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評価が四つ星

つけそば まき野 − TSUKESOBA MAKINO.

昨日は平成29(2017)年9月初めの多忙な週末に、いつもの中華食堂が開いている時間に帰宅できなかったので駅前にあるラーメン屋へ。なぜか最近の週末はラーメンが無性に食べたくなる:|。おかげさまで通勤圏内には美味しいラーメン屋が多いので店選びも大変だけれど、ここつけそば まき野は今回で二度目。いつも混んでいるので、なかなか行かないのだけれど、この日はカウンターに一人しか居なかったので飛び込んだ:

つけそば まき野

一度目の記憶は「特製つけそば+東京醤油」だったのだけれど、あまり印象に残っていない:X

この日は、この年のGWに新潟で食べた「焼あご」(トビウオを焼いたもの)の出汁を思い起こさせてくれることを期待して「味玉つけそば+あごだし豚骨+中盛(360g)」を注文した:

味玉つけそば+あごだし豚骨+中盛(900+50円)

麺は中太でコシ強め。スープは熱々で半熟玉子、厚いチャーシュの短冊、メンマ、なると。出汁は、塩っぱ目なんだけど、この温めの麺を最後までつけて、しっかりと味わえた。濃い目の味で意外と麺にスープが絡んでいるように思えた。

次回は「つけそば」ではなく、中華そばであごだし豚骨を味わいたい。

つけそば まき野
神奈川県川崎市中原区新城1丁目2-27 新城京浜ビル1F

らーめん専門店・小川 − A Ramen with Riched Tonkotsu Soup.

先週末は平成29(2017)年の残暑のない9月初め、メンテナンスに出しておいたカメラが戻ってきたので早速、城攻めしながら確認することにした。で、今回は大分前に計画していたのだけれど、なかなか機会がなくて実行に移せなかった東京多摩地区の城址と、武田信玄の六女・松姫の菩提寺である信松院(しんしょういん)を巡ってきた。この信松院は甲斐武田氏滅亡を題材にした小説を読んでからというものの、いつか訪れたいと思っていた場所の一つだった :)

都内にある城攻めと云うことで、やや肌寒い天気の中をいつもよりは若干ゆっくり目に行動を開始して、午前中は東京都八王子市片倉にある片倉城跡公園へ。ここは鎌倉幕府創設の立役者である大江広元を祖とする長井氏の居城だったと云う。そのため長井氏の家紋は、同じ大江広元を祖とする毛利氏と同じ「一文字三星」である。
意外と見事な切岸や堀切が残る片倉城のあとは西八王子にある信松院へ。前述の松姫は御家滅亡後に婚約者である織田信長の嫡男・信忠を頼って京へ上ぼる途中に本䏻寺の変を知り、再び関東(八王子)へ戻って出家し信松尼(しんしょうに)と称して、亡き夫らの菩提を供養したと云う。また彼女は、同じく八王子に落ち延びた武田家旧臣らの心の支えでもあったらしい。

そして西八王子からは一旦はJR中央線で高尾に向かい、そこから京王線に乗り換えて高幡不動へ。高幡不動尊にある裏山は実は高幡城跡であっただなんて、ここに参拝にくる人たちの中で気にかける人はどれくらいいるだろう?と考えてしまう:|。おまけに人気のある戦国時代の城でもないし。
まぁそんなことはともかく城攻めの前に腹ごなしをしておこうと、以前誰かに教えてもらって気になっていた高幡不動駅近くのらーめん専門店小川へ:

らーめん専門店小川(高幡不動店)

昼ちょっと過ぎでほぼ満席の中、券売機前に空いていた席へ。初めてのお店なので『濃厚塩豚骨』ラーメンはデフォルト(680円)にし、御飯ものとして炙りちゃーしゅー飯(300円)を追加した。麺の硬さや脂の量、味の濃さなどの他に、チャーシューは豚バラか豚ロースかどちらか選択できた:

らーめん with ロース叉焼(680円)

麺は固め、脂は普通。味も普通だけど、替え玉スタイルなので、やや濃い目。とはいえスープは濃厚でまったりと後味が良い。麺は細麺ストレートと云う博多豚骨ではベーシックな組み合わせ。しかしスープが基本をしっかりと伝えてくれて、ホント、ちゃーしゅー飯じゃなくて替え玉にすればよかったと後でちょっと後悔してしまった;(

