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評価が四つ星

Playing “信長の野望” on Linux via Steam.

最近、こんな記事を読んで Linux 上で Windows 系ゲームをプレイする敷居が随分と低くなったことを知り、そういえば大分昔にインストールした Ubuntu の Steam クライアント[a]もちろん Windoes 系のゲームを Linux Desktop 上でプレイすることはできないので、ただ単に情報を参照するだけ。 は i386 版(1:1.0.0.48-1ubuntu1.1 i386)だったなぁと云うことで、まずは本家のサイトから最新版で x86_64 版のパッケージを入手してインストールしてみた。

さらに「第626回 UbuntuでもSteamのWindowsゲームを!」(Ubuntu Weekly Recipe@技評)を読みながら、自分が購入していた Windows 系ゲームの起動を確認してみた:

  • BIOHAZARD REMASTER () 最初のカプコンの注意書きのアニメまで再生できるが、ゲームまでは行かない
  • BIOHAZARD 5 () Steam がエラーを出して起動しない
  • BIOHAZARD RE:2 Shot Demo () 同上
  • Tomb Raider (◯) 初めは日本語であったが英語に変更したら起動でき、プレイもできた
  • PAC-MAN™ CHAMPIONSHIP EDITION 2 () エラーは出ずに、単に起動しない
  • DIRT Rally) 最新版 Proton 5.0-9 を使うと起動できるしプレイもできる
  • 信長の野望・創造 (◯)
  • 三国志IX (△) 起動しゲームはできるが、オリジナルのシステムが Windows サポートをしていないので画面の位置がずれてプレイがしづらい

まさか Linux 上で信長の野望をプレイできるとは思っていなかったので、なんだか嬉しい :)

ちなみに MyDesktop は Ubuntu 15.04 (Kernel 3.19.0) の GNOME 3.16:

Steam on Ubuntu15.04

こちらが MyDesktop 上で『信長の野望 創造 with パワーアップキット』を起動したところ:

信長の野望 創造 with パワーアップキット

実際にプレイ in widow してみたところ。マウスやキーボード操作は Windows 上と同じで特に違和感なくプレイできた:

ここからは Windows 版と全く同じ

搭載している Video Chip は NVIDIA GeForce GTX 960 程度ながら、3Dビューはなかなか快適だった:

NVIDIA GeForce GTX 960 2048MB

今までは Windows マシンを起動してゲームをやっていたが、もっと High Grade なマシンで最新の Kernel を使えば Steam の Proton on Linux を堪能できるのではないかと思ったり :)

参照

参照
a もちろん Windoes 系のゲームを Linux Desktop 上でプレイすることはできないので、ただ単に情報を参照するだけ。

“30 Simple Tricks to Level Up Your Python Coding” の翻訳.

Medium.com [a]さまざまな記事を投稿したり閲覧するネットワーク・サービス。Twitter の創業者の一人が2012年に立ち上げた。最近は日本語圏向けにも Launch されているようだ。の BetterProgramming タグの中から Python 系に強い Yong Cui, Ph.D. 氏の投稿『30 Simple Tricks to Level Up Your Python Coding 〜 Better Python』を日本語に翻訳してみた。

彼の投稿は奥深い内容を簡潔に説明してくれるので読みやすい。まだ他にもいくつか気になる Topics があるので機会があれば翻訳する予定 ;)

See Also Python のコーディングを上達させるための30のヒント

参照

参照
a さまざまな記事を投稿したり閲覧するネットワーク・サービス。Twitter の創業者の一人が2012年に立ち上げた。最近は日本語圏向けにも Launch されているようだ。

蕎麦いざか家 田衛門 − A Pub with Nagano Local Foods.

