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深大寺散策 − A Famouse Buddhist Temple in the Suburbs Tokyo.

一昨昨年(さおととし)は平成27(2015)年の暮れに自宅から車で行ける深大寺城跡を攻めてきた。お昼は人気のあるお店で深大寺そばを食べ、ついでに深大寺も散策してきた。正直なところ、そういう機会はもう無いかもしれないと思ったので :P

深大寺は歴史的にも一大参拝スポットなので、参道脇の観光案内所で「深大寺散策マップ[a]ウラ面に「深大寺の主な見所」やオススメの散策ルートなど記載されていた。なるものを配布していたので、それに従って境内を巡ることにした。

こちらは「深大寺境内絵図」[b]どこに立っていたか覚えていない…。

「深大寺境内絵図(拡大版)

まずは「天台宗・別格保山・浮岳山・深大寺」の石碑が建つ山門前からスタート:

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深大寺の碑と山門

平成の世に調布市重宝に指定された山門は、320年以上前の元禄8(1695)年の普請で、この境内の中では最古の建築物であるらしい。正面には「浮岳山」の山号額が掲げられていた:

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桁行3.55m,、梁間2.32.mの一間薬医門で、屋根は切妻造の茅葺きである。主柱・控柱ともに丸柱で、上下は粽(ちまき)付き、下に礎板を置いて薬医門特有の前寄り屋根を構成する:

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山門の控柱

ここ深大寺は慶応元(1865)年にあった大火で堂宇の大半を焼失したが、この山門はその時の災禍を免れた建物の一つである。

これは山門をくぐって境内正面に建っていた常香楼(じょうころう)と本堂の眺め:

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常香楼と本堂(拡大版)

この鐘楼は慶応元(1865)年の大火で焼失し、明治3(1870)年に再建されたもので、山門をくぐった右手にある。梵鐘は平成13(2001)年に鋳造されたもので、柱間の木鼻として象・獅子が付いていた:

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鐘楼

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鐘楼の柱間の彫り物

深大寺境内に句碑や歌碑なんかも建っていた。こちらは小松北溟(こまつ・ほくめい)歌碑:

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小松北溟歌碑

常香楼(じょうころう)は天保4(1833)年の建立。慶応の大火の際に山門と共に焼失から免れたが、北側には大火の跡を残している:

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常香楼

そして本堂。慶応の大火で焼失したが、大正時代に再建されたもの。屋根が焼失前よりも若干大きくなっているのだとか:

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本堂(拡大版)

本尊は宝冠阿弥陀如来(ほうかん・あみだにょらい)像で、天台宗の常行三味堂の本尊であったという。
焼失前の本堂は寄棟造りの茅葺き屋根だったが、再建した本堂は入母屋造りの棧瓦葺きである。また向拝は焼失前は入母屋破風が付いていたが、再建後は唐破風になっている:

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向拝は唐破風

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本堂の唐破風

梁の木鼻には獅子・象の彫り物、正面の三段の虹梁の間には龍、破風板の下には鳳凰の彫り物があった。

こちらは本堂脇の五大尊池:

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五大尊池

そして手水鉢。仏教では仏前などに供える水を閼伽(あか)と言い、閼伽水で手や口を濯ぎ身と心を浄めるのだとか:

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手水鉢

本堂から少し西へ離れたところに建つ元三大師堂には慈恵大師(元三大師)像が安置されている。ここ深大寺における厄除け信仰の中心として、慶応の大火で焼失したが、翌々年の慶応3(1863)年にいち早く再建された。焼失前は本堂の西南にあった:

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元三大師堂

このあとは高台の上にある開山堂へ:

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開山堂参詣道

昭和58(1983)年に新築された奈良時代様式の堂宇で、本尊は薬師如来脇侍に弥勒菩薩千手観音を安置し、開基満功上人、天台宗一祖契惠亮和尚の尊像を祀っている:

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奈良建築様式の開山堂

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堂宇内に祀られた御本尊

この後は、一度境内を出て周辺を散策した。こちらは多聞院坂。この坂の上は調布市立深大寺小学校:

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多聞院坂

そして不動の瀧。これは二箇所にあって連結していた:

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不動の瀧(その1)

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不動の瀧(その2)

こちらは開福不動明王:

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開福不動明王

それから庫裡東門から再び境内へ:

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庫裡東門

こちらは、いわゆる保存用倉庫に相当する本坊急庫裡。この庫裡の屋根を見上げると鷺がいた:

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本坊急庫裡

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屋根の棟にいた鷺

再び境内を西へ移動して釈迦堂へ。白鳳仏を安置する堂宇として昭和51(1976)年に新築された。この中には国の重要文化財である釈迦如来倚象が展示されていた。この像は東日本随一の白鳳仏であり、七世紀頃に奈良で造られたもの:

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釈迦堂

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釈迦如来倚像(拡大版)

再び境内を外れて深沙大王堂(じんじゃだいおうどう)へ。深大寺の秘仏[c]秘仏ということで、深大寺住職でも在任中に一度拝める程度であるらしい。・深沙大王を祀る。調布市内に現存する最古の貴重な建物:

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深沙大王堂

延命観音。秋田県沖で引き上がった慈覚大師自刻の延命観音で、縁あって深大寺に奉安されたのだとか:

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延命観音

こちらはお昼を頂いたあとに深大寺通り沿いで見かけた水車館。明治末期に地元の人びとが水車組合を作り、お金を出し合って水車小屋を建てたのが始まりだとか:

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深大寺水車館

以上で散策は終了。このあとは車を停めた駐車場まで行く途中に植物公園なんかを観てきた。

こちらは参道脇の門前の風景。朝9時くらいはほどんと人はいなかったが、お昼を過ぎた時間には多くの参拝客がいた:

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日曜日の朝9時頃

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日曜日のお昼すぎ(拡大版)

門前には蕎麦屋を含めて、多くのお店があった:

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門前の蕎麦屋

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also深大寺散策 (フォト集)

深大寺
東京都調布市深大寺元町5-15-1

参照

参照
a ウラ面に「深大寺の主な見所」やオススメの散策ルートなど記載されていた。
b どこに立っていたか覚えていない…。
c 秘仏ということで、深大寺住職でも在任中に一度拝める程度であるらしい。

麺屋 工藤 − Another SANO Ramen.