こちらが炙りちゃーしゅー飯。濃い味付けの叉焼の細切れが載っかった、これはこれで美味しい一品だった:

炙りちゃーしゅー飯(300円)

次回は替え玉(バリカタ)で食べたい美味しくて優しい塩味の濃厚スープだった。

らーめん専門店・小川(高幡不動店)
東京都日野市高幡3-19


ここからはおまけ。

こちらは片倉城跡公園の駐車場兼入口。駐車場は意外と広かった。で、自分はここではなく南側にあるもう一つの入口から攻めたけど:

八王子市片倉城跡公園の入口

そして城址北側からの眺め。と云っても森にしか見えないけど。往時、この城の周囲は湿地帯であったようで、現在でも水が湧き出て、それを利用した菖蒲田や池などがあった:

片倉城址

信松院から西八王子へ向かう途中に目撃した「第六回 北條氏照まつり」開催のポスター。近くに八王子城があるからだろう。機会があれば参加してみたい。でも、この日はなにやらお囃子が聞こえたので、あとで調べてみると西八夏祭りの最終日だった:

北條氏照まつりのポスター

こちらは高幡不動へ向かう途中、京王線高尾駅のホームからの眺め。まずは八王子城跡方面(実際には見えている山の裏側):

八王子城方面

そして正面の丘陵は昭和天皇・武蔵野陵と大正天皇・多摩陵方面:

ホームから眺めた天皇陵方面

で、ここ高幡不動尊・金剛寺は新選組副長・土方歳三の菩提寺である:

土方歳三の像(拡大版)

意外と言えば意外だけど高幡城跡から多摩地区、そして都心方面をしっかりと眺めることができた:

高幡城主郭からの眺め

高幡城主郭からの眺め

高幡城主郭からの眺め

こちらは多摩モノレール。一度しか乗ったことがない:

立川へ向かうモノレール

浅川を渡るモノレール

望遠レベルだけど、新宿副都心の他、東京スカイツリーも見ることができた:

新宿副都心方面の眺め(拡大版)

こちらは高幡不動尊の五重塔に納められていた観世音菩薩様:

五重塔に置かれた観世音菩薩像

そして高幡不動尊の玄関口に建つ仁王門の仁王像:

仁王像(吽)

仁王像(阿)

この日最後に高幡城の後にせめたのは分倍河原駅すぐの高安寺(こうあんじ)城跡。足利尊氏や藤原秀郷、そして源義経と弁慶にゆかりのある居館跡らしい。現在は曹洞宗のお寺になっている:

曹洞宗・高安寺の総門

本堂の鬼瓦には清和源氏足利氏家紋である二つ引両が掲げられていた:

二つ引両の家紋

ここには武蔵坊弁慶が主人・源義経と共に写経した際に使った井戸水(弁慶硯の井戸)が残っていた:

弁慶硯の井戸

東京都選定歴史建造物になっている山門の木鼻に付けらた獏は天女だった:

木鼻に付けられていた獏は天女だった

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also片倉城攻め (フォト集)
See Also松姫と金龍山・信松院 (フォト集)
See Also高幡城攻め (フォト集)
See Also高幡不動尊金剛寺散策 (フォト集)
See Also高安寺城攻め (フォト集)

うなぎ乃甚八 − A kakegawa eel.

一昨年は平成27(2015)年のGWに「自身初」の静岡県掛川市にある城をいくつか攻めてきた。初日は早朝の新幹線に乗ってJR掛川駅に着いたのが8:15am。そこから午前中たっぷり使って掛川城を攻めてきた。

午後はJR掛川駅前から、しずてつジャストラインバスの掛川大東浜岡線・入山瀬経由・大東支所行に乗った先にある高天神城跡を攻める予定で、お昼を駅近くで摂ろうと事前に調査したところ、大人気の鰻屋があるようで開店11:00前には行列の先頭くらいに並べるような時間に掛川城公園をあとにした:)

で、ちょっとお店まで行くのに寄り道をしていたら開店前直前になってしまい、既にお店の前には15人前後の行列ができていたが殆どが複数人のグループで、カウンター席狙いの独り者は自分の他に2〜3名くらいだったと記憶している 0:):

うなぎ乃甚八

そういうこともあり、一周目で入店することができた。案の定、カウンターの一番端に通された。注文したのは、店オススメの二段重(当時3,700円)。注文を聞いて焼きが始まるので、これから30分ほど待つことになる。

