先月末は令和3(2021)年の小雪《しょうせつ》の候のとある週末に、三年前に計画したものの当時は関東を横断した二つの台風[a]2019年の台風15号と台風19号。の深い爪痕に加え、その後の COVID-19 蔓延と緊急事態宣言なんかが重なって延期にしていた千葉県館山市の城攻めへ。
この日は東京駅八重洲口からJRバスで移動して館山駅東口に到着したのは10時半くらい[b]東京湾アクアラインの木更津金田あたりから上りの渋滞が半端ないことと、館山でレンタサイクルを利用したかったので。しかしながら下りなのに到着が遅くなったのは首都高の渋滞。。それから駅前の館山市観光協会でレンタサイクルを借りようとしたら、貸出場所はこことは反対側の西口にあるらしい 。ただ隣にあるJRバスでも同じ料金で借し出しているとの情報をもらい
、再びバス乗り場へ向かうと既に先客二人が説明を受けていた。おおっと、もう借りられないかも?と不安がよぎったが、奥に最後の一台があったので安心した
。
まずは館山城を遠望するため、みなとオアシス “渚の駅” たてやまへ向かった。JR内房線を越えて鏡ヶ浦《かがみがうら》(館山湾)へ出て南下していくと館山港があって、その脇に渚の駅があった。二階建の建屋の一部は展望デッキになっていて、皆が鏡ヶ浦や浦賀水道、そしてその先で聳える富士山を眺めていた中、自分だけ山側の館山城を眺めていたっけ 。それから館山港周辺をブラブラして、レンタサイクルで館山城跡の城山公園へ向かった。
この日は晴天で、関東の南にある館山の昼間の気温はそこそこ高かったが、やはり午後は寒くなるだろうと思って手袋を持参してきた訳だが、公園に到着した時にその手袋が無いことに気づいた・・・ 。渚の駅の展望台で手袋を外したことは覚えているが[c]正確にはカメラ操作用の手袋にはき替えたというもの。なので公園まではき替えた手袋のままで、脱いだ手袋の存在を忘れていた。、ここまで来るまで手袋はてっきりカゴの中にあるものだと勘違いしていたようだ。とりあえず手袋が落ちていないか確認しながら来た道を素直に戻り、とうとう渚の駅まで来てしまった。半ば諦めながら手袋を外した記憶がある展望デッキへ上がってみると、なんと端っこの柵上に俺の手袋がかかっていた〜
。ありがとう、気づいて拾ってくれた方。
予定では、このあとの公園近くでお昼を摂る予定だったけど、こんな感じで渚の駅と城山公園を行き来し気持ちも落ちついたら急激にお腹が空いたので、せっかくだから渚の駅にある食堂で食べることにした。少し早めの方が客が少ないと思って[d]11時半くらいでほぼ満席だったけど 😐 。:
ということで鏡ヶ浦を眺めながら新鮮な海産物・農産物を味わえると評判らしいお店へ。感染対策してテーブル席についたあとメニューを眺め、値段にビックリしつつ期待をこめて海鮮丼(2,480円)をオーダーした。
そして出てきた海鮮丼がこちら:
出てきた海鮮丼にびっくりした。御飯が酢飯ではなく、なにやら酢ゼリーなるものが小皿上にある。店員の日本語が聞き取れなかったので、このゼリーの存在がよくわからなかったが、どうやらお好みでこのゼリーを御飯の上におけば酢飯風の味付けになるらしい 。
おいおい。海鮮ネタが載っている御飯の上にどうやってゼリーを載せるのだろう。オマケに醤油も少なく卓上にも醤油がないため、せっかくの大量の海鮮ネタを満足に頂くことができなかった 。正直ネタも大したことは無い。
ここまでくると残念とか云う俺の感想ではなく、これを造った奴は海鮮丼を食べたことが無いんだな、港街なのにと思ったよ。今まで食べた海鮮丼の中で一番酷かった 。と同時に、さらに1,000円くらい高い特選海鮮丼なんて注文しなくて良かったと思った。
館山なぎさ食堂
千葉県館山市1564-1
ここからはオマケ。
ここがJR館山駅東口。正面の1階が観光協会:
こちらが今回の城攻めで活躍してくれた電動レンタサイクル。料金は1日(5時間以上)で1,500円(当時):
この建物は渚の駅にある渚の博物館。なんと、さかなクンが名誉会長でプロデュースした展示物があるらしい。当時は時間も興味も無いのでパスしたけど :
この建物の周囲にあったもの:
そして展望デッキからの眺め。まずは山側にある館山城跡。このあと手袋を気付かずに放置していたと思う:
もちろん海側もしっかり眺めてきた:
これは海中観光船だと思う:
館山は晴天だったけど山梨方面はそうでもなかったか:
こちらが館山夕日桟橋。海釣りのスポットらしいが、そこまでが遠い :
一応は腹がふくれたので再び同じルートで城山公園へ。大勢の観光客が登っていった。館山城は里見家の居城だった:
山頂にある三層四階天守型の建物は、実は麓にある館山市立博物館の分館で、別名が八犬伝博物館。現在のところ館山城に天守の存在は確認されていない:
戦国時代には、あたまに「房総の覇者」がつく里見家であったが、その後は秀吉からも家康からも嫌われて取り潰しになるなど不遇であったものの、江戸時代おそくに『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴に救われたと云ったところだろうか。それが真実なのか、この博物館では南総里見八犬伝についていろいろ貴重な史料が展示され、大々的に宣伝していた(入館は有料)。
この模擬天守は戦国時代の典型的な天守の姿を模し二重櫓に入母屋造の大屋根をかけ、その上に小望楼を乗せた構造で、最上階の望楼がホンモノの展望台(入館は有料):
こちらは天守の展望台から眺めた海上自衛隊館山航空基地とか富士山とか:
標高65mほどの山頂が本丸跡であるが、大戦中に大砲などが置かれたためだいぶ改変されているものの、現在はその一部を利用して展望エリアがあり、そこからの眺望も抜群だった:
こちらは公園内にある日本庭園でみかけた水仙:
城山公園を出たあともレンタサイクルで散策し、館山城を築城した里見義康公が眠る慈恩院《じおんいん》も参詣してきた。公の墓前にたつ銀杏の木は市指定天然記念物で「ラッパイチョウ」と呼ばれているらしい:
実際にそんな銀杏があるのか探しみると本当に落ちていた:
最後は館山城の出城といわれている御霊山で見かけた滑り台:
ということで、この時のフォト集はこちら: