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宇都宮餃子館(TAKE2) − Utsunomiya Gyoza again, but ….

先週は、平成29(2017)年10月の三連休を利用して栃木県にある城攻めへ。東京近郊からでも近いようで遠い宇都宮周辺にはこれと云って記憶にとどまるような名城・堅城は無いと思っていた:Xこともあり「後回し」にしていた感があるのだけれど、実際に調べてみると意外と整備・復元された城跡が残っていることが分かったので、この機会に一泊して攻めてきた。

「宇都宮」と云うと今年の春あたりに初めて訪問し、B級グルメの餃子を食べてきたわけだけど、今回も最終日に宇都宮城を攻めてJR宇都宮駅西口へ戻った後に食べてきた。おまけに今回も時間が無いので、行列しないでささっと入った店がなんと前回と同じ系列の店だった:O

宇都宮餃子館・餃子村本店

まぁ一度知ったお店ということで、ある意味で安心して出てくるのを待つことができたわけだけど、それにしても宇都宮餃子のお店は客が行列する所としない所では、こうもはっきりと違いがあるものなのかと改めて思った:D。そんなに餃子に思い入れが無い自分としては行列してまでして食べようとするパワーは無いのだが。

今回も前回と同様に「W健太セット」(800円)を注文した。なぜか前回よりも100円安かったが:

W健太セット(800円)

相変わらずの冷凍餃子で御飯が少ないのだけれど、「酢+醤油+ラー油」の他に「酢+胡椒+ラー油」のタレを作って少ない御飯で一気に食べてきた。まぁ、こちらも変わらずインパクト無く普通に美味しい餡:

実体は冷凍ぎょうざなんだけど・・・

せっかくなんで実家に冷凍餃子のお土産を送り、駅西口にある餃子像を眺めて、次の城攻めへ向かった:

餃子像

宇都宮餃子館 餃子村本店
栃木県宇都宮市駅前通り3-4-4


ここからはオマケ。

城攻め初日は鹿沼(かぬま)市にある鹿沼城址へ。現在は御殿山公園の野球場になっていて、二重堀の他に殆ど遺構は残っていなかったが、この日は晴天の上に運良く鹿沼秋まつりの最終日ともあって、街中は大勢の人達と山車やお囃子を堪能できた:

鹿沼今宮神社の鳥居

鹿沼今宮神社は鹿沼城主・壬生義房が歓請した神社らしい。こちらは拝殿:

鹿沼今宮神社の拝殿

鹿沼まつりはユネスコの無形文化遺産に登録されているのだとか。これは「囃子屋台」と云うもので、今宮神社の付け祭りで巡行する豪華絢爛な彫刻を施した山車らしい:

例幣使街道(れいへいしかいどう)で観た囃子屋台の揃い曳き

まちの駅・新鹿沼宿には沢山の観光客や地元民で大賑わいで、その前を囃子屋台が囃子をしながら巡行していた:

彫刻屋台の囃子

こちらは日光金崎から徒歩30分ほど所にある西方(にしかた)城址へ向かう途中に県道R177沿いから眺めたところ:

西方城址

暑い中をてくぽく歩いて、さらに20分ほど登山した城域からの眺めは靄っていたが、やはり気持ちが良かった。自分以外に誰も居なかったし:

西方城址から宇都宮方面の眺望(拡大版)

こちらは宇都宮城址公園で復元された清明台と富士見櫓:

宇都宮城の天守の代わりとなった清明台

宇都宮城の富士見櫓

規模といい復元レベルといい大したことがなかったが、昨年あった連続爆発事件の影響だろうか、公園内では警備員を何回も見かけた:

園内を巡回する警備員

そして今回の城攻めの最後は鬼怒川沿いの河岸段丘に築かれた飛山城(現在の飛山城史跡公園)であるが、そこまで行く公共機関の少なさから今回は見送ろうかかと考えたけど、実際に行ってみると見応えがあって良かった。こちらはJRバスの最寄り駅の時刻表。こんな状況なので美味しい餃子を食べるのに行列する暇はなかった訳だが、むしろ良かった:

