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評価が三つ星

神田・麺屋武蔵・神山 − A Tsukemen and Grilled Thick Pork perfectly.

先月は令和6(2024)年の小満《ショウマン》の候のとある週末[a]【今日は何の日?】広辞苑記念日。楠木正成と正季《マサスエ》兄弟が湊川の戦いで足利尊氏に敗北し自刃した日(旧暦)。に、戎光祥出版《エビスコウショウ・シュッパン》が開催する恒例の歴史セミナーのVol.39『本能寺の変をぶった斬る!!(講師:柴裕之)』に参加してきた。この二ヶ月前に初めて参加したセミナーに続いて二度目の参加 :)

開催場所は前回同様に、JR神田駅西口から徒歩5分ほどのところにある貸会議室。会場入りする前に西口商店街で腹ごなしすることに。前回食べたつけ麺屋はリニューアル工事中(当時)であったが、流石に知る人ぞ知るラーメン激戦区の商店街でお店を見つけるのに苦労はしなかった :D

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神田・西口商店街

と云うことで今回は行列になっていなかった神田・麺屋武蔵・神山《カンザン》へ。自身初の来店。時間はお昼どき(12:45):

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麺屋武蔵・神山(12:46)

この日は陽射しの強い晴天で汗ばむ暑さ。朝は軽めだったので、今回はセミナーが終わる夕方近くまでしっかり腹持ちしそうなボリュームある品を選択したかった。入店して右手にある液晶パネル式券売機で一通りメニューを見て、デフォルトの神山つけ麺のつけ並(1,450円)を選択し、案内されたカウンター席へ。周囲を見るとソロの女性客が何人か居た。

そして、しばらくして出てきた品がこちら:

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神山つけ麺(1,450円)+つけ並(280g)

並(茹で前 180g / 茹で後 280gほど)の麺の上で一番に目を引く肉厚の豚バラのブロックは、この神山店で有名な「蒲焼チャーシュー」。さらに温泉卵が載っている。そしてつけ汁は醤油系だろうか。こちらにもチャーシュの小さなブロックと二種類のネギが入っている。

本当の食べ方がどうなのか分からないが、ひとまず麺の上に載っている温泉卵を崩し、麺に絡めて食べることにした:

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温泉卵を絡める

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つけ汁にくぐらせる

やや甘めの魚介系醤油ベースのつけ汁に、黄身をくるませた麺を入れて頂く。若干すべるのですくい上げるように箸を運ぶ。つけ汁の絶妙な味の中でしっかりと麺のコシを楽しむことができた。そして主役(?)であるチャーシュにかぶりつく。蒸して余分な脂を落としているとはいえ、味わうのに必要な脂がしっかりと残っており、パリッとした皮と柔らかい身の二層それぞれ美味しく頂けた:

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蒲焼チャーシュー

どうしても残ってしまう卵は、スープ割りのつけ汁の中にレンゲで運んで絡ませて頂いた。これが正統な食し方かどうかは分からんが、美味い  :D

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残った卵

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スープ割りのつけ汁

このチャーシューが主役のメニューなので全品1千円以上の値段であるが、麺の増量が一定量は無料とのことで、次回は倍盛りで頂きたい。

神田・麺屋武蔵・神山
東京都千代田区内神田3-8-7 神田ビル


ここからはオマケ。

こちらが今回参加した戎光祥出版のセミナーの概要。講師はTVでも見かける柴裕之氏:

戎光祥ヒストリカルセミナーvol39

本䏻寺の変がテーマなので必然的に惟任光秀《コレトウ・ミツヒデ》[b]氏曰く、「明智」光秀ではないとのこと。のお話が中心。現代広く伝わる「本䏻寺の変」は明治時代に上がった推論であり、まだ確定していない。信長を討った原因は?とか、変後の動き。そして信長と共に信忠を討った理由は?、長岡藤孝や筒井順慶には事前には知らせていなかった、など興味深い話が聞けた。あと Surprise Guest として黒田基樹氏が最後にコメントしていた。

このセミナーに参加する際に、氏が編集した書籍のお取り置きもしてきた。特別価格(税込)で2割引き 8)

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「図説・明智光秀」と「図説・豊臣秀吉」

セミナー終了後は直筆サインも頂いた:

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直筆でサインも頂いた

つい先日、次回セミナーの告知があったようだが、自分が知った時点で既に定員になって締め切られていた :O

会場へ向かう途中、今回も参拝してきた佐竹稲荷神社

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佐竹稲荷神社

今回もこの近くに「佐竹藩江戸屋敷跡」の碑があることを忘れていた :$

参照

参照
a 【今日は何の日?】広辞苑記念日。楠木正成と正季《マサスエ》兄弟が湊川の戦いで足利尊氏に敗北し自刃した日(旧暦)。
b 氏曰く、「明智」光秀ではないとのこと。

麺屋ジューク DEZENOVE − A Simple Chinese Noodle which is rare in YAMAGATA?