新年が明けて平常な生活感が戻ってきた感じがする平成31(2019)年は1月中旬の晴れた週末に、栃木県佐野市にある信州・真田家ゆかりの地へ行ってきた。今回の目的地は、三年ほど前のNHK大河ドラマでもその場所に関連するエピソードが取り上げられたこともあって市内でも有名な観光場所となった新町薬師堂

JR佐野駅からだと徒歩30分程。この日は晴天で気温も低すぎず、ちょっとした散歩にはうってつけの日和だった。おまけに新町薬師堂がある例幣使街道(れいへいし・かいどう)[a]この街道は複数の県道がつながっていた。例えば県道R151、県道R141、県道R75など。沿いにはご当地物の佐野ラーメンのお店が何軒かあって、お昼前に着いた頃には既に駐車場は満車だったり、入口前に行列ができていたりしていた。

もちろん自分も今回の目的が完了したらお昼に佐野ラーメンを食べる予定にしていたのであるが、もしかしたら一番混みそうな時間帯と被ってしまいそうで、ラーメン屋の前を通る度にちょっと不安になってしまったが :(

で、「犬伏の別れ」の舞台となったとされる新町薬師堂を出たのが午後1時ちょっと前。このまま歩いてきた道を戻りながら適当に空いてそうなラーメン屋に入ろうかどうかと考えたが、これはこれであとで後悔しそうだったので、ちょうど薬師堂のすぐ近くにあった麺屋・工藤に入ることにした。来るときにちらっと店内を見たらカウンターが空いてそうに見えたので;)

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麺屋・工藤

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佐野ラーメンの麺屋・工藤

暖簾をくぐって店内に入ってみるとテーブル席とお座敷、そしてカウンターがあって、先客はテーブル席の四人だけだった。お昼時にしては運が良かったかも。
ということで自分はカウンターに座って「文字だけ」のメニューを眺める。佐野ラーメンは三年前に佐野厄除大師近くにあったお店以来。この日も歩きに歩いたのでチャーシュー麺(800円)と餃子3個(290円)を注文した。もう少し暖かかったらビールも注文していたかも。

まず最初に出てきたのが餃子。三個ながら思っていたより大きい:

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餃子3個(290円)

餡が不明だったので、ここは醤油ベースのタレで頂いた。食べてみると餡はすごく柔らかくフワフワだった。これぐらいなら6個でもよかったかなぁ:

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柔らかい餡の餃子

そしてチャーシュー麺の登場。最初、文字だけのメニューだと雰囲気がつかめなかったので、食べログか何かに掲載されていた写真を店員に見せて注文したのがこれ。でも玉子が入っていないではないか。写真には入っていたのに:$

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チャーシュー麺(800円)

それはそうと、美味しそうなスープであるのが目で見てわかったので、すかさずレンゲでスープをすすったらヌルい〜」:O。いきなり冷たいチャーシューを何枚もぶち込んだからだろう。それでもチャーシューの下から麺をかき出しながら食べたら丁度よくなった。全体的にバランスのよいラーメンで、チャーシューもスープも美味しかった。もちろん佐野ラーメン独特のちぢれ麺もよかった。

ということでスープをしっかり飲み干して完食。身も心も暖かくなった。自分が食べ終わろうかとしていた頃、客もどんどん入ってきて座敷は満席、カウンターも数席のみ空いていたという感じ:

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完食

ちなみに、このお店は今年の2019年6月頃には移転してしまうらしい。店内に地図が貼ってあったっけ。

麺屋・工藤
栃木県佐野市犬伏新町2079


ここからはオマケ。

まずは新町薬師堂まで歩いた時に目に入った例幣使街道沿いのラーメン屋たち:

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手打中華・森田屋総本店

まずは手打麺で有名な森田屋総本店。土曜日の11時46分頃の状態。帰り(午後2時くらい)に店の前を通ったら午前の部が終了していた。

こちらはネギラーメンで有名なラーメン太七。予定としては、このお店に行こうかと思ったが、土曜日の11時49分でこんな具合。帰りに通った時はベンチに人が座っていたので、多分、この日見た店の中では一番混んでいたかも:

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ラーメン太七

こちらは手打中華・生そばの鈴木食堂。土曜日の11時57分頃。ここは地元のナンバーの車が多かった:

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鈴木食堂

そして、こちらのこの日の目的地である新町薬師堂。その背後にそびえているは米山古墳:

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新町薬師堂(拡大版)

慶長5(1600)年、天下分け目の関ヶ原の合戦を前に、真田父子三人(昌幸・信幸・信繁)が東軍と西軍に別れて戦うことを決断した密議の場所だったらしい:

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新町薬師堂

なお、この密議の場所としては、このあと紹介する大庵寺だったという説もあり。

これは薬師堂内に展示されていた写真。大河ドラマとタイアップした番組でも紹介されていたようだ:

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新町薬師堂に因む写真

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大河ドラマとタイアップした番組(拡大版)

こちらは浄土宗・天王山・昌綱院の大庵寺の入口。先に紹介した「犬伏の別れ」の舞台となったもう一つの密談場所。実際、真田軍はこのお寺に陣を置いていたから、ここである説が有力じゃないかと思うが:

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大庵寺の入口

大庵寺の境内には「西遊記」で有名な玄奘三蔵法師(げんじょう・さんぞうほうし)の石版やお釈迦様の足跡などがあった。

こちらは善導大師。中国浄土教の大成者。日本の浄土宗の開祖・法然の教えは、善導の教えに基づいたものらしい:

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善導大師の石版

次は玄奘三蔵法師。三蔵とは仏教の聖典(経蔵、律蔵、論蔵)に精通した優れた僧のことらしい:

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玄奘三蔵法師の石版

最後は釈迦牟尼世尊、すなわちお釈迦様の石版と物足:

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釈迦牟尼世尊の石版

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お釈迦様の足跡

この仏足の上に自らの足を乗せると、インドの仏跡を巡拝したのと同じ功徳があるそうで、邪鬼が払われて幸せが訪れるのだとかで、実際に石版の上に乗ってみた:

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釈迦如来様の佛足石

これは例幣使街道沿いを歩いている際に見かけてかなり気になった建物。1Fがカレー屋に見えるが、本当に営業中かどうかは未確認。かなり不気味だった:O

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廃墟にカレー屋?

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実際に営業中かどうか不明(拡大版)

これも通りすがりに撮ったもので、FIAT 500L:

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愛くるしいFIAT 500L

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also真田父子犬伏の別れの地と大庵寺 (フォト集)

参照

参照
a この街道は複数の県道がつながっていた。例えば県道R151、県道R141、県道R75など。

愛宕神社参拝 − Atago Shrine located at the top of Tokyo Natural Rises.

昨年は平成30(2018)年の暮れ近くに毎年恒例の人間ドックを受診してきたが、その帰り道に愛宕神社に参拝してきた。というのもTJKの西新橋保健センターを出て、最寄りの東京メトロ御成門駅へ向かおうかとした時に「愛宕神社」なる案内板が目に入ってきたからだけど。この時、当時週末に観ていた某大河ドラマ『せごどん』で紹介されていた「愛宕」って文字が頭に浮かんで、そのまま何も考えずに愛宕下通り(都道R301)に向かっていたような気がする。これは、もしかしたら何かのお告げだったのかもしれない =)

愛宕下通りを渡って参道へ。平日は月曜日の昼過ぎということもあり、それほど参拝者は多くなかったが、年末年始は大変な行列なんだろうなと勝手に想像してしまった:

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愛宕神社の入口(拡大版)

この先には石段が左右二つあり。向かって左手の大鳥居をくぐった勾配の急な石段が、いわゆる「出世の石段」とも呼ばれている男坂で、大鳥居の右手にある緩やかな石段が女坂である:

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愛宕神社の参道は大鳥居から始まる

この石段からもわかるように愛宕神社の境内は高台にあり、その実は東京都内の自然地形としては最高峰となる標高26.5mの愛宕山山頂になるのだそうだ。まぁ高層ビルが乱立するここ港区界隈だと、それほど目立つ高台ではないが、男坂の急な角度の石段を一気に登っていくとそれなりの高低差を実感できる 8)

これは86段の「出世の石段」を見上げたところ:

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「出世の石段」(男坂)

この名の由来は、今から380年以上前の寛永11(1634)年に三代将軍家光の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄(まがき・へいくろう・もりずみ)なる藩士が騎馬にて男坂を駆け上がり、お社に国家安寧の祈願をしてから境内に咲き誇る梅をを手折り、将軍に献上したことから、家光曰く「この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、誠にあっぱれである」と讃えられ、日ノ本一の馬術の名人として全国にその名をしらしめることとなったことに因むのだとか。

奥行きの小さい石段を一段一段登りきった先には一の鳥居が建っていた:

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一の鳥居

ここが標高27mほどの愛宕山山頂になる。そして振り返って男坂を見下ろしたのがこちら:

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一の鳥居から男坂を見下ろしたところ

社殿へ向かって進んで丹塗りの門をくぐる。毎年6月(水無月)に開かれる「ほうづき祭り」では茅の輪(ちのわ)が設置され、その状態で門をくぐると災いを避けることができると云う:

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丹塗りの門

丹塗りの門をくぐってすぐの左手には「招き石」が置かれていた。この石をなでると福が身につくと云う:

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招き石

このまま直進すると社殿である。主祭神は「火産霊命」(ほむすびのみこと)という火の神様:

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社殿

この愛宕神社は、征夷大将軍の徳川家康が慶長8(1603)年に江戸に幕府を開くにあたり防火・防災の守り神として創建された。そのご利益は:

火に関するもの、防火・防災
印刷・コンピュータ関係
商売繁昌
恋愛、結婚、縁結び

こちらは社殿内部と屋根の棟にあしらわれていた葵御紋:

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社殿内部(拡大版)

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社殿の棟

社殿の脇には末社(まっしゃ)が建っていた。左から猿田彦神(天狗様)を祭神とする太郎坊社、宇迦御魂神を祭神とする福寿稲荷社、大國主命、事代主命を祭神とする恵比寿大黒天社:

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太郎坊社

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福寿稲荷社

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大黒天社

井伊直弼を桜田門外で暗殺した水戸・薩摩の脱藩浪士らは、ここ愛宕神社に集合し神前にて祈念を行い、ここから桜田門へ出向いて目的を決行したのだとかで石碑が建っていた:

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桜田烈士愛宕山遺蹟碑

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桜田烈士愛宕山遺蹟碑

さらに「出世の石段」で一躍有名になった曲垣平九郎が将軍家光に献上したとされる梅の木が残っていた:

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将軍梅

また、愛宕山は桜と見晴らしの良い名所として江戸の庶民にも愛され、多くの浮世絵にもその姿を残している他、明治元(1868)年には勝海舟が西郷隆盛を誘い、ここから江戸市中を見回しながら会談を行い、江戸城の無血開城へと導いた場所としても有名で、なんと二人の顔ハメも置かれていた[a]ちょうど某大河ドラマで西郷隆盛をとりあげていたこともあってタイムリーな感じ 😀 。

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西郷吉之助と勝安房守の顔ハメ

せっかくなんで社務所で御籤を引いたら大吉だった :)

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愛宕神社の御神籤

愛宕神社
東京都港区愛宕一丁目五番三号


ここからはオマケ。

愛宕神社を参拝したあと、お隣のNHK放送博物館前を通って再び愛宕下通りに入り、御成門駅を目指したのだけれど、曇り空ながらそびえ立つ東京タワーが気になって、遠回りになってしまうけど上ってきた。自分の記憶としては幼稚園の時に一度だけ上がったきりだったので、年甲斐もなくちょっとワクワクしてしまった ;)

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東京タワー

てっきり外国(大陸)からの観光客で一杯だと思ったら、日本人も多くいたのは意外だった。当時はメインデッキ[b]地上150mの展望台。が工事中だったので片方面しか展望できなかったっけ。

あと入場料金が想像していたより高かった。へぇ〜、最上階にあたるトップデッキ[c]地上150+250mの展望台。へは大人2,800円、メインデッキ止まりだと900円もするのね(当時)。これでエレベーター行列になっていたらメインデッキまで行ってみるかと思うのはキツイかな、正直なところ :O。この日は平日ともあって行列にはなっていなかったので、メインデッキまで上がって展望することにした:

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Tokyo Tower

こちらは東京タワーの東側にある東京プリンスホテル方面を見下ろしたところ:

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東京ワタ−の真下(拡大版)

こちらは東京タワーから北方面の眺望。一際目立つ高層ビルは愛宕グリーンヒルズMORIタワーと、ここへ来るときに下から見上げたもの。霞んでいるものの東京スカイツリーがMORIタワーの右奥に見えた:

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靄の中にスカイツリーが(拡大版)

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愛宕グリーンヒルズMORIタワー(42F)

こちらは先ほど参拝してきた愛宕神社方面。標高27mの愛宕山が高層ビルの中に埋もれていた :|

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愛宕神社方面(拡大版)

こちらは増上寺と汐留・東京湾方面。こちらも微かにベイブリッジが見えた:

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増上寺(拡大版)

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汐留・東京湾方面(拡大版)

最後は東京タワーとコラボしていた漫画ワンピースの置物[d]個人的に全く興味がない 😥  が、珍しかったので。

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「東京ワンピースタワー」

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これ何?

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also愛宕神社参拝 (フォト集)

参照

参照
a ちょうど某大河ドラマで西郷隆盛をとりあげていたこともあってタイムリーな感じ 😀 。
b 地上150mの展望台。
c 地上150+250mの展望台。
d 個人的に全く興味がない 😥  が、珍しかったので。

ミライザカ − A “Glove” Fried Chicken with Bone by the One Person Flat Feel Free.

昨年は平成30(2018)年最後の城攻めとして年末近くの連休を利用して群馬県へ。この時点で、一応は目標としていた群馬県にある城跡は残り二箇所だったので、それらを攻めて「群馬県の城攻め」を完了させたかったので良い機会となった :)。今回訪問した群馬県は前回ボロクソに貶した前橋といった中途半端な街ではなく、自身初めての渋川市と、雪が心配だった吾妻郡高山郷。個人的に吾妻郡は群馬県というよりは「長野県」じゃないかといった感覚で、全くよい印象がない群馬県の街中とでは別格扱いである[a]実際、往時は堅牢な山城が多く築かれ、現在でも見応えのある城跡が多いという意味で。 :D

で初日は渋川市にある白井(しろい)城跡へ。早朝に自宅を出て大宮までは東海道を利用し、そこからJR上越新幹線で高崎まで移動。そして新前橋経由でJR上越線・水上行に乗って渋川に着いたのが朝10時。この日の群馬の天気予報は前日までコロコロと変わり、自宅を出る直前は晴のち曇りでということで全く心配していなかったのだが、いざ着いてみると完全な曇り空。というか今にも雨か雪が降ってきそうな空模様だった :/

事前に調べたところによれば、徒歩で駅から白井城跡へ向かうと40分近くかかるということだったので、駅構内にある観光案内所に立ち寄って情報を入手することに。すると城近くの「白井宿」(しろいしゅく)なるかっての宿場町近くを通るバス[b]正確には「渋川駅〜渋川医療センター線」という乗合バスで料金は一律100円。平日と土日祝の運行時刻表を観光案内所で入手できる。が運行しているとのことで、それを利用することにした。なんやかんや観光案内所の人と立話しているうちに危うくバスを一本逃すところであったが駅西口のバスターミナルから無事に乗車することができた。しかしバスに乗っていると雨がポツリポツリと降り出してきた :$

このバスに乗って鯉沢(こいざわ)バイパスこと国道R17を北上し、吾妻川に架かる吾妻新橋を渡った先の「白井」なるバス停まで10分ほど。そして、このバス停から白井城跡の登城口までは白井宿跡を経由して徒歩で15分という感じ。帰りは吾妻新橋から吾妻川ごしに白井城跡の遠景を眺めたかったので、バスは利用せず、その分たっぷり4時間近く城攻めしてきた。途中、雨の降りが強くなることはあったが、大木の下で昼飯と休憩がてら雨宿りすることで、それほど難儀することはなかった[c]どちらかと云うと気温が低くて、歩きまわっていても体が冷えてしまうことの方が難儀した。帰りにおしるこを食べてなんとか持ち直したが。