平日と大差ない本数だった

飛山城の大手脇にある櫓台跡。正直なところ、ここまで復元されているとは想像すらしなかった:

綺麗に整備されていた史跡公園

さらに鬼怒川に面した所からの眺望はよく、空気が澄んでいれば男体山などの連峰を眺めることができるらしい:

鬼怒川

ホントに条件が合えば、ここからも富士山を拝めるらしいが・・・:

鬼怒川と宇都宮市街

鬼怒川と宇都宮市街

帰りは湘南新宿ラインのグリーン車に乗って(売れ残りの)駅弁を食べながら帰宅した。これは大したことはなかったなぁ(駅弁の名前も忘れた):$

大して美味しくなかった駅弁(700円)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also鹿沼城攻め (フォト集)
See Also西方城攻め (フォト集)
See Also宇都宮城攻め (フォト集)
See Also飛山城攻め (フォト集)

名古屋名物みそかつ 矢場とん − Misokatsu Yabaton.

今年は平成29(2017)年のお盆休みの城攻めツアー最終日[a]予定では、この翌日も帰宅ギリギリまで城攻めする予定だったけど、(連日、晴天だった)岐阜県・愛知県もとうとう雨になってしまい、帰省ラッシュにぶつからないよう早々に帰ってきた。は、何年か前に一度行った国宝[b]くどいけど、天守だけ。犬山城跡と、最近にわかに話題としてあがっていた小牧山城跡へ。
この日は連休明けの月曜日であり、空は曇りでちょっと活気の無い天気だったので国宝といえど、それほど混むことはないだろうとたかをくくって行ってみたら、大変な混みようだった:(。三層四階の天守閣の階段は行列、最上階の展望エリアも行列、どこへ行っても行列状態 :$。ちょっとうんざり。でも今回は木曽川越しに天守を眺めることができてよかった。しかしながら、この年の7月に落雷で鯱の片方が破損したらしく、ちょっと締まりのない天守だったけど。

お昼を軽く犬山駅前で済ませから織田信長が築いた小牧山城跡へ。こちらは想像していたよりも大きな城跡で、さらにニュースでも取り沙汰されていた遺構が見所だった。あと一直線に伸びる大手道なんて、いかにも信長っぽいなぁと思ったり8)

そして、この日の城攻めを終えて尾張一宮にある宿泊先へ戻ろうと経路を確認してみると、地勢上はホント真西にある街なのに電車ではぐるりと遠回りする必要があった[c]ちなみに、直線距離を徒歩で移動しようとすると2時間ほどらしい。。夕飯のことを考えると昨日のように駅周辺で見つけるのは難しいので、遠回りながら名古屋経由で帰るルートならば名古屋で下車して名物でも食べていくことにした。で駅ナカで迷うのもなんなので、この日も昨日と同様に名鉄百貨店を利用した。

一応は鰻を食べたかったので、名鉄百貨店本館9Fグルメステーションにあるまるや本店でひつまぶしでもとエレベータを下りて向かった先には人、人、人の山。待ち時間は60分以上。もう頭がクラクラしてきた:O。その時、ちょっと途方にくれていた目に写ったのがみそかつ 矢場とん

昭和22年創業の矢場とん

昨日の夜もトンカツだったっけなぁと思うまもなく並んでいた。こちらは10分程度の行列。と思ったらお一人さまと云うことでそのままカウンターに:D!!。まずはグラスビール(432円)。お通しに矢場とん自慢の一品「豚肉のしぐれ煮」が:

豚肉しぐれ煮とグラスビール(432円)

