城攻めした後にオススメなお食事処」タグアーカイブ

日本各地の古城を攻めた後に頂いた料理とお店

栃木県栃木市 − the 2nd Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤬️は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。しかしながら第一弾の城攻め翌日は再び雨になった上に気温も下がり、その落差に体が順応できなかったのか軽い風邪+下痢[b]ホント文字どおり「水のような下痢」だった。水分を正常に吸収できなくなっていた。になって少し焦った:O が、漢方を飲んでしっかり寝た翌日は容態が安定したので、無事に城攻め第二弾を実行に移すことができた :)

と云うことで今年の GW 城攻め第二弾は栃木県栃木市にある二條城跡へ。ここは、実は五年前に攻めてきた西方城跡のすぐ近くにあったらしいのだが、当時は全く気づかずにスルーしてしまった城跡。その後も登城口が分からなかったので放置していたが、今回は第三弾の城攻めのために栃木県宇都宮市に宿泊する機会を持てたので、なんとか調べて登城口を見つけ、ついでに攻めてきたと云う次第。それに城攻め第三弾は再び山城を予定していたので、病み明けの体のウォーミングアップも兼ねると云う意味でも ;)

無事に下痢が治まった当日は埼玉県の栗橋で東武日光線・東武日光行きに乗り換えて東武金崎駅で下車。そこからは五年前に一度歩いたルートで城跡を目指した:

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二條城跡と西方城跡の遠景

ちなみに登城口だけど、この八坂神社を起点として東北縦貫自動車道へ向かったところにある:

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八坂神社の前を真っ直ぐ進む

当時の登城口は柵が設けられていて先に進むことができない状態であったが、特に立入禁止などの警告は無かったので、柵に結ばれていたビニル紐を外して中に入り、東北道をくぐって城跡へ向かった[c]もちろん柵を締めてビニル紐を結び戻しておいた。

城跡へ向かう途中にはイノシシ捕獲用の檻が置いてあった :O

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栃木市がイノシシ捕獲用の檻を設置していた

現在、二條城跡には開山不動尊が建っていた。これは不動明王が右手に持つ剣をモチーフにした置物:

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不動明王のシンボルである倶利伽羅剣

城攻めの後は、これもついでになるが、城跡近くにある実相寺《ジッソウジ》にある藤田信吉《フジタ・ノブヨシ》公の墓所を参拝してきた。こちらは墓所がある高台から眺めた筑波山:

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栃木県から茨城県の筑波山を望む(拡大版)

今回の栃木県の城攻めでは、茨城県の筑波山を拝む機会が多かったなぁ。

この後は宿泊地の宇都宮へ向かうため、再び東武金崎駅まで戻り栃木と小山を経由して移動した[d]この時は両毛線でトラブルがあって栃木駅で30分くらい足止めを食らったけど 😕️。

宇都宮に着いた頃は、またまた天気の雲行きが悪くなったので、早々に夕食を摂ることにした。この日は宇都宮駅西口から少し歩いたところにある牛かつ屋。この日は、次の日から連休後半が始まる平日ということもあって混むんじゃないかと予想していたが、開店早々に到着した店内はガラガラだった。

カウンターに座り、赤ワイン(500円)と牛かつ御前200g(2,180円)、あと塩ダレキャベツ(280円)を注文した:

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赤ワインと牛かつの食べ方

牛かつが揚がるまで時間がかるかと思ったら速攻で出てきたのには驚いた :$。逆にキャベツの方が遅かったし :|

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メチャクチャ速攻で出てきた牛かつ御膳200g

飲みと喰いのタイミングがちぐはぐになってしまったが、まったく味のない薄いワインを飲み干して、早々に牛かつを頂くことにした。御膳に載っている溶岩プレート[e]プレートの下から燃料で熱せられていたので、燃料が無くなるまでが制限時間でもある。で焼いて、いろいろな薬味を付けて食べるスタイルらしい:

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赤身部分を溶岩プレートで焼いて食べる

薬味は「わさびを載せて醤油を付ける」、「岩塩(これを載せる皿がない)」、「だしとろろ」、「山わさびソース」、「牛かつソース(これを載せる皿がない)」そして「とろろ」の6種類。全ての薬味を試したけど、「だしとろろ」と「牛カツソース」が旨かった。御飯は麦飯で、おかわりもできるのは嬉しい。

ただメインの牛かつは、ほとんどが脂身とスジの塊で、全くジューシーさを味わえなかった ;(。小さい鉄板の上で200gの牛かつを焼いていると自然に焦げができて、だんだんと焼きづらくなるのがダメダメだった。あと鉄板を温める燃料がいつのまにか消えていたし :(。なんか、いろいろ段取りが悪い店って感じ。

ちょっと天気が気になったので長居せず、酒も御飯もおかわりすることもなく、そして酒が無い状態で塩キャベツ食べ終えた時点で店を出ることにした。残念ながら既に雨が降っていたが ;(

そして宿泊先へ戻る前に宇都宮駅構内のパセオに立ち寄って、実家に御土産を送っておいた。おそらく明日の帰りに買おうとしたら昼間の観光客でごった返してそうなので。

牛かつ・なかい
栃木県宇都宮市東宿郷4丁目6-5

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also下野二條城攻め (フォト集)
See Also藤田能登守信吉公墓所 / 那智山・実相禅寺 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤬️
b ホント文字どおり「水のような下痢」だった。水分を正常に吸収できなくなっていた。
c もちろん柵を締めてビニル紐を結び戻しておいた。
d この時は両毛線でトラブルがあって栃木駅で30分くらい足止めを食らったけど 😕️。
e プレートの下から燃料で熱せられていたので、燃料が無くなるまでが制限時間でもある。

中華料理 光屋 − Here is not a Chinese Restaurant.

先週は令和3(2021)年の大雪の候の週末に、埼玉県川越市の東武東上線沿線附近に埋もれてしまった古城跡をいくつか攻めてきた。

一つ目は柳瀬川駅から徒歩20分ほどのところにあった柏の城跡。宅地化の波に埋もれていたが、一応は説明板が建っていた。二つ目は新河岸《しんがし》駅から徒歩15分程の新河岸川沿いにあった武蔵寺尾城跡。今は日枝神社が建っている。

そして最後の城攻めへ向かう前にお昼を摂ることにした。COVID-19 がいっこうに落ち着かない、こんな時期ではあるが、久々に地元系[a]地元の人がお客の大部分を占める御食事屋。なので自分みたいなのは外国人かエイリアンと同じ扱い :-)の中華料理店をあらかじめて探しておいた:)

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中華料理・光屋《ひかりや》

外装では、間違いなく「中華料理」と云う文字が掲げられていたが、一歩中に入るとそこは昭和の香りが漂うノスタルジックな雰囲気を持つ店だった。中華料理屋と云うよりは御食事処の佇まいである。店の中央に置かれたテーブル席の他に、一人か二人ぐらいしか座れないカウンター席、そして座敷が2カ所にあったと思う。

時間的には少し早めだったようで、自分がこの日初めてのお客だった。店に入るやテレビを見ていたおばあさんと目があって「いらっしゃい」の声をかけられた時に営業中であると認識できた:D

店の選択と注文する料理を予め決めておいたので、かなりスムーズにことが進むかと思ったが、どうやらおばあさんが料理するのではなく、おじいさんと息子さんが担当らしい。残念ながら、彼等はまだ厨房には居なかった。従って正確にはまだ営業中ではなかったことになる。まぁ、これが埼玉にある地元系の特徴の一つだ。俺とは異なる時間軸が存在している、ブラックホールのような店でもあるのだ :D

