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評価が二つ星

鎌倉散策 − The 13 Remains for the SHOGUN.

先々週は令和4(2022)年の立冬を過ぎたよく晴れた週末[a]洋服記念日。平成30(2018)年には大谷翔平がアメリカンリーグ最優秀新人選手賞に選出された日。ジョン万次郎が亡くなった日。、横浜への用事の前に鎌倉まで足をのばして散策してきた。鎌倉へは太田道灌公の墓所を巡って以来七年ぶり。その時は鎌倉駅西口から源氏山公園あたりを目指していたが、今回は自身初の鶴岡八幡宮界隈へ。と云っても単に(時間つぶしで)大河ドラマ館へ行きたかっただけなのだけど :D:

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鶴岡八幡宮

大河ドラマ館は八幡宮境内にあるようなので、今回は駅東口へ。時刻は午前10時半近くで、既に有名な小町通りは大勢の観光客で混雑していた。そして若宮大路《ワカミヤオオジ》(県道R21)の二の鳥居から参道へ:

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二の鳥居

参道を歩いて八幡宮前から境内へ向かう。行き交う外国人観光客が多いこと多いこと:

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若宮大路沿いの参道

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八幡宮前の三の鳥居

八幡宮前すぐの太鼓橋から眺めた本宮(上宮):

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太鼓橋ごしに

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眺めた

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本宮

左右にある橋を渡って境内へ入るが、往時は中央にある太鼓橋だけで、八百数十年前の太鼓橋は朱塗りの木造橋だったらしい。現在は昭和の時代に架け直されたものだが通行不可。代わりに、その左右にある橋を使う。そして、その周囲の松の木も見事だった:

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太鼓橋

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見事な松

太鼓橋を渡ると源氏池と平家池(源平池)がある。夏は蓮で水面《ミナモ》が覆われるらしい:

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平家池

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源氏池

源氏池に浮かぶ旗上弁財天《ハタアゲ・ベンザイテン》脇にある政子石と呼ばれる陰陽石《オンミョウイシ》:

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政子石

目的地のドラマ館は源平池の先に建つ鎌倉文華館・鶴岡ミュージアム:

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「鎌倉殿の13人・大河ドラマ館」

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鎌倉文華館・鶴岡ミュージアム

実際にミュージアム前まで行ってみると、これまたすごい行列 :O。ドラマの人気ぶりがよく分かるが、建物に入るだけでも時間がかかりそうだったので、今回はいさぎよく諦めた[b]さらに順番待ちのキツキツな観覧になりそうだったし、単に時間つぶしのつもりで来たので諦めも早い 😉️。。代わりに 、ここ八幡宮界隈を散策することにした。

参道へ戻って本宮を目指して北上すると出現するのが舞殿(下拝殿):

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舞殿

ここは源義経の妾・静御前が舞った若宮廻廊跡らしい。このあたりは七五三の家族連れで多い賑わいだった。

石段を上がった上に建つ楼門が重要文化財の本宮(上宮):

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本宮(上宮)

治承4(1180)年に源頼朝が、源氏の氏神・八幡神[c]平安時代の河内源氏二代目の棟梁・源頼義が京の石清水八幡宮を勧請したもの。頼義の嫡男が八幡太郎義家、次男が賀茂次郎義綱、三男が新羅三郎義光。を由比ヶ浜《ユイガハマ》から遷座して建てたのが①鶴岡八幡宮。戦国時代は天文9(1540)年に大永の乱で焼失した社殿を北條氏綱が再建、江戸時代は文政11(1828)年に十一代将軍・家斉《イエナリ》が本殿を造営、大正12(1923)年の関東大震災で多くの建造物が倒壊したが、昭和の時代初めに復興された。境内は国指定史跡。

 本宮前の石段から若宮大路方面の眺め:

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本宮から若宮大路方面の眺め(拡大版)

境内をいろいろ散策したあとは人気ドラマ[d]自分は途中から見始めたくち。ドラマの序章はよく知らない🤐️。にあやかり、ここ鶴岡八幡宮を含む鎌倉殿に関係する13ヶ所の遺構や名跡を巡ってきた。

こちらが散策中に入手した『ヨリトモくんと巡ろう!鎌倉大蔵散歩地図』(大蔵頼朝商店会[e]「現在地」が示す桜道沿いにあった案内板。脇にある箱からも色刷りの地図を入手できた。

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この地図を片手に巡ってきた(拡大版)

まずは八幡宮近くある宝戒寺《ホウカイジ》へ。境内参観は有料で大人300円(当時)

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金龍山 釈満院 円頓宝戒寺

境内は当時「小町邸」と呼ばれていた北條執権邸跡らしい:

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「北條執権邸舊蹟」の碑

石畳の門前を進んで境内へ。正面にある本堂(堂内は撮影不可)。本堂屋根の棟には北條家の三つ鱗紋が掲げられていた:

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本堂

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三つ鱗紋

その昔、執権の北條時政が江の島弁財天を参詣した時、二十丈もある大蛇からお告げを受け、大蛇が海中に姿を消した後に残っていた三枚の鱗を手に入れたが、それを竜の鱗として北條家の家紋にしたと伝わる。

本堂脇にある德崇大権現堂《トクソウ・ダイゴンゲン・ドウ》。鎌倉幕府第十四代執権・北條高時を祀る:

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德崇大権現堂

鐘楼と三つ鱗紋が刻まれた梵鐘:

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鐘楼

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梵鐘

このあとは宝戒寺を出て県道R204(金沢街道)を歩いて鎌倉宮を目指すことに。

こちら清泉《セイセン》小学校近くにあった③大蔵幕府舊跡の碑

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「大蔵幕府舊跡」の碑

鎌倉入りした頼朝は大蔵の地に御所を構え、頼朝・頼家・実朝の三代46年間、ここで政治を行い、まさに鎌倉幕府の中心であったと云う。政所跡に小学校が建っているが、学校の塀には小学校史跡委員会自作の説明板がたくさん貼られていて、読んでいて勉強になった 8)

さらに進むと荏柄天神社《エガラ・テンジンシャ》がある[f]向こう側に長い階段が見えたのと時間の都合で境内は行かず 🤐️。

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荏柄天神社

鎌倉幕府鬼門の守護する社で、谷を挟んで西側の丘陵に法華堂跡がある。また、現在は菅原道真公が御祭神となっており、京都の「北野天満宮」と福岡の「太宰府天満宮」とともに日本三大天神の一つに数えられている。

そして住宅街の中を歩いた先にあるのが鎌倉宮。後醍醐天皇の皇子・護良親王《モリナガ・シンノウ》が御祭神:

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鎌倉宮

親王は後醍醐天皇の鎌倉倒幕に呼応して幕府軍と戦い、幕府滅亡後は天皇親政を復活させた「建武の新政」を成し遂げ、征夷大将軍に任じられた。しかし足利尊氏と対立し、ここ鎌倉宮社殿裏が親王最後の地と伝えられる。

明治天皇が護良親王を祀るために建立したので、社殿の鬼瓦には皇室の象徴である菊花紋《キクカモン》が掲げられていた:

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菊花紋

このあとは八幡宮方面へ戻って法華堂跡を目指した。

こちらは⑥東御門《ヒガシミカド》跡の碑。大蔵御所の東門にあたる:

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「東御門」の碑

そして⑦法華堂跡の碑

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「法華堂跡」の碑

大蔵御所の北隅にあり、頼朝の持仏を祀っていた御堂で、頼朝死後はその廟所となる。しかし宝治元(1247)年の宝治の乱で三浦泰村[g]三浦義村の次男。が立て篭もり、一族郎党が自刃した場所。明治時代に白旗神社と改められた。

こちらが現在の⑧白旗神社。御祭神は源頼朝公:

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白旗神社

もともとは、源頼朝が石橋山の合戦にあたって髪の中に納めて戦に挑んだと云う小さな観音像が安置されていた持仏堂[h]「持仏」とは守り本尊として、常に身近において侵攻する仏像のこと。だった。正治元(1199)年に頼朝が亡くなったあとは、ここに葬り法華堂と呼ばれ、命日には歴代将軍や御家人らが参詣した。現在の社殿は昭和の時代に再建されたもの。

そして、頼朝の享年と同じ53段の石段を登って江戸時代に建立された源頼朝の供養塔へ:

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白旗神社奥の丘陵上へ

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源頼朝の家紋「笹竜胆」

こちらが石段を上がった先にある⑨源頼朝の供養塔

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源頼朝公の供養塔

この供養塔が建つ平場は頼朝公の法華堂(墳墓堂)跡で、幕府滅亡後も御堂は存在していたが、のちに廃絶して堂舎が無くなった。そして江戸時代に源氏の子孫を自称する薩摩藩八代藩主で蘭学者でもある島津重豪《シマヅ・シゲヒデ》が高さ186cmの五層の石塔を再建したと云う。

源頼朝は、治承4(1180)年に平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦2(1185)年に平家を滅ぼし、鎌倉幕府を大蔵の地に開いた。建久3(1192)年に朝廷から征夷大将軍に任じられ、約680年続く武家政権を興した。正治元(1199)年に死去。享年53。

このあとは石段を下りて、この丘陵の東側にあるもう一つの墓域へ向かう:

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この上に北條義時公・大江広元公らの墓所がある

この石段の上には鎌倉幕府執権・北條義時公の墓所の他、大江広元公らの墓所がある。

こちらが⑩伝・北條義時の墓所の標柱

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「史跡・法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓」の碑

