洋食屋キッチン・ゴン − Pine Rice Garlic Taste.

一昨年は平成27(2015)年の初めに仕事で大阪まで出張する機会[a]それも大坂城のすぐそば。この出張は大変有意義だった。があり、自身としては二度目[c]一度目は高校時代の修学旅行だった。となる京都で、今から400年以上も前に起こった「本䏻寺の変」にまつわる織田信長のゆかり地を巡ってきた。午前中は旧本能寺で亡くなったとされる織田信長公と主従らの墓所や公の菩提寺などを見て回ってきた。残念ながら大部分が拝観謝絶だったが:|、それでも他の戦国武将の菩提寺や自身としては人生初めてとなる「本物の」日本庭園を見ることができた。

午後は京都御所近くにある旧二条城跡や旧本能寺を見る予定だったので、地下鉄烏丸線で丸太町へ。お昼にはちょっと早かったが、今回の出張で大阪の人に勧められた京都御所近くにある洋食屋で「ピネライス」なるものを食べることにした。ピネライスは京都人で知らぬ人はいないB級グルメらしい。ということで丸太町駅から広大な敷地を持つ京都御所を横切って丸太町通りと河原町通りの交差点近くにある洋食屋キッチン・ゴン 御所東店へ。肉系の洋食屋ということでメニューを見るとステーキやハンバーグが主流。ピネライスの方はと云うと、なにやら味付けいろいろあるようで、午後もしたすら歩き回る予定だったので今回はノーマルなピネライスではなくガーリック味の「テキ」が上にのっているテキ・ピネライスを選択してみた:

ガーリック・テキ・ピネライス(1380円)

この「テキ」はステーキの略らしい。こちらは数量限定だった。一般的なピネライスは、カウンター席の両脇の人が食べていたのをみるとカツカレーのようだった。まぁこっちはこっちで、がっつりと肉と炭水化物でエネルギーを補給することができた。ちなみにご飯はチキンライスではなくチャーハン。不思議と福神漬けの相性が良かった:

ガーリック風味のステーキがのったピネライス(一日限定)

キッチン・ゴン 御所東店
京都府京都市上京区河原町通丸太町下るオーキッド山下1F


ここからはオマケ。

こちらは上京区上御霊前通り近くにある御霊神社(ごりょうじんじゃ)。信長公の墓所がある阿弥陀寺へ向かう途中にあった:

御霊神社

この神社は、応仁元(1467)年に畠山政長が御霊の森に陣をおき、畠山義就と戦いを交えたのが応仁の乱の発端となった場所らしい。大乱のわりには小さな碑だった:

「応仁の乱勃発地」の碑

こちらが応仁の乱勃発の地の由緒。この乱は室町時代は応仁元(1467)年に勃発し約10年間続いた上に、京の都が灰燼に帰す元凶となった守護大名同士の内乱。その後、応仁の乱は地方にも飛び火し、関東でも古河公方と関東管領上杉氏、太田道灌、長尾景春、伊勢新九郎(北条早雲)らを巻き込んだ騒乱に影響を与えた。そして日の本の国は下剋上による戦国時代に突入していった…:

この場所が応仁の乱の勃発にゆかりがあるのだとか

そして、こちらは信長公の菩提寺である大徳寺・総見院へ向かう途中、堀川通り沿いで偶然にみかけた紫式部の墓所:

紫式部の墓所入口

平安時代中期の学者で女性作家、歌人。源氏物語の作者と考えられている。本名は不詳で、「式部」は官位と云われている。また没年も不詳で、現在伝わるのは全て推定なのだとか:

紫式部の墓所

紫式部の墓所の隣には小野篁(おの・たかむら)と云う平安時代の公卿で文人の墓もあった:

小野篁の墓所

最後に京都御苑。と言ってもキッチン・ゴンへ行く際に横切っただけだけれど、砂利の道を歩いていると不逞浪士が居ないかついつい周囲を気にしてしまう[b]お前は壬生浪士か?:D

京都御所南側の大通りから眺めた建礼門

こちらが京都御所の南門にあたる建礼門。檜皮葺、切妻造の四脚門である:

もとは平安京内裏の外郭門の一つだった建礼門

建礼門

こちらは仙洞御所附近。江戸時代の始めに皇位を退かれた後水尾上皇の御所として建てられた。現在は庭園になっている:

仙洞御所附近で、この先は大宮御所

仙洞御所附近で、この先は寺町御門

全ての御門を見てきたわけではないけれど、旧二条城の敷地近くには、かの有名な蛤御門があった:

蛤御門

元治元(1864)年、この門の周辺で長州藩と御所の警護にあたっていた會津・薩摩・桑名藩との間で激戦が行われた(禁門の変)。名前の由来は、江戸時代の大火で、それまで固く閉じられていた門が初めて開かれたため「焼けて口開く蛤」にたとえて蛤御門と呼ばれた:

蛤御門

門の梁には、禁門の変(蛤御門の変)当時の鉄砲の弾傷らしき跡が残っている:

蛤御門の柱には弾跡らしきものが残っていた

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also織田信長公墓所と本能寺の変 (フォト集)
See Also大徳寺散策と細川家墓所 (フォト集)

参照   [ + ]

a. それも大坂城のすぐそば。この出張は大変有意義だった。
b. お前は壬生浪士か?
c. 一度目は高校時代の修学旅行だった。

大黒家天麩羅 − The first Asakusa visit in 2017.

今年は三賀日の2日目に「皇居の一般参賀」に行き、その帰りに平将門公の首塚をお参りしてきた。この首塚は、実は神田明神の分祀にあたり、これがまさに平成29(2017)年の初詣にあたるのだけれど、恒例の年初めのおみくじは引けなかったので、翌日の3日目にお馴染みの浅草寺へ行ってきた。昨年はお昼過ぎに到着するような感じで行ってみたんだけど想像を絶する混雑具合だったので、今年は9:00過ぎには到着するようにした ;)。しかしながら、この時間でも参拝者は流石に多かった:

浅草寺・宝蔵門前から眺めた本堂

それでも雷門や仲見世はまだ「封鎖」はされていなかったので、さくさくっと本堂へ向かって御賽銭を投げ入れて参拝し、御籤[a]今回は「吉」だった。を引いて、家内安全祈願の御札を購入した。今日は、ここ数年は食べていない大黒家天麩羅にでも行こうと思っていたので、店が開くまでの数時間を浅草散策でつぶすことにした。浅草神社境内で甘酒を飲みながら猿回しを観覧。それから浅草寺の本堂裏を突っ切って浅草六区方面へ移動し雷門通りを経由して仲見世へ入った頃で、そろそろ行列に並ぼうと本館前へ。50人位は並んでいただろうか。それでも30分ほど待ったら無事にお店に入ることができた:

天麩羅大黒家本館

いつもの天丼(エビ2、かき揚げ1)に、らっきょうとビール(グラス)を注文した。天丼が来るまで辣韮を頬張った:

らっきょう(350円)と小さな生ビール(380円)

ほどよく酔いがまわってきたところで天丼が登場した。ちなみに、このお店で初めて天丼を食べたのが平成7(1995)年頃だから、もうかれこれ22年近く前になるのか:O。ごま油で揚げているため少し黒っぽい天丼を初めて食べた時は見た目も味も斬新で衝撃を受けた記憶がある。それだから、かれこれ20年以上も足を運ぶのだけれど。このブログから確認すると前回は5年くらい前なのかな:

天丼(えび2本、かき揚げ1本)(1750円)

ただ残念ながら毎回来る度に味が変わっている感が強い。まぁ同じ店なのに本館と新館との間でも味に違いもあったし、年を経っているので同じ味を期待する方が間違ってはいるが。もしかしたらエビやかき揚げも小さくなったのかもしれない。らっきょうは変わらず大きくて美味しかったけど。

大黒家で天丼を食べた後は、近くの舟和でお土産を購入し、これまた例年どおり浅草通りを歩いて上野へ移動し、アメ横へ立ち寄って秋葉原から御茶ノ水まで歩いて帰宅した。

大黒家天麩羅本館
東京都台東区浅草1-38-10


ここからはオマケ。

こちらは浅草寺脇にある浅草神社前に建っていた「こち亀」の看板。昨年に連載が終わったからだろうか。個人的にアニメタッチよりも漫画タッチの両津・中川・麗子の方が好みだけど:

