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肉うどん・中村屋 − A Well-Established Horsemeat-Udon Restaurant.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾第三弾の城攻めは無事に完了し、GW後半は長野県上田市に宿をとって、その周辺の城跡を攻めてきた。

その第四弾は長野県は埴科郡《ハニシナ・グン》坂城町《サカキ・チョウ》にあった北信(北信濃)の雄・信濃村上氏の居城・葛尾城攻めの予定を変更して、坂城町周辺をいろいろ巡ってきた。

葛尾城下にあたる坂城町は意外と歴史のある街であり、見どころが多かったこともあって半日だけでも結構な歩数[b]この日は26千歩。を稼いだ:D。お昼は坂城町にある御食事処で肉ものを頂いたが旧北国街道・坂木宿巡りを終えて、宿がある上田駅前に戻ってきた時にはお腹がペコペコ状態だった :O

と云うことで、あらかじめ開店時間を調べておいた宿泊場所近くの老舗うどん屋へ。時間帯的には夕食前であったがGWで混んだり並んだりするのは嫌だったので、店内が空いている時に頂くことにした:

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肉うどん・中村屋

このお店の「肉うどん」とは、いわゆる豚肉ではなく信州ならではのさくら肉(馬肉)使ったうどん。国鉄時代に信越線・上田駅ができた頃とほぼ同時期[c]明治21(1888)年ごろ。したがってこの年で創業134年になる(当時)。に創業した老舗中の老舗。信州蕎麦ではなく、信州馬肉うどん[d]創業当時は「肉かけうどん」と呼ばれていたらしい。で勝負する店である。

この日は坂城町を歩き回りって体力的にもヘトヘトで、肉を欲しがっていた体に馬肉うどん(680円)はもちろん、こちらも馬肉を使ったさくら丼(900円)を合わせで注文した :D

厨房近くのカウンター席に座って注文して、しばし待つとまず最初に馬肉うどんが出てきた:

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馬肉うどん(680円)

甘辛い醤油ベースの出汁に、ツルッとして柔らかいうどん。そして真ん中に煮込んだような馬肉がド〜ンとのっていた。薬味のネギは完全に脇に寄せられていた。主役の座を馬肉に渡してしまったうどんの方は飲み込んだら直ぐに消化されそうなくらい柔らかかった。主役の馬肉は意外と弾力があった。この肉はうどんの出汁をとるために煮込んだものらしく、出汁の方も一般的なめんつゆとは異なりに鰹節や昆布なんかは使っていないのだそうだ :|

うどんの量も結構あったような記憶があるが、まだ食べきらない間にさくら丼がでてきた:

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さくら丼(900円)

こちらは味噌汁と香の物たつく他、丼の方も馬肉とネギを(おそらくは)うどんの出汁で煮込んだ風の具材が暖かい御飯の上に乗っかり紅生姜が添えられていた。見た目も匂いも美味そうだったので、残っていたうどんを平らげて丼を頂くことに。丼はうどんほど甘辛くなく、ときおり脂身があったりして御飯がすすんだ :)。注文した時は食べきれるか多少不安であったが、この日の運動量からするにペロリとお腹に入ってしまった次第 :D。紅生姜がいい箸休めになった。

これで次の日の山城攻めのエネルギーを十二分に補充することができた ;)。が、やはりちょっとお腹が窮屈だったので宿泊先に戻る前上田城跡公園まで散歩してきた。

肉うどん・中村屋
長野県上田市天神1丁目6-6


ここからはオマケ。

この日の朝に乗ってきた北陸新幹線はくたか557号・金沢行:

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E7系のはくたか557号

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上田駅

上田駅構内では(相変わらず)眞田の六連銭と赤備えがお出迎え:

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ダンボール製甲冑

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上田城甲冑隊

上田駅のお城口・ロータリー内には、こちらもお馴染みの眞田幸村騎馬像。何年経っても人気者だ:

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真田幸村騎馬像

こちらは肉うどんとさくら丼を食べた後、腹をこなすために散歩してきた上田城跡公園の風景:

