東京国立博物館 展示 #6919、#6946 − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2023.

先週は、令和5(2023)年の啓蟄の候すぎの週末[a]2011年に観測史上最大規模の東北地方太平洋沖地震が発生した日。旧暦だと初代天皇である神武天皇が没した日。甲斐武田家が滅亡した日。に六年前に巡ってきた城跡周辺を再訪したあと帰宅する際に時間があったので上野で途中下車し、先月に続いて東京国立博物館を観覧して来た。今回も本館で開催されている総合文化展のいくつかを観覧してきた:

  • #6919:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2023年2月4日(火)~ 2023年5月7日(日)
  • #6946:本館1階13室の「刀剣」:2023年1月17日(火)~ 2023年4月9日(日)

後者の展示は先月とほぼ同じ。今回は勢州村正《セイシュウ・ムラマサ》や重文指定の刀剣などを、またまた閉館近くまで観覧してきた  :)

まずは甲冑から。こちらは白糸威二枚胴具足《シロイト・オドシ・ニマイ・ドウグソク》。江戸時代(17世紀)。尾張徳川家初代藩主の徳川義直《トクガワ・ヨシナオ》が大坂の陣で携帯したと伝わる具足:

白糸威二枚胴具足(右正面)

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白糸威二枚胴具足(側面)

胴と袖は銀箔押の札《サネ》を白糸で威しており、現在はくすんでいるが、往時は白銀に輝いていただろうとのこと。兜は通天冠《ツウテンカン》[b]中国の冠。を模した変わり兜で、前立は仏具の如意形《ニョイナリ》。

そして紺色縅二枚胴具足《コンイロ・オドシ・ニマイ・ドウグソク》。江戸時代。大名茶人・小堀遠州と呼ばれた小堀政一《コボリ・マサカズ》所用と伝わる具足:

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紺糸威二枚胴具足

全体の縅毛を紺色で統一し、要所には小堀家の家紋である花輪違紋をあしらった飾金具を配している。兜は輪貫《ワヌキ》の前立を持つ尖り帽子のような変わり兜。

今回はいろいろな変わり兜が展示されていたが、その中からこちらは紫糸素懸威烏帽子形桐紋兜《ムラサキイト・スガケオドシ・エボシナリ・キリモンノ・カブト》。江戸時代。これは烏帽子の形を鉄で模した変わり兜:

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紫糸素懸威烏帽子形桐紋兜

側面には切鉄と銀の布目象嵌《ヌノメ・ゾウガン》による大きな桐紋を飾り、正面や裾にも桐紋を打っている。六段下りの錣《シコロ》は紫糸の素懸威。豊臣秀吉の兜と伝わる。

ここからは刀剣。基本的に前回とほとんど展示品は替わっていなかったが、そんな中で重文のものを中心に紹介する  :)

黒漆銀銅蛭巻太刀《クロウルシ・ギンドウ・ヒルマキノ・タチ》(重要文化財)。南北朝時代:

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黒漆銀銅蛭巻太刀

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柄の装飾は蛭巻

柄《ツカ》や鞘《サヤ》などは補強と装飾を兼ねて、帯状の金属板で螺旋状に巻く蛭巻《ヒルマキ》と云う技法[c]蛭巻太刀は武士に愛好された刀装の一種。を使っている。南朝の武将、南部政長《ナンブ・マサナガ》[d]新田義貞が倒幕のために挙兵した際、正長もこれに呼応して馳せ参じて武功を挙げた。恩賞は陸奥国の一郡。の所用と伝えられる。

青漆銀流水文半太刀大小《セイシツ・ギンリュウスイモン・ハンダチノ・ダイショウ》の一腰。安土桃山〜江戸時代:

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青漆銀流水文半太刀大小

半太刀とは刀装の一種で、太刀のように刃を下にして[e]通常、刀は刃を上にして腰帯に指す。、刀と同様、鞘に栗形《クリガタ》や返角《カエリヅノ》を設けたもの。この二腰は、美濃国・苗木城主の遠山友政《トオヤマ・トモマサ》[f]美濃国苗木藩の初代藩主。父は遠山友忠《トオヤマ・トモタダ》、母は織田信長の姪。の差料と伝わる。青漆塗の鞘に二条の曲線形の銀板を貼って流水の模様を表現している。