店に入って30分くらい経ち、未だお天道様が高いのに飲んだくれみたいな客が入ってくる時間になっても、一向に注文した料理が出てこない。オマケに、この店には「禁煙」と云う単語が存在しておらず、飲んだくれで大声出す客が吐く危険きわまりない煙にむせそうになりながら、感染防止でマスクしていて助かったと思ったものだ :D

そろそろ煙と大声に飽き飽きしそうになってきた頃に、おばあさんが「ごめんなさいね。遅くなって。」と一言添えて出してきたのが、そう自分が35分前に注文したラーメン餃子セット(850円)だ:

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ラーメン餃子セット(850円)

この店のメニューには「当店のおすすめ特製餃子、是非一度お試しを・・・!!」って書かれていたっけ。試すにしては多少、勇気が必要だったが :D

しかし、そんな心配は無用だった。しっかりと餡が詰まっていて肉汁も申し分なく美味かった:

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特製餃子

さらに支那蕎麦のようなラーメンも美味しかった。鶏ガラのスープをしっかりと飲み干して体が温まった:

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スープを飲み干したあとの丼

注文してから出てくるまでの間、何度か注文をキャンセルして店を出ようか悩んだが待っていて良かった。そんな感想がでるラーメン餃子セットだった。しかし、後ろで煙草の煙を吐きながら大声で話している酔っぱらいは叩き出してやりたかったが :X、こちらも我慢して良かった[b]駅のホームで見たポスターの藤岡弘、に怒られそうなので。

中華料理 光屋《ひかりや》
埼玉県川越市砂977-3


ここからはオマケ。

こちらは柏の城跡西の曲輪跡で見た長勝院旗桜《ちょうしょういん・はたざくら》。県内でも有数の巨木の桜で、推定樹齢は400年以上とされ、柏の城の歴史を語る生き証人として大切に保護・保存されているとのこと:

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長勝院旗桜

そして色鮮やかな銀杏がある武蔵寺尾城跡の日枝神社境内の風景。正面のお堂は天台宗・新河岸観音堂:

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日枝神社境内(拡大版)

こちらが日枝神社と新河岸・愛宕神社、そして新河岸・厳島神社:

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新河岸・日枝神社

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新河岸・愛宕神社

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新河岸・厳島神社

新河岸駅へ向かう途中で見かけたピラカンサ[c]バラ科でトゲを持つので防犯上、玄関に植える家が多いらしい。

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ピラカンサ

光屋で昼食を摂ったあとは新河岸駅から霞ヶ関駅(埼玉県)へ向かい、国指定史跡に指定されている河越館跡(史跡公園)へ。

これは関東管領・山内上杉氏の時代に館の周囲に巡らされた土塁らしい:

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史跡公園の西側に

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残る中世時代の土塁

こちらは史跡公園近くにある常楽寺と、山門前にある六地蔵様:

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本堂

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山門前の六地蔵様

ここ常楽寺は河越館の主である河越重頼《かわごえ・しげより》の開基であり、征夷大将軍・源頼朝の命令で、彼の弟である義経に娘を嫁がせた。しかし、それにより兄弟の対立に巻き込まれ、逆に謀殺された御家人。

こちらは平成の時代に建てられた重頼公供養塔と、彼の娘で京姫こと郷御前《さとごぜん》と夫である源義経公の供養塔:

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河越重頼公・京姫・源義経公供養塔

他に、関白秀吉による小田原仕置後に戦争責任を問われ切腹となった河越城主/松井田城主・大道寺政繁公の供養塔がある[d]一説に御腹を召した所がここ河越館だったらしい。

最後は河越館跡の脇を流れる荒川水系一級河川の入間川[e]往時、入間川沿いにはたくさんの城や砦があった上に、江戸時代は重要な交通網を担った。

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入間川

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江戸時代は水上交通の要だった

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also柏の城攻め (フォト集)
See Also武蔵寺尾城攻め (フォト集)
See Also河越館攻め (フォト集)
See Also常楽寺と大道寺政繁公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 地元の人がお客の大部分を占める御食事屋。なので自分みたいなのは外国人かエイリアンと同じ扱い :-)
b 駅のホームで見たポスターの藤岡弘、に怒られそうなので。
c バラ科でトゲを持つので防犯上、玄関に植える家が多いらしい。
d 一説に御腹を召した所がここ河越館だったらしい。
e 往時、入間川沿いにはたくさんの城や砦があった上に、江戸時代は重要な交通網を担った。

館山なぎさ食堂 − A Terrible Seafood-don I’ve ever had.

