大黒家天麩羅 − The first Asakusa visit in 2019.

今年は平成31(2019)年の正月三ヶ日は、二日目に一年ぶりの新年一般参賀に行って来て「平成最後」となる新春の御言葉を皇居にて拝聴し、今年初の城攻めに行って来た。

そして三日目は浅草寺に詣でて天丼を食べる予定だったのだけれど、二日目の夜にお腹を壊してしまったので正月が終わった最初の週末に行って来た。三ヶ日を外したので天丼食べるのに行列しなくてもいいかなぁと予想していたが、結局は行列するはめに:O。まぁ浅草はいつ行っても正月並の賑いであることを改めて認識させられたって感じ :D
ただ一つ残念なことは浅草寺で引いた御籤が「凶」だったこと:$。今年は注意を怠らずに気持ちの上でも引き締めて生活する必要があるようだ[a]実は、その翌週に古御札を返納するため再び浅草寺を訪問し、改めて引いたら「大吉」だった :-)。やっぱり予定通り三日目に参拝できなかったのが効いていたのだろうかと勘ぐったり。

浅草寺本堂で参拝し家内安全の新札を購入して御籤を引いた後は、かなり引きづるものがあったので、例年は目の前をとおるだけの浅草神社にも詣でてきた。それから「奥山おまいりまち通り」から「公園通り」、そして「伝法院通り」を通って大黒家天麩羅へ。店の前には既に行列ができていたが、昨年ほどでもなく気温も比較的緩かったのでそのまま並んだ:

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開店前の大黒家天麩羅(本店)

朝11:00に開店すると「第一陣」でそのまま入店できた[b]たいてい家族連れは2Fのお座敷を希望する。一人だと目の前のテーブル席に優先して案内してもらえる。有り難い。

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1Fのテーブル席にて

オーダーは毎年同じ。先にビールと「らくきょう」をつまんで、天丼が出てくるまでしばし待つ:

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小さなビール(380円)

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らくきょう(330円)

そしてお待ちかねの天丼(えび2、かき揚げ1、ししとう1)の登場。今回は「らくきょう」を2個食べたところで出てきたので揚げたてではなかったようだが :|

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天丼(えび2本、かき揚げ1本)(1750円)

いつもの味で変わらぬ美味しさ :D

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ごま油の風味と衣の色が特徴

大エビの天麩羅もよいけど、実は小エビが沢山入ったかき揚げが旨い。ということで15分ほどで完食。ごちそうさまでした:

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ぷりっとした小エビ入りのかき揚げ

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甘辛いタレも独特

大黒家天麩羅本館
東京都台東区浅草1-38-10


ここからはオマケ。浅草寺散策は毎年恒例なので、正直なところあまり変わり映えが無いけど :X

まずは浅草公会堂前に建っていた「浅草周辺地図」(下が北方面)。意外と通りの名前は知らなかったりする:

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「浅草周辺地図」(拡大版)

銀座線浅草駅から地上へ出て、江戸通りの吾妻橋交差点前から眺めた東京スカイツリーとアサヒビールタワー、そして首都高6号線向島線。ホント、毎年同じアングルの写真を撮っているなぁ:

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晴天の中、お馴染みの風景(拡大版)

ここから雷門通りを西へ進めば雷門。風雷神門とも:

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門の左に風神、右に雷神が祀られている

仲見世から境内へ入るのではなく側道から。土曜日の朝9時はこんな感じ:

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朝9時の仲見世の側道

この先には沢山の露店が出ていたが、その中を掻い潜って宝蔵門へ:

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宝蔵門(仁王門)

まずは手水鉢で手を清めて本堂へ向かう:

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本堂(拡大版)

朝9:30でも、こんな混み具合。特に大陸系のツアー客が目についた:

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朝9時半の境内の様子

このあと御札を購入し「運命」の御籤を引いた後、最初は落ち込んで ;(、内容を深く読みもせずに御籤を木に縛って厄払いし、やや放心状態で浅草神社へ:

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浅草神社

いつもは甘酒(350円)を購入して素通りだったけど、今年は甘酒を飲まずにそのまま参拝の列に並んだ。

こちらは神楽殿前で披露されていた正月にはお馴染みの猿回し:

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日光さる軍団・太郎次郎の一門

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四代目チビ次郎(拡大版)

そして三社祭の神輿を見てから、浅草神社の奥にある被官稲荷社にも行って来た。気持ち的にとにかく厄払いしたかった:

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浅草三社祭りの神輿(三之宮、一之宮、二之宮)

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江戸の火消し一番組の新門辰五郎で有名な被官稲荷

少し気持ちが落ち着いたので、天丼屋が開店するまで時間をつぶすことに。まず本堂の北を通って、はとバスが止まる駐車場越しに花やしきで一番のアトラクションであるスペースショットを遠目で眺めてきた:

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地上60mの絶叫マシンらしい(拡大版)

それから影向堂・薬師堂を経由して伝法院通り方面へ移動。これは、その途中に見かけた木馬亭:

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浪曲寄席の木馬亭

伝法院通りとオレンジ通りの交差点に建つ浅草公会堂。当時は「新春浅草歌舞伎」が開催されていた:

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浅草公会堂

オレンジ通り商店街のマスコット「オレンテくん」。天下取りのますかけ線が自慢なのだとか:

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オレンジ通り

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オレンテくん

天丼を頂いたあとは正月お土産の人形焼を購入するために仲見世にある木村家本店へ:

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朝10時過ぎの仲見世

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人形焼の作成中@木村家人形焼本舗

さすがに、この時間帯となると人が多くなってきた:

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土曜日朝10時半の仲見世

お腹も満足し、お土産も購入したので、このあとは同じ台東区内にあった柳河藩立花家の江戸屋敷跡を巡ってきた。

その際にかっぱ橋道具街を初めて縦断した。こちらは西欧の人たち(ドイツ人)を多く見かけた:

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かっぱ橋道具街

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かっぱ橋道具街

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also浅草寺参拝と散策 (フォト集)

参照   [ + ]

a. 実は、その翌週に古御札を返納するため再び浅草寺を訪問し、改めて引いたら「大吉」だった :-)
b. たいてい家族連れは2Fのお座敷を希望する。一人だと目の前のテーブル席に優先して案内してもらえる。有り難い。

新年一般参賀 2019 − The General Public to the Palace for the New Year Greeting in 2019.

