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群馬県安中市 − the 1st Attack of GW in 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤐️は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。しかしながらWeek前半は天気に悩まされた。一日前の予報も全く当てにならないって感じで :(。おかげで初日の城攻めは大雨で次の日に繰り越すことに。幸いにも翌日は晴天になってくれたが、ぬかるみとかが気になってしまった :O

と云うことで今年の GW 城攻め第一弾は群馬県安中市にある松井田城跡へ。事前に調査してみたらかなり広い城域の山城で見どころも多いようなので時間内に見て回れるか多少不安であったが。さらに小田原北條氏の重臣であり松井田城主を務めた大道寺政繁公の墓所がある補陀寺《ホダジ》にも立ち寄よる予定も追加した。この城跡には駐車場もあるようだが、車の移動時間が読めなかったので移動は公共機関と徒歩にした。

当日は東京から北陸新幹線たにがわ403号・ガーラ湯沢行で高崎まで移動した:

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JR新幹線たにがわ403号はE7系

こちらは高崎駅構内で見かけた D51 のSL時計。SL復活運転の拠点が高崎駅なのだとか:

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SL時計

そして信越本線に乗り換えて最寄り駅となる西松井田駅に到着したのが朝10時前。駅北側の高架から松井田城跡を眺めることができた。往時は全山要塞化された山城だったようだ:

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西松井田駅から眺めた松井田城跡

一方、駅の南側からは日本三大奇景の一つとされる妙義山《ミョウギサン》を見上げることができた:

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西松井田駅前から眺めた妙義山(拡大版)

今から700万年以上前に形成され、その後に風化・侵食することで険しい斜面となったらしい。ズームすると、その特異な形状がよく分かる =)

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妙義山の奇岩

こちらも同じく駅の高架から眺めることができた浅間山:

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信越本線・横川方面

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浅間山

駅北口から国道R18(松井田杯パス)へ向かう途中に大道寺家の菩提寺でもある補陀寺がある:

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曹洞宗・補陀寺

大道寺政繁公の墓所前からも妙義山をよく眺めることができた:

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補陀寺から眺めた妙義山

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裏妙義ー丁須の頭

ちなみに大道寺政繁公の供養塔は、昨年末に攻めてきた河越館跡近くの常楽寺にもある。

ここから往来が激しい国道R18沿いを歩いて、松井田城跡の登城口までぐるりと回り込むようなルートで向かった。

こちらはR18沿いを歩いていて見かけたもの。まずフジの花:

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松井田バイパス沿いで見かけたフジの花

国道R18越しに眺めた妙義山:

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松井田バイパスと妙義山(拡大版)

妙義山は白雲山(1,801m)、金洞山(1,104m)、そして金鶏山(856m)の三山からなる表妙義と、谷急山(1,162m)、烏帽子岩(1,105m)、赤岩岳、丁須の頭《チョウスノカシラ》(1,057m)、御岳からなる裏妙義を総称するものらしい:

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表妙義ー白雲山

最後は国道R18沿いに建っていた天竈朝陽《テンソウ・チョウヨウ》と古賀錦山《コガ・ギンザン》の墓碑(市指定重要文化財):

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天竈朝陽・古賀錦山の碑

二人共に江戸時代の医者であり、松井田宿で患者の診察など献身的な奉仕で多くの信頼を得たという。天竈朝陽は本名は松井安二郎と云う大坂の人で京都で医法を学んだ。天保6(1835)年に死去したあと、門人によって墓碑が建てられた。古賀錦山は九州の人で松井田宿で多くの診療に従事した。慶應2(1866)年に死去するが「天竈朝陽翁のそばに葬って欲しい」との遺言により、天竈朝陽の傍らに埋葬された。

【参考情報】

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also松井田城攻め (フォト集)
See Also大道寺駿河守政繁公墓所/大泉山・補陀寺 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤐️

おぎのや 峠の釜めし − Eat the well-established Kamameshi at pass.

