昨年は平成30(2018)年最後の城攻めとして年末近くの連休を利用して群馬県へ。この時点で、一応は目標としていた群馬県にある城跡は残り二箇所だったので、それらを攻めて「群馬県の城攻め」を完了させたかったので良い機会となった
。今回訪問した群馬県は前回ボロクソに貶した前橋といった中途半端な街ではなく、自身初めての渋川市と、雪が心配だった吾妻郡高山郷。個人的に吾妻郡は群馬県というよりは「長野県」じゃないかといった感覚で、全くよい印象がない群馬県の街中とでは別格扱いである
。
で初日は渋川市にある白井(しろい)城跡へ。早朝に自宅を出て大宮までは東海道を利用し、そこからJR上越新幹線で高崎まで移動。そして新前橋経由でJR上越線・水上行に乗って渋川に着いたのが朝10時。この日の群馬の天気予報は前日までコロコロと変わり、自宅を出る直前は晴のち曇りでということで全く心配していなかったのだが、いざ着いてみると完全な曇り空。というか今にも雨か雪が降ってきそうな空模様だった
。
事前に調べたところによれば、徒歩で駅から白井城跡へ向かうと40分近くかかるということだったので、駅構内にある観光案内所に立ち寄って情報を入手することに。すると城近くの「白井宿」(しろいしゅく)なるかっての宿場町近くを通るバスが運行しているとのことで、それを利用することにした。なんやかんや観光案内所の人と立話しているうちに危うくバスを一本逃すところであったが駅西口のバスターミナルから無事に乗車することができた。しかしバスに乗っていると雨がポツリポツリと降り出してきた
。
このバスに乗って鯉沢(こいざわ)バイパスこと国道R17を北上し、吾妻川に架かる吾妻新橋を渡った先の「白井」なるバス停まで10分ほど。そして、このバス停から白井城跡の登城口までは白井宿跡を経由して徒歩で15分という感じ。帰りは吾妻新橋から吾妻川ごしに白井城跡の遠景を眺めたかったので、バスは利用せず、その分たっぷり4時間近く城攻めしてきた。途中、雨の降りが強くなることはあったが、大木の下で昼飯と休憩がてら雨宿りすることで、それほど難儀することはなかった。
城攻めを終えて渋川から本日の宿がある高崎へ移動しチェックインしてから、ホテルから徒歩5分ほどの居酒屋ミライザカ・高崎西口駅前店で夕食を。クリスマスシーズンともあって、せっかくなら焼き鳥や唐揚げと云った鶏肉料理を食べたかったと云う次第:

旨唐揚げと居酒メシ・ミライザカ
開店してすぐに入ったようで人の入りはまばら。テーブル席に通してもらい、まず中生(323円)を注文してお通し(323円)をつまみながら、お店オススメの品を中心に選んでみることにした。
まずは「かんぱいのお供に」なるグループから選んだきゅうりの塩昆布ゆかり和え(431円)。これはさっぱりして美味しかった。もしかしたらこの日に食べた料理では店一番かも
:

塩昆布ゆかり和え(431円)
この店は野菜系があまり充実していなかった。トマト好きなので北海道チェリーモッツァレラのトマトカプレーゼ(431円)。「農園から採れたたての野菜」なるグループより。これは美味しくなかった;

量も味も不満だった北海道チェリーモッツァレラのトマトカプレーゼ(431円)
ここらで焼き鳥を。「ハートを串刺し! 定番やきとり」から盛り合わせ5本を塩味で(863円)。出てきたものは、どこの居酒屋チェインでも出してきそうな貧祖な鶏肉だった:

やきとり盛合せ 5本(863円)
ここいらでビールのおかわりを注文したついでに、お店一番のオススメである清流若どり・骨付きモモ一本グローブ焼ガーリック味(1079円)。「でかうま!清流若鶏の唐揚げ」グループから:

清流若どり骨付モモ一本 グローブ焼きガーリック(1079円)
出てくると店員が大きなハサミであらかた切れ目を入れてくれる。あとは箸でむしりとって食べると言った感じ。これはビールにぴったりだった:

お店一番のオススメ

ガーリック味噌?的な味
う〜ん。期待するほど食べるところは多くなく、これで1,000円か!?って感じ
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期待したほど食べるところはなかった
ちょっと口直しで「海山の新鮮お刺身」から北海道産ホタテ刺し(647円)。表面が乾いていて、これは明らかに新鮮ではなかった
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北海道産ホタテ刺し(647円)
ここらで明日の城攻めに配慮して梅酒ロックにスイッチ。一杯目は澄みわたる梅酒ロック(431円)を注文したがコップ一杯に入り水みたいで不味かったので、二杯目は山崎蒸留所貯蔵・焙煎樽仕込梅酒ロック(486円)を注文。やっとまともな梅酒ロックになった:

焙煎樽仕込梅酒ロック(486円)
この時についでに注文したのが「カンパイのお供に」グループより清流よだれ鶏(539円)。ラー油がかかっているがそれほど辛くもなく、なんとなく味気なかった:

清流よだれ鶏(539円)

まったく辛くなく味気ない
腹も膨らんできたので玄米茶(0円)を注文し、「〆は別腹!」グループから焼きおにぎりにしようかお茶漬けにしようか迷った挙句、かしわ飯茶漬け(539円)にした:

かしわ飯茶漬け(539円)

飯がべちゃべちゃで旨くない
元々のかしわ飯がベチャベチャだったので出汁にいれると一層フニャフニャになった。味付けも薄味。正直なところ美味しくない。
ということで「安くて一人でもふらっと立ち寄れる気軽さ」が売りの居酒屋とのことだったけど大したことは無かった。群馬県の都市部に来る度に思うのだけど首都圏レベルの価格でも内容が伴っていないそんな店が多いので、吉田類の酒場放浪記みたいにもっと地元の常連がつきそうな店に行ってみたい。値段は群馬レベルだと思うが。
ミライザカ・高崎西口駅前店
群馬県高崎市八島町110-6 TO-MOREビル1F
ここからはオマケ。
こちらはSL蒸気機関車でも有名な渋川駅ホーム:

渋川駅
渋川駅発の乗合バスで白井下宿(しろいげしゅく)という交差点手前にある白井バス停で下車し、小雨が降る中を国道R17沿いに北上して白井交差点までくると左手にコンビニが見えてくる。そこから西へ向かって歩いていくと白井宿なる宿場町跡が見えてくる:

白井宿の南端にある灯籠(拡大版)
この白井宿の始まりは今から580年以上前の永享2(1430)年の白井城築城まで遡るのだそうで、吾妻川と利根川が合流する交通の要衝にあって城下町として栄えたあと、徳川家康が関東へ移封されてから江戸時代には白井藩が藩立し、幕府の直轄地(天領)になって市場町・宿場町として発展したと云う:

白井宿跡の町並みと白井宿歴史資料館(拡大版)

上野国・白井宿の標柱
実際のところ白井宿は沼田往還(街道)の宿場町では無かったが、城下町として独自の文化圏の中心であったことから人や物が集約するところだった:

沼田街道西通りの白井宿

現代の建物(白井山車備品蔵)
明治の世に入ると現代の国道R17に相当する清水越往還が開通し商業は現在の渋川へ移り、通りから外れた白井は農業主体の集落に変容したのだとか。
幕末から明治にかけて三度の大火により古い家並みは焼失し、現在は広い通りとその真ん中を流れる白井堰(しろいせき)、生活に潤いを与えた8つの「つるべ井戸」、そして路傍の石造物などが点在、往時の佇まいを今に残している:

羅漢水の井戸(1795年)と白井堰

宮本町の井戸(1929年)と白井堰
そして、こちらは白井宿跡の西側に築かれていた白井城の本丸跡:

白井城本丸跡

白井城本丸虎口跡(拡大版)
本丸虎口の石垣は名将・太田道灌が指導して築いたと云う伝承が残る:

本丸虎口の石垣
この城は、室町時代中頃に白井長尾家の長尾景仲(ながお・かげなか)なる武将が築いたもの。『関東不双の知恵者』と称された景仲は山内上杉家の家宰職(重臣)を務めた上野・武蔵国の守護代で、孫には長尾景春や太田道灌がいる。
ちなみに戦国時代は甲斐武田家の真田幸綱・信綱父子も白井城に攻め込んだという記録が残る。
現在の城跡も広大な敷地の大部分が民間に払い下げられて畑になっていたが、空堀や虎口・土橋といった遺構は大切に保存されているようで、素晴らしい状態で見ることができた
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本丸と二の丸との間の堀切(拡大版)
城の西側には吾妻川が流れている:

本丸跡から見た吾妻川

二の丸跡から眺めた吾妻川(拡大版)
白井城東側には帯郭と堀切が南側へ向かって伸びていた:

帯郭跡

帯郭と本丸との間の深い堀切(拡大版)
城の西側は断崖と吾妻川、東側は帯郭によって優れた防御力を持っていた白井城がよく分かる保存状態で大満足な城攻めだった
。
帰りは吾妻川に架かる吾妻新橋を渡って駅へ向かった:

国道R17が走る吾妻新橋

吾妻新橋
渋川駅方面に向かって左手は利根川、右手は吾妻川:

吾妻新橋ごしに眺めた先の利根川(拡大版)

吾妻川
吾妻新橋の上から白井城址(写真中央あたり)を眺めたところ:

白井城跡遠景(拡大版)
最後は、小雨が降るなかを城攻めして冷えきった体を温めようと渋川駅の目の前にある和食レストラン・とんでんで食べた焼き餅と栗のぜんざい(454円)。栗は半分だし、餅は堅いし全く美味しくなかった
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この価格でこの不味さは罪にあたるな
ということで、この時のフォト集はこちら:
上州白井城攻め (フォト集)
上州中山城攻め (フォト集)