ここが北條義時の法華堂(墳墓堂)跡らしい。あくまでも鎌倉幕府の公式文書とされる『吾妻鏡《アヅマカガミ》』の「頼朝の法華堂の東の山の上を墳墓の地となす」との記述に従ったもので、墓石も供養塔も無い。

鎌倉幕府の二代執権で、得宗家二代当主である北條義時は源頼朝ら三代将軍に仕え、承久の乱では後鳥羽上皇ら朝廷側の倒幕戦に勝利する。元仁元(1224)年に急死。享年62。令和4(2022)年の大河ドラマの主人公。

ここから少し先には三浦一族のやぐら(横穴式供養塔)がある:

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三浦氏が供養されているやぐら

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三浦泰時ら一族が眠る墓所

宝治元(1247)年の宝治の乱で、五代執権・北條時頼に敗れ自刃した三浦泰村の一族郎党が眠っているとされる。

そして奥にある左手の石段を登って大江広元公らの墓所へ。ちなみに右手の石段は島津忠久公の墓所:

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大江広元らの墓所へ続く石段

こちらが⑪大江広元のやぐら(墓所)

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大江広元公のやぐら

鎌倉幕府の懐刀《フトコロガタナ》とも云われ、幕府政所初代別当を務めた大江広元は、執権の北條義時を上回る官位を得ており、名目的には将軍に次ぐナンバー2の存在として遇されていた。嘉禄元(1225)年に死去。享年78。

公の墓所の隣には毛利(大江)季光《モウリ・スエミツ》の墓所がある

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毛利季光公のやぐら

毛利季光は広元の四男で、相模国毛利荘[i]現在の神奈川県厚木市。を領し毛利を名乗っていた。その子孫が恩賞として与えらた安芸国吉田荘[j]現在の広島県安芸高田市。を相続して戦国大名の毛利氏へ継承されることから、季光は毛利家の祖と云われる。彼の妻は、三浦泰村の妹であり、宝治元(1247)年の宝治の乱では義兄を見捨てることを良しとせず、共に幕府軍と戦い、最後は法華堂で自刃した。享年46。このとき多くの郎党もあとを追ったが、唯一残った四男・経光《ツネミツ》の子孫が毛利元就である。

二人の墓所は、江戸時代に長州藩の毛利氏が祖先を顕彰するために整備したものと云われており、墓所入口にある燈籠には毛利家の一文字三星紋があしらわれていた:

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大江広元は安芸毛利家の祖

さらに隣の石段上には薩摩島津氏の祖とされる幕府御家人の島津忠久《シマヅ・タダヒサ》の墓所がある:

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島津忠久公のやぐら(墓所)

忠久は、縁者である比企能員《ヒキ・ヨシカズ》の変に連座していた疑いから本領の大隅国・薩摩国・日向国の守護職を没収されたが、のちに御家人として復帰し、和田義盛の乱では幕府側について功をあげた。嘉禄3(1227)年に病死。享年49。公の墓所も島津重豪により江戸時代に建立されたもの。

このあとは再び八幡宮方面へ移動。これは、その途中に建っていた⑫西御門《ニシミカド》跡の碑。大蔵御所の西門にあたる:

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「西御門」の碑

そして最後の遺構は、八幡宮東門近くにある⑬畠山重忠邸址の碑

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「畠山重忠邸趾」の碑

重忠は初めは平氏の郎党であったが、のちに源頼朝に帰伏した。そして鎌倉入り、富士川の戦いでは先陣を務め、宇治川や一ノ谷合戦、あるいは奥州藤原氏討伐などで抜群の手柄をたてた。その後も頼朝の信頼厚く、坂東武者の中心的人物として、そして鎌倉幕府創業の功臣として重きをなした御仁。大蔵御所近くに屋敷を与えられたのも納得である。

こんな感じで、やや強引に大河ドラマのタイトルを文字って鎌倉殿に関係する13ヶ所の遺構と、八幡宮境内をぶらぶらしてきたが、あとで調べてみると他にもいろいろ史跡があるようだし大河ドラマ館にも行ってみたいので、機会あれば再訪したい。

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2022年11月 鎌倉散策 (フォト集)

【参考情報】

参照

参照
a 洋服記念日。平成30(2018)年には大谷翔平がアメリカンリーグ最優秀新人選手賞に選出された日。ジョン万次郎が亡くなった日。
b さらに順番待ちのキツキツな観覧になりそうだったし、単に時間つぶしのつもりで来たので諦めも早い 😉️。
c 平安時代の河内源氏二代目の棟梁・源頼義が京の石清水八幡宮を勧請したもの。頼義の嫡男が八幡太郎義家、次男が賀茂次郎義綱、三男が新羅三郎義光。
d 自分は途中から見始めたくち。ドラマの序章はよく知らない🤐️。
e 「現在地」が示す桜道沿いにあった案内板。脇にある箱からも色刷りの地図を入手できた。
f 向こう側に長い階段が見えたのと時間の都合で境内は行かず 🤐️。
g 三浦義村の次男。
h 「持仏」とは守り本尊として、常に身近において侵攻する仏像のこと。
i 現在の神奈川県厚木市。
j 現在の広島県安芸高田市。

蕎麦・ふる川 − A Typical SARASHINA-SOBA in Sagami Region.

