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Visited to Tokyo Skytree and Asakusa.

今月、ちょっと野暮用で東京へ行った際に東京ソラマチ (都営浅草線押上駅) から東京スカイツリーを観てから、とって返して二年ぶりの浅草探訪へ。この日は朝から快晴のうえ気温30度越え。ミストを浴びてもまったく効果なし。梅味の塩飴を一袋なめ尽くしたという塩梅ならぬ案配。ちなみに、この日の展望台待ちは平日の朝11:00過ぎで30分程だった。
晴天の下、イーストタワーに写った東京スカイツリー:
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二年前に最後に訪れた浅草寺はお化粧直しをしてすっぽりカバーがかかっていた頃だったけど、今はカバーなく全景を拝めることができた。その当時はちょうど東京スカイツリーが建設中で、その写真を撮っていたので、今回見比べるという意味で同じ位置からのつもりが記憶が曖昧で正確な位置を特定できず、さらに暑くてたまらなかったので似たようなアングルから撮ってみた (が、うーん、照明灯の位置がキーだったな):

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それから境内を出て、浅草温泉、花やしき、六区、浅草聚楽前、オレンジ通りを抜けて雷門通り経由で、いつもの天ぷら屋 (新館) に到着し、天丼 (えび天2かき揚げ1) とビールをいただいてから、そのままエアポート直行便に乗ったのだけれどいい感じで寝入ってしまった:
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この浅草界隈はほとんど二年前と変わっていないような気がする。しかし、ホントに好い街だ。
その他の写真はこちら:
See Also 東京スカイツリー&浅草@Mikeforce::Photo Gallery

The Pocarisweat for meal.

先週末、体調を崩してしまい病院で点滴+抗生物質を受けた :(
腹痛がらみだったので三食はポカリスエットなどの糖分を含む水分のみ。ポカリを飲んでクスリを飲むって感じ。点滴をうけていたからか、これだけで全然3日間は生きていけた (もちろん寝ていたけど)。

A happening around my home, I guessed.

昨日の夜、自宅前に救急車と消防車がサイレンを鳴らしながら数台かけつけ、最後にパトカーがやってきた。数台に分乗してきた消防隊員はなにやら着替えをしつつブリーフィング中。そうこうしている間に警官が黄色のテープで立ち入りを制限していた。そんなところをベランダから蚊帳越しに一枚:
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で、何があったのかはニュースにもなっていないようで (確かに野次馬の中にマスメディアっぽい輩はみえなかったが) 全く不明 :(

Bushido 〜武士道〜

(試験的にタイトルに画像を貼っていたんだけど、あとで他の記事に悪影響があるのがわかったので中止しました ;()
最近読んでいる本は NHK テレビ Trad Japan (トラッドジャパン) のテキストと、北大は札幌農学校出身の新渡戸稲造作の Bushido の解釈本である「武士道」(講談社 / 相良亨著)。
前者は英語を学習するというよりは、日本の文化を気軽に勉強し直すといった軽い感じで読める本で、後者の文庫本は漢字がなかなかむずかしくてそれこそ解釈するのに一苦労している。
そんなものでこの文庫本、まださわりだけれどなんとくつかめてきたのは、現代では武士道というと死とか潔さといった美徳感が先行するイメージが強いけれど、これは社会を生き抜く上で目に見えない精神的規範を具現化した1アクションでしかない。これは例えば、大殿のために命を賭して戦うということが武士道であるというのは、おそらく江戸時代の読み物の脚色であり、武士が主役であった時代、すなわち親兄弟の間で骨肉の争いをしていたような時代に、それこそ赤の他人で構成された家臣団の中にある結束力みたいなものを、武士なる人種がその威厳を落としていた江戸時代で主張するには都合のよい言葉だったのかもしれない。
さらに、
武士道は時代に応じて変化してきたものだということ。
これは武士道が単なる精神という類ではないことを表している。昔から日本人は外圧に柔軟に対応してきたし、その能力は抜きんでていたようだ。例えば文化の場合、大陸から異国の文化がはいってきた時も、普通ならばそれにより自国の文化が廃れていくものだけれど、他国の考えを取り入れ変化 (へんげ) させていくことで自国の文化を護ってきたという。例えば音読みと訓読みという他の文化にはない言語体系 (前者は中国大陸の読みで、後者は日本での読み方) なんか。明治維新では武士は階級から消えたが武士道はそんな階級を越えたところで残っていたわけだし。
武士道イコールありのままと言うこと。着飾る必要はなく、ありのままの自分を出すということ。
例えば「口ヲ以テ己ノ行ヲ謗ルコト勿レ」(言志晩録/佐藤一斎) 〜くちをもっておのれのおこないをそしることなかれ〜 という内省の思想がある。これは、自分が何か悪いことをした時に、先に自分の行いは間違っていたと自己を批判するがごとく言うこと、そんな言い訳がましさを否定するということ。あらかじめ壁を作って逃げ込んで、その中から姿を見せずにもっともらしいことを言うのはありのままではないということらしい。最近、他人と比較することでしか自分の優位点を見いだせない日本人が多いしな。というか優位性に固執する器の小さい大人が多いな :|
武士道は他人をおとしめることはしないということ。自分をよく見せるために他人をおとしめる行為や言動を否定している。
いくさ場での手柄がそれこそ自分の人生を変えてしまうような時代では、他人よりも先んじて手柄をとりに行くといった行為は、現代の競争よりも露骨であからさまであったと予想できる。手柄を立てるためにはどんなこともやっていただろうと。時には虚言で手柄を誇張したり他人を悪くいって自分を高く見せたり、噂や流言で他人をおとしめたり。そういうグロさは現代の詐欺まがいやデマなんかの比ではなかったかもしれないが、それを武士道の規範の中でかなりきつく否定していたものが多かったらしい。例えば武田信玄や朝倉宗滴ら生粋の武士がつくった法度では。
甲陽軍鑑には面白い記述ある。武士は次の4つに分類されるという:

  • 上の武士: 剛強にて分別才覚のある男、100人中2人ほどしかいない正に強者
  • 中の武士: 剛にして機のきいたる男、100人中6人
  • 下の武士: 武辺の手柄を望み一道にすく男、100人中12人
  • 人並みの男: 100人中80人

中の武士は「上の人には負けまじと走り回る武士」で、下の武士は「上の人に目を付けて、その後を付き添い回るもの」といった差があるようだ。
兵の中の兵と言われる上の武士は、平場でも戦場でも自分の働きを「自分の分別・自分の才覚をもって行うもの」で、これまたありのままのらしさを出しているとも言える。
といった感じ。さすがにこのような武士道を実践するとどうなるのだろうかと怖くなってくるが、江戸から明治にかけて武士が形を変えて生き残っているわけだし、武士道もその時代にあわせて解釈し編纂し、次の時代に残していくことは日本人の使命でもあるわけだ。

Porocle.

いつの間にかこんなチャリ共有システムができあがっていたか。
料金は105円/30分、サービスエリアもなかなか良いラインじゃないのかな。
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でも、この街は意外と自転車には「冷たい」対応(歩車分離信号なんて最たる物)が多く、自動車の運転マナーも甚だ悪いので事故とかいろいろ大変そうだ :(