太刀・古備前吉包《タチ・コビゼン・ヨシカネ》(重要文化財)。平安〜鎌倉時代。「古備前」とは備前国で平安末期から鎌倉初期に活躍した刀工たちの総称で、吉包はその一人:

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太刀・古備前吉包

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太刀・古備前吉包

刀身は腰反りが高く、よく鍛えられた板目の地鉄に、高さの揃った小乱の刃文を焼き入れている。

ここからは一階の「刀剣]コーナーから。

まずは有名な太刀・豊後行平《タチ・ブンゴノクニユキヒラ》(重要文化財)。平安〜鎌倉時代。行平は平安時代から豊後国で活躍した刀工の一人:

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太刀・豊後行平

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太刀・豊後行平

刀身はやや細身で、板目《イタメ》の地鉄《ジガネ》に「浅くのたれた」小乱《コミダレ》の刃文を焼入れ腰元で焼落としている。

次は太刀・古青江貞次《タチ・コアオエ・サダツグ》(重要文化財)。鎌倉時代。備中国青江を拠点とした青江派のうち、平安末期から鎌倉初期に活躍した古青江と呼ばれる刀工の代表がが貞次:

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太刀・古青江貞次

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太刀・古青江貞次

精美な小板目《コイタメ》の地鉄に、小乱を交えた直刃《スグハ》の刃文を焼入れている。

こちらは太刀・長船長光《タチ・オサフネミツタダ》(重要文化財)。鎌倉時代。備中国長船を拠点に、日本最大の刀工流派として繁栄した長船派:

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太刀・長船長光

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太刀・長船長光

よく鍛えられた板目の地鉄に乱映りが立ち、高低のある丁子に互の目を交えた刃文を焼き入れており、金筋など刃中の働きも豊か。

刀・津田助広《カタナ・ツダスケヒロ》(重要文化財)。江戸時代。大坂で作刀した名工で、寄せては返す大波をかたどった濤瀾刃《トウランバ》と云われる独創的な刃文を作り出した:

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刀・津田助広

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刀・津田助広

小板目の精美な地鉄に、明るく冴えた濤瀾刃を焼入れている。

こちらもよく知られた、刀・勢州村正《カタナ・セイシュウ・ムラマサ》。室町時代。村正は伊勢国桑名の名工で、その作刀は業物《ワザモノ》として知られ、江戸時代には徳川家を祟る妖刀伝説が生まれた:

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刀・勢州村正

やや流れた板目の地鉄、低く焼き入れた乱刃《ミダレバ》の刃文、たなご腹形の茎《ナカゴ》などが特徴。

最後は刀・小野繁慶《カタナ・オノハンケイ》(重要文化財)。江戸時代。繁慶は徳川家康・秀忠に仕えた鉄砲鍛冶で作刀もした:

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刀・小野繁慶

 以上、東京国立博物館蔵の作品は「e國寳」や「文化遺産オンライン」(ともに文化庁)のサイトでも閲覧できる ;)


ここからはオマケ。

千葉県松戸市にあった巨大な平城の外郭跡を攻めていた時に観たマンホール蓋

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「矢切の渡し」柄のマンホール・デザイン

この日は久しぶりに晴天の休日で、沿道に咲いていた梅がとても映えていた 8):

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野梅系

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野梅系

こちらは上野公園でみた梅:

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緋梅系

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緋梅系

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2023年3月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 2011年に観測史上最大規模の東北地方太平洋沖地震が発生した日。旧暦だと初代天皇である神武天皇が没した日。甲斐武田家が滅亡した日。
b 中国の冠。
c 蛭巻太刀は武士に愛好された刀装の一種。
d 新田義貞が倒幕のために挙兵した際、正長もこれに呼応して馳せ参じて武功を挙げた。恩賞は陸奥国の一郡。
e 通常、刀は刃を上にして腰帯に指す。
f 美濃国苗木藩の初代藩主。父は遠山友忠《トオヤマ・トモタダ》、母は織田信長の姪。

A Terrible Copyright Infringement.

