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石松ぎょうざ 三河安城店 − My First HAMAMATSU Gyouza At Last, But…

先週は、令和元(2019)年の暑いお盆休みは『桶狭間古戦場』を巡るため三泊四日の日程で愛知県へ。二日目の午後は今川義元が最後に宿泊した城跡を巡ってきた。

城址公園として整備されている沓掛(くつかけ)城跡へは直接、公共機関は利用できないが、調べてみると最寄りのバス停から徒歩15分ほどだった。但し周囲には田んぼが広がっており日陰が多くないので、今回のように酷暑の場合だと大変なので、途中にあるコンビニ[a]バス停がある県道R57から城址までいく途中にファミマとセブンイレブンがあった(当時)。を活用するようにした。

午前中の桶狭間古戦場巡りを終えて、お昼を摂ってから名鉄・前後駅へ移動。駅前のバスターミナルから名鉄バス・祐福寺線・赤池駅行きに乗って下高根と云うバス停で下車する。この時、クーラーがガンガンに効いたバスの待合室を利用した。ほとんど人が居なかったのでクーラーを独占することができたのはラッキーだった 8)

沓掛城址公園を巡った後は徒歩5分ほどのところにある聖應寺(しょうおうじ)へ。ここには信長の家臣で桶狭間の戦の折に義元の本陣位置を探索した梁田政綱公の墓所がある。境内に残る土塁や堀などを併せて見た後は再び15分かけて最寄りのバス停まで歩いてし、前後駅行きのバスに乗り国指定史跡の戦人塚を参拝。

二日目の夕飯は宿泊先の三河安城駅周辺で。新幹線の駅ビル1Fにはいくつか気になるお店がはいっており、これまで静岡県浜松では苦い思いをした浜松餃子のお店もその一つ。夕飯にはちょっと早い時間ではあったがホテルへ戻ってまた来るのも面倒なので食べて帰ることにした:

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石松ぎょうざ アスティ三河安城店

新幹線の駅ビル1F[b]「うまいもん通り」って呼んでいるようだけど、ただの駅ビルのフロア。目の前に新幹線の改札口がある。には他に「世界の山ちゃん」や串カツ屋と居酒屋チェイン店、そしてキヨスクがある。ホント、それだけ :O

浜松にはそれなりに行っているが、一度も餃子にありついた覚えが無いが、この「浜松餃子」ってのには一応は厳密な定義があるらしい。’が、浜松市内や愛知県で作られたキャベツを中心とした野菜多めで豚肉のコクがありながらもあっさりしているのが特徴なのだとか。あと見た目の特徴は円盤状に並べて焼き、中央にもやしを付け合わせるらしい。さらに、このお店は「元祖 浜松ぎょうざ」なんだから期待度は大である :P

お盆ということで家族れが多かったがカウンターは空いていたのですぐに通された。メニューを見て、餃子定食15個入りと生ビールを注文した:

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餃子定食(1,300円)と生ビール(580円)

どっからどうみても普通の餃子定食。何か特別な仕掛けがあるんだろうと思い、とりあえず食べる。が、普通。キャベツの甘みとか肉のコクとかは全く感じることがなかった:|

独自のタレとか、餃子を載せていたのがもやしだとか、特に「浜松ならでは」の特別さは感じなかった。円盤状態だったら既に福島県で体験済みだし:

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石松独自のタレ?

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もやしは「皿」か!?

まぁ、こんなもんだろうな。期待していた俺が悪かった。普通の冷凍餃子でした。広告に偽りありと云うことで★はひとつ :(

石松ぎょうざ アスティ三河安城
愛知県安城市三河安城町1丁目17-1


ここからはオマケ。

名鉄の前後駅からバスに乗って30分くらい行ったところの下高根というバス停で下車し、沓掛城址公園へ向かって歩いて行く途中、田園風景に遭遇した:

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沓掛町の田園風景(拡大版)

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青々と色づいた稲

城址公園で遭遇したシオカラトンボ。東京の街中ではお目にかかることはない蜻蛉 :)