久しぶりに天気に恵まれた先週末は令和4(2022)年の清明《セイメイ》の候、七年前に巡ってきた甲斐武田家終焉の地を再訪してきた。加えて、前回は訪問できなかった天目山・栖雲寺《テンモクザン・セイウンジ》に行って来た。この寺院は武田家先祖の終焉の地とされる。

七年前に巡った時は年の初めで極寒だったと記憶しているが、今回はまったくの逆で、まさに季節外れの暑さだった:$。そんなドライブ日和だったこともあり、この日午前中の中央道は案の定の大渋滞。途中、談合坂SAでトイレ休憩して、お昼に食べるものを物色して早速目についたのが峠の釜めし。てっきり群馬県周辺でしか手に入らないものと思っていたので、初めて実物を見たらついつい購入してしまった。まだ温かかったっけ:)

このあとは大月ICから国道R20へ下り、新笹子トンネルを出てすぐの道の駅甲斐大和に立ち寄ってから、甲斐大和駅北にある武田勝頼公之像へ。桜吹雪のなか七年ぶりの再会だった。

それから県道R218(大菩薩初鹿《ダイボサツハジカ》線)から天目山へ向けて峠を登った。途中、ナビのガイドが消えて少し焦ったが、天目トンネルを抜けて少し登ると栖雲寺があり、その前を少し過ぎたところの天目駐車場に車を停めた。

時間的にお昼だったので車中でお昼にしようか考えていたけど、せっかくなので天目山麓から峠の風景を眺めながら釜めしを食べることにした。と云うことで見つけたのが駐車場前のガードレール脇(日川渓谷の竜門峡歩道入口近く)で、なんと霊峰富士を眺めることができた;)

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竜門峡歩道入口近く

ガードレール裏に腰掛けて、初めての峠の釜めしを頂くことに:

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「元祖・峠の釜めし」(1200円)

紐をほどいて掛紙をとり、「横川駅おぎのや」と彫られた蓋(陶磁器)を開ける:

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山の幸が入った釜めし

蓋に刻まれた「横川駅」とは明治18(1885)年に開業した信越本線[a]現在は群馬県高崎駅から群馬県横川駅まで。横川駅のことらしい。開業時に構内でお弁当を販売していたのが「おぎのや」。

醤油系の出汁をつかった釜めしの上には、鶏肉や椎茸、ごぼう、筍などたくさんの具材が載っていた。買った時より冷めていたにも関わらず、一つ一つにしっかりと味が染み込んでとても美味しかった。おまけに付いていた香の物が一段と釜めしの旨さを引き出していた感じもする:

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味付けが素晴らしい

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美味い

最近、東京の奥多摩でも釜めしを食べたけど、断然「おぎのや」の方が旨かった:)。歴史が違うね。でも奥多摩の方、よく見たら峠の釜めしの釜を使っていないか? :|

この掛紙にしてもしっかりと歴史がある上に、食べ終えてた空き釜で御飯を炊くこともできるし、市販品を入れてレンジで温めたり湯煎することもできるらしい:

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掛紙に歴史あり

美味しい釜めしを食べながらの富士山の眺めもよかった:

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峠から富士山の眺め(拡大版)

天目山・栖雲寺
山梨県甲州市大和町木賊122


ここからはオマケ。

4月という季節柄、とにかく桜の風景がすばらしかった。

こちらは新笹子トンネルを抜けた先にある道の駅甲斐大和:

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道の駅・甲斐大和

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国道R20沿いにある

いかにも峠って感じ:

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米沢山を貫通していた新笹子トンネル(拡大版)

こちらは甲州高尾山方面の眺め:

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甲州高尾山(拡大版)

満開の桜:

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しだれ桜

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大島桜

JR甲斐大和駅:

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甲斐大和駅

駅周辺の桜もすばらしい:

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JR中央線沿線の桜

駅北側にある武田勝頼公之像と満開の桜。桜が似合う若大将である:

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武田勝頼公之像と桜

近くにある中学校の校庭も桜が満開だった:

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市立大和中学校

こちらが臨済宗建長寺派の天目山・栖雲寺:

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栖雲寺の本堂

南北朝時代[b]鎌倉時代と室町時代の間。に中国の元の国にある天目山で修行した業海本浄《ゴッカイホンジョウ》禅師が帰国し、甲斐武田家の招聘により開山した禅寺。

この寺は蕎麦切発祥の地らしい:

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栖雲寺は蕎麦切発祥の地

その由来は、江戸時代の宝永年間(1704〜1711年)に尾張藩士の天野信景が記した雑誌『塩尻』によるものとされる。そこには

”蕎麦切は甲州より始まる、初め天目山へ参詣多かりし時、庶民参詣の所人に食を売に米麦の少かりし故、蕎麦を練りて旅籠とせし、其後うどんを学びて今の蕎麦切とはなりし信濃人のかたりし”

とあり、開山した業海本浄禅師の渡海経歴が中国から麺類が伝えられた時代と重なったところが由緒となったのだとか。

また庫裏の裏山には禅僧の修行場として使われた「普通ではない」石庭があった:

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斜面と奇岩を持つ石庭

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石庭

大きな石がゴロゴロあってすごかった。ここ(有料)を観るには登山靴の方がよいかも。

帰りは、こちらも七年前に巡ってきた武田勝頼公らの供養塔がある景徳院にも立ち寄ってきた:

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武田勝頼候廟所の景徳院

こちらの境内も桜が満開だった。県指定重要文化財の山門と桜:

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山門と桜

静寂の色と桜の色がほんと「満開」な状態だった:

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境内で満開の桜(拡大版)

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境内の桜

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also武田勝頼公之像 / 2022年4月 (フォト集)
See Also武田勝頼公墓所と景徳院 / 2022年4月 (フォト集)
See Also甲斐天目山の戦い / 2022年4月 (フォト集)
See Also天目山栖雲寺 / 2022年4月 (フォト集)

参照

参照
a 現在は群馬県高崎駅から群馬県横川駅まで。
b 鎌倉時代と室町時代の間。

らーめん専門店 めん蔵 − A Nostalgic ASAHIKAWA Style Ramen.

先週は、令和4(2022)年3月末に(COVID-19 感染拡大中ともあって)二年越しの人間ドックに行って来たが、全検査を終えて検診結果の説明があるまで時間があったのでお昼を摂ることを兼ねて検診センター(西新橋・虎ノ門)周辺を散策してきた[a]これまでは、お昼は検診センターが提供してくれる弁当を利用していたが COVID-19 感染予防対策のため提供中止だった。おまけに一眠りできるリザクレーションルームも閉鎖だった  😥 。。さらに胃内視鏡検査をしたので喉の局部麻酔が解けて飲食できるまで1時間くらい必要だった[b]無理して食べると喉を痛めるらしい。 :|

なにせ検査のため朝から水も食物もまともに摂っておらず体力的にキツかったので、とにかくお昼を食べれるまでの小一時間を潰すため前回と同様に、まずは近くにある愛宕神社を参詣。ここの階段を上がるのがキツかったが :$。それから季節的に桜が満開だった愛宕山周辺をうろうろ。それでもまだ時間があったので、前から気になっていた NHK放送博物館に入ってみた(入場無料)。

これが予想外に面白くて、子供の頃に観たり聞いたりした懐かしい番組やラジオ・テレビ関係の歴史、そしてハードウェアの展示なんかはホント時間を忘れてしまいそうだった。ラジオ放送からテレビ放送、衛星放送、ハイビジョン放送、そしてデジタル放送といった技術の進歩につれて番組内容が変わっていくのも。あと JOAK の呼びかけって昔どこかで聞いたな〜って自らの記憶を辿ることができて楽しかった〜 ;)。大河ドラマや朝のテレビ小説コーナーなんかじっくり観たかったので、また観に来たい:)

