我が人生で初の「国民の祝日」10連休の中、遂に新しい令和の時代が始まった今月は令和元(2019)年5月初めに、GW恒例の城攻め第二弾として一泊二日の日程で愛知県と静岡県へ。
福島県での城攻めや旧跡巡りした第一弾とは打って変わって青空が広がる晴天で、梅雨はこれからと云う晩春とは思えない暑さの中を今回も例にもれず歩きに歩いてきた。
初日は四年前に愛知県の長篠城跡を攻めた際に時間の都合で一部しか行けなかった武田軍の砦跡を巡ってきた。この日は早起きして、まずは新幹線で愛知県は豊橋へ移動、それからJR飯田線に乗り換えて新城市へ。ここからは四年前で歩いたルートを辿りながら鳶ヶ巣山(とびがすやま)砦や武田勝頼が本陣を置いたとされる医王寺山本陣跡を巡ってきた。
そして宿のある豊橋へ戻り次の日に予定していた山城攻めの準備をしたあと、夕食としてこれまた四年前に初めて食べた豊橋カレーうどんのお店の一つである勢川本店へ:

宿泊先から徒歩3分のところにあった「勢川」
宿泊先の裏にあるお店に着いたのが18:00ちょっと前だったけど既に店内は満席で、店の前に一組の家族連れが並んでいた。
豊橋市でも100年の歴史を持つ老舗の店である勢川は、東三河にはここ本店の他に10軒ほど(当時)のグループ店があるのだとか:

勢川本店
面白いのが「うどん」と「蕎麦」の両方を食べれるところ。この場所がちょうど西と東の中間あたりにあるからだろうか
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入口脇のショーウィンドウ
10分程待たされて、中へ通されたお店はかなり混んでいたため、自分は大きなテーブルで他の家族れと相席となった。
まずは生ビール(450円)。結局、この日は晴天の中、4時間半近くかけて10㎞を登り降りしてきた:

中瓶とお通しは漬物セット(450円)
そして、もちろん注文したのは豊橋カレーうどん(820円)。しかしながら、ここからが長かった〜
。ビールを飲み始めてから30分近くたっても料理がでてこなかった。危うくビールをもう一本注文してしまうところだったよ。流石に史上初の10連休だ。
四年前に食べた時と同様に、料理を待っている合間に読んだのがこのガイド:

カレーうどん+カレーライス!!
そして相席していたお隣の家族がいなくなって別の客が通されてきた頃に、やっと勢川本店がイチオシのカレーうどんが登場;

豊橋カレーうどん(820円)
まずは箸を使ってカレーうどんとして頂く。うどんはコシは強くはないけど「つるつる」とのど越しが良かった。具は、まさに「豚カレー」そのもののでカレーと豚肉の相性良く、嫌な辛さはなかった。ネギと油揚げも良かった:

カレーうどんを味わう
うどんを食べ終わった状態がこちら。カレーのルウの中から「とろろがのったご飯」が出てきた:

とろろのかかったご飯
箸から木製のカレースプーンに切り替え、付け合せされた福神漬を絡めて、うずらの卵が入った昔ながらのカレーライスとして頂いた。まさに二度美味しい:

カレーと搦手二度目の味を楽しむ!
辛いのが大の苦手な自分でもしっかりと完食することができた。辛さはいわゆる「お蕎麦屋さんのカレー」相当。量はそれほどではなかったけど「カレーうどん+カレーライスと」して二度食べたらしっかり満腹になった
。まぁ、あとで調べたら量も辛さも調整可能とのこと。
ちなみに自分が食べに行った時期に「豊橋カレーうどん」を出してくれるお店は豊橋市界隈で52件もあった。
勢川・本店
愛知県豊橋市松葉町3-88
ここからはオマケ。
まず豊橋駅構内で見かけたオブジェたち。連休中日でGWでもあった、この日の豊橋駅は大勢の人たちで混雑していて切符を購入するにも行列だった
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三河國一之宮・砥鹿神社の流鏑馬像

のんほいパークで本格サーキット!

豊橋市のマスコット「トヨッキー」
初日の午前中は豊橋まで新幹線で移動し、午後は飯田線に乗り換えて鳥居という無人駅で下車:

JR飯田線・鳥居駅
それから四年前の城攻めでは行けなかった武田軍の砦跡を巡ってきが、晴天に加えて気温も高く、GW城攻め第一弾の時と寒暖の差がありすぎて少々バテてしまったが、それでも記憶の中に眠っていた四年前の風景を再び眺めることができてなんとも感慨深い気持ちになった
。
こちらは愛知県の一級河川である豊川に架かる牛渕橋(うしぶちばし)の上から遠望した長篠城跡。豊川と宇連川が合流する「渡合(どあい)」という急峻な崖を利用して築かれた攻めるに難く、守るに易い城だった。現在は城跡の中をJR飯田線が通過しており、いかんせん本数が少ないのでレアなケースになるけど、運が良ければこんな感じの通過シーンを見ることができる
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豊川と長篠城跡(拡大版)

通過するjR飯田線
橋の上から豊川を見下ろすと、こんな感じ:

豊川の岩礁(拡大版)
牛渕橋を降りて橋のたもとへ降りていく最中に目撃した巨大な筍:

巨大な筍

牛渕橋の橋桁あたり(拡大版)
こちらは武田軍の砦へ向かう際に通った農道入口。ここから20分位登った山の中に砦跡があった:

鳶ヶ巣山入口
それから宇連川を渡って武田軍の陣地跡を巡ってきた。これは、その際に渡った文化橋(ぶんかはし)という一本橋と、その上からの宇連川が創りだした渓谷の眺め:

豊川に架かる文化橋

宇連川とその渓谷(拡大版)
長篠城跡の最寄りである長篠城駅は無人駅で、城にちなんで櫓風の駅舎だった:

JR飯田線・長篠城駅

長篠城駅
券売機は無いので車内で乗車券を自己申告で購入する必要がある。そのためローカル線ながら他線とは異なり車掌と運転手のペアが必須となる:

長篠城から豊橋の乗車券
ホームに入ってきたJR東海の313系。こちらはお隣の本長篠駅行きだった:

313系

313系
長篠城駅近くの踏切からの眺め:

JR飯田線
長篠城包囲戦で武田勝頼が本陣を置いたとされる医王寺山あたりは見どころがたくさんあった。
例えば禅寺である医王寺境内には寺所有の民俗史料館があって、昭和初期頃の懐かしい物、いろいろと面白そうなものが転がって展示されていた
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旧田口鉄道の三河大草駅の駅名標
時代物の骨董品たち:

防火帽

電話の手動式交換器
よく見るとヴィンテージ級の物が展示されていた:

Electrola のレコード・プレイヤーなど
医王寺境内の裏にある医王寺山には、なんと往時の雰囲気を残すため物見櫓が復元されていた:

復元された物見櫓

物見櫓(拡大版)
医王寺境内脇から10分ほどの登山で物見櫓が復元された勝頼の陣地跡へ行くことが可能であった。そして、ここからの眺めは素晴らしかった
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勝頼本陣跡からの眺め(パノラマ)
物見櫓の上から長篠城跡を見下ろすことができるのだが、かなり遠く感じた
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物見櫓から長篠城の本丸跡を眺めたところ
この当時の長篠城跡の周辺には翌日から始まる「長篠合戦のぼりまつり」の幟がここそこらに立っており、行き帰りにでも目についた。長篠・設楽原合戦で亡くなった将士らを慰霊するためのものなのだとか:

色とりどりの幟

将士慰霊をするためのまつり(拡大版)
荏柄天(えがらてん)神社。ここもまた武田軍の天神山陣地であった:

荏柄天神社の鳥居

荏柄天神社の本殿
いかにも古戦場跡って感じがする(?)風景。ただの御休処とは思えない案内板だった
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戦場跡の風景!?
そして時は変わって、GW城攻め第二弾の最終日は同じJR飯田線沿線に残る山城を攻めてきた。朝、ホテルをチェックアウトして愛知県豊橋駅から静岡県向市場駅までの片道3時間近く電車に揺られる羽目になったが、天気もよく絶景ありで寝ている暇は全くなかったけど
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豊橋 − 向市場の乗車券は片道1,490円(当時)
あまりに長い電車旅だったので、途中、中部天竜駅で時間調整ため小休止することになった。乗客は皆、車両の外に出て風景を撮ったり、トイレ行ったり、談話したりして過ごしていた:

中部天竜の駅名標
JR東海の213系天竜峡行き。一度は見てみたい渓谷:

天竜峡行き

JR東海・飯田線の213系
中部天竜駅のホームより:

ホームからの眺め
こちらが駅舎。駅舎の外まで出れても文句は云われない完全野放し状態だった
。ありがたいことですが:

中部天竜駅の駅舎
そして、ここが目的地の最寄り駅・向市場。ここも無人駅。駅名標が立っていなければ駅とは分からん雰囲気があった
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向市場の駅名標

向市場駅
帰りに電車待ちしていたら地元の猫に遭遇した:

警戒中のローカル猫

313系
この向市場駅から徒歩15分ほどのところに登城口となる高根公園駐車場があるが、そこから更に20分ほど急斜面な登山道を登ると高根城跡に到着する。この城跡は数年前の某大河ドラマのロケ地になっていたこともあり、予想外に観光客が来ていた:

「おんな城主・直虎」のロケ地(拡大版)
標高400mほどの山ではあるけど、なかなかの眺望だった:

展望エリア

水窪(みさくぼ)集落の眺望(拡大版)
中世の時代に甲斐武田氏が支配していた城郭の雰囲気を再現していた:

本丸跡
実際に発掘調査から礎石が見つかった井楼櫓。こちらも復元で、中には入れない:

復元された井楼櫓
二の曲輪跡へ行くには、少し勇気を出して梯子を上がる必要があるが、そこからの眺めは素晴らしかった:

二の曲輪跡

「おんな城主・直虎」のロケ地(拡大版)
二の曲輪から搦手方面の眺め。この下が二重堀切:

三の曲輪跡
城跡の東側には甲州流築城術の一つ、二重堀切が復元されていた。これも見どころの一つ:

二重堀切
最後は素晴らしい眺望をパノラマで:

高根城跡から浜松市天竜区水窪町を囲む山々(パノラマ)
この時のフォト集はこちら:
武田軍・長篠城包囲陣地めぐり (フォト集)
高根城攻め (フォト集)