そして出てきたのがコレ。鰻は二人前。重箱の御飯の中に一人前が埋められ、さらに重箱の屋根皿に一人前があって二段と云うらしい:

二段重(3700円)

さらに肝吸い、香の物、サラダ、ボーンフライ(骨を油で揚げたもの)、そして肝焼きが付いているという豪華さ 8)

蓋を開けて鰻が隠れている御飯の上に、焼き立てのうなぎを皿から載せて食べる。脂が載っていて、鼻と口で堪能してきた。継ぎ足しで作っている鰻のタレが、これまた絶妙で味の奥深さを感じることができて大満足だった。香の物(サラダと漬物)があるおかげで飽きること無く一気に食べることが出来た:

美味しくて手が震えてしまった

付け合せも豪華

で、もちろん食前と食後は静岡茶で ;)。この日は、自分が店を出た時点で「閉店」の札がかかっていた。

うなぎ乃甚八
静岡県掛川市肴町7-12


ここからはおまけ。

こちらはJR掛川駅北口。JR東海の東海道本線と東海道新幹線、そして天竜浜名湖鉄道の天竜浜名湖線が乗り入れている。新幹線に乗る場合は左手の地下通路から南口方面へ移動する。また天竜浜名湖線とバスターミナルは右手奥にある:

JR掛川駅北口

北口ターミナルにある二宮金次郎の像:

二宮金次郎の像

当時は子供の日でもあったので掛川城本丸には鯉幟が泳いでいた:

掛川城天守閣と鯉幟

140年ぶりに木造で復元された掛川城天守閣(モノクロ調):

掛川城の天守閣

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also掛川城攻め (フォト集)

栃尾雁木の町並みと謙信公ゆかりの史跡 − Nagaoka Tochio Traditional Townscape.

今年は平成29(2017)年のGWに新潟県長岡市栃尾にある城を攻めてきたが、ここ栃尾は「軍神」長尾景虎(後の上杉謙信)が幼少期と青年期を過ごしたゆかりの深い場所でもある。

かって平成18(2006)年までは新潟県「栃尾市」であったそうで、その後は長岡市に編入されて「新潟県長岡市栃尾町」となったらしい。この町はJR長岡駅東口からバスで凡そ50分ほどの場所にあり、「上杉謙信旗揚げの地」として観光ページも公開されていた。

晴天の中を標高227mほどの鶴城山(かくじょうざん)の山頂にある城址を堪能し、城攻めを終えて下山した後は帰りのバスの時刻までこの町をいろいろと巡ってきた。さすがにGWともあって、有名な常安寺や秋葉公園では栃尾てまりまつりを観にくる人や地元のイベントを楽しむ家族連れが多かった :)

こちらは昭和初期の頃の栃尾町だとか:

1/3000 栃尾町全図(拡大版)

図中、下の緑色の部分が秋葉公園で、その上にある大きな卍が常安寺である。ちなみに左下にある小さな櫓マークが栃尾城址である。

そして西谷川越しに見た栃尾城址。謙信がまだ長尾景虎と呼ばれていた頃、この城を取り囲んだ数倍もの兵力を持つ地侍連中を見事に撃退し、彼らを斬り従えたと云う:

栃尾城址

これが本丸にあたる実城から栃尾の町と、はるか彼方の粟ヶ岳(標高1292m)方面の眺め:

実城からの眺望(パノラマ)

雪国でもある栃尾の町は雁木(がんぎ)と呼ばれる一種の「生活道路」が有名らしい。長い冬の中で降り積もる雪や屋根から降ろされた雪が「生命線」である道路を埋め尽くされないように工夫したもので、現在でも目抜き通りの両側には雁木が続いていた:

大町の雁木通り

通りを挟んで両脇に雁木を建て、隣家と共同で生活道路を雪から守ると云う先人の知恵の凄さを改めて認識できた 8)

雁木

雁木通りの始まりは、今から300年ほど前だとかで、栃尾の大町付近の役所街にあった十数軒の並びだった。それから150年ほどで役所街全体が雁木通りとなり、谷内の商店街でも雁木が採用された。そうして総延長4㎞におよぶ雁木通りができたのは、谷内通りを中心に500軒以上の商店が軒を連ねていた明治の頃だと云われている:

表町の雁木通り

こちらは表町雁木通り沿いにある栃尾城址の岩神口にあたる出入口:

城山登り口

表町雁木通り

大町の雁木通り、諏訪神社横にあった蔵元の越銘醸(こしめいじょう)。日本酒は飲めないけど、ここは大吟醸・越の鶴が一番の銘柄だとか:

越銘醸(酒蔵)

西谷川を渡って先の谷内地区の丘陵にあるのが秋葉神社と秋葉公園:

秋葉公園

秋葉公園内にたたずむ秋葉神社は、天文20(1551)年に常安寺の守護神として上杉謙信公が楡原の蔵王堂より遷したと伝えられており、火伏の神として名高く「火坊日本総本廟・秋葉三尺坊大権現」として多くの崇敬を集めているのだとか。園内には石川雲蝶の社殿彫刻の他に、上杉謙信公の坐像もあった:

上杉謙信公の坐像

この台座にある「謙信公」の文字は故・田中角栄氏のものらしい。

園内をぶらぶら歩いていると「よしみや食堂」と云う売店があったので思わず玉こんにゃく(100円)をつまんでしまった:

玉こんにゃく(100円)

そして秋葉神社の参道から127段の石段をを下った所には常安寺があった。天文16(1547)年に長尾景虎(のちの上杉謙信公)によって創建され、瑞麟寺5世・門察和尚が開基で、後奈良天皇より勅額を賜った名刹でもある:

常安寺の山門

常安寺の社殿

常安寺から谷内の雁木通りへ向かう途中に、地元の人達主催の屋台なんかがあったので、ついつい生ビール(400円)と栃尾町のゆるキャラである「あぶらげんしん」の形をしたクリームオヤキ(120円)を購入して一休みした:

「あぶらげんしん」のクリームおやき

そんな場所に本物の「あぶらげんしん」が登場してきた。その姿は栃尾名物「あぶらげ」(油揚げ)&栃尾ゆかりの武将「上杉謙信」が融合した人気者だった:

あぶらげんしん=「あぶらげ」+「上杉謙信」

それから谷内雁木通りの商店街にあった「あぶらげ」の老舗・桝忠油揚店で油揚げ(巨大な油揚げ10枚入り1800円)のお土産を購入した:

桝忠油揚店

常安寺で入手した観光ガイドには米沢から位牌を分霊した謙信廟なるものが栃尾美術館の敷地にあるとかで、再び127段の石段を登って秋葉公園の先にある美術館へ向かった。美術館も坂の上にあるので、結構キツかったが0:)

そして美術館の敷地に入るとまず謙信公の騎乗像が建っていた:

上杉謙信公の騎乗像

こちらの台座に刻まれた「上杉謙信公」の文字は、某大河ドラマ「天と地と」で謙信を演じた石坂浩二氏のものらしい。

そして、こちらが謙信廟。そして、その脇にあるのが門察和尚のお墓:

謙信廟と門察和尚のお墓

常安寺を開山した門察和尚は謙信公の幼少時代・虎千代の時の学問の師で、当時は比類なき学識を謳われた御仁であったとか。

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also鬼小島弥太郎戦死の地と謙信公ゆかりの史跡 (フォト集)

越後長岡小嶋屋 本店 − A Niigata Local Dish Hegi soba.

今年は平成29(2017)年のGWは「越後攻め」で、三日目は某大河ドラマの主人公としても知られる直江山城守兼続公の居城であった与板城と、その近くで直江一族の居城でもあった本与板城などを攻めてきた。本当は前日に攻める予定だったのだけど天候が思わしくなかったので予定を変更した。やっぱり山城は晴れの日に攻めないと :)。そして、この日から三日連続で新潟県長岡市を中継して、長尾景虎こと上杉謙信公にゆかりある山城を攻める予定で、まずはその初日と云うことで。

この日は早朝7:00amに新潟から信越本線を1時間半近くかけて長岡駅まで移動した。この駅の西口にあたる大手口[a]JR長岡駅は長岡城址でもある。へ移動して、12番のりばから与板方面へ向かう越後バスに乗り上与板と云う停留所で下車した(当時450円)。そこから「城山(じょうやま)」と呼ばれている与板城址へ向かった。その途中、天地人通りと呼ばれる遊歩道[b]これも某大河ドラマの副産物らしい。前にトイレ付きの立派な道の駅があったので、しっかりと用をすまして万全な体制で城攻めしてきた。