先月末は令和3(2021)年の小雪《しょうせつ》の候のとある週末に、三年前に計画したものの当時は関東を横断した二つの台風[a]2019年の台風15号と台風19号。の深い爪痕に加え、その後の COVID-19 蔓延と緊急事態宣言なんかが重なって延期にしていた千葉県館山市の城攻めへ。

この日は東京駅八重洲口からJRバスで移動して館山駅東口に到着したのは10時半くらい[b]東京湾アクアラインの木更津金田あたりから上りの渋滞が半端ないことと、館山でレンタサイクルを利用したかったので。しかしながら下りなのに到着が遅くなったのは首都高の渋滞。。それから駅前の館山市観光協会でレンタサイクルを借りようとしたら、貸出場所はこことは反対側の西口にあるらしい :O。ただ隣にあるJRバスでも同じ料金で借し出しているとの情報をもらい :)、再びバス乗り場へ向かうと既に先客二人が説明を受けていた。おおっと、もう借りられないかも?と不安がよぎったが、奥に最後の一台があったので安心した 8)

まずは館山城を遠望するため、みなとオアシス “渚の駅” たてやまへ向かった。JR内房線を越えて鏡ヶ浦《かがみがうら》(館山湾)へ出て南下していくと館山港があって、その脇に渚の駅があった。二階建の建屋の一部は展望デッキになっていて、皆が鏡ヶ浦や浦賀水道、そしてその先で聳える富士山を眺めていた中、自分だけ山側の館山城を眺めていたっけ :D。それから館山港周辺をブラブラして、レンタサイクルで館山城跡の城山公園へ向かった。

この日は晴天で、関東の南にある館山の昼間の気温はそこそこ高かったが、やはり午後は寒くなるだろうと思って手袋を持参してきた訳だが、公園に到着した時にその手袋が無いことに気づいた・・・ :O。渚の駅の展望台で手袋を外したことは覚えているが[c]正確にはカメラ操作用の手袋にはき替えたというもの。なので公園まではき替えた手袋のままで、脱いだ手袋の存在を忘れていた。、ここまで来るまで手袋はてっきりカゴの中にあるものだと勘違いしていたようだ。とりあえず手袋が落ちていないか確認しながら来た道を素直に戻り、とうとう渚の駅まで来てしまった。半ば諦めながら手袋を外した記憶がある展望デッキへ上がってみると、なんと端っこの柵上に俺の手袋がかかっていた〜 0:) 。ありがとう、気づいて拾ってくれた方

予定では、このあとの公園近くでお昼を摂る予定だったけど、こんな感じで渚の駅と城山公園を行き来し気持ちも落ちついたら急激にお腹が空いたので、せっかくだから渚の駅にある食堂で食べることにした。少し早めの方が客が少ないと思って[d]11時半くらいでほぼ満席だったけど 😐 。

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渚の駅(商業施設棟)

ということで鏡ヶ浦を眺めながら新鮮な海産物・農産物を味わえると評判らしいお店へ。感染対策してテーブル席についたあとメニューを眺め、値段にビックリしつつ期待をこめて海鮮丼(2,480円)をオーダーした。

そして出てきた海鮮丼がこちら:

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海鮮丼(2,480円)

出てきた海鮮丼にびっくりした。御飯が酢飯ではなく、なにやら酢ゼリーなるものが小皿上にある。店員の日本語が聞き取れなかったので、このゼリーの存在がよくわからなかったが、どうやらお好みでこのゼリーを御飯の上におけば酢飯風の味付けになるらしい :|