平成31(2019)年4月30日に御退位が決まっている天皇陛下の最後の新年のお言葉を直接拝聴するため、一年ぶりに正月2日の皇居で開催される「新年一般参賀」に行って来た。あとでニュースを見たら平成の時代では最多となる15万人を超える参拝者があったそうで、従来まで5回のお出ましが陛下の心遣いにより7回に増やされたのだとか。まことに有り難いことである 0:)

今回は一応は例年よりも混むことを予想して、前々回前回よりも一時間ほど早めに皇居へ到着するように予定を組んだのだけれど、最終的に宮殿東庭で両陛下と対面した位置は前回よりもうしろだったような気がする :|。まぁ、それでもちゃんと「生」のお言葉を頂けたし、ズームで写真にも収めることができたと言うことで、平成の時代の良い思い出になった 8)

ちなみに自宅を出たのは朝6時前で、東急目黒線で日比谷駅に着いたのが朝7時。改札を出てB6なる出口から地上へ上がると江戸城の馬場先門(ばばさきもん)跡には既に行列ができており、警備課の警察官からは通りを挟んだ反対側(写真では右手)で行列するよう促していた:

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早朝06:52の馬場先門跡の行列(拡大版)

例年までは楠公レストハウス側にできた行列に並んでいたが、この時間はまだ行列が存在していなかったので激混み状態の公衆トイレを横目に馬場先門跡の通りを渡り、内堀通り(都道R301)の二重橋前交差点右手の行列に並ぶことにした:

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早朝06:57の「二重橋前」交差点右手の行列

この行列にはなんだかんだ一時間ほど並んでいた。早朝ということもあり、かなり冷え込んでいたが使い捨てカイロ4個で防寒していたので、特に難儀することはなかった。

一方、最初に行列ができていた通りの反対側を眺めと早朝7時くらいでこんな感じ。ただこの行列は最初に見たよりも長くなっているように感じた:

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早朝07:03の通りを挟んで反対側の行列

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早朝06:58の通りを挟んで反対側の行列

通り脇の花壇に植えられた見事な松も、この日のために整備されていたようだ:

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「二重橋前」交差点の松

右翼の宣伝カーも徘徊していたが、流石に大音声ではなかった :D

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行列中に見かけた右翼宣伝カーは音声なし

行列して30分経った頃に通りの反対側の行列が動き出した。先頭の集団は例年みかける宗教団体:

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早朝07:32に「二重橋前」交差点左手の行列が動き出した

それに遅れること20分後に自分の行列も動き出し、「二重橋前」交差点を渡って反対側の行列の後ろに合流することに。ただし一気に渡れないので何回かに区切られて渡った:

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早朝07:49に自分の行列が動き出した(拡大版)

一方、最初に動き出した行列は内堀通りを渡って手荷物検査・身体検査場へ向かっていた:

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早朝07:51の検査場へ向かう行列(拡大版)

自分の行列も内堀通りを渡り西の丸跡へ。内堀通りは完全に通行止めであり、行列を監視し参拝時の注意事項をアナウンスするために「DJポリス」も出動していた:

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早朝07:53に自分の行列が内堀通りを渡る

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「二重橋前」交差点前で監視するDJポリス

内堀通りを渡って西の丸下跡へ入るとセキュリティ上のチェックポイントが二箇所あり、そこを通過して新たにできた行列に改めて並ぶことになる:

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一つ目は手荷物検査

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二つ目は身体検査

こちらがチェックポイントを抜けて新たに出来た行列で、それぞれ番号札が立てられているのは例年と同じ。ここで、皇居が開門するまでの一時間半ほど立ったまま待つことになる:

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早朝08:04にチェックポイント通過

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早朝08:05の最後の行列待ち

この場所には他に、例年自分が並ぶ桜田門側から移動してきた行列と坂下門側から移動してきた行列が集合する:

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桜田門側から移動してきた行列

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坂下門側から移動してきた行列

そして朝9時半に皇居が開門すると、順番に行列が移動を始めた:

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開門に合わせて朝09:47に大移動が始まる(拡大版)

しばらくして自分が並んでいた7番の行列も二重橋へ向かって移動を開始した。

移動しながら左手の桜田門側の行列を眺めたところ。その背後には公安調査庁・東京地検のビル(中左)と桜田門こと警視庁(中右)、総務省(中右奥)が見える:

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桜田門側の行列も番号札が立っていた(拡大版)

坂下門側は三つのグループのうち一番最後の移動になるため、依然として動きなし:

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坂下門側の行列も番号札で整列していた

二重橋(正門石橋)、通称めがね橋を渡って、皇居の正門にあたる西の丸正門へ向かう:

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朝09:50に行列が皇居の正門へ向かう

これは橋の上から二重橋(正門鉄橋)と伏見櫓を眺めたところ。原則に立ち止まって写真を撮ることは不可。ただし長い行列だから移動が静止することもあるので、そのようなタイミングで写真を撮れば注意はされない:

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正門石橋から正門鉄橋と伏見櫓を眺めたところ(拡大版)

西の丸正門をくぐり、コの字型に曲がって二重橋(正門鉄橋)を渡る。この先に宮殿がある:

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二重橋を渡って宮殿へ移動する

正門鉄橋上から右手の西の丸下方面を眺めたところ。まだまだ多くの参拝者が待機しているのが見えた:

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朝09:55の皇居外苑の様子(拡大版)

同じく正門鉄橋上から左手を見ると江戸城で最も美しい櫓である伏見櫓が見えた。三代将軍・家光の時代に京の伏見城から解体して移築したという話が伝わるが、一切の証拠となる文書は存在していない:

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青空を背景に美しい伏見櫓(拡大版)

そして行列に並んでから四時間近くたって、やっと宮殿東庭に足を踏み入れることができた:

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朝09:56の宮殿東庭

すでに数千人規模の参拝者が入っているはずで、遠目に見ると宮殿前はそれほど人が多いように見えないが・・・、天皇・皇后両陛下と皇族の方がお出ましになるバルコニーのような長和殿前は流石に多い:

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宮殿にある長和殿前には大勢の参拝者が

自分は長和殿前に向かって左側へ移動し、両陛下を斜めから拝見できる場所を見つけた。しかし昔の写真を振り返って見てみると、今までの参賀で一番うしろ側の位置だった :|

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背伸びしてやっと長和殿中央バルコニーが見える感じ

とにかく自分より前に背の高い人が居ない場所を見つけることがコツだけど、実際は皆、スマフォを頭の上に掲げてしまうのでそれだけでは正直なところ心もとない :/。今回も一眼を持ってきたので試しにライブビューモード[a]いわゆるファインダー越しではなく背面液晶越しに撮影できる片手モードのこと。で撮ってみたけど、腕を伸ばしてしまうと実際にちゃんと写っているかは運次第となる。失敗をフォローするように連射することも可能だが、今度はフォーカスを当てるのが難しい。

仕方がないので脇に人影は写ってしまう可能性は高いがファインダー越ごしに望遠で撮影することにした。

そして一回目のお出まし時間である朝10:10分近くになるとアナウンスが流れ、そろそろのお出ましとなると一段と緊張が。周囲はそわそわしたり、「見える」「見えない」なんて言っている人が大勢いた。

と、そんな瞬間に前方で「わぁ」と歓声が上がると日の丸の旗を振りはじめたり、スマフォを掲げたりし始めた:

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朝10:11、未だお出ましではないが日の丸が振られスマフォで待ち構える人が

ついに平成最後の一般参賀が始まった:

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天皇・皇后両陛下を中心に皇族の方々のお出まし(拡大版)

天皇・皇后両陛下に向かって左手は高円宮家(承子女王さま、憲仁親王妃久子さま)、常陸宮家(正仁親王妃華子さま、正仁親王殿下)と皇太子夫妻(皇太子妃殿下雅子さま、皇太子殿下)、右手は秋篠宮家(文仁親王殿下、文仁親王妃紀子さま、眞子内親王さま、佳子内親王さま)と三笠宮家(崇仁親王妃百合子さま、寛仁親王妃信子さま、彬子女王さま):

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高松宮家、常陸宮家、皇太子妃・皇太子

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秋篠宮家と三笠宮家

こちらが、この時に拝聴した天皇陛下のおことば:

“新年おめでとう。
晴れ渡った空の下,皆さんと共に新年を祝うことを誠にうれしく思います。
本年が少しでも多くの人にとり,良い年となるよう願っています。
年頭に当たり我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。”

手を振って参拝客にお応えくださる天皇・皇后両陛下と皇族の皆様方。参拝者の中からは「ありがとうございました。」といった感謝の言葉に加えて「お疲れ様でした。」という掛け声が一番多かった気がした:

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手を振って参拝者にお応え下さった天皇・皇后両陛下と皇族の皆様(拡大版)

両陛下と皇族の方々がバルコニーからお退がりになっても、前方では「バンザイ」が響いていた。

そして10分後には第一回目のお出ましが終了し、ここから参拝客の「大移動」が始まるわけだが、自分が居る位置は一番奥なのでまったく動く気配がない:

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朝10:20に第一回目のお出ましが終了

どうやら動きがないのは一回目に続いて二回目を良い場所で見ようとして退出せずに居座る参拝者がバルコニー前に居たためで、そのうち脇側から徐々に動き出した:

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退出する参拝者と居座る参拝者

退出門は例年同様の乾門と坂下門と桔梗門の他、今回から大手門を加えた四ヶ所で、宮内庁前から分岐していく感じ:

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宮内庁

こちらは坂下門へ向って退出していく参拝者:

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退出門の一つである坂下門

自分は、このあとに将門塚にて初詣をする予定だったので桔梗門から退出することに。

こちらはその途中に見上げた富士見櫓。平時は見ることが出来ない現存建築物を拝めるのも、この日の特典である:

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富士見櫓(拡大版)

桔梗門から退出する参拝者。この先には公衆トイレがあった:

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桔梗門から退出する参拝者

こちらは枡形門である桔梗門から退出し桔梗濠ごしに眺めた桜田二重櫓。さらに濠には警視庁第二機動隊員らがボートから警備[b]それとも談笑?していたのも例年通り:

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別名は巽櫓(拡大版)