先々週は令和二(2020)年の正月明けに有休を使って長野県佐久市と小諸市へ一泊二日の城攻めに行って来た。

時期的に積雪が気になったけど、あえて休みをとって天気が良く、日中の気温が高めになるであろう日を狙って行って来た。
平日の移動なので通勤ラッシュを回避するためかなり頑張って早起きし、東京駅を朝06:52発の北陸新幹線あさま601号長野行きに乗車した。自由席が1〜5号車ということで余裕で座ることができたけど、上野駅や大宮駅で大勢の通勤・通学者らが乗り込んできたことで「今日は平日だったんだ」とあらためて思ったり :O。これらの人たちは高崎駅で大部分が下車したので再び静寂な空間に戻り、「やっぱり今日は平日だったんだ」と逆に感慨深くなってしまった :D。軽井沢を過ぎたところでスキー場や家の屋根に雪が残っていたのが目についたが、城攻めには特には問題なさそうだった。

そして佐久平駅に着いたのが朝08:15過ぎ。コインロッカーに荷物を預けてJR小海(こうみ)線に乗り換え、本日最初の目的地である龍岡城駅へ[a]無人駅で、ICカードを利用できないので佐久平駅からは切符を購入する必要あり。。初日は田口城跡と龍岡城跡、そして依田信蕃公の菩提寺である蕃松院(ばんしょういん)を訪問し、最後は同じくJR小海線の中込駅が最寄りである伴野氏館跡へ。さすがに夕方16:00を過ぎると暗くなってくるが、夕焼けが反射した浅間山の眺めは綺麗だった。

それから宿泊先がある佐久平駅へ再び戻り、コインロッカーから荷物を受け取ってチェックインした。駅前には佐久市出身で「北斗の拳」の原作者である武論尊の協力で実現した北斗の拳デザインマンホールなるものを見ようと探してみたが既に暗くなってしまってよく分からなかった。翌日にあらためて探してみることに :)

ということで、この日の城攻めは山を登り降りし、田口集落・龍岡藩城下町を散策したので、かなりのエネルギーを消費した。明日はレンタサイクルを利用する予定だったので、ここでしっかりとエネルギーを補給しておくため宿泊先の目の前にあり、ホテルの人にもオススメと云われた蕎麦いざか家・田衛門(でんえもん)へ。普通の居酒屋かと思ったら、蕎麦はもちろん鯉料理といった長野県の特産物をいただけるお店だった。

まずは生ビール中(600円)。お通し(300円)は小魚のマリネ。魚の名前は忘れた。居酒屋はお通しで決まると云うが、小魚を丸ごと食べることができるマリネは、この店の料理に期待をもたせてくれるのに十分に美味だった:

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お通し(300円)とキリン生中(600円)

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小魚のマリネ

こちらは佐久の鯉料理でお造り(あらい)(800円)。これが川魚とは思えないほどホント美味しかった〜 =)

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佐久鯉お造り(800円)

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とても美味

「佐久鯉」は江戸時代から養殖が始まり昭和初期には全国一の生産量を誇り、鯉の博覧会や品評会でもその品質で日本一の称号が与えられたのだとか。特に冷たい流水で飼育されるため成長が遅く飼育日数がかかるが、それだけに臭みがなく身が引き締まり、脂が適度にのった美味しい肉質になるらしい。

こちらは本日のオススメ品から白子ポン酢(850円):

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白子のポン酢あえ(850円)

その昔、新潟県長岡市栃尾へ行ってから大好物になった油揚げ。これは大きいのでハーフにしてもらった(300円):

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栃尾油揚(300円)

生中を二杯飲んだあとは翌日の体調を考慮して梅酒ロック(450円)を:

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梅酒グラス(450円)

やはり肉は頂きたいので若鶏からあげ(750円)。ほくほくして美味しかった:

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若鶏からあげ(750円)

締めはやはり信州そばだろう…と思って注文したざるそば(750円)。でもよく見たら北海道産のそば粉を使っていた。冷たくて酔いが少し覚めた:

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ざるそば(750円)

長野県の特産物をしっかりと堪能できただけでなく、ホント美味しかった。また食べにきたいお店が見つかった :)

蕎麦いざか家・田衛門
長野県佐久市佐久平駅北24-2


ここからはオマケ。

こちらはJR小海線のキハ110系:

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龍岡城駅にて

JR小海線は山梨県の小淵沢駅から長野県の小諸駅までを結ぶ単線で、八ヶ岳東麓の野辺山高原から千曲川の上流に沿って佐久盆地まで走る高原鉄道であることから「八ヶ岳高原線」とも呼ばれている:

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車内にあったJR小海線沿案内図(拡大版)

龍岡城駅で下車して新海三社神社日本で一番海から遠い地点なる方角へ進んでいく:

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原交差点あたり

さらに進んでいくと、土蔵や見事な大木が生えた庭を持つ、昔ながらに情緒深い田口集落に入る:

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土蔵と大けやき

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見事な松

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土蔵のある邸宅

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見事な松

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土蔵のある邸宅

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コウヤマキの大木

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小林の土蔵

土蔵が建つ家では古くから何かしらの生業を持っていたことが分かる:

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土蔵のある邸宅

こちらが蕃松院と、その背後の山頂が田口城跡。この城跡への登城道はいくつかあるようだけど、昨年は令和元(2019)年の台風10号の被害から回復していないようで、この蕃松院裏から登るルートは封鎖されていた。:

20200110-依田信蕃公墓所と蕃松院-033

蕃松院と田口城址(拡大版)

標高881mの城跡には展望台があり、龍岡城五稜郭のその星形を上から眺めることができた:

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五稜郭展望台からの眺め(拡大版)

こちらは龍岡城跡の近くにある五稜郭であいの館に展示されていた「龍岡城五稜郭俯瞰図」:

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「龍岡城五稜郭俯瞰図」(拡大版)

北海道は函館にある五稜郭と共に日本に二つしかない貴重な星型洋式城郭とのことであるが、函館のものとは規模や造りに雲泥の差があるのが一目瞭然だった:

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石垣が低くて防御できるのか不思議だった

石垣や土塁が低くて、水堀も一部だけである。更に云うと、山に囲まれたこの場所に稜堡式の城なんて、山の上に大砲を備え付けられて砲弾の雨が降ってきたらすぐにでも落城してしまうような気がするが :/

これは新海神社鳥居。佐久地方の開拓の祖神である興波岐命(おきはぎのみこと)ら四神を祀る佐久三庄三十六郷の総社が、この先にある:

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新海神社鳥居(拡大版)

田口城と龍岡城を攻めて蕃松院を訪問したあと、JR小海線で中込駅まで移動し、本日最後の城(居館)攻めへ。

駅から徒歩で20分ほどのところにある城山公園(伴野氏館跡)へ向かう途中、千曲川の橋から眺めた浅間山:

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千曲川と浅間山(拡大版)

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雪化粧の浅間山

伴野氏館の水堀跡はカルガモのすみかになっていた :D

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カルガモ

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伴野氏館の水堀跡

さらに公園の近くにはぴんころ地蔵なるお地蔵様がある。佐久市は全国でも有数の健康長者の街なのだとか:

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長寿地蔵尊こと「ぴんころ地蔵」

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成田山薬師寺の総門

健康で元気に長生きし(ピンピン)、寝込まずに大往生する(コロッと)ことを祈願して名付けられた長寿地蔵尊。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also田口城攻め (フォト集)
See Also依田信蕃公墓所と蕃松院 (フォト集)
See Also龍岡城攻め (フォト集)
See Also伴野氏館攻め (フォト集)

参照

参照
a 無人駅で、ICカードを利用できないので佐久平駅からは切符を購入する必要あり。

得正 森ノ宮店 − A Very Good Curry Of Japanese Noodle Shop At OSAKA.

先々週は令和元(2019)年の文化の日を含む三連休は久々に全国的な秋晴れだった。これぞ、まさに城攻めの季節到来である。

しかし今秋は残暑の代わりに天災が続き、特に関東周辺の被害が甚大であったので城攻めの予定を何回か変更せざるを得なかった :|。そういうこともあって秋晴れの連休は溜まっていた予定を消化しようと、初日には遅ればせながら知る人ぞ知る茨城県の古城に片道3時間くらいかけて行ってきたのだが前週の大雨で倒木があったらしく立入り禁止という悲しい憂き目に ;([a]事前に茨城町のホームページや観光協会の Twitter を確認したが、そんな情報は見当たらず 👿 。一応、当時撮った写真を Google Map に掲ておいた。