その与板城址では集団でトレッキングしていた地元の中学生らと遭遇し挨拶合戦で応酬した。結局彼らとは今日一日、街のアチラコチラで挨拶の応酬をすることになった;)。そして与板城跡を攻略した後、お昼を摂ろうと予め見つけておいたお店へ行って見ると定休日で閉まっていた:O。「えっ!?」ちゃんと確認したんだけどなぁと訝しく思ったが、それは「昨日」のことであり、自分が予定を変更したことが仇になってしまったようだ;(。とはいえ今日からGWが始まると云う日なのに定休かよぉ!と思ってしまったが[c]いや自分のせいであることは十分に分かっているのだが・・・。。周囲を見ても御食事処が見つからなかったので、仕方なくお昼を摂るのを諦めることにした。と云っておきながら、実はこの店に来る前に同じ商店街にある「大判屋」という店の前を通り過ぎた時に、焼きたての良い匂いに負けてクリーム入りのオヤキ(120円)をついつい頬張ってしまっていたのだが :D。そういうことで、この後は与板陣屋跡と本与板城址と歩きまわって攻略してきた。それから帰りのバスが来るまで兼続お船ミュージアムこと与板歴史民俗資料館で時間をつぶすことにした。

帰りは与板仲町と云うバス停から越後バスで長岡駅へ。駅に着いたのが5:30pm過ぎで、流石にお腹が空いていたので、駅近くの越後長岡小嶋屋なるお蕎麦屋さんで越後名物の「へぎそば」と「タレかつ丼」の「合わせ」を頂くことにした:

皇室献上・越後長岡 小嶋屋 殿町本店

席にとおしてもらって落ち着いちゃうと、やっぱり今日一日の疲れを癒やすために生ビール(584円)が欲しくなった。さらに今日の一品なる献立から、(明日攻める予定の)栃尾町の名産である厚揚げ(ハーフ、432円)も併せて注文してしまった :D

栃尾油揚げハーフ(432円)

これはビールにも合うし、素晴らしく美味しい食べ物だった。その巨大でぶ厚い油揚げは、中央にねぎ味噌や梅肉が挟んであった:

栃尾油揚げ(梅肉)

栃尾油揚げ(ねぎ味噌)

主食が来る前に既に満足した感が強いが、頃合いを見て、へぎそばとミニ・タレかつ丼のセット(1586円)が登場:

へぎそばセット(1586円)

へぎそばは越後魚沼地方の名品の一つで、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使った蕎麦を、ヘギという独特の器に盛ったものらしい。この蕎麦は喉ごしが素晴らしかった。

そして既にこのGW越後攻めの初日に食べているが、温かいタレかつ丼(ミニ)もまた美味しかった:

へぎそばセット(1586円)のタレかつ丼

越後長岡小嶋屋 本店
新潟県長岡市殿町2-2-9


ここからはおまけ。

これが与板町の「与板・天地人マップ」。兼続公と公の妻であるお船ゆかりの町である:

長岡駅大手口の12番のりば前にあった案内板(拡大版)

こちらは与板城を攻める前に用を済ませた「天地人通り」のトイレ:

天地人通りにあったトイレ

この通りには、他に観光案内所なんかの他、兼続公とお船さんゆかりの門が建っていた:

天地人通りの北端にあるお船門

本与板城跡へ向かう途中に見かけた三国街道(みくにかいどう)。ここには江戸時代の与板宿があった。中山道の高崎から北陸街道の寺泊へ至る街道で、その昔は上杉謙信が関東遠征の際に利用したんだと云う:

三国街道

三国街道と県道R274の合流点

こちらは与板陣屋跡にある長岡市与板支所の前に建っていたゆるキャラのよいたん:

与板のよさと愛を届ける男の子「よいたん」

こちらが城攻めで助かった大判屋のクリーム入り大判焼き。焼きたてのホヤホヤでクリームが一杯だった:

大判屋の大判焼き(120円)

与板は国産麦酒(ビール)の醸造に携わった中川清兵衛の生まれ故郷だった。彼がサッポロビールの生みの親である:

日本ビールの生みの親・中川清兵衛生誕地の碑

こちらは旧黒川と与板河川緑地たちばな公園:

旧黒川と与板河川緑地

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also与板城攻め (フォト集)
See Also与板陣屋・與板城攻め (フォト集)
See Also本与板城攻め (フォト集)

参照

参照
a JR長岡駅は長岡城址でもある。
b これも某大河ドラマの副産物らしい。
c いや自分のせいであることは十分に分かっているのだが・・・。