そしてMain Dishには名物「わらじとんかつ(1,296円)」にも惹かれたけど、ここは贅沢に「リブとんかつ定食(1,728円)」にした。さらに「天然ジャンボ海老ふりゃ−(1,296円)」も追加で注文してしまった。どれくらいジャンボなんだろう?と想像しつつ、目の前に置いてあった「矢場とん 〜みそかつのいろいろな食べ方〜」を熟読しておく:

味噌カツの食べ方

で15分くらい待ってできたのがこちら。御飯のおかわりは有料。味噌汁は豚汁でもよかったかなぁ:

リブとんかつ定食(1,728円)+ジャンボ海老ふりゃ−(1,296円)

リブとんかつにはたっぷりの味噌だれを目の前でかけてもらった:

味噌だれをかけたトンカツ

肉厚で、甘みのある味噌だれが口っぱいに広がり、パクパク、もぐもぐ行けた:D。御飯は少なめだったけど、ビールを飲んでいたので良かったかも。

そして「ジャンボ」海老ふりゃ−。あれ!? 俺が想像していたジャンボサイズとはかなり差があるなぁ:|と云う感想がまず出てきた。まぁ頭(かしら)も付いているので残さず全て食べてしまったけど。味はごくごく普通:

「ジャンボ」じゃなかった海老ふりゃ−

まぁ、とりあえず最終日の夜にして本格的な味噌カツを頂けたのはいい思い出になった。ちなみに豚一家も矢場町本店で完食していたようだ。

次の日は加納城・川手城を攻める予定だったけど、雨だし新幹線は帰省ラッシュで混みそうだったので早々に帰宅した。

矢場とん 名古屋駅名鉄店
名古屋市中村区名駅1-2-1名鉄百貨店本館9階


ここからはおまけ。

まずは木曽川にかかる犬山橋から眺めた犬山城。正面に見える山も実は城跡(伊木山城)。前回初めて来た時は本丸跡に建つ天守閣だけ見たけど、是非とも木曽川の対岸から眺めてみたかったので今回は犬山駅ではなく犬山遊園駅で下車した:

犬山城と木曽川(拡大版)

望遠でのぞいた天守閣。朝一で来たのに、この日は予想に反して[d]というか、予想が甘かった。、この後の本丸跡と天守閣は大勢の観光客で大行列になっていた:

国宝・犬山城

よく見るとわかるけど鯱が片方なかった。落雷で破損したらしい。天守閣の中に展示されていた:

木造の現存天守(望楼型三層四階地下二階)

この辺りで目撃した動物たち:

木曽川を泳いでいた鴨の家族

IMGP5639.resized

熱した鉄板のようなアスファルトの上を歩いていたカナヘビ

三度、犬山城の天守閣。これはライン大橋から眺めたところ:

木曽川を望む丘陵上に建つ天守(拡大版)

で、本丸跡はこんな感じ。あまりの人で天守閣くずれないか心配してしまった:

重くて崩れないかと心配になる

三層四階の天守閣最上階からの眺め。木曽川は大きいなぁ:

北東の眺め

南西の眺め

小牧山城跡は現在も発掘調査が続いており、ありがたいことにいろいろ説明板が用意されていた:

本丸石垣跡

本丸跡にあった織田木瓜の幟:

織田家の家紋である織田木瓜

この辺りで目撃したその他のもの。小牧山市には県営名古屋空港があるので、頻繁に飛行機が飛んでいた:

名古屋空港から飛び立った飛行機

なぜか烏と目があった

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also犬山城攻め (フォト集)
See Also小牧山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 予定では、この翌日も帰宅ギリギリまで城攻めする予定だったけど、(連日、晴天だった)岐阜県・愛知県もとうとう雨になってしまい、帰省ラッシュにぶつからないよう早々に帰ってきた。
b くどいけど、天守だけ。
c ちなみに、直線距離を徒歩で移動しようとすると2時間ほどらしい。
d というか、予想が甘かった。

とんかつ珠圓 − Pork Cutlet of Juen at OWARI-ICHINOMIYA.