なんだかなぁって感じて始まった連休だったけど、最終日は思い切って大阪まで足を伸ばして自身二度目の大坂城攻めに。と云うのも「重要文化財 大阪城の櫓YAGURA特別公開」が催されていたから。本年度は、この月末で終了してしまうイベントで、最近の天災やら人災を目の当たりにすると見られるときに見ておこうと思いたって行ってきた。連休最後のということで帰りの新幹線は大変な混みようだったけど :$

大阪へは前日の夕方入りして大阪城公園近くで一泊し、朝一番で券売所へ行けるようにした。但し販売が朝10:00〜だったので、その前の小一時間で公園を一周して天守閣をいろいろな角度から眺めることができる定番スポットを巡ってきた。
それから、がんばって来大した甲斐あって券売所は先頭に並ぶことができ、現存または復元された櫓の内部を観察することができた。

午後は帰京する前に四年前にも巡った真田丸跡を巡ってきた。そのため大阪城公園を出て谷町四丁目駅まで移動し、そこから OsakaMetro 谷町線・八尾南行に乗ってお隣の森ノ宮へ。

「真田丸攻め」は森ノ宮駅近くにある玉造稲荷神社からスタートする予定だったので、その前に駅近くで腹ごしらえ。ちょうど昼時で阪神高速R13号高架下の中央大通り沿いの食べ処は賑わっていたけど、客が出てきた隙を狙って事前に決めてきた、カレーうどんのチェイン店・得正(とくまさ)に入店した :)

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得正・森ノ宮店

暖簾をくぐって、ちょうど目の前にいた店の人に一人だと告げるとすぐカウンター席に通してもらえた。厨房が目の前のカウンターだったので親爺さんがうどんを茹でたりカレーのルーをかけたり、奥ではおばさん方が揚げ物なんかを作っている風景を眺めることができた。

そんな昼時の一番忙しい風景をながめながらメニューを広げて悩んだ結果、とんかつカレー丼定食(870円)にした。うどんは冷温から選択できる。こちらは店の前に建っていたメニュー:

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店前のメニュー

出てきたセットがこちら。今日の大阪は20℃を超えていたので、うどんは冷にした。手前にある小鉢は白菜のサラダ:

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カレー丼定食(とんかつ)(870円)

カレーは辛いのが苦手な自分でも美味しく頂けた。というか今まで食べた「お子様系カレー」の中ではダントツの旨さ。濃くがあって旨みがあるとても味わい深いルー。大盛りにしておけばよかった:

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濃くのある深い味わいのカレー

但し、うどんはあまりコシがなかったけど :P。こっちは、ちょっと残念。しかしながら、これでまた大阪で美味しいものを見つけることができた ;)

名物カレーうどん 得正 森ノ宮店
大阪市中央区森ノ宮中央1丁目16番22号

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ここからはオマケ。

宿泊先をチェックアウトして今回の第一の目的であった「大坂城の櫓特別公開」のチケット販売開始までの小一時間を四年ぶりに大阪城公園をぐるりと一周しつつ撮影スポットを巡りながら、いろいろな角度から天守閣を眺めてきた。結構な数の撮影スポットがあるもんで意外と楽しめた[b]但し、厳密に云うと撮影スポットごとに適正な時間帯(午前や午後)が異なるようで、必ずしも公園を一周しながら撮影できるものではないようだ。

まずは京橋口から公園に入城し本丸の内濠ごしに眺めた天守閣:

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内濠ごしに眺めた本丸石垣と天守閣(拡大版)

極楽橋前から眺めた天守閣:

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極楽橋前から眺めた天守閣

城内で一番高い本丸東側の高石垣。まさに鉄壁である:

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東外濠と本丸高石垣(拡大版)

玉造口へ向かう際に眺めた東外濠と本丸石垣。正面に見える高いビルは大阪ビジネスパークのクリスタルタワー(地上37階):

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東外濠

四年前に初めて大坂城を攻めた際はクリスタルタワー21Fにある「キャッスルカフェ」なるレストランから縄張を眺めようと行って来たがお盆休みで閉店していたんだっけ :|

