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らぁめん味斗 − Another Sapporo Miso Ramen In FUKAYA.

先々週は、令和5(2023)年の大寒の候に埼玉県深谷市にある曹洞宗のお寺に行ってきた。そのお寺は、「深谷上杉氏」と云う古くにこの深谷の地を治めていた一族の菩提寺である。六年前に攻めてきた城(跡)を築城した御仁の供養塔があり、ちょうどその城跡の訪問記を書こうとしていろいろ調べている時に、この寺の存在を知り、せっかくなので墓所を参詣することにした。

この日はホント風が強く冷たかった〜 :$。流石に大寒の季節である。お寺まではJR高崎線・深谷駅の南口から徒歩で30分ほど。歩けば暖かくなるかと思ったが、さにあらず。手袋なしではカメラを持つのも難儀した :(。そしてお寺をあとにして駅へ戻る途中、お昼近くでもあったので、何か暖かい物でも食べて行こうと歩いている時に見つけたのが、このラーメン屋の暖簾だった[a]ちなみに、この時に参考にした御食事マップがこちら

その暖簾には「西山ラーメン」の文字が。札幌の老舗の製麺屋である。となれば札幌ラーメンかと:

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らぁめん Ajito(味斗)

ここ最近、札幌ラーメン、特に味噌ラーメンはすっかりご無沙汰でもあったので、熱いスープを飲み干したくなり、そのまま暖簾をくぐって店内へ。

店内は、昼前だったからかカウンターに一人居るくらいで全く混んでいなかった。この時、ちょっと失敗したかなぁと思ったが体が冷え切りそうだったので、そのままカウンター席に腰をおろすことにした 。もう気持ちは決まっていたのでメニューの一番上にあった「味噌ラーメン」(700円)を注文。他にこの店人気No.1らしい「まろやかみそラーメン」にも惹かれたが、まずは基本の味噌で。さらにメニューを眺めていて、餃子を<あじと特製みそだれでどーぞ!!>って文句が気になったので餃子(350円)を追加した ;)

先に味噌ラーメンが到着。御膳の上のラーメン以外のものは餃子用で、左上のボトルが特製みそだれ:

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味噌ラーメン(700円)

札幌ラーメンの特徴の一つであるモヤシが少ないのが残念。トッピングの基本であるワカメはのっていたが卵は無し。うーん、ワカメがあるのに海苔が付いているは関東のラーメンだからだろうか。
スープが火傷しそうに熱かったのは Good。ホントにちょっと火傷してしまったが :$。味噌は赤白の合わせだと思う。甘みとコクがあって美味しいスープだった。でも、やっぱりモヤシが少ないなぁ。麺も西山製麺の卵麺で縮れ麺である。

こちらが餃子。これを普通なら醤油+酢+辣油で頂くが、今回は特製みそだれで:

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餃子(350円)を

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「特製みそだれ」で

これは美味い:)。味噌と酢とすりゴマなんかが入っていて、醤油系よりも餃子の餡の味をしっかり楽しめるって感じ。酢+胡椒よりも好きかも。それが良かったのか、ボリュームのある餃子そのものが美味しくいただけた。

で、すっかり体が暖かくなって、外はまだ冷たい風が強かったが、このまま駅北口にある城跡を巡ってくることができた。

らぁめん味斗
埼玉県深谷市上野台2542-1


ここからはオマケ。

こちらが深谷上杉氏の菩提寺である人見山・昌福寺の山門。仁王門である。奥に見える本堂裏手に累代の墓所がある:

20230121-深谷上杉氏菩提寺参詣-002.resized

昌福寺の山門

そして昌福寺から陸上競技場がある仙元山公園を抜ける際に見かけた蒸気機関車D51 885号機(静態保存):

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蒸気機関車D51 885号機

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昭和19(1944)年製造

昭和19(1944)年に山口県の日立笠戸工場で製造され宮城県仙台鉄道局管内に配備、翌年に岩手県の盛岡機関区と一戸機関区を経て、兵庫県の姫路機関区、三重県の桑山機関区、奈良県の機関区に配置換えされたあと、昭和49(1974)年に廃車になった。約29年走り続け、地球を約40周する距離を走行したとのこと。

こちらが深谷市にあった城跡に造られた深谷城址公園:

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深谷城址公園

城址公園と云っても模擬の石垣や堀があるだけで、城の遺構は全く無いけど。

なんか面白い自販機を見かけた。鶏卵の自販機で、色がなんとも特徴的:

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この色は何を意味しているのだろうか?

