館山なぎさ食堂 − A Terrible Seafood-don I’ve ever had.

先月末は令和3(2021)年の小雪《しょうせつ》の候のとある週末に、三年前に計画したものの当時は関東を横断した二つの台風[a]2019年の台風15号と台風19号。の深い爪痕に加え、その後の COVID-19 蔓延と緊急事態宣言なんかが重なって延期にしていた千葉県館山市の城攻めへ。

この日は東京駅八重洲口からJRバスで移動して館山駅東口に到着したのは10時半くらい[b]東京湾アクアラインの木更津金田あたりから上りの渋滞が半端ないことと、館山でレンタサイクルを利用したかったので。しかしながら下りなのに到着が遅くなったのは首都高の渋滞。。それから駅前の館山市観光協会でレンタサイクルを借りようとしたら、貸出場所はこことは反対側の西口にあるらしい :O。ただ隣にあるJRバスでも同じ料金で借し出しているとの情報をもらい :)、再びバス乗り場へ向かうと既に先客二人が説明を受けていた。おおっと、もう借りられないかも?と不安がよぎったが、奥に最後の一台があったので安心した 8)

まずは館山城を遠望するため、みなとオアシス “渚の駅” たてやまへ向かった。JR内房線を越えて鏡ヶ浦《かがみがうら》(館山湾)へ出て南下していくと館山港があって、その脇に渚の駅があった。二階建の建屋の一部は展望デッキになっていて、皆が鏡ヶ浦や浦賀水道、そしてその先で聳える富士山を眺めていた中、自分だけ山側の館山城を眺めていたっけ :D。それから館山港周辺をブラブラして、レンタサイクルで館山城跡の城山公園へ向かった。

この日は晴天で、関東の南にある館山の昼間の気温はそこそこ高かったが、やはり午後は寒くなるだろうと思って手袋を持参してきた訳だが、公園に到着した時にその手袋が無いことに気づいた・・・ :O。渚の駅の展望台で手袋を外したことは覚えているが[c]正確にはカメラ操作用の手袋にはき替えたというもの。なので公園まではき替えた手袋のままで、脱いだ手袋の存在を忘れていた。、ここまで来るまで手袋はてっきりカゴの中にあるものだと勘違いしていたようだ。とりあえず手袋が落ちていないか確認しながら来た道を素直に戻り、とうとう渚の駅まで来てしまった。半ば諦めながら手袋を外した記憶がある展望デッキへ上がってみると、なんと端っこの柵上に俺の手袋がかかっていた〜 0:) 。ありがとう、気づいて拾ってくれた方

予定では、このあとの公園近くでお昼を摂る予定だったけど、こんな感じで渚の駅と城山公園を行き来し気持ちも落ちついたら急激にお腹が空いたので、せっかくだから渚の駅にある食堂で食べることにした。少し早めの方が客が少ないと思って[d]11時半くらいでほぼ満席だったけど 😐 。

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渚の駅(商業施設棟)

ということで鏡ヶ浦を眺めながら新鮮な海産物・農産物を味わえると評判らしいお店へ。感染対策してテーブル席についたあとメニューを眺め、値段にビックリしつつ期待をこめて海鮮丼(2,480円)をオーダーした。

そして出てきた海鮮丼がこちら:

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海鮮丼(2,480円)

出てきた海鮮丼にびっくりした。御飯が酢飯ではなく、なにやら酢ゼリーなるものが小皿上にある。店員の日本語が聞き取れなかったので、このゼリーの存在がよくわからなかったが、どうやらお好みでこのゼリーを御飯の上におけば酢飯風の味付けになるらしい :|

おいおい。海鮮ネタが載っている御飯の上にどうやってゼリーを載せるのだろう。オマケに醤油も少なく卓上にも醤油がないため、せっかくの大量の海鮮ネタを満足に頂くことができなかった :$。正直ネタも大したことは無い。

ここまでくると残念とか云う俺の感想ではなく、これを造った奴は海鮮丼を食べたことが無いんだな、港街なのにと思ったよ。今まで食べた海鮮丼の中で一番酷かった :(。と同時に、さらに1,000円くらい高い特選海鮮丼なんて注文しなくて良かったと思った。

館山なぎさ食堂
千葉県館山市1564-1


ここからはオマケ。

ここがJR館山駅東口。正面の1階が観光協会:

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JR館山駅東口

こちらが今回の城攻めで活躍してくれた電動レンタサイクル。料金は1日(5時間以上)で1,500円(当時):

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Rent-a-cycle くらりん(YAMAHA製)

この建物は渚の駅にある渚の博物館。なんと、さかなクンが名誉会長でプロデュースした展示物があるらしい。当時は時間も興味も無いのでパスしたけど :X

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館山港・渚の博物館

この建物の周囲にあったもの:

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焼玉エンジン(サンマ船などで使われた)

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捕鯨砲

そして展望デッキからの眺め。まずは山側にある館山城跡。このあと手袋を気付かずに放置していたと思う:

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城山公園

もちろん海側もしっかり眺めてきた:

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鏡ヶ浦

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館山夕日桟橋

これは海中観光船だと思う:

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海中観光船「たてやま号」

館山は晴天だったけど山梨方面はそうでもなかったか:

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浦賀水道ごしに眺めた富士山

こちらが館山夕日桟橋。海釣りのスポットらしいが、そこまでが遠い :P

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館山夕日桟橋

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館山夕日桟橋

一応は腹がふくれたので再び同じルートで城山公園へ。大勢の観光客が登っていった。館山城は里見家の居城だった:

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これは大手道ではないと思う

山頂にある三層四階天守型の建物は、実は麓にある館山市立博物館の分館で、別名が八犬伝博物館。現在のところ館山城に天守の存在は確認されていない:

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天守閣風の博物館

戦国時代には、あたまに「房総の覇者」がつく里見家であったが、その後は秀吉からも家康からも嫌われて取り潰しになるなど不遇であったものの、江戸時代おそくに『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴に救われたと云ったところだろうか。それが真実なのか、この博物館では南総里見八犬伝についていろいろ貴重な史料が展示され、大々的に宣伝していた(入館は有料)。

この模擬天守は戦国時代の典型的な天守の姿を模し二重櫓に入母屋造の大屋根をかけ、その上に小望楼を乗せた構造で、最上階の望楼がホンモノの展望台(入館は有料):

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「関東の富士見100景」でもある展望台

こちらは天守の展望台から眺めた海上自衛隊館山航空基地とか富士山とか:

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館山航空基地と富士山

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館山航空基地とマルエーフェリー「琉球エキスプレス」

標高65mほどの山頂が本丸跡であるが、大戦中に大砲などが置かれたためだいぶ改変されているものの、現在はその一部を利用して展望エリアがあり、そこからの眺望も抜群だった:

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館山市街地の眺め(拡大版)

こちらは公園内にある日本庭園でみかけた水仙:

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水仙

城山公園を出たあともレンタサイクルで散策し、館山城を築城した里見義康公が眠る慈恩院《じおんいん》も参詣してきた。公の墓前にたつ銀杏の木は市指定天然記念物で「ラッパイチョウ」と呼ばれているらしい:

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説明板

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里見義康公墓所脇にたつオハツキラッパイチョウ

実際にそんな銀杏があるのか探しみると本当に落ちていた:

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ラッパイチョウ

最後は館山城の出城といわれている御霊山で見かけた滑り台:

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危険な滑り台

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also館山城攻め (フォト集)
See Also館山城下巡り (フォト集)

参照

参照
a 2019年の台風15号と台風19号。
b 東京湾アクアラインの木更津金田あたりから上りの渋滞が半端ないことと、館山でレンタサイクルを利用したかったので。しかしながら下りなのに到着が遅くなったのは首都高の渋滞。
c 正確にはカメラ操作用の手袋にはき替えたというもの。なので公園まではき替えた手袋のままで、脱いだ手袋の存在を忘れていた。
d 11時半くらいでほぼ満席だったけど 😐 。

手打ちそば処 田毎 – Handmade SOBA of TAGOTO(TAKE3).