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濠上で警戒中

こちらは濠ごしに眺めた西の丸下。まだまだ二回目以降のお出ましに行列をなす参拝者で一杯だった:

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晴れ渡った青空と西の丸下(拡大版)

このまま内堀通り沿いに大手門方面へ。一昨年までは退出門ではなかったが、今回はその一つになっていた大手門。そして濠の中で、この平成最後の一般参賀を警備していた皇宮警察所属[c]嘘です。の白鳥:

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濠上で警戒中

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退出門の一つである大手門(拡大版)

このあとは大手門前をとおって、毎年の恒例の将門塚にて初詣:

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将門塚

最後は、東京メトロ大手門駅へ向かう途中に見かけた大学箱根駅伝の幟。復路は、この翌日の1月3日だった:

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大学箱根駅伝の幟

その他の写真や大きい写真はこちらから:
See Also 新年一般参賀2019    (フォト集)

参照   [ + ]

a. いわゆるファインダー越しではなく背面液晶越しに撮影できる片手モードのこと。
b. それとも談笑?
c. 嘘です。

愛宕神社参拝 − Atago Shrine located at the top of Tokyo Natural Rises.

昨年は平成30(2018)年の暮れ近くに毎年恒例の人間ドックを受診してきたが、その帰り道に愛宕神社に参拝してきた。というのもTJKの西新橋保健センターを出て、最寄りの東京メトロ御成門駅へ向かおうかとした時に「愛宕神社」なる案内板が目に入ってきたからだけど。この時、当時週末に観ていた某大河ドラマ『せごどん』で紹介されていた「愛宕」って文字が頭に浮かんで、そのまま何も考えずに愛宕下通り(都道R301)に向かっていたような気がする。これは、もしかしたら何かのお告げだったのかもしれない =)

愛宕下通りを渡って参道へ。平日は月曜日の昼過ぎということもあり、それほど参拝者は多くなかったが、年末年始は大変な行列なんだろうなと勝手に想像してしまった:

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愛宕神社の入口(拡大版)

この先には石段が左右二つあり。向かって左手の大鳥居をくぐった勾配の急な石段が、いわゆる「出世の石段」とも呼ばれている男坂で、大鳥居の右手にある緩やかな石段が女坂である:

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愛宕神社の参道は大鳥居から始まる

この石段からもわかるように愛宕神社の境内は高台にあり、その実は東京都内の自然地形としては最高峰となる標高26.5mの愛宕山山頂になるのだそうだ。まぁ高層ビルが乱立するここ港区界隈だと、それほど目立つ高台ではないが、男坂の急な角度の石段を一気に登っていくとそれなりの高低差を実感できる 8)

これは86段の「出世の石段」を見上げたところ:

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「出世の石段」(男坂)

この名の由来は、今から380年以上前の寛永11(1634)年に三代将軍家光の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄(まがき・へいくろう・もりずみ)なる藩士が騎馬にて男坂を駆け上がり、お社に国家安寧の祈願をしてから境内に咲き誇る梅をを手折り、将軍に献上したことから、家光曰く「この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、誠にあっぱれである」と讃えられ、日ノ本一の馬術の名人として全国にその名をしらしめることとなったことに因むのだとか。

奥行きの小さい石段を一段一段登りきった先には一の鳥居が建っていた:

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一の鳥居

ここが標高27mほどの愛宕山山頂になる。そして振り返って男坂を見下ろしたのがこちら:

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一の鳥居から男坂を見下ろしたところ

社殿へ向かって進んで丹塗りの門をくぐる。毎年6月(水無月)に開かれる「ほうづき祭り」では茅の輪(ちのわ)が設置され、その状態で門をくぐると災いを避けることができると云う:

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丹塗りの門

丹塗りの門をくぐってすぐの左手には「招き石」が置かれていた。この石をなでると福が身につくと云う:

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招き石

このまま直進すると社殿である。主祭神は「火産霊命」(ほむすびのみこと)という火の神様:

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社殿

この愛宕神社は、征夷大将軍の徳川家康が慶長8(1603)年に江戸に幕府を開くにあたり防火・防災の守り神として創建された。そのご利益は:

火に関するもの、防火・防災
印刷・コンピュータ関係
商売繁昌
恋愛、結婚、縁結び

こちらは社殿内部と屋根の棟にあしらわれていた葵御紋:

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社殿内部(拡大版)

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社殿の棟

社殿の脇には末社(まっしゃ)が建っていた。左から猿田彦神(天狗様)を祭神とする太郎坊社、宇迦御魂神を祭神とする福寿稲荷社、大國主命、事代主命を祭神とする恵比寿大黒天社:

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太郎坊社

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福寿稲荷社

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大黒天社

井伊直弼を桜田門外で暗殺した水戸・薩摩の脱藩浪士らは、ここ愛宕神社に集合し神前にて祈念を行い、ここから桜田門へ出向いて目的を決行したのだとかで石碑が建っていた:

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桜田烈士愛宕山遺蹟碑

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桜田烈士愛宕山遺蹟碑

さらに「出世の石段」で一躍有名になった曲垣平九郎が将軍家光に献上したとされる梅の木が残っていた:

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将軍梅

また、愛宕山は桜と見晴らしの良い名所として江戸の庶民にも愛され、多くの浮世絵にもその姿を残している他、明治元(1868)年には勝海舟が西郷隆盛を誘い、ここから江戸市中を見回しながら会談を行い、江戸城の無血開城へと導いた場所としても有名で、なんと二人の顔ハメも置かれていた[a]ちょうど某大河ドラマで西郷隆盛をとりあげていたこともあってタイムリーな感じ 😀 。