おいおい。海鮮ネタが載っている御飯の上にどうやってゼリーを載せるのだろう。オマケに醤油も少なく卓上にも醤油がないため、せっかくの大量の海鮮ネタを満足に頂くことができなかった :$。正直ネタも大したことは無い。

ここまでくると残念とか云う俺の感想ではなく、これを造った奴は海鮮丼を食べたことが無いんだな、港街なのにと思ったよ。今まで食べた海鮮丼の中で一番酷かった :(。と同時に、さらに1,000円くらい高い特選海鮮丼なんて注文しなくて良かったと思った。

館山なぎさ食堂
千葉県館山市1564-1


ここからはオマケ。

ここがJR館山駅東口。正面の1階が観光協会:

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JR館山駅東口

こちらが今回の城攻めで活躍してくれた電動レンタサイクル。料金は1日(5時間以上)で1,500円(当時):

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Rent-a-cycle くらりん(YAMAHA製)

この建物は渚の駅にある渚の博物館。なんと、さかなクンが名誉会長でプロデュースした展示物があるらしい。当時は時間も興味も無いのでパスしたけど :X

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館山港・渚の博物館

この建物の周囲にあったもの:

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焼玉エンジン(サンマ船などで使われた)

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捕鯨砲

そして展望デッキからの眺め。まずは山側にある館山城跡。このあと手袋を気付かずに放置していたと思う:

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城山公園

もちろん海側もしっかり眺めてきた:

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鏡ヶ浦

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館山夕日桟橋

これは海中観光船だと思う:

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海中観光船「たてやま号」

館山は晴天だったけど山梨方面はそうでもなかったか:

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浦賀水道ごしに眺めた富士山

こちらが館山夕日桟橋。海釣りのスポットらしいが、そこまでが遠い :P

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館山夕日桟橋

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館山夕日桟橋

一応は腹がふくれたので再び同じルートで城山公園へ。大勢の観光客が登っていった。館山城は里見家の居城だった:

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これは大手道ではないと思う

山頂にある三層四階天守型の建物は、実は麓にある館山市立博物館の分館で、別名が八犬伝博物館。現在のところ館山城に天守の存在は確認されていない:

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天守閣風の博物館

戦国時代には、あたまに「房総の覇者」がつく里見家であったが、その後は秀吉からも家康からも嫌われて取り潰しになるなど不遇であったものの、江戸時代おそくに『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴に救われたと云ったところだろうか。それが真実なのか、この博物館では南総里見八犬伝についていろいろ貴重な史料が展示され、大々的に宣伝していた(入館は有料)。

この模擬天守は戦国時代の典型的な天守の姿を模し二重櫓に入母屋造の大屋根をかけ、その上に小望楼を乗せた構造で、最上階の望楼がホンモノの展望台(入館は有料):

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「関東の富士見100景」でもある展望台

こちらは天守の展望台から眺めた海上自衛隊館山航空基地とか富士山とか:

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館山航空基地と富士山

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館山航空基地とマルエーフェリー「琉球エキスプレス」

標高65mほどの山頂が本丸跡であるが、大戦中に大砲などが置かれたためだいぶ改変されているものの、現在はその一部を利用して展望エリアがあり、そこからの眺望も抜群だった:

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館山市街地の眺め(拡大版)

こちらは公園内にある日本庭園でみかけた水仙:

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水仙

城山公園を出たあともレンタサイクルで散策し、館山城を築城した里見義康公が眠る慈恩院《じおんいん》も参詣してきた。公の墓前にたつ銀杏の木は市指定天然記念物で「ラッパイチョウ」と呼ばれているらしい:

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説明板

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里見義康公墓所脇にたつオハツキラッパイチョウ

実際にそんな銀杏があるのか探しみると本当に落ちていた:

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ラッパイチョウ

最後は館山城の出城といわれている御霊山で見かけた滑り台:

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危険な滑り台

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also館山城攻め (フォト集)
See Also館山城下巡り (フォト集)

参照

参照
a 2019年の台風15号と台風19号。
b 東京湾アクアラインの木更津金田あたりから上りの渋滞が半端ないことと、館山でレンタサイクルを利用したかったので。しかしながら下りなのに到着が遅くなったのは首都高の渋滞。
c 正確にはカメラ操作用の手袋にはき替えたというもの。なので公園まではき替えた手袋のままで、脱いだ手袋の存在を忘れていた。
d 11時半くらいでほぼ満席だったけど 😐 。

手打ちそば処 田毎 – Handmade SOBA of TAGOTO(TAKE3).

先月は令和3(2021)年の小雪《しょうせつ》の候近くの週末に、またまた小田原へ。この日も(前週に続いて)関白秀吉による小田原城包囲戦で豊臣方の諸将が布陣したとされる陣場跡を中心に歩いてきた。

午前中は、七年前に攻めた石垣山城の麓あたりで秀吉本陣の前衛として布陣していた諸将らの陣場跡を巡ってきた。そのあとは早川を渡って小田原北條氏が築いた惣構の遺構へ立ち寄ってから徳川時代の小田原藩主・大久保家の菩提寺を参拝して箱根口跡あたりまでぐるっと散策してきた。

午後も小田原から足柄まで移動して豊臣勢の陣場跡を巡ってくる予定だったので、お昼を早々に摂ろうと、この間に続いて再び手打ち蕎麦屋;)。こうも頻繁に同じ街へくると、なんだか悩みながら店を選ぶのが億劫になってきたことは否めない :D

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手打そば処・ 田毎

で、この日は初心にかえって(?)ミニ天丼と盛りそばのセットメニュー(1,270円)を選択:

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ミニ天丼+もり(1,270円)

ミニ天丼には中サイズの車海老、カボチャ、ピーマン、イカの温かい天ぷらが載っており、何度も同じ店で感想を出すのもなんなんだけれど、安心して食べれる上に普通に美味しい。これが一番かもしれない :D

手打そば処 田毎
神奈川県小田原市本町1-6-20


ここからはオマケ。

まずはJR早川駅から一夜城城通りにそって海蔵寺へ:

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一夜城下通り

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史跡巡りコース

海蔵寺は、秀吉本陣の前衛を任された一人で小田原城包囲中に陣没した堀久太郎秀政公の供養塔[a]この本堂とは道路を挟んで向かい側の高台に供養塔がある。がある:

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海蔵寺本堂

石垣山一夜城歴史公園へ向かう坂道は太閤秀吉にあやかってか「出世道」なんて名前がついているらしい:

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「出世道」

しかし小田原市は、小田原北條氏からみれば敵《かたき》にあたる関白秀吉をいやに持ち上げている感がするな :|

出世道沿いには小田原城包囲戦に関する説明板が立っていた[b]しかし、この手のものに興味がない人にとっては全く無用の説明板だが。

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「宇喜多秀家」の説明板

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「伊達政宗」の説明板

この説明板、よく見ると「石垣山に参陣した」って書いてあるけど秀家の本陣は石垣山ではないし、政宗の軍勢は包囲軍には参加していないけど・・・ :|

こちらは細川幽斎とその息子の忠興が北條勢を蹴散らして陣を置いたとされる富士山陣城《ふじやま・じんじろ》跡[c]遺構は残っているらしいが、現在は私有地で立入禁止だった。先日行って来たと、その麓を走る小田急の箱根登山線:

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富士山陣城跡

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小田急1000形

このあたりは猿が出没するらしい:

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「猿に餌をやらないでください」

こちらは小田原城本丸方面の眺め;

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小田原城の遠望(拡大版)

位置的に、北條氏政が篭っていた本丸が正面あたり(現在の小田原高等学校附近)、右手に見える現代の天守閣が建っている場所は北條氏直が篭っていた御殿跡だったとされている。

