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お食事処・大陸亭 − It’s a Common Lunch Set, but Tasteless Something.

今週始めは令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の最終日[a]【今日は何の日?】徳川家康が征夷大将軍に就任し江戸幕府を開府した日(旧暦)。レトルトカレーの日(ボンカレーが発売された日)。世界の冒険家・植村直己の誕生日。に、群馬県の邑楽郡《ウオウラグン》にゆかりある勇将の菩提寺と館跡(城跡)を巡ってきた。

午前中に御廟と菩提寺を参詣して、館跡を巡る前に、その近くの御食事処[b]コンビニも無く、正直、この店しか選択肢が無かった 😮️。で腹ごなしすることにした。連休と云うことで田舎は休みの店が多いが[c]あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。、国道R354(館林バイパス)沿いを歩いていて「ラーメン」の幟が見えた時は正直ホッとした :)。はじめ店名から町中華系かと思ったが、どちらかと云うと「なんでも有り」のドライブイン系[d]和洋中のメニューは然り、国道沿いで五台以上は停められる駐車場もあったし 😉️。だった:

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お食事処・大陸亭

暖簾をくぐったのが昼すこし過ぎ。カウンターとテーブル席、そして奥に座敷があった。既にいくつかのテーブル席と座敷は埋まっていて、忙しそうに配膳していた店員に来店を告げると、窓側に席があると案内されると同時に、(店側にも客側にも)お手軽なランチセット(A・B・Cの三種類)を勧められた。なんか席につく前に、この場で決めてくれって感じだったので、佐野ラーメン系を期待してラーメンとチャーハンのCセット(1,100円)を注文してから席についた :|

窓側にある席と云っても、座った正面は壁で、少しだけ窓から国道を走る車が見えるって感じ :O。仕方がないので壁に貼ってあったメニューをつらつら眺めながら待つことにした。しばらくして出てきたのがこちら:

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Cランチセット(1,100円)

ラーメン単品が560円(当時)で、チャーハン単品が650円(当時)なので、ランチセットは110円もお得だった :D

ラーメンというか中華そばの方は、見た感じ佐野ラーメンぽっかったのだが、スープの味は薄くて何系なのかよく分からなかった。さらに麺は茹ですぎなのかフニャフニャに柔らかくて今ひとつ :|。もしかしたら自家製手打ち麺だろうか。製麺所の麺では無いような気もする。一方、チャーハンは妙に塩っぱい。どうやら中華麺とチャーハンを交互に食べるのが最もバランスの良い味わいになることが分かった。そう云うことで、ちょっと真面目に食べ切ってしまったのが原因なのか、城攻め中に腹が痛くなって少し難儀したけど :$

あとトイレは厨房のすぐ脇にあって、和式便器なので利用時に「生成される音」が厨房に聞こえているのではないかとハラハラしたし、衛生的にどうなんだろうか :|

お食事処・大陸亭
群馬県邑楽郡邑楽町篠塚2770-3


ここからはオマケ。

東武・館林駅から東武小泉線・西小泉行の10000系(10030型)に乗車して篠塚駅で下車:

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10030型

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単線・無人駅の篠塚駅

駅を下りて県道R152(赤岩足利線《アカイワ・アシカガ・セン》)沿いを南下したところにある篠塚伊賀守の御廟:

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御廟の境内

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御廟の境内

伊賀守は、群馬県の英雄である新田義貞に従った四天王の一人で、太平記にも登場する御仁。興味を持ったきっかけは、最近巡ってきた分倍河原古戦場跡の他、神流川古戦場にある金窪城主であった畑時能《ハタ・トキヨシ》もまた四天王の一人だったと云うこと。圧倒的な強さから、伊賀守の武勇伝は三国志演義の関羽雲長にもたとえられている。

邑楽町の英雄の御廟と供養塔。廟扉には新田氏の「新田一つ引き」紋があしらわれていた:

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御廟

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篠塚伊賀守重広公の供養塔

御廟をメンテしているのが近くにある篠塚家の菩提寺である大信寺で、その山門(赤門)は徳川四天王の一人で館林城主・榊原康政の菩提寺から移築したものらしい:

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大信寺の山門(赤門)

こちらは本堂。昭和の時代に建てられたもので、その脇には江戸時代の建立と伝わる旧本堂があった:

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改築された新しい本堂

篠塚氏の居館跡は既に宅地化されていて、遺構はあまり残っていないが、大手門跡に建つ毘沙門堂周辺には若干の堀と土塁のようなモノを確認できた:

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大手門跡と毘沙門堂

かって城域に建っていた八幡神社は移築されていた:

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現在の八幡神社

古城橋は、かっての外濠に架かっていた橋であったが、現在は暗渠になって石碑が残るのみ:

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古城橋跡

篠塚館跡の大部分は宅地化・耕地化されていた:

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篠塚館跡

一部に見られる用水路などは居館の名残であろう:

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城跡北側の用水路

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also篠塚伊賀守御廟と大信寺参詣 (フォト集)
See Also篠塚館攻め (フォト集)  

参照

参照
a 【今日は何の日?】徳川家康が征夷大将軍に就任し江戸幕府を開府した日(旧暦)。レトルトカレーの日(ボンカレーが発売された日)。世界の冒険家・植村直己の誕生日。
b コンビニも無く、正直、この店しか選択肢が無かった 😮️。
c あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。
d 和洋中のメニューは然り、国道沿いで五台以上は停められる駐車場もあったし 😉️。

ラーメンハウス香雅 − It’s tastes like stick to nothing.

先週末[a]【今日は何の日?】あかりの日(エジソンが白熱電球を完成させた日)。小説家・志賀直哉の忌日。は令和5(2023)年の寒露の候に、群馬と埼玉の県境にある古戦場跡を巡ってきた。

まず、この日の午前中は瀧川一益勢が本陣を置いたとされる群馬県(上野国)側の軍配山古墳へ。JR高崎線・東海道本線(上野東京ライン)の新町駅前から出ている前橋玉村線に乗り、上之手南なるバス停で下車。そこから歩いて向かった。そして軍配山古墳周辺を巡ったあと、午後は橋の架け替えで移設されている古戦場碑を見てから神流川を渡り、埼玉県(武蔵国)側の古戦場跡を巡る予定だったので、同じ路線バスで駅へ戻った。

新町駅に着いたのが昼少し前だったので、あらかじめ見つけておいた近くにあるラーメン屋でお昼を摂って、エネルギーを満タンにしてから(瀧川勢と同じように)神流川を渡河することにした :D

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ラーメンハウス香雅

店前の駐車場(ニ台分)は満車であり、この店のホームページの内容から、もしかしたら地元では人気の店?なんて入る前からあらぬ期待をしてまった[b]意外と午前中は歩き回ったので腹が減っていたからだろう 😅️。。そして店内に入ると既に二つあるテーブル席は埋まっており、厨房を囲むL字型のカウンター席も1/3は先客が。

こんな具合でさらに期待を(勝手に)膨らませ、既に注文する品は決めていたのだが、一応はメニューを眺めた。ただお品書きはどこにでもある内容であったが、かまわずカウンター越しに店一番人気でこだわりの一品(930円)を注文。このあとも10分くらい待ったが、お昼どきともあって、その間にも客がどんどん入ってきたっけ。

で、出てきた広東メンがこちら:

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広東メン(930円)

写真ではよくわからないけど、かなりの熱々で湯気々。ここ群馬のからっ風は相当キツイだろうと想像し、午前中は体が冷えるはずだから、熱々の広東メンで体を十分に温めてから午後がんばろうと思っていたのだが、予想に反してこの日の群馬は暑かった〜(店内も暑かった) :O

ハフハフしながら食べ始めると、なんか味が物足りない。と云うか、ほとんど味がしない感じだった。餡はいい具合の色だったのだけれど、スープではなくただの「お湯」で溶いた感じ:|。お湯と云うと、以前同じようなラーメンを食べたことを思い出してしまった。うーm、周りを見ると広東メン食べているのは俺一人。もしかしたらハズレかも。と考えながら、とりあえず味の無い餡の中から麺と具材だけをすくい上げて食べ終えた(スープは残したまま)。

そんな感じで食べ終えた頃、店の入口には客が数人待っていたので、汗をふきつつ御勘定。このとき「広東メンは一番人気ですか?」と聞いてみたら「はい」って返ってきたっけ :|

店の「こだわり」が注ぎこまれた品であれば「930円」は高くはないと諦めるけど、「こんな味わい」が店の「こだわり」と云うのであれば「勘違い」も甚だしいな :$。期待して損した感じとは、まさにこのこと:/

