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東京国立博物館 展示 #7658、#7675 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2024.

先々週末は令和6(2024)年の大暑の候を過ぎた週末[a]【今日は何の日?】菜っ葉の日(語呂合わせ)。江戸川乱歩が没した日。オーストリアがセルビアに宣戦布告してWW1が開戦した日。に、今年二度目の東京国立博物館へ:

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大混雑だった本館

今年の関東は梅雨明けするやいなや、日中の気温は「ウナギのぼり」の日が続き、この日も例外ではなく、外に居ても家に居ても暑いので、それならばと冷房が効いた中でお目当ての美術品でも鑑賞しようと思ったのは良かったのだが、皆考えることは同じで、折しも夏休みシーズンに加え、海外からのツアー客が押しかけていて炎天下[b]この日の東京の最高気温は 36.8℃ 😣️。に入場券を購入する長い行列に並ぶ羽目に :$。しっかし自動券売機の処理の遅さはなんとかならないのだろうか・・・ :|。人間も鳩も水分補給は必須だ:

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本館脇の池では

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鳩が、しっかりと水分を

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補給していた🙂️

と云う感じで、のっけからキツイ思いをしておそらくは記憶に残る来館になるのかもしれないが、実は三年かけて「トーハク通い」してきた目的を、今回ついに達成することができたと云う意味でもまた記憶に残る鑑賞になった[c]ホント週一で展示作品をチェックしておいて良かった〜 😉️。 8)

今回、鑑賞した総合文化展[d]料金は大人1,000円。何度も鑑賞することが分かっていたら年間パスポートを買っておけばよかった 😞️。は:

  • #7658:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2024年7月17日(水)〜 2024年10月6日(日)
  • #7796:本館2階3室の「仏教の美術」:2024年7月2日(火)〜2024年8月18日(日)
  • #7633:本館2階1室の「日本美術のあけぼの」:2024年7月2日(火)〜2024年12月22日(日)
  • #7668:本館2階1室の「仏教の興隆」:2024年7月17日(水)〜2024年10月6日(日)
  • #7672:本館1階11室の「彫刻」:2024年7月9日(火)〜2024年9月29日(日)
  • #7675:本館1階13室の「刀剣」:2024年5月28日(火)~ 2024年8月25日(日)
  • #2658:本館1階14室の「人間国宝・平田郷陽の人形」:2024年7月17日(火)~ 2024年9月1日(日)
  • #7641:本館1階16室の「アイヌと琉球」:2024年7月9日(火)~ 2024年9月23日(月)

毎度おなじみの展示の他にいろいろ巡ってきたが、その大体が人混みを避けて歩き回った結果ではある :D。「武士の装い」では念願の「角栄螺《ツノサザエ》」をついに観ることできた ;)。この兜を存在を知って、いろいろ調べていると、ここトーハクが所蔵しているとのことで、何時か鑑賞できるだろうと通いつめること三年目の大収穫。ただ毎回ぼやいているのだが、ホント照明の映り込みはなんとかならないのだろうかと云う点が残念でならない ;(

まずは、その「武士の装い」から「豊臣秀吉朱印状」。安土桃山時代(16世紀):

豊臣秀吉朱印状

織田信長によって衰退に追い込まれていた本願寺(顕如)は、信長亡きあとに秀吉に接近することで復興への道を探っていた。これは、無類の能好きとして知られた秀吉に顕如から能道具が贈られたことへの秀吉直筆の礼状とされている。

これは「毛利元就像(模本)」。原本は安土桃山時代(16世紀)で、模本は昭和時代(20世紀):

毛利元就像(模本)

一代で中国地方を制覇した戦国大名で、長州藩の藩祖でもある毛利元就の肖像画の写し。原本は、元就が中国の覇権をかけて激戦を繰り広げた尼子氏を滅ぼしたのち、永禄9(1566)年に描かせたものと伝わる。

そして「肩脱二枚胴具足《カタヌギ・ニマイドウグソク》」。安土桃山〜江戸時代(16〜17世紀):

肩脱二枚胴具足(表)

肩脱二枚胴具足(裏)

まるで片肌を脱いだ肉体をリアルに打ち出した鉄板で表現すると云う面白い意匠の当世具足。獣毛で毛髪を表した変わり兜と併せると、裸一貫で戦う荒武者を彷彿させる。その一方で、甲冑部は金箔押の切付札《キッツケザネ》を紫・紅・萌黄・紺・白の組紐からなる色々糸威になっている。

こちらは順に、重要文化財の紅糸威星兜《ベニイトオドシ・ホシカブト》・南北朝時代(14世紀)、色々糸威雑賀鉢兜《イロイロオドシ・サイカバチノカブト》・江戸時代(17世紀)、紺糸威烏帽子形兜《コンイトオドシ・トリエボシナリカブト》・江戸時代(17世紀):

紅糸威星兜

色々糸威雑賀鉢兜

紺糸威烏帽子形兜

紅糸威星兜は鉢の前後左右に渡金の地板を伏せたいわゆる五十二間四方白の星兜で、前立は鍬形に利剣を加えた三鍬形、その台に魚子地枝菊紋が薄肉彫りされている。大塔宮・護良親王《オオトウミヤ・モリヨシシンノウ》[e]父は後醍醐天皇。建武の時代の皇族であり天台宗座主であり征夷大将軍である。の兜との伝承あり。