こち亀の浅草物語の看板

そして浅草三社祭りの神輿:

浅草三社祭りの神輿(三之宮、一之宮、二之宮)

これは仲見世側道にあるよ兵衛で食べた団子(甘辛味)。ん〜、普通:/。生醤油味にしておけばよかった:

よ兵衛のみたらし団子(150円)

懐かしのロック座の前を通り、浅草フランス座横の演芸ホール前は大賑わいだった。流石に正月だ:

浅草演芸ホール

そして浅草ROXでは獅子舞をやっていた。ホントお正月だ:

浅草ROX前で獅子舞

上野アメ横には昔から立ち寄っていたマルゴーと云うお店があるのだけれど、昨年末に突然閉店となり従業員は解雇されてしまったそうで、現在は元従業員の方々が店に籠もって労働闘争を行なっているという話を聞いて、気になって見てきた:

浅草散策した後は必ず立ち寄っていたお店

SIG SAUSER や時計のNATOバンドを買ったお店

若干、泥沼化しそうな予感だけれど、なんとか昔のお店に戻って欲しいものだ:|

参照   [ + ]

a. 今回は「吉」だった。

新年一般参賀 − The General Public to the Palace for the New Year Greeting in 2017.

昨年に続いて、今年は平成29(2017)年1月2日の新春に皇居にて行われた「新年一般参賀」に行ってきた。今回も第一回目(10:10am頃)のお出ましに合わせて、前回と同じような時間帯に東京メトロ有楽町線の桜田門駅へ到着し、しっかりと用を済ませてから地上に出て、桜田門前を通過して内堀通り沿いにある行列場所へ向かった。

こちらは08:00am過ぎの内堀通り(都道R301)の状態。こちらも昨年と同様に、パレスホテル東京あたりから国道R1と合流するこの辺りまでは完全に通行止めだった:

参賀前の内堀通りの様子

このまま日比谷門を抜けて皇居外苑(江戸城の西の丸跡)にある行列待ちの場所へ移動した:

江戸城日比谷門あたりから眺めた皇居外苑

昨年参加したという感覚からか第一回目のお出ましまでたっぷり2時間はあるから、まだそれほど行列にはなっていないだろうと軽く考えていたのが甘かった:(。昨年と同じ行列待ちの場所へ着くなり「えっ!?」と立ち止まってしまった:

同じ時間帯なのに既に昨年よりも長い行列が…

もともと、この場所はツアー客用の大型バスの駐車場にもなっているので人は多い方ではあるから多少は覚悟していたが、今回は楠公レストハウスあたりまでビッシリと行列ができていた :O。昨年はこの半分位だったと記憶している。ただ昨年は陛下の生前退位なんかが話題になっただけあって、それだけ一般人の関心度が高くなったということだろうか:|。さらに言うと、今年は子供の割合が多かったという印象がある。それにしてもちょっと出鼻をくじかれた感じ:

楠公レストハウスあたりまで行列だった

行列に並んで待つこと2〜30分ほどで内堀通りへ向かって列が動き出した。内堀通りを渡るまでにまた20分位はかかった:

行列に並んで3〜40分ほどで内堀通りを渡ることに

内堀通りを渡ったら一旦は行列が自然と解消され、その途すがらで配っていた日の丸の旗を貰って手荷物検査場へ向かった:

参賀の要領を「DJ」する第一機動隊員

ゆっくりと検査場へ向かう

奥に見えるテントが手荷物検査場:

一旦、行列を解消して手荷物検査場へ

手荷物検査場では持ち込み不可の荷物を預ける場所もある。もちろん任意で預けることも可能だった。手荷物検査場前で再び列ができて、その列ごとに婦警さんを中心に、手荷物の検査を行うわけだが、今回はカメラを入れてきた小さいバッグの中身をかなりひっかけ回されてしまった:|。もちろんカメラは首にかけたまま。その後は身体検査。機械は使わず直接体を触るし、必要であれば両手を上げさせられる。

この後は検査終了次第で再び行列となるが、ロープが張ってあるのでいくつかのグループに分けさせられる。他の場所にあった行列も同じように、この皇居外苑中央辺りに集まってくる:

ここで幾つかのグループにまとまって待機する

自分が並んだグループは三番目のグループで、ここでも約20分ほど待機する。こちらは東京丸の内の「摩天楼」の景色。この日は晴天の予報だったけど、この時間帯は雲が厚かった:

丸の内の摩天楼

隣のグループが移動を始めた。向こう側のグループと統合されているのがわかる:

この先で他のグループと統合される

待っている間、隣がいなくなったので「メガネ橋」こと二重橋の正門鉄橋がよく見えた:

鉄橋(手前)と木橋(奥)の二つを合わせて二重橋と呼ぶ

既に先頭グループは正門鉄橋の上に移動していた。その上に見える黒い橋は正門木橋。しかし伏見二重櫓はいつ見ても美しい8)

二重橋ごしに見た伏見櫓

と言っている間に自分が並んだグループが移動し始めた:

この先で一旦は二列になり他のグループとまとめられる

皇居正門(江戸城の西の丸正門)が開いて、鉄橋の上で待機していた先頭グループが移動し始めた:

開いた皇居正門から吹上御所へ向かう先頭グループ

自分が並んだ行列の隣には優先入場者の列があった。昨年同様に、この連中は何者なのかは不明。なんだか普通のツアー客ぽいが:

どうすれば優先入場できるのだろうか?

そんなことを考えつつ後ろを振り返ると、まだまだ大勢の参拝者が列をなしていた:$

まだまだたくさんの長い行列があった

当然ながら警備する警察官(機動隊員や私服警官)が多い中で、人間だけではなく犬や馬までも動員されていた。地面の臭いを嗅ぎ分ける鑑識の犬とは異なり、皇宮警察犬は空気中の臭いに対する訓練を受けているらしい:

皇宮警察犬

それから、ここでも10数分待ってから皇居正門へ向かって動き出した。前方脇には私服警官が監視していた:

皇居正門(西の丸正門)へ向かって動き出した

そして皇居正門をくぐって吹上御苑のある宮殿東庭(きゅうでん・とうてい)へ移動する:

皇居の正門をくぐったところ

こんな間近で伏見二重櫓と十四間多聞を拝むことができるのも、この日ならでは:

皇居で最も美しい建築物とされる伏見櫓

中門を過ぎて宮殿東庭に入ったところ。奥に見えるのが長和殿:

宮殿東庭

もう既に多くの参拝者が良いポジションを固めていた。ちなみに長和殿中央の茶色いところがテレビでもお馴染みのバルコニーである:

既に大勢の参拝者がバルコニーを中心に取り巻いていた

自分も昨年と同じくバルコニーに向かって左手の場所を確保して、天皇皇后両陛下と皇族の方々のお出ましを今か今かとまった。で、待つこと10分ほどでついにお出ましとなった。ちなみに、昨年は平成28(2016)年に三笠宮崇仁親王が亡くなり、喪に服している三笠宮妃の百合子さまなどは出席されなかった。こちらは、左から常陸宮家の面々(正仁親王妃華子さま、正仁親王殿下)、皇太子一家の面々(皇太子妃殿下雅子さま、皇太子殿下)、そして天皇陛下と皇后陛下:

常陸宮家の面々、皇太子一家の面々、そして天皇陛下と皇后陛下

さらに、昨今はよくニュースでも取り上げられていた眞子さまと佳子さまら秋篠宮一家もお出ましに。ここで一気に参拝者のボルテージが上がり、日の丸が振られ、背後ではバンザイの連呼が聞こえてきた。こちらは、左から皇太子一家の面々(皇太子妃殿下雅子さま、皇太子殿下)、天皇陛下と皇后陛下、そして秋篠宮一家の面々(文仁親王殿下、文仁親王妃紀子さま、眞子内親王さま、佳子内親王さま):

皇太子一家の面々、天皇陛下と皇后陛下、そして秋篠宮一家の面々

そして今生(きんじょう)天皇から御言葉を頂く:

穏やかな新春を迎えました。皆さんと共に新しい年を祝うことを誠に喜ばしく思います。本年が国民一人ひとりにとり,安らかで良い年となるよう願っています。年頭に当たり,我が国と世界の人々の平安を祈ります。

その間、背後から「写真撮るな〜。ちゃんと聞け〜。」なんて怒号が飛んでいたっけ :/。というか、お前に指図される覚えはないけどな:X。それはともかく、陛下の生前退位が現実味を帯びてきた昨今、皇族の方々にとっても色々大変な時代になってきたと思う:

皇皇后両陛下と皇族の方々

これで第一回目のお出ましは終了となった。陛下はこれ以降四回もお出ましがあったとかで全くありがたいことである:

手を振って応じてくれた天皇皇后両陛下と皇族の方々

しかし昨年もぼやいたけど、やっぱり平安の世に「万歳」は無いな。まったく無礼千万なやっぱらだ:/

そして、この後は「民族大移動」的な感じで、宮内庁庁舎脇を抜けて退出門へ移動した:

宮内庁庁舎

ちなみに昨年は内桜田門(桔梗門)から出たが、今回は乾通りを北上して乾門から退出した。昨年の平成28(2016)年から一般に公開されるようになった富士見多聞や道灌濠などを写真に収めることができた。

それから江戸城攻め第四弾として東御苑の東側にある竹橋門跡や一ツ橋門跡、雉子橋門跡などを見て、大手濠沿いを歩き、近くにある平将門公の首塚(神田明神)にて初詣を済まして、再び内堀通りへ戻ってきた。こちらには昨年同様に警視庁交通機動隊所属の騎馬隊を見ることができた:

警視庁騎馬隊

警視庁騎馬隊所属の楓雅(ふうが)

最後に大手濠で見かけた白鷺。まさに、この年の干支に出会えて新年早々に良い気分になった:

ちゃんとポーズをとってくれた白鷺

その他の写真や大きい写真はこちらから:
See Also 新年一般参賀2017    (フォト集)

船橋あんぱん − Sweet Azduki-Bean Roll of Funabashi Specialized.

昨年は平成27(2015)年の早春に千葉県佐倉市にある城攻めに行ってきた。自身初の千葉県の城攻めということで事前にいろいろと調べてみると意外にも城址が多いことにびっくりした。改めて、これを期に全然「近場」である千葉県の城をどんどん攻めていこうと思ったり:)

で、記念すべき一回目は贅沢にも砦レベルを含めて、臼井城址臼井田宿内砦謙信一夜城、そして佐倉城といった4つの城址を見て回ってきた。なにやら後で知ったのだけれど、佐倉市内にはこの当時で確認されているだけでも58ヶ所も城址が存在しており[a]平成27(2015)年現在。佐倉市役所発行の「お城のあるまち佐倉」のパンフレットより。、一つの駅でまとめて攻めることができるとても便利な環境だった:D

この日はJR船橋駅から連絡通路を通って京成船橋駅へ向かい、そこから京成津田沼駅を経由して京成本線の京成臼井駅と京成佐倉駅でそれぞれ城攻めしてきた。もちろん、帰りも京成船橋駅とJR船橋駅を利用したので、この二つの駅の間にある船橋FACEなるビルの中を行き来していて目に写ったのがHearthBrownというパン屋に張ってあった「船橋あんぱん[b]さらに一日限定300個というキャッチフレーズも。」の幟。いかにもB級グルメっぽいネーミングなので記念に1個(150円)購入してみた。

これが専用のケースに入れられた船橋あんぱん。上面に「船」の文字が焼き印されていた:

船橋あんぱん(150円)

これを縦に切ってみたのがこちら:

クリーム+餡=船橋あんぱん

味はというと、やっぱりクリームが勝ているというか、こし餡だったのであまり餡パンのインパクトは感じられなかった。ここは、やっぱり粒餡でしょ=)。パン生地も薄いのであまり食べごたえがなかったもの残念。

HearthBrown
千葉県船橋市本町1-3-1


ここからはオマケ。

佐倉市は江戸時代に栄えた城下町の一つであり、佐倉城址公園へ向かって街中を歩いているとこんな茅葺きの家を見ることができた:

佐倉城址公園近くで見たいい雰囲気の民家

ここ佐倉藩は江戸時代には老中や大老などの要職についた偉人を多く輩出している藩の一つであるが、明治の世になり帝国陸軍の佐倉連隊が駐屯するようになると、佐倉城内の建築物はもちろん、堀や土塁などが多く改変されてしまい往時の遺構はほとんど残っていないと云う悲しい歴史を持つ。一応、昭和の世になると発掘調査が行われ復元整備が進んだおかげて、なんとか「城址」というレベルを維持できてはいるが :X

ただ城マニアとしては残念なことに、この城址公園には佐倉連隊が駐屯していた頃の「無用な爪痕」がしっかりとのこっていることだった。

例えば衛兵所跡だとか:

ここに衛兵が立ち、連隊を出入りする者を監視した

高所から飛び降り訓練に使用したコンクリート製の階段だとか:

訓練用の12階段

はたまた兵営の便所跡とか…:

佐倉連隊の便所跡

…城址とは全く関係の無い遺構(?)がいろいろ残っているし、他にも県指定天然記念物でもある「佐倉城の夫婦モッコク」の幹に佐倉連隊の兵士が落書きしたとか弾薬庫の跡とか:

弾薬庫の跡

姥ヶ池西側坂道を登った奥の窪地にある

さらに何の建物かわからないものが残っていたり:

何の小屋か不明

また、先ほどの衛兵所跡には古園(ふるぞの)石仏大日如来像[c]実物は大分県臼杵市深田にあるのだとか。のレプリカなるものが置かれていたり…:

古園石仏大日如来像(レプリカ)

…と云った感じで、佐倉城はなんで百名城なのか不思議に思えてきた。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also臼井城攻め (フォト集)
See Also臼井田宿内砦攻め (フォト集)
See Also謙信一夜城攻め (フォト集)
See Also佐倉城攻め (フォト集)

参照   [ + ]

a. 平成27(2015)年現在。佐倉市役所発行の「お城のあるまち佐倉」のパンフレットより。
b. さらに一日限定300個というキャッチフレーズも。
c. 実物は大分県臼杵市深田にあるのだとか。

お食事処みすゞ − Roomen of Shinsyu INA City.

2016年の師走、今年最後の城攻め最終日は長野県伊那市高遠にある高遠城址や仁科盛信公の墓所がある五郎山、そして武田勝頼公の生母や名君・保科正之公の養父らの墓所などを巡ってきた。

前日は長野県松本市に宿泊していたので、高遠まではざっと3:00ほど。この日は平日なので早朝の通勤ラッシュを避ける時間帯で移動してみた。で、JR松本からJR辰野経由でJR伊那市に着いたのが8:30am。そこでは通勤ラッシュというよりは通学ラッシュに遭遇してしまったけど。学生は朝から元気だねぇ:D。そして駅前からバスで高遠駅へ向かう前に、近くにある伊那バスターミナルで帰りの高速バス(伊那市〜新宿南口)を予約して、高遠城址の最寄り駅であるJRバスの高遠駅に着いたのは9:30amくらい。まずは、そこから徒歩5分程の所にある建福寺に立ち寄った。このお寺は勝頼公の生母である諏訪御料人(実名は不詳)の墓所ある他、信州保科家の菩提寺でもあり保科正光・正直父子の墓所もあった。

それから高遠城址公園に着いたのは10:00amくらい。そして正午前には城攻めを終えていた。ここの公園は桜の名所として有名らしくシーズンは大変な人混みになるらしいが、この日は平日のそれも月曜日ということで、前日の賑わいの清掃などをする業者の人達以外は殆ど誰も居なかった。おかげでゆっくりと見て回れたけど、観光向けの店なんかは一切開いていなかった:o。この後はまたまた歩きで、五郎山と云う高遠城で壮絶な自刃をした信玄公の五男・仁科盛信公の墓所がある標高800m(比高200mほど)の山に登ってきた。下山した後は再びJR高遠駅まで移動したおかげお腹がペコペコ。一応は城址でおにぎり二個食べたのだけれど、全く足りなかったようで :$。伊那市まで戻るバスまで未だ時間があったので、お店を探してみたけれどランチ時間はとっくに過ぎており、観光客向けの店も開いていなかったのだけれど朝訪れた建福寺の目の前にある一軒のお店が気になって行ってみたら、運良く開いていた[a]というより、閉める直前だったようだ。お食事処みすゞというお店で食事することにした:

建福寺の目の前にあった「お食事処みすゞ」

そして自分以外は誰も居ないお店で伊那谷三大名物[b]残りは、高遠そば、ソースカツ丼。の一つであるローメンを注文してみた:

ローメン(700円)

これで700円なんてボッタクリだなぁと思いつつ、腹が減ってはどうにもならんと云うことで、しっかり完食してきた。後半は濃い目のソース味に飽きがくるので、お酢と七味をかけて食べた。ちなみに「ローメン」と云う名前は炒め麺(チャーメン)に肉(ロー)が入っていることから来ているらしい。単なるソース焼きそばにしか見えないが:X。このお店のローメンは未肉(マトン)の代わりに豚肉(ポーク)を使っているので「焼きそば風ローメン」として売りにしているらしい。まぁ店が開いていて運が良かったのか悪かったのかわからないけど、とりあえずヘトヘトになった体力が幾分かマシになった。

お食事処みすゞ
長野県伊那市高遠町西高遠1701


ここからはオマケ。

こちらは建福寺の本堂の鬼瓦。保科家の菩提寺ということでその家紋である並九曜がついていた:

建福寺の本堂の鬼瓦は保科家の並九曜

そして境内から中央アルプス(木曽駒ヶ岳)の眺め:

中央アルプス(木曽駒ヶ岳)

こちらは高遠城大手門跡から、同じく中央アルプス方面の眺め:

中央アルプス(木曽駒ヶ岳)

高遠城は天然の地形を巧みに利用し三峰川(みぶかわ)を外堀としていた平山城であるが、この高遠湖は後世に造られた高遠ダムによって生まれた人口湖らしいが、カヌーやボートも楽しめるレジャー施設もあるようだ:

高遠湖と、湖畔に建つのは高遠さくらホテル

これが、その高遠ダム:

高遠ダム

そして高遠ダムから流れる三峰川(みぶかわ)に架かる橋:

三峰川に架かる橋

三峰川に架かる橋

この橋を渡って五郎山へ向かった。これは、高遠湖ごしに眺めた南アルプス方面。こちらも綺麗だった:

高遠湖と南アルプス

そして秋葉街道(国道R152)を渡った先が五郎山(ごろうさん)。で、この街道は白山トンネルで五郎山を貫通しているのだけれど、トンネル脇は奇妙な伝説を持つ巨岩があった:

白山トンネル勝間側入口お左脇にある巨石

「お膳岩」

その説明板によると

この巨大な岩石は、お膳岩また、大岩・膳腕石とも呼び、古い言い伝えが残っている。昔、勝間地区の農家で結婚式とか葬式など、人寄りの行事があった時に使う膳碗を、その前夜にこの石の前へ来てお願いしておけば、翌朝必ずその数だけの膳腕を用意してくれたものだと云われている。ところが、心無い人がいて一つや二つ返さなくてもわからないだろうと、横着を決め込んでしまった。そうしたことに味を占め、二人三人と真似をして横着をしたため、お膳岩はとうとう腹をたて、その後はいくら頼んでも貸してくれなかったと云うことである。

それから五郎山(ごろうさん)へ。比高200mほど山道を30分ほどあれば頂上部へ到達できる。当時は歩きやすい道になっていた。この山道には4つの祠が建てられており、それぞれ一郎山、二郎山、三郎山、四郎山として、高遠城で犠牲になった武田方の諸士や重臣らが祀られていた。頂上部には高遠城主・仁科五郎盛信公の祠と銅像がある:

五郎山の案内板

最後は高遠城址公園、南アルプス、五郎山を含むパノラマ:

三峰川を境に伊那市高遠の眺望

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also諏訪御料人と保科正光・正直の墓所 (フォト集)
See Also高遠城攻め (フォト集)
See Also仁科五郎盛信と高遠城攻城戦の戦没者の墓所 (フォト集)

参照   [ + ]

a. というより、閉める直前だったようだ。
b. 残りは、高遠そば、ソースカツ丼。