公園を歩いている際に見かけたオブジェ。スズメがとまっていた車止めの柵[c]あとで調べてみたら、これは「ピコリーノ」っていう名前がついたれっきとした製品らしい。別に大阪城公園向けではないようで関東にもあるようだ。

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スズメと鉄柵

こちらは桜門の中に蛸石と天守閣を入れるという撮影スポット。正直なところ午前09:30位で既に大勢の観光客が出入りしているため難易度が超高い。オマケに普通に車の出入りもあったりして:

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桜門の中に蛸石と天守閣

予想していたことではあるが、連休最終日でもあるこの日は天気も良くて観光客が非常に多かった。特に大陸系が。

そして西の丸庭園の中から眺めた天守閣[d]西の丸庭園は別途入場料が必要。今回は「櫓特別公開」に含まれていた。。ちなみに西の丸跡は。四年前は西の丸跡には時間が無くて入らなかったので自身初である。結構な広さだった:

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西の丸庭園で真正面から望む天守閣(拡大版)

これは西の丸庭園の中にある大阪西の丸庭園迎賓館の中で展示されていた太閤秀吉の黄金の茶室(レプリカ):

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黄金の茶室(レプリカ)

次は西の丸仕切りの石段の上から見上げた天守閣:

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西の丸仕切りの石段の上から望んだ天守閣(拡大版)

さらに西の丸東端から空堀ごしに眺めた天守閣。内濠(水濠)を20分ほど観覧できる「大坂城御座舟」なるやかた舟を目撃した:

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西の丸から空堀越しに眺めた天守閣(拡大版)

今回の櫓特別公開で内部に入れた建物は大手口多聞櫓(渡櫓と続櫓からなる複合建築物)と千貫櫓(せんがんやぐら)、そして焔硝蔵(えんしょうぐら)の四棟。
まずは大手門枡形を構成する多聞櫓と続櫓。多聞櫓は天明3(1783)年に落雷で焼失したのち嘉永元(1848)年に再建された重要文化財:

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大手口多聞櫓

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多聞櫓に接続している続櫓

そして多門櫓とともに大手口を守備する隅櫓の千貫櫓。二層二階本瓦葺の重要文化財:

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千貫櫓

最後の焔硝蔵はまさに火薬庫。鉄砲や大砲で使用する弾薬を保管していた蔵で、壁・床・天井がすべて硬い花崗岩で作られている:

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焔硝蔵

こちらは六番櫓から屏風折れの石垣と南外濠を望んだところ。六番櫓も現存であるが非公開:

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南外濠と六番櫓(拡大版)

大阪城公園の中では乗り物を見かける機会が多かった。園内は本来なら歩行者が優先であるべきなのになぜか車両(ロードトレイン)が優先されていた :|。濠を巡るやかた舟なんていかにも大阪人らしい発想だよ:) [e]江戸城で濠に降りてよいのは白鳥か警視庁機動隊くらいなものだよ。

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ロードトレイン

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大坂城御座舟

こちらはOsaka Metroの谷町四丁目駅構内で見かけたもの。太閤秀吉直筆の辞世の句が残っているらしい:

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秀吉自筆辞世句

これも同じく構内で見かけたもの。個人的に非常に観たかったが美術館の場所が神戸だった。残念:

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「武家と茶の湯」

最後は城攻めとは全く関係はないが気になった現代建築物(大阪府警察本部):

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大阪府警察本部ビル

この時のフォト集はこちら:

See Also大坂城攻め(2) (フォト集)

参照

参照
a 事前に茨城町のホームページや観光協会の Twitter を確認したが、そんな情報は見当たらず 👿 。一応、当時撮った写真を Google Map に掲ておいた。
b 但し、厳密に云うと撮影スポットごとに適正な時間帯(午前や午後)が異なるようで、必ずしも公園を一周しながら撮影できるものではないようだ。
c あとで調べてみたら、これは「ピコリーノ」っていう名前がついたれっきとした製品らしい。別に大阪城公園向けではないようで関東にもあるようだ。
d 西の丸庭園は別途入場料が必要。今回は「櫓特別公開」に含まれていた。
e 江戸城で濠に降りてよいのは白鳥か警視庁機動隊くらいなものだよ。

手打麺処・寿限無茶屋 − A Hand-Kneaded Noodle at the Traditional Architectures.