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上田城南櫓(拡大版)

かっては千曲川が流れていた尼ヶ淵跡(現在は芝生広場)から見上げた近世城郭・上田城の櫓。こちらも以前と変わりない:

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上田城西櫓(拡大版)

そして階段を登って公園内に入ったけど、いろいろ工事中だった。ライトアップされた櫓を見たのは初めて ;)。但し、公園の中では逆にライトアップの強烈な光で難儀したけど :O

これは初めて見た新しい幸村像:

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眞田幸村像

こちらは東虎口櫓門。向こう側から出てきたけど強烈なライトにやられた感じ:

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東虎口櫓門

最後は、こちらもおなじみの六連銭が描かれたマンホール:

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マンホールと六連銭

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also上田城攻め (3) (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b この日は26千歩。
c 明治21(1888)年ごろ。したがってこの年で創業134年になる(当時)。
d 創業当時は「肉かけうどん」と呼ばれていたらしい。

旧北国街道坂木宿めぐり − A Traditional Post Town on Hokkoku Kaidō.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾、そして第三弾の城攻めは無事に完了し、第四弾として戦国時代に若き日の武田信玄を苦しめ、北信(北信濃)で最大の勢力を誇った信濃村上氏の居城として有名な[b]現代ではハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかある。なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。葛尾城《カツラオ・ジョウ》を攻めるため、長野県は埴科郡《ハニシナ・グン》坂城町《サカキ・チョウ》までやってきたが、ここにきてGW連日の山城攻めでさすがに疲れが出てきたので、この日の城攻め(山登り)を取り止めることにした[c]他にも暑かったとか、登山コースなど下準備が完全ではなかったと云うのもある。

そのかわりに旧葛尾城下にあたる坂城町で村上義清にゆかりある場所を巡ってきた他に、旧北国街道の宿場町として坂木宿[d]現代の町名は「坂城」、江戸時代は「坂木」宿または「坂木」藩。の歴史に触れてきた。実際、そういう趣を持つ建物や街の中の情景が印象深かった:)

これが街の中に建っていた探訪ガイド。ここに掲載されていた場所を巡ってきたと云う次第。この案内板も歴史を感じる:D

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北国街道坂木宿・歴史探訪ガイド(拡大版)

ガイドにある⑪坂城駅。上田駅からしなの鉄道に乗り換えてきた:

しなの鉄道

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坂城駅

駅前から北へ向かう県道R339が旧北国街道。ここ坂木宿はゆるやかな坂と鉤形の街道に沿った町割りが特徴である:

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県道R339は旧北国街道

北国街道は中山道追分宿(現在の軽井沢町)から分かれ、坂木宿をとおり、越後国高田(現在の上越市)で北陸道と結れる道で、北国往還とも呼ばれ、五街道につぐ重要な街道の一つだった。この道筋の歴史は古く、江戸時代の上杉景勝の時代に越後府中(現在の上越市)と海津城(現在の長野市)を結ぶ伝馬制がしかれたことが始まり。

まずは旧北国街道を北へ向かう。すると、右手に見えてくるのがガイドにある坂木宿・ふるさと歴史館

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坂木宿・ふるさと歴史館

ここは北国街道坂木宿本陣[e]江戸時代の宿場町で大名・旗本など位の高い者が泊まった建物。ちなみに「脇本陣」は本陣の予備の建物を指す。の跡地に建てられた木造三階建一部平屋造の住宅である。昭和4年に遊郭経営者により建てられた風情あるもので、のちに病院となって洋館部分が増築されたと云う。

この敷地には江戸時代中期に建てられた旧本陣表門が遺構として残されていた:

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旧本陣表門

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大壁造り

本陣の表門は間口六間、奥行き二間半の入母屋造り、桟瓦葺き。門扉以外は土塀による大壁造り《オオカベヅクリ》[f]壁に覆われて柱が見えない構造で、日本では近世城郭で見られる塗籠《ヌリゴメ》などがあたる。で、扉には八双金物《ハッソウカナモノ》と云う飾り金具の痕跡があることから江戸中期に建てられたと推測されている。坂城町指定有形文化財。