それから弁当屋などを探しながら検診センターへ戻ることにした[c]検診センター内で弁当を食べることが可能だったので。

そこで見かけたのがラーメン屋の暖簾。検診センターを出た時は「準備中」の札がかかっていたので特に気にしなかったが、中に客が居るのを見たら無性にラーメンを食べたくなって、空いているこの時間ならばと暖簾をくぐることにした:

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らーめん専門店・めん蔵

カウンター席には先客一人が味噌ラーメンを食べていた。店員は一人。暖簾に「西山製麺」の文字が目にはいった時点で、さっぽろらーめん系(卵麺)かと推測した。あとで調べてみたら、やはりこの店はさっぽろらーめん系らしい。

さっぽろらーめん系なら味噌だろうが、道民としては醤油ラーメンでその実力を確認するものだ :X。と云うことで醤油ラーメン(700円)を注文:

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醤油ラーメン(700円)

この黒い醤油ベースのスープ。まさに旭川ラーメン。ただしモヤシが載っていない。これはマイナスだなぁ。麺もスープも西山製麺のものだろう。昔食べたような味だったので :)。チャーシューは脂が旨かった。もうお腹が空いていたので、塩っぱいスープを飲み干してしまった :D

次回の人間ドックは味噌ラーメンにしてみよう。

らーめん専門店・めん蔵
東京都港区西新橋3丁目13-6


ここからはオマケ。

まずは愛宕神社:

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愛宕神社の入口

境内へ上がる石段は男坂と女坂の二つある:

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男坂

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女坂

男坂の石段を上がって振り返って見下ろすと:

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一の鳥居から見下ろす

丹塗りの門をくぐって社殿で参詣:

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愛宕神社の社殿

この神社は、征夷大将軍の徳川家康が慶長8(1603)年に江戸に幕府を開くにあたり防火・防災の守り神として創建された。

こちらは愛宕隧道《アタゴ・ズイドウ》と桜の木:

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愛宕トンネルと満開の桜

そして愛宕神社の隣りにあるNHK放送博物館。こちらも桜は満開:

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NHK放送博物館

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満開の桜

博物館1Fのエントランスで「チコちゃんとキョエちゃん」がお出迎え:

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チコちゃん」と「キョエちゃん」

2Fの展示物には、子供の頃に観た番組系の展示物があった。特に人形劇「プリンプリン物語」は懐かしかったなぁ 8)。こちらは「ひょっこりひょうたん島」:

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NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」

ゴン太くんも:

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着ぐるみ

最後は最寄り駅に向かう際に立ち寄った芝公園から東京タワーの眺め:

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芝公園から東京タワー

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also西新橋散策 (フォト集)

参照

参照
a これまでは、お昼は検診センターが提供してくれる弁当を利用していたが COVID-19 感染予防対策のため提供中止だった。おまけに一眠りできるリザクレーションルームも閉鎖だった  😥 。
b 無理して食べると喉を痛めるらしい。
c 検診センター内で弁当を食べることが可能だったので。

奥多摩釜めし・愉宇 − A simple Kamameshi has a simple taste.

先週は令和4(2022)年の天皇誕生日、陽が出ている割にはまだまだ三寒四温《サンカンシオン》なんて感じられない肌寒い祝日に、次回予定していた山城攻めの下調べ[a]駐車場の有無など確認したかった。のために東京都奥多摩まで足を運んできた。長時間ドライブに加え道に迷うなどハプニングなどあったが、通りがかりに目についた飯屋で遅めのお昼を摂ることにした[b]トイレにも行きたかったので。

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奥多摩・青梅地域では釜めしの元祖らしい

どうやらこのお店、「奥多摩釜めし」の元祖らしく釜めしセットがオススメとのことだった。この奥多摩釜めしには水炊きがつく[c]さらに+100円でうどん入りの水炊き釜にできるらしい。のがデフォルトらしい :)。本格的な釜めしは初めてなので、今回は水炊きが付かない方のミニセット(1,250円)を注文した。

