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評価が四つ星

あきる野の桜 − A Budding and Bloom Season in Akiruno, Tokyo.

先週末は平成31(2019)年4月初め、東京都あきる野市にある山城を攻めてきたのが、標高400mほどの山頂から見下ろした絶景に加え、季節柄か麓に咲き誇る桜があんまり見事だったので、あとで整理してみたら城攻めの遺構よりも美しい桜を撮った写真が多かったという次第 :)

あきる野市から秋川渓谷入口あたりに聳え立つ「城山(しろやま)」は、かっては戸倉(とくら)城と呼ばれ、小田原北條氏の拠点であった八王子城に対する狼煙台を兼ねた砦であったであろう以外はあまりよく分かっていないらしい[a]築城時期も不明であり、発掘調査も行われていない城跡でもある。。今ではその際立った登山路[b]東側のルートは剥き出しの岩肌を登るといった感じ。を目指して多くのハイカーが訪れているコースでもある。
自分は素直(?)に大手道を登り降りしてきたけど。

これは帰りに西東京バス戸倉停留所前から見上げた城山こと戸倉城跡。山頂がいわゆる本丸;

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戸倉城跡

城跡へは西東京バスの西戸倉停留所から、大手口跡で登城口のある神明社の八雲神社へ向かったが、社の前には見事な桜の木が立っていた:

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登城口前に立つ桜の木(拡大版)

登城口からは結構な急斜面を上って行くことになる。最初は石段があるが、途中にはこんな感じの山道になる。右手はロープ場:

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かっての大手道(拡大版)

片側は急斜面で、場所によってはロープ場になっていたが、ちょっと注意が必要:

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これは下りの登城道

こんな感じの斜面を登り降りするのでシンドイといえばシンドイかも :|。でも、この先には山頂からの絶景が待っている:

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山登りする感覚で

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下山する感覚で

登城口から登城道を30分ほど登ると、山頂を東西に走る尾根筋に合流する:

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左手が本丸方面

そしてこちらが本丸跡。標高434.1mの山頂にある:

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「城山」の標柱が建つ山頂

ここから城址東側に広がるあきる野市の眺め。空気が澄んでいれば千葉県の房総半島まで望めるらしい:

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本丸から眼下を望む(拡大版)

さらにパノラマ。この右手には麓にある光厳寺(こうごんじ)からの、岩肌を登るもう一つの登城道がある:

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戸倉城の本丸跡(パノラマ)

あまり遺構が残ってないとのことだったけど予想外にも竪堀なんかが残っていたのは良かった:)。城攻めを終えて麓にある光厳寺へ向かったら、こちらは桜が満開だった[c]この日は20℃越えの暖かさだった。

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光厳寺へ行く途中の桜(拡大版)

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ヤマザクラ

門前に立つ桜も見事だった:

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ヤマザクラ

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山門前に立つ桜(拡大版)

光厳寺は足利尊氏が建立したと伝わる:

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光厳寺の境内より

山門から少し離れた場所には、推定樹齢が400年、根回りは5mもある大桜が立っている。東京都の三大巨樹の一つらしい:

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樹齢400年以上のヤマザクラ(拡大版)

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ヤマザクラ

真言宗建長寺派・鷲峰山・光厳寺(こうごんじ)
東京都あきる野市戸倉328

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also戸倉城攻め (フォト集)

参照

参照
a 築城時期も不明であり、発掘調査も行われていない城跡でもある。
b 東側のルートは剥き出しの岩肌を登るといった感じ。
c この日は20℃越えの暖かさだった。

麺屋 湯や軒 − This is not a Public bath, this is a Ramen Shop.

今となっては一昨昨年(さおととし)は平成27(2015)年の暮れにお台場へ行って来た。レインボーブリッジの遊歩道を使って芝浦から台場へ東京湾を横断するのは自身初めて ;)

ちなみに目的地はお台場海浜公園ではなく台場公園の方だけど。台場公園は、その昔は品川御台場と云う砲台だった。いつもなら「城攻め」ではあるのだが、今回は要塞攻めに近い。かっての江戸湾には6基の台場があったが、現存する2基を除いて他は品川埠頭とか豊洲埠頭なんかの埋立地に埋もれてしまっているわけだが :O

