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ご当地もの、B級グルメ、なんでもあり

麺屋 工藤 − Another SANO Ramen.

新年が明けて平常な生活感が戻ってきた感じがする平成31(2019)年は1月中旬の晴れた週末に、栃木県佐野市にある信州・真田家ゆかりの地へ行ってきた。今回の目的地は、三年ほど前のNHK大河ドラマでもその場所に関連するエピソードが取り上げられたこともあって市内でも有名な観光場所となった新町薬師堂

JR佐野駅からだと徒歩30分程。この日は晴天で気温も低すぎず、ちょっとした散歩にはうってつけの日和だった。おまけに新町薬師堂がある例幣使街道(れいへいし・かいどう)[a]この街道は複数の県道がつながっていた。例えば県道R151、県道R141、県道R75など。沿いにはご当地物の佐野ラーメンのお店が何軒かあって、お昼前に着いた頃には既に駐車場は満車だったり、入口前に行列ができていたりしていた。

もちろん自分も今回の目的が完了したらお昼に佐野ラーメンを食べる予定にしていたのであるが、もしかしたら一番混みそうな時間帯と被ってしまいそうで、ラーメン屋の前を通る度にちょっと不安になってしまったが :(

で、「犬伏の別れ」の舞台となったとされる新町薬師堂を出たのが午後1時ちょっと前。このまま歩いてきた道を戻りながら適当に空いてそうなラーメン屋に入ろうかどうかと考えたが、これはこれであとで後悔しそうだったので、ちょうど薬師堂のすぐ近くにあった麺屋・工藤に入ることにした。来るときにちらっと店内を見たらカウンターが空いてそうに見えたので;)

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麺屋・工藤

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佐野ラーメンの麺屋・工藤

暖簾をくぐって店内に入ってみるとテーブル席とお座敷、そしてカウンターがあって、先客はテーブル席の四人だけだった。お昼時にしては運が良かったかも。
ということで自分はカウンターに座って「文字だけ」のメニューを眺める。佐野ラーメンは三年前に佐野厄除大師近くにあったお店以来。この日も歩きに歩いたのでチャーシュー麺(800円)と餃子3個(290円)を注文した。もう少し暖かかったらビールも注文していたかも。

まず最初に出てきたのが餃子。三個ながら思っていたより大きい:

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餃子3個(290円)

餡が不明だったので、ここは醤油ベースのタレで頂いた。食べてみると餡はすごく柔らかくフワフワだった。これぐらいなら6個でもよかったかなぁ:

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柔らかい餡の餃子

そしてチャーシュー麺の登場。最初、文字だけのメニューだと雰囲気がつかめなかったので、食べログか何かに掲載されていた写真を店員に見せて注文したのがこれ。でも玉子が入っていないではないか。写真には入っていたのに:$

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チャーシュー麺(800円)

それはそうと、美味しそうなスープであるのが目で見てわかったので、すかさずレンゲでスープをすすったらヌルい〜」:O。いきなり冷たいチャーシューを何枚もぶち込んだからだろう。それでもチャーシューの下から麺をかき出しながら食べたら丁度よくなった。全体的にバランスのよいラーメンで、チャーシューもスープも美味しかった。もちろん佐野ラーメン独特のちぢれ麺もよかった。

ということでスープをしっかり飲み干して完食。身も心も暖かくなった。自分が食べ終わろうかとしていた頃、客もどんどん入ってきて座敷は満席、カウンターも数席のみ空いていたという感じ:

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完食

ちなみに、このお店は今年の2019年6月頃には移転してしまうらしい。店内に地図が貼ってあったっけ。

麺屋・工藤
栃木県佐野市犬伏新町2079


ここからはオマケ。

まずは新町薬師堂まで歩いた時に目に入った例幣使街道沿いのラーメン屋たち:

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手打中華・森田屋総本店

まずは手打麺で有名な森田屋総本店。土曜日の11時46分頃の状態。帰り(午後2時くらい)に店の前を通ったら午前の部が終了していた。

こちらはネギラーメンで有名なラーメン太七。予定としては、このお店に行こうかと思ったが、土曜日の11時49分でこんな具合。帰りに通った時はベンチに人が座っていたので、多分、この日見た店の中では一番混んでいたかも:

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ラーメン太七

こちらは手打中華・生そばの鈴木食堂。土曜日の11時57分頃。ここは地元のナンバーの車が多かった:

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鈴木食堂

そして、こちらのこの日の目的地である新町薬師堂。その背後にそびえているは米山古墳:

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新町薬師堂(拡大版)

慶長5(1600)年、天下分け目の関ヶ原の合戦を前に、真田父子三人(昌幸・信幸・信繁)が東軍と西軍に別れて戦うことを決断した密議の場所だったらしい:

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新町薬師堂

なお、この密議の場所としては、このあと紹介する大庵寺だったという説もあり。

これは薬師堂内に展示されていた写真。大河ドラマとタイアップした番組でも紹介されていたようだ:

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新町薬師堂に因む写真

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大河ドラマとタイアップした番組(拡大版)

こちらは浄土宗・天王山・昌綱院の大庵寺の入口。先に紹介した「犬伏の別れ」の舞台となったもう一つの密談場所。実際、真田軍はこのお寺に陣を置いていたから、ここである説が有力じゃないかと思うが:

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大庵寺の入口

大庵寺の境内には「西遊記」で有名な玄奘三蔵法師(げんじょう・さんぞうほうし)の石版やお釈迦様の足跡などがあった。

こちらは善導大師。中国浄土教の大成者。日本の浄土宗の開祖・法然の教えは、善導の教えに基づいたものらしい:

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善導大師の石版

次は玄奘三蔵法師。三蔵とは仏教の聖典(経蔵、律蔵、論蔵)に精通した優れた僧のことらしい:

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玄奘三蔵法師の石版

最後は釈迦牟尼世尊、すなわちお釈迦様の石版と物足:

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釈迦牟尼世尊の石版

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お釈迦様の足跡

この仏足の上に自らの足を乗せると、インドの仏跡を巡拝したのと同じ功徳があるそうで、邪鬼が払われて幸せが訪れるのだとかで、実際に石版の上に乗ってみた:

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釈迦如来様の佛足石

これは例幣使街道沿いを歩いている際に見かけてかなり気になった建物。1Fがカレー屋に見えるが、本当に営業中かどうかは未確認。かなり不気味だった:O

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廃墟にカレー屋?

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実際に営業中かどうか不明(拡大版)

これも通りすがりに撮ったもので、FIAT 500L:

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愛くるしいFIAT 500L

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also真田父子犬伏の別れの地と大庵寺 (フォト集)

参照

参照
a この街道は複数の県道がつながっていた。例えば県道R151、県道R141、県道R75など。

焼き鳥 つづらや − A TARE-Yakitori with Ueda style.

先週末は平成30(2018)年の晩秋、三連休を利用して信州上田の城攻めへ。初日の午前中は、今回上田を選択した目的の一つである信綱禅寺の参拝。それから真田氏本城跡を巡って、お昼は午後の城攻めへ向かう途中に見つけた信州蕎麦屋で温かい蕎麦を頂いた。

お昼を摂って少し体が暖かくなったところで、緩やかな坂を上信越道へ向かって下っていった所にある矢沢城へ。現在は矢沢公園となっているが、整備され過ぎていないところが逆に良かった。実は今回の城攻めから新兵器を投入していたので、この時とばかりにGPSを使ったデータの収集なんかにトライしてみた。

ただ良いことばかりではなく、レンタルサイクルで矢沢公園へ着くやいなや不意に脚がつってしい、これにかなり難儀した ;(。特に片方の痙攣が収まったと思ったら、今度はもう片方の脚がつってしまうという次第。山を登って行く[a]山というよりは丘に近い。度に繰り返される脚腿の痙攣は全く想定外だったので、もしこのまま誰も居ない山中で動けなくなっらどうしようかとか色々思いが巡ったりした :(。まぁ、大事には至らずになんとかしのげたけど、帰りは上り坂と云うことで心配ではあったが、流石に電動アシスト。今回はこの有り難みを大いに「痛感」した :P

それからお昼に立ち寄った蕎麦屋近くまで緩やかで長い坂道を戻り、「プチ」ゴルフ場になっていた真田氏館を攻め、なんとか制限時間一杯で無事に返却することができた。それからゆきむら夢工房で買い物したり、いろいろお話を伺ったりして時間を潰し、一時間に一本程度の上田バスで宿がある上田駅方面へ。