このあとは駅中のコンビニでパンを購入して駅前のベンチで食ることに[c]かなり高く付いたパンになってしまった 🤬️。

ラーメンハウス香雅
群馬県高崎市新町2159-9


ここからはオマケ。

こちらが軍配山古墳(玉村町指定史蹟)。古墳時代の墳墓で、神流川合戦では瀧川一益が本陣をおいたと伝わる:

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軍配山古墳

一面に広がる田んぼの中にぽつんとあるので、遠くからでもすぐに分かった。近づいてみるとただの小山なんだけど、頂上には石碑、麓には説明板が建っていた(手前の黒い石碑は無関係):

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軍配山古墳

頂上から神流川古戦場(渡河地点)方面を眺めてみたが、川はまったく見えなかった:

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古墳上からの眺め

明治時代に発掘調査が行われたあと建てられた石碑(出土品の一覧)の裏面には「軍配山」と呼ばれた由緒が刻まれていた:

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「・・・瀧川一益挙兵ニ際シ軍配ヲ此ノ山ニ・・・」

古墳のまわりは田んぼだった。当時はまさに収穫の季節:

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クボタ ER448

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「♫ 燃える男の 赤いトラクター」

あと、古墳の近くには「滝川」って名前の川が流れ、そこに架かっていた橋は「一本橋[d]いかにも戦国時代にありそうな名前 😄️。」って名前だったけど、これも瀧川左近将監と何か関係があるのだろうか?:

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滝川

こちらが「神流川古戦場跡」の石碑など。JR高崎線のすぐ脇に移設されていた:

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移設されたもの

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JR高崎線の側

移設された物の中で一番奥にあるのが「神流川古戦場跡」の碑。それ以外は常夜燈やら道祖神やらで、あまり合戦とは関係のないものばかり。「森田新吉」って誰よ:|

このあと新しい神流川橋を渡る。古い神流川橋が撤去されずに残っていた。一番奥がJR高崎線:

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新旧の神流川橋とJR高崎線

これらは神流川橋からの眺め。流石に橋の上は風が強かったけど:

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赤城山

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天気が良かった

風が強い上空には必ず出現する鳶:

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そして神流川。この先が烏川《カラスガワ》との合流点で、その近くで北條勢と激突したらしい:

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現在の神流川

瀧川勢が渡河した場所は、今はゴルフ場だった:

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神流川の土手上(左手がゴルフ場)

この日、出会った虫たち(大分ちっちゃいけど :D):

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バッタ

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カマキリ

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トンボ

神流川橋の架替えにより旧道になった国道R17沿いを歩いていた時に、廃車なのか中古車なのかよく分からない置き場所があった。車の墓場にしては、なかなか貴重な車を見かけたけど :O

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車の墓場?

捨てられているのか?、保管されているのか?:

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MINI 1300

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これは保管中?

いやいや売り物だった :O

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72年式 VW ビートル

こちらは、帰りお腹がすいたので、立て続けにJRの自販機で購入したもの。最近の自販機のバラエティさは限度がないらしい。飲む時は目をつぶって :D

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お米が入っていた

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微妙な味だった

最後は踏切信号。今までまじまじと見たことは無かったけど、最新型は意外と elegant だった ;)

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踏切信号

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also神流川古戦場巡り (フォト集)
See Also軍配山古墳攻め (フォト集)
See Also金窪城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】あかりの日(エジソンが白熱電球を完成させた日)。小説家・志賀直哉の忌日。
b 意外と午前中は歩き回ったので腹が減っていたからだろう 😅️。
c かなり高く付いたパンになってしまった 🤬️。
d いかにも戦国時代にありそうな名前 😄️。

そば処 東屋 − Some of them recommend Katsudon instead of Wanko-Soba.