先日、ブログを書くのに参考になりそうな資料なんかをインターネット上で探していた際に、城の復元模型を掲載しているホームページにたどり着いた。特に詳しい説明は無かったが、リンクのトップページには「模型で俯瞰する中世城郭」とあり、多分に参考になりそうな情報があるだろうと思い模型一覧のページを見てみた。

案の定、探していた城のページあったのでリンクを開いてみると、推定復元模型なる画像の他に、その城に関連する写真や資料のような画像、そして城の散策をテーマとした Youtube の動画[a]どうやら、ここの作者ではない、他の「城マニア」が作成したものだった 😕️。が掲載されていた。ホームページは手作り感一杯だ。ソースを観てみると HTML エディタで作成したかのうようなコードだった。

この模型の一覧には他にもたくさんの城(模型)のリンクがあり、その昔に自分が実際に攻めて訪問記を書いた城もあったのでリンクを開いて見たのだが、その内容を見て驚いた :0

なんと俺が作成した城関係の図が掲載されていた。なんかどこかで見た絵だなぁと思って、小さくなっている絵を拡大してみると、やっぱり俺が作成し訪問記に掲載している図だと確信したなんとなく嫌な予感がして、自分が訪問記を公開している城をかったぱしに開いてみると、予想どおり、かなりの画像がブログから盗用されていた[b]自分の訪問記への直リンクではなく、このレンタルサーバ上に保存されている模様 🤬️。 :|。以下にその詳細を記すが、本稿公開後しばらくして俺の画像などを削除して証拠隠滅を図っていた。従って、HTTP404(コンテンツが見つからない)など、俺が驚いた時点とはその状態が変わっているものがあることを追記しておく:

一部は方位磁針を追加したり、(おそらく)他人の画像と連結するなどの加工跡あって悪質。

そういう目でもう一度見ると、インターネット上で見たことがある、城好きならおなじみの縄張推定図など、他のサイトからも(著作権を明示していない)画像の盗用を見かけた:|

ちなみに、うちのブログはインターネット公開時から Copyright を明示している:

COPYRIGHTS

このサイトにあるコンテンツは全てクリエイティブ・コモンズでライセンスされています。出典付きでリソースを公開する場合も著作権を行使します。直リンクを含む無断使用を目視またはログ等で確認した際は掲載料として一画像につき2万円(日本円)をアクセス数分請求させていただきます。

ブログ公開時、 CC(Creative Commons)ライセンスはやや緩めの CC BY-NC-SA 2.1 (表示・非営利・継承 2.1)だったが、途中、直リンクを使った「他人の画像を自らの画像に見せるパクリ」行為があったので(上のような「金銭的請求」を追加して)、現在は CC BY-ND 4.0(表示・改変禁止 4.0)に更新している。本当はこんなことはせず共有を許可したかったが、やはり Gateway の外は糞野郎だらけ。インターネット上は安心できないのだ。

いずれにせよ、ここで勘違いすべきではないのは、このライセンス下では、たとえ再利用する場合でも俺が所有する著作権を明示するという条件がある。無断もしくは後日連絡するにしても、この点は重要だ。

それにも関わらず、こいつが悪質なのはライセンスを無視した上に、俺の画像を含むホームページ全体を 

© by Yoji Tabuchi, All rights reserved

と勝手に自らの著作を主張している点である。

このホームページに記載されていた犯罪者の情報を以下のとおり晒しておく:

tabuchi_y@hotmail.com

この悪質な犯罪者はなんだか EXPO なんかに展示するような輩であるようだ。盗作されたブログの Copyright に従って、レンタルサーバ会社に対する法的な処置や、個人的な金銭請求できるかどうかは専門家と相談する予定[c]流石に法外な賠償金は無理だが🤐️。。それまではこんな感じで晒しておき、どこぞの商用ボットに拡散してもらうことにする。

あと、いい機会なんで、以前遭遇した Copyright を無視して俺所有のリソースを無断で使用(直リンク)していた野郎も公開しておく:

  • 某人気映画のロケ地巡りのブログから適当に画像を直リンクしていたサイト[d]直リンクを排除したことにサイト関連の輩が気づいたからから、金銭的請求がおそろしかったのか、俺のブログへのリンクは別のサイトのリンクに変えられていた 😑️。烏山駅は全く関係のない駅の写真だった。まさに阿呆。
  • これもブログ関連で、俺の写真を直リンクしていたサイト[e]このサイトも直リンクは排除した。あたかも自分の写真であるかのような挿絵である。こいつは未だ気づいていないのか、リンク遮断跡が残ったまま。まさに阿呆。

広告収入ない俺のサイトから無断でリソースをパクるなど、まさに他人が所有するリソースを無断使用して広告やアフィリエイトで収入を得ている商用サイトの運営者はもっと痛い目をみるべきだ :/