色々糸威雑賀鉢兜に代表される雑賀鉢は雑賀荘の甲冑師による独特な造形を持つ兜。表面を錆地にした鉄板を矧ぎ合わせて縄覆輪を掛け、上部に菊型の鉄板を重ね、装飾を兼ねた菊座鋲で留めている。

紺糸威烏帽子形兜は、烏帽子の中で最も格式の高い立烏帽子《タテエボシ》を模した変わり兜。鉄製の鉢に革で作った立烏帽子を被せ、表面に粗い麻布を貼って漆で固め、金箔押で飾っている。錣や面具にも金箔押を施し、紺色の毛引威として全体的に華麗で高貴な仕立てとなっている。

こちらは紺糸肩裾取威腹巻《コンイト・カタスソドリオドシノハラマキ》。室町時代(15世紀):

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紺糸肩裾取威腹巻

本来の腹巻きは歩兵用として軽量で動きやすく作られた甲冑であったが、戦国時代初めには重武装化された騎馬武者も着用するようになった。草摺は七間五段下り、威は紺糸を中心にして上下に紅糸を配した肩裾取威としている。

そして栄螺形兜と併せられた胴具足の二領。「栄螺」は丈夫な殻は守りが堅いに通じることから特に戦国武将に好まれた意匠であった。今回のお目当ては手前の紅糸威二枚胴具足に併せた角栄螺形兜 8)

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紅糸威二枚胴具足と白糸威二枚胴具足

まずは白糸威二枚胴具足《シロイトオドシ・ニマイドウグソク》。江戸時代(17世紀):

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白糸威二枚胴具足と栄螺形兜

兜は鉄板を打ち出して栄螺を表した変わり兜。胴は西洋の甲冑を模した和製の南蛮胴で正面に鎬《シノギ》を立てている。草摺は黒毛植で裾板のみ白毛植。要所に丸に梶葉《カジノハ》紋[f]信濃国諏訪神社の神紋。の赤銅《シャクドウ》製金物を飾る:

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白糸威二枚胴具足と栄螺形兜

そして紅糸威二枚胴具足《ベニイトオドシ・ニマイドウグソク》。具足は江戸時代(17世紀)、兜は安土桃山時代(16世紀):

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紅糸威二枚胴具足と「伝・角栄螺」

別名は金魚鱗小札二枚胴具足。胴は二枚胴で、胴正面を西欧の甲冑を模した和製の南蛮胴。袖と佩楯《ハイダテ》は龍(魚)の鱗を思わせる意匠が施されている:

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袖と佩楯には鱗の意匠

こちらも南蛮胴なので正面に鎬を立ててある。草摺は七間五段下りの紅糸威。全体的に金・白・紅といった華やかな色彩を持つ:

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紅糸威二枚胴具足の胴

自分が三年待って注目していたのは、この金箔押な栄螺形《サザゼ・ナリ》のいわゆる突盔形兜[g]読みは《トッパイ・ナリ・カブト》。頭盔とも。鉢の頂部が尖った兜。の変わり兜で、通称は「角栄螺」。ただし、この通名はあくまでも伝承であり、史料として正式な記録はないようだ:

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伝・角栄螺

他に立波の飾り板を添えた画もあるらしいが、今回は付いていなかった:

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伝・角栄螺

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伝・角栄螺

下げには本多家の「丸に立葵」紋があしらわれ、胴背面には「本多内匠 ほん多たくみの助」の金泥字が残る:

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丸に立葵は信濃飯田藩本多家の家紋

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「本多内匠 ほんたたくみの助」

この本多家は江戸時代中期に信濃国飯山藩[h]現代の長野県飯山市にかって藩庁があった。の大名で、三河岡崎藩の本多忠利の系統にあたる。最後は飯山藩本多家が所持していた、この「角栄螺」は一説に、織田信長の召領であったが、蒲生氏郷に婿引出として譲り、氏郷はこの兜を被り、岳父・信長に従って各地で奮戦し大いに名を挙げたと云う。

この兜は、のちに氏郷の家臣の一人で、持ち前の勇猛さと頭の回転の良さで晩年には1万石を食んだ岡越後守こと岡左内の手に渡った。氏郷亡き後は上杉景勝の直臣となり、関ヶ原の戦い前の奥州で伊達政宗率いる軍勢と福嶋城周辺で激戦を繰り広げた勇士の一人であった。この時、左内は角栄螺の兜と南蛮の鳩胸鴟口《ハトムネトブクチ》の具足を身に付け、氏郷の形見分けで拝領した猩々皮《ショウジョウヒ》の陣羽織[i]南蛮舶来の赤みの強い赤紫色の生地で織った陣羽織。たとえば小早川秀秋所用の陣羽織を羽織り、愛刀の貞宗二尺八寸で政宗と一騎打ちしたと伝わる。そののち徳川氏天下の時代になると左内は氏郷の愛児・秀行に仕えて會津で没したと云う。その後、彼の兜は人手を転々とし最後に本多家に渡ったらしい。