こちらは城攻めを終えて駅へ向かう途中に立ち寄った和菓子屋。店の奥にあるカフェで一息ついてきた:

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古伝餡・濱岡屋

いただいたのは好きな上生菓子と煎茶のセット(600円)。店内にある和菓子から「ほほえみ苺大福」を選択した:

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上生菓子+煎茶セット(600円)

ジューシーで酸っぱい苺に甘い餡子が包んであり二口でいけてしまった:D

最後もラーメン。実は翌週末も、ここ深谷まで来たのだけれど、その帰りに立ち寄ってきた:

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丸源商店

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肉そば・肉ダブル(880円)

いかにも地方都市にありそうなチェイン店。看板にあった「熟成醤油ラーメン」の文字が美味そうに見えたので(先週もお昼はラーメンを食べたのに今週も深谷でラーメンを)食べてしまったが、器が小さくて量が少ない、肉ダブルっていっても大した量でもないし[b]ダブルではない普通の肉そばって、どんだけなんだろうって、ついつい考えてしまうが 😕️。。それほど熟成感のあるスープではなく薄っすい味だった:|。こちらは評価対象外。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also深谷上杉家菩提寺 (フォト集)
See Also深谷城攻め(2) (フォト集)
See Also上杉憲賢公墓所と高臺院 (フォト集)
See Also深谷城攻め(3) (フォト集)

参照

参照
a ちなみに、この時に参考にした御食事マップがこちら
b ダブルではない普通の肉そばって、どんだけなんだろうって、ついつい考えてしまうが 😕️。

中華そば・あじろう − Faking a Traditional Japanese Ramen.

先々週は令和4(2022)年の文化の日に、だいぶ前から計画しておきながら、なかなか実行に移せなかった山城を攻めてきた。その場所は季節と当日の天候が限定されると云うのが、当初計画した条件[a]まず熊出没地域であるためにいがたクマ出没マップで確認。次に雪が無いこと。あとは当日の天気予報が晴天で空気が澄んでいる気温18前後が理想的だった。としていたが、本年の文化の日はその条件を見事にパスできる日だった。ここで運が良かったのは天候の方で、この日の新潟県は曇りないし雨の予報であったにも関わらず、目的地の南魚沼郡越後湯沢町だけ晴天であった 8)

と云うことで、天候だけは現地に到着するまで不安があったものの、他にもいろいろキビシイ条件[b]例えば早起きできるか?とかバスに乗れるか?とか😅️。の中、実行に移せて結果的に良かった ;)

そして城攻めを堪能しJR越後湯沢駅へ戻ってくると予定より少し時間に余裕があり、昼は城跡でおにぎり3個食べていた[c]ただし早めのお昼だったし、山城を歩き回ってきたので下山したら小腹が空いていた 😊️。が帰路に向けて軽く腹に入れておきたいと思い、バス停近くで見かけたラーメン屋へ行ってみることにした:

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東口駅前通りの「中華そば あじろう」

暖簾をあげて店内を覗いて見ると客が一人だけ。店員も見当たらなかったのが不安だったが、ここではなく隣にある店で丼モノを食べるほどの腹の空き具合でもなかったので、思い切ってドアを開けて店の中へ。

手を消毒して入店すると奥(厨房)から店員がでてきて接客。壁を向かいにしたカウンターはがらがらだったので、先客から離れた厨房に近い席に座った。ほどなく先客が店を出ると客は俺一人となった。そして相変わらず店員は厨房に入ったまま[d]自分の席を含め店内からはまったく見えない 😮️。

メニューに軽く目を通し特に深読みせずに、店に入る前から決めていた中華そば(750円)を注文。注文をとった店員は厨房に入っていく。それから水を飲みながらメニューの中で目についたチャーシュー・トッピング(200円)を追加しようと店員に声をかけるが、厨房に居るのでまったく聞こえていない。仕方ががないので席を立って厨房口まで行って注文するはめに :|

10分くらいしてできた中華そば+チャーシュー・トッピングがこちら:

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中華そば+チャーシュートッピング(750円+200円)