で、ホテルにチェックインする前に夕飯を摂ろうと、終点の上田駅一つ手前の「松尾町」なるバス停で途中下車。今回は上田名物「美味(おい)だれの焼き鳥店」(リンク先はPDF)の中から、その昔に豚一家も完食したと云うお店へ:

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焼き鳥 つづらや

店に入ったのが開店直後だったこともあり客は自分一人。カウンターに通してもらい、まずは喉を潤し、メニューを眺めた:

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生ビール(450円)とぶり大根のお通し(200円)

焼き鳥の種類は10種類くらい。全て一本で税ぬき100円だった。ということで、最初はバラエティに。但し、味付に塩とかタレとかは聞かれなかった:

上田流の焼き鳥アラカルト(600円)

奥の別皿に載っている「白もつ」だけ専用のタレが付いているが、それ以外は下味だけ。ここ上田の焼き鳥は擦りおろしのニンニクが入った醤油ベースのタレをあとからかけて食べる、いわゆる『美味だれ』と書いて「おいだれ」スタイルが特徴とのこと。ということで、テーブルの上にあったタレをかけて頂いた:

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ここの美味だれは甘め

このお店の美味タレは甘めらしいが、普通の焼き鳥のタレみたいな甘さはなく、普通にニンニクが効いた醤油って感じ。これはこれで新鮮だった:)。で、やっぱりビールが進む。

こちらは箸休めに注文したもつ煮(豆腐入り)ときゅうり(みそ):

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豆腐入りもつ煮(450円)

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きゅうり(200円)

追加でつくねと再びねぎまを注文。あと梅酒ロックも:

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つくね+ねぎま(200円)

そして本日の取りは唐揚げ。下味が十分についていて(おそらく美味だれ)、ホントに美味しかった:

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鶏の唐揚げ(600円)

このお店の周辺は焼き鳥屋が多く、通りを歩いていると店の排気口から煙がぼーっと出ていたり :)

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やきとり横綱は辛めの美味だれ

そして、この界隈はなんとも「昭和」ちっくなノスタルジーさがあった[b]例えば特殊風呂とか。:)

焼き鳥 つづらや
長野県上田市中央2-12-25


ここからはオマケ。

こちらが、今日いろいろとお世話になったゆきむら夢工房と、国道R144沿いにある最寄りのバス停(上田駅方面):

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国道R144ごしの「ゆきむら夢工房」

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バス停が目の前である

ゆきむら夢工房では「ゆきたん[c]本名は、さニャだ幸村というらしい。」なるゆるキャラがお出迎えしてくれた:

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ゆきたん

こちらは矢沢城跡へ向かう登城口。現在は矢沢公園として整備(?)されている:

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矢沢城跡に建つ大日堂

登城道を登って行くと神川(かんがわ)越しに虚空蔵山が見える。この山にも砦があったと云う:

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矢沢城跡から眺めた虚空蔵山(拡大版)

そして矢沢城跡の一番の見どころが右手の主郭と左手のニノ郭を区切りる堀切。向こう側は急崖になっているので、堀切がそのまま竪堀になっていた:

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矢沢城の堀切

変わって、こちらは真田氏館跡:

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真田氏館跡(拡大版)

ここは憩いの場になっていた他にちいさなゴルフ場になっていた。まぁ見て判るとおり、こんな状態だったら仕方がないか:X

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ゴルフコースのような真田氏館跡

真田氏館跡にある皇大神社(こうたいじんじゃ)の並木参道:

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皇大神社の参道(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also矢沢城攻め (フォト集)
See Also真田氏館攻め (フォト集)

参照

参照
a 山というよりは丘に近い。
b 例えば特殊風呂とか。
c 本名は、さニャだ幸村というらしい。

名代・玉川うどん本店 − A TOYOHASHI Local Curry-Udon.