ついでながら左内の愛刀・貞宗と同じ刀工の刀も鑑賞することができた 8)。こちらは國寳「刀・相州貞宗《ソウシュウ・サダムネ》」。名物・亀甲貞宗とも。鎌倉〜南北朝時代(14世紀):

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刀・相州貞宗(名物・亀甲貞宗)

相模国鎌倉の刀工であった貞宗は正宗の実子(または養子)と云われ、師風を継承しつつ穏やかで整った作風を特徴としている。この亀甲貞宗は太刀を磨上げ《スリアゲ》て刀にしたもので、指裏の茎尻に亀甲花菱紋の彫物があることが号の由来とされる。徳川将軍家がまとめた刀剣書『享保名物帳』に所載された名物刀剣の一振。

トーハク通い三年目で、氏郷一の家臣である岡左内に由来すると伝わる品々を鑑賞することができて良かった :)

次は陣羽織。戦国時代は実用性の高かった陣羽織は、江戸時代になるとほとんど無くなり、逆に凝った意匠を施したものが作られたと云う。これは白文紗地富士に龍模様 五三桐紋付。江戸時代(18世紀):

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白文紗地富士に龍模様・五三桐紋付

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正面

こちらは黄羅紗地陣羽織 丸四ツ目結文・五七桐紋付。江戸時代(18世紀)。この陣羽織は表と裏で家紋とその替紋が入ったリバーシブル型:

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黄羅紗地陣羽織 丸四ツ目結文・五七桐紋付

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正面

「刀剣」の展示では、先に挙げた國寳・相州貞宗の他にいくつか。まず短刀・青江次直《アオエツグナオ》。南北朝時代(14世紀)。重要文化財:

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短刀・青江次直

小板目の冴えた地鉄に華やかな逆丁子の刃文を焼き入れた作品。寛永7(1630)年に二代将軍・秀忠から伊達光宗[j]二代藩主・忠宗の次男。母が秀忠の養女(実父は池田輝政、実母は家康の次女の徳姫)。が拝領した。

こちらは太刀・古備前友成。平安時代(11〜12世紀):

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太刀・古備前友成

備前国の刀工・友成の作で、刀身は長大で腰元で強く反った力強い太刀姿を示し、板目の地鉄に小沸づいた小乱れの刃文を低く焼き入れている。姫路藩主・酒井家から明治天皇に献上された太刀。

太刀・手掻包永。鎌倉時代(13世紀)。重要文化財:

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太刀・手掻包永

大和国・手掻派の名工である包永の作。反りが浅く、がっしりとした刀身に、小沸づいて冴えた細直刃の刃文を焼き入れ、鋒には二重刃が見られる。茎は大きく磨上げられ、茎尻に「包永」の銘が彫られている。

こちらは刀・主水正正清《モンドノショウ・マサキヨ》。江戸時代(17世紀):

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刀・主水正正清

薩摩国の刀工・正清は徳川八代将軍・吉宗の命により、江戸の浜御殿[k]現在の浜離宮恩賜庭園で鍛刀し、その技量が認められて、茎に一葉葵紋を切ることを許された。精美な板目の地鉄、荒く沸づいた互の目乱れの刃文は、まさに正清の入念作。

そして國寳の短刀・相州行光。鎌倉時代(14世紀):

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短刀・相州行光

行光は、相州鍛冶の祖と呼ばれた新藤五國光《シントウゴ・クニミツ》の実子(または弟子)で、相州伝を大成した正宗の実父(または養父)と云われている。肌立った板目の地鉄に小沸づいて冴えた直刃を焼き入れている。加賀藩主・前田家伝来品。

今回もたくさんの仏像彫刻を鑑賞してきた。撮影可能な像の中から、まずは慶算作の毘沙門天立像。鎌倉時代(14世紀):

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毘沙門天立像

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背面

仏法を守護する四天王のうち多聞天の異名である毘沙門天は単独でも信仰を集めた。引き締まった体、左脇を締め右肘を張るという容姿は鎌倉時代の仏師・運慶以来の正当なスタイル。

こちらは大威徳明王騎牛像《ダイイトクミョウオウ・キギュウゾウ》。鎌倉時代(13世紀):

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大威徳明王騎牛像

五大明王の一尊である大威徳明王も単独でも信仰を集めた。脚が六本ある明王が水牛にまたがっている珍しい容姿。

不動明王立像。平安時代(11世紀)。重要文化財:

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不動明王立像

巻き髪で左肩に結わえた髪を垂らし、左目をすがめ、唇の上下に牙を出す姿は流りのスタイル。顔づくりが中央にまとまり、表情もおとなしいところに洗練した趣をもつ。左手には物事を正しい方向へ導くための羂索《ケンジャク》と云う縄を持つ。

こちらは薬師如来坐像。平安時代(11世紀):

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薬師如来坐像

人々の病気を治し、災厄を取り除く仏さま。厚い瞼やふくよかな頬、奥行きの薄い体つき、柔らかみのあるなだらかな衣文線など、総じて穏やかな作風は平安時代後期に流行したスタイル。

大日如来坐像。平安時代(11〜12世紀)。重要文化財:

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大日如来坐像

密教における大日如来は森羅万象の根源であり、あらゆる仏はその化身とされる。仏の王であるとして、珍しく王族の姿で表現されている。

「アイヌと琉球」文化展からドゥスディー(小袖)とウフスディー(大袖) 。色合いや文様がいかにも琉球ぽい:

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薄藍色麻地水菊芦雁模様

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黄紬地井桁崩模様

最後は現代美術で、人間國寳・平田郷陽《ヒラタ・ゴウヨウ》の創作人形。伝統的な日本人形の技術やスタイルを用いて、「生人形《イキ・ニンギョウ》」が持つ写実性から人々の生活感や心情を情緒豊かに表現をしているとのことで、意外と見入ってしまう作品を幾つか。

こちらは女性の頭部と、足利時代の将士体立姿。ともに昭和時代。写実的な表現にこだわった作品:

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女性頭部と 足利時代将士体立姿

二つに割れた桃と、そこから見栄を切って現れた桃太郎の木彫り。柔らかく肉付きのよい子供の体形は生人形の技術が生かされている。大正時代:

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桃太郎

宴の花。平田郷陽の遺作。昭和時代。若い女性の凛とした表情を木彫彩色で表現したもの:

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宴の花

今年も残り半分。ますます時間を作って観覧しに行こうと思う =)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2024年7月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】菜っ葉の日(語呂合わせ)。江戸川乱歩が没した日。オーストリアがセルビアに宣戦布告してWW1が開戦した日。
b この日の東京の最高気温は 36.8℃ 😣️。
c ホント週一で展示作品をチェックしておいて良かった〜 😉️。
d 料金は大人1,000円。何度も鑑賞することが分かっていたら年間パスポートを買っておけばよかった 😞️。
e 父は後醍醐天皇。建武の時代の皇族であり天台宗座主であり征夷大将軍である。
f 信濃国諏訪神社の神紋。
g 読みは《トッパイ・ナリ・カブト》。頭盔とも。鉢の頂部が尖った兜。
h 現代の長野県飯山市にかって藩庁があった。
i 南蛮舶来の赤みの強い赤紫色の生地で織った陣羽織。たとえば小早川秀秋所用の陣羽織
j 二代藩主・忠宗の次男。母が秀忠の養女(実父は池田輝政、実母は家康の次女の徳姫)。
k 現在の浜離宮恩賜庭園

神田・麺屋武蔵・神山 − A Tsukemen and Grilled Thick Pork perfectly.

先月は令和6(2024)年の小満《ショウマン》の候のとある週末[a]【今日は何の日?】広辞苑記念日。楠木正成と正季《マサスエ》兄弟が湊川の戦いで足利尊氏に敗北し自刃した日(旧暦)。に、戎光祥出版《エビスコウショウ・シュッパン》が開催する恒例の歴史セミナーのVol.39『本能寺の変をぶった斬る!!(講師:柴裕之)』に参加してきた。この二ヶ月前に初めて参加したセミナーに続いて二度目の参加 :)

開催場所は前回同様に、JR神田駅西口から徒歩5分ほどのところにある貸会議室。会場入りする前に西口商店街で腹ごなしすることに。前回食べたつけ麺屋はリニューアル工事中(当時)であったが、流石に知る人ぞ知るラーメン激戦区の商店街でお店を見つけるのに苦労はしなかった :D

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神田・西口商店街

と云うことで今回は行列になっていなかった神田・麺屋武蔵・神山《カンザン》へ。自身初の来店。時間はお昼どき(12:45):

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麺屋武蔵・神山(12:46)

この日は陽射しの強い晴天で汗ばむ暑さ。朝は軽めだったので、今回はセミナーが終わる夕方近くまでしっかり腹持ちしそうなボリュームある品を選択したかった。入店して右手にある液晶パネル式券売機で一通りメニューを見て、デフォルトの神山つけ麺のつけ並(1,450円)を選択し、案内されたカウンター席へ。周囲を見るとソロの女性客が何人か居た。

そして、しばらくして出てきた品がこちら:

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神山つけ麺(1,450円)+つけ並(280g)

並(茹で前 180g / 茹で後 280gほど)の麺の上で一番に目を引く肉厚の豚バラのブロックは、この神山店で有名な「蒲焼チャーシュー」。さらに温泉卵が載っている。そしてつけ汁は醤油系だろうか。こちらにもチャーシュの小さなブロックと二種類のネギが入っている。

本当の食べ方がどうなのか分からないが、ひとまず麺の上に載っている温泉卵を崩し、麺に絡めて食べることにした:

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温泉卵を絡める

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つけ汁にくぐらせる

やや甘めの魚介系醤油ベースのつけ汁に、黄身をくるませた麺を入れて頂く。若干すべるのですくい上げるように箸を運ぶ。つけ汁の絶妙な味の中でしっかりと麺のコシを楽しむことができた。そして主役(?)であるチャーシュにかぶりつく。蒸して余分な脂を落としているとはいえ、味わうのに必要な脂がしっかりと残っており、パリッとした皮と柔らかい身の二層それぞれ美味しく頂けた:

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蒲焼チャーシュー

どうしても残ってしまう卵は、スープ割りのつけ汁の中にレンゲで運んで絡ませて頂いた。これが正統な食し方かどうかは分からんが、美味い  :D

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残った卵

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スープ割りのつけ汁

このチャーシューが主役のメニューなので全品1千円以上の値段であるが、麺の増量が一定量は無料とのことで、次回は倍盛りで頂きたい。

神田・麺屋武蔵・神山
東京都千代田区内神田3-8-7 神田ビル


ここからはオマケ。

こちらが今回参加した戎光祥出版のセミナーの概要。講師はTVでも見かける柴裕之氏:

戎光祥ヒストリカルセミナーvol39

本䏻寺の変がテーマなので必然的に惟任光秀《コレトウ・ミツヒデ》[b]氏曰く、「明智」光秀ではないとのこと。のお話が中心。現代広く伝わる「本䏻寺の変」は明治時代に上がった推論であり、まだ確定していない。信長を討った原因は?とか、変後の動き。そして信長と共に信忠を討った理由は?、長岡藤孝や筒井順慶には事前には知らせていなかった、など興味深い話が聞けた。あと Surprise Guest として黒田基樹氏が最後にコメントしていた。

このセミナーに参加する際に、氏が編集した書籍のお取り置きもしてきた。特別価格(税込)で2割引き 8)

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「図説・明智光秀」と「図説・豊臣秀吉」

セミナー終了後は直筆サインも頂いた:

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直筆でサインも頂いた

つい先日、次回セミナーの告知があったようだが、自分が知った時点で既に定員になって締め切られていた :O

会場へ向かう途中、今回も参拝してきた佐竹稲荷神社

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佐竹稲荷神社

今回もこの近くに「佐竹藩江戸屋敷跡」の碑があることを忘れていた :$

参照

参照
a 【今日は何の日?】広辞苑記念日。楠木正成と正季《マサスエ》兄弟が湊川の戦いで足利尊氏に敗北し自刃した日(旧暦)。
b 氏曰く、「明智」光秀ではないとのこと。

名代・宇奈とと@神田店 − An Eel Restaurant where provides at a Reasonable Cost.

先日は令和6(2024)年の春分の候近くの週末[a]【今日は何の日?】越後国の長尾景虎が関東管領を拝命、上杉政虎に改名した日(旧暦)。知恵伊豆こと松平信綱が死去した日。享年67(旧暦)。に、戎光祥出版《エビスコウショウ・シュッパン》が開催する恒例の歴史セミナーのVol.38『上杉謙信の合戦(講師:前嶋敏)』に参加してきた。ここのセミナーは初参加で、「上杉謙信」について最近の研究成果や新しい推定などを「同期」しておくために参加することを決めた :)

開催場所はJR神田駅西口から徒歩5分ほどのところにある貸会議室。会場に入って自分の席を探すと、出入り口近くの一番後ろの三人がけのテーブルで、なんと最後から数えて二人目という場所だった[b]定員75席は原則的に先着順で席が決まるらしいので、自分はほんとギリギリ落選をまぬがれた感じ。 :O。改めて上杉謙信の人気のほどを理解できた感じ :)。参加費は取られるが、会場では戎光祥出版の書籍を20%引きで購入できる[c]PayPay払いだと更に10%引き 🤩️。ようだったので、自分は今回のセミナーの刊行書ではなく、『図説 上杉謙信 クロニクルでたどる”’越後の龍”』(今福匡/著)を購入した[d]税込み1,980円を1,600円 😃️。

二時間近くのセミナーが終ったあとJR神田駅へ向かったが、このまま帰宅すると夕方近くになりそうな時間帯だったので、駅西口通りの繁華街で夕飯を摂っていくことに。来るときに気になったのがいくつかの鰻屋。その中で、うな正うなぎ処・おお葉と云った老舗系が並ぶ通りにあって、屋号と店前に掲げられたうなぎの人形が気になった、こちらの店にした[e]帰宅するこの時間に空いていたのがこの店だったのだけど 🤐️。

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名代 宇奈とと@神田店

店前に置かれた写真入のお品書きで値段を確認[f]同時に、産地を推測した 😁️。してから店の中を覗いてみると、カウンター席には誰もいなかったこともありそのまま入店。カウンター席に着いたら、お茶とおしぼりを受け取った:

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よくあるチェイン店特有の薬味箱と箸入れ

この日は晴天で気温が20℃近くまであったので、まずはビール(380円)と「うざく」(340円)を注文:

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PREMIUM MALT’s(380円)

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うざく(340円)

「うざく」はどう見ても、切り残りした尻尾の末端を集めただけで、メニューの写真とは明らかに異なる一品だった。どんなものが出てきそうか、ある程度は想像はできたが :O

そしてビールを飲みながら再びお品書きを確認。「うざく」の件もあり、「うな重」の上と特上の違いが写真からだと分からなかったので、直接、店員さんに聞いてみたのだが、うまく日本語が伝わらず :O。こちらから日本語をフォローしながら確認した結果、うなぎの身の厚さが違うと云っていることが分かった。出てくるのは、どう見ても異常に大きく育った「中国産のうなぎ」[g]餌に違い(合成化学肥料)があるのだろう 😞️。だろうし、単に量が違うだけなのだろうと推測して「うな重上」(1,580円)にして、肝吸い+お新香セットⒸ(220円)で注文した。