釜めしが炊きあがるまで少し時間がかかるようなので前菜が出てきた。お皿に載っている山芋はこのお店で栽培したものらしい:

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前菜(温泉卵+山芋)

お店のすぐ脇を渓谷度が数段高い荒々しい多摩川が流れており、そんな渓流を眺めながら頂いた。山芋は丁度よい塩加減で美味しかった :)

あと竹で造ったシンプルな箸置きが気に入ったので帰り際にお土産として購入した。で前菜を食し終えて待つこと10分くらい。お待ちかね、釜めしセットの登場:

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奥多摩釜めしミニセット(1,250円)

お店の中は寒かったので、温かくてほくほくした釜めしはたまらないって感じだった :D。具は山菜がメインだと思ったら、他にひじきなんかが入っていたり、お米は昆布や鰹節なんかで炊いているんだそうで。奥多摩釜めしはまるまる山のモノって云うわけではないようだ:

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山のモノがメインと思ったら…

味付け素朴で、濃くもなく薄くもなくシンプル。ただかなり残念だったのがみそ汁が温るくて、他に具材のカボチャやきんぴらが冷たかったこと。具材の方はおそらく炊きあがった後に出来合いのものを載せたぽいな :$

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ひじきが入っていた

と云うことで完食。黒豆も美味しかった。好物だし:

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完食

会計の際に、店内で宣伝していた梅酒(600円)と竹細工の箸置き(200円)をお土産に購入した ;)

奥多摩釜めし 愉宇《ユウ》
東京都青梅市二俣尾1-52


ここからはオマケ。すべて下調べした山城を攻めた時のもの。

下調べは車だったけど、実際の城攻めではJRで移動した :P。こちらは最寄り駅であるJR青梅線の二俣尾駅:

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二俣尾駅

駅北口から城跡へ向かう途中にある洞宗海禅寺。大変立派な山門:

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海禅寺の山門

そして、この寺院の参道はJR青梅線が横切っていた:

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参道を横切るJR

この日攻めた山城は、奥多摩では有名な青梅高水山トレイルコースとか奥多摩丘陵ハイキングコース上にあって、COVID-19::Omicron 感染拡大中にも関わらず、たくさんの人に遭遇した。 オマケに、この日は先日の下調べした時とは大違いの暖かさだったし:

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青梅高水山トレイルランのコース

これは枡形山城の主郭跡で見かけた基準点。:

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二等基準点

枡形山城跡から物見山(405m)へ向かう途中、まだ雪が残っていた。この道はハイキングコース:

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奥多摩ハイキングコースに残る雪

尾根筋には送電線の鉄塔が建っていたが、そこに付いていた注意書き、最近どこかで見た記憶がある:

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送電線の鉄塔

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なぜ鷲?

物見山から下りていくと名郷峠:

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名郷峠(拡大版)

さらに名郷峠から振り返って見た物見山方面:

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急峻なコース(拡大版)

こちらが、今回の目的地である辛垣《カラカイ》城主郭跡:

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辛垣城主郭跡

この城は石灰岩が多かったらしく、江戸時代から採石場となっており、城の状態が破壊された状態で残っていた。なので土塁で囲まれている訳ではないらしい。

他にもハイキングコースからは巨大な岩盤をたくさん目撃した;

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むき出し岩盤

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切り立った岩盤斜面

城攻め中に見つけた不思議な切り株と無数の苔:

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切り株を覆う苔

下山したあと、多摩川に架かる奥多摩橋から城跡を眺めることにした:

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雷電山と辛垣城(辛垣山)

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奥多摩橋

この奥多摩橋から見下ろした多摩川:

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多摩川

多摩川

最後は多摩川が侵食してできた岩盤。荒川みたい:

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多摩川

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also辛垣城・枡形山城攻め (フォト集)
See Also海禅寺と三田氏墓所 (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

辛垣城攻めルート

活動時間は 04:15、距離は 6.1km、消費カロリーは 1937kcal。

参照

参照
a 駐車場の有無など確認したかった。
b トイレにも行きたかったので。
c さらに+100円でうどん入りの水炊き釜にできるらしい。

小野路宿散策 − It was unexpectedly Historical Area.