今年は平成29(2017)年のお盆休みの城攻めツアー二日目は、かっては『西美濃』とも呼ばれていた西岐阜へ。この辺りは、後世に天下分け目の決戦と呼ばれた関ヶ原の合戦場と、その前哨戦の舞台となった大垣城との中間点に位置する交通と軍事の要衝で、この地には、これまた後世に聞こえた名軍師・竹中半兵衛にゆかりの城跡や墓所、そして彼と共に両兵衛と呼ばれた黒田官兵衛の嫡男・松寿丸[a]のちの黒田長政。が匿われた場所[b]父・官兵衛が有岡城に籠城した荒木村重を翻意させるため単身で乗り込んだものの逆に捕縛され幽閉された。この時、織田信長は官兵衛が裏切って村重に同調したと思い込み、人質として岐阜に置かれていた松寿丸を処刑するよう半兵衛に申し渡した。彼は官兵衛を信じていたので、現在は五明稲荷と呼ばれていた家臣の家に匿い、信長には虚偽の報告をした。、さらには病身ながら関ヶ原の合戦では西軍についた義将・大谷吉継の軍勢を実際に指揮した勇将・平塚為広の居城があり、ついでにお隣の大垣市にも足をのばして大垣城もど〜んと見て回ってきた。
特に今回は、標高402m程の山頂に築かれた竹中半兵衛の居城の菩提山城を攻めるために、麓からかれこれ60分以上かけて山登りするなど、見て回る名所が広範囲になったのでレンタル・サイクルを利用することにした。おかげで大垣へ移動した時は足がパンパンになって釣ってしまった:$

この日最後の城攻めを終えて大垣から岐阜経由で尾張一宮にある本日の宿泊先へ移動した[c]お盆シーズンともあって、これはこれで超満員の電車だった。。そして夕飯だけれど、事前に調べておく時間がなかったので現地へ行って決めようと考えていたのだが、駅周辺はなんだか全国チェーン系列のお店ばかり。この日は大変な暑さの中をサイクリングして登山したので、どうしても「肉のパワー」で体の疲れを癒やしたいと思っていたのに。もちろんチェーン店でも味噌カツなんてのはあるだろうけど :O。そう考えると是が非でも味噌トンカツが食べたくなったので、Googleさんにお尋ねしたところ、この周辺にあるとんかつ屋はどれも頭一列といった感じ:/。結局は、この日も宿泊先から近い名鉄百貨店7Fにあるグルメフロアのとんかつ珠圓なるお店へ。

お盆休みだから並ぶのは必至と思い込んで行ってみると、殆どお客がいなかった…:O。この日の夜は大河ドラマがあるので、さっさと食べて宿へ戻ろうとメニューを見て迷うこと無く「特選厚切ひれかつ膳(140g)」(1,690円)とグラスビール(450円)を注文した。御膳がでてくるまでの間、ビールを飲みながら今日のサイクリングや登山を振り返っていたら、出てきたのがこちら:

特選厚切ひれかつ膳(140g)(1,690円)

やっぱり味噌だれ:

味噌だれ

注文してから豚肉を手切りし、衣をつけて揚げた「つくりたて」のトンカツはジューシーで美味しかった:

柔らかいひれかつを味噌ソースで

柔らかいひれかつを存分に堪能し、丸美屋の卵ふりかけで頂いた御飯はおかわりできないシステムだったので、速攻で宿へ戻って風呂入って、大河ドラマを見て寝ることにした。

とんかつ珠圓
愛知県一宮市新生1丁目1-1


ここからはおまけ。

この日は見て回る所が多く、広範囲にわたったのでJR垂井駅前の垂井町観光案内所で提供しているレンタサイクル(500円)を利用した。
こちらが今回レンタルした自転車で、他もみな関ヶ原の合戦に所縁のある武将の名前が付いていた:

レンタルサイクル(500円)