一応は、注文してから炭火焼きで「温めて」くれるので、出てくるまで時間は少々かかった:

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うな重上(1,580円)と肝吸い+お新香セットⒸ(220円)

さすが中国産。身が厚い。どちらかと云うと脂は多め。変な臭みもないし、味は悪くない。普通に頂けた。肝吸いの方は、やはり中国産特大うなぎと云うことで肝もデカかった :D

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肝吸いセットⒸ(220円)

こちらはカウンター席に置かれていた「注意書き」:

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ご注意下さい

名代・宇奈とと(神田店)
東京都千代田区内神田3-10-2


ここからはオマケ。

JR神田駅下でお馴染みの場所:

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JR神田駅

駅西口通りには、秋田(久保田)藩・佐竹氏の江戸上屋敷があった敷地で鬼門除けとして建てられていた佐竹稲荷神社があった:

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佐竹稲荷神社

境内に建っていた「佐竹稲荷神社の記」の碑。先の大戦の空襲で神社は全焼したが、後に再建されたらしい:

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「佐竹稲荷神社の記」

近くには「佐竹藩江戸屋敷跡」の碑もあったんだなぁ。後で知った。

参照

参照
a 【今日は何の日?】越後国の長尾景虎が関東管領を拝命、上杉政虎に改名した日(旧暦)。知恵伊豆こと松平信綱が死去した日。享年67(旧暦)。
b 定員75席は原則的に先着順で席が決まるらしいので、自分はほんとギリギリ落選をまぬがれた感じ。
c PayPay払いだと更に10%引き 🤩️。
d 税込み1,980円を1,600円 😃️。
e 帰宅するこの時間に空いていたのがこの店だったのだけど 🤐️。
f 同時に、産地を推測した 😁️。
g 餌に違い(合成化学肥料)があるのだろう 😞️。

お食事処・大陸亭 − It’s a Common Lunch Set, but Tasteless Something.

今週始めは令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の最終日[a]【今日は何の日?】徳川家康が征夷大将軍に就任し江戸幕府を開府した日(旧暦)。レトルトカレーの日(ボンカレーが発売された日)。世界の冒険家・植村直己の誕生日。に、群馬県の邑楽郡《ウオウラグン》にゆかりある勇将の菩提寺と館跡(城跡)を巡ってきた。

午前中に御廟と菩提寺を参詣して、館跡を巡る前に、その近くの御食事処[b]コンビニも無く、正直、この店しか選択肢が無かった 😮️。で腹ごなしすることにした。連休と云うことで田舎は休みの店が多いが[c]あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。、国道R354(館林バイパス)沿いを歩いていて「ラーメン」の幟が見えた時は正直ホッとした :)。はじめ店名から町中華系かと思ったが、どちらかと云うと「なんでも有り」のドライブイン系[d]和洋中のメニューは然り、国道沿いで五台以上は停められる駐車場もあったし 😉️。だった:

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お食事処・大陸亭

暖簾をくぐったのが昼すこし過ぎ。カウンターとテーブル席、そして奥に座敷があった。既にいくつかのテーブル席と座敷は埋まっていて、忙しそうに配膳していた店員に来店を告げると、窓側に席があると案内されると同時に、(店側にも客側にも)お手軽なランチセット(A・B・Cの三種類)を勧められた。なんか席につく前に、この場で決めてくれって感じだったので、佐野ラーメン系を期待してラーメンとチャーハンのCセット(1,100円)を注文してから席についた :|

窓側にある席と云っても、座った正面は壁で、少しだけ窓から国道を走る車が見えるって感じ :O。仕方がないので壁に貼ってあったメニューをつらつら眺めながら待つことにした。しばらくして出てきたのがこちら:

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Cランチセット(1,100円)

ラーメン単品が560円(当時)で、チャーハン単品が650円(当時)なので、ランチセットは110円もお得だった :D

ラーメンというか中華そばの方は、見た感じ佐野ラーメンぽっかったのだが、スープの味は薄くて何系なのかよく分からなかった。さらに麺は茹ですぎなのかフニャフニャに柔らかくて今ひとつ :|。もしかしたら自家製手打ち麺だろうか。製麺所の麺では無いような気もする。一方、チャーハンは妙に塩っぱい。どうやら中華麺とチャーハンを交互に食べるのが最もバランスの良い味わいになることが分かった。そう云うことで、ちょっと真面目に食べ切ってしまったのが原因なのか、城攻め中に腹が痛くなって少し難儀したけど :$

あとトイレは厨房のすぐ脇にあって、和式便器なので利用時に「生成される音」が厨房に聞こえているのではないかとハラハラしたし、衛生的にどうなんだろうか :|

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

お食事処・大陸亭
群馬県邑楽郡邑楽町篠塚2770-3


ここからはオマケ。

東武・館林駅から東武小泉線・西小泉行の10000系(10030型)に乗車して篠塚駅で下車:

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10030型

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単線・無人駅の篠塚駅

駅を下りて県道R152(赤岩足利線《アカイワ・アシカガ・セン》)沿いを南下したところにある篠塚伊賀守の御廟:

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御廟の境内

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御廟の境内

伊賀守は、群馬県の英雄である新田義貞に従った四天王の一人で、太平記にも登場する御仁。興味を持ったきっかけは、最近巡ってきた分倍河原古戦場跡の他、神流川古戦場にある金窪城主であった畑時能《ハタ・トキヨシ》もまた四天王の一人だったと云うこと。圧倒的な強さから、伊賀守の武勇伝は三国志演義の関羽雲長にもたとえられている。

邑楽町の英雄の御廟と供養塔。廟扉には新田氏の「新田一つ引き」紋があしらわれていた:

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御廟

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篠塚伊賀守重広公の供養塔

御廟をメンテしているのが近くにある篠塚家の菩提寺である大信寺で、その山門(赤門)は徳川四天王の一人で館林城主・榊原康政の菩提寺から移築したものらしい:

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大信寺の山門(赤門)

こちらは本堂。昭和の時代に建てられたもので、その脇には江戸時代の建立と伝わる旧本堂があった:

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改築された新しい本堂

篠塚氏の居館跡は既に宅地化されていて、遺構はあまり残っていないが、大手門跡に建つ毘沙門堂周辺には若干の堀と土塁のようなモノを確認できた:

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大手門跡と毘沙門堂

かって城域に建っていた八幡神社は移築されていた:

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現在の八幡神社

古城橋は、かっての外濠に架かっていた橋であったが、現在は暗渠になって石碑が残るのみ:

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古城橋跡

篠塚館跡の大部分は宅地化・耕地化されていた:

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篠塚館跡

一部に見られる用水路などは居館の名残であろう:

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城跡北側の用水路

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also篠塚伊賀守御廟と大信寺参詣 (フォト集)
See Also篠塚館攻め (フォト集)  

参照

参照
a 【今日は何の日?】徳川家康が征夷大将軍に就任し江戸幕府を開府した日(旧暦)。レトルトカレーの日(ボンカレーが発売された日)。世界の冒険家・植村直己の誕生日。
b コンビニも無く、正直、この店しか選択肢が無かった 😮️。
c あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。
d 和洋中のメニューは然り、国道沿いで五台以上は停められる駐車場もあったし 😉️。

東京国立博物館 展示 #7377、#7274 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2024.

先週末は令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の初日[a]【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。に、栃木県にある城跡を攻め、本場モノの讃岐うどんを食べての帰宅途中に、今年初の東京国立博物館へ立ち寄って鑑賞してきた。

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閉館間際の本館

当時は目玉の特別展があったり、海外からの観光客も押し寄せるなどあって、閉館前二時間くらいの観覧ではあったけれどかなり混んでいた :|。今回、鑑賞した総合文化展[b]料金は大人1,000円(当時)。は:

  • #7377:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2024年2月6日(火)~ 2024年4月2日(日)
  • #2639:本館2階4室の「茶碗」:2024年1月2日(火)~ 2024年3月10日(日)
  • #7273:本館1階13室の「刀剣」:2024年1月2日(火)~ 2024年3月3日(日)
  • #2613:本館1階11室の「彫刻」:2024年1月2日(火)~ 2024年4月7日(日)

全体的には昨年に鑑賞した作品が主であったが、その中で「刀剣」の展示では國寳に指定されている「天下五剣[c]江戸時代、日本刀の中で特に名刀と云われる五振りの総称。」の一つを人生で初めて鑑賞することができたし、「武士の装い」では昨年、岩手県の盛岡まで足を運んで鑑賞してきたにゆかりある御仁の肖像画[d]原本ではなく模本ではあるが 😅️。を鑑賞できたのは収穫であった 8)

まずは甲冑。こちらは樫鳥糸肩赤威胴丸《カシドリイト・カタアカオドシ・ノ・ドウマル》(重要文化財)。室町時代(15世紀)。陸奥三春藩・秋田家の伝来品:

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樫鳥糸肩赤威胴丸

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樫鳥糸肩赤威胴丸

胴に兜と大袖を備えた三ツ物皆具《ミツモノカイグ》の胴丸で、兜は総覆輪筋兜《ソウフクリン・スジカブト》で正面に鍬形を飾り、上級武士の権威を象徴した重厚かつ豪華な造形を持つ。

こちらは黒韋肩白威胴丸《クロカワカタジロオトシ・ノドウマル》(重要文化財)。南北朝時代(14世紀)。加賀藩・前田家の重臣の一人、長《チョウ》家の伝来品:

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黒韋肩白威胴丸

全体を黒韋威とし肩を白糸威とし、棟に杏葉《ギョウヨウ》を下げている。

そして色々糸威腹巻《イロイロイトオドシ・ハラマキ》(重要文化財)。室町時代(15世紀):

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色々糸威腹巻

全体は茶糸と紅糸と白糸を交互に威して華やかな配色であり、胴の胸板、脇板や壺袖の冠板の金具廻を藻獅子韋《モジシガワ》で飾った上に、要所に枝菊紋の飾金具を配す。

兜は既に昨年鑑賞しているものしかなかったが、その中から紺糸威筋兜《コンイトオドシ・ノ・スジカブト》の一頭。室町時代(15世紀):

