があとを断たないようだ :(

喰い違い虎口越しに出会った猫

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山内には猫が沢山いた

こちらは唐沢七名石の一つである天狗岩から城跡南側の眺望。靄がなければ新宿副都心の高層ビルを拝めるのだとか。加えて、往時は江戸の大火をみることもできたと云う:

城跡南側の眺望(拡大版)

天徳丸こと西城跡にあった手水鉢と水琴窟(すいきんくつ)。竹筒に耳をあてて聞いてみた:

おつくりばいと水琴窟

こちらは本丸虎口脇でそびえていた見事なアカマツ:

本丸虎口とアカマツ(拡大版)

南城跡にある南城館にはウエブカムが取り付けられており、唐澤山神社のホームページで「ライブカメラ」が公開されていた:

唐澤山神社のライブカメラ

こちらが実際に自分を映して映像をホームページ経由で観たもの:

唐澤山神社のホームページ

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also唐澤山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 季節メニューの一つで、3月下旬~5月中旬の桜・つつじ開花期間のみの提供とのこと。

レストラン ナカタ − Western Style ‘Katsu-Don’ as a Nagaoka Soul Food.

今年は平成29(2017)年のGWは「越後攻め」で、四日目は「越後の虎」こと上杉謙信の幼少期と青年期にゆかり深い長岡市栃尾にある栃尾城跡を攻めてきた。

この栃尾は、後に「聖将」として知られることになる謙信公が林泉寺の修業とはおよそ180度異なった弱肉強食の戦国乱世で、胸せまる葛藤から「義」の精神を大悟し、整斉(せいせい)たる戦法を駆使して、軍神たる風貌と絶対的なカリスマ性によって国内を統一する足がかりとなった土地である。

この日は前日同様に、早朝7:00amに新潟から信越本線を1時間半近くかけて長岡駅まで移動し、東口のりばから越後バス快速(新榎経由)の栃尾線に乗り、中央公園前と云う停留所で下車した(当時560円)。そこから登城口まで移動し、標高227mの鶴城山(かくじょうざん)に造られていた栃尾城址をたっぷり時間をかけて攻めてきた。途中「本丸」にあたる実城跡にはたくさんのミツバチが飛来していてかなり驚いたが、特に攻撃されることは無かった :)。それから下山して「雁木の町」や謙信公ゆかりの場所などを巡り、ビールを飲んだり、お土産に栃尾の「あぶらげ」(油揚げ)を買ったりして、バスの時間まで楽しい一時を過ごすことができた

そして4:00pm位のバスで長岡駅まで戻ってきた。そこから宿のある新潟まで戻る前に、ここ長岡で、その昔に豚一家が完食していた洋食屋で食べて行くことにした。

こちらがレストラン・ナカタの入口で、店自体は2Fにある。若干わかりづらい場所だったので道に迷ってしまったが無事に到着した:

レストラン ナカタ

2Fへあがったところの店構えは、こんな感じ:

レストラン ナカタ (2F)

店内は、ホント洋食屋と言った感じで落ち着いた雰囲気だった。洋食屋なので肉メインでいろいろなメニューがあったが、ここは豚一家が食べていた「長岡ご当地B級グルメ」の洋風カツ丼コース(デミグラスソース)にした:

洋風カツ丼のデミグラスソースのコース(1370円)

味付けがデミグラスの他にケチャップベースもあって、あとで知ったのだが豚一家はケチャップベースの方を完食していたようだ。二つのソースを一度に楽しめるハーフ&ハーフもあったのでかなり迷ったが、帰りの高速バスの時間が迫っていたので、急ぎ注文して食べてきた。

もう少しライスが多めであればよかったが、普通に美味しかった。デミグラスソース?はちょっとよく分からなかった。もうちょっと濃ければよかったかなぁ :O。そしてコースの最後にデザートを頂いた:

この日のデザートはプリン

これは素朴に美味しかった ;)。最後に諄いけど、やっぱりケチャップベースにしておけば良かったかなぁと悔やんだが足早に店を出て長岡駅大手口へ向かい、6:00pm発の高速バスに乗り込んで1時間半かけて宿泊地の新潟駅まで移動した(当時片道980円)。前日はJRで戻ったが、この日は栃尾城攻めの最中に山菜採りに来ていた地元のおばちゃんが教えてくれた高速バスにした。こちらの方が160円ほど安かった。時間はかかるけど。

レストラン ナカタ
新潟県長岡市坂之上町2-3-6


ここからはおまけ。

こちらが越後バスで下車した栃尾の中央公園前付近。正面に見える丘陵が栃尾城跡:

越後バスの中央公園前停留場

右手が公園で、ありがたいことにトイレがあった。この日も城攻めする前にしっかりと用を済ませておいた :D

こちらは長岡駅西側の山本五十六記念公園なる場所に建っていた山本元帥の胸像。ここは山本元帥の生家(高野家)が復元されていた場所で、レストラン ナカタを探しているときに道に迷って偶然見つけた:

山本五十六元帥の胸像

元帥は旧長岡藩家老である山本家の名跡を継いだ人物(旧姓は高野)だったということを初めて知った。

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also栃尾城攻め (フォト集)
See Also山本五十六元帥の生誕地 (フォト集)