で、この日の東京は最高気温は10.5℃と例年にしては温かい方だったが、何しろ臨海部ということもあって風が強く台場公園の土塁を登り降りしていたら体も冷えてしまった :$。ということで夕食は最寄り駅近くにある麺屋・湯や軒(めんや・ゆやけん)なるラーメン屋へ。以前から気になっていたお店なのだけれど、何時も混んでいて入れなかったので、今回は休日ながら夕食の時間帯にぶつからないように、あらかじめ映画なんかを観て時間を調整して行って来たと云う次第;)

麺屋 湯や軒

お店の外観を見た感じ、入口に窓などが無く完全に締め切っているので中が見えない。お店の内装を含めて「銭湯屋」をイメージしているぽいのだけど :O

店に入って空いていたカウンターの席に通してもらう。カウンターには銭湯屋をイメージするプラスティックの桶や赤色と青色のボタンのついた蛇口なんかで装飾されていて面白い :)。そう言えばカメラバッグを預けたら、まさに銭湯屋でよく観る下駄箱みたいなところに入れてもらったけ。ご丁寧にマッサージチェアも置いてあったが、あそこで食べる人はいないよねぇ。トイレの前には男湯・女湯の暖簾がかかっていたし。

で、今回はつけ麺にも興味がそそられたけど、初めてなので八豚(はっとん)ちゃ〜しゅう麺(880円)を注文した:

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八豚ちゃ〜しゅう麺(880円)

麺は平打、豚骨醤油で「八豚」の数字が豚骨の割合を表すらしく、これはメニューで一番濃厚な豚骨であった。

とにかくスープが熱く、濃厚で美味しい。具は冷たくないの熱さの邪魔になっていない。今時、珍しいラーメン屋。接客も素晴らしく、職場近くにある「ラーメン無双 三軒茶屋店」[a]客がいようがいまいが厨房で大声でべちゃくちゃしゃべっていて落ち着いて食事ができない。ホント駄目ダメな店の典型。なんかと比べると雲泥の差だった :D

いや〜なかなか美味しい店を発見してしまった。次はつけ麺にしようと思う。

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

麺屋 湯や軒
神奈川県川崎市中原区新城5-10-11 アルコープ1F


ここからはオマケ。

まずはレインボーブリッジ(東京港連絡橋)にある南側遊歩道(サウスルート)の案内板。東京タワーやスカイツリーを眺めることができる北側遊歩道(ノースルート)に対して、こちらはお台場を丸ごと眺めることができるルートである:

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「サウスルート」案内板(拡大版)

こちらは芝浦側のループ橋部。上層は首都高速11号台場線、下層は一般道の臨海道路海岸青海線とゆりかもめが走っている[b]アンカレイジを過ぎるとノースルートとサウスルートの歩道が追加される。

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芝浦埠頭のフープ橋(拡大版)

右手奥に海浜公園を眺めつつサウスルートを台場方面へ向かって歩いて行くと、東京湾の無人島こと第六台場跡が見えてくる。ここは許可無く立入りが禁止されている:

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第六台場跡(拡大版)

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第六台場の波止場(拡大版)

東京湾クルージングの「水上バス」を何度か見かけた:

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さくら@東京水上バス

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ジュビリー@東京湾クルーズ

こちらが現在の台場公園。ベースは江戸時代に築造された第三台場。この台場と海浜公園から接合部をくっつけて台場公園とした:

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台場公園

第三台場跡を歩いていると羽田から離陸した飛行機を目撃した:

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第三台場跡から(拡大版)

こちらも台場の土塁上から見かけた飛行機:

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土塁の上から(拡大版)

こちらは東京湾を編隊を組んで進むカモたち:

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東京湾を泳ぐ鴨たち

最後は台場の土塁上からレインボーブリッジの橋脚ごしに東京タワー方面の眺め:

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東京湾と東京タワー(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also品川台場攻め (フォト集)

参照

参照
a 客がいようがいまいが厨房で大声でべちゃくちゃしゃべっていて落ち着いて食事ができない。ホント駄目ダメな店の典型。
b アンカレイジを過ぎるとノースルートとサウスルートの歩道が追加される。

手打ちそば 湧水 − One of the well-known Jindaiji Soba.