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西郷吉之助と勝安房守の顔ハメ

せっかくなんで社務所で御籤を引いたら大吉だった :)

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愛宕神社の御神籤

愛宕神社
東京都港区愛宕一丁目五番三号


ここからはオマケ。

愛宕神社を参拝したあと、お隣のNHK放送博物館前を通って再び愛宕下通りに入り、御成門駅を目指したのだけれど、曇り空ながらそびえ立つ東京タワーが気になって、遠回りになってしまうけど上ってきた。自分の記憶としては幼稚園の時に一度だけ上がったきりだったので、年甲斐もなくちょっとワクワクしてしまった ;)

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東京タワー

てっきり外国(大陸)からの観光客で一杯だと思ったら、日本人も多くいたのは意外だった。当時はメインデッキ[b]地上150mの展望台。が工事中だったので片方面しか展望できなかったっけ。

あと入場料金が想像していたより高かった。へぇ〜、最上階にあたるトップデッキ[c]地上150+250mの展望台。へは大人2,800円、メインデッキ止まりだと900円もするのね(当時)。これでエレベーター行列になっていたらメインデッキまで行ってみるかと思うのはキツイかな、正直なところ :O。この日は平日ともあって行列にはなっていなかったので、メインデッキまで上がって展望することにした:

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Tokyo Tower

こちらは東京タワーの東側にある東京プリンスホテル方面を見下ろしたところ:

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東京ワタ−の真下(拡大版)

こちらは東京タワーから北方面の眺望。一際目立つ高層ビルは愛宕グリーンヒルズMORIタワーと、ここへ来るときに下から見上げたもの。霞んでいるものの東京スカイツリーがMORIタワーの右奥に見えた:

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靄の中にスカイツリーが(拡大版)

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愛宕グリーンヒルズMORIタワー(42F)

こちらは先ほど参拝してきた愛宕神社方面。標高27mの愛宕山が高層ビルの中に埋もれていた :|

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愛宕神社方面(拡大版)

こちらは増上寺と汐留・東京湾方面。こちらも微かにベイブリッジが見えた:

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増上寺(拡大版)

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汐留・東京湾方面(拡大版)

最後は東京タワーとコラボしていた漫画ワンピースの置物[d]個人的に全く興味がない 😥  が、珍しかったので。

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「東京ワンピースタワー」

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これ何?

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also愛宕神社参拝 (フォト集)

参照   [ + ]

a. ちょうど某大河ドラマで西郷隆盛をとりあげていたこともあってタイムリーな感じ 😀 。
b. 地上150mの展望台。
c. 地上150+250mの展望台。
d. 個人的に全く興味がない 😥  が、珍しかったので。

ミライザカ − A “Glove” Fried Chicken with Bone by the One Person Flat Feel Free.

昨年は平成30(2018)年最後の城攻めとして年末近くの連休を利用して群馬県へ。この時点で、一応は目標としていた群馬県にある城跡は残り二箇所だったので、それらを攻めて「群馬県の城攻め」を完了させたかったので良い機会となった :)。今回訪問した群馬県は前回ボロクソに貶した前橋といった中途半端な街ではなく、自身初めての渋川市と、雪が心配だった吾妻郡高山郷。個人的に吾妻郡は群馬県というよりは「長野県」じゃないかといった感覚で、全くよい印象がない群馬県の街中とでは別格扱いである[a]実際、往時は堅牢な山城が多く築かれ、現在でも見応えのある城跡が多いという意味で。 :D

で初日は渋川市にある白井(しろい)城跡。早朝に自宅を出て大宮までは東海道を利用し、そこからJR上越新幹線で高崎まで移動。そして新前橋経由でJR上越線・水上行に乗って渋川に着いたのが朝10時。この日の群馬の天気予報は前日までコロコロと変わり、自宅を出る直前は晴のち曇りでということで全く心配していなかったのだが、いざ着いてみると完全な曇り空。というか今にも雨か雪が降ってきそうな空模様だった :/

事前に調べたところによれば、徒歩で駅から白井城跡へ向かうと40分近くかかるということだったので、駅構内にある観光案内所に立ち寄って情報を入手することに。すると城近くの「白井宿」(しろいしゅく)なるかっての宿場町近くを通るバス[b]正確には「渋川駅〜渋川医療センター線」という乗合バスで料金は一律100円。平日と土日祝の運行時刻表を観光案内所で入手できる。が運行しているとのことで、それを利用することにした。なんやかんや観光案内所の人と立話しているうちに危うくバスを一本逃すところであったが駅西口のバスターミナルから無事に乗車することができた。しかしバスに乗っていると雨がポツリポツリと降り出してきた :$

このバスに乗って鯉沢(こいざわ)バイパスこと国道R17を北上し、吾妻川に架かる吾妻新橋を渡った先の「白井」なるバス停まで10分ほど。そして、このバス停から白井城跡の登城口までは白井宿跡を経由して徒歩で15分という感じ。帰りは吾妻新橋から吾妻川ごしに白井城跡の遠景を眺めたかったので、バスは利用せず、その分たっぷり4時間近く城攻めしてきた。途中、雨の降りが強くなることはあったが、大木の下で昼飯と休憩がてら雨宿りすることで、それほど難儀することはなかった[c]どちらかと云うと気温が低くて、歩きまわっていても体が冷えてしまうことの方が難儀した。帰りにおしるこを食べてなんとか持ち直したが。