俺はお前らに盗用されるためにブログを公開しているのではない。犯罪者どもが。

参照

参照
a どうやら、ここの作者ではない、他の「城マニア」が作成したものだった 😕️。
b 自分の訪問記への直リンクではなく、このレンタルサーバ上に保存されている模様 🤬️。
c 流石に法外な賠償金は無理だが🤐️。
d 直リンクを排除したことにサイト関連の輩が気づいたからから、金銭的請求がおそろしかったのか、俺のブログへのリンクは別のサイトのリンクに変えられていた 😑️。烏山駅は全く関係のない駅の写真だった。まさに阿呆。
e このサイトも直リンクは排除した。あたかも自分の写真であるかのような挿絵である。こいつは未だ気づいていないのか、リンク遮断跡が残ったまま。まさに阿呆。

東京国立博物館 展示 #6918、#6946 − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2023.

先々週は、この年の関東にあって大雪で大荒れの天候だった翌日にあたる、令和5(2023)年の建国記念の日[a]日本の初代天皇である神武天皇の即位日で、旧暦だと紀元前660年1月1日。城攻めしたあとの帰宅途中、時間があったので上野で下車し、昨年6月に続き東京国立博物館へ行って来た。今回も本館で開催されている総合文化展のいくつかを観覧してきた:

  • #6918:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2022年11月22日(火)~ 2023年2月12日(日)
  • #6946:本館1階13室の「刀剣」:2023年1月17日(火)~ 2023年4月9日(日)

今回の目的は関白秀吉の甲冑として伝わる「一の谷馬藺兜」の他、石田治部の所用だった刀剣「石田正宗」など。他に、予想外の出品もあってちょっとだけ嬉しかった :)。今回も閉館までずっと観覧した。

しかしながら、休日のトーハクはホント人が多い :|。あと写真撮影可能な展示が多いのは嬉しいのだが、ガラス面への映り込み(例えば非常灯とか)が激しいのは残念な点であるが:(

まず紺糸威南蛮胴具足(重要文化財)。安土桃山時代。徳川家康の四天王の一人、榊原康政が、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い直前に家康から拝領したと伝わる甲冑:

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紺糸威南蛮胴具足(正面)

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(側面)

兜や甲冑は南蛮胴具足がモデル。異国的で目の引く造形となっており、兜の錣《シコロ》の引廻《ヒキマワシ》や後立《ウシロダテ》にはヤクの毛を飾っている[b]これを「唐の頭《カラノカシラ》」とも云う。。個人的に、康政の具足と云うと前立が三鈷剣《サンコケン》の兜を持つ黒糸威二枚胴具足を思い浮かべるけど。

こちらが一の谷馬藺兜《イチノタニ・バリンノ・カブト》。安土桃山〜江戸時代。豊臣秀吉の兜として三河国岡崎藩士の志賀家に伝来したもの[c]志賀家の先祖が豊臣秀吉から賜った兜らしい。

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一の谷馬藺兜

兜鉢は鉄黒漆塗・一の谷形で、後立には馬藺[d]菖蒲の一種の葉を模した檜の薄板を放射状に配している:

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一の谷馬藺兜

今回は秀吉に関連する作品が他にもいくつか展示されていた。こちらは秀吉所用と伝わる陣羽織・淡茶地獅子模様《ウスチャジ・シシ・モヨウ》。安土桃山時代:

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陣羽織・淡茶地獅子模様

刺繍のように絵緯糸《エヌキ・イト》を浮かせた唐織で、大きな獅子模様を織り出している。背中の模様が背縫いをまたいで大きな獅子を表した手間のかかる技法である。衿には舶来の羅紗[e]これは当て字で、ポルトガル語で raxa と綴る。厚手の毛織物を意味する。《ラシャ》があしらわれ、今は欠損しているが、もともとは白い羽毛のぼんぼりが両脇を装飾していた。

こちらは豊臣秀吉像(模本)。原本は安土桃山時代で、江戸時代後期に焼失した:

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豊臣秀吉像(模本)

これは狩野永徳が描いたと伝えられる秀吉城を、仙台藩御用絵師の菊田伊徳が模写したもの。

そして秀吉直筆の書状。安土桃山時代:

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秀吉筆の書状

秀吉が、「ましどの」(不詳)にお茶を一服点ててもてなしたいと送った手紙。なお、都合が悪ければ構わないとも書き添えてある。こうした気遣いは秀吉の人柄が表れている。

こちらは大身槍《オオミノ・ヤリ》。銘・備州長船祐定《オサフネ・スケタダ》。室町時代・永正元(1504)年:

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大身槍・長船祐定

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丁字乱の刃文

この槍の茎《ナカゴ》に『加藤清正息女瑤林院様御入輿之節御持込』の朱銘があることから、加藤肥後守清正の息女・八十姫、のちの瑤林院《ヨウリンイン》が紀州徳川家初代の徳川頼宣《トクガワ・ヨリノブ》に輿入れの際に持参したもので、清正所用として伝えられる。室町時代後期に活躍した備前国・長船派の刀工・祐定の作。70㎝を超える長大な刀身に、丁子乱[f]丁子の実を連ねた形。《チョウジミダレ》の刃文を焼入れてある。

この刀は名物・石田正宗(重要文化財)。鎌倉時代:

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刀(名物・石田正宗)

無銘ながら沸《ニエ》の美を強調した相州伝の作風から正宗の柵とされ、三成が所持したことから「石田正宗」と呼ばれる他に、刀身の棟に刀傷があるので「石田切込正宗」とも。関ヶ原合戦の前年の慶長4(1599)年の清正ら七将による「石田三成襲撃事件」の御成敗で、三成が佐和山城に蟄居となった際に、その道中を警護した結城秀康に贈られた。

同じく、こちらも三成所用の脇指で名物・石田貞宗(重要文化財)。南北朝時代:

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脇指(名物・石田貞宗)

貞宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した相模国の名工。複雑な変化をみせる板目の地鉄《ジガネ》や、沸の輝きと刃中の働きを強調した刃文は、師の正宗の作風を継承したものと考えられる。「石田貞宗」の銘は、こちらも三成の指料《サシリョウ》であったことに由来する。

この刀は長船勝光・治光の作。室町時代。がっしりとした先反りの刀身に、冴えた直刃調の刃文を焼入れ、腰元の指表《サシオモテ》には倶利伽羅《クリカラ》を、指裏《サシウラ》には梵字が彫られている:

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刀・長船勝光・治光

備前国の長船派の名工・次郎左衛門尉勝光と、その子の次郎兵衛尉治光との合作で、佐々木伊予守こと尼子経久の所持銘が茎にある。

最後は千利休の高弟で、利休七哲の一人である蒲生飛騨守氏郷作の竹茶筅《タケチャシャク》:

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竹茶杓

急角度に曲げた櫂先《カイサキ》が特徴的で、武将らしい力強さを見せている。これほど激しい個性を感じさせる茶筅も珍しいとのこと。

以上、東京国立博物館蔵の作品は「e國寳」や「文化遺産オンライン」(ともに文化庁)のサイトでも閲覧できる ;)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2023年2月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 日本の初代天皇である神武天皇の即位日で、旧暦だと紀元前660年1月1日。
b これを「唐の頭《カラノカシラ》」とも云う。
c 志賀家の先祖が豊臣秀吉から賜った兜らしい。
d 菖蒲の一種
e これは当て字で、ポルトガル語で raxa と綴る。厚手の毛織物を意味する。
f 丁子の実を連ねた形。

生そば 柳屋 − A trivial set of SOBA and box lunch with Tempura.

先々週は、令和5(2023)年の建国記念の日[a]日本の初代天皇である神武天皇の即位日で、旧暦だと紀元前660年1月1日。に六年前に攻めた城跡を再び巡ってきた。六年前は事情 :(があって[b]詳細は、城攻め訪問記を参照のこと 😥️きちんと攻めきれていなかったのと、関係の深い城跡が隣駅にあることを知ったので再訪した次第。

しかしながら再訪した前日の関東地方は大雪で大荒れの天候で、城攻め当日は雪が残っていた公園を歩き回る羽目に :|。ただ当日は打って変わって快晴となった上に、午後から暖かくなってくれたのが救いだった :)

昼過ぎに城攻めを終えたので、何か食べてから帰ろうと思ったのだけれど、最寄り駅に適当な店がなかったので、帰路の途中でもあり御食事処の選択肢が多い久喜駅へ移動。昼どきと云うことで、事前にいくつか決めておいた店へ順に行ってみることした。まずは駅西口にある蕎麦屋へ。暖簾越しに覗いてみると空いていたので、そのまま店内へ:

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柳屋・生そば

一応、注文するものも決めておいたのだが、テーブル上のメニューを眺めて変更。少々グレードをあげて天重のセットメニューにした:

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天重セットもりそば(1,300円)

ザルの上にのっていない蕎麦そのものは普通。その分、みずみずしかったが、あまり香りがしなかった。久しぶりの天重だけど、これまた普通。いかの天ぷらは硬かった。来る前に決めておいた「いか天丼」のセットしなくて良かったなぁと。みそ汁はあってもなくても同じ。味が薄かった〜。
ふm,至ってどこにでもある「町」蕎麦屋の天重セットだった :|。でも店員さんのサービスは Good!;)。お茶や蕎麦湯を出すタイミングはバッチリだった。

生そば・柳屋
埼玉県久喜市久喜中央1丁目1-1


ここからはオマケ。

この日の午前中に攻めた花崎城跡。現在は花崎城址公園。前日に降った大雪が気になったが、実際には心配するほどではなかった:

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花崎城址公園

城址公園ともあって、遊具なんかがある児童公園よりかなり広い。こんな感じで城跡ぽい土塁や堀が復元されているし:

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堀跡

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土塁跡

ここは東武伊勢崎線が横断する城跡。もちろん線路内には立ち入ることは不可;

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特急りょうもう

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特急りょうもう

でもなぜか公園が別々になっていた。こちらは線路の北側にある花崎城跡公園:

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花崎城跡公園

この城跡の最寄り駅である花崎駅からお隣の鷲宮駅へ移動。駅北口から鷲宮神社へ向かった:

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宮前橋

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武蔵國・鷲宮神社

境内の奥にある拝殿。今年、銅板屋根葺き替えが行われるらしい:

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拝殿

境内には鳥小屋もあって、ちゃんと鶏が居た:

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午前中の花崎城の本城にあたる粟原城(鷲宮城)跡へ向かう前に、宮前にあった茶屋で一服した:

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大酉茶屋 田々

甘酒好きなので、その幟を見て入ることにした:D。思ったほど混んでいなかったし。

こちらが甘酒セット(税込み410円)。芋ようかんかどら焼きを選択できる:

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甘酒セット(410円)

暖かい甘酒は、麹の味が前面にでて、やや酸っぱ味があった。ついでに、どら焼きも暖かくして欲しかったが、この地方ではそんな習慣はないようだ :/

このあと鷲宮神社と青毛堀川と東武伊勢崎線を挟んで西側にある粟原城跡を攻めてきた。こちらは東武伊勢崎線。この先は花崎駅:

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東武伊勢崎線

青毛堀川と東武伊勢崎線:

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桜並木と東武伊勢崎線

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青毛堀川と踏切

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also花崎城攻め (2) (フォト集)
See Also鷲宮神社と粟原城攻め (フォト集)

参照

参照
a 日本の初代天皇である神武天皇の即位日で、旧暦だと紀元前660年1月1日。
b 詳細は、城攻め訪問記を参照のこと 😥️

らぁめん味斗 − Another Sapporo Miso Ramen In FUKAYA.

先々週は、令和5(2023)年の大寒の候に埼玉県深谷市にある曹洞宗のお寺に行ってきた。そのお寺は、「深谷上杉氏」と云う古くにこの深谷の地を治めていた一族の菩提寺である。六年前に攻めてきた城(跡)を築城した御仁の供養塔があり、ちょうどその城跡の訪問記を書こうとしていろいろ調べている時に、この寺の存在を知り、せっかくなので墓所を参詣することにした。

この日はホント風が強く冷たかった〜 :$。流石に大寒の季節である。お寺まではJR高崎線・深谷駅の南口から徒歩で30分ほど。歩けば暖かくなるかと思ったが、さにあらず。手袋なしではカメラを持つのも難儀した :(。そしてお寺をあとにして駅へ戻る途中、お昼近くでもあったので、何か暖かい物でも食べて行こうと歩いている時に見つけたのが、このラーメン屋の暖簾だった。

その暖簾には「西山ラーメン」の文字が。札幌の老舗の製麺屋である。となれば札幌ラーメンかと:

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らぁめん Ajito(味斗)