煮干し臭のある醤油ベースのスープで脂はほどんど無しで、ちぢれの細麺。岩のりとほうれん草が一番上に載っていた。トッピングしたチャーシューは豚の薄バラ肉をお湯で煮たようなモノが5枚、麺の上に浮いていた:

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煮干し臭がやや強めの中華そば

まずはスープを一口。おいおい薄いぞ。深みが全く無い。しばらくスープをすすっていると、ふと既成品の醤油ダレに鶏ガラといったスープではなく、ただのお湯を入れたインスタントラーメンのような味に思えてきた :$。スープが命の中華そばとしてはバランスが悪いラーメンで、流石に飲み干せるようなスープではなかった。チャーシューなんか味が無くて脂身を食べている感じ。と云うことで具と麺だけ食べて早々に終了:

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まるでインスタントラーメンな中華そば

おあいそを云うのも、わざわざ席を立って厨房口まで行かないとダメだった :(。味も接客もイマイチなそんな店でもスキーシーズンともなれば客でごった返すのだろうか。

中華そば・あじろう
新潟県南魚沼郡湯沢町湯沢1-1-4


ここからはオマケ。

まず東京駅から乗車したとき305号はE7系:

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とき305号新潟行き

早めの朝だったので朝食は駅で調達して車内で。いろいろこだわっていた感じの「やわらか・ひれかつサンド」(750円)を選択:

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やわらか・ひれかつサンド(750円)

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やわらか・ひれかつサンド

時間がたっても、それなりに美味しいカツサンドであるが、やはり肉のボソボソ感は否めない。

そして、こちらがJR越後湯沢駅東口の路線バス乗り場周辺:

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越後湯沢駅東口のバス乗り場

のりば①から南越後観光バス・西部クリスタル行きへ乗車して「芝原」なるバス停で下車し、登城口まで徒歩で移動[e]帰りも同じバス停から乗車して越後湯沢駅へ。した。このとき城跡へは三国街道《ミクニ・カイドウ》である国道R17を途中まで登って行く。

これは、車がビュンビュン走り抜ける国道R17脇から越後荒戸城跡を正面に眺めて見たところで、ちょうど現在の三国街道の上に城跡がある感じ:

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正面の山に越後荒戸城跡がある

そしてトンネル手前左手にある脇道が旧・三国街道で、城跡へはそちらの道を登っていく:

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「荒戸城跡」の標柱

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三国街道と芝原トンネル

旧・三国街道を15分程歩くと城跡の登城口があるが、その途中、紅葉で色づいた湯沢町の風景を拝むことができた:

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新潟県南魚沼郡湯沢町の眺め(拡大版)

こちらは写真をパノラマ風に並べてみたもの:

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越後荒戸城跡下から

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南魚沼郡湯沢町の

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紅葉の眺めを

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パノラマ風に

城跡からも眺めることができる標高1,111mの飯士山《イイジサン》は、この季節だと岩肌が見えた:

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「上田富士」こと飯士山

こちらが城址入口[f]他に旧・三国街道に入る側(登ってきた時の手前側)にも登城口がある。。この手前には車4台くらい停めることが可能な駐車場あり:

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荒戸城の登城口

ここから大手口方面へ10分くらい登っていくと、山城好きには堪らない遺構が出現する:

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城塁が連なる大手口側の遺構で、一番奥に見えるのが主郭’跡(拡大版)

他にも竪堀や横掘なんかが綺麗に残っていた:

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二郭虎口手前にある竪堀

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馬出と横堀

最後は主郭の城塁:

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三郭跡から見上げた主郭切岸(拡大版)

クマ鈴を持参して登ってきたが熊には遭遇せず[g]ただ登ってくる途中で獣糞を見た。熊ではなく猿のものかと思うが。。昼近くに数人の人間には遭遇した。殆どが車で来ていたようだ。

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also越後荒戸城攻め (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

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越後荒戸城攻めのルート

活動時間は 03:07、距離は 4.8km、消費カロリーは 1,183Kcal。

参照

参照
a まず熊出没地域であるためにいがたクマ出没マップで確認。次に雪が無いこと。あとは当日の天気予報が晴天で空気が澄んでいる気温18前後が理想的だった。
b 例えば早起きできるか?とかバスに乗れるか?とか😅️。
c ただし早めのお昼だったし、山城を歩き回ってきたので下山したら小腹が空いていた 😊️。
d 自分の席を含め店内からはまったく見えない 😮️。
e 帰りも同じバス停から乗車して越後湯沢駅へ。
f 他に旧・三国街道に入る側(登ってきた時の手前側)にも登城口がある。
g ただ登ってくる途中で獣糞を見た。熊ではなく猿のものかと思うが。

SLもおか号 − Japanese Steam Locomotive MOKA.