この表門は一部が土蔵になっていて、当時は江戸時代に使われていた生活道具などが展示されていた:

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民族史料の展示

本棟にあたるふるさと歴史館は木造三階建の住宅を利用したもので12の和室や座敷を有し、展示スペースとして利用されていた:

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元は遊郭・病院だった

玄関を入ってすぐの交流スペースには、この時期に合わせて五月人形が飾られていた:

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交流スペース

五月人形

五月人形

そして、ここ長野(北信濃国)の戦国大名である村上義清に関連する史料の他、江戸時代の坂木宿指定を示す朱印状や旧北国街道に関する史料、そしてこの地で盛んだった和算や算盤《そろばん》などの日本式算術の歴史ある展示品がたくさんあった:

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村上氏に関する史料など

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御本陣と宿場町

さらに、この歴史館で葛尾山への登山マップ[g]これがよく書かれた手書きマップ。と『坂城町郷土史シリーズ第1集・葛尾城を歩く』(笹本正治著/坂城町教育委員会)を入手。きたる城攻めに向けての準備もできた :)

歴史館を出て再び旧北国街道を北上していくと、こちらも江戸時代の坂木宿の名残を残す建物がいくつか見かけた。こちらがガイドにある⑨大門町・春日家・山浦家⑩名主坂田家の屋敷:

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名主・坂田家の建物

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大門町・春日家・山浦家の建物。

さらに北上して村上氏の居館跡とされる⑥満泉寺へ立ち寄ったあと、次の宿場町である上戸倉に向けて西へ折れる旧北国街道を越えたところに鎮座する⑦坂城神社へ:

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坂城神社

主祭神は、日本神話にも登場する出雲の大国主神《オオクニヌシノカミ》。その昔、日本武尊《ヤマトタケルノミコト》が東征した折に、この地に祖神を祀り社殿を建てたのが始まりなのだとか。戦国時代はこの地を納めた村上氏によって代々崇敬され、武田信玄が領した際には祭祀を再興し、その子・勝頼も保護したと云う古文書が残る。

現代は縁結びの神様として多くの参拝者がいるらしいとのことだったが、GWなのにほとんど誰もいなかったけど :|

拝殿

拝殿に入る手前には町指定有形文化財の狛犬がある。これは天和2(1682)年から元禄16(1703)年までの二十二年間坂木に陣屋を置いていた坂木藩板倉氏の家臣・石川義孝が寄進したものと伝わる。

境内は見事な杉の木に囲まれていた:

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境内の杉の木

そして坂城神社裏にある葛尾城跡の登城口を確認したあとは、村上義清公ゆかりの地を巡って坂城町を南へ縦断し、再び坂城駅へ。

こちらは旧北国街道沿いに建っていた釣り鐘:

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坂城町の釣り鐘

坂城駅隣にある多目的広場には平成25(2013)年に惜しまれつつも引退となった169系電車(S51編成)が展示されていた。それも、なつかしの湘南色:

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169系電車

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169系電車

169系電車は信越本線(横川〜軽井沢間)の急勾配な碓氷峠において、EF63 型電気機関車と協調運転することで輸送力とスピードアップを図ることを目的として昭和43(1968)年に誕生した。主に信越本線の中長距離向けに、急行「信州(上野〜長野)」、「妙高(上野〜長野〜直江津)」、「志賀(上野〜湯田中)」の各路線で活躍した。

この日の最後は鉄の展示館・コミュニティセンター[h]坂木宿・ふるさと歴史館と一緒に観覧する場合は割引あり。

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鉄の展示館

ここ坂城町は、人間国宝で坂城町出身の刀鍛冶の故・宮入行平《ミヤイリ・ユキヒラ》氏のもとで修行した多くの刀匠が宮入一門会として活躍していることに因んで「刀匠の町」として広く知られているらしい。それに関連して趣向を凝らした企画展や故・高倉健氏所蔵の刀剣類などを展示しているのだとか。

