History」カテゴリーアーカイブ

とんかつ とん作 − This is a Pork Catlet of Yamanashi Pref.

先週末は、令和3(2021)年の水無月もそろそろ中頃にさしかかりそうな日に[a]「水無月」で「中頃」とはまさに一年の真ん中。すなわちもう一年は半分しかないってこと。、山梨県甲州市の恵林寺にある武田信玄公の墓所を参拝してきた。墓所は公の月命日にしか公開されていないとのことで、梅雨入り前で晴天の週末はこの日しかなさそうだったので COVID-19 感染防止を十分に意識しながら行って来た[b]とはいえ特急あずさ3号(全席指定)は結構な満席だったし、塩山駅前から恵林寺方面のバスも立つ人が多くて、どうみても「移動自粛」って感じではなかったっけ 😐 。

恵林寺から塩山駅へ戻ってきて、せっかくなのでお昼を食べてから帰ろうと思い、即行で探してみたら駅北口の少し先にとんかつ屋を発見。時間も時間なんで混雑しているじゃないか少し心配だったが、とりあえず行ってみることに:

IMG_7989.resized

とんかつ とん作

暖簾の先が見えないので心配だったけど、とりあえず入ってみたらそれ程ではなかった:)。見た感じは街によくある「普通のとんかつ屋」だった。

手を消毒したら席へ通してもらう前に、(恵林寺の茶屋同様)山梨県独自の感染対策に従って氏名と連絡先を記入させられる羽目に。こう云うのをお客に理由も説明せずに強制するのが理解できない :/。感染が落ち着くまで山梨県では食事しない方が良いようだ。

で、席はご自由にって云われたが既にカウンターは埋まっていたので、座敷がある奥の部屋のテーブル席へ。ちゃんと対面型のアクリル板が置いてあった。

メニューを見ると、これまた「普通のとんかつ」ものしか並んでいなかった[c]呑みもあるようで、マグロの刺し身とかあったが。。特に肉とかソースとか売りの店って訳ではなく「普通のとんかつ屋」だった :O。ということで普通のロースとんかつ定食(1,300円)と中瓶ビール(550円)を注文した:

IMG_7987.resized

「普通のとんかつ」の前に

アサヒビールだけどコップはキリンビール。枝豆は冷蔵庫から出したっぽく冷たくて干からびていた :(

そして普通のとんかつ屋の普通のロースカツ定食の登場:

IMG_7988.resized

「普通の」ロースとんかつ定食(1,300円)

市販品のソースをかけて頂いた。あまりの普通レベルで味は全く覚えていないし、特に印象にも残らずお腹が落ち着いただけだった。ふm、これが山梨県のとんかつか。これなら関東圏にあるチェイン店の方がマシだな。

このあと自分が食べていると数名のグループが入ってきて、自分と同じ部屋の奥にある座敷で大声出しながら酒を飲みはじめた。つまみは「普通のとんかつ」ではなくマグロ刺し[d]もしかして締めが「普通のとんかつ」?。カロリー高ぇな。 。名門の甲斐武田家が滅んで、ここまで民レベルが落ちていたとは・・・:P

と云うことで食事し終わったら早々に店を出てきた。

とんかつ とん作
山梨県甲州市塩山上於曽1119


ここからはオマケ。

恵林寺を参拝したあとに茶屋で一服し帰りのバスが来るまでの間を利用して、「信玄のみち」こと県道R38を挟んで向かいにある信玄館(御土産・御食事処)へ。ここには店の開館33周年+武田信玄公生誕500年を記念して、もともと置かれていた信玄公像をクラウドファンディングを利用して今年の4月に「黄金色にお色直し」したらしいのだ:

IMGP4647.resized

お色直しされた武田信玄公坐像

なぜ「黄金色」なのかは、その昔に甲州市塩山には金山があったことが理由の一つらしく、他に COVID-19 感染拡大中の今、見に来てくれた人が「元気になる」、「希望が湧いてくる」ようにしたかったのだとか:

IMGP4648.resized

黄金の武田信玄公

確かにブロンズ色よりは金色の方が信玄公が「凛々しく」見えるな :D

これは店の前にたくさん置かれていた紫陽花の鉢植え:

IMG_7982.resized

紫陽花の鉢植え

この他にも山本勘助不動尊なる場所に立ち寄ってきたが、不動尊そのもを拝見することは出来なかったので案内板からの写し:

IMGP4655

勘助不動尊

こちらも信玄公の坐像だけど、これは塩山駅北口に鎮座していたもの。諏訪法性の兜を付けていない、まさに「御屋形さま」って感じがとても良い:

IMGP4665.resized

武田信玄公之像

最後は塩山駅の駅舎で見かけたツバメの巣。階段上を見ると結構たくさんあって「糞に注意」って貼ってあったな:

IMG_7984.resized

ツバメの巣

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also恵林寺と武田信玄公墓所 (フォト集)
See Also山本勘助不動尊散策  (フォト集)

参照

参照
a 「水無月」で「中頃」とはまさに一年の真ん中。すなわちもう一年は半分しかないってこと。
b とはいえ特急あずさ3号(全席指定)は結構な満席だったし、塩山駅前から恵林寺方面のバスも立つ人が多くて、どうみても「移動自粛」って感じではなかったっけ 😐 。
c 呑みもあるようで、マグロの刺し身とかあったが。
d もしかして締めが「普通のとんかつ」?。カロリー高ぇな。

恵林寺・一休庵茶屋 − Is This also Buddhist Vegetarian Food?

先週末は、令和3(2021)年の水無月もそろそろ中頃にさしかかりそうな日に[a]「水無月」で「中頃」とはまさに一年の真ん中。すなわちもう一年は半分しかないってこと。、ふとこの週末は信玄公の月命日であることに気がついた。

先日『生誕500年・武田信玄の生涯』を鑑賞しに山梨県まで足をのばしてきたが、その帰りに恵林寺を参拝しようとHPを眺めていると「墓所は通常非公開(毎月12日のみ特別公開)」って小さく書いてあるのを見つけ、この日は月命日ではなかったから仕方なく諦め、いつか週末が命日にあたることを思い出したら行ってこようと記憶していたばかりであった。うっかり忘れていなくて良かった〜 :)

さらに関東圏も週明けには梅雨入りするとのことで、晴天が期待できるこの日に山梨県甲州市まで。最寄りの塩山駅前から恵林寺までバスが出ているようなので、其の時刻に合わせて予定を立てたら結局は前回の山梨県訪問と同じ時間帯での移動になった :|

ということで前回同様に特急あずさ3号に乗り込み、人生で初めて下車した塩山駅南口にあるのりば1番から山梨交通・窪平線のバスに乗車。COVID-19 感染拡大中のこの時期にしては大変な混みようで驚いたが、その殆どがハイカー連中だった[b]結局、恵林寺で降りたのは俺だけ 😈 。

恵林寺に到着したのは朝9時半前。帰りも同じ路線を利用するつもりだったので、ざっと二時間くらいは散策できる計算。

残念だったのが信玄公墓所の他に武田家家臣の墓所はもちろん、ここ「甲州市一押し」の柳沢吉保《やなぎさわ・よしやす》公の墓所なんかは墓前には進めず遠くで眺めるのみだった。

と云うことで見て回れるところを一通り観ていたら段々を拝観者が多くなってきたので、予定よりだいぶ早いけれど「風林火山」退散することに。帰りのバスを待つ間、宝物館近くにあった(青空スタイルの)茶屋で一休みすることにした:

恵林寺・一休庵

この茶屋は境内にある精進料理の御食事処の系列のようだ。こちらの店で豚一家は完食していたようだった :D

この日は朝食は朝6時で、午前中はさんざん歩き回ったので小腹が空いてくる時間であったけど、お昼は塩山駅周辺で食べる予定だったので軽食で。お客が全く居ない中、暖簾に書いてあった「武者だんご」の文字が気になったので六種類ある団子から「よもぎだんご」(120円)を注文。ちなみにお茶は無料:

IMG_7978.resized

よもぎだんご(120円)

