今年は平成30(2018)年のGWは、昨年に続いて「越後攻め」。但し、今回は新潟県上越市周辺の城跡を巡るため、新潟市内ではなく長岡市内に宿をとった。おかげで毎日片道2時間くらいかけて移動することになったが
。最初は直江津あたりで宿を探したんだけど意外と割高なホテルが多く、それにしてはサービスは良くないといった評判が目についた他に、個人的になんとなく「寂しい街」っていうイメージが大きかったのでやめることにした。城攻めの疲れを癒やしてくれそうな飲み処・食べ処が見つからなかったし
。まぁ実際に駅周辺をうろうろしたけど、予想通りで、どちらかと云うと住宅街と云う感じだった。
ということで始まった越後攻め初日は晴天(24℃)の中、7時半に東京発の新幹線たにがわ77号に乗って越後湯沢へ。所要時間は1時間半くらい。自由席は特に混むことなく、浅草ヨシカミのロースカツサンド(700円)を食べたあと少し仮眠をとって、越後湯沢からは超快速スノーラビットに乗り継いで新潟県南魚沼市の六日町へ。それから駅前にあるスーパーでお昼を調達し、坂戸城跡がある坂戸山を登山してきた。登りのコースは予想に反してそれほど難儀しなかったが、降りのコースは階段ばかりで膝にきて、最後は足が釣ってしまった。それよりも精神的に一番キツかったのは iPhone の激しいバッテリー消耗に加えて、城攻め途中で充電用ケーブルが断線してしまったようで、一度も充電できなかったことかなぁ
。バッテリー残りわずかと云ったところで電源OFFしてしまったので、予定していた城攻めの一部や楽しみにしていた居酒屋をキャンセルせざるを得なかった。そう云うことで、城攻めを終えたら寄り道せずに宿のある長岡へ移動し、コンビニで充電ケーブルを調達してホテルで充電させている間、駅ナカで夕食を摂って、風呂入って早々に就寝してしまった。
今回も城攻めの予定は全てスマフォ依存だったので、かなり不自由だった
。
二日目は5時前に起床し、7時ちょっとすぎの長岡発、直江津行きの信越本線に乗ってえちごトキメキ鉄道妙高はねうまライン・妙高高原行に乗り換えて春日山駅に着いたのが9時ちょっと前。ここから8時間くらい使って春日山城跡や林泉寺、さらには加賀街道沿いを直江津駅まで歩いて城跡を巡ってきた。この日は予定を1時間ほど過ぎた19時すぎに長岡に到着。連日、夏日の気温でかなり水分を欲したので宿泊先すぐ近くにある「山屋」と云う知る人ぞ知る地元で人気の居酒屋へ。
「某◯ログ」には「一人で入りやすい」と書いてあったけど、実際は店内が見えないので入りづらかった〜:

ビルの2Fにある山屋
開店から既に1時間たっているので少し心配したが、中に入ると運良く親父さんの目の前にある最後の席が空いていて良かった
。
まずは生中(500円)を注文して、壁に貼ってあるメニューを眺めることに。こちらは、ゼンマイのお通し。あっさりして美味しかった:

ゼンマイのお通し(300円)
ここで注文したのは「栃尾油揚」、「鮭ハラ身焼き」、「しいたけ焼き」、「もち豚串焼き」と「つけもの」。
鮭ハラ身焼きは巨大らしく、半身で焼いてもらうことにした(500円)。
これは、つけもの。少しあっさり過ぎだったけど美味しかった:

つけもの(400円)
匂いが食欲をソソる「もち豚串焼」:

もち豚串焼き(750円)
山盛りだった、しいたけ焼き。見た時は食べきれるものか心配になった
:

しいたけ焼き(350円)
こちらは一番食べたかった栃尾油揚。昨年の越後攻めで栃尾へ行った時に初めて知った名物の大きな油揚げで、長岡に来たら絶対に食べるようにしている:

