今となっては一昨々年(さきおととし)は平成27(2015)年のお盆休みに実家へ帰省して、そのうちの一日を母親[a]函館生まれ。と一緒に日帰りの函館旅行へ行ってきた。朝早くから夜遅くまで、だいたいその半分くらいは電車での移動に費やしたので、もう家に着いたらどっと疲れてしまった 。まぁ、その甲斐があって一番の目的だった五稜郭攻めの他にも市内観光もできて良かった。
JR札幌駅から06:30amすぎの特急スーパー北斗2号に乗って函館には10:00am過ぎに到着:
自分はこれが何年ぶりの函館なのか全く記憶がない 。確かなことは駅が綺麗で近代的になっていたことくらいだ。前日の予報だと、この日の函館を含む渡島地方は「曇り時々雨」だったけど、『良い意味で』全くのハズレだった。
これは到着後、駅前から眺めた函館山。一応は函館山ロープウェイ[b]自分の父親が初代ロープウエイの建設に携わったと記憶している。にも乗る予定だったので、この天気であれば大丈夫だと安心した[c]この風景を観て、あとで残念なことになることなど予想だにしなかった。:
それから市電の一日乗車券(大人600円/当時)[d]2015年7月25日から函館アリーナで予定されていた GLAY の Special Live 記念チケットだった。を購入し、路面電車を利用して五稜郭公園へ移動。公園前まで市電+徒歩で30分くらいかかった。
ここで早めのお昼を摂って、そこから午前中一杯は五稜郭攻め。それから五稜郭タワーへ。これは五稜郭の遺構の一つである半月堡(はんげっぽ)の上からタワーを見上げたところ:
五稜郭タワーは平成18(2006)年にリニューアルされた二代目で、高さは107m。タワーの展望台は二階建てで、回廊型のフロアは Pentagon (五角形)、さらに塔体の断面は星形になっていた:
展望料金は大人840円(当時)。まぁ大変な混みようだったけど、自分が五稜郭攻めしている間に、母親に切符を購入してもらっていたので、エレベータで行列待ちした以外は特に問題はなかった[e]もちろん展望台への入場制限はあったので、それなりに時間はかかったが。。
で、こちらが展望台から眺め。東方面は函館空港と津軽湾:
そして東南方面。津軽海峡の先は青森県大間あたり:
こちらは南方面の眺望。函館山と立待岬が見えてきた:
五稜郭タワー展望台から眺めた函館山方面。中央の目立つ建物が函館市役所、その右手がJR函館駅方面。ここで、ちょっと函館山にかかる雲が気になったが・・・:
これは函館駅方面。他には土方歳三が銃弾に倒れた場所や、箱館戦争で旧幕府軍の最後の陣屋跡などが見えた:
最後は西方面の眺望。有名な亀田八幡宮[f]古くは戦国大名・松前慶広が必勝祈願したところで、後に松前藩の祈願所となった。が見えた:
五稜郭と言うと榎本武揚ではなく新選組『鬼の副長』こと土方歳三である。展望台2Fには銅像があった:
さらに1Fのラウンジにも銅像があった(逆光でひどい画像だけど)。そういえば昨年の秋には土方歳三の菩提寺でもある東京の高幡不動尊へ行って 銅像(新撰組時代がモデル)を観てきたっけ:
五稜郭タワーの1Fは展望台乗り場の他にお土産屋さんが入っていたが、ちょっとした展示物や五稜郭ゆかりの人物の銅像があった。
こちらはエレベータホールに展示されていた開陽丸の模型。オランダ製の軍艦で、榎本武揚が江差沖まで進むも嵐のため座礁し沈没することになった悲劇の軍艦:
北海道のお土産としても有名な「ヒグマと鮭」の彫り物:
五稜郭から函館湾にいる新政府軍に対して使われた大砲(レプリカ):
このあとは再び市電に乗って函館山ロープウェイに向かい、その途中にある観光名所を幾つか巡ってきた。
こちらは函館ハリストス正教会前に建っていた案内板:
まずは十字街駅で市電を下車して八幡坂(はちまんざか)へ。函館湾へ向かって一直線の坂は270mもあり、函館のビュースポットの一つとして有名で、かっては函館八幡宮の参道だったらしい:
こちらはハリストス正教会。安政6(1859)年に敷地内に建てられた初代ロシア領事館の付属聖堂として建立されたのが始まりで、正確には「函館復活聖堂」という:
文久元(1861)年には青年司祭ニコライがロシアから来函し、切支丹解禁を待って日本で最初にギリシア正教を布教したと云う。目地40(1907)年の大火で多くの建物が焼失したが、大正5(1916)年に現在のロシア風ビザンチン様式で再建された:
屋根に装着された数多くの十字架と、その装飾部を飾る冠状構造が独特な形状をしており、丸い天井がビザンチン様式特徴となっている:
聖ニコライ(1836〜1912)は亜使徒(あしと)[g]正教会における聖人の称号。使徒に次ぐ者と云う意味らしい。で、日本の大主教なのだとか:
このハリストス正教会の庭から見たカトリック元町教会(左手)と真宗大谷派函館別院(右手)。おもむろに「和洋折衷」感が漂うのも函館の魅力:
ハリストス正教会を出て函館山ロープウエイへ向かう途中、これまた函館風の長い坂「チャチャ登り」。チャチャとはアイヌ語で「おじいさん」の意。あまりにも急な坂なので、誰もが腰を曲げて登ることから名付けられた:
こちらはカトリック元町教会。安政6(1859)年にフランス人司祭が設けた仮聖堂が起源で、現在の建物は大正13(1924)年に再建されたものなのだとか:
この教会と道路を挟んで対面にあるのが真宗大谷派函館別院(しんしゅう・おおたには・はこだてべついん)。東本願寺を本山とし一度焼失したが、鉄筋コンクリートの寺院としては日本最古のもので、大正4(1915)年の再建。国の重要文化財:
ということでロープウエイ山麓駅付近にやってきたが、函館山を見上げると雲がかかっていた :
切符を買おうと窓口に行ってみると、係の人から山頂は雲がかかって視界は悪いとアドバイスされて、やむなく今回は諦めること 。ほんと山頂だけすっぽりとガスに包まれていた:
ということでロープウエイは次回の楽しみにして、市電に乗ろうと二十間坂を下り、目に入った赤レンガ倉庫群へ。ここにある浪漫館や金森洋物館などをいろいろ巡ってきた:
こちらも大勢の観光客や地元の人達が楽しんでいた:
それから市電に乗って函館駅へ。帰りの電車まで時間があったので駅前のビアガーデンで軽く飲んだあとに、函館朝一の店や係留保存された青函連絡船などを観てきた。
こちらは朝一の道沿いにあったお店。まぁ、もっとも観光客寄せっぽい飲み屋が多かったが:
大きなヒラメとホタテ:
巨大な大だこ。窓に写っている自分の体と比較しても、かなりの大きさだと云うのが分かる:
北海道といえば毛ガニと:
そしてシマエビ:
朝一を抜けてベイエリアへ向かったところで函館山を眺めてみると雲がはけていた。小一時間待てば良かったかなと思うと、う〜ん、ホントに残念 :
こちらが係留保存されていた青函連絡船の摩周丸。昭和63(1988)年3月13日に青函連絡船は廃線となり、実際に乗船場だった旧函館第二岸壁に係留保存されて、内装は記念館となり公開されている:
自分は中学・高校と青函連絡船を利用して修学旅行へ行った覚えがある:
この摩周丸は二代目。初代は戦後まもない昭和23(1948)年に就航し、二代目は昭和40(1965)年に就航した:
函館のベイエリア:
こちらは函館湾内の海上自衛隊函館基地に停泊中の護衛艦DD114「すずなみ」:
この日の函館は予報を大きく裏切った天気になったわけだけど、晴れてくれたおかげで楽しい家族旅行になった :
摩周丸付近のいか広場には沢山のカモメがいた:
こちらは帰りの電車待ちで函館駅構内をウロウロしているときに撮ったもの:
そして函館駅で見かけた列車。真ん中が帰りに乗った特急北斗なんだけど、外も中もボロボロで、客車内に煙は入ってくるは騒音はするわで乗り心地はも最悪だったと記憶している :
帰りの電車では「函館駅名物みがき」弁当(880円/当時)を食べて、札幌までの3時間を寝て過ごした。
最後は函館のマンホール蓋:
ということで、この時のフォト集はこちら:
函館旅行 (フォト集)