団子やお餅は自家製らしい。たしかに形が様々で、結構冷たかったが硬いと云うほではなく暖かいお茶にすごく合った。残念だったのは餡が乾いていたこと :O

団子好きの自分としてはこれ一本ではモノ足りず、結局追加することにした :D

IMG_7980.resized

しょうゆ(上)とあんこ(下)(共に120円)

「しょうゆ」と「あんこ」と云う定番団子を注文したら、団子は焼いてくれたようで温かく餅感がアップしていた。このままいくと武者団子全種を制覇しそうな勢いだったけどバスの時間も近くなったので「ごちそうさま」してきた。

店を切り盛りしていたおばちゃんと少し話をしたけど、山梨県ではCOVID-19の感染対策している店を認証する代わりにお客には個人情報(氏名と電話番号)を記入してもらうルールらしく、それを強制するのが辛いらしい。確かにね。「適切に管理される」って何をもって安心できるのか全く理解できないねぇ :/

恵林寺 一休庵
山梨県甲州市塩山小屋敷2289-2


ここからはオマケ。

恵林寺は自分も初めて参拝した。COVID-19 感染拡大中でなければ大勢の観光客で賑わう観光名所だろうけど、今時期はホント人が少なかった。まぁ、そのおかげでゆっくりと参拝できたのだけれども :P

こちらは恵林寺境内で観た見事な松:

IMGP4552.resized

IMGP4554.resized

県指定文化財の三門(附棟札一枚):

IMGP4559

恵林寺三門 (拡大版)

門柱と門前には「心頭滅却せば火自ずと涼し」の偈《げ》と記されている。甲斐武田家が滅亡した後も織田家に恭順しなかった恵林寺は、信長に反抗した旧幕臣ら[c]一説に近江国の守護・六角義堅(号して承禎)の子・義定が居るらしい。恵林寺境内には六角承禎その人とあった。を匿い、引き渡しを拒否したため焼き討ちされた。

信玄公より恵林寺へ招かれた快川紹喜《かいせんじょうき》国師は一山の僧らとともに焼死した。この偈は快川国師の辞世と伝わる。

三門屋根の棟には武田菱が掲げられていた:

IMGP4556.resized

恵林寺三門

門の奥に見えるのは市指定文化財の開山堂:

IMGP4571.resized

恵林寺開山堂

恵林寺に貢献した三人の僧侶の像が安置されているが、当時は補修のため見ることは出来なかった。

三重塔は仏舎利塔。後世の建物:

IMGP4575.resized

仏舎利塔

拝観窓口がある庫裡:

IMGP4642.resized

庫裡

拝観窓口には大きな猫が寝ていたけど、どうやらこの「野良猫くん」だったようだ:

IMGP4597.resized

大人しかった野良猫くん

本堂前にある方丈庭園は枯山水の庭:

IMGP4602

方丈庭園(拡大版)

本堂に置かれていたアマビエの像:

IMGP4626.resized

アマビエ像

そして最後は武田信玄公の墓所:

IMGP4614.resized

武田信玄公墓所

元亀3(1573)年の三方ヶ原合戦で三河の徳川家康を叩きのめした後に病状が悪化、信濃の駒場にて没した。三年の喪が明けた後に快川国師により恵林寺で葬儀が行われたと云う。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also恵林寺と武田信玄公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 「水無月」で「中頃」とはまさに一年の真ん中。すなわちもう一年は半分しかないってこと。
b 結局、恵林寺で降りたのは俺だけ 😈 。
c 一説に近江国の守護・六角義堅(号して承禎)の子・義定が居るらしい。恵林寺境内には六角承禎その人とあった。

道灌うどん − “The Udon” shop in the country.

今週は令和3(2021)年のGWも終りの頃[a]東京都で三度目の緊急事態宣言が発令中だった。自分の居住地区はまん延防止等充填措置中。N501Yの蔓延が危惧される中を十分な感染対策を意識したが、天気が良かったので帰りの電車はけっこう混雑していた :-(、晴天の日を選んでいて先のばししていた埼玉県入間郡にあった城攻めへ。

ただ城は砦規模で小一時間ほどで攻略できそうだったので、その前に名将・太田道灌公の墓所がある菩提寺の龍穏寺《りゅうおんじ》に足を運んできた。天気が良かったので最寄りのバス停から歩くことに[b]川越観光自動車の黒山線で上大満《かみだいま》というバス停で下車し、そこから片道30分ほど。。こんな時期にあって多くの人は車で来ていたようだけど、サイクリングやツーリングでやって来る人達がも多かった。

菩提寺から越生《おごせ》駅へ戻ったら、次は駅の東口(山吹口[c]ちなみに西口は道灌口。)から歩いて越辺川《おっぺがわ》を渡った先にある太田道灌ゆかりの地として伝わる山吹の里歴史公園へ。やまぶきの花は既に終わっていたが高台へ登ると越生町を眺めることができた。

公園を出たら、お昼をどこかで適当に摂って越生神社の裏にある城跡を攻めようと思い、再び越生駅へ戻ろうとしたら「うどん屋」の看板が目に入った:

IMG_7962.resized

「ザうどん・道灌うどん」

この街が押している太田道灌の名前を冠したお店と云うことで、せっかくなので駅へ向かう前にこの店で腹ごなしすることにした ;)

IMG_7963.resized

道灌うどん(以前は中華料理屋)

長机と椅子を並べただけの、いたってシンプルな店内には既に六組ほどのお客がいた。手を消毒して入るとすぐ券売機があったので肉汁うどん(600円)の食券を購入:

IMG_7964.resized

基本的に麺がなくなり次第閉店らしい

券売機の奥が厨房になっていて、中では店主の男性とアルバイトらしき女性が大忙しに調理していた。店頭にあったとおり「セルフオーダー」のようで食券を持って立っていたが、なかなか注文をとりにきてくれないくらい忙しそうだった :O。やっと来てくれたと思ったら「順番に出すのでちょっと待ってくれ」と云われ、仕方がないので先に席を確保し、こちらもセルフの水を取りに行ってから再び厨房前へ行くと女性がフォローしてくれた。

それから20分ほど待って、「肉汁うどんの方」って呼ばれた[d]順番を管理している暇も無いようで、他のお客とかぶるケースがあったので少し困惑した。ので厨房前の受け取り口へ行き、うどんと受け取ってきた:

IMG_7965.resized

肉汁うどん(600円)

温かいつけ汁にはネギと鶏肉が薬味として入っていた。うどんの方は手打ちらしい太さがバラバラの麺。つけ汁につけて食べると、適度な縮れもあって、のど越しも良かった。大盛り(50円)でもよかったかなぁと少し後悔したが、自分のあとの二組目くらいで麺が無くなったようで、あらたに入って来たお客は残念そうに出ていったっけ。

割引券をもらったので、また来てみよう :)

道灌うどん
埼玉県入間郡越生町如意435-23


ここからはオマケ。

越辺川に架かる山吹橋。正面に見える杜が山吹の里歴史公園。この橋を渡って右手すぐに道灌うどんがある:

IMG_7961.resized

山吹橋

太田道真・道灌父子の菩提寺である龍穏寺へ向かう道は舗装されており、さらに周囲は「マイナスイオンの宝庫」。天気がよく気持ちのよいハイキングになった上に、いろいろな「もの」に遭遇したっけ。

こちらは龍穏寺の山門。大正時代の初めに火災で多くの堂宇を焼失したが、それを免れた歴史的建築物の一つ。天保13(1842)年の再建:

IMGP4194.resized

龍穏寺の山門

一階には仏法を守護する四天王(毘沙門天、持国天、増長天、広目天)が祀られ、二階には観音菩薩、八大神将《はちだいしんしょう》と十六羅漢《じゅうろくらかん》[e]御釈迦様の弟子のうち特に優れた代表的な16名の弟子。が祀られている。

境内には太田道真・道灌公の墓所の他に銅像もあった:

IMGP4208.resized

龍穏寺(埼玉県入間郡)の道灌公像

その昔、神奈川県伊勢原市で公の墓所を巡ってきたが、その際も公の銅像についてまとめていたので、ここで再びまとめてみた:

伊勢原市役所前の道灌公像

芳林寺(埼玉県さいたま市)の道灌公像

川越市役所(埼玉県川越市)の道灌公像

JR日暮里駅前の道灌公像

20180520-江戸城外郭巡り-025.resized

東京国際フォーラム(東京都千代田区)の道灌公像

これ以外にも静岡県東伊豆町や長野県佐久市にも公の銅像があるらしい。機会があれば是非、写真に納めたい。

こちらは龍穏寺へ行くまでに目にした風景:

IMGP4181

杜(拡大版)

こちらは越辺川の支流:

IMGP4175.resized

越辺川の支流

草花たち:

IMGP4178.resized

菖蒲

IMGP4283.resized

藤の花

清流渓谷[f]地形《じぎょう》の衝上断層のこと。の案内板からの眺め:

IMGP4269.resized

巨石

IMGP4270.resized

清流

人間が近くにいることも気づかずに、ひたすら餌をさがしていた子イノシシ。このあとカメラを向けていた自分に気づいて一目散に走って消えた:

IMGP4275.resized

餌探しに夢中のイノシシ

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also太田道灌公墓所巡り (2) (フォト集)
See Also太田道灌ゆかりの地巡り (フォト集)
See Also武州高取山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 東京都で三度目の緊急事態宣言が発令中だった。自分の居住地区はまん延防止等充填措置中。N501Yの蔓延が危惧される中を十分な感染対策を意識したが、天気が良かったので帰りの電車はけっこう混雑していた :-(
b 川越観光自動車の黒山線で上大満《かみだいま》というバス停で下車し、そこから片道30分ほど。
c ちなみに西口は道灌口。
d 順番を管理している暇も無いようで、他のお客とかぶるケースがあったので少し困惑した。
e 御釈迦様の弟子のうち特に優れた代表的な16名の弟子。
f 地形《じぎょう》の衝上断層のこと。

弁天洞穴 − Ajiro Benten-yama Cave.

今年は令和3(2021)年の雨水《うすい》の候。それまで厳しい寒さが続いていたのに気温が17℃近くまで上がった週末、COVID-19 感染者が高止まりの気配をみせていた中を東京のあきる野市[a]平成7(1995)年に秋川市と五日市町内が合併してできた東京都多摩地域西部にある市。にある山城(リンクはPDF)を攻めてきた。

こんな時期でもあるし、天気がよく暖かい週末だったのでハイカーらと遭遇する可能性が高そうだったが[b]実際、多くのハイカーや家族連れに遭遇した。、感染対策をして本年最初の城攻めを楽しんできた。ただ緊急事態宣言下での日頃の生活のせいでだいぶ体が鈍っていたのか、城攻め翌日には足がつるなど筋肉痛に見舞われてしまったが :$

まぁ逆に云えば、それだけ山を登り降りしてきたと云うことになるのだけど、城跡の規模が小さかったので確認できそうな遺構をできるだけ見てこようと思った歩き回ったからか :D

で、この日はJR青梅線の武蔵増戸駅からスタート。途中、コンビニでお昼を調達し網代山・弁天山を目指した。当初は、あきる野のホームページにあった『春の弁天山〜小峰公園を満喫』(リンクはPDF)なる記事の中で紹介されていた網代橋を渡って行くコースを利用しようと思っていたのだが、前日に見ていた某登山者向けSNSで、現在この橋は通行不可であることを知った。自治体のホームページには何も書いていなかったが。ホント、自治体のホームページって「情報発信と共有」って基本ができてないよなぁ:|[c]以前も茨城県のとある城跡を攻めた時、現地へ行って初めて立入禁止って知ったケースがあった。台風による倒木が多数あったらしい。どこにもそんな情報は発信されていなかった 👿 。なんのためのホームページなんだろう。さらにホームページ以外で得られた他の情報によると、網代橋は平成31(2019)年の台風19号で被害を受けたらしい。

幸か不幸か事前に情報を入手することができのだが、結局はこの橋を渡れないため、かなりの距離を遠回りする羽目になった :(
こちらが現地へ行って知った迂回路の説明板[d]帰りに、これと同じものが武蔵増戸駅出入り口付近に貼ってあったのを見かけた。行きは全く気づかなかった…。

IMGP3415.resized

現地へ行かないとわからんとは!

