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ROCKSフレンチ&イタリアン − Cleanup By Yourself After Eat.

先週末は令和3(2021)年の穀雨の候直前の週末に、その一ヶ月くらい前から気になっていた山梨県立博物館へ行って来た。お目当ては博物館開館15周年記念の特別展で、この年の5月初旬まで開催予定の『生誕500年・武田信玄の生涯』。

この月の12日が徳栄軒信玄公の命日[a]今年は生誕500年であり、四百五十回忌でもある。でもあったので、せっかくなら帰りに恵林寺にも寄って公の墓所を参拝しようとか考えていたものの、なかなか都合がつかないでいたが、この翌日には緊急事態宣言の期間に入ることもあって重い腰を上げて行って来たと云う次第。ただし公の墓所は祥月命日である12日にしか公開されていないことを知って、博物館での観賞のみ。これも重い腰があげれなかった理由の一つではあったのだが :|

あと、こんな時期なんで博物館の観賞のためだけに県境を越えるべきかどうか悩んだが、結論から云うと、時間とお金をかけてまで観賞してきた甲斐がある充実した展示物で大変満足した 8)

この日は観賞時の密をできるだけ回避するため、(公共機関で)早めに到着するよう早起きしたのと、たっぷり三時間かけてゆっくりと[b]博物館から最寄り駅までのバスの時刻も考慮して。観賞したので、観終わったあと最寄り駅の石和温泉《いさわおんせん》駅に着いた頃にはしっかりとお腹が空いていた :D

あとは帰るだけなので駅前でお店がないかウロウロしている時に見つけた「おいしいステーキございます!!」の看板。こんな時期なので店内で食事を摂るのはかなり久しぶりになるが、店に入る前から感染対策がしっかりとされている感じがしたので、この店に決定。

時刻は昼1時過ぎ。ちょっとしたランチタイムの混雑を避けることができたようで、お客は自分の他に一組の夫婦だけだった。アクリル板が置かれた席にとおされて、メニューを見て注文したのは地ビール(780円)とサーロインのステーキ・ランチ(1,000円)。

お肉が出てくるまで、まずは地ビールの「富士桜高原麦酒」を楽しむ:

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富士桜高原麦酒(780円)

泡が細かくて量が多いらしく、グラスに注ぐ際は傾けてながらゆっくりと注いでと云われたので、そのとおりにして頂いた:

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富士桜高原麦酒ビルス

これは極上のラガーだな。ほどよく苦味があり、炭酸もあって、ホップの匂いがとてもよかった。アルコール度数は5.0%だったようで、帰りの電車の中でしっかりと廻っていた :D

そしてサーロイン・ステーキのランチプレートとスープ:

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ランチ/ステーキ(1,000円)

よく食べているステーキとは厚さがかなり違う :O。ソースも市販品のような味で、フォークではなかなか切れないゴム肉って感じだった。サーロインって感じはしなかったのが残念。お腹空いていたのでペロッといけたけど、思ったほど食べと応えはなかったな :(

おまけに食べ終わった皿やらコップは客が自ら下げないといけないルール。これってCOVID-19の感染対策とは関係ないと思うが :/

と云うことで、帰りの電車の時間も近づいていたこともあり、食べ終わったら早々に店を出た。

実家へのお土産でも買おうと思ったけど、駅前の土産屋はシャッターが閉まっていたので、地元民が行く菓子屋へ。お腹が満足していなかったので、自分用によもぎ餅3個買ったっけ。ステーキよりもこっちの方が食べごたえあったな〜 :P

こんな時期ではあるけど温泉街にしては全体的に寂しいところだった。

ROCKSフレンチ&イタリアン
山梨県笛吹市石和町松本1052-3


ここからはオマケ。

ここが最寄り駅のJR石和温泉駅。人生で初めて下車した:

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「石和温泉駅」

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駅舎

駅南口のバス乗り場近くには足湯があった:

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石和温泉駅前あしゆ

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泉温は45.9℃

駅前から富士山駅へ向かう富士急バスで博物館前へ(当時250円):

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山梨県立博物館

駐車場の脇を抜けたところに入口がある。こんな時代なので出入口はここ一箇所だけ:

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博物館の出入口

展示品の写真撮影はNGだが、エントランスはOKとのことだった:

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「生誕500年・武田信玄の生涯」特別展

武田菱と風林火山の幟:

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武田菱と風林火山の幟

武田二十四将図(江戸時代の作品):

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「武田二十四将図」

この特別展で観ておいてよかったと思った史料は

  • 上杉政虎感状(安田治部少輔長秀[c]栃尾城で長尾平三景虎に下った揚北衆の頭目の一人。彼が下ったことで多くの国衆も景虎に下った。そして初期の「越後の精兵」を作り上げた勇将でもある。宛)「血染めの感状」
  • 北條綱成の「黄八幡の旗」(駿河深沢城の攻防戦)

参照

参照
a 今年は生誕500年であり、四百五十回忌でもある。
b 博物館から最寄り駅までのバスの時刻も考慮して。
c 栃尾城で長尾平三景虎に下った揚北衆の頭目の一人。彼が下ったことで多くの国衆も景虎に下った。そして初期の「越後の精兵」を作り上げた勇将でもある。

丸満餃子・本店 − This is just not a GYOZA Restaurant.

先週は令和元(2019)年の長月最後の週末、このところ休日ときたら天気が悪くて少し苛ついていたが、この時は一日だけ晴れ間が続くとの予報だったので、これまでに「お流れになったプラン」から茨城県古河市にあった城跡を攻めてきた。

江戸時代には古河藩の藩庁が置かれていた古河城は渡良瀬川(わたらせがわ)とそれを利用した水堀で囲まれた平山城で、天守に相当する御三階櫓が建っていた。幕府の将軍が日光社参する際に寄宿した城であり、城主は幕府の要職を務めるものが多く、同じ市内に菩提寺がある大老の土井大炊頭利勝(どい・おおいのかみ・としかつ)は有名である[a]他にも大老に堀田正俊、老中に永井尚政(ながい・なおまさ)、松平信之、本多忠良(ほんだ・ただなが)、土井利厚(どい・としあつ)、土井利位(どい・としつら)らが居る。。しかし、そんなにすごかった城は現在は跡形もない。戊辰戦争では戦火を避けることができたが、廃藩置県による廃城令で主な建造物は破却された上に、度重なる氾濫を引き起こした渡良瀬川の洪水対策として堀を含む城域の殆ど全てが埋め立てられて消滅し一部は宅地化されていた :O

そういうことで現在の城跡と云うと、破壊や宅地化を免れた一部の土塁の他、縄張を表す標柱などを見たり、古河にゆかりある御仁の菩提寺を参拝するだけではあるが、広範囲にわたって移動する必要があり徒歩では時間がかかって大変なのでレンタサイクルの「コガッツ」(無料)を活用してきた ;)

そんな古河市内巡りの合間、昼ごはんを食べてきたのが創業昭和39年の丸満餃子と云う老舗の「餃子」店だった:

丸満餃子・本店

昼時を外して行ったのだけど、流石の休日で店内は満員。名前を記載してしばし待つ。その間に店のメニューを見ていると餃子は焼き・蒸し・茹での三種類だけで、他にラーメン、ほんとん[b]このお店オリジナルのワンタンメンらしい。、もんじゃ焼き、鉄板焼き、お好み焼き、鍋料理など大部分が餃子以外の料理だった〜 :)。それから待つこと10分ほど相席御免の座敷のテーブルにとおされた。

まぁ自分は『20種類の具材の旨さが味わえる餃子』を食べにきたので、ここでは迷わず餃子定食(1,026円)を注文した:

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餃子定食(1,026円)

出てきたお膳にはオススメの焼き餃子が8個の他、ご飯と味噌汁、そして小鉢と香の物が載っていた。まるでパンのような形をしたこの餃子は、どこから食べても同じように皮と中身を味合うことができるのだそうだ。さらにテーブルの上にあった「食べ方」によると本来は料理が出て来る前にタレを作っておくものらしい:O。まったく気づかなかった。さらに料理が出てきたら一個目の餃子はタレをつけずにそのまま食べるのがオススメで、皮のカリカリ感やショリショリした食感を堪能できるらしい。

と云うことで一口ぱくっといってみたら、マジで火傷しそうな熱さのため味を堪能するどころではなかった :$

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一秒でも早く、まずは一口食べる

こんな猫舌の自分は数秒待ってから食べればよかったと後悔し、忘れていたタレを作ることにした。小皿が二枚あるので二種類のタレを作る。ひとつ目は「お酢+醤油+ラー油+ニンニク」と「マヨネーズにコチュジャンをアレンジした丸満特製餃子のタレ」:

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餃子のタレ二種(左が醤油ベース、右がマヨネーズベース)

意外とマヨネーズ味の特製タレは旨かった。ただ宣伝していたほど具材本来の旨みは感じられず、感覚的にも餃子ではなく何か別の包料理を食べているといったイメージが大きかった :|。あと、こんな餃子にはご飯よりもビールの方が合うな。

丸満餃子・本店
茨城県古河市本町1-2-39


ここからはオマケ。

まずはJR古河駅東口近くにある駅前子育てひろば わんぱくステーションで「コガッツ」なる古河市観光自転車を借りた。料金は無料で、住所と電話番号を伝え、身分証明書を提示する。返却は17:00まで:

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この日の相棒は「コガッツ」

まず、こちらは城跡とは関係ないが、江戸時代には日光街道沿いの城下町として栄えた古河にあって美味な「鮒の煮付け」といった川魚料理を提供するぬた屋[c]但し、甘露煮は砂糖や醤油が手軽に手に入った明治時代から。それでも160年の歴史を有する。。店の構えがいかにも城下町っぽい:

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鮒甘露煮のぬた屋

七福神の恵比寿様を祀る恵比寿神社と、蔵屋敷っぽいところに趣があるお休み処の坂長

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恵比寿神社

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古河のお休み処・坂長(さかちょう)

こちらは市立古河第一小学校の校門。一部のレンガが崩壊しているようで、現在は開門していないらしい:

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茨城県古河市立古河第一小学校の校門(拡大版)

かっての古河城・諏訪曲輪跡に建つ古河歴史博物館と通りを挟んで向かいにある鷹見泉石記念館は、古河藩士が住んでいた武家屋敷の一つで、もっぱら藩で蘭学に勤しんだ家老・鷹見泉石(たかみ・せんせき)が隠居後に住んでいた建物として保存されている[d]但し、敷地面積は往時の半分となっている。

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鷹見泉石記念館

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鷹見泉石記念館

一説に、この屋敷は寛永10(1633)年に当時の城主・土井利勝が御三階櫓を建てた際に残った廃材を利用して建てられたとも:

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玄関口

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玄関口

玄関口と行書字額(ぎょうじょじがく)「可琴軒」(かきんけん)。可琴軒は鷹見泉石の雅号(がごう)の一つ:

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玄関口(拡大版)

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行書字額の「可琴軒」

屋敷の軒先と座敷:

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屋敷の軒先

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座敷(拡大版)

この他に記念館の敷地には女流南画家(なんがか)・奥原晴湖(おくはら・せいこ)の画室が移築・復元されていた:

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奥原晴湖画室の玄関

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奥原晴湖画室

県道R9沿いの頼政神社の参道入口:

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頼政神社の参道入口

祭神は文字どおり源頼政公。平安時代末期に平氏に敗れた源頼政が平等院鳳凰堂で自刃した後に従者が首級を持ち帰った際、関東下総国古河の立先(龍崎)に塚を作って祀ったとされる。そして古河城となった後も祀られていたが廃城後の河川改修工事のため大正時代に現在地に移転された。

この場所は古河城跡の遺構の一つである観音寺曲輪の土塁の上である:

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頼政神社の境内(拡大版)

元禄9(1696)年当時の城主・松平信輝は城内に先祖の源頼政公の廟所があることを知り、社殿を修築しこれを祀ったと云う。その際に大灯籠や手水鉢などが寄進された。この狛犬もまた寄進された品で、江戸時代前期の作風を今に伝える石造遺品である:

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寄進者が不明の狛犬

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寄進者が不明の狛犬

こちらは古河藩初代藩主で幕府の老中・大老を務めた土井大炊頭利勝公の菩提寺である正定寺(しょうじょうじ):

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正定寺(拡大版)

渡良瀬川に架かる三国橋から河川敷を眺めたところ(パノラマ):

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渡良瀬川の河川敷(パノラマ)

渡良瀬川の水位確認尺:

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今尚、氾濫の恐れあり(拡大版)

かっては古河城であった渡良瀬川の土手。この土手上に本丸跡の石碑があった(パノラマ):

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古河城址本丸付近(パノラマ)

こちらは古河公方居館跡に建つ古河公方公園から御所沼を眺めたところ:

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古河公方公園(拡大版)

最後は、この日に出会った動物たち。土手上のサイクリングロードで出会ったバッタと、陸上自衛隊・古河駐屯地脇の小川にいた大量のカルガモたち:

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バッタ

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カルガモたち

この時のフォト集はこちら:

See Also古河城攻め (フォト集)
See Also古河公方居館攻め (フォト集)
See Also永井直勝公墓所・土井利勝公墓所・鮭延秀綱公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 他にも大老に堀田正俊、老中に永井尚政(ながい・なおまさ)、松平信之、本多忠良(ほんだ・ただなが)、土井利厚(どい・としあつ)、土井利位(どい・としつら)らが居る。
b このお店オリジナルのワンタンメンらしい。
c 但し、甘露煮は砂糖や醤油が手軽に手に入った明治時代から。それでも160年の歴史を有する。
d 但し、敷地面積は往時の半分となっている。

両国・國技堂 − A Rice Dumpling eaten by Gorō Inogashira also.

一昨々年は、平成27(2015)年のお盆休み前に千葉市内にある(というよりは博物館。)を攻めてきたが、現在残っている規模はそれほどではなかったので午前中に切り上げることにした。その後はJR総武線を乗り継いで両国にある江戸東京博物館へ。結局、一日中、博物館になったわけであけど ;)。午後は当時開催されていた「徳川の城 〜天守と御殿〜」を観てきた。お昼は駅近くの Fast-Food に入って天丼を食べたのだけれど、両国はかなり久しぶりだったので少しばかりウロウロしていると、甘味処の両国國技堂が目に入ってきた:

両国國技堂

このお店、「孤独のグルメ Season2」の第八話で井之頭五郎が立ち寄った店。五郎が立ち寄った時の季節とは正反対に、この日は夏真っ盛りで、街中はアスファルトの照り返しもあって大へん暑かったのでお店に退避することに。入ってみると1Fはおみやげ屋と厨房、2Fが喫茶コーナー[a]「喫茶店」ほどの広さはなかった。のようだったので早速階段で上がってみると運良く一席だけ空いていた。ちなみに自分以外はほとんどが外国人の方々だったけど :D

で、注文したのは五郎と同じ「だんごセット」(600円):

だんごセット(600円)

他のお客は当然ながら、かき氷やあんみつ盛りを食べていたけど、自分は熱いお茶と団子である。左から海苔、みたらし、小豆で、それぞれ焼きが入って温かかっただけあって香りが挽きたち、一層美味しかった。あと五郎と同じように、自分もスプーンを使って小豆をすくって食べてきた。

両国・国技堂
東京都墨田区両国2-17-3


ここからはオマケ。

JR千葉駅から城址最寄りの県庁前までは千葉モノレールで移動したけど、この時が初めての乗車だった。まさか上にレールがある[b]いわゆる「懸垂型モノレール」と呼ぶらしい。とは思っていなかったけど :O

アーバンフライヤー0形

1000形

こちらは亥鼻城2郭跡に建つ千葉市立郷土博物館。現在は亥鼻公園となっている:

亥鼻城跡の模擬天守(拡大版)

亥鼻台地の上に築かれた城跡

この博物館の前には、千葉氏の最盛期を築いた千葉常胤(ちば・つねたね)公の騎馬像が建っていた:

千葉常胤公銅像

そして東京江戸博物館で観てきたのがコレ。両国国技館は、この左手:

「徳川の城」のポスター

これはJR両国駅構内に掲げられていた第69代横綱の白鵬:

横綱・白鵬翔

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also亥鼻城(千葉城)攻め (フォト集)

参照

参照
a 「喫茶店」ほどの広さはなかった。
b いわゆる「懸垂型モノレール」と呼ぶらしい。

金華山展望レストラン・ポンシェル − A French Restaurant On The Famous Castle!?.

今年は平成29(2017)年のお盆シーズンは日本全国の天候が不順で、興味深く攻めることができそうな城がなかなか決まらず、休みに入る二日前くらいの天気予報でなんとか攻めれそうな城を見つけ、思い切って宿泊先を確保し三泊四日の城攻めツアーへ行ってきた。
実際のところ、お盆休みは前半の数日間だけ天気が良く、後半はボロボロだった ;(。そういうことで雨ふったらどうしようか等と余計な代替プランも併せて考えるのに時間をくって、やや強行感が否めず、寝不足のままお盆休み真っ只中の新幹線に飛び乗った。行き先は岐阜県。
この日の関東は早朝から大雨。まずは07:47amのJR新幹線のぞみ101号・広島行[a]この新幹線はその昔の広島出張でよく利用した便だった。懐かし〜。に乗り09:21amに名古屋に到着。それからJR東海道本線特別快速・米原[b]「まいばら」と読む。今までずっと「よねはら」って読んでいた。行に乗り、09:50amに人生初の岐阜へ上陸した :)。関東とは異なり、ここ岐阜は晴天。初日の最初は岐阜城跡へ。

まずは岐阜駅の北口に建つ織田信長公に挨拶。でもなんで金色なんだろう!?:|

織田信長公像

それから岐阜バスの岐阜公園・岐阜城・岐阜市歴史博物館行きに乗って岐阜公園歴史博物館前と云う停留所で下車したのが10:25am。ここまでは全然順調。しかしながら、流石に岐阜。気温が高く、ちょっと大変な城攻めになりそうな予感。

バス停から歩いて、プランどおり金華山の麓で現在でも発掘調査が続いている信長公居館跡を見学。暑い中をじっくりとプランどおりの時間を一杯一杯使って見て回り、これまたプランどおり金華山ロープウェイで山頂にある岐阜城を攻めようと切符売り場へ移動してみると、炎天下の中で行列に並ぶことに :O

炎天下の中を10分ほど並んでやっと屋内へ

まぁ、普通に考えれば、晴天の岐阜で眺めの良い金華山へ登ろう感覚で行くなら混雑して行列になるのは当然だろうと想像できたはずで、ゆっくり信長公居館跡なんか見て回っている場合でないことも理解できたはずなのだが、今回の強行城攻め(我攻め)のツケが徐々にやってきた感じ:$[c]混雑や行列を想定して、まず何よりも先に山頂に登って天守閣からの眺望を拝んで、人が少ない時間帯に早々と写真を取って麓に下りるべきだった。眠くて暑くて頭が回らなかった。。これは山頂へ行って天守閣へ向かう時にも痛感した。山頂は、とにかく大変な混みようなのである。
岐阜城をゆっくりと堪能させてくれない人混みと熱気と暑さである。とにかく人ばかりで、天守閣などの遺構を写真に納めるのに炎天下で人が過ぎるのをただひたすら待つしかないのである ;(

そんな感じでなかなか良い写真を取らせてくれないジレンマに悩まされる中、時間はプランどおり刻々と過ぎていく。ということで展望レストランで昼を摂る予定だったけど、次の予定もあるので時間的にスキップするしかないかなぁと思ったが、やはりこの気温では体力の消耗が激しく、この後のお寺巡りも不安が残ったのでしっかりと食べることにした。で、写真の奥に見えるのが展望レストラン・ポンシェル(フランス語で Le Pont de Ciel):

城跡にフランス・レストラン?