昨日は令和4(2022)年の立春の候を過ぎた週末、この季節一番で極寒の予報ではあったが天気が良いようなので今年初の城攻めへ。

新しい年が明けてすぐに国内のいたるところで COVID-19::Omicron の感染が急拡大し、もしかしたら関東圏には今月にも緊急事態宣言が発令されるんじゃないかと云う不安が募ってきた中、何といってもずいぶんと山城攻めがご無沙汰だった[a]記憶では、昨年は令和3(2021)年10月末が最後だったと思う。こともあって山城を探すことに。

しかしながら遠出の準備をする暇も無く、もちろん感染拡大中での移動手段も気になったので、比較的近場である東京都町田市にあった平山城を攻めることに。一つは比高70mほど丘陵上に築かれていた小野路城跡と、その近くにあった砦規模の小野路関屋城跡へ。この周辺には多摩丘陵なんかがあるようで町田と云ってもてっきり田畑が多い田舎的なエリアと勝手に想像していた ;)

で今回、小野路城跡を攻めたあと次の小野路関屋城跡へ向かう際に、町田市HPの小野路宿里山交流館・周辺散策ガイドマップで公開されていた散策路を利用した訳なのだが、この辺りはどうも江戸時代の宿場町として賑わった小野路宿《オノジジュク》って意外と歴史的に知られたエリアだったようだ。どうりで小野路宿通り[b]都道R156(町田日野線)のこと。を歩いていたら風情ある建物が目についたっけ :)

と云うことで小野路城跡からほど近い町田市立野津田公園まで車で移動して駐車場[c]土日は有料。今回利用したのは西口第1駐車場。朝9時半からお昼1時半くらいまでで料金は350円(当時)。こんなご時世からか有料だからか朝9時でもガラガラだった。から出発。

駐車場を出るといきなり「小野路の一里塚」なる史跡があった:

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小野路の一里塚

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小野路の一里塚

この塚は、徳川家康が死去した翌年の元和3(1617)年に駿河国の久能山東照宮に埋葬されていた遺骨を日光東照宮へ移すための街道整備に伴って造られたと云う。この街道は、古来は「鎌倉みち」と呼ばれ、鎌倉から武蔵国の国府があった府中を抜けて上野国方面につながっていたらしい。

こちらは小野路城跡へ向かう途中で見かけた注意板。電柱の後ろに隠れているのは、いかにも昭和生まれの悪い奴って感じ:D

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真っ暗だと分かりづらくないか?

これは城の遺構ではないけど、なんとも特徴的な地形:

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さらに城跡へ向って歩いて行くと、気になる注意版があった:

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この辺りは「図師小野路歴史環境保全地域」(拡大版)

気になったのは「マムシ注意」の方ではなく「SNSに載せないで!」って云う注意書き :|

保全地域内の希少生物の写真や情報を SNS に掲載することにより、土地が荒らされたり盗掘などの危険にさらされる可能性がありますので、お控えください。

〜貴重な動植物への配慮をお願いします〜(東京都多摩環境事務所)

人の良心に訴える控えめな注意書きのようだが、これを尊守する(外国人を含む)人間がどれくらい居るだろうか。今のような時代、本当にこれを実現したいのであれば完全保護区みたいにしないとダメではないだろうか :|。正直 SNS が悪とするのは全く合理的な主張には聞こえないし、逆に地元の奴輩の強引で身勝手な主張と捉えられないだろうか。盗むや壊す行為自体は犯罪なので。

実は、今回攻めた小野路城跡も歴史環境保全地域である:

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小野路城址(拡大版)

本丸に相当する郭1跡には八雲《ヤクモ》神社が祀られていた:

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八雲神社

全国に多くあるスサノオを祭神とする八雲神社の分祀だろうか。詳細は不明。

そして郭1跡北側下には城内の井戸としても利用されたという(伝)小町井戸があった。今でも水が湧き出ていた;

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(伝)小町井戸

この名の由来は、平安朝のむかし、小野小町が病にかかったおり、この山に千日籠もり、この湧き水で目を洗ったところ全快したと云う伝説から。

こちらは城内にあった送電線用の鉄塔とその注意書き。でも、なぜ鷲? 鷲だと登っちゃわない?:

環境保全地域を横切る送電線

環境保全地域を横切る送電線

なぜ鷲?