城攻めを終えて渋川から本日の宿がある高崎へ移動しチェックイン[d]実はこの日一番の難儀はチェックインだった。ホテルの会員カードを忘れた(あとで調べたら紛失していた 😥 )のでカウンター前で右往左往してしまったが電子会員で対応できるとのことで、携帯にアプリをインストールして何とか会員価格を適用することができた 😎 してから、ホテルから徒歩5分ほどの居酒屋ミライザカ・高崎西口駅前店で夕食を。クリスマスシーズンともあって、せっかくなら焼き鳥や唐揚げと云った鶏肉料理を食べたかったと云う次第:

旨唐揚げと居酒メシ・ミライザカ

旨唐揚げと居酒メシ・ミライザカ

開店してすぐに入ったようで人の入りはまばら。テーブル席に通してもらい、まず中生(323円)を注文してお通し(323円)をつまみながら、お店オススメの品を中心に選んでみることにした。

まずは「かんぱいのお供に」なるグループから選んだきゅうりの塩昆布ゆかり和え(431円)。これはさっぱりして美味しかった。もしかしたらこの日に食べた料理では店一番かも :X

塩昆布ゆかり和え(431円)

この店は野菜系があまり充実していなかった。トマト好きなので北海道チェリーモッツァレラのトマトカプレーゼ(431円)。「農園から採れたたての野菜」なるグループより。これは美味しくなかった;

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量も味も不満だった北海道チェリーモッツァレラのトマトカプレーゼ(431円)

ここらで焼き鳥を。「ハートを串刺し! 定番やきとり」から盛り合わせ5本を塩味で(863円)。出てきたものは、どこの居酒屋チェインでも出してきそうな貧祖な鶏肉だった:

やきとり盛合せ 5本(863円)

ここいらでビールのおかわりを注文したついでに、お店一番のオススメである清流若どり[e]店のHPによると、産地・生産者・飼育法を明確にした若鶏とのことだが、店のどこにもそんな情報は開示されていなかったが。・骨付きモモ一本グローブ焼ガーリック味(1079円)。「でかうま!清流若鶏の唐揚げ」グループから:

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清流若どり骨付モモ一本 グローブ焼きガーリック(1079円)

出てくると店員が大きなハサミであらかた切れ目を入れてくれる。あとは箸でむしりとって食べると言った感じ。これはビールにぴったりだった:

お店一番のオススメ

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ガーリック味噌?的な味

う〜ん。期待するほど食べるところは多くなく、これで1,000円か!?って感じ :O

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期待したほど食べるところはなかった

ちょっと口直しで「海山の新鮮お刺身」から北海道産ホタテ刺し(647円)。表面が乾いていて、これは明らかに新鮮ではなかった ;(

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北海道産ホタテ刺し(647円)

ここらで明日の城攻めに配慮して梅酒ロックにスイッチ。一杯目は澄みわたる梅酒ロック(431円)を注文したがコップ一杯に入り水みたいで不味かったので、二杯目は山崎蒸留所貯蔵・焙煎樽仕込梅酒ロック(486円)を注文。やっとまともな梅酒ロックになった:

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焙煎樽仕込梅酒ロック(486円)

この時についでに注文したのが「カンパイのお供に」グループより清流よだれ鶏(539円)。ラー油がかかっているがそれほど辛くもなく、なんとなく味気なかった:

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清流よだれ鶏(539円)

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まったく辛くなく味気ない

腹も膨らんできたので玄米茶(0円)を注文し、「〆は別腹!」グループから焼きおにぎりにしようかお茶漬けにしようか迷った挙句、かしわ飯茶漬け(539円)にした:

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かしわ飯茶漬け(539円)

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飯がべちゃべちゃで旨くない

元々のかしわ飯がベチャベチャだったので出汁にいれると一層フニャフニャになった。味付けも薄味。正直なところ美味しくない。

ということで「安くて一人でもふらっと立ち寄れる気軽さ」が売りの居酒屋とのことだったけど大したことは無かった。群馬県の都市部に来る度に思うのだけど首都圏レベルの価格でも内容が伴っていないそんな店が多いので、吉田類の酒場放浪記みたいにもっと地元の常連がつきそうな店に行ってみたい。値段は群馬レベルだと思うが。

ミライザカ・高崎西口駅前店
群馬県高崎市八島町110-6 TO-MOREビル1F


ここからはオマケ。

こちらはSL蒸気機関車でも有名な渋川駅ホーム:

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渋川駅

渋川駅発の乗合バスで白井下宿(しろいげしゅく)という交差点手前[f]ダイナムというパチンコ屋の目の前だったと思う。にある白井バス停で下車し、小雨が降る中を国道R17沿いに北上して白井交差点までくると左手にコンビニが見えてくる。そこから西へ向かって歩いていくと白井宿なる宿場町跡が見えてくる:

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白井宿の南端にある灯籠(拡大版)

この白井宿の始まりは今から580年以上前の永享2(1430)年の白井城築城まで遡るのだそうで、吾妻川と利根川が合流する交通の要衝にあって城下町として栄えたあと、徳川家康が関東へ移封されてから江戸時代には白井藩が藩立し、幕府の直轄地(天領)になって市場町・宿場町として発展したと云う:

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白井宿跡の町並みと白井宿歴史資料館(拡大版)

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上野国・白井宿の標柱

実際のところ白井宿は沼田往還(街道)の宿場町では無かったが、城下町として独自の文化圏の中心であったことから人や物が集約するところだった:

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沼田街道西通りの白井宿

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現代の建物(白井山車備品蔵)

明治の世に入ると現代の国道R17に相当する清水越往還が開通し商業は現在の渋川へ移り、通りから外れた白井は農業主体の集落に変容したのだとか。

幕末から明治にかけて三度の大火により古い家並みは焼失し、現在は広い通りとその真ん中を流れる白井堰(しろいせき)、生活に潤いを与えた8つの「つるべ井戸」、そして路傍の石造物などが点在、往時の佇まいを今に残している:

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羅漢水の井戸(1795年)と白井堰

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宮本町の井戸(1929年)と白井堰

そして、こちらは白井宿跡の西側に築かれていた白井城の本丸跡:

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白井城本丸跡

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白井城本丸虎口跡(拡大版)

本丸虎口の石垣は名将・太田道灌が指導して築いたと云う伝承が残る:

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本丸虎口の石垣

この城は、室町時代中頃に白井長尾家の長尾景仲(ながお・かげなか)なる武将が築いたもの。『関東不双の知恵者』と称された景仲は山内上杉家の家宰職(重臣)を務めた上野・武蔵国の守護代で、孫には長尾景春[g]伊藤潤作の『叛鬼(はんき)』(講談社文庫)の主人公である。や太田道灌がいる。

ちなみに戦国時代は甲斐武田家の真田幸綱信綱父子も白井城に攻め込んだという記録が残る。

現在の城跡も広大な敷地の大部分が民間に払い下げられて畑になっていたが、空堀や虎口・土橋といった遺構は大切に保存されているようで、素晴らしい状態で見ることができた 8)

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本丸と二の丸との間の堀切(拡大版)

城の西側には吾妻川が流れている:

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本丸跡から見た吾妻川

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二の丸跡から眺めた吾妻川(拡大版)

白井城東側には帯郭と堀切が南側へ向かって伸びていた:

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帯郭跡

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帯郭と本丸との間の深い堀切(拡大版)

城の西側は断崖と吾妻川、東側は帯郭によって優れた防御力を持っていた白井城がよく分かる保存状態で大満足な城攻めだった :)

帰りは吾妻川に架かる吾妻新橋を渡って駅へ向かった:

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国道R17が走る吾妻新橋

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吾妻新橋

渋川駅方面に向かって左手は利根川、右手は吾妻川:

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吾妻新橋ごしに眺めた先の利根川(拡大版)

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吾妻川

吾妻新橋の上から白井城址(写真中央あたり)を眺めたところ:

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白井城跡遠景(拡大版)

最後は、小雨が降るなかを城攻めして冷えきった体を温めようと渋川駅の目の前にある和食レストラン・とんでんで食べた焼き餅と栗のぜんざい(454円)。栗は半分だし、餅は堅いし全く美味しくなかった[h]特に梅こぶ茶は飲めた物ではなかった 😐  :/

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この価格でこの不味さは罪にあたるな

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also上州白井城攻め (フォト集)
See Also上州中山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 実際、往時は堅牢な山城が多く築かれ、現在でも見応えのある城跡が多いという意味で。
b 正確には「渋川駅〜渋川医療センター線」という乗合バスで料金は一律100円。平日と土日祝の運行時刻表を観光案内所で入手できる。
c どちらかと云うと気温が低くて、歩きまわっていても体が冷えてしまうことの方が難儀した。帰りにおしるこを食べてなんとか持ち直したが。
d 実はこの日一番の難儀はチェックインだった。ホテルの会員カードを忘れた(あとで調べたら紛失していた 😥 )のでカウンター前で右往左往してしまったが電子会員で対応できるとのことで、携帯にアプリをインストールして何とか会員価格を適用することができた 😎
e 店のHPによると、産地・生産者・飼育法を明確にした若鶏とのことだが、店のどこにもそんな情報は開示されていなかったが。
f ダイナムというパチンコ屋の目の前だったと思う。
g 伊藤潤作の『叛鬼(はんき)』(講談社文庫)の主人公である。
h 特に梅こぶ茶は飲めた物ではなかった 😐

宮城・笹巻きえんがわずし – Some Ekiben that I ate on the Touhoku Tour 2018.

先月は、平成30(2018)年9月最後の連休を利用して、福島県浜通りを南北に走るJR東日本の常磐線沿いにあった城攻めに行って来た。ただし未曾有の災害であった東日本大震災から七年経った今でも常磐線の完全復旧には至っておらず、一部区間[a]福島第一原発付近を通る富岡駅から浪江駅の間。予定では2020年春頃開通とのこと。が運転見合わせのため、宿がとれた仙台から南下して行ける城に限定することになったが[b]なので、いわき市にある磐城平城は別の機会にゆずることにした。

さらに、予定では仙台で牛タンとか小高で復興ラーメンとか食べたいなぁと考えていたのだけれど、実際には「連休」による超激混み状態で全くありつくことができなかった;(。ということで、今回は駅弁情報を:)

まずは東京駅から仙台駅へ向かう新幹線はやぶさ3号の車内で朝飯がわりに食べたのが「唐揚げざんまい弁当」(950円)。駅ホームの弁当屋で購入したパッケージには生姜醤油風味とニンニク醤油風味、そして南蛮黒酢たれ和えと書かれていた:

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新幹線の中で朝弁当

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「唐揚げざんまい弁当」(950円)

開けてみた内容は、こんな感じ。唐揚げがそれぞれの味付けで2個づつ。他に大根サラダ、香の物、そして梅干しと佃煮:

肉が冷たいので…

あと何に付けるものなのか、タルタルソースが付属していたが、お肉はそれぞれに十分に味が付いていたので自分は不要だった。で普通にパクパク頂ける弁当なのだけど、やっぱり唐揚げは温かい方が断然に美味しい(自分の最近の御用達はこちらのお店)。おそらく冷たくても美味しく頂けるように研究・工夫はされているとは思うが。