先週末は令和4(2022)年の寒露《カンロ》の候で、三連休の初日に栃木県にある城跡を攻めてきたが、その帰路に運良く真岡鐵道《モオカ・テツドウ》のSLもおか号に乗車することができた 8)

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SLもおか号@茂木駅

城攻めを終えて城山公園(桔梗山《キキョウヤマ》)から下山し、途中八雲神社に参詣して、通り向かいにあったお店で、かき氷を食べて一休みしてから茂木駅へ来てみると大勢の人たちが駅舎前にたむろしていた。もしやと思って構内の時刻表を確認してみると、(自分が乗るつもりだった)直近の電車を一本ずらすと SLもおか号で下館駅まで行けるようだ:

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真岡鐵道・茂木駅

ただ切符売り場で「ネットからの事前予約が必要」云々の貼り紙を見かけたので、深く考えずにそのまま下館までの普通乗車券を購入し、帰りの電車を待つ間、駅舎2Fへ上がって茂木駅で準備中だったSLもおか号を眺めたりしていた:

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茂木駅で待機中のもおか号

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転車台

そして電車の時間が近づいてきたので用をたしに1Fへ下りてみると、一人の男性がSLに乗れないか切符売り場の人と交渉しているのを見かけた。で、傍から話を聞いてみると、どうやらこの日は事前予約しなくても乗車できるとのこと;)。それならばと云うことで、自分も窓口に乗車券を見せてSL整理券(全席自由席)を購入した。追加料金は大人500円(当時):

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2022年のSL整理券+乗車券+乗車記念証

ちなみに一番下の乗車記念証は乗車後の検札で貰った。

今思うと、七年前に自身初めて SLやまぐち号に乗車した時も同じ様に窓口に直談判したような気がする :D[a]自分は城攻めほど鉄道マニアに傾倒はしていないのだが。

と云うことで、はじめ自分が乗る予定だったモオカ14形気動車を見送り:

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ワンマンカーのモオカ14形気動車

SLもおか号がスイッチバックでホームに入場すると、発車までの時間は自分も含めて多くの人たちの撮影タイムになった:

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旧国鉄C12形蒸気機関車

「SLもおか号」は旧国鉄時代に製造されたC12形蒸気機関車の66号機(C1266)。牽引機のC1266は昭和47(1972)年に廃車となり、その後は福島県川俣町で展示車両となっていたところ、平成3(1991)年に SL復活を目指す現在の栃木県芳賀地区広域行政事務組合に譲渡され同5(1993)年に動態復活を成し遂げ、翌6(1994)年3月から運行。それ以来、毎週土日に茂木〜下館間を一往復ずつしているとのこと:

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煙突部

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動輪部

当たり前だが(写真を含め)各地で見かける静態保存のSLよりリアル感が高い:

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運転部

運転室の中:

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各種計器類と各種ハンドル

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石炭保管部

ナンバープレート:

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C1266(昭8・日立)

牽引されているのは50系客車。平成5(1993)年にJR東日本から譲渡され、のちに白帯から赤帯に変更された:

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50系客車

客車の内部:

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客車内部

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新潟鐵工・昭和55年

SLもおか号が走行する真岡線にはトンネルはないものの、感染対策もあり、窓は開けたままなので煙が車内に入り込む。発車時の振動や走行中の汽笛などと同様に悪い感じはしない ;)。SLに乗ったのは二度目であるが、昭和の時代の客車についてはどこか懐かしい趣がある。

さらに沿線脇に集まってくる人が多いこと多いこと。鉄道マニアを含め、皆、気軽に手をふってくれるので、こちらも振り返してあげたりして、一時間半の長旅でなんとも云えない一体感をSLもおか号がガッタンゴットンと力強く走行しながら作り出していた感じ =)。他にも踏切待ちしている車の中からスマフォ取り出して撮影する人や、並行して走行している車中からチラリとSLを眺める人もたくさん居た。ほとんどが無人駅なので、それこそホームにはスマフォやカメラを持った人が大勢いたっけ。

