あきる野の桜 − A Budding and Bloom Season in Akiruno, Tokyo.

先週末は平成31(2019)年4月初め、東京都あきる野市にある山城を攻めてきたのが、標高400mほどの山頂から見下ろした絶景に加え、季節柄か麓に咲き誇る桜があんまり見事だったので、あとで整理してみたら城攻めの遺構よりも美しい桜を撮った写真が多かったという次第 :)

あきる野市から秋川渓谷入口あたりに聳え立つ「城山(しろやま)」は、かっては戸倉(とくら)城と呼ばれ、小田原北條氏の拠点であった八王子城に対する狼煙台を兼ねた砦であったであろう以外はあまりよく分かっていないらしい[a]築城時期も不明であり、発掘調査も行われていない城跡でもある。。今ではその際立った登山路[b]東側のルートは剥き出しの岩肌を登るといった感じ。を目指して多くのハイカーが訪れているコースでもある。
自分は素直(?)に大手道を登り降りしてきたけど。

これは帰りに西東京バス戸倉停留所前から見上げた城山こと戸倉城跡。山頂がいわゆる本丸;

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戸倉城跡

城跡へは西東京バスの西戸倉停留所から、大手口跡で登城口のある神明社の八雲神社へ向かったが、社の前には見事な桜の木が立っていた:

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登城口前に立つ桜の木(拡大版)

登城口からは結構な急斜面を上って行くことになる。最初は石段があるが、途中にはこんな感じの山道になる。右手はロープ場:

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かっての大手道(拡大版)

片側は急斜面で、場所によってはロープ場になっていたが、ちょっと注意が必要:

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これは下りの登城道

こんな感じの斜面を登り降りするのでシンドイといえばシンドイかも :|。でも、この先には山頂からの絶景が待っている:

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山登りする感覚で

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下山する感覚で

登城口から登城道を30分ほど登ると、山頂を東西に走る尾根筋に合流する:

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左手が本丸方面

そしてこちらが本丸跡。標高434.1mの山頂にある:

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「城山」の標柱が建つ山頂

ここから城址東側に広がるあきる野市の眺め。空気が澄んでいれば千葉県の房総半島まで望めるらしい:

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本丸から眼下を望む(拡大版)

さらにパノラマ。この右手には麓にある光厳寺(こうごんじ)からの、岩肌を登るもう一つの登城道がある:

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戸倉城の本丸跡(パノラマ)

あまり遺構が残ってないとのことだったけど予想外にも竪堀なんかが残っていたのは良かった:)。城攻めを終えて麓にある光厳寺へ向かったら、こちらは桜が満開だった[c]この日は20℃越えの暖かさだった。

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光厳寺へ行く途中の桜(拡大版)

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ヤマザクラ

門前に立つ桜も見事だった:

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ヤマザクラ

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山門前に立つ桜(拡大版)

光厳寺は足利尊氏が建立したと伝わる:

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光厳寺の境内より

山門から少し離れた場所には、推定樹齢が400年、根回りは5mもある大桜が立っている。東京都の三大巨樹の一つらしい:

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樹齢400年以上のヤマザクラ(拡大版)

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ヤマザクラ

真言宗建長寺派・鷲峰山・光厳寺(こうごんじ)
東京都あきる野市戸倉328

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also戸倉城攻め (フォト集)

参照

参照
a 築城時期も不明であり、発掘調査も行われていない城跡でもある。
b 東側のルートは剥き出しの岩肌を登るといった感じ。
c この日は20℃越えの暖かさだった。

酒処・居酒屋てんまさ − A MITO Local Dishes.

またまた「茨城県のネタ」が続くけど、こちらは一昨年は平成28(2016)年の正月明けの連休を利用した自身初の茨城県の城攻めのもの。城攻め最終日は午前中いっぱいを使って水戸城跡を巡ってきた。
そして帰宅する前の電車待ちの合間をぬって、お昼を摂ろうと駅前をうろうろしていたのだけれど適当なお店が見つからなかったので、前夜に「あんこう」料理を食べた際にメニューで気になった水戸市の郷土料理でありB級グルメでもある「納豆」料理を思い出し、再び居酒屋てんまさの暖簾をくぐることに[a]実は宿泊先の朝食にも納豆が出てきて(それも食べ放題 : 😎 )、御飯を二杯もおかわりしたっけ。ホテルの朝食でご当地モノが出ると得した感じがして嬉しい :-)

この時に気になっていたランチメニューが、この納豆ねばり丼(1,080円)。それも納豆汁付き:)

納豆ねばり丼(1,080円)

別に水戸ではなくどこにでもありそうな「ネバネバ系」の丼ではある[b]例えば「やよい軒」のおまぜ定食とか。し納豆も少なかったけど美味しく頂けた:

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大好物の納豆を本場で

ついでに前夜に食べた料理の一部がこちら。
前日の後半は自転車にのって笠間にある山城を攻めてきたので体力補充のために、こちらも名物のあんこう料理を食べてきた。

まずはあん肝(650円+税)をもみじおろしのポン酢で。新鮮かどうかは不明 :X

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あん肝(702円)

そして、あんこう鍋(2,000円+税/一人前)。さすがに年明けすぐの水戸と云うこともあってまだまだ寒い夜だったけど、コラーゲンを摂ってしっかりと温まることができた :D

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あんこう鍋(2,160円)

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あんこうを味噌味で

まぁ居酒屋的にはどこにでもあるようなお店だったけど全国規模のチェイン店よりは全然よかった。

酒処・居酒屋てんまさ
茨城県水戸市宮町2-2-31 三友ビルB1F


ここからはオマケ。

さすがにこの時期の弘道館の庭は梅の華まっさかりだった。こちらは八重冬至(やえとうじ)という白色の中輪で八重咲きの梅。葉っぱの展開に先立って花を咲かせる(開花時期は1月中旬から2月):

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八重冬至

こちらは八重寒紅(やえかんこう)と云う濃い紅色の中輪で八重咲きの梅。開花後に花弁の先が白く色あせてくるのだとか:

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八重寒紅

これは、同じく三の丸跡の弘道館敷地内にある鹿島神社の御神輿殿。右手の神輿は北関東最大級の神輿らしい:

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御神輿殿

水戸市のマスコットキャラクターである「みとちゃん」がマンホール蓋に:

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みとちゃん@マンホール蓋

最後は帰りの水戸駅ホームで見かけた鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の6000形:

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鹿島臨海鉄道大洗鹿島線

ちなみに帰りも行きと同じ特急ひたちを利用した。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also笠間城攻め (フォト集)
See Also水戸城攻め (フォト集)

参照

参照
a 実は宿泊先の朝食にも納豆が出てきて(それも食べ放題 : 😎 )、御飯を二杯もおかわりしたっけ。ホテルの朝食でご当地モノが出ると得した感じがして嬉しい :-)
b 例えば「やよい軒」のおまぜ定食とか。

永盛食堂 − A SHIMODATE Ramen.

「茨城県のネタ」が続くけど、こちらは先週末は平成31(2019)年3月の週末[a]正確には「飛び石」連休の週末。を利用して茨城県の城攻め第二弾として初日はJR水戸線沿線にあった城跡を巡り、最終日は真岡鉄道(もおか・てつどう)沿いに残る城跡[b]かっては「上館」、「中舘」、そして「下館」と呼ばれていたらしい。なぜか京から一番遠い方が「上館」だったけど。オマケに栃木県と茨城県が入り組んでいる。を巡ってきた。ただし城跡としては大部分が田畑化、あるいは宅地化、もしくは公園化されてしまって遺構はほとんど残っていなかったが、それはそれで小さいながらも色々と発見があって良かった :)。おまけに初日の天気予報が大ハズレで、ところどころで予想外の雨が降るって云うイマイチの天候だったこともあり、最終日の晴天は気分もモチベーションも上がったし :D。あぁそうそう、ホテルの朝食がカレーだったのも良かったっけ 8)

この日最後の城攻めが終わったのが昼過ぎで、帰りの電車までの時間があったので駅へ向かう途中にあった永盛食堂と云う、なんか田舎でよく見かけるお店で茨城県のご当地ラーメンを食べてきた:

永盛食堂

実際に食べるまでご当地ラーメンとは知らなかったが、ここ茨城県西部にある筑西市筑西(ちくせい)市のB級グルメが下館ラーメンと呼ばれる鶏ガラをベースにした「正統派」の中華そばらしい。