先月は令和3(2021)年の小雪《しょうせつ》の候近くの週末に、またまた小田原へ。この日も(前週に続いて)関白秀吉による小田原城包囲戦で豊臣方の諸将が布陣したとされる陣場跡を中心に歩いてきた。

午前中は、七年前に攻めた石垣山城の麓あたりで秀吉本陣の前衛として布陣していた諸将らの陣場跡を巡ってきた。そのあとは早川を渡って小田原北條氏が築いた惣構の遺構へ立ち寄ってから徳川時代の小田原藩主・大久保家の菩提寺を参拝して箱根口跡あたりまでぐるっと散策してきた。

午後も小田原から足柄まで移動して豊臣勢の陣場跡を巡ってくる予定だったので、お昼を早々に摂ろうと、この間に続いて再び手打ち蕎麦屋;)。こうも頻繁に同じ街へくると、なんだか悩みながら店を選ぶのが億劫になってきたことは否めない :D

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手打そば処・ 田毎

で、この日は初心にかえって(?)ミニ天丼と盛りそばのセットメニュー(1,270円)を選択:

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ミニ天丼+もり(1,270円)

ミニ天丼には中サイズの車海老、カボチャ、ピーマン、イカの温かい天ぷらが載っており、何度も同じ店で感想を出すのもなんなんだけれど、安心して食べれる上に普通に美味しい。これが一番かもしれない :D

手打そば処 田毎
神奈川県小田原市本町1-6-20


ここからはオマケ。

まずはJR早川駅から一夜城城通りにそって海蔵寺へ:

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一夜城下通り

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史跡巡りコース

海蔵寺は、秀吉本陣の前衛を任された一人で小田原城包囲中に陣没した堀久太郎秀政公の供養塔[a]この本堂とは道路を挟んで向かい側の高台に供養塔がある。がある:

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海蔵寺本堂

石垣山一夜城歴史公園へ向かう坂道は太閤秀吉にあやかってか「出世道」なんて名前がついているらしい:

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「出世道」

しかし小田原市は、小田原北條氏からみれば敵《かたき》にあたる関白秀吉をいやに持ち上げている感がするな :|

出世道沿いには小田原城包囲戦に関する説明板が立っていた[b]しかし、この手のものに興味がない人にとっては全く無用の説明板だが。

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「宇喜多秀家」の説明板

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「伊達政宗」の説明板

この説明板、よく見ると「石垣山に参陣した」って書いてあるけど秀家の本陣は石垣山ではないし、政宗の軍勢は包囲軍には参加していないけど・・・ :|

こちらは細川幽斎とその息子の忠興が北條勢を蹴散らして陣を置いたとされる富士山陣城《ふじやま・じんじろ》跡[c]遺構は残っているらしいが、現在は私有地で立入禁止だった。先日行って来たと、その麓を走る小田急の箱根登山線:

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富士山陣城跡

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小田急1000形

このあたりは猿が出没するらしい:

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「猿に餌をやらないでください」

こちらは小田原城本丸方面の眺め;

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小田原城の遠望(拡大版)

位置的に、北條氏政が篭っていた本丸が正面あたり(現在の小田原高等学校附近)、右手に見える現代の天守閣が建っている場所は北條氏直が篭っていた御殿跡だったとされている。

ともあれ、石垣山に布陣していた豊臣勢から小田原城は「丸見え」だったと云える。

もう少しズームさせて、近世城郭の小田原城本丸・二の丸・三の丸あたりの遠望がこちら:

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左手に天守閣が建っている(拡大版)

こちらは里見義康や小早川隆景らの陣場跡がある方面:

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里見・小早川・吉川らが布陣した丘陵

のちに豊臣政権で五大老の一人となる小早川隆景が本陣をおいたあたりから小田原城を見下ろしたところ:

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難攻不落?の小田原城を一望できる(拡大版)

こちらは小田原城惣構の早川口遺構の一部:

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早川口遺構

最後は、小田原藩主だった大久保家の菩提寺・大久寺境内に咲いていた御会式桜《おえしきざくら》:

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御会式桜

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also堀秀政公供養塔 / 堀秀政公墓所(2) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(2) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(3) (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 早川口遺構 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 箱根口遺構 (フォト集)
See Also大久保家菩提寺の大久寺 (フォト集)

参照

参照
a この本堂とは道路を挟んで向かい側の高台に供養塔がある。
b しかし、この手のものに興味がない人にとっては全く無用の説明板だが。
c 遺構は残っているらしいが、現在は私有地で立入禁止だった。先日行って来た

そば処・寿庵 − Their Katsudon seems to be just a little bit difference.