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「沓掛城址」の碑。この先が本丸跡:

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本丸跡に建つ石碑

城址公園として整備されていたが、本丸を囲む一部の堀は季節柄か草ぼうぼうだった:

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沓掛城址公園(拡大版)

草ぼうぼうだが良く整備されている方かな:

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二之丸の内堀

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二之丸と本丸の内堀

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本丸の内堀

城址公園のお隣にある慈光寺もまた往時は城域だった:

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二之丸跡から見た慈光寺

二之丸跡と本丸跡。こちら側には燕子花(かきつばた)が植生されていた:

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ニ之丸跡から本丸跡(拡大版)

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本丸跡からニ之丸跡

高低差のある諏訪曲輪跡から本丸跡と内堀を見下ろしたところ:

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沓掛城址公園

こちらは聖應寺の門前にあった「さざれ石」:

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さざれ石(岐阜県産)

同じく聖應寺の門前にあった「三寶荒神(さんぽうこうじん)」像。このお寺の守護神とのこと:

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「三寶荒神」様

この時のフォト集はこちら:

See Also沓掛城攻めと簗田政綱公墓所 (フォト集)

参照

参照
a バス停がある県道R57から城址までいく途中にファミマとセブンイレブンがあった(当時)。
b 「うまいもん通り」って呼んでいるようだけど、ただの駅ビルのフロア。目の前に新幹線の改札口がある。

うどん・そば処 勢川本店 − Another TOYOHASHI Local Curry-Udon.

我が人生で初の「国民の祝日」10連休の中、遂に新しい令和の時代が始まった今月は令和元(2019)年5月初めに、GW恒例の城攻め第二弾として一泊二日の日程で愛知県と静岡県へ。
福島県での城攻め旧跡巡りした第一弾とは打って変わって青空が広がる晴天で、梅雨はこれからと云う晩春とは思えない暑さの中を今回も例にもれず歩きに歩いてきた。

初日は四年前に愛知県の長篠城跡を攻めた際に時間の都合で一部しか行けなかった武田軍の砦跡を巡ってきた。この日は早起きして、まずは新幹線で愛知県は豊橋へ移動、それからJR飯田線に乗り換えて新城市へ。ここからは四年前で歩いたルートを辿りながら鳶ヶ巣山(とびがすやま)砦や武田勝頼が本陣を置いたとされる医王寺山本陣跡を巡ってきた。

そして宿のある豊橋へ戻り次の日に予定していた山城攻めの準備をしたあと、夕食としてこれまた四年前に初めて食べた豊橋カレーうどんのお店の一つである勢川本店へ:

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宿泊先から徒歩3分のところにあった「勢川」

宿泊先の裏にあるお店に着いたのが18:00ちょっと前だったけど既に店内は満席で、店の前に一組の家族連れが並んでいた。

豊橋市でも100年の歴史を持つ老舗の店である勢川は、東三河にはここ本店の他に10軒ほど(当時)のグループ店があるのだとか:

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勢川本店

面白いのが「うどん」と「蕎麦」の両方を食べれるところ。この場所がちょうど西と東の中間あたりにあるからだろうか :D:

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入口脇のショーウィンドウ

10分程待たされて、中へ通されたお店はかなり混んでいたため、自分は大きなテーブルで他の家族れと相席となった。

まずは生ビール(450円)。結局、この日は晴天の中、4時間半近くかけて10㎞を登り降りしてきた[a]高度(標高)は最高で148m、最低で69m。

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中瓶とお通しは漬物セット(450円)

そして、もちろん注文したのは豊橋カレーうどん(820円)。しかしながら、ここからが長かった〜:O。ビールを飲み始めてから30分近くたっても料理がでてこなかった。危うくビールをもう一本注文してしまうところだったよ。流石に史上初の10連休だ。

四年前に食べた時と同様に、料理を待っている合間に読んだのがこのガイド:

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カレーうどん+カレーライス!!

