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お食事・居酒屋 こっくどーる − the 4th Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾、そして第三弾の城攻めは無事に完了。

そしてGW 2022も後半戦へ突入し、幸いにも天気は良好続きとの予報だった。第四弾は長野県の城攻め。こちらも長年温めていた山城で、標高800mを越える葛尾山《カツラオヤマ》山頂に築かれた信濃村上氏の居城・葛尾城跡。ハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかあり[b]なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。、カメラを背負ってガレ場を登ることを予想して気合を入れて準備をしてきたのだが、ここにきて若干ではあるがGW前半の疲れが出てきた感じがしたので、山登り(葛尾城攻め)はせず、信濃村上氏の中でも、あの武田信玄を苦しめた村上義清《ムラカミ・ヨシキヨ》の居館跡や供養塔といったゆかりの場所を巡ることにした。それ以外にも北国街道坂木宿《ホッコクカイドウ・サカキジュク》という古い歴史が残るこの街には歴史館や刀剣の博物館もあるようなので、来る葛尾城攻めの下調べも兼ねると云う意味でも無理をしないことにした[c]この次の日も山登りの計画だったし 😂️。 :)

この日は、朝9時半過ぎに東京駅発の北陸新幹線・金沢行きのはくたか557号に乗って上田駅に着いたのが11時前。次にしなの鉄道・長野行に乗り換えて、今日の目的地である坂城《さかき》駅に着いたのが昼12時少し前:

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しなの鉄道・坂城駅

山登りして城攻めする予定では無かったが、お腹が空いたので駅前にある御食事処へ:

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居酒屋(お食事・大小宴会)こっくどーる

このお店、夕方になると居酒屋になるようで昼メニューと夜メニューとに分けられていた。事前に調べてみたらおしぼりうどんなる坂城名物を出してくれるとのことで、検温+手を消毒してカウンター席につくまで、その名物を食べるつもりだったけどランチタイムだったこともあり、曜日替わりのヒレカツ定食(750円)にした:D

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ヒレカツ定食・コーヒー付き(750円)

御前の上はごくごく普通の彩りではあったが味は文句なしで美味しく頂けた。ヒレカツも柔らかかったし。食後のコーヒーには落花生が入った硬くて甘くない煎餅が添えてあった:)

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食後のコーヒーと硬くて甘くない煎餅

この時のお客は先客が一人だけで、田舎にありながら感染対策を徹底しているお店で安心した。

居酒屋(お食事・大小宴会)こっくどーる
長野県埴科郡坂城町大字坂城立町6318−1


ここからはオマケ。

坂城駅前の通りの県道R339は旧北国街道。ここ坂木宿はゆるやかな坂と鉤形の町割りが特徴である:

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県道R339は旧北国街道

信濃村上氏の居城である葛尾城攻めを取り止めた代わりに、この説明図に記載された村上義清ゆかりの名所を巡ってきた:

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村上義清ゆかりの名所(拡大版)

ここ村上山・満泉寺は信濃村上氏代々の菩提寺で、戦国時代に村上義清の子・國清により村上氏の居館跡に建立された:

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山号が村上山の満泉寺は村上氏居館跡に建てられている

戦のない平時には、ここに建てられていた居館で生活し、いったん敵に攻め込まれ戦となると、背後にある葛尾城(詰めの城)に籠もったと云う:

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葛尾城跡と姫城跡(拡大版)

葛尾城は、現在の葛尾山尾根筋を利用して築かれた典型的な山城である。上の写真左端にみえる尾根が姫城跡、その次の尾根が葛尾城跡。麓の坂城神社から徒歩で約60分。東側の尾根づたいにいくつもの堀切跡が残っているのだとか。特筆は、葛尾城主郭跡から眼下に千曲川をのぞむ見晴らしである。

こちらが葛尾山の麓にある坂城神社:

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坂城神社

その坂城神社の裏手には村上國清公の供養塔があった[d]せっかくなので、このフォトと一緒に Google Map に登録しておいた。

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「村上国清の供養塔」

さらに町にある歴史館で信濃村上氏や村上義清と武田信玄との戦いについて詳しい情報の他、葛尾城跡への登山ルートについて詳細を入手することができた:

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坂木宿・ふるさと歴史館

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村上氏に関する史料など

ちなみに、この歴史館には江戸時代の宿場町であった坂木宿の本陣表門が移築されている。

こちらは、駅近くにある村上義清の供養塔へ向かう途中に眺めた菅平《スガダイラ》高原方面。この日は「こどもの日」だった:

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坂城町から菅平方面の眺め(拡大版)

もう一枚。これは村上義清が武田晴信(信玄)を破り、重臣の板垣信方らを討ち取った上田原古戦場方面の眺め[e]と云ってもかなり遠いが😁️。

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上田原古戦場方面の眺め(拡大版)

村上義清公の供養塔は、旧北国街道沿いある田町十王堂《タマチ・ジュウオドウ》裏にある:

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田町十王堂

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村上義清公供養塔

ちなみに、この田町十王堂は閻魔堂のことで、十王とは死後に冥府で人間の生前の罪業を裁くとされる十人の王のことで、その頂点にいるのが閻魔大王らしい。

葛尾城下で葛尾城跡へ登城口やと登城ルート、そして村上義清公についていろいろ情報を得ることができたことで、一段と葛尾城攻めしたい気持ちが強くなってきた:D。そろそろ計画でもたてようか。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also村上義清公墓所とゆかりの地 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。
c この次の日も山登りの計画だったし 😂️。
d せっかくなので、このフォトと一緒に Google Map に登録しておいた。
e と云ってもかなり遠いが😁️。

らーめん専門店 めん蔵 − A Nostalgic ASAHIKAWA Style Ramen.

先週は、令和4(2022)年3月末に(COVID-19 感染拡大中ともあって)二年越しの人間ドックに行って来たが、全検査を終えて検診結果の説明があるまで時間があったのでお昼を摂ることを兼ねて検診センター(西新橋・虎ノ門)周辺を散策してきた[a]これまでは、お昼は検診センターが提供してくれる弁当を利用していたが COVID-19 感染予防対策のため提供中止だった。おまけに一眠りできるリザクレーションルームも閉鎖だった  😥 。。さらに胃内視鏡検査をしたので喉の局部麻酔が解けて飲食できるまで1時間くらい必要だった[b]無理して食べると喉を痛めるらしい。 :|

なにせ検査のため朝から水も食物もまともに摂っておらず体力的にキツかったので、とにかくお昼を食べれるまでの小一時間を潰すため前回と同様に、まずは近くにある愛宕神社を参詣。ここの階段を上がるのがキツかったが :$。それから季節的に桜が満開だった愛宕山周辺をうろうろ。それでもまだ時間があったので、前から気になっていた NHK放送博物館に入ってみた(入場無料)。

これが予想外に面白くて、子供の頃に観たり聞いたりした懐かしい番組やラジオ・テレビ関係の歴史、そしてハードウェアの展示なんかはホント時間を忘れてしまいそうだった。ラジオ放送からテレビ放送、衛星放送、ハイビジョン放送、そしてデジタル放送といった技術の進歩につれて番組内容が変わっていくのも。あと JOAK の呼びかけって昔どこかで聞いたな〜って自らの記憶を辿ることができて楽しかった〜 ;)。大河ドラマや朝のテレビ小説コーナーなんかじっくり観たかったので、また観に来たい:)

それから弁当屋などを探しながら検診センターへ戻ることにした[c]検診センター内で弁当を食べることが可能だったので。

そこで見かけたのがラーメン屋の暖簾。検診センターを出た時は「準備中」の札がかかっていたので特に気にしなかったが、中に客が居るのを見たら無性にラーメンを食べたくなって、空いているこの時間ならばと暖簾をくぐることにした:

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らーめん専門店・めん蔵

カウンター席には先客一人が味噌ラーメンを食べていた。店員は一人。暖簾に「西山製麺」の文字が目にはいった時点で、さっぽろらーめん系(卵麺)かと推測した。あとで調べてみたら、やはりこの店はさっぽろらーめん系らしい。

さっぽろらーめん系なら味噌だろうが、道民としては醤油ラーメンでその実力を確認するものだ :X。と云うことで醤油ラーメン(700円)を注文:

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醤油ラーメン(700円)

この黒い醤油ベースのスープ。まさに旭川ラーメン。ただしモヤシが載っていない。これはマイナスだなぁ。麺もスープも西山製麺のものだろう。昔食べたような味だったので :)。チャーシューは脂が旨かった。もうお腹が空いていたので、塩っぱいスープを飲み干してしまった :D

次回の人間ドックは味噌ラーメンにしてみよう。

らーめん専門店・めん蔵
東京都港区西新橋3丁目13-6


ここからはオマケ。

まずは愛宕神社:

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愛宕神社の入口

境内へ上がる石段は男坂と女坂の二つある:

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男坂

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女坂

男坂の石段を上がって振り返って見下ろすと:

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一の鳥居から見下ろす

丹塗りの門をくぐって社殿で参詣:

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愛宕神社の社殿

この神社は、征夷大将軍の徳川家康が慶長8(1603)年に江戸に幕府を開くにあたり防火・防災の守り神として創建された。

こちらは愛宕隧道《アタゴ・ズイドウ》と桜の木:

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愛宕トンネルと満開の桜

そして愛宕神社の隣りにあるNHK放送博物館。こちらも桜は満開:

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NHK放送博物館

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満開の桜

博物館1Fのエントランスで「チコちゃんとキョエちゃん」がお出迎え:

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チコちゃん」と「キョエちゃん」

2Fの展示物には、子供の頃に観た番組系の展示物があった。特に人形劇「プリンプリン物語」は懐かしかったなぁ 8)。こちらは「ひょっこりひょうたん島」:

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NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」

ゴン太くんも:

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着ぐるみ

最後は最寄り駅に向かう際に立ち寄った芝公園から東京タワーの眺め:

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芝公園から東京タワー

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also西新橋散策 (フォト集)

参照

参照
a これまでは、お昼は検診センターが提供してくれる弁当を利用していたが COVID-19 感染予防対策のため提供中止だった。おまけに一眠りできるリザクレーションルームも閉鎖だった  😥 。
b 無理して食べると喉を痛めるらしい。
c 検診センター内で弁当を食べることが可能だったので。

館山なぎさ食堂 − A Terrible Seafood-don I’ve ever had.

先月末は令和3(2021)年の小雪《しょうせつ》の候のとある週末に、三年前に計画したものの当時は関東を横断した二つの台風[a]2019年の台風15号と台風19号。の深い爪痕に加え、その後の COVID-19 蔓延と緊急事態宣言なんかが重なって延期にしていた千葉県館山市の城攻めへ。

この日は東京駅八重洲口からJRバスで移動して館山駅東口に到着したのは10時半くらい[b]東京湾アクアラインの木更津金田あたりから上りの渋滞が半端ないことと、館山でレンタサイクルを利用したかったので。しかしながら下りなのに到着が遅くなったのは首都高の渋滞。。それから駅前の館山市観光協会でレンタサイクルを借りようとしたら、貸出場所はこことは反対側の西口にあるらしい :O。ただ隣にあるJRバスでも同じ料金で借し出しているとの情報をもらい :)、再びバス乗り場へ向かうと既に先客二人が説明を受けていた。おおっと、もう借りられないかも?と不安がよぎったが、奥に最後の一台があったので安心した 8)

まずは館山城を遠望するため、みなとオアシス “渚の駅” たてやまへ向かった。JR内房線を越えて鏡ヶ浦《かがみがうら》(館山湾)へ出て南下していくと館山港があって、その脇に渚の駅があった。二階建の建屋の一部は展望デッキになっていて、皆が鏡ヶ浦や浦賀水道、そしてその先で聳える富士山を眺めていた中、自分だけ山側の館山城を眺めていたっけ :D。それから館山港周辺をブラブラして、レンタサイクルで館山城跡の城山公園へ向かった。