一昨昨年(さおととし)は平成27(2015)年の暮れに自宅から車で行ける都内の城跡を攻めてきた。でも、その街はどちらかと云うとお蕎麦とか浅草寺に次いで由緒ある仏教寺院とか、あるいは都内唯一の植物園としてでの方が有名かも :O。自分は以前、その街のお隣の街に住んでいたことがあるのだが、今のいままで(当時)行ったことがない観光名所であったので、城攻めのついでに蕎麦屋も仏教寺院も植物園も一気に巡ってきた :D。そういう機会はもう無いかもしれないし :P

車で神代植物公園第二駐車場に着いたのが朝9時過ぎ。駐車料金は最初の1時間まで300円、以降は30分毎に100円だった(当時)。まず午前中は神代水生植物園の中にある深大寺城跡を攻め、お昼を有名なお蕎麦屋さんで少し早めに摂ることにした。おそらく行列なんじゃないかと思ったので :|

深大寺通り沿いにはお蕎麦屋や茶屋が沢山あって、その中で深大寺参道からかなり西へ行ったところにある湧水(ゆうすい)と云う蕎麦屋へ向かった。店に着いたのは午前11時前。

店の脇が駐車場になっていたが、既に満車:

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HPによれば15台駐車できるようだ

この時点で既に行列だった :O

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日曜日の午前11時前で既に行列

自分も行列して15分ほどで店内の座敷へ。大きなテーブルに何人かと一緒だったような記憶がある。

注文したのは上天そばの大盛り(2,200円)と炊き込みご飯(200円):

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上天そば大盛り(2,200円)

大海老+野菜天+椎茸からなる天ぷらは別盛りで、このボリューム。特に野菜天は嬉しい:

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天ぷらは別盛り

こちらはついつい「売れ切れ次第終了」の文句に釣られて注文してしまった山菜の炊き込みご飯+香の物(200円):

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山菜の炊き込みご飯(200円)

文句なしで蕎麦はうまかった :)

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蕎麦そのものが旨かった

あまりにも美味しかったので乾麺一本をお土産に購入したっけ(1,230円)。それ以来、年越し蕎麦は深大寺蕎麦だったりする。普通にスーパーで売られているものでも美味しい。

手打ち・湧水
東京都調布市深大寺元町5-9-1


ここからはオマケ。

こちらは深大寺城跡(写真の真ん中より上側)を含む都立・神代植物公園の案内板。東京都で唯一の植物園らしい:

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都立・神代植物公園の案内板(拡大版)

こちらが深大寺城跡がある水生植物園の入口。城跡へ行くにはこの植物園を経由して行く必要がある:

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水生植物園入口

これは城跡に造られていた「そば畑」。自分が来るより一週間前くらいに植えられていたようだった:

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そば畑

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そば畑

こちらは水生植物園内の遊歩道:

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遊歩道(拡大版)

最後は深大寺城の第三郭跡の一角にあるテニスクラブ。有名なのかどうなのかは不明:

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桜田倶楽部・東京テニスカレッジ

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also深大寺城攻め (フォト集)

焼肉たてがみ − A Buta-don grilled over charcoal fire.

先週末は平成30(2018)年初秋、久しぶりの晴天の下で埼玉県大里郡寄居(さいたまけん・おおさとぐん・よりい)町にあった城を攻めてきた。これらの殆どは戦国期の北関東にあって有数の規模を誇り、前に攻めた鉢形城の支城であって典型的な山城。
ちなみに、現在この周辺は寄居町推薦のハイキングコースの一部に含まれているようで、この日もJR高崎線・熊谷駅で乗り換えた秩父鉄道は老若男女のハイカー達で大賑わいだった[a]しかし、最近の老人らは周囲に配慮せずに大声でべちゃくちゃべちゃくちゃ喋りまくる輩が多い 😮 。ホントに恥ずかしい連中だ。。ただ、この時期は秩父地方とは言え紅葉といえるほど秋づいていなかったけど :|

で、この日は午前中に秩父線・波久礼(はぐれ)駅で下車して寄居要害山城跡にある金尾山つづじ公園へ。上り坂を徒歩15分程。この城跡は残念ながら遺構は残っていない上に縄張具合も全く不明で、山頂部にある本郭[b]いわゆる本丸。跡の展望台から荒川を含む周囲の風景を楽しむくらいで終わってしまった :O。それから午後は荒川を挟んでここと反対側にある花園御岳城を攻める予定だったので、その前にまずは腹ごしらえ。先ほど下車した波久礼駅近くにある焼き肉屋へ向かった。この焼肉屋、お昼は「秩父路名物・なっからうんまい・炭焼き豚丼」が有名でらしい:

駅近くの国道R140沿い

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日曜日も空いている焼肉たてがみ

事前に調べたところでは、ありがたいことに日曜日も開いているのだそうで、この時は開店の直前に着くように金尾山つづじ公園を出てゆっくりと下りてきた。そして、ちょっと早かったかなぁと思いつつ、おもむろに店の中に入ると既に家族連れの客で一杯だった :O。ただ一人客は自分だけだったので、すぐにカウンターに通してもらえたけど。

こちらがメニュー。事前に豚丼のランチセット(並)と決めていたので、こちらを注文した上に、軽くランチBeerも追加した:

ランチメニュー

カウンターから調理場が見たところ注文を受けてから味噌を塗った豚ロースを炭火で丁寧に焼いていた。これは美味しそう。ただ自分の背後にいるお客は誰一人食べていないところを見ると、自分の番が回ってくるまで少し待たされるかもといった予感がしたが・・・:|

そんなところにランチBeer(200円)が登場。城攻めの疲れを軽く癒やすことができた:

ランチBeer(200円)

ちょっとだけのランチBeerを飲み干しても未だ自分の豚丼は出てこない。と言った感じで、結局60分近く待ってついに炭火焼き・豚丼(並)のランチセットが登場:

豚丼(並)のランチセット(850+100円)

キャベツは左下にある味噌につけてかぶりつく焼肉屋スタイル :)。嬉しいことに、香の物には梅干しも付いていた。そしてアオサの味噌汁も良かった。総合的に丼ランチでバランスがとれていた。

そして豚丼。これは絶品。炭火で丁寧に焼かれており、タレの匂いが一層、食欲をそそる:

豚丼(並)

ロース肉がとにかく柔らかくて、枚数が多いので断然食べごたえがあった;)。久々に美味しい「城攻めランチ」にありつけて満足した。

お店の裏は秩父線が走っているので、窓から貨物や客車を眺めることができる。この時も家族連れの子どもたちには大人気だった。

夜も豚丼はいただけるそうだが、その場合は「セルフ豚丼」なスタイルで、自分で焼いた肉で頂くのだそうだ :D

焼肉たてがみ
埼玉県大里郡寄居町末野107-1


ここからはオマケ。

まずは秩父鉄道・波久礼(はぐれ)駅と7800系車両:

波久礼駅

平成25(2015)年に導入された7800系

これは焼肉たてがみの目の前にある荒川に架かっていた寄居橋:

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寄居橋

寄居要害山城跡の金尾山つづじ公園へは、この橋を使って荒川の対岸へ渡って行くことになる。

そして、これが寄居橋の上から眺めた荒川とその周辺の風景。但し、未だ紅葉の季節ではなかったが:

寄居方面の荒川(拡大版)

荒川(拡大版)

眺めていると何か動物が川面を進んでいるのを見かけた。ズームでよく見ると鴨だった:

川面を進む未確認動物!?

鴨だった・・・

この日の荒川はエメラルドグリーンな色だった:

荒川(拡大版)

金尾山つづじ公園はかって寄居要害山城、または金尾要害山城と呼ばれ、荒川右岸の金尾峠を押さえる城だった。公園の名前にあるとおり、毎年GW近くには山一面が赤いつつじに包まれるのだとか。

こちらは園内にある天皇皇后両陛下お手植えの木:

天皇皇后両陛下お手植えの木(拡大版)

天皇陛下御製の句と御手植樹の石碑が建っていた:

天皇陛下御製の石碑

天皇皇后陛下御手植植樹の碑

公園山頂付近は二の丸跡に相当し、ここから寄居方面の180°パノラマを楽しむことができた 8)

寄居方面のパノラマ

さらに、こちらは山頂の本丸跡に建っていた展望台からの眺め:

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寄居方面の荒川(拡大版)

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荒川(拡大版)

こちらは城下を流れる荒川:

荒川

荒川

城攻めの最中にけたたましい爆音と下品なクラクションが聞こえたと思ったら、ただの餓鬼どもの戯れだった[c]こちらも朝見た老人らに負けず劣らず恥ずかしい連中である 😀 。

田舎の「暴走族(死語)」

そして寄居要害山城主の館跡に建つ伝蔵院の境内にあったオブジェ:

お地蔵様

仏像

今回、城攻めした周辺は「ふるさと歩道・鉢形・円良田(つぶらだ)コース」の一部だった:

「ふるさと歩道案内図」

円良田(つぶらだ)コース

これは午後に攻めた花園御岳(みたけ)城へ向かう途中に目撃した「西行戻り橋」。歌人として名高い西行法師が、ここ寄居町末野へ来た際、ここで出会った子どもたちの方が上手な歌を作るとして、未熟な自分を戒めるために、この橋からもと来たところへ戻ってしまったのだとか[d]今、説明を読んだら、なんだかどうでもいい話だった。

「西行戻り橋」の由来

この先に見える橋あたりでの話らしいが

この日もカマキリにガン見された:

ガン見してきたカマキリ

花園御岳城跡には、現在は禅宗寺の少林寺が建っており、城の遺構は山頂付近の空堀くらいなものだった:

少林寺

この上が本丸跡

終わってみれば、この日は暑かったけど久しぶりの秋晴れだったので良かった:

秋晴れの下、秩父の山並み(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also寄居要害山城攻め (フォト集)
See Also花園御岳城攻め (フォト集)
See Also用土城攻め (フォト集)

参照

参照
a しかし、最近の老人らは周囲に配慮せずに大声でべちゃくちゃべちゃくちゃ喋りまくる輩が多い 😮 。ホントに恥ずかしい連中だ。
b いわゆる本丸。
c こちらも朝見た老人らに負けず劣らず恥ずかしい連中である 😀 。
d 今、説明を読んだら、なんだかどうでもいい話だった。

うなぎ八百徳 − Unagi YAOTOKU.

一昨々年(さきおととし)は平成27(2015)年の秋に一泊二日で静岡県の城攻めへ。初日は大雨の中、ちょっと忙しくて、まずは同じ年の夏に静岡市内にある山城を攻めた際、訪問し忘れていたとある戦国武将の菩提寺に立ち寄ってから、藤枝市にある駿州田中城跡、そして最後は榛原郡(はいばらぐん)吉田町へ移動して遠州小山城跡へ。それぞれ、それなりに見所があって良かったのだが、けっこう徒歩の時間が長くて大雨には難儀した :$

ということで藤枝駅から宿泊先がある浜松までJR東海道本線で一時間ほどかけて移動して、到着したのが午後7時前。夕食時間には丁度よかったので、駅南側にある浜松餃子として有名な「むつぎく」へ直行てみたら予想以上の行列だった :O。そのまま店の前を通ってみたけど、どうやら1時間以上は待たないと入れなさそうな雰囲気だったので諦めて駅北側にある宿泊先にチェックインした。で宿泊先オススメの食べ処・飲み処のチラシを眺めながら、最初は餃子に拘ってみたけど周辺には「むつぎく」みたいな地元店ではなくチェーン店ばかりだったので鰻料理に変更。ちょうど徒歩で行けるお店が駅前の広小路沿いにあったので行って来た:

うなぎ八百徳

創業は明治時代のうなぎ八百徳。連休中日(日曜日)の夜7半過ぎ、お座敷は一杯だったけど小さいテーブル席が空いていたので通してもらった。

まずは生ビール。雨の中を歩きまわったので身体をリラックスさせた。あと夕食時間なので口取りが二品つく:

生ビール(600円)と口取り(300円)

この日の口取りはワカサギの南蛮漬けと鱈子の煮物。ビールに合うツマミで美味しくいただけた:

冷たいグラスビールとオリジナル・コースター

そしてメインが出てくる前に気になって注文してしまったのがきも焼き:

きも焼き(620円)

うなぎの肝を10匹分串に刺し、タレ焼きしたもので、案の定、匂いがたまらなかった :D

少し焼き過ぎが良い肝

そしてビールとツマミでちょっとお腹が膨らんできたかなぁと行った頃に、メインの上うな重が登場。海の幸(もずく酢)と香の物、そして肝吸いが付いていた:

上うな重(3,100円)

お重の蓋をめくって、鰻が焼きあがった照り具合を見ると、どんなにお腹が一杯でもソソる感じが一気に放出される感じがする :D。鰻は年々減少し、仕入れ値も当然ながら年々高騰する、この時代に贅沢過ぎる料理ではある。三度のタレ付け焼きで味は濃厚、鰻の表面はカリッと中はふっくら。