今月は、令和4(2022)年の処暑の候の週末に前々から気になっていた神奈川県の玉縄城跡を攻めてきた。ここ最近は天気に恵まれない日々が続いていたのだが、予報として晴天になるとのことであったので実行に移した次第[a]COVID-19 第七波のピークがやや落ち着いていた時期でもあった😉️。。しかしながら(ある程度は予想はしていたが)気づいたら気温34℃[b]体感で。の相当な酷暑であった。午前中の水分補給だけで千円近く出費した :O。水を飲んでも飲んでも体から出ていくザル状態(?)の中、五時間近くかけて12㎞以上、広大な城を想像しながら神奈川県鎌倉市は大船駅近くを歩いてきた。

こんな具合で暑くなることは予想できていたので早めに行動を開始し、エネルギー補充のお昼も行列を回避するため開店のタイミングで入店した[c]実際は早めに来店したため開店まで5分くらい行列に並んだが😅️。

午前中は龍寳寺境内にある玉縄民俗資料館を観覧し、「地黄八幡の勇将」として知られる北條綱成をはじめ歴代の玉縄城主が眠る供養塔を参詣した。そして広大な玉縄城跡を巡る前に腹ごなしするため、寺から徒歩数分ほどの蕎麦屋へ:

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蕎麦ふる川

開店したら手を消毒してから店内に入り、二人用のテーブルに案内され着席。事前に決めていた冷たい蕎麦系の鴨せいろの他に、メニューを見て玉子焼(小)を注文した。

龍寳寺の資料館ではエアコンが無かったので蒸し暑く汗をかいたので冷たいビールでも飲みたいところであったが、城攻め前なのでここは我慢:D

まず玉子焼(385円)がでてきたので、蕎麦が来る前に頂くことに:

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玉子焼・小(385円)

出汁入りの玉子焼きで甘口。そこに大根おろしをのせて味変でも楽しめたが、居酒屋で出て来るような普通の玉子焼きだった。

こちらが鴨せいろ(1,540円)。鴨肉とネギが入った蕎麦つゆは熱く、初めはおわんを手に持つことはできず、少々難儀した:$

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鴨せいろ(1,540円)

まずは蕎麦をそのまま頂く。更科そばなので、あまり香りは感じられなかった:

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普通の更科蕎麦だった

それから熱々のつゆにあわせて蕎麦をすする。鴨肉の脂が蕎麦つゆを甘くしているおかげで、若干食べていると飽きが出て来るので七味などで味変しながら完食。その頃にはつゆが冷たくなっていたけど、良いタイミングで蕎麦湯が出てきて、鴨肉から出た美味い出汁とともに最後は美味しく締めることができた:)

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完食(ごちそうさまでした)

ただ値段の割には特徴が薄く、普通すぎる味は神奈川県の蕎麦屋の特徴だろう:X

蕎麦・ふる川
神奈川県鎌倉市植木110-2


ここからはオマケ。

大船駅西口に出て柏尾川《カシワオガワ》を渡った先に聳える観音像は大船観音寺のものらしい:

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ここも玉縄城の一部で砦跡

次は龍寳寺境内にある玉縄民俗資料館(有料)で見かけたものの中から、まずは玉縄城のジオラマ。現在の大船駅西側の丘陵がほぼ城域である:

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玉縄城のジオラマ(拡大版)

甲冑なども展示されたが、特に小田原北條氏とは関係ないようだ:

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「鉄錆地三十二間関東型筋兜」

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「鉄錆地紺糸威胸取鎌倉雪ノ下五枚胴と草摺」

龍寳寺の本堂脇にある玉縄北條氏(玉縄城主)の供養塔を参詣:

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「玉縄北條氏供養塔」

供養塔脇にある碑は、なぜかいつも倒れており、直してもまた倒れていることが多かったため「ぶっけり仏」と呼ばれていたらしい[d]現在はコンクリートの上に固められていた。

広大な城域を誇る玉縄城を部分的に巡っていると、よく耳に入ってきたのが救急車のサイレン。この時期は COVID-19 蔓延中であること改めて認識させられる。救急車が立て続けに病院へ入っていったところを目撃。まぁ実際 COVID-19 の感染者かどうかはわからんが:|

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湘南鎌倉救急センター前は救急車だらけだった

最後は大船駅へ向かう途中に見かけた鵜?[e]川鵜《カワウ》と云うらしい。十数年前から大船界隈では話題になっていたようだ。

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電線の上にいた鵜たち?