今回レンタルしたのは「浅野幸長公」号

この観光案内所でのレンタル時間は09:00am〜02:00pmとかなり微妙な時間帯であった。この日は菩提山への登山も予定していたので、02:00pmまでに戻ってこれるものか不安だったので万が一のこととして聞いてみると、戻ってきたら自転車を案内所脇に置いて鍵をしめ、案内所のシャッターを少し上げれると中のドアが開くので、鍵を中に置いておいてくれれば良いよと云って貰えた。まぁ、この時は間に合うだろうと安易に考えていたのだが、実際のところ間に合わなかった。ホント聞いておいて良かった〜0:)

自転車でまず最初に行ったのは垂井城跡。この城跡の近くには『垂井の泉』なる名跡がある。この泉は岐阜県指定の天然記念物で、大ケヤキの根本から湧き出したということで「垂井」と云う地名の起こりににもなったらしい。大ケヤキは樹齢800年程で、高さ約20m、目通り約8.2mもあるとのこと。松尾芭蕉も立ち寄って一句詠んだと云う名跡である:

垂井の泉

大ケヤキ

そしてアブラゼミ:

アブラゼミ

このあとは20分程かけて竹中氏陣屋跡へ。軽い上り坂が続いて意外と時間がかかった。

こちらは相川。岐阜県不破郡関ヶ原と垂井町、大垣市なんてところを流れる木曽川系一級河川:

この日も前日に続いて暑かった〜

こちらが豊臣秀吉の初期の頃の軍師・竹中半兵衛重治の像。竹中氏陣屋前に置かれていた:

竹中半兵衛重治公の坐像

竹中氏陣屋跡を攻めたあとは、この隣りにある垂井町立岩手公民館の駐車場にレンタル・サイクルを置いて菩提山城へ徒歩で移動した。で、その公民館の前には「さざれ石」やら「力石」なる巨石・奇岩が置いてあった:

すぐ近くの伊吹山が主要産地と云われる「さざれ石」

江戸時代の力比べで使われた巨石らしい

自転車を置いて公民館脇に建つ菁莪(せいが)記念館から西へぐるりと周る感じで、菩提山ハイキングコースを利用して山頂にある城まで徒歩で移動した。

その途中の風景。まずは南宮山(なんぐうさん)。関ヶ原の戦では西軍の毛利氏が陣を構えた山であり、現在はその麓あたりにJR東海道新幹線が通っていた:

南宮山(拡大版)

こちらが新幹線。菩提山ハイキングコースの登山口へ移動する間、何度も新幹線を目撃した:

南宮山の麓を疾走する新幹線(拡大版)

そして東海道本線を渡って登山口へ:

東海道本線

登山口から城跡がある山頂までは結構な角度の坂を約50分ほど登っることになったが、その甲斐があって標高402mの山頂からの眺望は素晴らしかった。ちなみに、この城から岐阜城を見ることもできた:

菩提山城の出丸跡からの眺望(拡大版)

こちらが菩提山城の本丸跡。城の周囲は急峻な崖になった戦国時代特有の山城である:

菩提山城の本丸跡

こちらは菁莪(せいが)記念館に展示してあった岩手弾正の鎧。竹中氏はこの岩手弾正を不破から追い出して、この辺り一円を支配したと云う:

岩手弾正の鎧

最後は大垣城天守閣の鬼瓦。天守三層南西隅にある鬼瓦は邪鬼を踏みつけて天守を鎮護していた:

復元された鬼面鬼瓦と邪鬼

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also垂井城攻め (フォト集)
See Also黒田長政ゆかりの五明稲荷 (フォト集)
See Also竹中氏陣屋攻め (フォト集)
See Also菩提山城攻め (フォト集)
See Also竹中重治公墓所と禅幢寺 (フォト集)
See Also大垣城攻め (フォト集)

参照

参照
a のちの黒田長政。
b 父・官兵衛が有岡城に籠城した荒木村重を翻意させるため単身で乗り込んだものの逆に捕縛され幽閉された。この時、織田信長は官兵衛が裏切って村重に同調したと思い込み、人質として岐阜に置かれていた松寿丸を処刑するよう半兵衛に申し渡した。彼は官兵衛を信じていたので、現在は五明稲荷と呼ばれていた家臣の家に匿い、信長には虚偽の報告をした。
c お盆シーズンともあって、これはこれで超満員の電車だった。

金華山展望レストラン・ポンシェル − A French Restaurant On The Famous Castle!?.

