一昨年は2014年師走の初めに岩殿城攻めして、その後に岩殿山(いわどのさん)西コースと呼ばれる有名なトレッキングコースに挑戦してきた。その時は城攻めした後にちょっと回り道で「山登り」して最寄りの大月駅に戻る的な軽い持ちだったのだけれど、実際に登ってみたら凄かった〜。
それでもこんな富士山の(大月市では秀麗富嶽十二景の一つに指定されている)景色を拝むことができるのは魅力だ:
そして、これが観光案内所で入手した岩殿山西コース(稚児落し・浅利方面)の地図(加筆在り):
城攻めした後に山頂から「①稚児落し分岐」まで下りてきて、そこから西コース(写真の正面の「大手門跡・築坂峠・兜岩」)方面へ向かった。この地図によると、ここから③兜岩→⑤天神山→⑥稚児落し→⑦浅利集落まで105分ほどのコース:
富士山と大月市街の眺めも素晴らしかった(岩殿山丸山公園の富士見台より):
岩殿山は、その昔は修験者の修業の場とされていたようで洞窟がけっこう多い。戦国時代にはこの洞窟を一種の出丸として利用していたらしい:
こんな感じの山道を昇り降りするが、この時点ではまだまだ大丈夫:
この写真の背後に映る白い部分は、岩殿山の山頂近くにあった礫岩の大露頭(だいろとう)が長い年月の間に風化・侵食が進み崩落の危険性が増大したとかで、平成11(1999)年に破砕撤去した跡らしい:
この季節、登山道から富士山の眺めは格別だった:
「②の築坂峠」までは一部を除き緩やかな下りになっていたりするが、時には片側が谷のようになっているところや岩が突き出ている、いわゆるガレ場があった:
「②築坂峠」附近にきて、ここで下りてきた登山道を岩殿山方面に向けて見上げたみた:
「②築坂峠」附近の岩殿城大手門跡(というか説明板)を過ぎたところで、こんな標柱が現れたりしたが、このままどんどん進む:
築坂峠を過ぎると徐々に昇りになる:
上がった岩の上から、先ほど攻めていた岩殿城を振り返ってみてみた:
西コースのどこを歩いても富士山を拝むことができる(岩殿城跡の揚城戸跡前より):
それからほどなく「③兜岩の手前」に来ると、こんな標柱が建っていた。ここで、兜岩を垂直近い角度で登るクサリ場か、または崖岩をロープでで登る林間コース(いわゆる巻き道)のどちらかを選択することになる:
自分は、事前に山ガールというサイトを見ていて、クサリ場は女性でも登れる程度なんだなぁと軽い気持ちで選択してみたんだけど、若干甘かった 。これまたすごい高崖・急崖・激崖で、登山の装備+冬装備で用意していてよかった。でもあとで他の情報を見てみたら、林間コースも滑落のリスクは少なくなるが結構な岩場だと紹介されていた。
まずは最初のクサリ場。この辺りは大したことはないが、その上はなかなかの角度で滑落注意のコース:
上から見下ろすとかなりの角度だった。これ「クサリを掴んで登っている人を撮っている人を撮っている」の図:
この上で少し休んで、周囲の風景を楽しんだ。やっぱり富士山は素晴らしい:
この辺りから少し急な下りがあったり、そう思うと尾根→があったしりた:
そして、ついに現れた「④兜岩」のトラバース。2つめのクサリ場。ここを慎重に移動して、さらに急崖を上へ向かって登って行く。左下は崖で、滑落したら致命傷になる:
これが兜岩。ここを慎重にクサリ一本とところどころにあるハシゴを使って上って行く。ここ登る前に居る人達、けっこうスマフォ片手に実況写真を撮りながら登っていたけど。滑落したらどうするんだろうと、自分は被らないように登るタイミングみたけど:
カメラバッグを背負い、グローブでクサリを掴んで一歩一歩上へ進んで頂上へ到着した。そして、そこはホントに巨岩の上だった:
岩殿山から富士山の眺めは大月市が指定した秀麗富嶽十二景色の8番山頂になっている(岩殿城跡の南物見台より):
兜岩の頂上は大勢のトレッキング連中が飯を食べていたので、あまり長居できなかった。とにかく自分は先を急ぐことに。この兜岩を下って、「⑤天神山」方面へ移動した:
このあと少し尾根沿いを歩いて行き、先ほど登った兜岩を振り返って見てみた。遠くから見ると、なおさら急崖に見える:
さらに3つめのクサリ場を登ったところに「⑤天神山」があるはずだが・・・
ここを登り切ったなんの変哲もない尾根沿いが実は「⑤天神山」(標高500m)だった:
そして、今度は「⑥稚児落し」へ向かってひたすら尾根沿いを歩いて行く。すると、眼前に巨大な急崖が現れた:
稚児落しには安全柵とかがなく「注意」の看板があるだけで、滑落したら大変な岩場だった:
岩殿山へ登る途中に立ち寄った「岩殿山ふれあいの館」の説明によると、この稚児落しは天正10(1582)年の織田信長による甲斐征伐により岩殿城が落城した時の落城の道として言い伝えがあるらしい。往時の岩殿城は織田・徳川連合軍ではなく相模国の北条勢によって包囲されていたようで、城主・小山田信茂の残された婦女子が平時より整備されていた落城の道を辿って包囲網から脱出することになった。大手門、築坂峠、兜岩を越えて「呼ばわり谷の大岩壁」(おそらく、この稚児落しの正式名)へ来た時に小山田夫人が背にしていた子供が泣き出し、泣き止まないどころか他の子供も泣き出す有り様。そこで北条勢に発見されてしまい、夫人はやむを得ず子供らを岩壁上から落とし、雁が腹摺り山(大菩薩山塊のひとつ)方面へ落ち延びたと云う。子供らに最後水を飲ませたところを「水くれ堂」、子供らを落とした150mの岩壁を稚児落しと呼ぶようになったらしい。
その稚児落し、人と比較するとこんな感じ:
さすがに稚児落しの下を覗きみる勇気はなかったので、岩場の脇をどんどん「⑥浅利集落」方面へ進んだ:
そして歩きづめ 登り降りづめがたたったのか、この辺りで脚がつってしまった 。そのため、しばらくは動けなかったが頃合いを見てトレッキングを再開。今度は脚に気を使いながらゆっくりと移動した。
そして振り返ってみた稚児落し。素晴らしい眺め。左手には岩殿山も見えた:
「呼ばわり谷の大岩壁」の名のとおり、その急崖・絶壁は圧巻で、周辺の眺めも格別だった:
無事に稚児落しを通過し、このまま浅利集落方面へ降りていくことにした。そんな途中にも巨岩がゴロゴロしていた:
左から富士山と高川山と鶴ヶ鳥屋山(岩殿城跡の南物見台跡より):
浅利集落へ降りていく途中には最後のクサリ場があった:
このまま下山して浅利集落へ。「①稚児落し分岐」からここまで2時間ちょっと。地図では105分のコースだけど、終盤に脚がつるなどしてペースを落としたので時間がかかってしまった:
それから浅利集落から大月駅まで30分ほど。今回は城攻めの他に大変よい運動になった。
岩殿山西コース (フォト集)
秀麗富嶽十二景の八番山頂 (フォト集)