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also玉縄城攻め (フォト集)
See Also龍寳寺と北條綱成公墓所 (フォト集)
See Also玉縄民俗資料館 (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

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玉縄城攻めルート

活動時間は 05:48、距離は 12.51km、消費カロリーは 2,144Kcal。

参照

参照
a COVID-19 第七波のピークがやや落ち着いていた時期でもあった😉️。
b 体感で。
c 実際は早めに来店したため開店まで5分くらい行列に並んだが😅️。
d 現在はコンクリートの上に固められていた。
e 川鵜《カワウ》と云うらしい。十数年前から大船界隈では話題になっていたようだ。

お食事処まるか − Looks like an Everywhere Tuna Bowl.

今月は、令和4(2022)年の海の日に今年初の海に行って来た。場所は三浦半島南端にある城ヶ島。実は二ヶ月前に、この島の東半分を占める公園を訪れたのが初めての訪問ではあるが:P。東側はよくよく整備されていて、展望台からの眺めは良かった。今回は島の西側。こちら側は長い年月を経て自然[a]波や風の他に地層の隆起。によって形成された特異な海岸線を見ることが出来た。さらに東側にはない御食事処があるらしいので久しぶりに三崎マグロでも食べようかと;)

ということで城ヶ島第3駐車場に到着したのがお昼少し前。この日は晴天だったこともあって既に半分くらい駐車場は埋まっていた。連休を利用してキャンプやダイビング、そして釣りなんか楽しんでいる人たちを多く見かけた[b]この連休を過ぎてCOVID-19の第七波がやってくることは誰も予想していなかっただろうか?

こちらが観光案内図(下側が北)。かなり大雑把:D

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「城ヶ島観光案内図」(拡大版)

駐車場を過ぎたあたりからお店が並んでいて、その中で一番目立つ(?)御食事処へ:

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まるか サービス ・ ステーション

開店してすぐだったようで席は空いていたらしく、店からの元気な呼び込みに誘われて店内へ :D。そして店一番の人気の「まぐろ三色丼」(1,480円)を注文した。

ちなみに三崎のマグロは三年前に有名店で食した過去があるので、なんとなく感はしていたが、やっぱり出てきたのはこんな定食だった:O。おまけでスーパーでよく見かける海苔佃煮に似たものもオマケに頂いた:

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まぐろ三色丼(1,480円)

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海苔の佃煮

正直なところマグロについての説明はおろか、佃煮についても説明はなく[c]インド洋とか産地などを説明してくれないと、正直なところ近くのスーパーで買ってきたものと違いが分からんと思うが🤬️。、実際は見た目も味もスーパーで売ってそうな丼ぶりに香の物や味噌汁を付けた程度であった:$。御飯も少なかった〜[d]大盛りにできるらしい。注文したあとに知ったけど。。三年前の店で食べた四種盛りより少ない分、値段は安いが、やっぱり漁港の地元はこの程度なんだなぁ:X[e]美味しいところは都市へ流れる理論。従って地元には残り物しかない🤐️。特に首都圏近郊は。

この丼の味次第では「さざえ壷焼 」とか追加しようと思っていたが期待を裏切られて(客も増えてきたようなので)早々に撤退した。

今度来る時は(あまりしたくないが)行列しているお店へ行ってみるか。多分あまり期待できないが :D

お食事処マルカ(まるかサービスステーション)
神奈川県三浦市三崎町城ヶ島658-48


ここからはオマケ。

城ヶ島の三崎漁港は遠洋漁業の基地であり、周辺にはマグロを出す店が多かった:

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御食事処が並ぶ

さらに商店街もあったが、これは近くに城ヶ島京急ホテルがあったからだろう:

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城ヶ島商店街

但し、このホテルは COVID-19 の緊急事態宣言の影響で閉鎖されていたが :O。そのせいか、なんとなくこの商店街も活気があるようには見えなかった。COVID-19 蔓延前の土日祝はたいへん混雑していたらしい。

昼になるとさすがに汗ばむ暖かさになったが、こんなにのんびりした猫も見かけた :D

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商店街脇で見た三毛猫

こちらはは釣り場でも有名な灘ヶ崎《ナダガサキ》方面の眺め:

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灘ヶ崎方面の眺め(拡大版)

城ヶ島京急ホテル方面へ渡る観光橋:

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朱色が鮮やかな観光橋

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「観光槁」

地盤の隆起が激しい三浦半島の南端で風浪に洗われた岩:

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風浪に洗われた岩

そして灘ヶ崎方面を遠望する。運が良いと富士山を拝めるようだ:

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灘ヶ崎(拡大版)

こちらが城ヶ島京急ホテル。当時は閉鎖中で敷地内は立入禁止だった:

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営業を終了した城ヶ島京急ホテル

海岸線を眺めると大自然が形成した面白い形状の岩を見かけることが多い:

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風浪に洗われた岩

三浦半島は地盤の隆起が激しい地域で、その中で城ヶ島は「日本の地質百選」の一つに選ばれているらしい:

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城ヶ島は地層の宝庫

城ヶ島南側の海岸線。この先が二ヶ月前に行って来た城ヶ島公園:

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連休を利用してキャンプする人が多かった

海岸あたりでは連休を利用してだろうか、キャンプやバーベキューを楽しむ人たちで混雑していた。

海岸を経由してぐるりと周る感じで商店街方面へ向かうと城ヶ島灯台への入口を発見。階段を登っていくと東京湾の入口を照らす小さな灯台が建っていた:

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小さな灯台

正式名称は「城ケ島燈臺」。明治3(1870)年に横須賀製鉄所が西洋式灯台として設置し点灯したた。150年以上稼働し、今でも現役である;)

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南欧風の雰囲気を持つ「城ケ島燈臺」

レンガ造円形、灯高基礎上5.76mの灯台は大正12(1923)年9月1日の関東大震災によって一瞬にして倒壊したため同15(1926)年8月1日に改築されたもの。

位置:北緯35度08分06秒、東経139度36分40秒

光の強さ:31.0万カンデラ

光の届く距離:16.0海里(約29km)

三崎港に面したところには城ヶ島海上イケス釣堀があった:

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城ヶ島海上イケス釣堀

最後は三崎港ごしに三年前に攻めた三崎城跡の遠景:

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三崎城跡

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also2022年7月 城ヶ島観光 (フォト集)

参照

参照
a 波や風の他に地層の隆起。
b この連休を過ぎてCOVID-19の第七波がやってくることは誰も予想していなかっただろうか?
c インド洋とか産地などを説明してくれないと、正直なところ近くのスーパーで買ってきたものと違いが分からんと思うが🤬️。
d 大盛りにできるらしい。注文したあとに知ったけど。
e 美味しいところは都市へ流れる理論。従って地元には残り物しかない🤐️。特に首都圏近郊は。

そば処・よろづや − A Soba Restaurant I was interested in before.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾第三弾、そして第四弾の城攻め(と戦国大名・信濃村上氏ゆかりの地めぐり他)は無事に完了した。そしてGW最後の城攻めは長野県千曲市にある荒砥城跡。千曲川沿いに築かれた山城で、現在は往時の姿を石積で復原・整備し、ドラマのロケ地としても利用されているのだとか。肝心の遺構は少なかったが、とにかく眺めが良かった :D

この日は時間の都合で最寄り駅であるしなの鉄道・戸倉駅からタクシーで山を登り[b]駅前から千曲市城山史跡公園まで1,940円だった(当時)。、城攻めを終えて徒歩で下りてきた。そのおかげで帰りの新幹線[c]GW後半と云うことで混雑を予想して指定席を予約しておいた。まで少し余裕ができたので、せっかくだから信州蕎麦でも食べようと上田駅周辺をうろうろして店を探してみたが、時間的にお昼近くだったこともあり、どこもかしこも大勢の客で混雑していたり行列ができていた:$

そうこうしているうちに帰りの時間が近づいてきたので、半ば諦めて駅弁でも買おうかと駅前へ向っていたところ、以前から気になっていた蕎麦屋が目に入った。この店は外から中が見えないので、これまで何度か敬遠してきた蕎麦屋 。そこで、ダメ元で引き戸を開けてみたら、店内はガラガラだったので拍子抜けしてしまった :O

こちらが、そのお店、手打ちそば・よろづや。なんとも入りづらい店構えである :$

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外から中を伺えない店構えのそば屋

帰りの時間が押し迫っていたので店に入って手を消毒し検温したら速攻で「野菜天ざるそば(1,170円)」を注文した。これは表のメニューを見て決めておいたものだ。

ゆっくり食べている時間がだんだんと無くなっていく中で、しばらくすると蕎麦がでてきた:

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野菜天ざるそば(1,170円)

正直なところ、時間が気になって味はあまり覚えていない :X。特に天ぷらは。ただ平たい蕎麦だったことと、少し硬かったような記憶はある。

でも、次からは食べる機会が増えるかも ;)