しかし、そんな幸せを噛み締めつつ頂くことにした:

この照り感がたまらないうな重

この時期でも十分に脂が載っていて、それでいてシツコクないのは浜松鰻の特徴だろうか:

目で楽しんで、鼻で楽しんで、舌で楽しむ贅沢な料理

鰻と米の間に、肉汁と脂と焦げがタレによって三位一体となって口の中に入ってくる。城攻めした体を癒やしてくれ、さらに明日の城攻めのエネルギーを補給することができて良かった )"

ホント、行列に並んでまでして餃子を食べなくて良かった〜 :X。これはこれで正解だった。

ということで大雨で始まった今回の城攻めは最後は美味しい鰻で大満足して、なんとか明日も頑張ろう的な気分に復帰することができた。そんなお店は、実は現在でも浜松へ来たらちょくちょく利用している。というのも、ここのウリは「お櫃うなぎ茶漬け」であることを店を出るときに知った。これは贅沢品と分かっても堪能しないといけないなぁ感が強くなって、これ以降は二度三度と茶漬けを満喫している次第。

もう個人的に浜松餃子は選択肢には無い:D[a]宇都宮餃子にも痛い目見ている。とことん餃子とは縁が無い。と思ったが福島餃子は美味かった。

うなぎ八百徳 本店
静岡県浜松市中区板屋町655


ここからはオマケ。初日は天気が悪かったので写真も曇り空ばかりだけど。

まずは丸子路(まりこじ)の案内板。東海道五十三次の20番目の宿場であった丸子(鞠子)周辺にはいろいろと散策できる旧跡が残っていた。静岡駅前からバスで30分くらい:

「丸子路・歴史とロマン」の案内板(拡大版)

こちらが、この城攻めに合わせて訪問してきた誓願寺。ここには江戸初期、大坂冬の陣のキッカケにされた方広寺大仏鐘銘事件の弁明のため、ここ誓願寺に滞在した豊臣方の片桐且元夫妻の墓所がある:

大鑪山・誓願寺の山門

こちらは藤枝市にある田中城下屋敷に復元されていた庭園(泉水)。田中城の城主の御殿にあったとされるものをイメージしているらしい:

下屋敷内に復元された庭園(拡大版)

こちらは宅地化の波に完全に埋もれていた田中城の遺構の一つで三日月堀跡。しかしながら、こうなってしまっては、どこがどう三日月なのかさえ分からない有り様だった:

田中城三日月堀(馬出曲輪)跡

ちなみに、ここ田中城は徳川家康のお気に入りの城であった他に、大坂夏の陣に勝利して駿府へ戻る途中に訪れた際に鯛の天ぷらを食べて腹痛を起こし、その後に没したと云うエピソードでも有名である。

こちらは小山城跡(能満寺山公園)の能満寺にある国指定天然記念物のソテツ:

能満寺境内にあるソテツ

日本三大ソテツ[b]他の二つは、同じ静岡県の龍華寺、そして大阪府にある妙国寺。の一つと云われる代表的な巨樹。高さ約6m、根本の周囲約5m、五本の大枝に分かれ最も太い枝は周囲約2mにのぼり、東西約8m、南北約11mで、約50㎡の面積に広がっている雄株なのだとか:

天然記念物・能満寺のソテツ(拡大版)

能満寺の言い伝えによると、平安時代の陰陽学者・安倍晴明が中国から持ち帰って植えたものと云われ、徳川家康の所望により一時、駿府城に移植されたが、能満寺へ帰りたいと夜な夜な泣いたので哀れに思った家康が再び、ここ能満寺に戻したと云う:

天然記念物・能満寺のソテツ(拡大版)

能満寺脇にある城へ向かう石段(通称は男坂):

小山城へ向かう登城道

この上には虚空蔵堂と云うお堂があり、大日如来像が安置されている:

大日如来の祠

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also片桐且元公墓所と誓願寺 (フォト集)
See Also駿河田中城攻め (フォト集)
See Also遠江小山城攻めと能満寺 (フォト集)

参照

参照
a 宇都宮餃子にも痛い目見ている。とことん餃子とは縁が無い。と思ったが福島餃子は美味かった。
b 他の二つは、同じ静岡県の龍華寺、そして大阪府にある妙国寺。