今年は平成29(2017)年のお盆シーズンは日本全国の天候が不順で、興味深く攻めることができそうな城がなかなか決まらず、休みに入る二日前くらいの天気予報でなんとか攻めれそうな城を見つけ、思い切って宿泊先を確保し三泊四日の城攻めツアーへ行ってきた。
実際のところ、お盆休みは前半の数日間だけ天気が良く、後半はボロボロだった ;(。そういうことで雨ふったらどうしようか等と余計な代替プランも併せて考えるのに時間をくって、やや強行感が否めず、寝不足のままお盆休み真っ只中の新幹線に飛び乗った。行き先は岐阜県。
この日の関東は早朝から大雨。まずは07:47amのJR新幹線のぞみ101号・広島行[a]この新幹線はその昔の広島出張でよく利用した便だった。懐かし〜。に乗り09:21amに名古屋に到着。それからJR東海道本線特別快速・米原[b]「まいばら」と読む。今までずっと「よねはら」って読んでいた。行に乗り、09:50amに人生初の岐阜へ上陸した :)。関東とは異なり、ここ岐阜は晴天。初日の最初は岐阜城跡へ。

まずは岐阜駅の北口に建つ織田信長公に挨拶。でもなんで金色なんだろう!?:|

織田信長公像

それから岐阜バスの岐阜公園・岐阜城・岐阜市歴史博物館行きに乗って岐阜公園歴史博物館前と云う停留所で下車したのが10:25am。ここまでは全然順調。しかしながら、流石に岐阜。気温が高く、ちょっと大変な城攻めになりそうな予感。

バス停から歩いて、プランどおり金華山の麓で現在でも発掘調査が続いている信長公居館跡を見学。暑い中をじっくりとプランどおりの時間を一杯一杯使って見て回り、これまたプランどおり金華山ロープウェイで山頂にある岐阜城を攻めようと切符売り場へ移動してみると、炎天下の中で行列に並ぶことに :O

炎天下の中を10分ほど並んでやっと屋内へ

まぁ、普通に考えれば、晴天の岐阜で眺めの良い金華山へ登ろう感覚で行くなら混雑して行列になるのは当然だろうと想像できたはずで、ゆっくり信長公居館跡なんか見て回っている場合でないことも理解できたはずなのだが、今回の強行城攻め(我攻め)のツケが徐々にやってきた感じ:$[c]混雑や行列を想定して、まず何よりも先に山頂に登って天守閣からの眺望を拝んで、人が少ない時間帯に早々と写真を取って麓に下りるべきだった。眠くて暑くて頭が回らなかった。。これは山頂へ行って天守閣へ向かう時にも痛感した。山頂は、とにかく大変な混みようなのである。
岐阜城をゆっくりと堪能させてくれない人混みと熱気と暑さである。とにかく人ばかりで、天守閣などの遺構を写真に納めるのに炎天下で人が過ぎるのをただひたすら待つしかないのである ;(

そんな感じでなかなか良い写真を取らせてくれないジレンマに悩まされる中、時間はプランどおり刻々と過ぎていく。ということで展望レストランで昼を摂る予定だったけど、次の予定もあるので時間的にスキップするしかないかなぁと思ったが、やはりこの気温では体力の消耗が激しく、この後のお寺巡りも不安が残ったのでしっかりと食べることにした。で、写真の奥に見えるのが展望レストラン・ポンシェル(フランス語で Le Pont de Ciel):

城跡にフランス・レストラン?