ここ最近、札幌ラーメン、特に味噌ラーメンはすっかりご無沙汰でもあったので、熱いスープを飲み干したくなり、そのまま暖簾をくぐって店内へ。

店内は、昼前だったからかカウンターに一人居るくらいで全く混んでいなかった。この時、ちょっと失敗したかなぁと思ったが体が冷え切りそうだったので、そのままカウンター席に腰をおろすことにした 。もう気持ちは決まっていたのでメニューの一番上にあった「味噌ラーメン」(700円)を注文。他にこの店人気No.1らしい「まろやかみそラーメン」にも惹かれたが、まずは基本の味噌で。さらにメニューを眺めていて、餃子を<あじと特製みそだれでどーぞ!!>って文句が気になったので餃子(350円)を追加した ;)

先に味噌ラーメンが到着。御膳の上のラーメン以外のものは餃子用で、左上のボトルが特製みそだれ:

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味噌ラーメン(700円)

札幌ラーメンの特徴の一つであるモヤシが少ないのが残念。トッピングの基本であるワカメはのっていたが卵は無し。うーん、ワカメがあるのに海苔が付いているは関東のラーメンだからだろうか。
スープが火傷しそうに熱かったのは Good。ホントにちょっと火傷してしまったが :$。味噌は赤白の合わせだと思う。甘みとコクがあって美味しいスープだった。でも、やっぱりモヤシが少ないなぁ。麺も西山製麺の卵麺で縮れ麺である。

こちらが餃子。これを普通なら醤油+酢+辣油で頂くが、今回は特製みそだれで:

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餃子(350円)を

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「特製みそだれ」で

これは美味い:)。味噌と酢とすりゴマなんかが入っていて、醤油系よりも餃子の餡の味をしっかり楽しめるって感じ。酢+胡椒よりも好きかも。それが良かったのか、ボリュームのある餃子そのものが美味しくいただけた。

で、すっかり体が暖かくなって、外はまだ冷たい風が強かったが、このまま駅北口にある城跡を巡ってくることができた。

らぁめん味斗
埼玉県深谷市上野台2542-1


ここからはオマケ。

こちらが深谷上杉氏の菩提寺である人見山・昌福寺の山門。仁王門である。奥に見える本堂裏手に累代の墓所がある:

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昌福寺の山門

そして昌福寺から陸上競技場がある仙元山公園を抜ける際に見かけた蒸気機関車D51 885号機(静態保存):

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蒸気機関車D51 885号機

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昭和19(1944)年製造

昭和19(1944)年に山口県の日立笠戸工場で製造され宮城県仙台鉄道局管内に配備、翌年に岩手県の盛岡機関区と一戸機関区を経て、兵庫県の姫路機関区、三重県の桑山機関区、奈良県の機関区に配置換えされたあと、昭和49(1974)年に廃車になった。約29年走り続け、地球を約40周する距離を走行したとのこと。

こちらが深谷市にあった城跡に造られた深谷城址公園:

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深谷城址公園

城址公園と云っても模擬の石垣や堀があるだけで、城の遺構は全く無いけど。

なんか面白い自販機を見かけた。鶏卵の自販機で、色がなんとも特徴的:

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この色は何を意味しているのだろうか?

こちらは城攻めを終えて駅へ向かう途中に立ち寄った和菓子屋。店の奥にあるカフェで一息ついてきた:

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古伝餡・濱岡屋

いただいたのは好きな上生菓子と煎茶のセット(600円)。店内にある和菓子から「ほほえみ苺大福」を選択した:

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上生菓子+煎茶セット(600円)

ジューシーで酸っぱい苺に甘い餡子が包んであり二口でいけてしまった:D

最後もラーメン。実は翌週末も、ここ深谷まで来たのだけれど、その帰りに立ち寄ってきた:

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丸源商店

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肉そば・肉ダブル(880円)

いかにも地方都市にありそうなチェイン店。看板にあった「熟成醤油ラーメン」の文字が美味そうに見えたので(先週もお昼はラーメンを食べたのに今週も深谷でラーメンを)食べてしまったが、器が小さくて量が少ない、肉ダブルっていっても大した量でもないし[a]ダブルではない普通の肉そばって、どんだけなんだろうって、ついつい考えてしまうが 😕️。。それほど熟成感のあるスープではなく薄っすい味だった:|。こちらは評価対象外。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also深谷上杉家菩提寺 (フォト集)
See Also深谷城攻め(2) (フォト集)
See Also上杉憲賢公墓所と高臺院 (フォト集)
See Also深谷城攻め(3) (フォト集)

参照

参照
a ダブルではない普通の肉そばって、どんだけなんだろうって、ついつい考えてしまうが 😕️。