そして相席していたお隣の家族がいなくなって別の客が通されてきた頃に、やっと勢川本店がイチオシのカレーうどんが登場;

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豊橋カレーうどん(820円)

まずは箸を使ってカレーうどんとして頂く。うどんはコシは強くはないけど「つるつる」とのど越しが良かった。具は、まさに「豚カレー」そのもののでカレーと豚肉の相性良く、嫌な辛さはなかった。ネギと油揚げも良かった:

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カレーうどんを味わう

うどんを食べ終わった状態がこちら。カレーのルウの中から「とろろがのったご飯」が出てきた:

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とろろのかかったご飯

箸から木製のカレースプーンに切り替え、付け合せされた福神漬を絡めて、うずらの卵が入った昔ながらのカレーライスとして頂いた。まさに二度美味しい:

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カレーと搦手二度目の味を楽しむ!

辛いのが大の苦手な自分でもしっかりと完食することができた。辛さはいわゆる「お蕎麦屋さんのカレー」相当。量はそれほどではなかったけど「カレーうどん+カレーライスと」して二度食べたらしっかり満腹になった :)。まぁ、あとで調べたら量も辛さも調整可能とのこと。

ちなみに自分が食べに行った時期に「豊橋カレーうどん」を出してくれるお店は豊橋市界隈で52件もあった。

勢川・本店
愛知県豊橋市松葉町3-88


ここからはオマケ。

まず豊橋駅構内で見かけたオブジェたち。連休中日でGWでもあった、この日の豊橋駅は大勢の人たちで混雑していて切符を購入するにも行列だった :$

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三河國一之宮・砥鹿神社の流鏑馬像

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のんほいパークで本格サーキット!

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豊橋市のマスコット「トヨッキー」

初日の午前中は豊橋まで新幹線で移動し、午後は飯田線に乗り換えて鳥居という無人駅で下車:

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JR飯田線・鳥居駅

それから四年前の城攻めでは行けなかった武田軍の砦跡を巡ってきが、晴天に加えて気温も高く、GW城攻め第一弾の時と寒暖の差がありすぎて少々バテてしまったが、それでも記憶の中に眠っていた四年前の風景を再び眺めることができてなんとも感慨深い気持ちになった :)

こちらは愛知県の一級河川である豊川に架かる牛渕橋(うしぶちばし)の上から遠望した長篠城跡。豊川と宇連川が合流する「渡合(どあい)」という急峻な崖を利用して築かれた攻めるに難く、守るに易い城だった。現在は城跡の中をJR飯田線が通過しており、いかんせん本数が少ないのでレアなケースになるけど、運が良ければこんな感じの通過シーンを見ることができる ;)

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豊川と長篠城跡(拡大版)

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通過するjR飯田線

橋の上から豊川を見下ろすと、こんな感じ:

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豊川の岩礁(拡大版)

牛渕橋を降りて橋のたもとへ降りていく最中に目撃した巨大な筍:

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巨大な筍

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牛渕橋の橋桁あたり(拡大版)

こちらは武田軍の砦へ向かう際に通った農道入口。ここから20分位登った山の中に砦跡があった:

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鳶ヶ巣山入口

それから宇連川を渡って武田軍の陣地跡を巡ってきた。これは、その際に渡った文化橋(ぶんかはし)という一本橋と、その上からの宇連川が創りだした渓谷の眺め:

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豊川に架かる文化橋

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宇連川とその渓谷(拡大版)

長篠城跡の最寄りである長篠城駅は無人駅で、城にちなんで櫓風の駅舎だった:

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JR飯田線・長篠城駅

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長篠城駅

券売機は無いので車内で乗車券を自己申告で購入する必要がある。そのためローカル線ながら他線とは異なり車掌と運転手のペアが必須となる:

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長篠城から豊橋の乗車券

ホームに入ってきたJR東海の313系。こちらはお隣の本長篠駅行きだった:

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313系

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313系

長篠城駅近くの踏切からの眺め:

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JR飯田線

長篠城包囲戦で武田勝頼が本陣を置いたとされる医王寺山あたりは見どころがたくさんあった。
例えば禅寺である医王寺境内には寺所有の民俗史料館があって、昭和初期頃の懐かしい物[b]あまりに古くて捨てるに忍びないようなものばかりだった  :-)、いろいろと面白そうなものが転がって展示されていた :D

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旧田口鉄道の三河大草駅の駅名標

時代物の骨董品たち:

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防火帽

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電話の手動式交換器

よく見るとヴィンテージ級の物が展示されていた:

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Electrola のレコード・プレイヤーなど

医王寺境内の裏にある医王寺山には、なんと往時の雰囲気を残すため物見櫓が復元されていた:

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復元された物見櫓

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物見櫓(拡大版)

医王寺境内脇から10分ほどの登山で物見櫓が復元された勝頼の陣地跡へ行くことが可能であった。そして、ここからの眺めは素晴らしかった:)

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勝頼本陣跡からの眺め(パノラマ)

物見櫓の上から長篠城跡を見下ろすことができるのだが、かなり遠く感じた :|

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物見櫓から長篠城の本丸跡を眺めたところ

この当時の長篠城跡の周辺には翌日から始まる「長篠合戦のぼりまつり」の幟がここそこらに立っており、行き帰りにでも目についた。長篠・設楽原合戦で亡くなった将士らを慰霊するためのものなのだとか:

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色とりどりの幟

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将士慰霊をするためのまつり(拡大版)

荏柄天(えがらてん)神社。ここもまた武田軍の天神山陣地であった:

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荏柄天神社の鳥居

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荏柄天神社の本殿

いかにも古戦場跡って感じがする(?)風景。ただの御休処とは思えない案内板だった:D

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戦場跡の風景!?

そして時は変わって、GW城攻め第二弾の最終日は同じJR飯田線沿線に残る山城を攻めてきた。朝、ホテルをチェックアウトして愛知県豊橋駅から静岡県向市場駅までの片道3時間近く電車に揺られる羽目になったが、天気もよく絶景ありで寝ている暇は全くなかったけど:D

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豊橋 − 向市場の乗車券は片道1,490円(当時)

あまりに長い電車旅だったので、途中、中部天竜駅で時間調整ため小休止することになった。乗客は皆、車両の外に出て風景を撮ったり、トイレ行ったり、談話したりして過ごしていた:

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中部天竜の駅名標

JR東海の213系天竜峡行き。一度は見てみたい渓谷:

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天竜峡行き

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JR東海・飯田線の213系

中部天竜駅のホームより:

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ホームからの眺め

こちらが駅舎。駅舎の外まで出れても文句は云われない完全野放し状態だった :D。ありがたいことですが:

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中部天竜駅の駅舎

そして、ここが目的地の最寄り駅・向市場。ここも無人駅。駅名標が立っていなければ駅とは分からん雰囲気があった :O

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向市場の駅名標

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向市場駅

帰りに電車待ちしていたら地元の猫に遭遇した:

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警戒中のローカル猫

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313系

この向市場駅から徒歩15分ほどのところに登城口となる高根公園駐車場があるが、そこから更に20分ほど急斜面な登山道を登ると高根城跡に到着する。この城跡は数年前の某大河ドラマのロケ地になっていたこともあり、予想外に観光客が来ていた:

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「おんな城主・直虎」のロケ地(拡大版)

標高400mほどの山ではあるけど、なかなかの眺望だった:

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展望エリア

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水窪(みさくぼ)集落の眺望(拡大版)

中世の時代に甲斐武田氏が支配していた城郭の雰囲気を再現していた:

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本丸跡

実際に発掘調査から礎石が見つかった井楼櫓。こちらも復元で、中には入れない:

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復元された井楼櫓

二の曲輪跡へ行くには、少し勇気を出して梯子を上がる必要があるが、そこからの眺めは素晴らしかった:

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二の曲輪跡

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「おんな城主・直虎」のロケ地(拡大版)