城攻めを終えて渋川から本日の宿がある高崎へ移動しチェックイン[d]実はこの日一番の難儀はチェックインだった。ホテルの会員カードを忘れた(あとで調べたら紛失していた 😥 )のでカウンター前で右往左往してしまったが電子会員で対応できるとのことで、携帯にアプリをインストールして何とか会員価格を適用することができた 😎 してから、ホテルから徒歩5分ほどの居酒屋ミライザカ・高崎西口駅前店で夕食を。クリスマスシーズンともあって、せっかくなら焼き鳥や唐揚げと行った鶏料理を食べたかったと云う次第:

旨唐揚げと居酒メシ・ミライザカ

旨唐揚げと居酒メシ・ミライザカ

開店してすぐに入ったようで人の入りはまばら。テーブル席に通してもらい、まず中生(323円)を注文してお通し(323円)をつまみながら、お店オススメの品を中心に選んでみることにした。

まずは「かんぱいのお供に」なるグループから選んだきゅうりの塩昆布ゆかり和え(431円)。これはさっぱりして美味しかった。もしかしたらこの日に食べた料理では店一番かも :X

塩昆布ゆかり和え(431円)

この店は野菜系があまり充実していなかった。トマト好きなので北海道チェリーモッツァレラのトマトカプレーゼ(431円)。「農園から採れたたての野菜」なるグループより。これは美味しくなかった;

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量も味も不満だった北海道チェリーモッツァレラのトマトカプレーゼ(431円)

ここらで焼き鳥を。「ハートを串刺し! 定番やきとり」から盛り合わせ5本を塩味で(863円)。出てきたものは、どこの居酒屋チェインでも出してきそうな貧祖な鶏肉だった:

やきとり盛合せ 5本(863円)

ここいらでビールのおかわりを注文したついでに、お店一番のオススメである清流若どり[e]店のHPによると、産地・生産者・飼育法を明確にした若鶏とのことだが、店のどこにもそんな情報は開示されていなかったが。・骨付きモモ一本グローブ焼ガーリック味(1079円)。「でかうま!清流若鶏の唐揚げ」グループから:

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清流若どり骨付モモ一本 グローブ焼きガーリック(1079円)

出てくると店員が大きなハサミであらかた切れ目を入れてくれる。あとは箸でむしりとって食べると言った感じ。これはビールにぴったりだった:

お店一番のオススメ

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ガーリック味噌?的な味

う〜ん。期待するほど食べるところは多くなく、これで1,000円か!?って感じ :O

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期待したほど食べるところはなかった

ちょっと口直しで「海山の新鮮お刺身」から北海道産ホタテ刺し(647円)。表面が乾いていて、これは明らかに新鮮ではなかった ;(

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北海道産ホタテ刺し(647円)

ここらで明日の城攻めに配慮して梅酒ロックにスイッチ。一杯目は澄みわたる梅酒ロック(431円)を注文したがコップ一杯に入り水みたいで不味かったので、二杯目は山崎蒸留所貯蔵・焙煎樽仕込梅酒ロック(486円)を注文。やっとまともな梅酒ロックになった:

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焙煎樽仕込梅酒ロック(486円)

この時についでに注文したのが「カンパイのお供に」グループより清流よだれ鶏(539円)。ラー油がかかっているがそれほど辛くもなく、なんとなく味気なかった:

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清流よだれ鶏(539円)

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まったく辛くなく味気ない

腹も膨らんできたので玄米茶(0円)を注文し、「〆は別腹!」グループから焼きおにぎりにしようかお茶漬けにしようか迷った挙句、かしわ飯茶漬け(539円)にした:

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かしわ飯茶漬け(539円)

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飯がべちゃべちゃで旨くない

元々のかしわ飯がベチャベチャだったので出汁にいれると一層フニャフニャになった。味付けも薄味。正直なところ美味しくない。

ということで「安くて一人でもふらっと立ち寄れる気軽さ」が売りの居酒屋とのことだったけど大したことは無かった。群馬県の都市部に来る度に思うのだけど首都圏レベルの価格でも内容が伴っていないそんな店が多いので、吉田類の酒場放浪記みたいにもっと地元の常連がつきそうな店に行ってみたい。値段は群馬レベルだと思うが。

ミライザカ・高崎西口駅前店
群馬県高崎市八島町110-6 TO-MOREビル1F


ここからはオマケ。

こちらはSL蒸気機関車でも有名な渋川駅ホーム:

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渋川駅

渋川駅発の乗合バスで白井下宿(しろいげしゅく)という交差点手前[f]ダイナムというパチンコ屋の目の前だったと思う。にある白井バス停で下車し、小雨が降る中を国道R17沿いに北上して白井交差点までくると左手にコンビニが見えてくる。そこから西へ向かって歩いていくと白井宿なる宿場町跡が見えてくる:

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白井宿の南端にある灯籠(拡大版)

この白井宿の始まりは今から580年以上前の永享2(1430)年の白井城築城まで遡るのだそうで、吾妻川と利根川が合流する交通の要衝にあって城下町として栄えたあと、徳川家康が関東へ移封されてから江戸時代には白井藩が藩立し、幕府の直轄地(天領)になって市場町・宿場町として発展したと云う:

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白井宿跡の町並みと白井宿歴史資料館(拡大版)

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上野国・白井宿の標柱

実際のところ白井宿は沼田往還(街道)の宿場町では無かったが、城下町として独自の文化圏の中心であったことから人や物が集約するところだった:

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沼田街道西通りの白井宿

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現代の建物(白井山車備品蔵)