先月は令和3(2021)年の立冬の候を過ぎた週末、すこし前に集め始めた「巡礼!戦国北条カード」なるコレクション・カードの最後の一枚を手に入れるため箱根町立郷土資料館へ行って来た。

さらに先日観てきた『開基500年記念 早雲寺−戦国大名北條氏の遺産と系譜−』に展示品を提供し、小田原北條氏五代の墓所(供養塔)が通年で公開されている早雲寺[a]てっきり年に一回(例えば文化の日とか)の公開だと勘違いしていた。年に一回は寺宝の方だった 😮  。にも足を運んできた。郷土資料館から徒歩で15分ほどだった。

それから再び小田原へ向かい、今から430年くらい前の関白秀吉による小田原城包囲戦で豊臣勢の陣地跡を巡る予定だったので小田原駅東口[b]利用するバスが伊豆箱根バスだったので。周辺でお昼を摂ることにした。

で、こののところ三たび(?)、七年前に初めて小田原城跡を攻めたあとにお昼で刺身定食を頂いた居酒屋へ行ってみたけど、未だ開店しておらず、さらに家族連れの行列ができていたので、今回もやむなく諦めることにして:$、バスの時間に間に合いそうな御食事処を探していて見つけたの蕎麦やうどん、さらには丼ものあるし、昼間からお酒も飲めるお店

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そば処・寿庵

このそば処は、東海道本線[c]当時は熱海線。の終着駅として小田原駅ができた大正9(1920)年の創業という老舗らしい。このあとの午後はけっこう歩く予定だったのでいちばんに御飯ものを選択。ただ老舗のお蕎麦も食べたかったので+300円して丼と冷たい蕎麦の合せにした ;)

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カツ丼と冷たい蕎麦の合せ(930円+300円)

メニューには「そば屋のカツ丼は一味違います。」って売り文句が書いてあったので注文してみた。まずカツと同じくらい大きなタマネギ。タマネギ好きとしては高得点。タマネギの甘みに塩っぱい醤油ダレがいい具合で合っていた 8)。とんかつはヒレ肉か何かで柔らかかったの比べ、逆に蕎麦はいたって普通。正直なところ老舗っていう程の特徴は見つからなかった。俺的には前の週に食べた店の方が美味かったと云う感想 :X

そば処・寿庵
小田原市栄町2-1-26


ここからはオマケ。

この日の箱根湯本は天気が良かった:

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箱根湯本駅と箱根町塔之澤(拡大版)

箱根の観光風景:

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早川と箱根の山並み(拡大版)

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国道R1沿いの土産ロード

箱根町郷土資料館へは、まず「あじさい橋」を渡る:

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あじさい橋

渡った先に案内板兼展示紹介が置かれていた。当時の特別展示は、やはり渋沢栄一関係:

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箱根町役場方面へ

こちらが郷土資料館。眼の前に町役場がある:

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箱根町立郷土資料館

観覧料(300円/当時)を払って特別展を観てきた。ここでは早雲寺を開山した以天宗清《いてん・そうせい》像のカードを入手[d]資料館窓口の前に束になって置かれていた。おもむろに三枚も取ってしまった 😀 。し、これで全七種のカードが揃うことになった:

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とうとう全て入手した「巡礼!戦国北条カード」

ここからだと箱根町役場の脇にある階段を使って早雲寺へ行くのが最短ルートらしい:

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早雲寺への近道

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箱根町役場

最短ではあったが坂を登ったり降ったりする必要がある :O

早雲寺へ向かう途中にあった早雲寺林。公園化されておりヒメハルゼミと云う貴重なセミが生息するらしい:

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早雲公園

こちらが早雲寺の惣門(山門)。東海道沿いから:

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早雲寺の惣門(山門)

東海道を挟んで眼の前に建っているのは箱根・花紋と云う温泉旅館。なぜか天守閣のような外観だった:

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箱根・花紋

惣門をくぐって進むと早雲寺の境内に至る。境内はまさに紅葉のまっただ中だった:

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早雲寺の境内(拡大版)

早雲寺は、はじめ秀吉の本陣が置かれた場所であるが、石垣山城が出来て移ったあとは焼き払われてしまった。今の早雲寺は江戸時代に復興されたもの。

ところ変わって、こちらは小田原市内の久野というところを流れている山王川。この川を境に、往時は豊臣勢と小田原北條勢が対峙した:

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山王川

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山王川

この下流に徳川家康らの陣場跡がある。位置関係としては、ちょうど左手に豊臣勢が布陣、右手が小田原勢が籠もる惣構って感じ。

ここから小田原城惣構に食い込むように布陣したのが蒲生氏郷らの軍勢で、氏郷は神山神社《こうやま・じんじゃ》附近の高台に本陣を置いたらしい:

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神山神社

特に氏郷らが本陣を置いた遺構は残っていないが、昭和2(1927)年に奉納された魚雷が展示されていた:

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45cm四四式二号魚雷

この由来によると、神社関係者が戦前に旧日本海軍から譲り受けたものらしい。明治44年制式45cm弐号魚雷とのこと:

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意外としっかりとした魚雷だった。ネジ穴は水中の抵抗を考慮したもの:

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ネジ穴は涙滴型

このあとは黒田官兵衛勢の陣場跡だった高台へ登ってきたが、その周辺は小田原ではおなじみの柑橘系の畑が多かった:

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大きなミカン

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ミカン畑

ホント、ミカンだらけ:

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ミカンだらけ

黒田官兵衛が本陣を置いたあたりから小田原城本丸方面の眺め:

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北條氏時代の小田原城本丸方面(拡大版)

蒲生や黒田らは小田原城惣構を北西側から見下ろすような高台に本陣を置いていたらしい。

この辺からの眺めは抜群だった 8)

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小田原市街地の眺望(拡大版)

こちらは小田原城跡とは反対側の眺め。奥に聳えるのは丹沢連山:

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丹沢方面の眺望(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also小田原城攻め / 北條氏墓所・墓碑 / 早雲寺と北條五代の墓所 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 北條氏墓所・墓碑 / 北條幻庵屋敷跡 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 小田原城包囲戦 / 豊臣勢陣地跡(1) (フォト集)

参照

参照
a てっきり年に一回(例えば文化の日とか)の公開だと勘違いしていた。年に一回は寺宝の方だった 😮  。
b 利用するバスが伊豆箱根バスだったので。
c 当時は熱海線。
d 資料館窓口の前に束になって置かれていた。おもむろに三枚も取ってしまった 😀 。

お食事 富貴 − A Restaurant at HAKONE that was Attracting Tourists.

先月は令和3(2021)年の立冬の候[a]もうそんな季節。COVID-19 の蔓延と長い緊急事態宣言のため、この年はとても短く感じられたのは自分だけではないだろう :-(、このあいだ集め始めた「巡礼!戦国北条カード」なるコレクション・カードの次のカードを手に入れるため箱根神社にある宝物殿へ。

この日は午後に小田原仕置で惣構を包囲した徳川勢の陣地跡を巡ってくる予定にしていたので、電車とバスを使って箱根までやってきた[b]おもえば公共機関を使って箱根や芦ノ湖にきたのははじめてかも。。小田原へ到着したあとは箱根登山鉄道に乗って箱根湯本まで移動。ここは、よくドラマや新春のマラソンなんかの中継で見かける温泉街だけど、自身は初めてだったりする。

そして箱根湯本から箱根登山バスに乗り旧東海道のグネグネした道を登り下りして箱根神社入口についたのが朝の10時すこし前。あとは神社通りに沿って箱根神社へ向かい、一応は本殿で参拝してから宝物殿へ向かった。ここでの観覧料は550円(当時)。常設展示は意外と面白かった :D。それから取って返して小田原へ戻る予定だったが、朝早くの移動で昼前でもお腹が空いていたので、このあたり(箱根神社入口)で食事できるところさがしながらをうろうろしていたら、とある御食事処の前に立っていた店員に呼び込まれ、ついつい店内へ[c]他の店のほとんどは未だ開いていないか、緊急事態宣言明けでも閉めたままって感じだった。

店内は小さな食堂というか喫茶店のような規模。既に一組の家族がこちらも早めのお昼を摂っていた。店の人に呼び込まれたと云っても、いちおうは店頭にあったメニューを見てある程度は何を注文するか決めて入ったつもり[d]ただ、この店を含め通り沿いの店は全体的に値段は高め。

で注文したのは店おすすめのランチセット(1,300円)。わかさぎのフライが美味しそうだったので:

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ランチセット(1,300円)

揚げたてのフライはやっぱり美味しかった。アクリル板や消毒液など置かれていて感染対策はいちおうはパスしていた感じ。箱根湯本へ戻るバスの時刻が迫っていたので、足早に店をでることになったけど。