こちらは真岡鐵道本社がある真岡駅に停車した時のC1266:

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SLもおか号@真岡駅

さらに三年前に、ここ真岡線沿線の城跡を攻めた時に偶然、前代のSLもおか号(C11325)を写真に収めたっけ :O。そこで初めて真岡鐵道がSLを運行していることを知った記憶がある[b]C11325はSL維持費の圧迫(コロナ渦による利用客減少もあり)で令和元(2020)年に東武鉄道に譲渡されたらしい。

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2022年10月 SLもおか号乗車 (フォト集)
See Also茂木城攻め (フォト集)

【参考情報】


ここからはオマケ。

茂木町を縦横断する逆川《サカガワ》前から見上げた城山(桔梗山)こと茂木城跡。逆川は天然の外堀でもあった:

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茂木城跡

同じく茂木町を縦横断する県道R27とマンホール蓋:

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県道R27

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茂木町の草・キキョウと那珂川と鶯

こちらは城攻めのあとにかき氷を戴いた満天家:

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日光・天然のかき氷「満天家」

かき氷のメニュー。他にもハンバーガなんかもあった:

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満天家・日光天然かき氷・Menu

こんな感じで氷を砕いていた。手動ではなく自動だけど :D

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天然かき氷の作成中

食べたかき氷は「とちおとめ」味+練乳付き(600円):

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日光かき氷・とちおとめ(600円)

この日は前日と打って変わって気温が高く、山登りして汗もかいたので、冷たいかき氷で体を冷やすことにした[c]自身としてはホント何十年ぶりのかき氷だった😁️。

日光天然かき氷・満天家
栃木県芳賀郡茂木町茂木1587

こちらが今回の散策ルート:

茂木町散策ルート

茂木町散策ルート

活動時間は 02:56、距離は 4.9km、消費カロリーは 1,1612Kcal。

参照

参照
a 自分は城攻めほど鉄道マニアに傾倒はしていないのだが。
b C11325はSL維持費の圧迫(コロナ渦による利用客減少もあり)で令和元(2020)年に東武鉄道に譲渡されたらしい。
c 自身としてはホント何十年ぶりのかき氷だった😁️。

肉うどん・中村屋 − A Well-Established Horsemeat-Udon Restaurant.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾第三弾の城攻めは無事に完了し、GW後半は長野県上田市に宿をとって、その周辺の城跡を攻めてきた。

その第四弾は長野県は埴科郡《ハニシナ・グン》坂城町《サカキ・チョウ》にあった北信(北信濃)の雄・信濃村上氏の居城・葛尾城攻めの予定を変更して、坂城町周辺をいろいろ巡ってきた。

葛尾城下にあたる坂城町は意外と歴史のある街であり、見どころが多かったこともあって半日だけでも結構な歩数[b]この日は26千歩。を稼いだ:D。お昼は坂城町にある御食事処で肉ものを頂いたが旧北国街道・坂木宿巡りを終えて、宿がある上田駅前に戻ってきた時にはお腹がペコペコ状態だった :O

と云うことで、あらかじめ開店時間を調べておいた宿泊場所近くの老舗うどん屋へ。時間帯的には夕食前であったがGWで混んだり並んだりするのは嫌だったので、店内が空いている時に頂くことにした:

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肉うどん・中村屋

このお店の「肉うどん」とは、いわゆる豚肉ではなく信州ならではのさくら肉(馬肉)使ったうどん。国鉄時代に信越線・上田駅ができた頃とほぼ同時期[c]明治21(1888)年ごろ。したがってこの年で創業134年になる(当時)。に創業した老舗中の老舗。信州蕎麦ではなく、信州馬肉うどん[d]創業当時は「肉かけうどん」と呼ばれていたらしい。で勝負する店である。

この日は坂城町を歩き回りって体力的にもヘトヘトで、肉を欲しがっていた体に馬肉うどん(680円)はもちろん、こちらも馬肉を使ったさくら丼(900円)を合わせで注文した :D

厨房近くのカウンター席に座って注文して、しばし待つとまず最初に馬肉うどんが出てきた:

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馬肉うどん(680円)