今年は令和6(2024)年のGWは暦通りに休めたものの、諸所の手配に出遅れてしまい、宿泊先を確保できた後半に二泊三日の日程で山形県の城跡をいくつか攻めてきた。ただ最終日は雨の予報だった[a]実際にその日は雨だった 😞️。ので、時間内に行ける城跡などを詰め込めるだけ詰め込んだった感じの日程で、毎日が濃厚で疲労との戦いの二日間でもあった[b]帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。 :D

月曜日である二日目は振替休日で、巷では連休の最終日。曇り空だけれど雨の心配はない天気[c]もしかしたら南陽市の山火事(当時)の煙と風の影響かもしれない 😮️。で、念願の「北の関ヶ原(慶長出羽合戦)」の舞台になった長谷堂城跡と周辺にある古戦場跡を巡る予定であった。

午前中は予定通り長谷堂城跡を攻め、午後の古戦場巡りの前に、その周辺で見つけることができたラーメン屋で昼を摂ることにした :)。長谷堂城跡(八幡口)からだと徒歩で20分ほど。山形県の百名山でもある「城山」を歩いてきた後でやや疲労感はあったが、時間的にはお昼時であったので急ぎ目に店へ向かったものの、店前に着いたら意外と待っている客が少ないことにやや拍子抜けしてしまった :|。まぁ、そこにはちゃんと理由があったんだけど:

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山の中で Surfboards?

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麺屋ジュークDEZENOVE

古民家をリフォームした店の中に入ってみると(案の定)満席だった。目の前にあったノートを見ると、自分の前には五組ほど待っている客がいるようだった。はて?、どこかに待合室でもあるのだろうかと思ったが、どうやら車で来た場合、車のナンバーを伝えておけば店員が駐車場まで呼びにくるまで車内で待つことができるシステムのようだ[d]寒い冬の季節など、この土地の慣習と何か関係あるのだろうか 🙄️。。ただし自分のように徒歩できた客には特段に座るような場所は用意されておらず、店員が駐車場を往復している姿を横目に、店前でぶらぶらと待つことにした[e]まぁ普通、この場所へは車で来るしかないよなぁ。おそらくここにいる客の中で徒歩で来たのは俺だけだろう 😑️。 ;(

30分近くたって入店。「お待たせしてすみません」の声をもらいながら大きなテーブルが4つある座敷へ案内された。既に注文する品は決めているが、一応は壁に掲げられていたメニューを眺める:

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他に、季節ものや期間限定の品あり

決めておいた中華そば(790円)をストレート麺ではなく縮れ麺にしてもらい、さらに徒歩と待ちで予想外にお腹が減ってしまったので炙り豚飯(300円)を追加で注文した。「お漬物は大丈夫ですか?」と質問されたので大丈夫ですと返したら、ラーメンより先に自家製の漬物(大根の千枚漬け)をサービスして頂いた :)

そして出てきた中華そばは、まるで塩ラーメンのようなスープの中に一般的な中華麺がのぞく。トッピングはシナチク、ほうれん草、ネギ、そしてチャーシューがのっている:

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中華そば(790円)

一口スープをすすると味は醤油系のようでコクもあって、麺と一緒にすすると味は関東でよくある醤油色の「中華そば」そのもの。食べていると程なくその「ギャップ」は解消され、最後まで美味しく頂けた。此の県で中華そばは珍しい系のラーメンなのか、昨日の店と同様に地元のオリジナリティが富んでいる感じがした。

「ストレート麺」または「縮れ麺」かを選択できる麺は一般的な中細麺で200g。大盛にもできるようだ:

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スープと一緒に麺をすする🍜️

こちらが追加した炙り豚飯《アブリ・ブタメシ》。ラーメンに載せるものと同じチャーシューの塊と特製のタレ、そしてネギやゴマなどの薬味が乗っている:

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炙り豚飯(300円)

このあとは大変な午後の時間を過ごすことになったので、今更ながらに、ここでしっかり食べておいて良かった8)

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

山形県山形市長谷堂349
麺屋ジュークDEZENOVE


ここからはオマケ。

今回、長谷堂城跡へ向かう往きは公共交通機関を利用した。山形駅前からローカルのバスに乗って20分ほど。ただ事前に調べた時から分かっていたのだが懸念が一つ。この日は「往きの便」しか利用できないと云うこと。この路線は平日に比べて土日祝日の便数が極端に少なくなるため、この日も城攻めしたあとの時刻に山形駅方面へ「帰る便」が無い[f]正確には、自分が乗った往きのバスが最寄りのバス停に到着したら、その数十分後に戻ってくる便に乗るしかない 🤨️。 :|。大型連休とか関係ない。他に利用できそうな路線がないか調べてみたものの、結局は分からずじまいで当日を迎えてしまい、先にバス会社の案内所に立ち寄って聞いてみたのだが、やはり帰りの時間帯には利用できるバスが無いとのこと[g]実は一つだけ路線があったのだが、全く反対方向へ30分近く歩いて、タイミングが合えば乗れるかもしれないと云うもの。おまけに貰った時刻表が平日のものだったので、期待できないとして諦めた 😞️。 :O。勿論、ここまで来て城攻めを諦めることはできなかったので、帰りは90分かけて歩いて戻ってくる覚悟はしていた :|