一昨々年(さきおととし)は平成27(2015)年の暮れ前の連休を利用して、念願の長篠城設楽原古戦場を巡ってきた。趣味として、城巡りを始めてかれこれ一年半。昔読んだ漫画『信長』(工藤かずや作・池上遼一画)で描かれていた長篠の合戦の古戦場跡を、いつかは巡ることになるだろうなぁと、心のどこかで期待が膨らんでいたと思う:)。それが実現できたのは良かったが、それにしても良く二日間で見て回ってこれたものだと半分は感心した:D。あとで調べたら二日間の歩数は6万歩、歩いた距離は45キロメートルにも及んでいた。とにかく見どころが多いののは当然としても、それらを時間内で見て回る必要があること、公共機関が期待できないのと、柔軟に対応してスケジュールを組み直す必要があったことなどから、公共機関(電車)は宿泊先の豊橋との間でJR飯田線しか使っていない :O [a]というか、利用したくても利用することが出来なかったと云う次第。。本当はもっと新城(しんしろ)市のサービスを調べれば良かったかも知れないが。おまけに、見どころが色々な場所に散在していたことも影響していたと思う。今回は豊橋市内に宿を借りたので初日は設楽原古戦場、二日目の最終日は長篠城跡他を巡るようなスケジュールにした。おかげでJR飯田線を二往復する必要はあったけど :D

初日の古戦場巡りを終えて、JR飯田線・三河東郷駅から宿がある豊橋駅までの一時間ほどの電車旅は眠っていてよく覚えていない。なにせ、この日は朝4時起きで6時半の新幹線で8時前には愛知県豊橋に着いていたくらいだから:|

自身初の豊橋は暗くてよく分からなかった[b]実は、この時から三年後の平成30(2018)年夏には昼間の豊橋市内を歩きまわることができたが、この当時は勿論あずかり知らす。が、駅前は年末のイルミネーションで賑わっていたっけ。で、宿に荷物を置いて温かいものをガッツリ食べようと、予め決めておいたうどん屋へ。やっぱりご当地グルメの豊橋カレーうどんは外せないでしょ。自分はあまりカレーを好んで食べない方だけど :D[c]食べれない訳ではなく、辛いのが苦手という意味で。

こちらが玉川うどん本店

玉川うどん本店

夕食時で混んでいた

夕食時ともあって店内はテーブルも座敷も一杯だったけど、一人だったのすぐにカウンター席へ通してもらえた。カウンターからは親爺さんと話をすることも出来たし、隣にいたアジア系外国人のカップルといろいろ話もできたのも良かった。

まずは生ビール中(580円)を注文し、喉の渇きを癒しつつメニューをつらつら眺め、ノーマルタイプの豊橋カレーうどんにかつ丼(ミニ丼)の合わせに決めた。そして料理がでてくるまで目の前にあった「豊橋カレーうどんの食べ方」なる説明書をじっくりと読んでおく:

なんと御飯が丼底に!!

カレーうどん+カレーライス!!

ここ豊橋はうどんの歴史だけでも100年以上あるらしく、8年前(当時)から町おこしのご当地グルメとしてカレーうどんが誕生したらしい。ただし普通のカレーうどんではなく、なんと「カレーうどん」+「カレーライス」の二層構造で、これだけでも二度美味しいのだそうだ。(かつ丼を合わせたのは失敗か!?)おもしろいのは、丼底にある御飯がとろろで保護されているため、それより上にあるうどんを食べるまで、しっかり「眠った状態」になっていること :)。うどんを食べてから御飯を食べると云う方法が正しい食べ方なのだそうだ。

ということで、出てきた「豊橋カレーうどん(ノーマルタイプ)+かつ丼(ミニ)」がこちら(1,680円):

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豊橋カレーうどん+ミニかつ丼(1,680円)

カレーうどんの方には野菜の素揚げ(ナスとかぼちゃ)とチキンカツ、さらにうずらの卵がトッピングされていた。そして、カレーライスとして頂く時のための福神漬。フルーツものっていた。

まずはうどん。カレーのとろみは程よい固さ、辛味はさほど無く、旨味をしっかり楽しめた。うどんも美味しかった:)

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まずはカレーうどん

うどんを食べ終わったら、福神漬を落として、とろろに包まれた御飯を頂く:

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お次はカレーライス

ということで、合わせのカツ丼はそっちのけでカレーうどんを堪能した :D

二倍楽しめた豊橋カレーうどん&カレーライス

この日はホントたくさん歩いたので疲労が溜まっていたが、カツ丼を食べて明日へのエネルギーを補給できた。

めん・お食事処・玉川・豊橋広小路本店
愛知県豊橋市広小路1丁目13


ここからはオマケ。

まずは豊橋駅東口(駅前大通側)は季節柄か、イルミネーションが点灯して賑やかな雰囲気だった。これらは「とよはしキラキラ☆イルミネーション」として毎年開催されているものらしい:

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豊橋駅東口はイルミネーションで着飾っていた

豊川駅はJR線の在来線・新幹線の他に名鉄線も乗り入れしていた。あと「豊鉄」こと路面電車も:

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後ろから読んでも前か読んでも「駅前駅」

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キラキラな電飾

こちらはJR飯田線の213系。これに乗って最寄りの茶臼山駅へ移動したが、二両編成であったので激混みだった:

JR飯田線213系

そしてJR飯田線の茶臼山駅(無人駅)。ここで下車して設楽原合戦跡を巡ってきた:

JR飯田線の茶臼山駅

次の二つの山は、それぞれ織田信長と徳川家康が設楽原決戦で本陣を置いた山:

織田信長戦地本陣@茶臼山(拡大版)

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徳川家康戦地本陣@弾正山(拡大版)

信長が本陣を置いた茶臼山は、現在は茶臼山公園になっており、当時は本陣跡として整備されている真っ最中で、そこから茶臼山北にある、こちらも工事中だった新東名の長篠設楽原PAを見下ろしたところ:

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未だ工事中の長篠設楽原PA(拡大版)

家康の本陣があった弾正山の麓には、現在は新城市立東郷中学校が建っていたが、目の前を通る道路に沿って「平成の馬防柵」なるものが展示されていた[d]この学校の生徒や教師が作ったのだろうか?

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「平成の馬防柵」

そして、家康の本陣跡から見渡した設楽原決戦場跡。左から右へ連吾川(れんごがわ)が流れ、往時はその川を境に織田・徳川連合軍と武田軍が対峙した:

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設楽原決戦場跡(拡大版)

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設楽原決戦場跡(拡大版)

現在は田んぼになっている設楽原決戦場跡には馬防柵が復元・展示されていたが、その脇には両軍の戦死者を弔っているかのような地蔵様が置かれていた:

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お地蔵様@設楽原決戦場跡

この設楽原決戦場近くにある新城市設楽原歴史資料館には貴重な史料の他に、鉄砲や甲冑のレプリカなども展示されていた:

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資料館のエントランスに展示されていた甲冑(拡大版)

資料館の裏に建っていた閻魔堂(石造りの閻魔大王像):

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閻魔堂

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石像閻魔大王

二日目の最終日も歩きに歩いたが、迂回しないと行けない長篠城跡へ向かうために川とJR飯田線を2回横断するはめになった。
これは県道R439上のJR飯田線。この先が長篠城跡であるが、手前に豊川が流れている:

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JR飯田線(拡大版)

そして豊川:

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一級河川の豊川(拡大版)

そして、今度は県道R69側から横断したJR飯田線。この先が長篠城跡で、上のJR飯田線を横断した場所に至る:

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JR飯田線(拡大版)

長篠城跡に建っている長篠城址史跡保存館にも貴重な史料が数多く展示されていたが、やはり有名人は鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)だろう:

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「スネエもん」の人形

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also設楽原古戦場 (フォト集)
See Also長篠・設楽原戦没者碑めぐり (フォト集)
See Also長篠城攻め (フォト集)

参照

参照
a というか、利用したくても利用することが出来なかったと云う次第。
b 実は、この時から三年後の平成30(2018)年夏には昼間の豊橋市内を歩きまわることができたが、この当時は勿論あずかり知らす。
c 食べれない訳ではなく、辛いのが苦手という意味で。
d この学校の生徒や教師が作ったのだろうか?

手打ちうどん 根岸屋 − A Curry-Udon with Tokyo-X Pork.

