先々月は令和6(2024)年のお盆休みは滋賀県と三重県で4泊5日の城攻めツアーへ行って来た[a]両県ともに人生初上陸 😉️。。今回、事前に調べてみると攻めてみたい城跡がいろいろ出てきた上に、直前に台風7号が発生[b]発生当初は本土への上陸の可能性が出ていた。結局は上陸することはなかったが 🙂️。したりしてスケジュールを組むのに苦労したが、何とか 8 つの城攻めに絞ることができた[c]実際はスケジュールどおり全て攻めきることはできなかったのだが 😁️。。
三日目[d]【今日は何の日?】盆の送り火(本来は旧暦だが、現代は新暦のこの日に先祖の御霊を送り出す)。Elvis Aron Presley が死去した日(享年42)。の午前中は近江八幡市にある近江八幡山城跡を攻めてきた。まずはロープウェイで八幡山を登り、山頂にある城跡を巡ってから、ロープウェイで下山して麓の八幡公園内にある豊臣秀次居館跡を巡った。この日も朝から猛暑日でたまらなく暑かったが、近江八幡駅へ戻るバス待ちの間は、少しでも涼みたいので八幡堀沿いを散策してきたものの、暑くて余計に体力を使い減らした感じ 。
午後は長浜まで移動する予定だったので、駅前で一番に目を引いたラーメン屋へ[e]この日は勝手にラーメンの日にした。近江八幡市と長浜市、そして彦根市城のラーメン屋で胃袋をつないでいく計画だった 😁️。:
ドアを開けて入った先は奥にもドアがある待合室を兼ねた玄関口になっていて、先客2人がベンチに座っていた。ここで、一般的によくある順番待ちで名前を記すようなものは無く、見たままの暗黙の順番に従ってベンチの末端に座った。さらにメニューの類も置いてなかったので、一旦外へ出て店前に掲げられていたメニューを眺めてきた。そして食べ終えたのであろう客と入れ違いに、再び玄関口へ戻り、先客2人が居なくなった玄関口のベンチの先端に坐り直して呼ばれるのを待った[f]玄関口に居た先客が店内に入った時に俺は居なかったタイミングなので、次に呼ばれるのか正直なところ不安だったが 😅️。。
数分後、奥のドアが開き、店員に促されて店内へ。玄関口からはドアに遮られて店内を伺えなかったが、既にカウンター席とテーブル席が満席。空いているとこは大きな長テーブルがある奥座敷しかなく、一人にはもったいないほど広いテーブル席に案内された 。
さすが駅前のラーメン屋。席も多く(全35席)昼時は満席。ちょっと期待できそうなこんなお店では基本のメニューから選択すべしと云うことで[g]あくまでも個人的なルール 😁️。、店名を冠した「だるま八ラーメン」醤油とんこつ(980円)と餃子6ヶ(290円)を注文した :
見てのとおり、Default としては意外とトッピングが豪華だった 。豚バラのチャーシュー4枚と半熟卵2切れと云う主役級のトッピングの他にネギ、すりおろしのニンニク、キムチ、そして焼き海苔が添えられていた。背脂が浮ぶ豚骨の出汁をベースに醤油ダレで味付けしたスープの中には細麺が隠れていた。特に指定しなかった麺の固さは好みの硬め。少々、塩っぱかったが、暑くて汗をかいていることもあって嫌味にはならなかった。
パリパリした Shell を持った餃子は至って普通。餃子が6ヶでこの値段なので注文も多いのだろう、やや残り脂で焦げ目が目立ったが、中の餡はフンワリ、野菜がメインだった。本当は酸コショウで頂きたかったが、コショウは置いていなかった[h]関西だから?🤔️:
自分が食べている間も客の出入りがあり、この奥座敷にも客があがりはじめところで店を出ることに。やや塩っぱめのスープを飲み干してしっかりエネルギーを補給できたので、このあとは長浜まで移動しながら身体を休め、復興天守よりも城下町を歩き回る予定だった[i]個人的に海洋堂Musiumにも立ち寄る予定 😁️。。
巷のラーメンDBase のエントリはこちら。
だるま八《ダルマヤ》ラーメン
滋賀県近江八幡市鷹飼町1494
ここからはオマケ。
この日は近江八幡駅北口から近江鉄道バスに乗って八幡堀(大杉町)八幡山ロープウェー口で下車。八幡山ロープウェーに乗って八幡山の山頂へ:
ロープウェイは5分ほどで山頂にある八幡城址駅に到着:
八幡城址駅に掲げられていた名城シリーズ157番目の認定証:
八幡城址駅は近江八幡城の二の丸跡で、駅を出た直ぐ目の前に石垣が出現する:
二の丸跡にある展望館は1Fは資料館、2Fは展望台。この城跡、なぜかハートマークの飾りが多かった[j]あとで調べてみると八幡山城址は「恋人の聖地」に指定されていた 🙄️。:
こちらは展望台から眺めた安土城跡と観音寺城跡方面の眺め:
二の丸跡には他にも遊歩道が風鈴プロムナード(リンクは PDF)として彩られていた:
二の丸跡には石垣がたくさん残っていた:
西の丸跡からの眺め(パノラマ):
さらにこの郭の南側にある出丸跡へ。栗を栽培中だった:
ちなみに麓から出丸跡を見上げると、現存の石垣を眺めることができる:
このような場所に築かれた郭なので、もちろん京方面の眺めが良かった。こちらは比叡山(標高848m)や坂本城跡方面:
琵琶湖とその奥にそびえる比良山地《ヒラサンチ》:
北の丸跡を経由して本丸跡へ。こちらは本丸石垣:
本丸跡に建つ村雲瑞龍寺の山門と御神木:
往時の城主で関白・豊臣秀次の生母・瑞龍寺殿が秀次の菩提を弔うために建立した瑞龍寺境内では、いい感じで昼寝していた猫に遭遇した:
初め見た時、暑くてお亡くなりになったのかと驚いたが、寝返りをうっていたので生存を確認できた。この日は何か良いことがあったのだろうか 。
城主気分で城跡を巡ったあとは(登山道もあるようだが)再びロープウェーに乗って下山した:
麓へ降りると一層のこと暑さを感じたが、このまま歩いて秀次公居館跡がある八幡公園へ。こちらは園内に建っていた従一位・左大臣・関白の秀次公像:
八幡公園の隣が秀次公の居館跡。段郭跡の上段あたりに残る石垣をみることができた:
段郭状に石垣を見ることができた:
居館の大手道跡:
そして八幡公園をあとにしてバス停へ向かう途中、八幡堀沿いを歩いて城下町をぶらりしてきた。
八幡堀と近江八幡城下町
八幡公園から近江鉄道バスのバス停へ向かいながら八幡堀と城下町の一部をほんの少しだけ散策してきた:
秀次が八幡山城を築いた際に城下町を整備し、琵琶湖から水を引いて八幡堀を築いた。城を守る水濠でありながら、城下町を横断する水路は琵琶湖を介して人や物資の往来を活性化し、お金や情報が集まる城下を繁栄させたと云う。現在、全長4㎞に及ぶ八幡堀は、昭和の時代に不法投棄により水質汚濁などで公害源となったが、きれいに清掃され、「甦る水百選」に選定されるほどの水質と周辺の景観で観光地となった他、時代劇などのロケ地として知られるようになった。
猛暑日のこの日も八幡堀で小舟ツアーしている観光客が結構いた :
八幡堀に交差するように筋(小路)が敷かれ、それ沿いにあった建物は近江八幡市の重要伝統的建造物群に指定されているらしい。それ以外にも城下町の町屋を思わせる建物がいろいろあった:
城下町に残る背割排水の名残り。筋を境界線として隣り合う町屋の間には八幡堀につながる小さな水路が設けられたと云う:
映画のロケ地としても知られる八幡堀沿い:
四季を感じることができる八幡堀めぐり:
堀の沿道は石畳になっていて情緒深かった。近江国を本宅・本店として他国への行商を主とした近江商人の町としての繁栄の一部を垣間見れた感じ 。「質素倹約」、「薄利多売」などの精神は現代の商業でも通用するもの。
こちらは日牟禮八幡宮《ヒムレハチマングウ》の一ノ鳥居:
こちらは白雲館。明治時代に築かれ旧校舎。平成の時代に往時の姿に復元された:
と云うことで、この時のフォト集はこちら:
近江八幡山城攻め (フォト集)
豊臣秀次居館攻め (フォト集)
2024年8月 近江八幡城下町散策 (フォト集)
参照
↑a | 両県ともに人生初上陸 😉️。 |
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↑b | 発生当初は本土への上陸の可能性が出ていた。結局は上陸することはなかったが 🙂️。 |
↑c | 実際はスケジュールどおり全て攻めきることはできなかったのだが 😁️。 |
↑d | 【今日は何の日?】盆の送り火(本来は旧暦だが、現代は新暦のこの日に先祖の御霊を送り出す)。Elvis Aron Presley が死去した日(享年42)。 |
↑e | この日は勝手にラーメンの日にした。近江八幡市と長浜市、そして彦根市城のラーメン屋で胃袋をつないでいく計画だった 😁️。 |
↑f | 玄関口に居た先客が店内に入った時に俺は居なかったタイミングなので、次に呼ばれるのか正直なところ不安だったが 😅️。 |
↑g | あくまでも個人的なルール 😁️。 |
↑h | 関西だから?🤔️ |
↑i | 個人的に海洋堂Musiumにも立ち寄る予定 😁️。 |
↑j | あとで調べてみると八幡山城址は「恋人の聖地」に指定されていた 🙄️。 |