なぜ鷲?

城の郭跡の一つが10番ホール(?)になっていた:D

ここはゴルフ場ではありません

ここはゴルフ場ではありません

小野路城を攻めたあと、ガイドマップにあった散策路を経由して次の小野路関屋城へ向かった。

こちらはコース No.6 と No.5 の標柱の間にあった田畑から眺めた風景(パノラマ):

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のどかな田畑風景(パノラマ)

さらに見晴らし広場なる展望エリアからの眺め。ランドマークタワーが見えるとマップに書いてあったが、まったく見えなかった :(

ランドマークタワーはどこ?(拡大版)

ランドマークタワーはどこ?(拡大版)

ここからさらに東を進んでいくと、(伝)戦車塹壕なる遺構があった[d]一応、Google Map に場所を申請しておいた。

戦車塹壕跡

戦車塹壕跡

戦車塹壕跡

戦車塹壕跡

先の大戦末期、本土決戦を想定して帝国陸軍は相模湾から上陸するであろう米軍を迎撃するために、ここ多摩丘陵周辺に最後の防衛ラインを築き、小野路をあたりには戦車壕が掘られたのだとか。かって町田市内と多摩丘陵上の尾根道は「戦車道路」とも呼ばれ、相模陸軍造兵廠《サガミ・リクグン・ゾウヘイショウ》による性能テストや訓練に使われた専用道路があったらしい。

小野路関屋城跡近くには、鎌倉みちと布田道が交差する箇所に関所が建っていて切通しになっていたらしい。現在は「関屋の切通し」と呼ばれている:

関屋の切通し(拡大版)

関屋の切通し(拡大版)

一部は崩落している箇所があるようだけど、注意板とか建てなくて大丈夫なのだろうか? :/

関屋の切通し

関屋の切通し

関屋の切通し

関屋の切通し

説明板によると、この布田道は、かの新撰組局長・近藤勇も通ったらしい:

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布田道

小野路関屋城跡の内部は大部分が竹林だった;

城内は竹林

城内は竹林

城内は竹林

城内は竹林

ちょっと奇妙な模様を持つ木。枯れ木?:

奇妙な模様が入った木

奇妙な模様が入った木

奇妙な模様

奇妙な模様

最後は、城攻めを終えて野津田公園へ戻る際に参拝しに立ち寄った小野神社:

尾野神社

尾野神社

梵鐘

梵鐘

小野路宿の入口に建つ小野神社は小野篁《オノ・タカムラ》なる国司の御霊を祀った神社。篁は平安時代前期の人で、和漢に優れた学者で、学問の神様であり、菅原道真の先輩にあたるのだとか。

戦国時代に入ると山内上杉の兵が小野神社の宮鐘を陣鐘として持ち去ったらしく、拝殿脇にある梵鐘は昭和の時代に復元寄進されたものらしい。

ということで、この時のフォト集はこちら:

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こちらが今回の散策ルート:

小野路宿散策ルート

小野路宿散策ルート

活動時間は 03:11、距離は 6.0km、消費カロリーは 1443Kcal。

参照

参照
a 記憶では、昨年は令和3(2021)年10月末が最後だったと思う。
b 都道R156(町田日野線)のこと。
c 土日は有料。今回利用したのは西口第1駐車場。朝9時半からお昼1時半くらいまでで料金は350円(当時)。こんなご時世からか有料だからか朝9時でもガラガラだった。
d 一応、Google Map に場所を申請しておいた。