手打ちそば・よろづや
長野県上田市天神1丁目6-15


ここからはオマケ。

こちらが千曲川に架かる万葉橋から眺めた荒砥城跡(千曲市城山史跡公園)。このあたりは上山田と云う温泉街なので尾根上に「上山田温泉」の宣伝文字が見えるが、ちょうどその辺りが史跡公園[d]目を凝らすと「戸」の字の上に井楼櫓が見えるはず。

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荒砥城跡の遠景(拡大版)

そして、同じく万葉橋から眺めた千曲川と千曲市方面の眺め:

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千曲川と千曲市方面(拡大版)

千曲川を渡ったあと史跡公園へ向かうには、ここから登って行く。今回、登りはタクシーを利用し、下りは徒歩にした:

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ここを登った先に史跡公園がある

しばらく登っていくと展望エリアがあり、さらに勾配がきつくなる:

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キツイ勾配の坂

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一休みできる展望エリア

しかしながら眺めは素晴らしい:)。先程の万葉橋から眺めた時に見た温泉マークあたりから、千曲川を逆に見下ろしてみると、こんな感じ:

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温泉マークあたり(拡大版)

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千曲川と万葉橋(拡大版)

荒砥城跡は千曲市城山史跡公園として整備されており、特に石積みを多用して城跡を復原している:

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二の郭虎口あたり

しっかりとした石積みであるが、これらは復原したもので遺構ではない:

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遺構ではない石積み

復元された井楼櫓《セイロウヤグラ》からの眺めは絶品だった:

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井楼櫓

こちらは、昨日攻めるのを諦めた葛尾城跡。800mを越える葛尾山に築かれていた山城:

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千曲川ごしの葛尾城跡(拡大版)

こちらは本丸に相当する本郭跡を眺めたところ:

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荒砥城跡

本郭跡からの眺めもまたよかった。こちらは千曲市、そして長野市方面の眺望。左手奥に見えるのが北アルプス:

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長野市方面の眺め(拡大版)

さらにズームして戸隠山(標高1,904m)を含む戸隠連峰を望む:

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戸隠連峰(拡大版)

千曲川周辺で見かけた野鳥たち。まずは川辺にいた鷺《サギ》:

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川辺の鷺

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ズームした鷺

飛んでいた鷺:

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荒砥城跡と鷺

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ズームした鷺

電線上にとまっていたムクドリ:

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電線上で一休み中

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ズームしたムクドリ

徒歩で下山して戸倉駅へ向かう途中に立ち寄った水上布奈山神社《ミズカミフナヤマ・ジンジャ》:

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水上布奈山神社

この奥にある社殿が国の重要文化財だったことをあとで知った:P。ちゃんと書いてあったのに:|

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社殿は、この門の背後に見える建物の中にある

最後は古民家風の蕎麦屋。戸倉駅前の国道R18(旧北国街道)沿いを歩いていて目に入った:

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古民家風の蕎麦屋

上田駅周辺で右往左往している時、ここで食べておけばよかったかなぁと後悔した :|

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also荒砥城攻め (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

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荒戸城攻めルート(復路)

活動時間は 02:58、距離は 4.7km、消費カロリーは 946Kcal。

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b 駅前から千曲市城山史跡公園まで1,940円だった(当時)。
c GW後半と云うことで混雑を予想して指定席を予約しておいた。
d 目を凝らすと「戸」の字の上に井楼櫓が見えるはず。

栃木県宇都宮市 − the 3rd Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤭️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾の城攻めは完了。そしてGW 2022も後半戦へ。

と云うことで今年の GW 城攻め第三弾は栃木県宇都宮市にある多気城跡へ。この城跡は以前から攻めてみたいと思っていた山城の一つであったものの、その規模(城域の広さ)から日帰りでは時間的にキビシイと思い、なかなか実行に移せなかったのだが、幸運にもGWのこの時期に最寄りの町で宿が取れたので、この城一本に絞って計画を立てて実行に移したと云う次第。

結果から云うと、残念がら期待したほどの遺構は残っていない上に、せいぜい攻めれる箇所は主郭周辺くらいで、あとは藪化が激しくて立ち入れなかった :$。山登りとしては多気不動尊《タゲ・フドウソン》のあの長い階段を含めると結構なハードさはあったが、城攻めと云うよりは山登りで終わってしまったのが正直な感想で、かなり期待外れだった:|[b]勝手に期待していたのは俺なのだけれど。。おかげで帰りのバスの時間までだいぶ空いてしまったので、バス停近くにあった奇岩と大谷景観公園を観てきた:D[c]こちらは観光地と云うことで(多気山と比較すると)大賑いで人や車でごった返していた 😆️

この日は朝9時前にチェックアウトして、荷物を宇都宮駅のコインロッカーに預け、キビシイ登山になるであろうと予想してカメラ機材のみの荷物を担いで現地へ向かった。朝9時過ぎに駅西口から関東自動車の立岩《タテイワ》行のバスに乗り、最寄りである「立岩入口」のバス停に着いたのが朝10時前。