富貴
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根13-1


ここからはオマケ。

まずは箱根湯本駅周辺の風景。こちらは小田急ロマンスカーの終点でもある箱根湯本駅:

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箱根湯本駅

箱根登山鉄道線(小田原〜箱根湯本)の小田急1000形:

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小田急1000形

同じく箱根登山鉄道線(箱根湯本〜強羅)の1000形のベルニナ号:

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箱根登山鉄道1000形ベルニナ号

こちらは箱根湯本駅前の箱根登山バス乗り場から眺めた早川とあじさい橋、そして有名な湯本富士屋ホテルの眺め:

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早川とあじさい橋と湯本富士屋ホテル(拡大版)

元箱根港行きの箱根登山バスに乗り換え、細くてグネグネして急カーブが多い旧東海道を通って箱根神社入口についたのは50分くらい過ぎ。

神社通りに沿って箱根神社へ向かう。途中、公衆トイレ[e]この日は晴天と云う予報が大ハズレでとても寒かったので歩いていると突然腹が差し込んできた。ちょうど眼の前に清掃中のトイレがあり、清掃人の方に事情を話して無事に用をたすことができた :-) 。おまけに便座にヒータが入っていて良かった。感謝。 に寄ってから向かった:

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箱根神社の第二鳥居

こちらが境内図:

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箱根神社境内図(拡大版)

第三鳥居を通って境内へ:

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第三鳥居と「國幣小社箱根神社」の碑

石段を登って本殿へ:

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第四鳥居から石段へ

第五鳥居をくぐった眼の前が御本殿:

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第五鳥居の先が御本殿

こちらが権現造り[f]拝殿から下がって幣殿を置き御本殿をつないで一体にした江戸時代に主流となった造り。の御本殿:

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御本殿

そして「真の目的地(?)」である宝物殿:

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宝物殿

入口にあたりで観覧料(550円/当時)を払って2Fと3Fにある展示を観てきた。先日神奈川県立博物館で観てきた『開基500年記念 早雲寺−戦国大名北條氏の遺産と系譜−』に出展中の宝物もあった。

ここでは北條氏綱像と北條氏政像の二枚のカードを入手してきた[g]観覧料を払う時に「北條家のカードが欲しい」と云えばくれる。。残りは一枚:

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今日まで入手した「巡礼!戦国北条カード」

と云うことで箱根神社での目的を達成したので、午後の城攻めのために観光スポットである平和の鳥居はスルーして戻ることにした:

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遠望した平和の鳥居

こちらは神社通りを歩いている時に見かけたものなど。まずは有名なスワンボート。朝きた時はそれほどではなかったが、お昼近くになるとスワンボートに乗っている客をちらほら見かけた:

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スワンボート

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停泊中のスワンボート

こちらも有名な芦ノ湖の海賊船:

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海賊船

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航行中の海賊船

最後は箱根駒ケ岳(標高1,356m)の眺め:

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箱根駒ヶ岳

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ロープーウェー

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also2021年11月 箱根神社と芦ノ湖 (フォト集)

参照

参照
a もうそんな季節。COVID-19 の蔓延と長い緊急事態宣言のため、この年はとても短く感じられたのは自分だけではないだろう :-(
b おもえば公共機関を使って箱根や芦ノ湖にきたのははじめてかも。
c 他の店のほとんどは未だ開いていないか、緊急事態宣言明けでも閉めたままって感じだった。
d ただ、この店を含め通り沿いの店は全体的に値段は高め。
e この日は晴天と云う予報が大ハズレでとても寒かったので歩いていると突然腹が差し込んできた。ちょうど眼の前に清掃中のトイレがあり、清掃人の方に事情を話して無事に用をたすことができた :-) 。おまけに便座にヒータが入っていて良かった。感謝。
f 拝殿から下がって幣殿を置き御本殿をつないで一体にした江戸時代に主流となった造り。
g 観覧料を払う時に「北條家のカードが欲しい」と云えばくれる。

手打ちそば処 田毎 – Handmade SOBA of TAGOTO(TAKE2).