戦国好きではあるが、正直なところ刀剣については自慢できるほど深い造詣はなく、最近の巷でのブームには全く関心がない自分ではあったけど、ここで見た刀剣の基本みたいな説明図は大変勉強になった:)。これからは刀剣の歴史についても勉強しようと思う。

まずは『日本刀ができるまで』。刀の原料(玉鋼《タマハガネ》)からいくつもの工程を経て日本刀ができあがるまでをわかりやすくフローにた図:

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日本刀の誕生(拡大版)

この図を見て、今まで知らなかったことが分かって大変勉強になった ;)

他にも『日本刀の裏表』とか『銘の種類』など丁寧に説明してくれる図があった。これらは必見:

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『日本刀の裏表』

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『銘の種類』

展示室はこんな感じ。撮影はフリーだった 8)

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展示室

全て撮りきれなかったが、ひとまず気になったものを紹介していくと、こちらは鎌倉時代後期の太刀。備州長船則光、附・黒漆塗鞘打ち刀:

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備州長船則光

鎌倉時代の太刀。この村上大國魂神社奉納大太刀は、信濃村上氏が埴科郡に進出する前に大國魂神社へ奉納されたもの:

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村上大国魂神社奉納大太刀

鎌倉時代中期の太刀で無銘。肥後藩主細川忠興の差料を幕末に模したもの:

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太刀・無銘(景安)

人間国宝・宮入行平刀匠に関するもの:

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刀匠・宮入行平像「鉄の華」

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宮入行平肖像画

専用の展示室:

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宮入行平展示室

大関昇進した長野県出身の御嶽海関が一日館長を務めたらしい[i]後ろの張り紙から察するに大関昇進前のイベントか。

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一日館長の御嶽海関

最後は季節柄、必須な五月人形のひな壇?:

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五月人形?

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also2022年5月 坂木宿とふるさと歴史館 (フォト集)
See Also2022年5月 坂城町鉄の展示館 (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

坂城町巡り

旧北国街道坂木宿めぐりルート

活動時間は 03:23、距離は 5.5km、消費カロリーは 1,251Kcal。

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b 現代ではハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかある。なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。
c 他にも暑かったとか、登山コースなど下準備が完全ではなかったと云うのもある。
d 現代の町名は「坂城」、江戸時代は「坂木」宿または「坂木」藩。
e 江戸時代の宿場町で大名・旗本など位の高い者が泊まった建物。ちなみに「脇本陣」は本陣の予備の建物を指す。
f 壁に覆われて柱が見えない構造で、日本では近世城郭で見られる塗籠《ヌリゴメ》などがあたる。
g これがよく書かれた手書きマップ。
h 坂木宿・ふるさと歴史館と一緒に観覧する場合は割引あり。
i 後ろの張り紙から察するに大関昇進前のイベントか。

お食事・居酒屋 こっくどーる − the 4th Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾、そして第三弾の城攻めは無事に完了。

そしてGW 2022も後半戦へ突入し、幸いにも天気は良好続きとの予報だった。第四弾は長野県の城攻め。こちらも長年温めていた山城で、標高800mを越える葛尾山《カツラオヤマ》山頂に築かれた信濃村上氏の居城・葛尾城跡。ハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかあり[b]なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。、カメラを背負ってガレ場を登ることを予想して気合を入れて準備をしてきたのだが、ここにきて若干ではあるがGW前半の疲れが出てきた感じがしたので、山登り(葛尾城攻め)はせず、信濃村上氏の中でも、あの武田信玄を苦しめた村上義清《ムラカミ・ヨシキヨ》の居館跡や供養塔といったゆかりの場所を巡ることにした。それ以外にも北国街道坂木宿《ホッコクカイドウ・サカキジュク》という古い歴史が残るこの街には歴史館や刀剣の博物館もあるようなので、来る葛尾城攻めの下調べも兼ねると云う意味でも無理をしないことにした[c]この次の日も山登りの計画だったし 😂️。 :)

この日は、朝9時半過ぎに東京駅発の北陸新幹線・金沢行きのはくたか557号に乗って上田駅に着いたのが11時前。次にしなの鉄道・長野行に乗り換えて、今日の目的地である坂城《さかき》駅に着いたのが昼12時少し前:

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しなの鉄道・坂城駅

山登りして城攻めする予定では無かったが、お腹が空いたので駅前にある御食事処へ:

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居酒屋(お食事・大小宴会)こっくどーる

このお店、夕方になると居酒屋になるようで昼メニューと夜メニューとに分けられていた。事前に調べてみたらおしぼりうどんなる坂城名物を出してくれるとのことで、検温+手を消毒してカウンター席につくまで、その名物を食べるつもりだったけどランチタイムだったこともあり、曜日替わりのヒレカツ定食(750円)にした:D

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ヒレカツ定食・コーヒー付き(750円)

御前の上はごくごく普通の彩りではあったが味は文句なしで美味しく頂けた。ヒレカツも柔らかかったし。食後のコーヒーには落花生が入った硬くて甘くない煎餅が添えてあった:)

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食後のコーヒーと硬くて甘くない煎餅

この時のお客は先客が一人だけで、田舎にありながら感染対策を徹底しているお店で安心した。

居酒屋(お食事・大小宴会)こっくどーる
長野県埴科郡坂城町大字坂城立町6318−1


ここからはオマケ。

坂城駅前の通りの県道R339は旧北国街道。ここ坂木宿はゆるやかな坂と鉤形の町割りが特徴である:

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県道R339は旧北国街道

信濃村上氏の居城である葛尾城攻めを取り止めた代わりに、この説明図に記載された村上義清ゆかりの名所を巡ってきた:

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村上義清ゆかりの名所(拡大版)

ここ村上山・満泉寺は信濃村上氏代々の菩提寺で、戦国時代に村上義清の子・國清により村上氏の居館跡に建立された:

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山号が村上山の満泉寺は村上氏居館跡に建てられている

戦のない平時には、ここに建てられていた居館で生活し、いったん敵に攻め込まれ戦となると、背後にある葛尾城(詰めの城)に籠もったと云う:

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葛尾城跡と姫城跡(拡大版)

葛尾城は、現在の葛尾山尾根筋を利用して築かれた典型的な山城である。上の写真左端にみえる尾根が姫城跡、その次の尾根が葛尾城跡。麓の坂城神社から徒歩で約60分。東側の尾根づたいにいくつもの堀切跡が残っているのだとか。特筆は、葛尾城主郭跡から眼下に千曲川をのぞむ見晴らしである。

こちらが葛尾山の麓にある坂城神社:

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坂城神社

その坂城神社の裏手には村上國清公の供養塔があった[d]せっかくなので、このフォトと一緒に Google Map に登録しておいた。

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「村上国清の供養塔」

さらに町にある歴史館で信濃村上氏や村上義清と武田信玄との戦いについて詳しい情報の他、葛尾城跡への登山ルートについて詳細を入手することができた:

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坂木宿・ふるさと歴史館

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村上氏に関する史料など

ちなみに、この歴史館には江戸時代の宿場町であった坂木宿の本陣表門が移築されている。

こちらは、駅近くにある村上義清の供養塔へ向かう途中に眺めた菅平《スガダイラ》高原方面。この日は「こどもの日」だった:

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坂城町から菅平方面の眺め(拡大版)

もう一枚。これは村上義清が武田晴信(信玄)を破り、重臣の板垣信方らを討ち取った上田原古戦場方面の眺め[e]と云ってもかなり遠いが😁️。

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上田原古戦場方面の眺め(拡大版)

村上義清公の供養塔は、旧北国街道沿いある田町十王堂《タマチ・ジュウオドウ》裏にある:

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田町十王堂

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村上義清公供養塔

ちなみに、この田町十王堂は閻魔堂のことで、十王とは死後に冥府で人間の生前の罪業を裁くとされる十人の王のことで、その頂点にいるのが閻魔大王らしい。

葛尾城下で葛尾城跡へ登城口やと登城ルート、そして村上義清公についていろいろ情報を得ることができたことで、一段と葛尾城攻めしたい気持ちが強くなってきた:D。そろそろ計画でもたてようか。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also村上義清公墓所とゆかりの地 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。
c この次の日も山登りの計画だったし 😂️。
d せっかくなので、このフォトと一緒に Google Map に登録しておいた。
e と云ってもかなり遠いが😁️。