岐阜城にフランス料理のレストランがあるのか?と思って行ってみると、食券を買って行列に並ぶ普通の日本式レストランだった。違うのは、ここからの見晴らしが岐阜城の天守閣よりも良いこと! 8)。時間帯なのか高い店なのかわからないが、ありがたいことに窓際の席に案内された。岐阜城から長良川を見下ろし、さらに先には関ヶ原が:

展望レストランからの眺め

ここでは予め決めておいた岐阜県B級グルメでグランプリをとった「信長どて丼」(750円)を注文。箸袋には、織田家の家紋である織田木瓜も:

箸袋

信長どて丼(750円)

お腹が減っていたのでペロリと完食した。マスタードが良いアクセントになったし、岐阜の赤味噌もよかった。食べ終わってよく見ると丼の底にも織田木瓜が:

完食

最後にデザートについていた杏仁豆腐を食べながら眼下に広がる岐阜市街地を眺めていると、なんだか店を出たくなくなってきた:P

金華山展望レストラン・ポンシェル
岐阜県岐阜市千畳敷下257 金華山山頂


ここからはおまけ。

実はお金を払って展望レストランに行かずとも、レストランの建物の屋上がビアガーデン会場になっていて、さらに昼時なら誰もいないので思いっきり素晴らしい眺めを堪能できるのだ;)

展望レストランと同じ角度での眺め(拡大版)

岐阜城天守閣近くに建つ岐阜城資料館(天守閣とセットで有料)では信長公ゆかりの甲冑や漫画「センゴク権兵衛」(宮下英樹氏)のパネル、ゲーム信長の野望のパッケージイラストで有名な長野剛氏の信長公肖像などが展示されていた。
こちらは長野剛氏の信長公肖像画:

「信長の野望」ではお馴染みのイラスト

宮下英樹氏のセンゴク権兵衛のイラスト:

IMG_5522.resized

センゴク権兵衛の信長公

センゴク権兵衛

レプリカ甲冑。左手はビロード風の南蛮マントが印象的な銀箔押南蛮胴具足(甲冑師・熱田伸道氏の作)、右手は「舌を噛みそうな名前」の黒塗濃萌葱糸素懸威二枚胴具足(同氏の作):

(ぎんぱくおし・なんばん・どうぐそく)

IMG_5517.resized

(くろぬり・のうもえぎいと・すかけおどし・にまい・どうぐそく)

こちらはロープウェイで下りて岐阜公園総合案内所近くで見上げた岐阜城の山頂付近。左手から天守閣・気象庁の施設・展望レストラン・ロープウエイ山頂駅:

岐阜城山頂付近(拡大版)

そして若き信長公の騎馬像。案内所ができるまでは同じ麓にある信長公居館跡前に置かれていたらしい:

「若き日の織田信長像」

最後に、長良川と金華山。信長公の時代は稲葉山とも。こんな風に眺めるといかにも難攻不落の城のように見えるが、実は五回も落城している:

長良川に架かる長良橋から

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also岐阜城(稲葉山城)攻め (フォト集)

参照

参照
a この新幹線はその昔の広島出張でよく利用した便だった。懐かし〜。
b 「まいばら」と読む。今までずっと「よねはら」って読んでいた。
c 混雑や行列を想定して、まず何よりも先に山頂に登って天守閣からの眺望を拝んで、人が少ない時間帯に早々と写真を取って麓に下りるべきだった。眠くて暑くて頭が回らなかった。

レストラン ナカタ − Western Style ‘Katsu-Don’ as a Nagaoka Soul Food.