しかしながら城攻めを終え、疲れた脚で歩いて戻ってくるのは身体に酷なので、ここ山形市で運営されているコミュニティ・サイクルに期待をかけて、事前に会員登録しておいた ;)。この電動サイクルは指定のポートに乗り捨てできるシステムで、駐輪時の施錠と解錠、そして支払いはアプリ経由で行うと云う、いかにも現代技術のトレンドに乗った「シェアサイクル」。ただ借りる際の充電率が気になるところ。基本的にバッテリーの残量は24Hリアルタイムに監視し、実際に昼夜を問わずバッテリー交換しているとのことだが、アプリ上に表示されるのは台数のみで充電量は表示されず、タイミング悪く十分な残量が無い自転車しか見つからないと利用する意味はない。それどころか近くにポートが見つからなければ充電量どころではない。したがって帰路の手段は依然として未定であり、徒歩を覚悟しなければならないことも変わらない :|

なんて考えているうちに長谷堂城跡に最寄りのバス停「長谷堂」に到着した。

こちらは長谷堂城跡の麓にある長谷堂城跡公園。城攻めはここからスタート。長谷堂城の歴史や會津上杉氏との攻防戦などの説明板の他に散策マップが置いてあった:

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長谷堂城跡公園

公園奥が駐車場で、公園内にはトイレもある。

標高85mの城山山頂にある主郭跡:

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主郭跡

こちらは主郭跡から北にある山形城(赤丸の中)方面の眺め:

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主郭跡から北方面の眺め(拡大版)

その隣に見える高層ビルが山形駅前にある霞城セントラル。くどいけど、ここからそこまでは徒歩90分ほど・・・ :0

主郭下の帯曲輪跡から、會津上杉氏と激戦を繰り広げた長谷堂城攻防戦(北の関ヶ原)で、直江山城守が本陣(赤丸の中)を置いた菅沢山《スゲサワヤマ》方面の眺め。眼下に広がる田畑も古戦場跡:

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長谷堂城古戦場跡

こちらは麺屋ジュークへ向かう途中、古戦場だった田園を歩きながら眺めた城山こと長谷堂城跡の西側):

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古戦場跡と長谷堂城跡

大将の直江山城守、副将の春日右衛門、そして前田慶次郎らが長谷堂城を眼前にして軍議を開いたとされる清源寺前あたりから長谷堂城跡を眺めたところ:

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清源寺前あたりから古戦場跡と長谷堂城跡

會津上杉勢が本陣を置いたとされる菅沢山(現在は沢泉寺の境内)へ向かっていくと見学者用の駐車場があった:

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沢泉寺境内の下にある駐車場

そして會津上杉方の本陣跡と、寄手である上杉勢が見たであろう長谷堂城:

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會津上杉勢(直江山城守)の本陣跡と長谷堂城跡

このあとは更に長谷堂城攻防戦の激戦地の一つ(朴ノ木屋敷)で討死した上泉主水[h]戦国時代に兵法家で剣聖と称された新陰流祖・上泉信綱の孫とも。らの供養碑などを巡ってきた。

この日に予定していた行程を完了したあとは(予定通り?) 歩き疲れて重くなった脚を引きずりながら山形市街の中心地へ向かった 。ある程度は覚悟していたので脚は重いが気持ちは沈んでいなかったが、午後から陽が出てきたこともあり、段々と疲労感が増しているのが分かった :$

この時は、いくつかのコンビニを経由地に決めて、そこまで歩いたら休憩して水分を補給し、また次の経由地を目指すと云った感じで歩いてきた[i]と云っても二軒ほどだが 😣️。そして残りの道程《ミチノリ》が半分くらいのコンビニ前でアイスを食べながらポートを探してみると、徒歩20分先の公園にポートがあり、そこで6台の電動サイクルがレンタル可能と分かった[j]うーm。便利である 😁️。 ;)

正直、今いるところから宿泊先までは40分ほど歩けば到着できるのだが、ひとまず立ち寄って確認するだけして、運良くそこそこの充電残量があれば借りるのも手だなと思い向かうことにした。公園に到着しポートにある自転車を調べてみると、そららの殆どが充電率50%以下。そんな中で100%の自転車が1台だけ見つかった 8)。これだと宿泊先に戻れるのは勿論、雨の予報である翌日に巡る予定にしていた最上義光公らの墓所参詣にも十分に賄えるなぁと思ったら、これまでの疲れはどこへやら。すかさずQRコードを読み込ませて解錠し、マップを開いて義光公の菩提寺である光禅寺までの経路を検索して向かっていた :D

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コミュニティサイクル@宿泊先最寄りのポート

こちらが光禅寺境内にある最上義光公の五輪塔。なんとか閉門前に到着することができた:

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最上義光公の五輪塔

他にも義光の嫡男・義康公や悲劇の愛娘・駒姫の墓所にも参詣してきた。身体は完全に麻痺(?)し、レンタサイクルで走り回っている最中は疲労感を感じることはなかった :D

それでも翌日まで疲労を残したくは無かったので、夜は山形駅構内のお店でトンカツと芋煮汁でエネルギーを補充した:

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金華特厚ロースカツ膳(3,300円)

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芋煮汁(495円)

この翌日は朝から雨になったのでお土産や駅弁を買ったあと、早々に山形に別れを告げて帰宅した。

こちらは山形駅新幹線乗り場に展示されていたE3系の現行のつばさと初代のつばさの模型:

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新旧のE3系つばさ

山形新幹線は、この年の春にE8系がデビューしているが、お目にかかることは無かった。

山形発で東京行きのE3系つばさ:

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E3系つばさ

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E3系つばさ

車内の三段階式の手洗いシステムと、トイレの注意書き。トイレは狭かった〜 :O

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左から三段階式の手洗器

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トイレの注意書き

車内で頂いた駅弁はお隣は米沢市の「牛肉どまん中」(1,350円)。関東で云うシウマイ弁当に匹敵する名物弁当:

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「牛、どーん」

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牛肉どまん中(1,350円)

最後はデザート。山形の駅ビルで購入した串団子「じんだん」と「ごま」(各130円):

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串団子(各130円)

「じんだん」とは枝豆の王様「だだちゃ豆」を餡にしたものらしい:

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串団子「じんだん」(130円)

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餡たっぷりの串団子

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串団子「ごま」(130円)

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餡たっぷりの串団子

 と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also長谷堂城攻め (フォト集)
See Also長谷堂城古戦場巡り (フォト集)
See Also最上義光公・義康公・駒姫墓所 (フォト集)

参照

参照
a 実際にその日は雨だった 😞️。
b 帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。
c もしかしたら南陽市の山火事(当時)の煙と風の影響かもしれない 😮️。
d 寒い冬の季節など、この土地の慣習と何か関係あるのだろうか 🙄️。
e まぁ普通、この場所へは車で来るしかないよなぁ。おそらくここにいる客の中で徒歩で来たのは俺だけだろう 😑️。
f 正確には、自分が乗った往きのバスが最寄りのバス停に到着したら、その数十分後に戻ってくる便に乗るしかない 🤨️。
g 実は一つだけ路線があったのだが、全く反対方向へ30分近く歩いて、タイミングが合えば乗れるかもしれないと云うもの。おまけに貰った時刻表が平日のものだったので、期待できないとして諦めた 😞️。
h 戦国時代に兵法家で剣聖と称された新陰流祖・上泉信綱の孫とも。
i と云っても二軒ほどだが 😣️。
j うーm。便利である 😁️。

一茶庵支店 − This Ramen is like a So-men.

今年は令和6(2024)年のGWは暦通りに休めたものの、諸所の手配に出遅れてしまい、宿泊先を確保できた後半に二泊三日の日程で山形県の城跡をいくつか攻めてきた。その中では八年前に初めて山形県入りして以来、いつか行きたいと気になっていた長谷堂城跡とその古戦場跡を巡れたことが一番の収穫だった[a]まぁ、いろいろあったけど 😅️。。また前回の山形入りでは失念して残念な思いをした奥羽国・山形藩・初代藩主の最上義光公ら一族ゆかりの菩提寺も参詣してきた :)。最終日は雨の予報だった[b]実際にその日は雨だった 😞️。ので、時間内に行ける城跡などを詰め込めるだけ詰め込んだった感じの日程で、毎日が濃厚で疲労との戦いの二日間でもあった[c]帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。 :D

東北地方も夏日になった初日は、新庄にある城跡からスタート。東京から新庄までは新幹線で一本。午前中に到着することができたので、城跡へ向かう途中で腹ごなしすることに。山形県は「ラーメン県」と云うことで予め調べておいたラーメン屋へ:

Mikeforce::Today

元祖とりもつラーメンの一茶庵支店

「元祖とりもつラーメン」と銘を打つ店の前には行列はなかったけど、暖簾をくぐって店に入るとテーブル席や奥にある広めの座敷は客で一杯だった。まだ開店して15分くらいなのに:O

この時、かろうじてカウンター席が空いていて店員に促されるまま移動、既に何を注文するかは決めてきたが、一応は真上に掲げられていたメニューを一通り眺めた[d]ぬるまラーメン!?。いわゆる山形県のソウルフード「冷やしラーメン」(冷やし中華ではない)の類 🤨️。

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メニューはこれだけ

初来店と云うことで、ここはお店オススメの「もつラーメン」(700円)を注文し、セルフでお冷を取って席についた。カウンター席の目の前は厨房になっていて、店主が大きな窯鍋で麺を茹でていた。また注文はカウンター越しに厨房にいる店員に告げるシステムだった。

そんな中、厨房にいたおばちゃんが、注文を聞いたあと、その人の名前を聞いてノートに書き入れているのに気づいた。そう云えば、頭上にはこんな注意書きもあった:

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「注文の際は名前をお願いします」!?

どうやら注文は席ではなく名前で区別し、その名前で支払いを請求しているようであった。自分の場合は名前を聞かれなかったのだが、それは目の前にいるカウンター席だからだろうか:|

自分の背中越しに注文していく人が出始めた頃、注文した品がカウンター越しに出てきた:

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もつラーメン(700円)

あっさり醤油ベースのスープに、まるで素麺かのように白い麺の上にネギと細切りのメンマ、そして主役となる鶏のモツ煮がのっていた。麺は見た感じそのもので、コシは無く、まさに素麺かうどんをすするようにして頂くことができた。主役もモツは固くないのに、しっかりと食感を楽しむことができ、スープにも相性バグツンだった :)

と云うことで「干食」(完食)。店名と電話番号がはいったドンブリは、年季のあるラーメン屋の証である 8)

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ごちそうさまでした!