二の曲輪から搦手方面の眺め。この下が二重堀切:

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三の曲輪跡

城跡の東側には甲州流築城術の一つ、二重堀切が復元されていた。これも見どころの一つ:

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二重堀切

最後は素晴らしい眺望をパノラマで:

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高根城跡から浜松市天竜区水窪町を囲む山々(パノラマ)

この時のフォト集はこちら:

See Also武田軍・長篠城包囲陣地めぐり (フォト集)
See Also高根城攻め (フォト集)

参照

参照
a 高度(標高)は最高で148m、最低で69m。
b あまりに古くて捨てるに忍びないようなものばかりだった  :-)

酒処・居酒屋てんまさ − A MITO Local Dishes.

またまた「茨城県のネタ」が続くけど、こちらは一昨年は平成28(2016)年の正月明けの連休を利用した自身初の茨城県の城攻めのもの。城攻め最終日は午前中いっぱいを使って水戸城跡を巡ってきた。
そして帰宅する前の電車待ちの合間をぬって、お昼を摂ろうと駅前をうろうろしていたのだけれど適当なお店が見つからなかったので、前夜に「あんこう」料理を食べた際にメニューで気になった水戸市の郷土料理でありB級グルメでもある「納豆」料理を思い出し、再び居酒屋てんまさの暖簾をくぐることに[a]実は宿泊先の朝食にも納豆が出てきて(それも食べ放題 : 😎 )、御飯を二杯もおかわりしたっけ。ホテルの朝食でご当地モノが出ると得した感じがして嬉しい :-)

この時に気になっていたランチメニューが、この納豆ねばり丼(1,080円)。それも納豆汁付き:)

納豆ねばり丼(1,080円)

別に水戸ではなくどこにでもありそうな「ネバネバ系」の丼ではある[b]例えば「やよい軒」のおまぜ定食とか。し納豆も少なかったけど美味しく頂けた:

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大好物の納豆を本場で

ついでに前夜に食べた料理の一部がこちら。
前日の後半は自転車にのって笠間にある山城を攻めてきたので体力補充のために、こちらも名物のあんこう料理を食べてきた。

まずはあん肝(650円+税)をもみじおろしのポン酢で。新鮮かどうかは不明 :X

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あん肝(702円)

そして、あんこう鍋(2,000円+税/一人前)。さすがに年明けすぐの水戸と云うこともあってまだまだ寒い夜だったけど、コラーゲンを摂ってしっかりと温まることができた :D

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あんこう鍋(2,160円)

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あんこうを味噌味で

まぁ居酒屋的にはどこにでもあるようなお店だったけど全国規模のチェイン店よりは全然よかった。

酒処・居酒屋てんまさ
茨城県水戸市宮町2-2-31 三友ビルB1F


ここからはオマケ。

さすがにこの時期の弘道館の庭は梅の華まっさかりだった。こちらは八重冬至(やえとうじ)という白色の中輪で八重咲きの梅。葉っぱの展開に先立って花を咲かせる(開花時期は1月中旬から2月):

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八重冬至

こちらは八重寒紅(やえかんこう)と云う濃い紅色の中輪で八重咲きの梅。開花後に花弁の先が白く色あせてくるのだとか:

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八重寒紅

これは、同じく三の丸跡の弘道館敷地内にある鹿島神社の御神輿殿。右手の神輿は北関東最大級の神輿らしい:

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御神輿殿

水戸市のマスコットキャラクターである「みとちゃん」がマンホール蓋に:

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みとちゃん@マンホール蓋

最後は帰りの水戸駅ホームで見かけた鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の6000形:

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鹿島臨海鉄道大洗鹿島線

ちなみに帰りも行きと同じ特急ひたちを利用した。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also笠間城攻め (フォト集)
See Also水戸城攻め (フォト集)

参照

参照
a 実は宿泊先の朝食にも納豆が出てきて(それも食べ放題 : 😎 )、御飯を二杯もおかわりしたっけ。ホテルの朝食でご当地モノが出ると得した感じがして嬉しい :-)
b 例えば「やよい軒」のおまぜ定食とか。

永盛食堂 − A SHIMODATE Ramen.