甘辛い醤油ベースの出汁に、ツルッとして柔らかいうどん。そして真ん中に煮込んだような馬肉がド〜ンとのっていた。薬味のネギは完全に脇に寄せられていた。主役の座を馬肉に渡してしまったうどんの方は飲み込んだら直ぐに消化されそうなくらい柔らかかった。主役の馬肉は意外と弾力があった。この肉はうどんの出汁をとるために煮込んだものらしく、出汁の方も一般的なめんつゆとは異なりに鰹節や昆布なんかは使っていないのだそうだ :|

うどんの量も結構あったような記憶があるが、まだ食べきらない間にさくら丼がでてきた:

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さくら丼(900円)

こちらは味噌汁と香の物たつく他、丼の方も馬肉とネギを(おそらくは)うどんの出汁で煮込んだ風の具材が暖かい御飯の上に乗っかり紅生姜が添えられていた。見た目も匂いも美味そうだったので、残っていたうどんを平らげて丼を頂くことに。丼はうどんほど甘辛くなく、ときおり脂身があったりして御飯がすすんだ :)。注文した時は食べきれるか多少不安であったが、この日の運動量からするにペロリとお腹に入ってしまった次第 :D。紅生姜がいい箸休めになった。

これで次の日の山城攻めのエネルギーを十二分に補充することができた ;)。が、やはりちょっとお腹が窮屈だったので宿泊先に戻る前上田城跡公園まで散歩してきた。

肉うどん・中村屋
長野県上田市天神1丁目6-6


ここからはオマケ。

この日の朝に乗ってきた北陸新幹線はくたか557号・金沢行:

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E7系のはくたか557号

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上田駅

上田駅構内では(相変わらず)眞田の六連銭と赤備えがお出迎え:

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ダンボール製甲冑

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上田城甲冑隊

上田駅のお城口・ロータリー内には、こちらもお馴染みの眞田幸村騎馬像。何年経っても人気者だ:

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真田幸村騎馬像

こちらは肉うどんとさくら丼を食べた後、腹をこなすために散歩してきた上田城跡公園の風景:

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上田城南櫓(拡大版)

かっては千曲川が流れていた尼ヶ淵跡(現在は芝生広場)から見上げた近世城郭・上田城の櫓。こちらも以前と変わりない:

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上田城西櫓(拡大版)

そして階段を登って公園内に入ったけど、いろいろ工事中だった。ライトアップされた櫓を見たのは初めて ;)。但し、公園の中では逆にライトアップの強烈な光で難儀したけど :O

これは初めて見た新しい幸村像:

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眞田幸村像

こちらは東虎口櫓門。向こう側から出てきたけど強烈なライトにやられた感じ:

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東虎口櫓門

最後は、こちらもおなじみの六連銭が描かれたマンホール:

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マンホールと六連銭

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also上田城攻め (3) (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b この日は26千歩。
c 明治21(1888)年ごろ。したがってこの年で創業134年になる(当時)。
d 創業当時は「肉かけうどん」と呼ばれていたらしい。

旧北国街道坂木宿めぐり − A Traditional Post Town on Hokkoku Kaidō.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾、そして第三弾の城攻めは無事に完了し、第四弾として戦国時代に若き日の武田信玄を苦しめ、北信(北信濃)で最大の勢力を誇った信濃村上氏の居城として有名な[b]現代ではハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかある。なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。葛尾城《カツラオ・ジョウ》を攻めるため、長野県は埴科郡《ハニシナ・グン》坂城町《サカキ・チョウ》までやってきたが、ここにきてGW連日の山城攻めでさすがに疲れが出てきたので、この日の城攻め(山登り)を取り止めることにした[c]他にも暑かったとか、登山コースなど下準備が完全ではなかったと云うのもある。

そのかわりに旧葛尾城下にあたる坂城町で村上義清にゆかりある場所を巡ってきた他に、旧北国街道の宿場町として坂木宿[d]現代の町名は「坂城」、江戸時代は「坂木」宿または「坂木」藩。の歴史に触れてきた。実際、そういう趣を持つ建物や街の中の情景が印象深かった:)

これが街の中に建っていた探訪ガイド。ここに掲載されていた場所を巡ってきたと云う次第。この案内板も歴史を感じる:D

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北国街道坂木宿・歴史探訪ガイド(拡大版)