先週は、令和元(2019)年の暑いお盆休みは『桶狭間古戦場』を巡るため三泊四日の日程で愛知県へ。初日は炎天下[a]同じ時期に台風が日本列島を縦断する予報があったので、どうなるものかとハラハラしたが、旅行の大部分はフェーン現象の煽りを受けてとにかく大変な暑さだった 😥 。の中を主に織田勢の砦跡などを巡ってきたが、二日目はこちらも酷暑の中を今川勢に関係のある史蹟や城跡を巡ってきた。

この日の午前中は、宿泊先の三河安城(みかわあんじょう)を朝8時前に出て刈谷(かりや)と知立(ちりゅう)を経由し名鉄の中京競馬場前まで移動。この駅の近くにある桶狭間古戦場伝説地からスタートして、今川義元の本陣跡や桶狭間古戦場公園、信長による義元の首実検が行われた長福寺、信長が嵐の中を桶狭間山へ向かって駆け上ったとされる「信長坂」、そして今川勢の先陣が陣をおいたとされる高根山などを3時間近くかけて[b]涼を取るために無人のコインランドリーや巨大なホームセンターなどに立ち寄ったり、コンビニで水分補給するなどの時間を含む。ホント、外に立っているだけで暑さにヤラれる大変な天気だった。や徒歩で巡ってきた。

お昼は、有松の伝統的な町屋建築が残る旧東海道沿いにあった手打ちうどん屋で頂くことにした:

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手打麺処・寿限無茶屋

この味わいあるとおりには残念ながらお食事処が少なかったこともあって、昼時を外して行ったもののほぼ満席。オマケに店員が少なくて新規の注文や片付けができていない「てんやわんや」状態だった。自分も店に入ってから席が片付けられるまで10分ほど待つ羽目に :$

席についてもなかなか注文をとりにきてくれず、自分も午前中は予想外の暑さのため休憩を多くとったため、ちょっと予定より時間が押していたため諦めて店を出ようかと云う思いがよぎったが、ここで何か食べておかないと午後の城攻めに響くような気がしたので我慢して待つことにした。幸いにも向かいに座っていた年配の方(地元の人)が話し相手になってくれたので大分気を紛らわすことができたが :)

そして20分ぐらい待ったあとに、このお店のオススメ「梅おろし」(860円)が出てきた:

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この店オリジナルの梅おろし(860円)

なにやら三年間、自家製の完熟梅を蔵で熟成させたソースがかかった冷やしうどんだそうで。他に紫蘇、天カス、胡瓜がのっていた。午後も歩きづくめを考えたら丼物を考えたけど、ちょっと夏バテが入っていたので選択したのが、店オリジナルのひと品。

うどんはコシ強く、ちょっとキツ目の酸味の効いたタレが絶妙。胡瓜と梅の組み合わせにより午前中の暑さから解放され、午後の暑さにもバテること無く城攻めすることができた。大盛りにはしなかったけど腹持ちしたし、大変に素晴らしいうどん。これは予想外でちょっと感動した 8)

手打麺処・寿限無茶屋(じゅげむぢゃや)
愛知県名古屋市緑区有松2339


ここからはオマケ。

こちらは名鉄・中京競馬場前駅・南口のホーム脇に建っていた「よろいかけの松旧地」の碑。信長が桶狭間の戦いに勝利して凱旋途中、休憩のため鎧をかけたとされる松があったと云う。大正時代まで立っていたそうだが現在は石碑のみ:

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「よろいかけの松旧地」の碑

こちらは駅ちかくにある「桶狭間古戦場伝説地」に建つ石碑。ここには、この他にも義元の墓や七石表なる石碑群、さらに桶狭間の戦いに関する説明板があった:

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「桶狭間古戦場址」の碑

ここは愛知県豊明市が管理しているが、実はもう一つ同じ桶狭間古戦場として、あとで行くことになる名古屋市が管理する桶狭間古戦場公園が離れたところにある。

実際のところ、現存する古戦場跡はすべて「伝承地」であり、古文書に記載されている遺構が複数あるそうで、どれが本物であるかは確認できないとのこと。

そして伝説地と通りを挟んだところにある古刹・高徳院の境内には「今川義元公本陣跡」の碑が建っていた:

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「今川義元公本陣跡」の碑

この他、墓所脇には今川勢の先鋒・松井宗信の墓もあった。

高徳院を出て、炎天下を徒歩20分くらいかけて桶狭間古戦場公園へ向かった。途中、義元本陣跡に立ち寄ったが、この時点で体の沸点が限界に近づきつつあったので、公園近くの DCM Kahma 桶狭間店 なる巨大なホームセンターに立ち寄って、しばしの涼をとった :O。この後も、クーラーがかかったこのお店には何度か足を運ぶことになり大変ありがたかった。でも何度もぶらぶらしているのもなんなんで、最後は汗拭いにタオルを購入したっけ。

こちらは公園内に建っていた織田信長と今川義元の銅像:

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「織田信長公」像

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「今川義元公」像

義元公の墓碑:

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「今川義元の墓」碑

公園を出て南にある「大池」と云う貯水池前を通って長福寺[c]桶狭間の戦いの後、信長が境内で義元やその武将の首検証をしたとされる。にも足を運んだ:

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大池(拡大版)

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マガモたち

この後は、あまりの暑さで桶狭間神明社という神社に立ち寄るのをうっかり忘れてしまったが、さらに井伊直盛陣地跡、七ツ塚を経由して武路釜ケ谷・信長坂へ移動した。これがまた大学の敷地内にあったため、暑い中をぐるりと回り込んで大学の正門へ移動する羽目に。お盆休み中とあって構内はひっそりとしていたが、なんとか[d]結果的には無断で立ち入ることになったが、なぜ大学の敷地を通らないと史跡にいけないのだろうか。辿り着いた:

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豪雨の中を駆け上った信長坂(拡大版)

そして、お昼を摂った寿限無茶屋周辺は旧東海道にあたり、江戸時代には尾張藩の奨励で有松町屋が造られたとされる伝統的な場所。とういことで有形文化財に指定された豪壮な町屋の一部が残されていた:

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旧東海道有松の町屋街跡

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旧東海道有松の町屋街跡

服部良也邸土蔵(愛知県指定文化財・都市景観重要建築物指定)。この家は寛政2(1790)年創業の絞問屋(しぼりどんや)。有松・鳴海を中心として作られた手ぬぐいなどの絞り染めの名産地である:

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服部良也邸土蔵

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服部良也邸土蔵

同じく有松絞りの井桁屋(服部家住宅)。屋根瓦が豪壮な造りになっているが、これは火災に備えて漆喰による塗籠造で萱葺(わらぶ)き屋根を瓦葺きにしたもの:

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独特の瓦葺き

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服部邸の大屋敷

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井桁屋(都市景観重要建築物指定)

最後は山与遊歩道。名鉄・有松駅と旧東海道を結ぶ遊歩道。平成の時代につくられた。「山与」はここにあった絞問屋が由来だとか。右奥に見える建物が有松駅:

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山与遊歩道

この時のフォト集はこちら:

See Also桶狭間古戦場(今川勢他)巡り (フォト集)

参照

参照
a 同じ時期に台風が日本列島を縦断する予報があったので、どうなるものかとハラハラしたが、旅行の大部分はフェーン現象の煽りを受けてとにかく大変な暑さだった 😥 。
b 涼を取るために無人のコインランドリーや巨大なホームセンターなどに立ち寄ったり、コンビニで水分補給するなどの時間を含む。ホント、外に立っているだけで暑さにヤラれる大変な天気だった。
c 桶狭間の戦いの後、信長が境内で義元やその武将の首検証をしたとされる。
d 結果的には無断で立ち入ることになったが、なぜ大学の敷地を通らないと史跡にいけないのだろうか。