そして今回の旅行は、どこもお店は行列で、特に名物系は全くありつけず、オニギリで我慢していたが、ぜひとも帰りの駅弁くらいは希望していたものを食べたいと仙台駅構内をうろうろして運良く最後の一個を手にすることができた。
それが仙台駅で人気の駅弁、第二位(当時)の「笹巻きえんがわずし」(1,100円):

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「笹巻きえんがわずし」(1,100円)

包装をはぐと笹の香りが広がり、さらに笹を開くと酢の香りが鼻をつくと同時に、美味しいそうな脂の香りもした:

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笹に包まれた押し寿司風

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脂がのった大きな「えんがわ」

ちなみに、この「えんがわ」はヒラメではなくカレイ。笹の上にあったライムを絞り、付属の専用醤油をかけて頂いた:

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脂のりのりで美味しい

予想外の脂の多さに驚いたけど、ライムと酢飯の中のシソの葉のおかげで、柔らかいえんがわを美味しく頂けた。途中は少し脂に飽きがきたけど、くどい後味ではない ;)

しかし今回の旅行で一番美味しかったのは人気第二位の駅弁ではなく、この「ずんだシェイク」(250円)かも:

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「ずんだシェイク」(250円)

9月最後の三連休中は、自分が訪れた東北・宮城あたりだけ晴天で、それ以外の全国的に雨だったという。これはこれで運が良かったが、おかげで横田友好祭に続いて二週連続で日焼けしてしまった :$。そういうこともあり、仙台駅構内で売っていたこのシェイクの存在はピカイチ。いろんな場所で売っていて、ほとんど行列だったし。
甘すぎず、ずんだの香りを味わえる一品だった:

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ずんだシェイクの中身

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暑かったので一気に飲み干せた

JR東日本・仙台駅
宮城県仙台市青葉区中央1丁目


ここからはオマケ。

初日の午前中は、まず仙台から常磐線に乗って相馬にある中村城跡へ。こちらは原ノ町行きの701系:

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常磐線701系1000番台

そして相馬駅の駅舎。仙台駅から1時間ほど。ここから相馬中村城跡がある馬陵公園までは徒歩15分ほど。その途中、リスが出迎えてくれた:

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JR相馬駅

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リスのオブジェ

相馬は文字通り相馬野馬追(そうまのまおい)で有名である:

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県道R228から相馬中村城へ向かう

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相馬野馬追のレリーフ

馬陵公園は相馬中村城跡であり、さらに相馬中村神社と相馬神社が建立されている。ちなみに相馬中村神社には狛犬ならぬ狛馬だった:)

これは相馬中村神社境内にある北野天満宮(御祭神はご存知、菅原道真公):

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北野天満宮

そして相馬中村城の妙見曲輪跡に建つ相馬中村神社の社殿。江戸時代の中村藩・相馬家の氏神「妙見(みょうけん)」は千葉県の千葉氏と同じ一族である:

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相馬中村神社の社殿

さらに本丸跡には相馬神社が建つ。ちなみに相馬中村城には三層の天守が建っていたが、落雷で焼失後は藩政を優先して(お飾りの天守は)再建されず:

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天守閣が建っていた本丸跡

本丸には御殿と庭園があったと云われ、現在はこのような石庭ならず「土庭」があった :D

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相馬神社境内にあったオブジェ

こちらは相馬中村城周辺で目撃した(リス以外の)動植物たち:

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彼岸花

相馬中村城のあとは更に常磐線を南下して小高(おだか)にある小高城跡へ。まずは相馬駅まで戻り原ノ町まで行って、そこから浪江行きに乗り継ぐ:

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701系@原ノ町駅

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719系@小高駅

こちらが小高駅の駅舎:

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JR小高駅

小高駅近くには双葉食堂なる有名な復興ラーメン屋があるのだけれど、駅についた時には既に閉店時間だったので諦めて城跡へ向かった。で、店の前を通ると大勢の行列ができていた。閉店間際でこんなに並んでいるのかぁと、少し呆れてしまったが :X

ここ小高を歩いていると人通りが少なく、まだ震災の傷跡が残っているところもあり、なんとも言えない寂しい感じがした。

小高城の本丸跡には相馬小高神社が建っており、蜘蛛の巣がたくさんかかった社殿の裏手辺りにある土塁と空堀くらいが遺構になるが、伊達家と最後まで争った相馬家の本城であったので是非、攻めたかった城跡である。
これは城の西側から眺めたところ。現在は鬱蒼とした杜になっているが、往時は手前の田んぼが堀で、舌状台地上に築かれた平山城だった:

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小高城跡の遠景(拡大版)

城跡の西側にある堀跡は現在、田んぼになっており、金色に輝いた稲が沢山実っていた:

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金色の稲

驚いたことに、この田んぼの周囲には電気が走っていて動物が近づけないようになっていた[c]もちろん人間も。 :O:

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アニマルキラー 4300II

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只今、通電中

9000V(無負荷時)の高電圧がかかっているらしい。危なく田んぼを横切って城跡へ向かおうとした。ホント、案内板が小さくて、広い田んぼに数カ所にしかないので、ヘタしたら危なかった :$

城攻めを終えて小高駅へ向かう途中、カマキリにガン見された:

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ガン見してきたカマキリ

小高駅から原ノ町経由で、宿のある仙台についたのが夜6:00過ぎ。先に夕飯にと考えていた牛タン屋は駅の東口から見えるほど行列だったので、そのまま宿へ直行。近くの牛丼屋で済ませて風呂入って寝ることに。この日は朝が早かったので、すぐに眠りに入ることができた。