ガイドにある⑪坂城駅。上田駅からしなの鉄道に乗り換えてきた:

しなの鉄道

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坂城駅

駅前から北へ向かう県道R339が旧北国街道。ここ坂木宿はゆるやかな坂と鉤形の街道に沿った町割りが特徴である:

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県道R339は旧北国街道

北国街道は中山道追分宿(現在の軽井沢町)から分かれ、坂木宿をとおり、越後国高田(現在の上越市)で北陸道と結れる道で、北国往還とも呼ばれ、五街道につぐ重要な街道の一つだった。この道筋の歴史は古く、江戸時代の上杉景勝の時代に越後府中(現在の上越市)と海津城(現在の長野市)を結ぶ伝馬制がしかれたことが始まり。

まずは旧北国街道を北へ向かう。すると、右手に見えてくるのがガイドにある坂木宿・ふるさと歴史館

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坂木宿・ふるさと歴史館

ここは北国街道坂木宿本陣[e]江戸時代の宿場町で大名・旗本など位の高い者が泊まった建物。ちなみに「脇本陣」は本陣の予備の建物を指す。の跡地に建てられた木造三階建一部平屋造の住宅である。昭和4年に遊郭経営者により建てられた風情あるもので、のちに病院となって洋館部分が増築されたと云う。

この敷地には江戸時代中期に建てられた旧本陣表門が遺構として残されていた:

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旧本陣表門

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大壁造り

本陣の表門は間口六間、奥行き二間半の入母屋造り、桟瓦葺き。門扉以外は土塀による大壁造り《オオカベヅクリ》[f]壁に覆われて柱が見えない構造で、日本では近世城郭で見られる塗籠《ヌリゴメ》などがあたる。で、扉には八双金物《ハッソウカナモノ》と云う飾り金具の痕跡があることから江戸中期に建てられたと推測されている。坂城町指定有形文化財。

この表門は一部が土蔵になっていて、当時は江戸時代に使われていた生活道具などが展示されていた:

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民族史料の展示

本棟にあたるふるさと歴史館は木造三階建の住宅を利用したもので12の和室や座敷を有し、展示スペースとして利用されていた:

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元は遊郭・病院だった

玄関を入ってすぐの交流スペースには、この時期に合わせて五月人形が飾られていた:

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交流スペース

五月人形

五月人形

そして、ここ長野(北信濃国)の戦国大名である村上義清に関連する史料の他、江戸時代の坂木宿指定を示す朱印状や旧北国街道に関する史料、そしてこの地で盛んだった和算や算盤《そろばん》などの日本式算術の歴史ある展示品がたくさんあった:

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村上氏に関する史料など

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御本陣と宿場町

さらに、この歴史館で葛尾山への登山マップ[g]これがよく書かれた手書きマップ。と『坂城町郷土史シリーズ第1集・葛尾城を歩く』(笹本正治著/坂城町教育委員会)を入手。きたる城攻めに向けての準備もできた :)

歴史館を出て再び旧北国街道を北上していくと、こちらも江戸時代の坂木宿の名残を残す建物がいくつか見かけた。こちらがガイドにある⑨大門町・春日家・山浦家⑩名主坂田家の屋敷:

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名主・坂田家の建物

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大門町・春日家・山浦家の建物。

さらに北上して村上氏の居館跡とされる⑥満泉寺へ立ち寄ったあと、次の宿場町である上戸倉に向けて西へ折れる旧北国街道を越えたところに鎮座する⑦坂城神社へ:

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坂城神社

主祭神は、日本神話にも登場する出雲の大国主神《オオクニヌシノカミ》。その昔、日本武尊《ヤマトタケルノミコト》が東征した折に、この地に祖神を祀り社殿を建てたのが始まりなのだとか。戦国時代はこの地を納めた村上氏によって代々崇敬され、武田信玄が領した際には祭祀を再興し、その子・勝頼も保護したと云う古文書が残る。

現代は縁結びの神様として多くの参拝者がいるらしいとのことだったが、GWなのにほとんど誰もいなかったけど :|

拝殿

拝殿に入る手前には町指定有形文化財の狛犬がある。これは天和2(1682)年から元禄16(1703)年までの二十二年間坂木に陣屋を置いていた坂木藩板倉氏の家臣・石川義孝が寄進したものと伝わる。