ともあれ、石垣山に布陣していた豊臣勢から小田原城は「丸見え」だったと云える。

もう少しズームさせて、近世城郭の小田原城本丸・二の丸・三の丸あたりの遠望がこちら:

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左手に天守閣が建っている(拡大版)

こちらは里見義康や小早川隆景らの陣場跡がある方面:

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里見・小早川・吉川らが布陣した丘陵

のちに豊臣政権で五大老の一人となる小早川隆景が本陣をおいたあたりから小田原城を見下ろしたところ:

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難攻不落?の小田原城を一望できる(拡大版)

こちらは小田原城惣構の早川口遺構の一部:

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早川口遺構

最後は、小田原藩主だった大久保家の菩提寺・大久寺境内に咲いていた御会式桜《おえしきざくら》:

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御会式桜

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also堀秀政公供養塔 / 堀秀政公墓所(2) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(2) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(3) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 早川口遺構 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 箱根口遺構 (フォト集)
See Also大久保家菩提寺の大久寺 (フォト集)

参照

参照
a この本堂とは道路を挟んで向かい側の高台に供養塔がある。
b しかし、この手のものに興味がない人にとっては全く無用の説明板だが。
c 遺構は残っているらしいが、現在は私有地で立入禁止だった。先日行って来た

そば処・寿庵 − Their Katsudon seems to be just a little bit difference.

先月は令和3(2021)年の立冬の候を過ぎた週末、すこし前に集め始めた「巡礼!戦国北条カード」なるコレクション・カードの最後の一枚を手に入れるため箱根町立郷土資料館へ行って来た。

さらに先日観てきた『開基500年記念 早雲寺−戦国大名北條氏の遺産と系譜−』に展示品を提供し、小田原北條氏五代の墓所(供養塔)が通年で公開されている早雲寺[a]てっきり年に一回(例えば文化の日とか)の公開だと勘違いしていた。年に一回は寺宝の方だった 😮  。にも足を運んできた。郷土資料館から徒歩で15分ほどだった。

それから再び小田原へ向かい、今から430年くらい前の関白秀吉による小田原城包囲戦で豊臣勢の陣地跡を巡る予定だったので小田原駅東口[b]利用するバスが伊豆箱根バスだったので。周辺でお昼を摂ることにした。

で、こののところ三たび(?)、七年前に初めて小田原城跡を攻めたあとにお昼で刺身定食を頂いた居酒屋へ行ってみたけど、未だ開店しておらず、さらに家族連れの行列ができていたので、今回もやむなく諦めることにして:$、バスの時間に間に合いそうな御食事処を探していて見つけたの蕎麦やうどん、さらには丼ものあるし、昼間からお酒も飲めるお店

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そば処・寿庵

このそば処は、東海道本線[c]当時は熱海線。の終着駅として小田原駅ができた大正9(1920)年の創業という老舗らしい。このあとの午後はけっこう歩く予定だったのでいちばんに御飯ものを選択。ただ老舗のお蕎麦も食べたかったので+300円して丼と冷たい蕎麦の合せにした ;)

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カツ丼と冷たい蕎麦の合せ(930円+300円)

メニューには「そば屋のカツ丼は一味違います。」って売り文句が書いてあったので注文してみた。まずカツと同じくらい大きなタマネギ。タマネギ好きとしては高得点。タマネギの甘みに塩っぱい醤油ダレがいい具合で合っていた 8)。とんかつはヒレ肉か何かで柔らかかったの比べ、逆に蕎麦はいたって普通。正直なところ老舗っていう程の特徴は見つからなかった。俺的には前の週に食べた店の方が美味かったと云う感想 :X

そば処・寿庵
小田原市栄町2-1-26


ここからはオマケ。

この日の箱根湯本は天気が良かった:

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箱根湯本駅と箱根町塔之澤(拡大版)

箱根の観光風景:

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早川と箱根の山並み(拡大版)