今年は平成30(2018)年の文化の日は、このところ自身の恒例行事となっしまった東京都文化財ウィークの一環として公開されている「東京都文化財めぐり」で紹介されていた城跡を攻めてきた。

今回は通年公開[a]文化の日にちなんだ11月の期間限定で公開される文化財の方ではなく、年間を通して楽しめる文化財や企画もののこと。なので別に文化の日でなくても大丈夫。になっている青梅市の勝沼城跡へ。このページに記載されていた『健脚な方に限ります。』って云う注意書きが少し気になったけど、そんなに堅固な城ではなかった :D

行き先が都内[b]本当は「都下」だけど。ということで普段より遅めの出発にしてみたら、晴天の行楽日和ともあってJR南武線はめちゃくちゃ混んでいた[c]そもそも六両編成なので仕方がないのだけれど。:$。そして終点立川までラッシュアワー並の混雑と、降りた先のこちらも大渋滞の連絡橋を乗り越え、R青梅線で東青梅駅へ。駅から徒歩10分ほどで城跡の麓に建つ曹洞宗・光明寺前に到着。ちょうど、この寺の裏山が城跡になっているって感じ。

そこからたっぷり3時間かけて攻めてきた。文化財ウィークともあってか遊歩道[d]ただの山道だけど。とか主郭跡なんかは少しきれいに整備されていた感じを受けた 8)。ただし本当に細かく城の遺構を見たいのであれば遊歩道から外れた獣道を藪をかき分けながら進んで行くことになるけど :D。しかしながら期待していた以上に空堀や土塁が残っていて大収穫だった。

そんなこんなで終わってみると1時間ほど早く切り上げることができたので、そのままお昼へ。今回は東青梅駅の南口近くにあるうどん屋の根岸屋へ。早く切り上がったため、ランチタイム間只中だったから、ちょっと心配しながらお店へ:

根岸屋

このお店はカレーうどんが有名だそうで、行ってみると案の定、店の前にちらほら居たが、幸いにもこの家族だけだったので、すぐにありつけるだろうと安易に考えながら店の扉の前で待つことにした:

根岸屋

で15分くらい待って後ろを見ると既に長い行列になっていた:O。さらに不思議なことに食べ終えたお客がなかなか出てこない :$。結局30分近く待ってやっと店内へ。ここは普通のうどん屋なので普通のうどんやせいろなんかもあるけど、やっぱり『ご当地グルメ』ということでTOKYO-Xなる青梅生まれのブランド豚肉を使用したカレー南ばんの並(1,000円)を注文した:

ご当地グルメのTOKYO-X シリーズのメニュー

ひとまず一段落して周りを見てみると、あれぇ?俺より先に入ったカップルは未だ料理が出てきていないぞ。うーむ、注文やら配膳はおばあちゃん一人でやっているみたいで、もしかして料理ができるのに更に時間がかかるってケースか :$

なんだかんだ待たされること20分で、やっと自分のカレーうどんが出てきた:

TOKYO-X カレー南蛮(並) 1,000円

おおぉ、この絵を見て見事に待ち疲れ感が吹き飛んでしまった :D。どうでもいいことだけど、見事なのはカレーが一滴もトレイにこぼれていないこと 8)

レンゲでカレーのルーを一口。まったく辛くない。辛いのがダメな自分でもパクパクいけた。うどんは手打ちの平麺で「きしめん」みたいで噛みごたえ有り:

「きしめん」みたいな麺

器にぎっしりの豚肉の味はカレーに負けてしまって良くわからなかったが、ホント柔らかかった:

器にぎっしりの豚肉は食べごたえ大いにあり

店に来てから食べ終わるまで1時間くらいかかったけど完食した。大量のカレーを飲み干しても具合悪くはならなかった[e]カレーがダメな俺の話。 :P

カレーのルーを飲み干して完食した

おかげで夕飯は軽食で問題なかった。

手打ちうどん 根岸屋
東京都青梅市勝沼1-40-4


ここからはオマケ。

勝沼城址の麓にある曹洞宗・光明寺。城と関係があるかどうかは不明:

光明寺の裏が勝沼城址(拡大版)

本堂と大額:

本堂

大額は永平寺の禅師の書

本堂の棟に掲げられていた家紋は光琳梅鉢紋:

光琳梅鉢紋

光明寺のお隣にあったのが師岡神社:

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師岡神社

勝沼城は平将門の末裔と称した三田氏の居城であったが小田原北条氏との戦いに敗れて滅亡したあとは、北条家の師岡山城守将景が城主となって師岡城と改名したらしい。これはその時の守護神を祀っていたのかも知れない。