明治の世に入ると現代の国道R17に相当する清水越往還が開通し商業は現在の渋川へ移り、通りから外れた白井は農業主体の集落に変容したのだとか。

幕末から明治にかけて三度の大火により古い家並みは焼失し、現在は広い通りとその真ん中を流れる白井堰(しろいせき)、生活に潤いを与えた8つの「つるべ井戸」、そして路傍の石造物などが点在、往時の佇まいを今に残している:

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羅漢水の井戸(1795年)と白井堰

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宮本町の井戸(1929年)と白井堰

そして、こちらは白井宿跡の西側に築かれていた白井城の本丸跡:

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白井城本丸跡

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白井城本丸虎口跡(拡大版)

本丸虎口の石垣は名将・太田道灌が指導して築いたと云う伝承が残る:

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本丸虎口の石垣

この城は、室町時代中頃に白井長尾家の長尾景仲(ながお・かげなか)なる武将が築いたもの。『関東不双の知恵者』と称された景仲は山内上杉家の家宰職(重臣)を務めた上野・武蔵国の守護代で、孫には長尾景春[g]伊藤潤作の『叛鬼(はんき)』(講談社文庫)の主人公である。や太田道灌がいる。

ちなみに戦国時代は甲斐武田家の真田幸綱信綱父子も白井城に攻め込んだという記録が残る。

現在の城跡も広大な敷地の大部分が民間に払い下げられて畑になっていたが、空堀や虎口・土橋といった遺構は大切に保存されているようで、素晴らしい状態で見ることができた 8)

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本丸と二の丸との間の堀切(拡大版)

城の西側には吾妻川が流れている:

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本丸跡から見た吾妻川

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二の丸跡から眺めた吾妻川(拡大版)

白井城東側には帯郭と堀切が南側へ向かって伸びていた:

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帯郭跡

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帯郭と本丸との間の深い堀切(拡大版)

城の西側は断崖と吾妻川、東側は帯郭によって優れた防御力を持っていた白井城がよく分かる保存状態で大満足な城攻めだった :)

帰りは吾妻川に架かる吾妻新橋を渡って駅へ向かった:

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国道R17が走る吾妻新橋

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吾妻新橋

渋川駅方面に向かって左手は利根川、右手は吾妻川:

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吾妻新橋ごしに眺めた先の利根川(拡大版)

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吾妻川

吾妻新橋の上から白井城址(写真中央あたり)を眺めたところ:

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白井城跡遠景(拡大版)

最後は、小雨が降るなかを城攻めして冷えきった体を温めようと渋川駅の目の前にある和食レストラン・とんでんで食べた焼き餅と栗のぜんざい(454円)。栗は半分だし、餅は堅いし全く美味しくなかった[h]特に梅こぶ茶は飲めた物ではなかった 😐  :/

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この価格でこの不味さは罪にあたるな

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also上州白井城攻め (フォト集)
See Also上州中山城攻め (フォト集)

参照   [ + ]

a. 実際、往時は堅牢な山城が多く築かれ、現在でも見応えのある城跡が多いという意味で。
b. 正確には「渋川駅〜渋川医療センター線」という乗合バスで料金は一律100円。平日と土日祝の運行時刻表を観光案内所で入手できる。
c. どちらかと云うと気温が低くて、歩きまわっていても体が冷えてしまうことの方が難儀した。帰りにおしるこを食べてなんとか持ち直したが。
d. 実はこの日一番の難儀はチェックインだった。ホテルの会員カードを忘れた(あとで調べたら紛失していた 😥 )のでカウンター前で右往左往してしまったが電子会員で対応できるとのことで、携帯にアプリをインストールして何とか会員価格を適用することができた 😎
e. 店のHPによると、産地・生産者・飼育法を明確にした若鶏とのことだが、店のどこにもそんな情報は開示されていなかったが。
f. ダイナムというパチンコ屋の目の前だったと思う。
g. 伊藤潤作の『叛鬼(はんき)』(講談社文庫)の主人公である。
h. 特に梅こぶ茶は飲めた物ではなかった 😐

そば処 ちくま − This is a Japanese Fast Food.

先月は平成30(2018)年晩秋の三連休を利用して信州上田へ城攻めしてきたが、その最終日は、まずは宿泊先をチェックアウトする前の小一時間を利用して上田城跡公園へ。ここ上田城跡は、前回は4年前に訪れた際に既に攻略済みではあるが、当時見落としていた二の丸跡や南北櫓で展示されている史料(有料)などを改めて観てきた。オマケに、いつも大勢の観光客がいて上手く撮れなかった東虎口櫓門も、早朝はほとんど人が居なかったので良い感じで全景を写真に収めることができた :)。それから公園の目の前にある上田市観光会館売店2Fに展示されていた某大河ドラマの衣装や小道具など、真田幸村公にゆかりのものなんかも拝見してきた。

そして宿泊先をチェックアウトした後は、上田駅から上田電鉄に乗って上田原駅へ。そこから徒歩で、かの武田晴信[a]『甲斐の虎』武田信玄の若い頃。が猛将・村上義清の軍勢と激突して、生涯で数少ない敗け戦の一つとなった[b]おまけに板垣信方と甘利虎泰と云う重臣の二本柱を失う。上田原古戦場を巡ってきた。古戦場とは云っても、現在は石碑が建っているだけだけど、板垣駿河守や村上方の勇将らの墓所にも足を運んだ。

一泊二日の信州上田旅行を終えて帰宅するために上田駅へ戻り、お土産を購入した後、すぐに新幹線に乗るつもりだったけど、お昼を食べていないことに気づいて、駅構内にある蕎麦屋へ。てっきり立ち食いかと思ったら、椅子があるカウンターのお店だった。ということで乗車時間も迫っていた[c]三連休の最終日で混雑必至であろうと、なるべく早めに帰るつもりだった。こともあり、何も考えないまま自販機で一番左上にある食券を選択した。