これはバス停近くから眺めた多気城跡(多気山)。多気城は多気山をまるまる城砦化したものだったらしい:

多気城跡

ここから多気山の山頂までは徒歩で移動した。こちらはその途中に見た「らくだ岩」と呼ばれている奇岩。ちょっと緑が多くて分かりづらいが、岩がラクダの首と背中の形をしている[d]緑の部分を消すとイメージしやすい。

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らくだ岩

そして、なぜか旧帝国ホテル中央玄関前の壺なるオブジェ:

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旧帝国ホテル中央玄関前の壺

なぜこんなオブジェがあるかと云うと、宇都宮市の特産である大谷石《オオヤイシ》は古来から建築用材として使われた経緯があるらしく、大正12(1923)年に完成した旧帝国ホテルにもふんだんに使われていたのだとか。このオブジェは記念として実物を模したレプリカらしい。

そして国道R293に出て多気山参道の坂を上がり、市営の駐車場で一休みして一気に多気不動尊まで移動した。こちらは交通安全祈願ができる明王殿。自転車祈願も受け付けているのだとか。いかにもモダンな御不動様だ:

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明王殿

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南無大聖不動明王

明王殿の奥には水かけ不動があり、さらに立派な山門をくぐった先にある126段の石段を登って本堂へ向かう:

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水かけ不動

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126段の石段を登りきらないと本堂へ行けない

こちらが本堂、そして歳神殿。さらに奥には弘法大師堂もあった;

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歳神殿

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本堂

大聖不動妙王を祀る多気山不動尊。ここで本日の城攻めの成功と家族の御加護を祈願した:

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多気山不動尊

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線香をたいて祈願する(100円)

境内で今日一日と実家の安全を祈願して、登山口から七曲りの登山道を登った。正直なところ城攻めで登っているの俺ぐらいなもので、ほとんどがハイカーの集団か家族連れだった:

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登山口

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七曲りの登山道

登山口から多気山山頂にあって御殿平《ゴテンダイラ》と呼ばれている多気城本郭跡まではおよそ20分程の山登り。直線距離にして0.6km。キツイ勾配はないので休みながら登っても30分はかからない:

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山頂の御殿平に建つ「多気城跡」の碑

昨日に続いて筑波山を拝むことができた:

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栃木県から茨城県の筑波山を望む(拡大版)

さらにパノラマで眺めた宇都宮市:

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多気山山頂からの眺め(パノラマ版)

多気城跡は山頂の主郭周辺にしか遺構が残っていなかったので、実質的にはただの山登りになってしまった:O。このあと握り飯を食べて帰りのバスに間に合うように下山した。

その途中でにわか雨に遭遇したが、この日はなんとなく天気が不安定になりそうだとふと思いついたのでアウターを持ってきたが、これが功を奏した感じ。もしかしたら多気不動尊の御加護かもしれない:)。そう云えば、途中ですれ違った普段着の家族連れを麓の駐車場で見かけたが、靴やら上着やらが泥だらけだったっけ。

下山したあとは駐車場前にあった茶屋で手作りお甘酒と団子を頂いた:

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甘酒と団子セット(200円+300円)

桃畑茶屋
栃木県宇都宮市田下町729-2

そして再び「立岩入口」のバス停まで戻ったのだけれど、次のバスまで30分ほど時間が空いてしまったので周辺にある奇岩をいろいろ眺めてきた。

まずは「弁慶の太刀割り岩」と「亀岩}。この二つの岩は同じ岩からなる(表と裏で呼び名が違うらしい):

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弁慶の太刀割り岩

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亀岩

日本全国津々浦々、巨大な岩は武蔵坊弁慶にあやかるものが多いようで:D

これは居然と呼ばれている奇岩:

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居然(東側面)

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居然(北側面)

ついでに大谷景観公園まで足を伸ばしてきた:

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大谷景観公園

大谷資料館(有料)へ行くともっといろいろ分かるようだけど、バスの時間もあったので今回は駐車場あたりでウロウロしながら奇岩を眺めてきた:

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「御止岩」(史跡名勝天然記念物)

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「御止岩」(史跡名勝天然記念物)

こんなに自然の偉大さを感じたのは、コロナ渦の生活にあって久しぶりである:

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他にもいろいろな奇岩

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他にもいろいろな奇岩

機会あれば大谷資料館にも行ってみたくなった。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also多気城攻め (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤭️。
b 勝手に期待していたのは俺なのだけれど。
c こちらは観光地と云うことで(多気山と比較すると)大賑いで人や車でごった返していた 😆️
d 緑の部分を消すとイメージしやすい。