師岡神社の拝殿脇には巨大なシイノキが二本立っていた:

師岡神社のシイ(拡大版)

さらに雷電様とお稲荷様:

雷電様と稲荷様

こちらは光明寺の墓地の裏に残る勝沼城の主郭(本丸)跡:

勝沼城の主郭跡

主郭跡に立つアカマツ:

アカマツ

この日は晴天で青空がすばらしかった:

主郭跡から見上げたところ(拡大版)

こちらは展望台から青梅市街の眺望:

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青梅市街の眺望(拡大版)

青梅市街の眺望(拡大版)

青梅市街の眺望(拡大版)

こちらは枯れたのか落雷か:

折れた巨木

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also勝沼城攻め (フォト集)

参照

参照
a 文化の日にちなんだ11月の期間限定で公開される文化財の方ではなく、年間を通して楽しめる文化財や企画もののこと。なので別に文化の日でなくても大丈夫。
b 本当は「都下」だけど。
c そもそも六両編成なので仕方がないのだけれど。
d ただの山道だけど。
e カレーがダメな俺の話。

焼肉たてがみ − A Buta-don grilled over charcoal fire.

先週末は平成30(2018)年初秋、久しぶりの晴天の下で埼玉県大里郡寄居(さいたまけん・おおさとぐん・よりい)町にあった城を攻めてきた。これらの殆どは戦国期の北関東にあって有数の規模を誇り、前に攻めた鉢形城の支城であって典型的な山城。
ちなみに、現在この周辺は寄居町推薦のハイキングコースの一部に含まれているようで、この日もJR高崎線・熊谷駅で乗り換えた秩父鉄道は老若男女のハイカー達で大賑わいだった[a]しかし、最近の老人らは周囲に配慮せずに大声でべちゃくちゃべちゃくちゃ喋りまくる輩が多い 😮 。ホントに恥ずかしい連中だ。。ただ、この時期は秩父地方とは言え紅葉といえるほど秋づいていなかったけど :|

で、この日は午前中に秩父線・波久礼(はぐれ)駅で下車して寄居要害山城跡にある金尾山つづじ公園へ。上り坂を徒歩15分程。この城跡は残念ながら遺構は残っていない上に縄張具合も全く不明で、山頂部にある本郭[b]いわゆる本丸。跡の展望台から荒川を含む周囲の風景を楽しむくらいで終わってしまった :O。それから午後は荒川を挟んでここと反対側にある花園御岳城を攻める予定だったので、その前にまずは腹ごしらえ。先ほど下車した波久礼駅近くにある焼き肉屋へ向かった。この焼肉屋、お昼は「秩父路名物・なっからうんまい・炭焼き豚丼」が有名でらしい:

駅近くの国道R140沿い

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日曜日も空いている焼肉たてがみ

事前に調べたところでは、ありがたいことに日曜日も開いているのだそうで、この時は開店の直前に着くように金尾山つづじ公園を出てゆっくりと下りてきた。そして、ちょっと早かったかなぁと思いつつ、おもむろに店の中に入ると既に家族連れの客で一杯だった :O。ただ一人客は自分だけだったので、すぐにカウンターに通してもらえたけど。

こちらがメニュー。事前に豚丼のランチセット(並)と決めていたので、こちらを注文した上に、軽くランチBeerも追加した:

ランチメニュー

カウンターから調理場が見たところ注文を受けてから味噌を塗った豚ロースを炭火で丁寧に焼いていた。これは美味しそう。ただ自分の背後にいるお客は誰一人食べていないところを見ると、自分の番が回ってくるまで少し待たされるかもといった予感がしたが・・・:|

そんなところにランチBeer(200円)が登場。城攻めの疲れを軽く癒やすことができた:

ランチBeer(200円)

ちょっとだけのランチBeerを飲み干しても未だ自分の豚丼は出てこない。と言った感じで、結局60分近く待ってついに炭火焼き・豚丼(並)のランチセットが登場:

豚丼(並)のランチセット(850+100円)

キャベツは左下にある味噌につけてかぶりつく焼肉屋スタイル :)。嬉しいことに、香の物には梅干しも付いていた。そしてアオサの味噌汁も良かった。総合的に丼ランチでバランスがとれていた。