こちらが「(特上)かき揚げ・山菜・玉子そば」(580円)。要するに「全部のせ」。玉子は温泉卵だったけど、残念ながら割れて黄身が出ていた…:|

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(特上)かき揚げ・山菜・玉子そば(580円)

山菜とかき揚げの食感がよく、汁は塩っぱすぎず、蕎麦は暖かくても伸びておらず、総合的に美味しく頂けた。流石に信州、ファストフードレベルの蕎麦も美味しい。

そば処 ちくま
長野県上田市天神1丁目


ここからはオマケ。

まず改めてコメントするほどのものではないけど、マンホールの蓋にあしらわれた六連銭。そして城下町ならでの町名:

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マンホールの蓋に六連銭

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大手門近くにあった標識

上田城の二の丸堀跡には、その昔は上田交通・真田傍陽線が敷かれていた。現在は欅並木道となっている:

上田城の二の丸橋と二の丸堀跡(拡大版)

こちらが上田城の東虎口櫓門。人が誰も居ない状態で全景を写真に収めることができた。向かって左手が南櫓、中が櫓門、右手が北櫓。櫓門は復元:

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東虎口櫓門(拡大版)

さすがに、この季節の紅葉は趣がある:

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城と紅葉(拡大版)

そして、ご存知「真田石」。但し、石垣そのものは仙石氏時代のもの:

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真田石

廃城後は遊郭に転用されていた北と南の櫓が昭和24(1949)年に復元された。現在は貴重な史料が展示された有料の博物館になっていた:

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北櫓

これは南櫓内に展示されていた甲冑のレプリカ。モデルは真田幸村所用と伝わる当世鉄二枚胴具足:

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鉄二枚胴具足のレプリカ

次は、北櫓内に展示されていた真田幸村公像。大坂夏の陣の際に装備した鹿角兜姿で、これも4年前に巡ってきた大坂夏の陣・真田幸村公ゆかりの地でも見た、三光神社(大阪市天王寺区)に建てられている銅像のミニチュア版らしい:

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真田幸村公像

こちらは上田市観光会館1Fにあった若き日の幸村(信繁)騎馬像で、これと同じものが上田駅のお城口にもある

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真田幸村公像

また、この観光会館の2Fは観光案内所になっていて、二年前(当時)の大河ドラマ「真田丸」の衣装や小道具が展示されていた。

これは真田氏三代のレプリカ甲冑:

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真田氏中興の祖である幸綱(幸隆)、信濃真田家を継いだ三男・昌幸、孫の幸村まで

そしてドラマで使われた品々。中央は赤備甲冑、左手は十文字槍、右手は陣羽織:

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ドラマ「真田丸」で使用された小道具

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十文字槍

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赤備甲冑

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陣羽織

あとドラマに出演した俳優陣のサイン色紙なんかも展示されていた。

この他には、やはり「上田」と云えば、このアニメも忘れることはできない :D

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上田が舞台の「サマーウォーズ」

こちらは午後に利用した上田電鉄の改札口近くに置いてあった「本日のラッピング電車運行予定」。今回は上田原駅まで1000系まるまどりーむ号、帰りは6000系さなだどりーむ号に乗車できた:

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上田電鉄のラッピング電車案内

こちらが6000系さなだどりーむ号:

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6000系さなだどりーむ号@上田原駅

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6000系さなだどりーむ号@上田駅

2000系まるまどりーむ号の車両横に付いていた上田電鉄のロゴ:

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2000系まるまどりーむ号

こちらが上田原駅の駅舎:

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上田原駅(平日以外は無人駅)

上田原駅のホームにて:

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上田電鉄別所線の上田原駅

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上田原駅のホーム

この上田原駅から有名な上田原古戦場跡を歩いて巡ってきた。
こちらは石久摩神社に建っていた古戦場の碑:

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「上田原古戦場」の碑

そして神社の裏手にある「信玄道」の碑。村上義清の猛攻を支えきれず敗走した信玄率いる武田軍は、このあたりで態勢を整え、この道を通って退陣したと云う:

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信玄道の碑

石久摩神社から「北国脇往還保福寺道」(松本街道)を通って、合戦城とされる上田古戦場公園へ向かった。この公園にはナイター設備が整った野球場やグランドがあって古戦場なんて雰囲気は全く無かったが、その先には村上義清が陣を置いた「岩鼻」なる旧崖の丘陵を眺めることができた:

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上田古戦場公園と岩鼻(拡大版)

「岩鼻」は、現在は千曲公園になっており、そこからは古戦場全景を眺めることができるらしい。但し、徒歩で向かうには少々キツイので今回は諦めたけど、いつか眺めてみたい :|

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岩鼻跡の千曲公園

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村上義清が陣を置いた場所(拡大版)

最後は千曲川ごしに眺めた太郎山や東太郎山といった晩秋の信州上田の山並みをパノラマスタイルで:

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信州上田の山並み(拡大版)

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信州上田の山並み(拡大版)

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信州上田の山並み(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also上田城攻め(2) (フォト集)
See Also上田原古戦場 (フォト集)

参照   [ + ]

a. 『甲斐の虎』武田信玄の若い頃。
b. おまけに板垣信方と甘利虎泰と云う重臣の二本柱を失う。
c. 三連休の最終日で混雑必至であろうと、なるべく早めに帰るつもりだった。