栃木県宇都宮市 − the 3rd Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤭️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾の城攻めは完了。そしてGW 2022も後半戦へ。

と云うことで今年の GW 城攻め第三弾は栃木県宇都宮市にある多気城跡へ。この城跡は以前から攻めてみたいと思っていた山城の一つであったものの、その規模(城域の広さ)から日帰りでは時間的にキビシイと思い、なかなか実行に移せなかったのだが、幸運にもGWのこの時期に最寄りの町で宿が取れたので、この城一本に絞って計画を立てて実行に移したと云う次第。

結果から云うと、残念がら期待したほどの遺構は残っていない上に、せいぜい攻めれる箇所は主郭周辺くらいで、あとは藪化が激しくて立ち入れなかった :$。山登りとしては多気不動尊《タゲ・フドウソン》のあの長い階段を含めると結構なハードさはあったが、城攻めと云うよりは山登りで終わってしまったのが正直な感想で、かなり期待外れだった:|[b]勝手に期待していたのは俺なのだけれど。。おかげで帰りのバスの時間までだいぶ空いてしまったので、バス停近くにあった奇岩と大谷景観公園を観てきた:D[c]こちらは観光地と云うことで(多気山と比較すると)大賑いで人や車でごった返していた 😆️

この日は朝9時前にチェックアウトして、荷物を宇都宮駅のコインロッカーに預け、キビシイ登山になるであろうと予想してカメラ機材のみの荷物を担いで現地へ向かった。朝9時過ぎに駅西口から関東自動車の立岩《タテイワ》行のバスに乗り、最寄りである「立岩入口」のバス停に着いたのが朝10時前。

これはバス停近くから眺めた多気城跡(多気山)。多気城は多気山をまるまる城砦化したものだったらしい:

多気城跡

ここから多気山の山頂までは徒歩で移動した。こちらはその途中に見た「らくだ岩」と呼ばれている奇岩。ちょっと緑が多くて分かりづらいが、岩がラクダの首と背中の形をしている[d]緑の部分を消すとイメージしやすい。

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らくだ岩

そして、なぜか旧帝国ホテル中央玄関前の壺なるオブジェ:

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旧帝国ホテル中央玄関前の壺

なぜこんなオブジェがあるかと云うと、宇都宮市の特産である大谷石《オオヤイシ》は古来から建築用材として使われた経緯があるらしく、大正12(1923)年に完成した旧帝国ホテルにもふんだんに使われていたのだとか。このオブジェは記念として実物を模したレプリカらしい。

そして国道R293に出て多気山参道の坂を上がり、市営の駐車場で一休みして一気に多気不動尊まで移動した。こちらは交通安全祈願ができる明王殿。自転車祈願も受け付けているのだとか。いかにもモダンな御不動様だ:

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明王殿

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南無大聖不動明王

明王殿の奥には水かけ不動があり、さらに立派な山門をくぐった先にある126段の石段を登って本堂へ向かう:

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水かけ不動

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126段の石段を登りきらないと本堂へ行けない

こちらが本堂、そして歳神殿。さらに奥には弘法大師堂もあった;

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歳神殿

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本堂

大聖不動妙王を祀る多気山不動尊。ここで本日の城攻めの成功と家族の御加護を祈願した:

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多気山不動尊

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線香をたいて祈願する(100円)

境内で今日一日と実家の安全を祈願して、登山口から七曲りの登山道を登った。正直なところ城攻めで登っているの俺ぐらいなもので、ほとんどがハイカーの集団か家族連れだった:

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登山口

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七曲りの登山道

登山口から多気山山頂にあって御殿平《ゴテンダイラ》と呼ばれている多気城本郭跡まではおよそ20分程の山登り。直線距離にして0.6km。キツイ勾配はないので休みながら登っても30分はかからない:

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山頂の御殿平に建つ「多気城跡」の碑

昨日に続いて筑波山を拝むことができた:

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栃木県から茨城県の筑波山を望む(拡大版)

さらにパノラマで眺めた宇都宮市:

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多気山山頂からの眺め(パノラマ版)

多気城跡は山頂の主郭周辺にしか遺構が残っていなかったので、実質的にはただの山登りになってしまった:O。このあと握り飯を食べて帰りのバスに間に合うように下山した。

その途中でにわか雨に遭遇したが、この日はなんとなく天気が不安定になりそうだとふと思いついたのでアウターを持ってきたが、これが功を奏した感じ。もしかしたら多気不動尊の御加護かもしれない:)。そう云えば、途中ですれ違った普段着の家族連れを麓の駐車場で見かけたが、靴やら上着やらが泥だらけだったっけ。

下山したあとは駐車場前にあった茶屋で手作りお甘酒と団子を頂いた:

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甘酒と団子セット(200円+300円)

桃畑茶屋
栃木県宇都宮市田下町729-2

そして再び「立岩入口」のバス停まで戻ったのだけれど、次のバスまで30分ほど時間が空いてしまったので周辺にある奇岩をいろいろ眺めてきた。

まずは「弁慶の太刀割り岩」と「亀岩}。この二つの岩は同じ岩からなる(表と裏で呼び名が違うらしい):

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弁慶の太刀割り岩

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亀岩

日本全国津々浦々、巨大な岩は武蔵坊弁慶にあやかるものが多いようで:D

これは居然と呼ばれている奇岩:

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居然(東側面)

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居然(北側面)

ついでに大谷景観公園まで足を伸ばしてきた:

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大谷景観公園

大谷資料館(有料)へ行くともっといろいろ分かるようだけど、バスの時間もあったので今回は駐車場あたりでウロウロしながら奇岩を眺めてきた:

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「御止岩」(史跡名勝天然記念物)

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「御止岩」(史跡名勝天然記念物)

こんなに自然の偉大さを感じたのは、コロナ渦の生活にあって久しぶりである:

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他にもいろいろな奇岩

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他にもいろいろな奇岩

機会あれば大谷資料館にも行ってみたくなった。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also多気城攻め (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤭️。
b 勝手に期待していたのは俺なのだけれど。
c こちらは観光地と云うことで(多気山と比較すると)大賑いで人や車でごった返していた 😆️
d 緑の部分を消すとイメージしやすい。

栃木県栃木市 − the 2nd Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤬️は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。しかしながら第一弾の城攻め翌日は再び雨になった上に気温も下がり、その落差に体が順応できなかったのか軽い風邪+下痢[b]ホント文字どおり「水のような下痢」だった。水分を正常に吸収できなくなっていた。になって少し焦った:O が、漢方を飲んでしっかり寝た翌日は容態が安定したので、無事に城攻め第二弾を実行に移すことができた :)

と云うことで今年の GW 城攻め第二弾は栃木県栃木市にある二條城跡へ。ここは、実は五年前に攻めてきた西方城跡のすぐ近くにあったらしいのだが、当時は全く気づかずにスルーしてしまった城跡。その後も登城口が分からなかったので放置していたが、今回は第三弾の城攻めのために栃木県宇都宮市に宿泊する機会を持てたので、なんとか調べて登城口を見つけ、ついでに攻めてきたと云う次第。それに城攻め第三弾は再び山城を予定していたので、病み明けの体のウォーミングアップも兼ねると云う意味でも ;)

無事に下痢が治まった当日は埼玉県の栗橋で東武日光線・東武日光行きに乗り換えて東武金崎駅で下車。そこからは五年前に一度歩いたルートで城跡を目指した:

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二條城跡と西方城跡の遠景

ちなみに登城口だけど、この八坂神社を起点として東北縦貫自動車道へ向かったところにある:

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八坂神社の前を真っ直ぐ進む

当時の登城口は柵が設けられていて先に進むことができない状態であったが、特に立入禁止などの警告は無かったので、柵に結ばれていたビニル紐を外して中に入り、東北道をくぐって城跡へ向かった[c]もちろん柵を締めてビニル紐を結び戻しておいた。

城跡へ向かう途中にはイノシシ捕獲用の檻が置いてあった :O

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栃木市がイノシシ捕獲用の檻を設置していた

現在、二條城跡には開山不動尊が建っていた。これは不動明王が右手に持つ剣をモチーフにした置物:

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不動明王のシンボルである倶利伽羅剣

城攻めの後は、これもついでになるが、城跡近くにある実相寺《ジッソウジ》にある藤田信吉《フジタ・ノブヨシ》公の墓所を参拝してきた。こちらは墓所がある高台から眺めた筑波山:

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栃木県から茨城県の筑波山を望む(拡大版)

今回の栃木県の城攻めでは、茨城県の筑波山を拝む機会が多かったなぁ。

この後は宿泊地の宇都宮へ向かうため、再び東武金崎駅まで戻り栃木と小山を経由して移動した[d]この時は両毛線でトラブルがあって栃木駅で30分くらい足止めを食らったけど 😕️。

宇都宮に着いた頃は、またまた天気の雲行きが悪くなったので、早々に夕食を摂ることにした。この日は宇都宮駅西口から少し歩いたところにある牛かつ屋。この日は、次の日から連休後半が始まる平日ということもあって混むんじゃないかと予想していたが、開店早々に到着した店内はガラガラだった。

カウンターに座り、赤ワイン(500円)と牛かつ御前200g(2,180円)、あと塩ダレキャベツ(280円)を注文した:

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赤ワインと牛かつの食べ方

牛かつが揚がるまで時間がかるかと思ったら速攻で出てきたのには驚いた :$。逆にキャベツの方が遅かったし :|

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メチャクチャ速攻で出てきた牛かつ御膳200g

飲みと喰いのタイミングがちぐはぐになってしまったが、まったく味のない薄いワインを飲み干して、早々に牛かつを頂くことにした。御膳に載っている溶岩プレート[e]プレートの下から燃料で熱せられていたので、燃料が無くなるまでが制限時間でもある。で焼いて、いろいろな薬味を付けて食べるスタイルらしい:

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赤身部分を溶岩プレートで焼いて食べる

薬味は「わさびを載せて醤油を付ける」、「岩塩(これを載せる皿がない)」、「だしとろろ」、「山わさびソース」、「牛かつソース(これを載せる皿がない)」そして「とろろ」の6種類。全ての薬味を試したけど、「だしとろろ」と「牛カツソース」が旨かった。御飯は麦飯で、おかわりもできるのは嬉しい。

ただメインの牛かつは、ほとんどが脂身とスジの塊で、全くジューシーさを味わえなかった ;(。小さい鉄板の上で200gの牛かつを焼いていると自然に焦げができて、だんだんと焼きづらくなるのがダメダメだった。あと鉄板を温める燃料がいつのまにか消えていたし :(。なんか、いろいろ段取りが悪い店って感じ。

ちょっと天気が気になったので長居せず、酒も御飯もおかわりすることもなく、そして酒が無い状態で塩キャベツ食べ終えた時点で店を出ることにした。残念ながら既に雨が降っていたが ;(

そして宿泊先へ戻る前に宇都宮駅構内のパセオに立ち寄って、実家に御土産を送っておいた。おそらく明日の帰りに買おうとしたら昼間の観光客でごった返してそうなので。

牛かつ・なかい
栃木県宇都宮市東宿郷4丁目6-5

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also下野二條城攻め (フォト集)
See Also藤田能登守信吉公墓所 / 那智山・実相禅寺 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが 🤬️
b ホント文字どおり「水のような下痢」だった。水分を正常に吸収できなくなっていた。
c もちろん柵を締めてビニル紐を結び戻しておいた。
d この時は両毛線でトラブルがあって栃木駅で30分くらい足止めを食らったけど 😕️。
e プレートの下から燃料で熱せられていたので、燃料が無くなるまでが制限時間でもある。