今年は平成29(2017)年のGWは「越後攻め」で、四日目は「越後の虎」こと上杉謙信の幼少期と青年期にゆかり深い長岡市栃尾にある栃尾城跡を攻めてきた。

この栃尾は、後に「聖将」として知られることになる謙信公が林泉寺の修業とはおよそ180度異なった弱肉強食の戦国乱世で、胸せまる葛藤から「義」の精神を大悟し、整斉(せいせい)たる戦法を駆使して、軍神たる風貌と絶対的なカリスマ性によって国内を統一する足がかりとなった土地である。

この日は前日同様に、早朝7:00amに新潟から信越本線を1時間半近くかけて長岡駅まで移動し、東口のりばから越後バス快速(新榎経由)の栃尾線に乗り、中央公園前と云う停留所で下車した(当時560円)。そこから登城口まで移動し、標高227mの鶴城山(かくじょうざん)に造られていた栃尾城址をたっぷり時間をかけて攻めてきた。途中「本丸」にあたる実城跡にはたくさんのミツバチが飛来していてかなり驚いたが、特に攻撃されることは無かった :)。それから下山して「雁木の町」や謙信公ゆかりの場所などを巡り、ビールを飲んだり、お土産に栃尾の「あぶらげ」(油揚げ)を買ったりして、バスの時間まで楽しい一時を過ごすことができた

そして4:00pm位のバスで長岡駅まで戻ってきた。そこから宿のある新潟まで戻る前に、ここ長岡で、その昔に豚一家が完食していた洋食屋で食べて行くことにした。

こちらがレストラン・ナカタの入口で、店自体は2Fにある。若干わかりづらい場所だったので道に迷ってしまったが無事に到着した:

レストラン ナカタ

2Fへあがったところの店構えは、こんな感じ:

レストラン ナカタ (2F)

店内は、ホント洋食屋と言った感じで落ち着いた雰囲気だった。洋食屋なので肉メインでいろいろなメニューがあったが、ここは豚一家が食べていた「長岡ご当地B級グルメ」の洋風カツ丼コース(デミグラスソース)にした:

洋風カツ丼のデミグラスソースのコース(1370円)

味付けがデミグラスの他にケチャップベースもあって、あとで知ったのだが豚一家はケチャップベースの方を完食していたようだ。二つのソースを一度に楽しめるハーフ&ハーフもあったのでかなり迷ったが、帰りの高速バスの時間が迫っていたので、急ぎ注文して食べてきた。

もう少しライスが多めであればよかったが、普通に美味しかった。デミグラスソース?はちょっとよく分からなかった。もうちょっと濃ければよかったかなぁ :O。そしてコースの最後にデザートを頂いた:

この日のデザートはプリン

これは素朴に美味しかった ;)。最後に諄いけど、やっぱりケチャップベースにしておけば良かったかなぁと悔やんだが足早に店を出て長岡駅大手口へ向かい、6:00pm発の高速バスに乗り込んで1時間半かけて宿泊地の新潟駅まで移動した(当時片道980円)。前日はJRで戻ったが、この日は栃尾城攻めの最中に山菜採りに来ていた地元のおばちゃんが教えてくれた高速バスにした。こちらの方が160円ほど安かった。時間はかかるけど。

レストラン ナカタ
新潟県長岡市坂之上町2-3-6


ここからはおまけ。

こちらが越後バスで下車した栃尾の中央公園前付近。正面に見える丘陵が栃尾城跡:

越後バスの中央公園前停留場

右手が公園で、ありがたいことにトイレがあった。この日も城攻めする前にしっかりと用を済ませておいた :D

こちらは長岡駅西側の山本五十六記念公園なる場所に建っていた山本元帥の胸像。ここは山本元帥の生家(高野家)が復元されていた場所で、レストラン ナカタを探しているときに道に迷って偶然見つけた:

山本五十六元帥の胸像

元帥は旧長岡藩家老である山本家の名跡を継いだ人物(旧姓は高野)だったということを初めて知った。

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also栃尾城攻め (フォト集)
See Also山本五十六元帥の生誕地 (フォト集)