先週末は令和5(2023)年の秋分の日[a]【今日は何の日?】昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。貴重な文化財を観に岩手県は盛岡まで行って来た。まだ外が真っ暗の時間帯に起きて東京駅へ向かい、朝7時すぎの新幹線はやぶさ203号・新青森行に乗車して、盛岡に着いたのが朝9時半。この日の東北地方は大雨の関東とは違い、やわらかい陽がさす晴天で、少し厚着して行ったのだけど予想外に暑かった :O[b]流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。

午前中はこの文化財を盛岡の地にもたらした御仁の墓所盛岡城の移築門などを巡ったが、いつのまにか予定のコースから大きくズレてしまい、目的の品を展示している博物館への道のりが遠のいてしまった上に、昼近くになったので、先にお昼を摂ってからゆっくりと博物館へ向かうことにした :)

我が人生初の盛岡入りと云うことで、事前にいくつか気になった御食事処を見繕っておいた中から、豚一家がオススメするわんこそばの老舗店を選択した[c]目的地まで徒歩で移動できることも理由の一つ 😉️。

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創業明治四拾年・そば処・東屋(本店)

昼11時ちょい過ぎに到着した店前に行列はできていなかったので、そのまま「丸に東」の暖簾をくぐって店内に入ってみると目の前に整理券の発券機があった。さらに左手奥の部屋には何組かの人たち座っているのを目撃して、これは意外と待つかなぁと不安がよぎったが、よく見るとこの発券機は「わんこそば」待ち用で、通常の御食事は店員に呼ばれるのを待つシステムのようだ。と云うことで、これと云って待つことなく正面奥にあるカウンター席にすんなり通してもらえた 8)

創業から百年以上の蕎麦屋であるが、だいぶ前に観た放送で豚一家がオススメしていたのは特製カツ丼(1,100円)だったので、こちらを注文し、冷たいお茶を飲みながらしばし待つ:

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丸に東の湯呑

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「おもさげながんすー」

ちなみにトイレ前には有名人らのサイン色紙が飾ってあったが[d]豚一家の色紙を探したが、残念ながら見つからず 😣️。、その中に「実は東屋さんはカツ丼がオススメ!」なんてメッセージが意外と多かったのに驚いたと同時に、すこし安堵した[e]流石に蕎麦屋にきて蕎麦を食べないのはねぇって後ろめたさが・・・😅️。;)

注文して15分くらいたって出てきた特製カツ丼がこちら:

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特製カツ丼(1,100円)

香の物の他に、わんこそばサイズのお椀がついていた。にくいねぇ東屋!:D

厚みのある肉と割り下で味がしっかり付いた柔らかい衣と卵をまとったトンカツは、火傷しそうな熱さだったけどパクパクいけた:

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カツ+タレ+卵の三位一体

こちら少量ながらも、温かくしっかりとした出汁つゆで頂く手打ちそばも美味しかった:

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わんこそば

朝から初めての土地でさんざん歩いてきた体にエネルギーを注入し、午後の城攻めに備えることが出来た感じ。

お店を出て「お椀ではない」限定公開の文化財を展示している博物館へ向かいながら、ふと「そう云えば早朝、東京駅でカツサンドを食べた」ことを思い出したが、特に後悔はなかった :P

そば処・東屋(本店)
岩手県盛岡市中ノ橋通1-8-3


ここからはオマケ。
 
東京から盛岡まで乗車した東北新幹線のはやぶさ:

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JR新幹線はやぶさ

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はやぶさ203号・新青森行

自宅で軽く朝食は摂ってきたが二時間半の乗車後にすぐ歩きまわる予定だったので車内で軽食を。最近のケースだとほぼ決まって「やわらか・ひれかつサンド」(750円)を選択している:

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やわらか・ひれかつサンド(750円)

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朝もトンカツ

こちらがJR盛岡駅(東口バスターミナル)。二階が東北新幹線のホーム:
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盛岡駅

盛岡城の城門(裏門)が移築されたと伝わる報恩寺は山門(三門)が素晴らしかった。この門の楼上には十一面観音が祀られているのだとか:

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報恩寺の山門「瑞鳩峰山」

東屋から博物館へ向かう途中、赤煉瓦の建物が目に入ってきた。明治時代に建てられ、今も現役の都市銀(国指定重要文化財)らしい:
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岩手銀行赤レンガ館

盛岡市内中央を流れる中津川。鮭が遡上するらしい:

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中津川

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also盛岡城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。
b 流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。
c 目的地まで徒歩で移動できることも理由の一つ 😉️。
d 豚一家の色紙を探したが、残念ながら見つからず 😣️。
e 流石に蕎麦屋にきて蕎麦を食べないのはねぇって後ろめたさが・・・😅️。

伊豆下田散策 − The Origin of Japan and U.S. Diplomatic Relationship.