店には既に先客が居たけど、すぐに座ることができた。で、目の前に掲げられた木札のメニューからチャーシューメン(800円)を注文した。その際に、店の人から「チャーシューは鶏肉ですけど良いですか?」と質問されたので、聞いてみたらそれが下館ラーメンのスタイルとのこと。

こちらがチャーシューメン:

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チャーシューメン(800円)

まさに「中華そば」。鶏ガラスープと濃口醤油をベースとしたスープの上に刻みネギ、海苔、ナルト、メンマ、そしてほうれん草。浮いている玉子は茹でたもの。そして鶏胸肉のチャーシューが五切れ:

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鶏肉のチャーシュー

スープは濃い醤油味、麺はちぢれ細麺でちょっと茹で過ぎって感じが、昔風で懐かしかった:

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店名が刻まれたどんぶり

ということで完食。最後は店主の親爺さんが出てきて挨拶してくれた。

永盛食堂
茨城県筑西市岡芹958番地


ここからはオマケ。

前日とは打って変わって晴天に恵まれた最終日は朝8時前にホテルをチェックアウトして小山駅から水戸線に乗って下館駅へ。ここで真岡鉄道(もおか・てつどう)へ乗り換えだけど、IC乗車券は利用できないので実費で精算となる:

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真岡鉄道乗車券・久下田行き

こちらが真岡鉄道のモオカ14形(日本車両製)。同型に富士重工製があるが、違いは前照灯の位置:

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モオカ14形

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広告ラッピング車両

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モオカ14形

そして、まずは「上館」こと久下田城跡の最寄りである久下田駅へ。なお駅は栃木県、城跡は茨城県となる:

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久下田駅(無人駅)

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「久下田」駅

これは駅前にあった二宮尊徳廻村の像。ここ下野国も奥羽国同様に農地改革で二宮金次郎の教えが生きていた:

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二宮尊徳廻村の像

城攻めの前に久下田城主で開祖だった水谷蟠龍斎正村(みずのや・はんりゅうさい・まさむら)の墓がある芳全寺(ほうぜんじ)へ立ち寄った。ここには、なんと阿弥陀如来像が置かれていた:

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芳全寺の阿弥陀如来座像

あと「とちぎ・名木百選・芳全寺のしだれざくら」。樹齢は約200年だとか。未だ咲き頃ではなかった。くどいけど芳全寺は栃木県、城跡は茨城県:

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芳全寺のしだれ桜

それから茨城県の久下田城を攻めて、再び栃木県の久下田駅へ:

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茂木方面(左手が栃木県、右手が茨城県)

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久下田駅・下館方面

次の「中舘」こと伊佐城跡へは茨城県の折本駅まで戻って徒歩で移動した。こちらは乗車時の整理券。ワンマンカーなので下車時にこの整理券と料金を払う。そして車窓からの眺め:

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乗車整理券

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先頭車からの眺め

こちらは折本駅ホームにて:

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モオカ14形

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「折本」駅

折本で下車するとホームや駅舎の周辺には大勢の人たちがたむろっていたが、その直後に汽笛が聞こえて納得した。というか真岡鉄道ってSL走っていたのか 8)

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C11325号(拡大版)

C11325号は新潟県阿賀野市から真岡市が譲り受けたもの。最後尾は気動車だった:

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新旧車両が並ぶ

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新旧車両が並ぶ

で驚くことに、本ブログ執筆中、C11325号は東武鉄道へ譲渡されるらしいことが判明。さらに残り2両のうち老朽化のため1両の運行を取りやめるとのことで、最終的に1両での運行になるのだとか :O。うーむ、最後の勇姿を拝めたのは運が良かったのだろうか。

折本駅から南下していくと何やら櫓台ぽい丘陵が見えてきたが、これは筑西市指定史跡の富士東古墳とのこと:

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富士東古墳(拡大版)

現在、伊佐城跡には中舘観音寺が建っており、その一角にある御堂には旧国宝で重要文化財の木造観世音菩薩立像が置かれていた。

そして最後の「下館」こと下館城跡へは徒歩で移動。五行川の河川敷沿いにある遊歩道を南下した:

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五行川の河川敷

この河川敷の桜並木の間からは筑波山を拝むことができた:

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桜並木と筑波山

こちらは下館城主・水谷(みずのや)家菩提寺であり、歴代城主の墓がある定林寺の山門:

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定林寺

再び五行川越しに眺めることができた筑波山:

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筑波山(拡大版)

下館ラーメンを食べたあとは最寄りの下館二高前駅から乗車して下館駅へ。下館駅では下車時にJRへ乗り換える際に必要になるのかどうか分からないが精算証明書なるものを貰った:

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「下館二高前」駅

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乗車・精算証明書

最後は小山駅で見かけた「最強ラーメン祭2019」のポスター。前日に知っていたら行っていたのになぁ :P

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最強ラーメン祭2019

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also真壁城攻め (フォト集)
See Also結城城攻めと結城家御廟 (フォト集)
See Also久下田城攻め (フォト集)
See Also伊佐城攻め (フォト集)
See Also下館城攻め (フォト集)

参照

参照
a 正確には「飛び石」連休の週末。
b かっては「上館」、「中舘」、そして「下館」と呼ばれていたらしい。なぜか京から一番遠い方が「上館」だったけど。オマケに栃木県と茨城県が入り組んでいる。

ほたて − A Japanese Fliter Restaurant at Tsuchiura.

今となっては一昨年は平成28(2016)年の正月明けの連休に、自身初の茨城県の城攻めへ。初日の午前中は東京は上野からJR常磐特急ひたち[a]ちにみに、まだこの当時は上野東京ラインは開業していない。3号・いわき行で土浦で下車。前日に指定席特急券を購入しておいた。今思うと特急ひたちの乗車は二回目であった。ただし前回は福島県の磐城棚倉駅へ向かった際に利用したっけ :)

朝8時ちょうど発の特急ひたち3号で土浦駅に着いたのは9時前。そこから午前中一杯使って土浦城跡を巡り、午後の城攻めへ向かう前に土浦市内でお昼を摂ることにした。
ということで城跡がある亀城公園へ向かう際に店頭売りの窓口が気になっていた天ぷら屋のほたてへ:

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天ぷら ほたて

城攻めに来た時は未だ開店していなかったが、城攻めを終えた時間には暖簾がかかっていたので入店した。木造の店内はレトロ調。自分が入ったのが開店すぐだったようで店内は未だ寒く、ストーブ近くの席に座わり、温かいお茶を飲みながら注文を決めた。

大きな海老が茶碗からはみ出ていた上天丼(1,150円):

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上天丼(1,150円)

蓋を空ける前から香ばしい匂いと甘タレの芳しい匂いが鼻をつく :D。そして蓋をあけると湯気があがって、暖かく一層いい匂いがしてきた:

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大海老1、かき揚げ1、イカ天1

大海老1、かき揚げ1、イカ天1という天ものはシンプルだったけど、衣は厚くなく具材を素直に味わえる天ぷらだった。味噌汁は薄味だったのも良かった。天丼を食べたって感じになった。

ほたて
茨城県土浦市中央1-2-13


ここからはオマケ。

こちらがJR常磐線特急ひたち。上野駅にて。全席指定席のため事前に指定席特急券の購入が必要:

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特急ひたち3号

 

茨城県の城攻め第一弾は土浦城跡。公園入口には枡形虎口の名残りがあった。正面に建つのが復元された東櫓:

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土浦城址の亀城公園(拡大版)

あと今となってはよく見かけるが、当時は結構衝撃的だった味噌汁の自販機売り 8)

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味噌汁の自販機売り

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also土浦城攻め (フォト集)

参照

参照
a ちにみに、まだこの当時は上野東京ラインは開業していない。

紀の代 − A Special Rice Bowl of Misaki-Maguro.

先週末は平成31(2019)年2月最後の週末、季節外れな気温と穏やかな晴天の予報だったので神奈川県は三浦半島の突端近くにあった城攻めへ。京急の終着駅である三崎口から同じく京急のバスに乗って三崎東岡なるバス停で下車。ここは三浦市役所の最寄りのバス停ともあってバスの本数には難儀せずスムーズに移動できた ;)

それから二時間近く城跡を巡ってきた。前評判だと遺構が残っていないので見どころは少ないとのことだったが、縄張図を片手に細かく見ていくと土塁や空堀跡[a]そもそも道路が堀底道だった。が残っていたり、意外と楽しむことができた。特に高台が多いので三崎湾を含む眺望が良かった :)

このあと城攻めを中断してお昼を摂ろうと、ちょっと早いけど城跡の近くにあって行列になりそうなマグロ料理のお店である紀の代(きのだい)へ。開店は朝11時だった:

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紀の代

このお店は三崎港(本港)とか魚市場とか三崎フィシャリーナウォーフ「うらり」なんかがある、いわゆる観光街から少し離れた場所にある。

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「びんとろすし」の元祖

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開店前の紀の代

店の前に着いたのは開店50分ほど前。この時点で待ちは1組だけだった :O。それはそれで良かったので名前を記入して開店するまで、食べ終わったら訪問する予定だった近くの本瑞寺[b]このお寺も城址の一部で、高台の出丸跡に建っていた。の境内を散策した。
まぁ、流石に戻ってきて見ると人だかりにはなってたけど行列って感じではなかったっけ。やっぱり離れている場所だからだろうか:

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定番メニュー#1

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定番メニュー#2

開店時間となり、お店の人が暖簾を架けると予約の順番に名前を呼ばれて店内へ。お店はカウンターの他にテーブル席が5、お座敷にテーブルが4といった広さ。

席についてから新ためてメニューを眺めた。事前に食べるものは決めていたが、旬の食べ物のメニューがあったので追加で注文することにした。ちなみに前の晩に少し飲み過ぎたので、この日はお酒は無し。

こちらがお店オススメの「とろとろ丼」(1,880円)と旬の食べ物で「白子のポン酢あえ」(650円):

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「とろとろ丼」セット(1,880円)と「白子のぽんずあえ」(650円)

小さめの丼の上に「まぐろのづけ」、「まぐろのユッケ」、「びんとろ」、「ねぎとろ」、の四種盛り。前二品が味付きで:

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マグロの四種盛り

小鉢はその日によって違うのだそうで、この日はマグロの煮凝り。薄塩味ながら、お酒のおつまみにピッタリ。あとマグロのつみれ汁。小さいつみれは生姜味:

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マグロの煮凝り

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つみれ汁

こちらが追加した白子の和物。少し硬かったけど美味しかった:

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白子のポン酢あえ(650円)

マグロも肉厚だったけど、やや部位的に端っこレベルかなぁ。近所のスーパーよりはマシだけど値段的に、この程度かな:X

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とろとろ丼

お店には二番に入ったけど一番に出てきた:D。店の外にでたら行列ができていた。今度来た時は別のマグロ料理とお酒を頂こう。

紀の代
神奈川県三浦市三崎1-9-12


ここからはオマケ。

こちらは紀の代のお隣のお店。こちらの方が早く開店していた。お酒飲むなら、こちらのお店かも:

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お隣のお店

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生イカ

こちらが今回攻めてきた三崎城跡:

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三崎城跡

北條港こと三崎港。三浦道寸を滅ぼした北條氏が対里見氏向けの水軍基地を置いたと伝わる。この先に見えるのが城ヶ島:

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北條港跡(拡大版)

埠頭を歩きながら見かけた光景いろいろ:

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隆瀬丸

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漁船のウェーキ(拡大版)

これが本瑞寺の参道。その昔、この上は腰郭を持つ出丸跡だった:

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本瑞寺の石段

三浦市役所。この先を右手に折れたところが三崎城の大手口だった:

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大手口跡に建つ三浦市役所

お昼を頂いた紀の代の真向かいにあった染物店。漁船の大漁旗を手がける他に、手ぬぐいなんかも売っていが、この店の裏にある稲荷社から見つけた新作の大漁旗:

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ど派手な大漁旗

この日は2月下旬ながら温かい気温ともあって既に梅の他に桜が咲いていた:

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本瑞寺の梅の木

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梅の花

こちらは桜:

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本瑞寺の桜

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本瑞寺の桜

最後は城攻めの最中に見かけた三浦半島の動物たち。近くに寄っても全く動じていなかった太った猫:

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大きなトビ。こちらも全く動じていなかった:

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トビ

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トビ(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also三崎城攻め (フォト集)

参照

参照
a そもそも道路が堀底道だった。
b このお寺も城址の一部で、高台の出丸跡に建っていた。