「茨城県のネタ」が続くけど、こちらは先週末は平成31(2019)年3月の週末[a]正確には「飛び石」連休の週末。を利用して茨城県の城攻め第二弾として初日はJR水戸線沿線にあった城跡を巡り、最終日は真岡鉄道(もおか・てつどう)沿いに残る城跡[b]かっては「上館」、「中舘」、そして「下館」と呼ばれていたらしい。なぜか京から一番遠い方が「上館」だったけど。オマケに栃木県と茨城県が入り組んでいる。を巡ってきた。ただし城跡としては大部分が田畑化、あるいは宅地化、もしくは公園化されてしまって遺構はほとんど残っていなかったが、それはそれで小さいながらも色々と発見があって良かった :)。おまけに初日の天気予報が大ハズレで、ところどころで予想外の雨が降るって云うイマイチの天候だったこともあり、最終日の晴天は気分もモチベーションも上がったし :D。あぁそうそう、ホテルの朝食がカレーだったのも良かったっけ 8)

この日最後の城攻めが終わったのが昼過ぎで、帰りの電車までの時間があったので駅へ向かう途中にあった永盛食堂と云う、なんか田舎でよく見かけるお店で茨城県のご当地ラーメンを食べてきた:

永盛食堂

実際に食べるまでご当地ラーメンとは知らなかったが、ここ茨城県西部にある筑西市筑西(ちくせい)市のB級グルメが下館ラーメンと呼ばれる鶏ガラをベースにした「正統派」の中華そばらしい。

店には既に先客が居たけど、すぐに座ることができた。で、目の前に掲げられた木札のメニューからチャーシューメン(800円)を注文した。その際に、店の人から「チャーシューは鶏肉ですけど良いですか?」と質問されたので、聞いてみたらそれが下館ラーメンのスタイルとのこと。

こちらがチャーシューメン:

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チャーシューメン(800円)

まさに「中華そば」。鶏ガラスープと濃口醤油をベースとしたスープの上に刻みネギ、海苔、ナルト、メンマ、そしてほうれん草。浮いている玉子は茹でたもの。そして鶏胸肉のチャーシューが五切れ:

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鶏肉のチャーシュー

スープは濃い醤油味、麺はちぢれ細麺でちょっと茹で過ぎって感じが、昔風で懐かしかった:

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店名が刻まれたどんぶり

ということで完食。最後は店主の親爺さんが出てきて挨拶してくれた。

永盛食堂
茨城県筑西市岡芹958番地


ここからはオマケ。

前日とは打って変わって晴天に恵まれた最終日は朝8時前にホテルをチェックアウトして小山駅から水戸線に乗って下館駅へ。ここで真岡鉄道(もおか・てつどう)へ乗り換えだけど、IC乗車券は利用できないので実費で精算となる:

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真岡鉄道乗車券・久下田行き

こちらが真岡鉄道のモオカ14形(日本車両製)。同型に富士重工製があるが、違いは前照灯の位置:

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モオカ14形

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広告ラッピング車両

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モオカ14形

そして、まずは「上館」こと久下田城跡の最寄りである久下田駅へ。なお駅は栃木県、城跡は茨城県となる:

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久下田駅(無人駅)

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「久下田」駅

これは駅前にあった二宮尊徳廻村の像。ここ下野国も奥羽国同様に農地改革で二宮金次郎の教えが生きていた:

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二宮尊徳廻村の像

城攻めの前に久下田城主で開祖だった水谷蟠龍斎正村(みずのや・はんりゅうさい・まさむら)の墓がある芳全寺(ほうぜんじ)へ立ち寄った。ここには、なんと阿弥陀如来像が置かれていた:

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芳全寺の阿弥陀如来座像

あと「とちぎ・名木百選・芳全寺のしだれざくら」。樹齢は約200年だとか。未だ咲き頃ではなかった。くどいけど芳全寺は栃木県、城跡は茨城県:

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芳全寺のしだれ桜

それから茨城県の久下田城を攻めて、再び栃木県の久下田駅へ:

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茂木方面(左手が栃木県、右手が茨城県)

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久下田駅・下館方面

次の「中舘」こと伊佐城跡へは茨城県の折本駅まで戻って徒歩で移動した。こちらは乗車時の整理券。ワンマンカーなので下車時にこの整理券と料金を払う。そして車窓からの眺め:

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乗車整理券

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先頭車からの眺め

こちらは折本駅ホームにて:

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モオカ14形

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「折本」駅

折本で下車するとホームや駅舎の周辺には大勢の人たちがたむろっていたが、その直後に汽笛が聞こえて納得した。というか真岡鉄道ってSL走っていたのか 8)

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C11325号(拡大版)

C11325号は新潟県阿賀野市から真岡市が譲り受けたもの。最後尾は気動車だった:

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新旧車両が並ぶ

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新旧車両が並ぶ

で驚くことに、本ブログ執筆中、C11325号は東武鉄道へ譲渡されるらしいことが判明。さらに残り2両のうち老朽化のため1両の運行を取りやめるとのことで、最終的に1両での運行になるのだとか :O。うーむ、最後の勇姿を拝めたのは運が良かったのだろうか。

折本駅から南下していくと何やら櫓台ぽい丘陵が見えてきたが、これは筑西市指定史跡の富士東古墳とのこと:

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富士東古墳(拡大版)

現在、伊佐城跡には中舘観音寺が建っており、その一角にある御堂には旧国宝で重要文化財の木造観世音菩薩立像が置かれていた。

そして最後の「下館」こと下館城跡へは徒歩で移動。五行川の河川敷沿いにある遊歩道を南下した:

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五行川の河川敷

この河川敷の桜並木の間からは筑波山を拝むことができた:

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桜並木と筑波山

こちらは下館城主・水谷(みずのや)家菩提寺であり、歴代城主の墓がある定林寺の山門:

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定林寺

再び五行川越しに眺めることができた筑波山:

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筑波山(拡大版)

下館ラーメンを食べたあとは最寄りの下館二高前駅から乗車して下館駅へ。下館駅では下車時にJRへ乗り換える際に必要になるのかどうか分からないが精算証明書なるものを貰った:

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「下館二高前」駅

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乗車・精算証明書

最後は小山駅で見かけた「最強ラーメン祭2019」のポスター。前日に知っていたら行っていたのになぁ :P

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最強ラーメン祭2019

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also真壁城攻め (フォト集)
See Also結城城攻めと結城家御廟 (フォト集)
See Also久下田城攻め (フォト集)
See Also伊佐城攻め (フォト集)
See Also下館城攻め (フォト集)

参照

参照
a 正確には「飛び石」連休の週末。
b かっては「上館」、「中舘」、そして「下館」と呼ばれていたらしい。なぜか京から一番遠い方が「上館」だったけど。オマケに栃木県と茨城県が入り組んでいる。

紀の代 − A Special Rice Bowl of Misaki-Maguro.

先週末は平成31(2019)年2月最後の週末、季節外れな気温と穏やかな晴天の予報だったので神奈川県は三浦半島の突端近くにあった城攻めへ。京急の終着駅である三崎口から同じく京急のバスに乗って三崎東岡なるバス停で下車。ここは三浦市役所の最寄りのバス停ともあってバスの本数には難儀せずスムーズに移動できた ;)

それから二時間近く城跡を巡ってきた。前評判だと遺構が残っていないので見どころは少ないとのことだったが、縄張図を片手に細かく見ていくと土塁や空堀跡[a]そもそも道路が堀底道だった。が残っていたり、意外と楽しむことができた。特に高台が多いので三崎湾を含む眺望が良かった :)

このあと城攻めを中断してお昼を摂ろうと、ちょっと早いけど城跡の近くにあって行列になりそうなマグロ料理のお店である紀の代(きのだい)へ。開店は朝11時だった:

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紀の代

このお店は三崎港(本港)とか魚市場とか三崎フィシャリーナウォーフ「うらり」なんかがある、いわゆる観光街から少し離れた場所にある。

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「びんとろすし」の元祖

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開店前の紀の代

店の前に着いたのは開店50分ほど前。この時点で待ちは1組だけだった :O。それはそれで良かったので名前を記入して開店するまで、食べ終わったら訪問する予定だった近くの本瑞寺[b]このお寺も城址の一部で、高台の出丸跡に建っていた。の境内を散策した。
まぁ、流石に戻ってきて見ると人だかりにはなってたけど行列って感じではなかったっけ。やっぱり離れている場所だからだろうか:

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定番メニュー#1

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定番メニュー#2

開店時間となり、お店の人が暖簾を架けると予約の順番に名前を呼ばれて店内へ。お店はカウンターの他にテーブル席が5、お座敷にテーブルが4といった広さ。

席についてから新ためてメニューを眺めた。事前に食べるものは決めていたが、旬の食べ物のメニューがあったので追加で注文することにした。ちなみに前の晩に少し飲み過ぎたので、この日はお酒は無し。

こちらがお店オススメの「とろとろ丼」(1,880円)と旬の食べ物で「白子のポン酢あえ」(650円):

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「とろとろ丼」セット(1,880円)と「白子のぽんずあえ」(650円)

小さめの丼の上に「まぐろのづけ」、「まぐろのユッケ」、「びんとろ」、「ねぎとろ」、の四種盛り。前二品が味付きで:

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マグロの四種盛り

小鉢はその日によって違うのだそうで、この日はマグロの煮凝り。薄塩味ながら、お酒のおつまみにピッタリ。あとマグロのつみれ汁。小さいつみれは生姜味:

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マグロの煮凝り

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つみれ汁

こちらが追加した白子の和物。少し硬かったけど美味しかった:

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白子のポン酢あえ(650円)

マグロも肉厚だったけど、やや部位的に端っこレベルかなぁ。近所のスーパーよりはマシだけど値段的に、この程度かな:X

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とろとろ丼

お店には二番に入ったけど一番に出てきた:D。店の外にでたら行列ができていた。今度来た時は別のマグロ料理とお酒を頂こう。

紀の代
神奈川県三浦市三崎1-9-12


ここからはオマケ。

こちらは紀の代のお隣のお店。こちらの方が早く開店していた。お酒飲むなら、こちらのお店かも:

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お隣のお店

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生イカ

こちらが今回攻めてきた三崎城跡:

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三崎城跡

北條港こと三崎港。三浦道寸を滅ぼした北條氏が対里見氏向けの水軍基地を置いたと伝わる。この先に見えるのが城ヶ島:

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北條港跡(拡大版)

埠頭を歩きながら見かけた光景いろいろ:

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隆瀬丸

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漁船のウェーキ(拡大版)

これが本瑞寺の参道。その昔、この上は腰郭を持つ出丸跡だった:

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本瑞寺の石段

三浦市役所。この先を右手に折れたところが三崎城の大手口だった:

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大手口跡に建つ三浦市役所

お昼を頂いた紀の代の真向かいにあった染物店。漁船の大漁旗を手がける他に、手ぬぐいなんかも売っていが、この店の裏にある稲荷社から見つけた新作の大漁旗:

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ど派手な大漁旗

この日は2月下旬ながら温かい気温ともあって既に梅の他に桜が咲いていた:

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本瑞寺の梅の木

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梅の花

こちらは桜:

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本瑞寺の桜

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本瑞寺の桜

最後は城攻めの最中に見かけた三浦半島の動物たち。近くに寄っても全く動じていなかった太った猫:

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大きなトビ。こちらも全く動じていなかった:

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トビ

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トビ(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also三崎城攻め (フォト集)

参照

参照
a そもそも道路が堀底道だった。
b このお寺も城址の一部で、高台の出丸跡に建っていた。