先日は令和5(2023)年の海の日[a]【今日は何の日?】7月の第三月曜日に設けられた日本国民の祝日。「海の恩恵に感謝すると共に、海洋国日本の繁栄を願う」日。を含んだ連休中日に、静岡県下田市にある城跡を攻めてきた。この日[b]駅弁記念日。旧暦だと島津氏二十八代当主で薩摩藩主の島津斉彬《シマヅ・ナリアキラ》の命日(享年50)。の下田は梅雨明けしていないのに晴天、その上に湿気が高く酷暑といった感じで[c]風が若干強く、立っているだけでも熱風に包まれて自然に汗がしたたり落ちてくる感じ😞️。、最高気温は31℃との予想だったが、実際のところ体感では+2℃はあったと思う :O

その城跡は今から四百年以上前の戦国時代に、ここ伊豆の地を治めていた小田原北條氏の「海軍(水軍)」基地であった。現在は下田公園となっているが、もう一つ日本の歴史上で象徴される場所でもあった。それは戦国時代から二百六十年以上経った江戸時代後期の幕末に、日本と太平洋を挟んでお隣の国である米国(アメリカ合衆国)の「海軍」が上陸し、鎖国中だった幕府と交渉して開国させ、のちに日米の政府間レベルで外交関係が始まった場所とされている[d]日本の一大名の海軍と外国の海軍との差はあるが、同じ海軍つながりでもある 😉️。

と云うことで御食事屋で昼を摂って城攻めを終えたあと、公園から下田市街地をぶらりと散策してみた。まずは観光案内所の前に建っていた「下田温泉観光案内図」。下田の街からも見上げることができる下田富士と寝姿山《ネスガタヤマ》の他、遠く下田港の先に伊豆諸島も描かれていた:

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「下田温泉観光案内図」(拡大版)

下田城跡である下田公園の麓あたりが米国海軍のペリー提督らが上陸したとされる場所で、来航記念碑が建っていた:

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ペリー艦隊来航記念碑

安政元(1854)年4月18日に七隻からなるフリゲート艦隊を率いて下田港に入港し、この碑が建つあたりに上陸し、同年6月17日に了仙寺《リョウセンジ》にて日米和親の下田条約を締結した。これより下田は日本最初の開港場となった。ペリー提督率いる一行が行進した了仙寺までの道をペリーロードと呼ぶらしい。このペリー提督の胸像は彫刻家・村田徳次郎による昭和41(1966)年の作品で、脇にある錨は米国海軍からの寄贈らしい。

但し誤解されていることが多いようだが、いわゆる「黒船来航」と「ペリー提督の初上陸」の地は神奈川県横須賀市久里浜にあった浦賀港の方で、あくまでも下田は条約締結と鎖国から開港した地であるということ。

傍にあった「日本最初の開港地」なる説明図がこちら:

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「日本最初の開港地」(拡大版)

なおこの図に描かれている艦船は浦賀に来航した大型蒸気船の「黒船」とは区別すべきものらしい。米国の台所事情もあって、莫大な渡航費用がかかる大型蒸気船はその使用が限定されていたとも。

碑近くにある下田公園(下田城跡)入口がこちら:

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下田公園入口

公園入口から遊歩道を登っていくと、昭和54(1979)年に米国第39代大統領のジミーカーターが下田を来訪した際の記念碑が建っていた:

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「ここ下田で」 by Jimmy Carter

さらに登っていった先が開国広場。陽の光を遮るところが無くて暑かった〜 :$

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開国広場

この広場の小高い場所に建っているのが開国記念碑:

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開国記念碑

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開国記念碑

条約締結と開港(開国)の二年後に米国総領事のヘリーハリスが着任し、日米友好の礎が築かれることになった。昭和29(1954)年に開港百年を記念して碑が建てられた。これにはペリー提督とハリスの彫刻像と代表的な言葉が刻まれている:

「余は平和の使節として此の地に来れり」(ペリー提督)

「私の使命はあらゆる点で友好的なものであった」(ハリス総領事)

前者の言葉を選んだのは連合国軍最高司令官であったマッカーサー元帥、後者の言葉を選んだのは外交官であり事実上の米国大使であったウィリアム・J・シーボルト。碑の揮毫《キゴウ》は内閣総理大臣の吉田茂。

この広場から稲尾沢川に面した停泊地と周囲の山々の眺めは素晴らしかった :)