ドンブリと勘定をカウンターにのせて席を立ち振り返ると、結構な客が席待ちしていた。おそらく既に名前を伝え注文し終えた人たちであろう。

次にきた時は熱〜いスープの中に冷たい麺を放り込んでもらう「ぬるまラーメン」の鶏モツ・トッピングで行ってみよう:D

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

一茶庵支店
山形県新庄市鉄砲町10-3


ここからはオマケ。

初日の午前中はまずJR東京駅から新庄駅まで移動。こちらは(福島駅まで一緒に走行した)E5系はやぶさ。そして山形新幹線E3系つばさ。新庄駅では在来線に乗り入れていた:

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E5系はやぶさ@東京駅

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E3系つばさ@新庄駅

東京駅から乗車してすぐ、買っておいた駅弁(1,300円)を頂いた:

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仙臺名物・炭火焼風・牛たん弁当(南蛮味噌漬け+塩竈の藻塩付き)

弁当箱の底に加熱装置が付いていて、紐を引っ張ると湯気が出るほど温かくなる仕組み。下手すると火傷するくらい一瞬で高温になるなんて、なんとも日本人的な発想と技術である 8)。南蛮味噌漬けは猛烈に辛かったし、温かいおかげで一層美味しくいただけるのは確かなのだが、マジで温かい弁当はちょっと駅弁らしくないと思うのは自分だけだろうか。この仕組みのおかげで御飯は少ないし、値段も割高である。ぜひ廉価版を出してほしいところ :D

そして(はやぶさ切り離しのため)福島駅に停車中の車窓からの風景。吾妻小富士《アヅマコフジ》と一切経山《イッサイギョウザン》の眺め:

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車窓からの眺め@JR福島駅(拡大版)

福島を離れ山形へ向かっている途中、車窓から偶然、南陽市の山火事(当時)であろう煙を目撃した。そこから山形方面まで煙がたなびき、晴れなのに空気が霞んで見えたことを思い出す。こちらは、そんな状況を撮ろうした際に偶然にも写っていた上山城郷土資料館[e]時間の都合で、残念ながら今回は城攻めを断念した 😞️。

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上山城郷土資料館(民家の屋根の上)

新庄駅では在来線のホームに到着。改札口へ向かう途中、秋田行き奥羽本線の701系が停車しているのを目撃:

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701系@新庄駅

次は新庄駅でわざわざ出迎えてれくれたオブジェたち。まずはホームにて新庄市公式のイメージキャラクタである「かむてん」。神室山《カムロヤマ》に住む天狗をイメージしたものらしい:

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かむてん

駅構内には、国重要無形民俗文化財新庄まつりの主役であり、有名な歌舞伎を人形であしらえた山車が展示されていた:

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新庄まつりの山車

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新庄まつりの山車

この山車は実際に、昨年は令和5(2023)年の新庄まつりで練り歩いたものらしい。演目は鬼一法眼三略巻《キイチホウゲン・サンリャクノマキ》」。

そもそもこの新庄まつりの起源は、今回攻めてきた城跡(戸澤神社)と深い関係があるらしい。

そして「きてけろくん」とJR新庄駅の駅舎。きてけろくんは正面からだと分かりづらいが、横から見ると山形県の地形になっているのだとか:

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きてけろくん

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JR新庄駅

濠に囲まれた最上公園には歴史ある建築物が多くあった。その中で県指定建造物になっている天満神社脇に学問の神様である菅原道真公を祀った御堂があり、ちゃんと撫で牛《ナデベコ》がおいてあった:

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撫で牛

こちらは、最上公園近くある新庄ふるさと歴史センターの玄関ホールで見かけた隠明寺凧《オンミョウジダコ》:

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隠明寺凧(小型)

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隠明寺凧(大型)

一つ目の城攻めを終えて、次の城跡を攻めるためJR新庄駅へ向かっている途中に見かけたホテルの案内板。ちょっと興味津々なフレーズだけれど、何が小さいのだろうか?[f]「大浴場」ではなく「小浴場」とか? 😅️

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「日本でいちばんちいさな・セントラルホテル」

この日二つ目の城跡は天童市にあった天童(古)城。最寄りであるJR天童駅のホームや駅舎、その周辺はいかにも将棋の駒の形をイメージさせるようなデザインだった:

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@JR天童駅東口

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@ホーム

天童市の市制施行65周年を記念して建立された、このモニュメントの題字は羽生善治《ハブ・ヨシハル》棋士によるもの:

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駒のモニュメント(令和6年設置)

駅下の天童将棋史料館も、竜王で名人である藤井聡太棋士の活躍にあやかり将棋ブームを一段と盛り上げようとしているようだった(知らんけど):

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@天童将棋史料館

現在、天童城跡の一部は人間将棋でも有名な天童公園になっている。観覧席から将棋盤あたりが天童城の段曲輪だった:

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王将の碑

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観覧席から将棋盤

「王将」のモニュメントの題字は故・大山康晴棋士によるもの。六年前の平成30(2018)年には人間将棋の対局数が2千を越えて(2,362)ギネスに登録された:

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1会場で同時に対局した最多数でギネス登録

天童城の主郭は、この公園ではなく山道を登った愛宕神社が建つ場所である。実際に登ってきたのだが、なんとその境内でカモシカにばったり遭遇した。

軍神を祀る愛宕神社で今回の城攻めの成功を祈願したあと、主郭跡を歩いていると正面に白い物体が目に入った。一瞬、何かの剥製?まさか?と思った:0

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え!? 何かの剥製か?・・・

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・・・白いカモシカだった

色からして熊だとは思わなかったが、それでも一瞬、固まってしまった :D。すかさず撮影するも、特にこちらに驚いていた様子はなかった様に見えた。もしかして人間慣れしているのだろうか。それでも接近して縄張り?に入るのは回避し、早々に城攻めを済ませたあと下山しようとすると、今度は参道口の目の前で此方を凝視している:

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此方を凝視するカモシカ

むむっ。日も暮れそうな時間であり、下山してこの日最後の城攻めをしたかったので、あまり刺激しないようにゆっくり参道口へ回り込んで石段を下りて天童公園へ戻った 0:)

このあとは無事に下山し、天童織田藩[g]大六天魔王・織田信長の次男である信雄の子の系統が天童織田家になる。の政庁があった陣屋跡を巡ってきた。城跡は奥羽本線に分断され、宅地化の波に押しつぶされてしまったので特に遺構はない。そんな中、印象に残ったのがやはりこちらのマンホール。さすが将棋の街。詳細は日本マンホール蓋学会山形県天童市のマンホールを参照のこと:

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天童市の市章

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将棋の駒

 と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also新庄城攻め (フォト集)
See Also新庄藩と戸澤家 (フォト集)
See Also天童城攻め (フォト集)
See Also天童御陣屋攻め (フォト集)

参照

参照
a まぁ、いろいろあったけど 😅️。
b 実際にその日は雨だった 😞️。
c 帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。
d ぬるまラーメン!?。いわゆる山形県のソウルフード「冷やしラーメン」(冷やし中華ではない)の類 🤨️。
e 時間の都合で、残念ながら今回は城攻めを断念した 😞️。
f 「大浴場」ではなく「小浴場」とか? 😅️
g 大六天魔王・織田信長の次男である信雄の子の系統が天童織田家になる。

手打ちそば処 麓 − A Soba shop at the Castle Town in Ishioka.

先日は令和6(2024)年の清明の候を過ぎた週末[a]【今日は何の日】徳川家康の三男で二代将軍となる徳川秀忠の誕生日。豊臣政権の五奉行の一人である浅野長吉(長政)が江戸で没した日。共に旧暦。に茨城県石岡市にある城跡を攻めてきた。午前中に城攻め、そして縁ある武将らの墓所を参詣した後はそのまま最寄りのバス停へ向かうつもりだった[b]所要時間としては凡そ徒歩30分。。と云うのも、かって藩があったこの城下町跡は、現在はその大部分が田畑と地主らの豪邸があるだけで御食事処は期待できなかったから :|

ところが、かっての城主である瀧川雄利《タキガワ・カツトシ》ら瀧川一族(雄利系)が眠る泰寧寺《タイネイジ》からバス停へ向かおうとした際に「手打ちそば」なる幟が目に入った。近くに蕎麦屋があったのかと思い、調べてみると寺の裏手にあることが分かった :)

このままバス停へ向かうと予定どおりJR石岡駅へ向かうバスに乗れるが、昼を摂るのが困る[c]駅前にある御食事処は全て日曜が定休 😞️。。反対に、その蕎麦屋でお昼と摂るとバスに乗れるのは二時間以上先になる :O。軽く悩んだが、すぐに足は蕎麦屋へ向かっていた :D

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ここを左に入る

意外と駐車場が空いていたので、すんなりありつけるかなと思い、入口前に置いてあった案内板でオススメを確認してから暖簾をくぐった:

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手打ちそば処・麓

店の中に入り靴を脱いで、厨房と座敷を忙しく行き来している店員に来店を告げると、挨拶されたまま少し待たされた。座敷を覗くとだいぶテーブル席は埋まっていたが、入店時に入れ替わりで出ていった人のテーブル席が空いていることを確認。座敷と反対側にある厨房も忙しそうにしていて声をかけるに戸惑っていたところ、空いている席へどうぞと案内されて座敷の中へ。

一応はテーブルの上にあったメニューを見るが、既に店口の案内板でみた「ぶっかけ納豆そば」(1,250円)に決めていた。さらに店員に確認して大盛りのオプションを追加(250円)。注文してから15分くらい待って出てきたのがこちら。大盛りにしておいてよかった :)

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ぶっかけ納豆そば(1,250円)+大盛り(250円)

この蕎麦屋は、以前までは種から蕎麦の実を育てていたらしいが、今は旧・八郷町(現・石岡市)の農家が作った蕎麦の実を石臼で挽き、黒っぽい色をしたその「挽きぐるみ」で新鮮な味と香りを堪能してもらいたいのだとか。

自家挽き+自家打ち蕎麦の上には薬味として、大根おろし+特製油揚げ+カイワレ+ネギ+大葉、そして山形産の紅大豆「茶々丸」の納豆がかかっている。茨城産ではないところがミソ:

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「茶々丸」納豆

納豆大好きの自分としては、まず素の茶々丸を頂いた。思ったほど糸はひいておらず、小粒ながら咬むとふんわり鼻にぬける香りがいい感じ。味が薄めの蕎麦つゆと衝突せずに、よくよく味わうことができた。箸休めの酢の物もいい感じ。

だいたい食べ終わりそうなタイミングで蕎麦湯とデザートが出てきた:

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蕎麦ゼリーと蕎麦湯

「この蕎麦にこの蕎麦湯あり」って感じで、ホント濃厚 :)。冷めても味わいがあった。ゼリーの方はきな粉がかかっているので香りは感じられないが、口入れるとたしかに蕎麦の味がした:

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濃厚な蕎麦湯

いやぁ〜、大盛りにしておいて良かった。これでも少ないくらいだった。あと日曜日営業で助かった〜。

ちなみに蕎麦はなくなり次第で終了らしく、自分が店を出たときには「閉店」の札がかかっていた。そして、次のバスの時刻まで1時間以上あったので、根小屋周辺をゆっくり遠回りしながら最寄りのバス停へ向かった :D

手打ちそば処・麓《フモト》
茨城県石岡市根古屋829-1


ここからはオマケ。
 
これは七代天神社の北側にある、片野城址の碑と案内板:
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片野城址

この城跡は夏が近くづくにつれて藪化が激しくなって攻めるのが大変らしいので、この時期に行って来た。この時期でも主郭部の大部分は藪化したままで、当時は昨日の大雨で泥濘んでいたこともあり、堀跡に降りることはしなかったが、深く幅広の堀跡は郭跡の上からでも楽しめた。

こちらは城址北東隅の堀跡と郭跡。ここは藪化してなかったので、一応は整備が行われているようだった[d]市指定史跡だから当たり前か😅️。

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城址北東隅に遺る堀跡と郭跡

こちらは根小屋七代天神社。片野城の守護神として、常陸国の佐竹氏の郷から七代天神を迎祀したのが始まり:

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根小屋七代天神社の社殿

片野城址の郭であった境内には神々しい木々が立っていた。これらは御神木として人々から畏敬され神として崇められてきたと云う。樹齢は400年は越えているらしい:

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神々しい杉の木

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神々しい欅

社殿前から鳥居が建つ参道口へ真っ直ぐ伸びた参道。この先の鳥居脇には土塁と枡形虎口が残っていた:

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参道

この神社境内の南側にある浄瑠璃光寺《ジョウルリコウジ》[e]住職が居ない無住寺院。も片野城の郭跡:

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浄瑠璃光寺

この境内には片野城主だった太田資正(号して三楽斎)公の墓所がある:

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太田資正公之墓所

資正は名将・太田道灌の玄孫《ヤシャゴ》にあたる。かっては岩付城主であり、宿敵・小田原北條氏に与した子に裏切られて奪われたのちは、岩付城帰還をよりどころとし、末は常陸国の戦国大名で「坂東太郎」の異名を持つ佐竹義重の客将となって片野城に入った。天正18(1590)年に小田原北條氏は滅亡したが、岩付城には戻ること叶わず、この地で無念ながら没した。享年70。現在の墓所は、平成の時代に十三世後裔が整備したもの。

こちらが瀧川雄利公を祖とする瀧川家の菩提寺である泰寧寺:

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泰寧寺

本堂裏手の小高い丘上に三代当主の瀧川利貞《タキガワ・トシサダ》公の墓所と瀧川雄利公の墓碑が建っている:

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瀧川利貞公の五輪塔

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瀧川雄利公の墓碑

利貞は元は土岐家の次男坊で、のちに片野藩の瀧川正利《タキガワ・マサトシ》の養子に入り瀧川家を継承した。

雄利はかっては出家したが、還俗して織田信長の重臣の一人で関東管領を務めた瀧川一益《タキガワ・カズマス》の娘を娶って「瀧川」の姓を拝領し一族に加わった。のちに太閤秀吉の直臣となり、関ヶ原の戦いでは西軍についたが、徳川家康に召し出されて片野城主となった。

この時期の石岡市根小屋あたりは桜が満開だった:

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片野城下の桜

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片野城下の桜

前日の大雨に負けず満開だった:

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望月桜?

この日は、城攻めしていた午前中は曇りであったが、お昼を摂ってバス停へ向かう頃は若干、雲がはけて筑波山を眺めることができた:

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筑波山

最後はバス停へ向かっている際に目撃したもの:

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スイーツ自販機

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林小学校のクスノキ

「スイーツ自販機」は需要に供給が間に合わない手作りのデザートのためか、全て売り切れだった。メニューには写真は無く文字ばかりで何が出てくるか分からない気がするが :O

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also片野城攻め (フォト集)
See Also太田資正公墓所 (フォト集)
See Also瀧川雄利公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日】徳川家康の三男で二代将軍となる徳川秀忠の誕生日。豊臣政権の五奉行の一人である浅野長吉(長政)が江戸で没した日。共に旧暦。
b 所要時間としては凡そ徒歩30分。
c 駅前にある御食事処は全て日曜が定休 😞️。
d 市指定史跡だから当たり前か😅️。
e 住職が居ない無住寺院。

中華蕎麦 萌芽 − This Shop has Variety of Ramens.