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国道R1沿いの土産ロード

箱根町郷土資料館へは、まず「あじさい橋」を渡る:

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あじさい橋

渡った先に案内板兼展示紹介が置かれていた。当時の特別展示は、やはり渋沢栄一関係:

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箱根町役場方面へ

こちらが郷土資料館。眼の前に町役場がある:

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箱根町立郷土資料館

観覧料(300円/当時)を払って特別展を観てきた。ここでは早雲寺を開山した以天宗清《いてん・そうせい》像のカードを入手[d]資料館窓口の前に束になって置かれていた。おもむろに三枚も取ってしまった 😀 。し、これで全七種のカードが揃うことになった:

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とうとう全て入手した「巡礼!戦国北条カード」

ここからだと箱根町役場の脇にある階段を使って早雲寺へ行くのが最短ルートらしい:

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早雲寺への近道

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箱根町役場

最短ではあったが坂を登ったり降ったりする必要がある :O

早雲寺へ向かう途中にあった早雲寺林。公園化されておりヒメハルゼミと云う貴重なセミが生息するらしい:

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早雲公園

こちらが早雲寺の惣門(山門)。東海道沿いから:

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早雲寺の惣門(山門)

東海道を挟んで眼の前に建っているのは箱根・花紋と云う温泉旅館。なぜか天守閣のような外観だった:

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箱根・花紋

惣門をくぐって進むと早雲寺の境内に至る。境内はまさに紅葉のまっただ中だった:

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早雲寺の境内(拡大版)

早雲寺は、はじめ秀吉の本陣が置かれた場所であるが、石垣山城が出来て移ったあとは焼き払われてしまった。今の早雲寺は江戸時代に復興されたもの。

ところ変わって、こちらは小田原市内の久野というところを流れている山王川。この川を境に、往時は豊臣勢と小田原北條勢が対峙した:

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山王川

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山王川

この下流に徳川家康らの陣場跡がある。位置関係としては、ちょうど左手に豊臣勢が布陣、右手が小田原勢が籠もる惣構って感じ。

ここから小田原城惣構に食い込むように布陣したのが蒲生氏郷らの軍勢で、氏郷は神山神社《こうやま・じんじゃ》附近の高台に本陣を置いたらしい:

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神山神社

特に氏郷らが本陣を置いた遺構は残っていないが、昭和2(1927)年に奉納された魚雷が展示されていた:

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45cm四四式二号魚雷

この由来によると、神社関係者が戦前に旧日本海軍から譲り受けたものらしい。明治44年制式45cm弐号魚雷とのこと:

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意外としっかりとした魚雷だった。ネジ穴は水中の抵抗を考慮したもの:

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ネジ穴は涙滴型

このあとは黒田官兵衛勢の陣場跡だった高台へ登ってきたが、その周辺は小田原ではおなじみの柑橘系の畑が多かった:

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大きなミカン

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ミカン畑

ホント、ミカンだらけ:

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ミカンだらけ

黒田官兵衛が本陣を置いたあたりから小田原城本丸方面の眺め:

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北條氏時代の小田原城本丸方面(拡大版)

蒲生や黒田らは小田原城惣構を北西側から見下ろすような高台に本陣を置いていたらしい。

この辺からの眺めは抜群だった 8)

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小田原市街地の眺望(拡大版)

こちらは小田原城跡とは反対側の眺め。奥に聳えるのは丹沢連山:

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丹沢方面の眺望(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also小田原城攻め / 北條氏墓所・墓碑 / 早雲寺と北條五代の墓所 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 北條氏墓所・墓碑 / 北條幻庵屋敷跡 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(1) (フォト集)

参照

参照
a てっきり年に一回(例えば文化の日とか)の公開だと勘違いしていた。年に一回は寺宝の方だった 😮  。
b 利用するバスが伊豆箱根バスだったので。
c 当時は熱海線。
d 資料館窓口の前に束になって置かれていた。おもむろに三枚も取ってしまった 😀 。