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紺糸威筋兜

鯨の髭製を束ねた菖蒲形の前立を飾り、鳶口形の鼻を持つ面具を備えている。

そして黒田如水像《クロダジョスイ・ゾウ》の模本。これは昭和時代の作で、原本は如水が亡くなった三年後に嫡子の長政が作らせた[e]こちらは福岡県福岡市の崇福寺が所蔵しているとのこと。

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黒田如水像(模本)

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黒田如水像(模本)

如水は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた戦国武将の一人。頭上には、如水が帰依した京都・大徳寺の僧・春屋宗園《シュンオク・ソウエン》による賛文が記されてる。

こちらは青井戸茶碗・土岐井戸《アオイドチャワン・トキイド》。朝鮮時代(16世紀)。「井戸茶碗」は高麗茶碗の主流の一つで、すっきりと直線的な形状が特徴:

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青井戸茶碗・土岐井戸

刀剣としては、まず國寳の太刀・三条宗近《タチ・サンジョウムネチカ》。名物・三日月宗近《メイブツ・ミカヅキムネチカ》とも。平安時代(12世紀):

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太刀・三条宗近

宗近は京三条の刀工で、本作はその代表作で、手元が強く反った細身の刀身に、三日月のように見える打除け[f]焼入れの際に刃中に現れる模様のこと。を映す刃紋を持つ(赤丸の中にある破線のように見える模様):

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三日月のように見える打除け(赤丸の部分)

この太刀に付属する梨地菊桐文蒔絵糸巻太刀鞘《ナシジ・キクキリモン・マキエイトマキ・ノ・タチノサヤ》。江戸時代(16世紀)。この糸巻太刀の鞘には金蒔絵で豊臣家の菊桐紋を描き、帯執《オビトリ》の太鼓金《タイコガネ》には雲形と三日月を飾る:

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梨地菊桐文蒔絵糸巻太刀鞘

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金蒔絵の菊桐紋

この太刀・三条宗近は、豊臣秀吉の正室・高台院《コウダイイン》[g]北政所、おね(ねね)はよく知られた呼び名。の遺品でもあり、のちに徳川将軍家に伝来し、天下五剣の一つとなる。

こちらは黒漆太刀《コクシツノタチ》。鎌倉〜南北朝時代(13〜14世紀)。鎌倉時代に多く用いられた太刀拵《タチ・ゴシラエ》:

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黒漆太刀

毛利輝元から小笠原氏に贈られたもので、柄《ツカ》は鮫着黒漆塗《サメキセクロウルシヌリ》に黒韋巻《クロカワマキ》とし、小笠原家の家紋である三階菱紋《サンガイビシモン》の目貫《メヌキ》を飾る:

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目貫は小笠原家の家紋である三階菱紋

光り輝く漆が目につく、こちらは潤漆千段巻塗打刀《ウルミウルシ・センダンマキヌリ・ウチガタナ》。江戸時代(19世紀)。郷義弘の拵《コシラエ》:

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潤漆千段巻塗打刀

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潤漆千段巻塗打刀

鞘全体に多数の凸凹を平行に付けて、表面を漆塗とする千段巻塗で、目貫、笄、小柄には水仙、縁頭には葵紋と六つ葵紋を飾り、葵紋透鍔が付けられている。

これは越前国・朝倉氏景(またはその一族)の所用で、敵の籠手を一刀したことが銘の由来になった、刀・伝相州正宗《カタナ・デン・ソウシュウマサムネ》。名物・籠手切正宗《メイブツ・コテギリマサムネ》とも。南北朝時代(14世紀):

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刀・伝相州正宗

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のちに織田信長が所持して磨上げ、その後は近習の大津伝十郎長昌《オオツ・デンジュウロウ・ナガマサ》が拝領した。

最後は彫刻の作品からいくつか。武家が武運を願い崇敬を集めた八幡神《ヤハタノカミ/ハチマンシン》像。モデルは第十五代天皇である応神天皇《オウジンテンノウ》とも。島根県の赤穴八幡宮に伝わる、慶覚(鏡覚)《キョウカク》作の八幡三神坐像の三体が展示されていた。

まず大和朝廷の守護神でもある八幡神坐像《ハチマンシンザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀):

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八幡神坐像

二体目は息長足姫坐像《オキナガタラシヒメザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀)。息長足姫は応神天皇の母・神功皇后とされている:

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息長足姫坐像

三体目は比売神坐像《ヒメガミザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀)。比売神は特定の神ではなく、神社の主な祭神と関係の深い女性を指すと云われる:

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比売神坐像

最後は千手観音菩薩坐像。南北朝時代(14世紀)。十一の頭上面をいだき、合掌する二本の腕と四十本の脇手《ワキシュ》を表す:

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千手観音菩薩坐像

「千手」とあるが、実際は腕の数を省略した姿が一般的なのだとか。像はもちろん、台座や背後の光背に至るまで精美な彫刻になっている。

今年も時間を作って観覧しに行こうと思う =)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2024年2月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。
b 料金は大人1,000円(当時)。
c 江戸時代、日本刀の中で特に名刀と云われる五振りの総称。
d 原本ではなく模本ではあるが 😅️。
e こちらは福岡県福岡市の崇福寺が所蔵しているとのこと。
f 焼入れの際に刃中に現れる模様のこと。
g 北政所、おね(ねね)はよく知られた呼び名。