岐阜城にフランス料理のレストランがあるのか?と思って行ってみると、食券を買って行列に並ぶ普通の日本式レストランだった。違うのは、ここからの見晴らしが岐阜城の天守閣よりも良いこと! 8)。時間帯なのか高い店なのかわからないが、ありがたいことに窓際の席に案内された。岐阜城から長良川を見下ろし、さらに先には関ヶ原が:

展望レストランからの眺め

ここでは予め決めておいた岐阜県B級グルメでグランプリをとった「信長どて丼」(750円)を注文。箸袋には、織田家の家紋である織田木瓜も:

箸袋

信長どて丼(750円)

お腹が減っていたのでペロリと完食した。マスタードが良いアクセントになったし、岐阜の赤味噌もよかった。食べ終わってよく見ると丼の底にも織田木瓜が:

完食

最後にデザートについていた杏仁豆腐を食べながら眼下に広がる岐阜市街地を眺めていると、なんだか店を出たくなくなってきた:P

金華山展望レストラン・ポンシェル
岐阜県岐阜市千畳敷下257 金華山山頂


ここからはおまけ。

実はお金を払って展望レストランに行かずとも、レストランの建物の屋上がビアガーデン会場になっていて、さらに昼時なら誰もいないので思いっきり素晴らしい眺めを堪能できるのだ;)

展望レストランと同じ角度での眺め(拡大版)

岐阜城天守閣近くに建つ岐阜城資料館(天守閣とセットで有料)では信長公ゆかりの甲冑や漫画「センゴク権兵衛」(宮下英樹氏)のパネル、ゲーム信長の野望のパッケージイラストで有名な長野剛氏の信長公肖像などが展示されていた。
こちらは長野剛氏の信長公肖像画:

「信長の野望」ではお馴染みのイラスト

宮下英樹氏のセンゴク権兵衛のイラスト:

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センゴク権兵衛の信長公

センゴク権兵衛

レプリカ甲冑。左手はビロード風の南蛮マントが印象的な銀箔押南蛮胴具足(甲冑師・熱田伸道氏の作)、右手は「舌を噛みそうな名前」の黒塗濃萌葱糸素懸威二枚胴具足(同氏の作):

(ぎんぱくおし・なんばん・どうぐそく)

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(くろぬり・のうもえぎいと・すかけおどし・にまい・どうぐそく)

こちらはロープウェイで下りて岐阜公園総合案内所近くで見上げた岐阜城の山頂付近。左手から天守閣・気象庁の施設・展望レストラン・ロープウエイ山頂駅:

岐阜城山頂付近(拡大版)

そして若き信長公の騎馬像。案内所ができるまでは同じ麓にある信長公居館跡前に置かれていたらしい:

「若き日の織田信長像」

最後に、長良川と金華山。信長公の時代は稲葉山とも。こんな風に眺めるといかにも難攻不落の城のように見えるが、実は五回も落城している:

長良川に架かる長良橋から

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also岐阜城(稲葉山城)攻め (フォト集)

参照

参照
a この新幹線はその昔の広島出張でよく利用した便だった。懐かし〜。
b 「まいばら」と読む。今までずっと「よねはら」って読んでいた。
c 混雑や行列を想定して、まず何よりも先に山頂に登って天守閣からの眺望を拝んで、人が少ない時間帯に早々と写真を取って麓に下りるべきだった。眠くて暑くて頭が回らなかった。