境内は見事な杉の木に囲まれていた:

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境内の杉の木

そして坂城神社裏にある葛尾城跡の登城口を確認したあとは、村上義清公ゆかりの地を巡って坂城町を南へ縦断し、再び坂城駅へ。

こちらは旧北国街道沿いに建っていた釣り鐘:

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坂城町の釣り鐘

坂城駅隣にある多目的広場には平成25(2013)年に惜しまれつつも引退となった169系電車(S51編成)が展示されていた。それも、なつかしの湘南色:

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169系電車

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169系電車

169系電車は信越本線(横川〜軽井沢間)の急勾配な碓氷峠において、EF63 型電気機関車と協調運転することで輸送力とスピードアップを図ることを目的として昭和43(1968)年に誕生した。主に信越本線の中長距離向けに、急行「信州(上野〜長野)」、「妙高(上野〜長野〜直江津)」、「志賀(上野〜湯田中)」の各路線で活躍した。

この日の最後は鉄の展示館・コミュニティセンター[h]坂木宿・ふるさと歴史館と一緒に観覧する場合は割引あり。

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鉄の展示館

ここ坂城町は、人間国宝で坂城町出身の刀鍛冶の故・宮入行平《ミヤイリ・ユキヒラ》氏のもとで修行した多くの刀匠が宮入一門会として活躍していることに因んで「刀匠の町」として広く知られているらしい。それに関連して趣向を凝らした企画展や故・高倉健氏所蔵の刀剣類などを展示しているのだとか。

戦国好きではあるが、正直なところ刀剣については自慢できるほど深い造詣はなく、最近の巷でのブームには全く関心がない自分ではあったけど、ここで見た刀剣の基本みたいな説明図は大変勉強になった:)。これからは刀剣の歴史についても勉強しようと思う。

まずは『日本刀ができるまで』。刀の原料(玉鋼《タマハガネ》)からいくつもの工程を経て日本刀ができあがるまでをわかりやすくフローにた図:

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日本刀の誕生(拡大版)

この図を見て、今まで知らなかったことが分かって大変勉強になった ;)

他にも『日本刀の裏表』とか『銘の種類』など丁寧に説明してくれる図があった。これらは必見:

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『日本刀の裏表』

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『銘の種類』

展示室はこんな感じ。撮影はフリーだった 8)

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展示室

全て撮りきれなかったが、ひとまず気になったものを紹介していくと、こちらは鎌倉時代後期の太刀。備州長船則光、附・黒漆塗鞘打ち刀:

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備州長船則光

鎌倉時代の太刀。この村上大國魂神社奉納大太刀は、信濃村上氏が埴科郡に進出する前に大國魂神社へ奉納されたもの:

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村上大国魂神社奉納大太刀

鎌倉時代中期の太刀で無銘。肥後藩主細川忠興の差料を幕末に模したもの:

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太刀・無銘(景安)

人間国宝・宮入行平刀匠に関するもの:

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刀匠・宮入行平像「鉄の華」

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宮入行平肖像画

専用の展示室:

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宮入行平展示室

大関昇進した長野県出身の御嶽海関が一日館長を務めたらしい[i]後ろの張り紙から察するに大関昇進前のイベントか。

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一日館長の御嶽海関

最後は季節柄、必須な五月人形のひな壇?:

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五月人形?

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also2022年5月 坂木宿とふるさと歴史館 (フォト集)
See Also2022年5月 坂城町鉄の展示館 (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

坂城町巡り

旧北国街道坂木宿めぐりルート

活動時間は 03:23、距離は 5.5km、消費カロリーは 1,251Kcal。

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b 現代ではハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかある。なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。
c 他にも暑かったとか、登山コースなど下準備が完全ではなかったと云うのもある。
d 現代の町名は「坂城」、江戸時代は「坂木」宿または「坂木」藩。
e 江戸時代の宿場町で大名・旗本など位の高い者が泊まった建物。ちなみに「脇本陣」は本陣の予備の建物を指す。
f 壁に覆われて柱が見えない構造で、日本では近世城郭で見られる塗籠《ヌリゴメ》などがあたる。
g これがよく書かれた手書きマップ。
h 坂木宿・ふるさと歴史館と一緒に観覧する場合は割引あり。
i 後ろの張り紙から察するに大関昇進前のイベントか。