先月は令和3(2021)年の文化の日、五年ぶりに小田原城を攻めてきた。と云っても目的は、この前週から始めた巡礼!戦国北条カード」なるコレクション・カードを手に入れるためだけど :D

ただそれだけでは、わざわざ時間をかけ高速代を払ってやってきた意味がないので、五年前に攻めきれなかった小田原城惣構の遺構と北條氏政公らの墓所参拝もついでに ;)

この日の小田原は晴天で暖かく、COVID-19 感染防止でマスクしていると息苦しくなるくらいだった。小田原城址の三の丸跡周辺は昼頃になると多くの人が出歩いていたし、御食事処も大勢の人達で溢れかえっていた。

と云うことで小田原城天守閣へ向かう前に腹ごなししようと、まずは七年前に初めて小田原城跡を攻めたあとにお昼で刺身定食を頂いた居酒屋へ向ったら、もう既に満席。店の人に一時間は空かないと思いますと云われ諦めることに :$

結局は、これまた五年前に小田原城跡を攻めた時に食べたお堀端通り沿いの手打ち蕎麦屋へ。途中にあった鰻屋なんて行列だったっけ。

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手打そば処・ 田毎

この時期は新蕎麦を出してくれるらしい:

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手打そば処・ 田毎

自分が店に入ったのがお昼時の隙間だったのか、思っていたほどの行列はできておらず、ちょっと待って席に通してもらえた。ただ店員さんは一人しか居おらず、客が出たあとの片付けやテーブルの消毒なんてのがおろそかになっていたように見えた。自分が食べていると出口あたりに数組の行列ができていた。

前回はセットメニュー(ミニ天丼とかしわ南蛮そば)にしたけど、今回は季節外れの天気の中をうろうろ散策してきたので、冷たい蕎麦の「田毎そば」(1,070円)にした:

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田毎そば(1,070円)

この店の蕎麦は細くて香りが高く美味しい。さらに、この田毎そばには、大根おろしの上に自家焙煎したと云う二種類のすりゴマが大量にかかっており、ここにそばつゆを流し込み、細い蕎麦をすするのではなくからめながら食べる感じ:

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大根おろし+二種類の焙煎すりゴマ+秘伝のそばつゆ

ちょっと残念だったのが、大根おろしの匂いがせっかくの蕎麦とゴマの香りを消してしまっていたことか :O

手打そば処 田毎
神奈川県小田原市本町1-6-20


ここからはオマケ。

こちらが小田原北條氏が築いた小田原城惣構・渋取口の土塁(通称は蓮上院土塁)。手前の道路が堀跡:

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蓮上院土塁

この土塁は、先の大戦の小田原空襲で爆弾が着弾したのだとか:

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爆弾着弾地点

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説明板

土塁のそばには小学校があり犠牲者も出たと云う:

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米軍により破壊された土塁

田毎でお昼を摂ったあとは小田原城址公園へ。天守閣へ入場(510円/当時)して北條氏康像のカードを入手[a]入手場所は出口にあるカウンターで、そこにいる係員に「北條氏康像のカードが欲しい」と伝えればくれる。。今日まで入手したカードは四枚:

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今日まで入手した「巡礼!戦国北条カード」

こちらは二の丸の枡形虎口の一の門である馬出門で、平成21(2009)年に復元された:

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馬出門

こちらは二の丸東堀で見かけたマガモ(雌):

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雌のマガモ

渡櫓門形式の銅門《あかがねもん》は平成9(1997)年の復元:

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銅門

この日は銅門の内部も公開されていた上に、俗に云う小田原評定を再現したマネキンが置かれていた:

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小田原評定(想像)

二の丸跡には市指定天然記念物の見事なイヌマキが立っている:

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小田原城後のイヌマキ

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小田原城後のイヌマキ

こちらは本丸跡に立っていた巨松《おおまつ》:

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小田原城跡本丸の巨マツ

そしてニホンザル:

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ニホンザル

さらに、この日は本丸跡で菊花展が催されていた:

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小田原城菊花展

その中で鈴廣かまぼこ賞だったのがこちら:

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菊花展

最後はマンホールの蓋:

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マンホールの蓋

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also小田原城攻め / 小田原北條氏の時代 / 蓮上院土塁 (フォト集)
See Also小田原城攻め / 徳川氏の時代(2) (フォト集)

参照

参照
a 入手場所は出口にあるカウンターで、そこにいる係員に「北條氏康像のカードが欲しい」と伝えればくれる。