先週は平成30(2018)年5月の週末。前日の大雨からうって変わっての五月晴れ。その週は夏日が続いて体力的にもキツかったが、この日だけは快適に過ごすことができた。ということで、この日は都内にある城跡のうち以前攻めたところで見落とした遺構や場所を巡ってきた。特に、この年の正月に見て回って来た江戸城外郭の見附跡のうち、震災後の復旧工事で見ることができなかった常盤橋御門(ときわばしごもん)跡は、先月末にその工事が完了しているはずなので楽しみにしていた。あとは世田谷城跡で見忘れた土塁跡など。そういうことで、お昼は東京は日本橋にある老舗の洋食店であるたいめいけんでオムレツでも食べる予定を組んでいた。
しかし、いざ巡ってみると見事にこれらの期待が外れてしまった 。特に常盤橋御門跡。正月に一度「裏切られた」後に調べた時の予定だと既に工事が完了しているはずなのに、実際は遅れに遅れてなんと年末まで延期されていた。実際に現場を見たけど、本当にあと半年ほどで完了するのかと疑ってしまう状態だった 。さら追い打ちをかけるかのように、たいめいけんは案の定、長蛇の列。さらに一橋徳川家屋敷跡も未だに工事壁の中にあって直に見ることができなかったし、有楽町駅前に残る南町奉行所跡は某製薬会社の製品キャンペンで囲われてしまっていたため探し出すことができなかった 。
そんなこんなではあったけど、お昼は東京駅近くをたまたま通りかかって、たまたま見かけたの牛たんチェイン店へ。この際は何でもよかった。でも、昔は「新宿ねぎし」って呼んでいたと記憶しているが、何時から変わったのだろうか:
牛たん・とろろ・麦めしのねぎし(鉄鋼ビルB1)
この日は牛たん三種盛りセット(1,880円)と生ビール(タンブラー)(420円)を注文。だけど、ビール飲み終わる前に、セットが出てきて、ちょっとたじろいだが 。
で、こちらが三種盛りセット。白たん厚切2枚(4切)、白たん薄切2枚、赤たん薄切り2枚(4切)の盛り合わせ:
3種類の食感が楽しめる三種盛りセット(1,880円)
他に麦飯、とろろ、テールスープ、そしておみ漬け+味噌南蛮というお馴染みの構成。まずは牛タン一種をビールのツマミとして頂いてから、麦めし+とろろで完食した。ビールを飲んでいるので、麦めしのおかわりは無し。肉は脂がのっていて美味しかった。
ねぎし 東京駅八重洲北口鉄鋼ビル店
東京都千代田区丸の内1-8-2 鉄鋼ビルB1
ここからはオマケ。
この日は、春先に攻めた時に見忘れた二重土塁跡を見に再び世田谷城跡へ。藪化が進んでいて、どうかなぁと思っていたがギリギリ大丈夫だった。そして見終わって少し時間があったので豪徳寺前を通って、次の城跡へ移動した。
こちらは彦根藩井伊家菩提寺である豪徳寺の参道で有名な松並木。今回は朝08:00ちょっと過ぎということもあって全く参拝客がおらず、前回よりも「井伊(良い?)」感じに撮れた。正面奥に見えるのが山門:
豪徳寺参道の松並木(拡大版)
そして山門と、その脇に建っていた「都史跡・井伊直弼墓」の碑:
「都史跡・井伊直弼の墓」の碑
豪徳寺の山門
このあとは皇居の東御苑へ向かうため、世田谷線・上町駅から三軒茶屋経由で大手町駅まで一気に移動した。大手町駅に到着したのは10:00前だったにもかかわらず、皇居の大手口近くの出口へ移動するのに(途中、迷ったこともあり)10:00過ぎになってしまった。ホント、東京メトロの構内は迷路だ 。
こちらは大手門交差点前から眺めた大手御門:
内堀通り越しに見た大手御門
初めて攻めた時は東日本大震災の影響で耐震補強工事があったので渡櫓門を見ることができなかった。その後は何回か新年の一般参賀で遠くから見ただけなので、間近で見るのはおよそ三年越しになる。
大手御門は一の門(高麗門)と枡形、そして二の門(渡櫓門)からなる外枡形門となっている:
一の門は高麗門
一の門と二の門の大小二つの門に囲まれた枡形は侵入する敵を阻止・挟撃しやすい構造だった:
枡形
一方の二の門である渡櫓門は昭和20(1945)年4月の東京空襲で焼失し、それから20数年後に復元されたもの。そして二年前(当時)に耐震補強工事を終えた:
「大手渡櫓門」の碑
二の門は二階建ての渡櫓門
大手御門をくぐった先で入園票を受け取り、その近くある三の丸尚蔵館前の松の木とクルメツツジ:
クルメツツジと松の木
これは、さらに進んで二の丸跡に残る下乗門前あたり:
大手三の門(下乗門)前
二の丸と本丸へ通じる要所となる大手三の門の前に設けられた百人番所。長い:
百人番所
百人番所
そして本丸中の門跡を通り、中雀門跡へ。妙な形をした石垣だが、これは文久3(1863)年の火災で類焼し、石垣の表面がボロボロになったため:
中雀門(書院門)跡に残る石垣
こちらは富士見櫓。江戸城で現存する三棟の一つであり、三重櫓としては唯一の建築物。今回、櫓前の広場が整備されて従来よりも近くから眺めることができるようになった:
富士見櫓(拡大版)
このあとは江戸城攻めのもう一つの目的である富士見多聞櫓の中を見てきた。昨年11月(当時)から櫓内が公開されるようになった。
それから本丸に建つ天守台へ:
天守台
これは明暦の大火の後に、百万石の加賀前田家が半年かけて再築した「日本一の天守台」:
天守台(拡大版)
明暦の大火のあと、ついに天守が建てられることはなかった:
天守台
加賀前田家が半年かけて再築した天守台石垣は、現在は下部1mほど埋没していた:
天守台石垣
天守台石垣
いわゆる「寛永度天守台」は徳川三代将軍家光の時代の建造である:
天守台石垣
現在、天守台石垣は一種の展望エリアになっており、そこから東京の摩天楼を拝むことができる:
天守台から眺めた摩天楼(拡大版)
このあとは東御苑の出口の一つである平川御門へ向かった。
これは白鳥濠。本丸と二の丸の間にある内堀で唯一残っているもの:
二の丸跡、白鳥濠、本丸跡(拡大版)
二の丸跡から見上げた本丸高石垣と汐見坂。左手奥の石垣は徳川家康の時代、右手前は徳川二代将軍秀忠の時代の石垣:
本丸汐見坂(拡大版)
本丸石垣と二の丸跡。江戸城築城当時は、この辺りまで海だった:
二の丸跡と本丸高石垣(拡大版)
こちらが平川御門の二の門である渡櫓門。これも外枡形門である:
平川御門(二の門)
平川御門に架かる平川橋から清水濠を眺めたところ。この先に見えるのが竹橋御門跡:
平川橋と清水濠(拡大版)
平川橋をわたって内堀通りへ向かう。通りの向かいに建つのがパレスサイドビル。そして振り返って眺めた平川御門:
平川橋と平川御門
パレスサイドビル(拡大版)
この平川門交差点で見かけたマリオカートの集団:
マリオカートの集団
ちなみに、この近くの元・丸紅東京本社ビル脇には一橋徳川屋敷跡があるが、ビルの解体工事が長く続いているようで、まだ写真でしか拝めていない。この手の工事延期といった情報はどこを見れば分かるのだろうか? このあとに行った常磐御門跡もそうだけど、毎回、現地まで行って落胆することに腹立たしくなるのは自分だけだろうか 。
このあとは将門塚にお参りし、江戸城36見附跡の一つである常磐御門跡へ。今年の正月に来た時は所々の事情で見ることが叶わなかったので、復旧工事が終わっているはずのこの時期に足を運んだのだが、なんとこの年の年末まで延期され、またもや見ることができなかった。
そしてお昼を食べる店へ向かう途中、日本橋川にかかる日本橋の手前には「日本橋魚河岸跡」があった。関東大震災のあとに築地へ移転したそうで、今年(当時)には豊洲へ移転予定だ:
江戸時代にあった日本橋魚河岸跡
昭和通が走る日本橋。首都高が上を走っているのは景観がよろしく無いということで、東京オリンピックに向けてこの部分は地下に潜るのだそうだ。確かに、日本橋と云われないと、そのまま通過してしまいそうな「無機質感が漂う」景観だった:
日本橋
このあと、お昼をと思って寄ってみたお店(たいめいけん)は、ランチタイムと見事にぶつかって大行列だったのでパス。それから呉服橋御門跡を見てから東京駅八重洲口方面へ。
八重洲北口にある、この鉄鋼ビルディングとトラストタワー(右手)の間には江戸城外堀の石垣の他に、北町奉行所の一部の遺構が復元された歴史散策ゾーンになっていた:
江戸城外堀石垣の復元ゾーン
さらに東京駅付近にあった鍛冶橋御門、数寄屋橋御門などを見て回って有楽町方面へ。
これはJRの高速バスターミナルのグランルーフ:
グランルーフ
一度、東海道線の反対側へ渡って旧・東京府庁舎の跡地に建てられた東京国際フォーラムへ。フリーマケットで大変な混雑だった。
これはガラス棟の天井。吹き抜けになっている上に、船底をイメージした構造だった:
東京国際フォーラム・ガラス棟の天井
さらに有楽町駅前にある「大岡越前守」で有名な南町奉行所跡も見ることができず。そうして、この日の最後は有楽町・日比谷あたりに建つ(意外と小さな)ゴジラ像を見てから:
ゴジラ像
ゴジラ像
これは呉服橋御門跡の近くで見たもの。何のギャラリーかは不明だが:
常盤橋ゴジラ・ギャラリー
この鹿児島県のアンテナショップ・遊楽館でお土産を購入して終了:
かごしま遊楽館
ということで、この時のフォト集はこちら:
世田谷城攻め(2) (フォト集)
江戸城攻め(6) (フォト集)
江戸城攻め(7) (フォト集)