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稲尾沢川を挟んで対峙する下田富士と寝姿山(拡大版)

このあと公園下を経由して下田湾へ流れ込む稲尾沢川の河口沿いを歩いて、魚市場や道の駅がある対岸へ向かった。河口を挟んで奥に見える下田伊藤園ホテルはな岬のお隣が道の駅:

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正面のホテルに隣が道の駅(拡大版)

停泊していた釣り船たち:

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釣り船

振り返って見た下田公園(下田城跡):

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下田公園(下田城跡)

こちらは船員用洗濯場(下田市・下田市漁港・港湾振興会):

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船員用洗濯場

スマフォ片手に水上バイク乗っている奴[e]陸(おか)の上でも同様の奴を見かける位だから、特段に不思議な光景ではないが 😕️。とか、そんな奴を監視する船(無人)とか:

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スマフォ片手に操縦していた

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監視船(今日は休日)

女性が仰向けに寝ているように見える寝姿山[f]近くからだと今ひとつ分からないが😕️。。ロープウェイで山頂へ行くこともできるらしい。伊豆諸島も眺めることができるのだろう:

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停泊地から見上げた寝姿山

この山は岩盤がむき出しだった 8)

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岩盤むき出しの寝姿山

稲尾沢川に架かるみなと橋を渡り、さらに近くから寝姿山を見上げる:

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みなと橋

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麓から見上げた寝姿山

道の駅の建物にある観光協会にはハーバー・ミュージアムなる下田の歴史を知ることができる小さな博物館があり、下田城の模型も展示されていて、それを撮りにわざわざ歩いて来たのだけれど館内は撮影禁止だった[g]入場料500円も取られたのに、唯一許されたのはカジキ関係のところだけ 🤬️。 :O

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ハーバー・ミュージアム@ベイステージ下田(歴史の交流館)

道の駅・開国下田みなとの建物からの眺めを幾つか。下田港を20分ほどで遊覧できる「サスケハナ号」が運行中だった:

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まどが浜海遊公園

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下田とは関係ない黒船のサスケハナ号

わざわざ足を運んできのだが、目的を果たせずがっくりきたので地ビールを飲んで気分転換 8)

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ライジングサン ペールエール(605円)

こちらは国道R136の交差点から眺めた下田富士:

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右手奥が伊豆急下田駅

帰路も伊豆急下田駅から。静岡県最南端の駅:

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伊豆急下田駅

伊豆急は東急グループであるが、国鉄の時代から相互の乗り入れができていたことを、この駅を利用して初めて知った。電車を使って下田へ来たのは今回が初めて。石廊崎や弓ヶ浜まで波乗りしに来ていた時代は車を利用していたので。それにしても熱海や伊東から都心まで一本で行けるのは大変に便利な時代になったものだ 8)

こちらが黒船サスケハナ号の模型:

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黒船模型のサスケハナ号

最後は、この日に見かけた電車たち:

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伊豆急の3000系アロハ電車

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伊豆急リゾート21(黒船電車)

伊豆急の3000系アロハ電車はJR東日本のかっての京浜東北線209系らしい。伊豆急へ譲渡されたあとカラフルにラッピンされた。一方、伊豆急リゾート21は全席自由席だったんだねぇ。

酷暑ではあったが今年初の海を眺めることができ、一日早い海の日を体験できた 8)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年7月 伊豆下田散策 (フォト集) 

参照

参照
a 【今日は何の日?】7月の第三月曜日に設けられた日本国民の祝日。「海の恩恵に感謝すると共に、海洋国日本の繁栄を願う」日。
b 駅弁記念日。旧暦だと島津氏二十八代当主で薩摩藩主の島津斉彬《シマヅ・ナリアキラ》の命日(享年50)。
c 風が若干強く、立っているだけでも熱風に包まれて自然に汗がしたたり落ちてくる感じ😞️。
d 日本の一大名の海軍と外国の海軍との差はあるが、同じ海軍つながりでもある 😉️。
e 陸(おか)の上でも同様の奴を見かける位だから、特段に不思議な光景ではないが 😕️。
f 近くからだと今ひとつ分からないが😕️。
g 入場料500円も取られたのに、唯一許されたのはカジキ関係のところだけ 🤬️。

郡上八幡の城下町散策 − Waterways, Gujō Odori and Old townspace.