この日は晴天で、関東の南にある館山の昼間の気温はそこそこ高かったが、やはり午後は寒くなるだろうと思って手袋を持参してきた訳だが、公園に到着した時にその手袋が無いことに気づいた・・・ :O。渚の駅の展望台で手袋を外したことは覚えているが[c]正確にはカメラ操作用の手袋にはき替えたというもの。なので公園まではき替えた手袋のままで、脱いだ手袋の存在を忘れていた。、ここまで来るまで手袋はてっきりカゴの中にあるものだと勘違いしていたようだ。とりあえず手袋が落ちていないか確認しながら来た道を素直に戻り、とうとう渚の駅まで来てしまった。半ば諦めながら手袋を外した記憶がある展望デッキへ上がってみると、なんと端っこの柵上に俺の手袋がかかっていた〜 0:) 。ありがとう、気づいて拾ってくれた方

予定では、このあとの公園近くでお昼を摂る予定だったけど、こんな感じで渚の駅と城山公園を行き来し気持ちも落ちついたら急激にお腹が空いたので、せっかくだから渚の駅にある食堂で食べることにした。少し早めの方が客が少ないと思って[d]11時半くらいでほぼ満席だったけど 😐 。

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渚の駅(商業施設棟)

ということで鏡ヶ浦を眺めながら新鮮な海産物・農産物を味わえると評判らしいお店へ。感染対策してテーブル席についたあとメニューを眺め、値段にビックリしつつ期待をこめて海鮮丼(2,480円)をオーダーした。

そして出てきた海鮮丼がこちら:

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海鮮丼(2,480円)

出てきた海鮮丼にびっくりした。御飯が酢飯ではなく、なにやら酢ゼリーなるものが小皿上にある。店員の日本語が聞き取れなかったので、このゼリーの存在がよくわからなかったが、どうやらお好みでこのゼリーを御飯の上におけば酢飯風の味付けになるらしい :|

おいおい。海鮮ネタが載っている御飯の上にどうやってゼリーを載せるのだろう。オマケに醤油も少なく卓上にも醤油がないため、せっかくの大量の海鮮ネタを満足に頂くことができなかった :$。正直ネタも大したことは無い。

ここまでくると残念とか云う俺の感想ではなく、これを造った奴は海鮮丼を食べたことが無いんだな、港街なのにと思ったよ。今まで食べた海鮮丼の中で一番酷かった :(。と同時に、さらに1,000円くらい高い特選海鮮丼なんて注文しなくて良かったと思った。

館山なぎさ食堂
千葉県館山市1564-1


ここからはオマケ。

ここがJR館山駅東口。正面の1階が観光協会:

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JR館山駅東口

こちらが今回の城攻めで活躍してくれた電動レンタサイクル。料金は1日(5時間以上)で1,500円(当時):

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Rent-a-cycle くらりん(YAMAHA製)

この建物は渚の駅にある渚の博物館。なんと、さかなクンが名誉会長でプロデュースした展示物があるらしい。当時は時間も興味も無いのでパスしたけど :X

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館山港・渚の博物館

この建物の周囲にあったもの:

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焼玉エンジン(サンマ船などで使われた)

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捕鯨砲

そして展望デッキからの眺め。まずは山側にある館山城跡。このあと手袋を気付かずに放置していたと思う:

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城山公園

もちろん海側もしっかり眺めてきた:

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鏡ヶ浦

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館山夕日桟橋

これは海中観光船だと思う:

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海中観光船「たてやま号」

館山は晴天だったけど山梨方面はそうでもなかったか:

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浦賀水道ごしに眺めた富士山

こちらが館山夕日桟橋。海釣りのスポットらしいが、そこまでが遠い :P

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館山夕日桟橋

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館山夕日桟橋

一応は腹がふくれたので再び同じルートで城山公園へ。大勢の観光客が登っていった。館山城は里見家の居城だった:

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これは大手道ではないと思う

山頂にある三層四階天守型の建物は、実は麓にある館山市立博物館の分館で、別名が八犬伝博物館。現在のところ館山城に天守の存在は確認されていない:

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天守閣風の博物館

戦国時代には、あたまに「房総の覇者」がつく里見家であったが、その後は秀吉からも家康からも嫌われて取り潰しになるなど不遇であったものの、江戸時代おそくに『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴に救われたと云ったところだろうか。それが真実なのか、この博物館では南総里見八犬伝についていろいろ貴重な史料が展示され、大々的に宣伝していた(入館は有料)。

この模擬天守は戦国時代の典型的な天守の姿を模し二重櫓に入母屋造の大屋根をかけ、その上に小望楼を乗せた構造で、最上階の望楼がホンモノの展望台(入館は有料):

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「関東の富士見100景」でもある展望台

こちらは天守の展望台から眺めた海上自衛隊館山航空基地とか富士山とか:

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館山航空基地と富士山

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館山航空基地とマルエーフェリー「琉球エキスプレス」

標高65mほどの山頂が本丸跡であるが、大戦中に大砲などが置かれたためだいぶ改変されているものの、現在はその一部を利用して展望エリアがあり、そこからの眺望も抜群だった:

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館山市街地の眺め(拡大版)

こちらは公園内にある日本庭園でみかけた水仙:

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水仙

城山公園を出たあともレンタサイクルで散策し、館山城を築城した里見義康公が眠る慈恩院《じおんいん》も参詣してきた。公の墓前にたつ銀杏の木は市指定天然記念物で「ラッパイチョウ」と呼ばれているらしい:

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説明板

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里見義康公墓所脇にたつオハツキラッパイチョウ

実際にそんな銀杏があるのか探しみると本当に落ちていた:

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ラッパイチョウ

最後は館山城の出城といわれている御霊山で見かけた滑り台:

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危険な滑り台

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also館山城攻め (フォト集)
See Also館山城下巡り (フォト集)

参照

参照
a 2019年の台風15号と台風19号。
b 東京湾アクアラインの木更津金田あたりから上りの渋滞が半端ないことと、館山でレンタサイクルを利用したかったので。しかしながら下りなのに到着が遅くなったのは首都高の渋滞。
c 正確にはカメラ操作用の手袋にはき替えたというもの。なので公園まではき替えた手袋のままで、脱いだ手袋の存在を忘れていた。
d 11時半くらいでほぼ満席だったけど 😐 。

海上保安資料館横浜館 − Exhibited of North Korea Spy Ships.

先月末は令和3(2021)年立冬前の週末、重い雲で覆われて今一つはっきりない天気の中を、神奈川県立歴史博物館特別展を鑑賞してきたが、まだ雨が降り出していなかったその帰り道に、少し寄り道して横浜レンガ倉庫街へ行ってみた[a]その昔、横浜ワールドポーターズ周辺は何度か行ったけどレンガ倉庫は初めて。

COVID-19 による緊急事態宣言が開けたこともあり、なかなかの人混みだったので、あまり立ち止まらずに軽く見て回るだけのつもりだったのだけど、その先に停泊中の海上保安庁の巡視船が目に入ったので、もう少し近くまで行って眺めてみることにした。

こちらは新港ふ頭に係留中の海上保安庁・第三管区海上保安部所属の巡視船あきつしま(約6,500トン)。世界最大級の巡視船らしい:

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巡視船あきつしま PLH32

巡視船が係留されている埠頭までさらに近づいてみると、その横に海上保安資料館横浜館なる建物があった。そして「北朝鮮工作船」の文字が。:

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この資料館は、日本国周辺海域の現状と海上警備の重要性を国民に広く知ってもらうためにいろいろな資料を展示している[b]といっても、ほぼ全てが北朝鮮工作船のものだけど  😛 とのこと。興味深そうなテーマだし入場料は無料とのことで、検温と手の消毒を行って鑑賞することにした。

こちらが北朝鮮工作船の要目を説明するためのジオラマ。これは、今から20年前の平成13(2001)年に九州の南西海域で発生した北朝鮮の不審船追跡事件に関するもの:

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「工作船の要目」

日本の漁船に偽装した母船(工作船)はブリッジ後方に14.5ミリ二連装対空機銃が格納され、後部ハッチには小型舟艇が収納されている。またいざとなったら高速で離脱するために推進機が4基搭載されている。

実際の不審船は海上保安庁の追跡中に巡視船と死闘を繰り広げ、最後は自爆・沈没しており、あとで引き上げたため、こんなに綺麗ではなかったけど :|

眼の前に置かれているのが工作船の母船「長漁3705」:

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右舷船首部

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工作船の母船「長漁3705」

巡視船からの警告射撃(20ミリ機関砲)を受けながら逃亡の末に、最後は自爆して沈没しているので外も中もボロボロ。

外装からは普通の漁船であるが、主機が4基搭載していることを気付かれないようにするため余分な排気口はカムフラージュされていた。

船舶を証明するブリッジ側板や船尾の鉄枠には「MZ2-23・・・」と印字されている。これは宮崎県で登録された船であることを偽装するためのもの:

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ブリッジ側板

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船尾

そして母船の背後へまわると:

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船尾(パノラマ)

船尾外板は観音開きできるようになっており、その中は小型舟艇の格納区画だった。

そして母船は上からも眺めることができるようにデッキが用意されていた:

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後部船上

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前部船上

自爆しているため船上のデッキやブリッジは、ほとんど残っていなかったが、後部には14.5ミリ対空機関銃の格納区画で銃座を移動させるレールが残っていた。また前部はブリッジと居住区があったらしい。

これが14.5ミリ二連装の対空機関銃ZPU-2:

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二連装機銃ZPU-2

こちらが小型舟艇。船外機はVOLVO製:

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小型舟艇

乗組員が保持していた小火器類も引き上げられた。こちらは携行型地対空ミサイル発射機や82ミリ無反動砲:

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地対空ミサイルの発射機など

5.45ミリ自動小銃 AKS-74など当時では最新鋭の装備だった:

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北朝鮮製のAKS-74自動小銃

RPG-7や7.62ミリPK系軽機関銃:

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RPG-7など

小火器以外の遺留品の中には日本製のプリペイド式携帯電話、GPSプロッタ、カシオ製ポケコン、さらには英語とハングル語の辞書などがあった:

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遺留品の一部

こちらが自爆用スイッチの類:

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自爆用スイッチなど

水中スクーター:

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三枚翼の水中スクーター

展示品の他には、この事件の詳細な説明板があり、また実際に海上保安官や自衛隊が撮影した生々しい映像がリアルな音声とともに流れていたのはすごかった :O。ホント戦場だったのがよく分かる[c]のちに海上保安官らの行動について批判していた平和主義者が居たようだが、海保の人達の命がけの行動があって現在の状況が維持されているのに、その上でのうのうと理想論だけで批判していた奴輩こそ批判されるべきと思ったよ  😈 。

予想外にいろいろ知ることができたので、帰りがけに寄付として JAPAN COAST GUARD のロゴ付きマグカップを購入してきた :)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also海上保安資料館横浜館 (フォト集)

海上保安資料館横浜館
神奈川県横浜市中区新港1-2-1(赤レンガパーク隣)


ここからはオマケ。

平成14(2002)年に出来た横浜赤レンガ倉庫

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明治末期から大正初期に建設された倉庫

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当時の面影を残している

横浜駅東口とみなとみらい、赤レンガ倉庫、そして山下公園を結ぶ横浜クルージングのシーバス:

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シーバス

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カフェ・クルーズ

参照

参照
a その昔、横浜ワールドポーターズ周辺は何度か行ったけどレンガ倉庫は初めて。
b といっても、ほぼ全てが北朝鮮工作船のものだけど  😛
c のちに海上保安官らの行動について批判していた平和主義者が居たようだが、海保の人達の命がけの行動があって現在の状況が維持されているのに、その上でのうのうと理想論だけで批判していた奴輩こそ批判されるべきと思ったよ  😈 。

喫茶ともしび − A Cafe at Kanagawa Prefectural Museum of Cultural History.