そして豚丼。これは絶品。炭火で丁寧に焼かれており、タレの匂いが一層、食欲をそそる:

豚丼(並)

ロース肉がとにかく柔らかくて、枚数が多いので断然食べごたえがあった;)。久々に美味しい「城攻めランチ」にありつけて満足した。

お店の裏は秩父線が走っているので、窓から貨物や客車を眺めることができる。この時も家族連れの子どもたちには大人気だった。

夜も豚丼はいただけるそうだが、その場合は「セルフ豚丼」なスタイルで、自分で焼いた肉で頂くのだそうだ :D

焼肉たてがみ
埼玉県大里郡寄居町末野107-1


ここからはオマケ。

まずは秩父鉄道・波久礼(はぐれ)駅と7800系車両:

波久礼駅

平成25(2015)年に導入された7800系

これは焼肉たてがみの目の前にある荒川に架かっていた寄居橋:

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寄居橋

寄居要害山城跡の金尾山つづじ公園へは、この橋を使って荒川の対岸へ渡って行くことになる。

そして、これが寄居橋の上から眺めた荒川とその周辺の風景。但し、未だ紅葉の季節ではなかったが:

寄居方面の荒川(拡大版)

荒川(拡大版)

眺めていると何か動物が川面を進んでいるのを見かけた。ズームでよく見ると鴨だった:

川面を進む未確認動物!?

鴨だった・・・

この日の荒川はエメラルドグリーンな色だった:

荒川(拡大版)

金尾山つづじ公園はかって寄居要害山城、または金尾要害山城と呼ばれ、荒川右岸の金尾峠を押さえる城だった。公園の名前にあるとおり、毎年GW近くには山一面が赤いつつじに包まれるのだとか。

こちらは園内にある天皇皇后両陛下お手植えの木:

天皇皇后両陛下お手植えの木(拡大版)

天皇陛下御製の句と御手植樹の石碑が建っていた:

天皇陛下御製の石碑

天皇皇后陛下御手植植樹の碑

公園山頂付近は二の丸跡に相当し、ここから寄居方面の180°パノラマを楽しむことができた 8)

寄居方面のパノラマ

さらに、こちらは山頂の本丸跡に建っていた展望台からの眺め:

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寄居方面の荒川(拡大版)

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荒川(拡大版)

こちらは城下を流れる荒川:

荒川

荒川

城攻めの最中にけたたましい爆音と下品なクラクションが聞こえたと思ったら、ただの餓鬼どもの戯れだった[c]こちらも朝見た老人らに負けず劣らず恥ずかしい連中である 😀 。

田舎の「暴走族(死語)」

そして寄居要害山城主の館跡に建つ伝蔵院の境内にあったオブジェ:

お地蔵様

仏像

今回、城攻めした周辺は「ふるさと歩道・鉢形・円良田(つぶらだ)コース」の一部だった:

「ふるさと歩道案内図」

円良田(つぶらだ)コース

これは午後に攻めた花園御岳(みたけ)城へ向かう途中に目撃した「西行戻り橋」。歌人として名高い西行法師が、ここ寄居町末野へ来た際、ここで出会った子どもたちの方が上手な歌を作るとして、未熟な自分を戒めるために、この橋からもと来たところへ戻ってしまったのだとか[d]今、説明を読んだら、なんだかどうでもいい話だった。

「西行戻り橋」の由来

この先に見える橋あたりでの話らしいが

この日もカマキリにガン見された:

ガン見してきたカマキリ

花園御岳城跡には、現在は禅宗寺の少林寺が建っており、城の遺構は山頂付近の空堀くらいなものだった:

少林寺

この上が本丸跡

終わってみれば、この日は暑かったけど久しぶりの秋晴れだったので良かった:

秋晴れの下、秩父の山並み(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also寄居要害山城攻め (フォト集)
See Also花園御岳城攻め (フォト集)
See Also用土城攻め (フォト集)

参照

参照
a しかし、最近の老人らは周囲に配慮せずに大声でべちゃくちゃべちゃくちゃ喋りまくる輩が多い 😮 。ホントに恥ずかしい連中だ。
b いわゆる本丸。
c こちらも朝見た老人らに負けず劣らず恥ずかしい連中である 😀 。
d 今、説明を読んだら、なんだかどうでもいい話だった。