翌日の最終日は有名人のお墓参りへ。まずは、以前に城攻めした福島県は棚倉町にある棚倉城を調べているときに知った、戊辰戦争中の流行り唄『細谷烏と十六ささげ 無けりゃ官軍高枕』で有名な、官軍から大いに恐れられた仙台藩士・細谷十太夫の墓を訪問してきた。
お墓があるのは、仙台駅西口のバスプールからバスに乗って15分ほどのところにある龍雲院。ここには他に林子平や万城目正といった人の墓もあった。

これは細谷地蔵。細谷十太夫は戦後、自分が尊敬した林子平の墓があるここ龍雲院の住職になって、戊辰戦争で亡くなった人達の菩提を弔ったという:

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細谷地蔵

それからバスで再び仙台駅へ戻り、そこから伊達政宗公が眠る伊達家の墓所がある経ヶ峰(きょうがみね)へ。仙台駅前からだと周遊バスであるループル仙台を使って入口まで行けるようだけど、乗り場へ行って見ると大行列だったので、片道の値段が安い市営バスを使った。市営バスの最寄りのバス停は「霊屋橋・瑞鳳殿前」。ここから経ヶ峰墓所の入口である霊屋下へは徒歩10分くらい。

停留所からまずは広瀬川に架かる御霊屋橋を渡り、橋の上から墓所の名についた経ヶ峰(は丘陵の名前)を眺めた:

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御霊屋橋

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広瀬川と経ヶ峰(拡大版)

御霊屋下からは坂道になる:

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経ヶ峰墓所の参道

伊達政宗公が眠る御霊屋「瑞鳳殿」までは坂道を登って行くことになるが、まず先に仙台藩・二代藩主で伊達政宗公の次男・忠宗公によって創建された瑞鳳寺がある:

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正宗山・瑞鳳寺の山門

そう言えば、この瑞鳳寺を瑞鳳殿だと勘違いしていた日本人観光客を何人も見かけた :O。外国人観光客も多かったけど、ちょっと同じ日本人として恥ずかしい。この先の瑞鳳殿もそういう輩が目についた :/

再び長い坂を登って行くが、経ヶ峰の杜はとても清らかだ[d]大勢の観光客が居なければ、だけど。

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並木道(拡大版)

ここ経ヶ峰に政宗公は生前から墓を作ることを指示していたという。これらの木々はもしかしたら政宗公も見ていたのかも:

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歴史を感じる大木(拡大版)

この参道の順路では、まず伊達政宗公の墓所である瑞鳳殿(ずいほうでん)があり、その先の二代目と三代目の墓所も含めて入場料を払って観覧することになる。もし入場料を払わないと、再び登ってきた石段を降りる羽目に[e]下りの石段が別にあるので、本来は一方通行のようだけど。

ちなみに経ヶ峰墓所は大戦中の仙台空襲で全焼している。そのため現在見ることができる建築物は戦後に復元されたものであり、その一部は(予算の都合で)往時のものを簡略化して復元しているものがある。
ここでも、まるで瑞鳳殿が本物だと思っている日本人の輩が多かったっけ。まったくおめでたい連中である :$

まず手水鉢の龍の口から流れる水でお清めする:

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手水鉢の上の龍

これは瑞鳳殿へ入る所に建つ涅槃門:

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復元された涅槃(拡大版)

涅槃門をくぐった先の石段脇に復元された御供所(竹楼)の内部は資料館になっている。この資料館が素晴らしい。これだけお金を払って観る価値は大いにある 8):

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復元された御供所は、現在は資料館

資料館は特に、焼失した御霊屋の再建に先立って伊達政宗公の遺骨や副葬品を発掘し学術調査を実施した時の貴重な史料や映像を堪能できる。公は身長は189cm、血液型はB型だったらしい。

瑞鳳殿前に復元された拝殿。拝礼のために設けられた施設:

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拝殿

この拝殿をくぐって橋廊下なる空間の上段にあるのが唐門で、この中に瑞鳳殿が復元されていた:

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復元された唐門

こちらが伊達政宗公が眠る御霊屋・瑞鳳殿:

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瑞鳳殿(拡大版)

瑞鳳殿は仙臺城方面を正面にして建ってた:

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瑞鳳殿

伊達政宗公の辞世の句:

曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く

昭和20(1945)年のの米軍による仙台空襲を受け、この瑞鳳殿の他、感仙殿(二代藩主・忠宗の御霊屋)・善応殿(三代藩主・綱宗の御霊屋)は全て焼失した。それから34年後の昭和54(1979)年に瑞鳳殿が再建され、昭和60(1985)年には感仙殿と善応殿も再建された:

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瑞鳳殿

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瑞鳳殿

この後は感仙殿と善応殿にもお参りして、経ヶ峰を下山して、再び市営バスで仙台駅へ:

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仙台駅

こちらは仙台駅構内で見かけたもの。珍しいところでは日本酒の自販機。あと、いろいろあった今年の楽天イーグルスは「栄冠」を勝ち取るところか「栄冠」を他球団に譲っただけだった[f]ファンには申し訳ないが。

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日本酒の自販機

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もっと頑張れ!!

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also相馬中村城攻め (フォト集)
See Also小高城攻め (フォト集)
See Also細谷十太夫と林子平の墓所 (フォト集)
See Also伊達政宗公墓所と伊達家経ヶ峯墓所 (フォト集)

参照

参照
a 福島第一原発付近を通る富岡駅から浪江駅の間。予定では2020年春頃開通とのこと。
b なので、いわき市にある磐城平城は別の機会にゆずることにした。
c もちろん人間も。
d 大勢の観光客が居なければ、だけど。
e 下りの石段が別にあるので、本来は一方通行のようだけど。
f ファンには申し訳ないが。