先週は令和6(2024)年の啓蟄の候を過ぎた週末[a]【今日は何の日?】東京と博多まで新幹線が全線開通下日。本多佐渡守の嫡男・正純が失脚後に幽閉先で死去した日(旧暦)。に、現在の千葉県我孫子市と柏市の市町村界[b]行政区画のうち、市町村の境界線のこと。あたりにある城跡二つ攻めてきた。午前中に我孫子市にある城跡を攻めたあと、常磐線を越えた先にある柏市の城跡を攻めるため、その前にお昼を摂ることにした。

数日前には雪が降るほど寒かった関東地方で、この日は晴天ながらも意外と風が強く、見ごたえがあった城跡を歩き回ってきのに体が冷え切ってしまい、何か温かいモノと云うことで、トイレを借りたコンビニ近くのラーメン屋へ向かった[c]ちょうど柏市へ入るためにJR北柏駅へ向かっている途中でもあったので 😄️。

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中華蕎麦 萌芽

こちらは中華蕎麦・萌芽《ホウガ》(煮干・自家製麺・豚骨)。開店時刻である11:00ちょっと過ぎに到着。引き戸の窓から軽く覗いてみると、正面には厨房で忙しくしている主人の姿、左手に券売機、そして右手にカウンターと今しがた入店したであろう客が見えた。このまま店に入ると、忙しそうではあったけれど、店員からしっかりと声掛けしてもらえた :)

券売機の方は、ほぼ空いているボタンがないくらいびっしりとメニューが並んでいて、全て目を通さなかったのだが、ひとまず縦方向に「豚骨+煮干」系、「あっさり煮干」系、「創作」系、そして「つけ麺」系のグループを見た気がする。それに対して横方向は卵やらチャーシュやらのトッピングでグレード(値段)が上がっていく並びだったと思う。

ただ自分が座ったカウンター席の目の前には他にも写真入のメニューが貼ってあったり、(券売機で見た覚えのない)担々麺を食べていた客がいたりして、メニューの充実度には驚いた:D

そんな中から自分が選んだのは「あっさり煮干し」系で最上位のグレードであるチャーシュー煮干蕎麦(1,200円)。券売機の前に立って無数のボタンを見ながら短時間でいろいろ考えたのだが、結局のところ、低いグレードにトッピングを追加すると意外と懐に響く値段になるように思えた[d]くどいけど、一つ一つ確認していないので、あくまでも記憶ありき 😮️。ので、こちらの方がお得かなと思っただけだけど :|

そして、こちらが小ぶりの丼に入ったチャーシュー煮干蕎麦:

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チャーシュー煮干蕎麦(1,200円)

トッピングは、チャーシューが豚トロ、なると、刻みネギ、岩のり、メンマがのっていた。スープはあっさりの煮干しと云うことで臭みはほとんどなかった。若干、味が濃かったので「あっさり」と云うほど軽めではなかったが、逆に旨味を感じることができるスープだった:

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ストレート細麺

自家製麺はストレートの細麺で、やや茹ですぎ感があったが、濃い目のスープと一緒にしっかり頂くことができた。豚トロのチャーシューも温かくて美味しかった。ちょっと残念だったのが、丼《ドンブリ》が小さめだったのでスープも少なかったことか :|

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

中華蕎麦・萌芽
千葉県柏市北柏1丁目3-5 エクセル田中103


ここからはオマケ。
午前中に攻めた我孫子市の城跡。中世の平山城で、太田道灌が築いたと云う説もあるが、詳細は不明。畑になっているところは、往時は手賀沼からの沼地だったとか:
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根戸城跡

こちらは反対に、根戸城跡にある森林管理団体の敷地から眺めた城下。先に見えるのが手賀沼:

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手賀沼の眺望

想像していたよりも良好に遺構が残っていた。たとえば二郭西側の堀が竪堀に変化するところ:

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二郭西側の堀跡

主郭(左手)西側に残る横矢掛:

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主郭西側の横矢跡

土塁に囲まれた主郭跡:

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主郭跡

主郭(左手)西側の堀。右手は二郭城塁:

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主郭の横堀跡

この城跡から線路を越えた北側が柏市で、お昼を摂った後に攻めてきた城跡はやや造成が進んでしまっていたが、この日の天気にもかかわらず花見シーズンに突入して賑わっていた:

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松ヶ崎城跡

意外と花見している人は城跡の遺構には、あまり興味がなかったようで混雑はしていなかった。こちらは西側虎口跡:

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松ヶ崎城跡

往時この虎口は喰違虎口であったが、現在は遊歩道によって土塁の一部が破壊されて真っ直ぐ通行できるようになっていた:

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一応は土塁が喰い違ってはいるが・・・

本曲輪の城塁と堀:

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本曲輪西側の堀と土塁

東側虎口跡と物見台跡:

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東側虎口跡

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古墳を利用した物見台跡

この物見台跡からは本曲輪跡の全景を眺めることが出来た:

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本曲輪跡

城址南側に残る腰曲輪跡:

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腰曲輪跡と土塁

この日は桜、サクラ、さくらで満開だったので大勢の家族連れが訪れていた:

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桜(ソメイヨシノ)

人だけではなく鶯も:

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桜と鶯

こちらも桜:

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カワヅザクラ

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also根戸城攻め (フォト集)
See Also松ヶ崎城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】東京と博多まで新幹線が全線開通下日。本多佐渡守の嫡男・正純が失脚後に幽閉先で死去した日(旧暦)。
b 行政区画のうち、市町村の境界線のこと。
c ちょうど柏市へ入るためにJR北柏駅へ向かっている途中でもあったので 😄️。
d くどいけど、一つ一つ確認していないので、あくまでも記憶ありき 😮️。