今年は令和5(2023)年のGW城攻めツアー2023は三泊四日で岐阜県を中心にいくつかの城攻めと古戦場跡巡りしてきた。

その三日目は、長良川と吉田川を天然の外堀とした郡上八幡城、城下町を流れる用水路、そして郡上おどりでも有名な郡上市八幡町へ。かって奥美濃の小京都とも呼ばれたこの古い町並みは、一部が国の重要伝統的建築物群保存地区にも指定されている。

午前中に城攻めを終えて、老舗の鰻屋でお昼を摂ったあと、城下町を散策してきた。

こちらは大手門跡あたりから見上げた城山(郡上八幡城)方面。城下町と云うことで直線のラインが多い。さらに、ここは大手道だったので幅も広い:

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郡上八幡城下町プラザの横あたり

左上には、つい三日前にリニューアルオープンした模擬天守が見える。町のどこからでも城のシンボルが見えるのは、さすが城下町。

こちらは郡上八幡博物館。「郡上おどり実演中」の幟があったが、夏になると一日中踊り明かすことで有名な郡上おどり。ユネスコの無形文化遺産に指定されているのだとか:

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郡上八幡博覧館

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流響の里にて

毎年8月13日から16日の4日間、徹夜で踊り明かす郡上おどりは「徹夜おどり」とも:

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郡上おどりの像

この銅像が建つ八幡町職人町通りの古い町並み。建ち並ぶ家の前には用水路がある。流れている水も清らかであるが、これは二度の大きな火事による教訓でもあるらしい:

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八幡町職人町本町通り

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用水路

細い脇路地にも用水路があり、町中には宗祇水《ソウギスイ》と呼ばれる湧水がある:

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脇路地の用水路

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この先に宗祇水がある

郡上市のマンホール蓋。清流を泳ぐアマゴ(川魚)を描いたデザイン:

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清流を泳ぐアマゴ

城下町からはどこからでも天守を眺めることができる:

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城下町と城山

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城山に建つ天守

小駄良川《コダラガワ》は吉田川の支流で一級河川。城下町の風景に溶け込む清流である:

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小駄良川

この川沿いにある大乗寺《ダイジョウジ》の山門は江戸時代後期の享和3(1803)年の建立で市指定重要文化財。門の上が鐘楼になっている鐘楼門型式。藤の花も見頃だった:

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大乗寺の山門

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藤の花も見頃

このあとは吉田川方面へ。城跡南側の崖沿いにはいくつかのオブジェがあった。

商売繁盛の神様を祀る神農薬師さま、そして学者・歌人と知られる折口信夫《オリグチ・シノブ》の歌碑。氏が郡上へ来遊した大正8(1919)年には大火に遭遇し、焼け跡の情景を歌に詠んだもの:

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神農薬師さま

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焼け原の 町のもなかを行く水の せせらぎ澄みて秋近つけり” (冒頭の一首)

郡上はこれまでに二度の大火に遭遇し、そのたびに水路を増やしたり整備が行われて、現在見るような用水路網ができあがったらしい。

こちらは吉田川にかかる新橋。この橋の欄干から12mほど下の吉田川に飛び込む人もいるようで、「不慣れな人」向けに警告が出ていた[a]実際、死亡事故が発生しているのだそうだが 😞️。

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吉田川に架かる新橋

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不慣れな人は駄目

この先は高山・下呂方面。ここから渓谷の間を流れる吉田川の眺めがすこぶるいい。右上は稚児山(標高817m)真ん中奥は京塚山(862m):

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吉田川と稚児山(拡大版)

こんな色の川なら飛び込んでみたくなる気持ちもわからなくもない:X。春先は観光客を迎えるために町内あげて川や用水路の清掃を行っているらしい:

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吉田川の水の色

もちろん川と渓谷の絵もいいが、こんな風景もなかなか:

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断崖上にへばりつく建物

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吉田川が運ぶ大量の水

橋を渡った先に建っていた郡上八幡旧庁舎記念館。その昔、この中にある食堂で豚一家がカレーを食べたらしい[b]中で観たメニューには、そんなカレーは無かったけど😞️。

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郡上八幡旧庁舎記念館

吉田川対岸から振り返って観たところ。この崖面上が城山こと郡上八幡城跡:

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吉田川に架かる新橋

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新橋と城山南の崖面

旧庁舎記念館脇の側道に置かれた椅子に座りながら、この渓流と周囲の景観を眺めてゆったりできるようになっていた :)

 

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吉田川に架かる新橋

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意外と巨岩が多い

旧庁舎記念館の駐車場脇には「いがわ小径」と云う用水路を利用した生活用道路への降り口がある:

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いがわ小径(降り口)

民家の用水路沿いに、幅1mほどの生活用道路が120mほど続く:

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いがわ小径

この町では古くから、生活に利用する小さい川や用水路などを総称して「いがわ」と呼んでいたらしい。生活用の水路とはいえ、きれいな水なので大きな鯉がたくさんいた:

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周囲は民家

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大きな鯉

小径の終点近くから吉田川の河原へ降りることができた:

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吉田川

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意外と巨岩が多い

河川敷を上がり、また城下町へ戻る:

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路地裏

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八幡町あたり

こちらは吉田川に注ぐ支流の一つである乙姫川(名広川):

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乙姫川

この川周辺は個性的で、どことなく懐かしさのあるお店が多かった :)

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靴・履物屋の「わだてつ」

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帽子屋の「宮田」

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魚屋の「ひらくす」

こちらは願蓮寺の山門。その昔、城主からの援軍要請で、この寺の住職らも僧兵として参陣し討ち死した記録が残るのだとか:

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願蓮寺の山門

このあたりから再び吉田川方面へ向ったが、そのとき笛(ホイッスル)の音が聞こえたので、振り返ってみると小学生が集団で下校する風景だった 8)。こんなのどかな風景を観て、ああ今日が平日だったことを思い出した ;)[c]ここで小学生らから挨拶の連続攻撃を受けることになる 😁️。もちんろん挨拶で迎え撃ったが 😆️。

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なんか懐かしい集団下校の風景😊️

吉田川に架かる宮ケ瀬橋からの眺めもよかった。吉田川がこの先で小駄良川と合流、さらにその奥で長良側へ合流するところの眺め:

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吉田川と小駄良川の合流点(拡大版)

さらに振り返って、先程の新橋方面の眺め。ここからも城のシンボルが見えた:

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宮ケ瀬橋上から新橋方面の眺め(拡大版)

橋を渡った先が八幡本町で、そのままバス乗り場がある城下町プラザへ戻った。

こちらは、その途中、酒屋の店先で目に入った「ゴジラフライ」なる食品サンプル:

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ゴジラの他にモスラも😄️

近くにあった貼り紙によると、この食品サンプルが作られたのは約35年前。この作者さんをず〜っと探しているようだが、まだ見つかっていない模様。

こちらは城下町プラザの眼の前にあった創作カフェで買った「新食感・冷やしわらび串(250円0」の黒蜜きなこ味。少し溶けてから食べるように云われたが、そんな暇無かったのでそのまま食べたら、新食感もなにも普通のアイスの食感だった :P

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小物屋を兼ねたカフェ・花籠

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冷やしわらび串

以上で城攻めと城下町散策を終え、人生初の郡上八幡をあとにした 0:)

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岐阜バス往復乗車券

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年5月 郡上八幡城下町 (フォト集)


ここからはオマケ。

この日は宿泊先最寄りの名鉄新羽島駅からスタート。この名鉄6800系に乗車して笠松経由で名鉄岐阜へ:

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新羽島から笠松経由で岐阜へ

そして、この日の帰りは大失敗した 。名鉄岐阜から笠松経由で宿泊先へ向かったのだが、笠松で下車せずにうっかりと乗り過ごしてしまった。なので、次の駅で下車し「連絡通路」を使って反対方面のホームから乗り換えようと思ったのだが、その「連絡通路」がどこにもない :0 。仕方なく一度改札を出て、線路を渡った先にあるもう一つの改札口から改めにて乗車するハメに :(:(:(

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絶対に忘れない駅名

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もう絶対に降りない駅

関東人的には「連絡通路」があって無料で乗り換えできると期待するのが普通なのだが、中京地区ではそれは普通ではないようだ :X

参照

参照
a 実際、死亡事故が発生しているのだそうだが 😞️。
b 中で観たメニューには、そんなカレーは無かったけど😞️。
c ここで小学生らから挨拶の連続攻撃を受けることになる 😁️。もちんろん挨拶で迎え撃ったが 😆️。