栃尾油揚(500円)
そして鮭ハラ身焼き。親父さんが半分にしてくれたもの。塩かげんが丁度良くて、汗をかいて渇いていた体にドーンとしみた。骨以外の全てを平らげた:

鮭ハラ身焼き(500円)
以上を生中二杯でペロリを完食した後、酔いが回っているのが分かったので、明日の城攻めに配慮して梅酒ロックに変更。まずは越乃景虎・梅酒。これは薄くてグビグビいけた:

越乃景虎・梅酒のロック(600円)
で、今度は野菜と肉をメインに再び何品か注文。「ニンニクの芽炒め」、「とりもも焼き」(これも親父さんにハーフにしてもらった)、そして二杯目の梅酒ロックは鶴齢の梅酒。新潟の梅酒は吟醸酒で仕込むものが多いようだ。日本酒はダメだけど梅酒なら大丈夫。
こちらはニンニクの芽炒め。塩味。翌日の城攻めのために:

ニンニクの芽炒め(350円)
一人前のとりもも焼き。うまい:

とりもも焼・ハーフ(500円)
鶴齢の梅酒ロック。甘過ぎず、純米吟醸の味がした美味しい梅酒:

鶴齢の梅酒ロック(600円)
このあたりで大分、お腹が膨らんできたので次の日の準備のためオーダーストップにした。そろそろ腰を上げようかと思っていると、横からバナナの甘〜い匂いが漂ってきたので見てみるとアルミホイルに包まれた焼きバナナだった。珍しかったので眺めていると、親父さんからサービスで頂いた。バターを乗せて焼いたようで匂いがとても良かった:

バナナのホイル焼き(サービス)
焼きバナナは抗酸化力が強いようで、翌日の活力をもらった感じ。
また食べにきたいお店が見つかった
。
山屋
新潟県長岡市城内町2-749-11
ここからはオマケ。
初日に東京から乗ってきた新幹線たにがわ77号。E2系の10両編成:

E2系 たにがわ@越後湯沢
こちらは越後湯沢から六日町まで乗った北陸急行ほくほく線の超快速スノーラビットHK100。この日は日曜日だったので、限定車両の「ゆめぞらII」(2両編成)だった:

北陸急行ほくほく線・ゆめぞらII
六日町駅にある展望エリアから坂戸城跡のある坂戸山を眺めたところ。標高は、東京スカイツリーと同じ634m:

六日町駅の展望デッキからの眺め
坂戸城址は麓に居館跡がある他、山頂付近には本丸などの幾つかの郭(くるわ)があったとされるが、実際には堀切や土塁くらいしか残っていなかった:

坂戸城跡(拡大版)

坂戸城跡(拡大版)
駅から徒歩20分くらいで坂戸山の登城口に行くことが可能。こちらは、その途中に流れていた魚野川:

魚野川
魚野川を渡る手前にある温泉場には「与六と桂姫の像」なるものが建っていた。与六はのちの直江兼続、桂姫は上杉景勝の妹で、二人の恋物語は「お六甚句」と云う唄になって、地元の盆踊りで歌われるのだとか:

お六と桂姫銅像
坂戸山の登山コースは幾つかあるようだけど、今回は「上り」は急坂が多い城坂コース(公称80分)、「下り」は階段が多い薬師尾根コース(公称60分)にした。
この日は夏日で予想外に暑かったが城坂コースを登って行くと雪が残っていたり、南魚沼市の眺めがとても良かった:

五合目あたり

六日町駅がある南魚沼市の眺望(拡大版)
なんとか山頂にたどり着いたが、ホントに眺めが素晴らしく、疲れが吹っ飛んでしまった
:

三国川源流をとりまく山々(拡大版)
本丸にあたる山頂には富士権現の社が建っていたが、おびただしい数のハイカーによって占拠されていた
:

山頂部
それでも360度、周囲の眺望が素晴らしく、途中で挫けずに登ってきて良かったと思った
:

駅がある城址西側の眺望(拡大版)
これは山頂から城址東側と南側の眺望:

城址東側に八海山を拝めた(拡大版)

城址南側(拡大版)
ここ坂戸山周辺はカタクリの群生地としても有名らしく、登山道の途中には立入り禁止のエリアが多数設けられていた:

カタクリ群生地

カタクリ
麓の銭淵公園には鴨がいたり:

つがいのマガモ(中央がメス、左下がオス)
喜平次(のちの上杉景勝)と与六(のちの直江兼続)の銅像が建っていたり。おそらく10年ほど前の大河ドラマの名残だろう:

喜平次と与六
こちらは二日目に宿のある長岡市長岡駅から上越市直江津駅・春日山駅へ移動した時に乗った/見た車両:

E129系(長岡-直江津)

ET127系(直江津-春日山)/妙高はねうまライン

ET122系(日本海ひすいライン)
こちらは妙高はねうまラインの春日山駅を下車して春日山城跡へ向かう途中にあった謙信公広場なる憩いの場(トイレあり):

謙信公広場
工事現場に現れた上杉謙信公:

名前はあるんだろうか?
上越市埋蔵文化財センターで遭遇した越後上越・上杉おもてなし武将隊の一人、直江兼続公。登城ガイドや山城マップの他にも、いろいろ貴重な話を頂いた。ホント親切で仁愛の将だった:

直江兼続公(上杉おもてなし武将隊)
春日山城と云うと、やっぱり上杉謙信公像:

軍神は今なお越後を睨む(拡大版)
春日山神社と物置:

春日山神社の拝殿

「毘」の物置
これは復元された毘沙門堂。まさに「オンベイシラマンダヤソワカ・・・」:

復元された毘沙門堂
ここ春日山城跡では、二年前は平成28(2016)年7月に城跡の一部が崩落して以来、ずっと通行止になっていたようだが、今年は平成30(2018)年1月に復旧・補強工事が完了したそうで、一部の遊歩道の通行止めが解除された。こちらは、その爪あと:

茶色の部分が復旧・強化されたところ
本丸跡や天守台跡からの眺めも、また素晴らしかった
:

春日山城

本丸跡からの眺望

本丸跡からの眺望

本丸跡からの眺望

天守台跡からの眺望

天守台跡からの眺望

天守台跡からの眺望

天守台跡からの眺望
こちらは天守台跡からのパノラマ:

城址東側に広がる上越市の町並み
春日山神社脇にある茶屋で、コシヒカリの米粒が入ったバニラ・アイスクリーム(260円)を購入して、暑さを吹き飛ばした:

新潟産コシヒカリ入り
それから春日山城址の麓にある林泉寺にも足を伸ばしてきた。こちらは惣門:

惣門
山門。上杉謙信公が寄進したものは江戸時代に焼失した。これは大正時代に再建されたもの:

山門
本堂と、本堂から眺めた山門・鐘楼:

本堂

境内
ここ林泉寺には上杉謙信公の墓所の他にも、謙信公の祖父と実父の墓所もあり、さらに上杉家が會津へ転封した後に越後へ入封してきた堀家の墓所もあった。また宝物館には貴重な甲冑や史料が展示されていた。
この後は春日山史跡公園を経由し、旧加賀街道を通って直江津駅まで歩いた。こちらが加賀街道の説明板:

加賀街道散策絵図(拡大版)
現在でも沿道には松の木が立っていた:

旧加賀街道(県道R185)

旧加賀街道(県道R185)
途中、有名な親鸞ゆかりの旧跡があったりして意外と見所があった:

本願寺国府別院
最後は直江津駅付近で見かけた電車たち:

妙高ときめきラインのET127系

E653系・特急しらゆき
ということで、この時のフォト集はこちら:
坂戸城攻め (フォト集)
長尾政景公墓所と歴代上田長尾氏顕彰碑 (フォト集)
春日山城攻め (フォト集)
春日山林泉寺と上杉謙信公墓所 (フォト集)
御館攻め (フォト集)