先月末は令和3(2021)年は立冬前の週末、朝から曇り空で時間が経ったら確実に雨が降りそうな天気だったこの日は神奈川県立歴史博物館で開催されていた『開基500年記念 早雲寺−戦国大名北條氏の遺産と系譜−』なる特別展を鑑賞してきた。

小田原北條氏五代の墓所があることで知られている早雲寺(神奈川県足柄郡箱根町)は毎年文化の日の前後に寺宝である北條氏ゆかりの品々や複数ある当主の肖像画などを鑑賞できるらしいのだが、結局のところ昨年に続いて今年も COVID-19 感染防止(緊急事態宣言下)のため開催されなかった[a]墓所参詣は通年できるらしいことを、あとで知ったので後日参拝してきたが。

その代わりなのかどうかは分からないが、早雲寺所蔵の寺宝に加えて県内にある寺社から小田原北條氏と歴史的に関連のある[b]もちろん敵対勢力に関するものも含まれる。文化財[c]この中には重要文化財、重要美術品、神奈川県指定文化財、市区町村指定文化財が含まれている。が集合した展示会と云うことで興味津々だった:

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特別展・開基500年記念「早雲寺」

ちょうど自分が行く直前に緊急事態宣言が開けたので、それまで予約制だったのが特に予約せず人数制限もなしで鑑賞できるたのは良かった8)。あと、出品数は想像していたよりも多くは無かったが、美術品の域を越えて歴史的背景なども併せて知ることが出来て有意義だった。そういえば JAF の優待割引もあったっけ。

で、自分が鑑賞した頃は、この特別展と県内の観光協会とがタイアップして「巡礼!戦国北條カード」なるものを配布していて、特別展を鑑賞したら小田原北條氏初代の「伊勢宗瑞(北條早雲)」のカードを貰った。詳しくみてみると、このカードは全七種類もあるらしく、この館内でも他のカードを入手できるらしい。

その一つがこちらの喫茶店。ここで食事すると貰えるとのこと。この日は大勢の人が来る前に退散する心算で朝一に入館したこともあり、鑑賞し終わったらお腹も空いてきたので、カード入手がてら早めのお昼を摂ることにした:

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博物館の片隅にある喫茶コーナ的なお店だった

感染対策しながら食べたのが、こちらの「懐かしのナポリタン」。定価は 790円だけど、鑑賞券の半券で50円引き ;)

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懐かしのナポリタン(790円 – 50円)

ケチャップの香りと味が絶妙の細めのスパゲティで美味しかった。店内にはお土産物もあり、せっかくなので「手羽元カレー(レトルト)」(420円)を購入。

初めはなんてことは無かったが二枚目のカードを入手したら、残りの五枚も集めたくなってきて、その後はカードを手に入れるために小田原城天守閣や箱根神社の宝物殿、さらに箱根町の郷土資料館という所まで足を伸ばす羽目になってしまった:D

ちなみに、こちらが集めたコレクション・カード全七種。そのうち白で塗りつぶされていないのがこの日に入手できたもの:

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本日入手した「巡礼!戦国北条カード」

喫茶ともしび
神奈川県横浜市中区南仲通5-60


ここからはオマケ。

これが博物館の建物。明治37(1904)年に建てられた横浜正金銀行《よこはま・しょうきん・ぎんこう》本店で、国の重要文化財・史跡に指定されている:

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元は銀行の本店

特別展のパネルの他に、明治地代に横浜の港を守るために備えられていたとされる帝政ロシア製の32ポンド砲:

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「早雲寺-戦国大名北条氏の遺産と系譜-」

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旧居留地から出土した大砲

参照

参照
a 墓所参詣は通年できるらしいことを、あとで知ったので後日参拝してきたが。
b もちろん敵対勢力に関するものも含まれる。
c この中には重要文化財、重要美術品、神奈川県指定文化財、市区町村指定文化財が含まれている。