秋川を渡るのに使ったのは網代橋ではなく山田大橋:

IMGP3400.resized

山田大橋

でも悪いことばかりではなかった :)。橋の上から秋川を含む周辺の景色の眺望が良かった:

IMGP3410

西多摩の大岳山と御嶽山(拡大版)

秋川の水面を泳いでいた鴨たち:

IMGP3407.resized

秋川と鴨

そして、本日の目的地である網代城山(写真中央あたり)と弁天山(その左横あたり):

IMGP3405

秋川と網代弁天山(拡大版)

山田大橋を挟んで反対側には東京サマーランドのゴンドラが見えた:

IMGP3457

東京サマーランドの裏も城跡(拡大版)

迂回ルートで見かけた五日市トンネル。このトンネルの上が城跡:

IMGP3419.resized

五日市トンネルと都道R61

こちらも迂回ルートで見つけたのだけど、超巨大な堀切と土橋に見えた :O

IMGP3420.resized

急カーブ

IMGP3422.resized

のつづき

IMGP3423.resized

がここまで

これなんかは、もう「現代の土橋」にしか見えない :D

IMGP3421.resized

両脇は谷

弁天山の登山口を示す標柱:

IMGP3424.resized

「網代弁天山」方面へ

こちらが登山口(弁天山東側)。赤い鳥居は貴志嶋神社《きしじま・じんじゃ》のもの:

IMGP3427.resized

網代弁天山登山口+貴志嶋神社の鳥居

ちなみに、この脇にあるのは東京でも珍しい棚田:

IMGP3429.resized

棚田

神社の参道でもある登山道は整備されていたし、急斜面ではないので特に苦労はない。鳥居をくぐって登山道を進んで行くと、貴志嶋神社の社殿(と弁天洞穴)へ向かう道と弁天山・網代城山へ向かう道の分岐点に至る:

IMGP3438

左奥が貴志嶋神社の社殿、正面上が弁天山・網代城山方面(拡大版)

そして、この辺りはその昔は昭和の時代に「網代弁天山公園[e]執筆現在、あきる野市のホームページには「網代弁天山公園」なる情報は無かった。おそらく過去の遺物となったのであろう。」として近くの網代温泉と共に賑わった観光地だったらしく、弁天山リフトなる乗り物が造られていたらしい。現在でもこの辺りに残る遺構から、その面影を見ることが出来た:

IMGP3437.resized

尾根側

IMGP3439.resized

敷設跡

このあと、一通り城攻めを終えて下山する際に弁天山へ立ち寄った。城攻めする前に登山したんだけど、かなり狭いエリアに大勢のハイカーが休んでいたので後回しにしていた。ついでに「弁天洞穴」なるパワースポットにも立ち寄ってきた:

20210214-網代城攻め-002.resized

下山は弁天山から南回りで

この狭いところが弁天山の山頂。標高は292m:

20210214-網代城攻め-078.resized

弁天山山頂

山頂からの眺望。ちょうど福生・拝島方面にあたり横田基地や、さらに西武ドーム(メットライフドーム)が見えた:

IMGP3543

山頂から南回りで下りるコースは意外と難所だった:

IMGP3544.resized

ここから下りる

北回りの平凡な尾根道と違い、こちらは急斜面の上に巨石がゴロゴロしていた:

IMGP3545.resized

IMGP3546.resized

弁天山山頂の南側に生えていた巨木[f]これが遠くからの目印になる。

IMGP3547.resized

弁天山の目印

急斜面を下りていくと「洞窟」なる案内板が見えてきた:

IMGP3551.resized

弁天洞穴

ここは貴志嶋神社の奥の院にあたり、実際に洞窟の中に入ることができるらしいが、自分は入らなかった[g]というか、入って良いものか分からなかった。バチでも当たると嫌だったし。。大黒天像や毘沙門天像が置かれているらしい:

IMGP3555.resized

奥の院

IMGP3554.resized

これが入口らしい

他にも幾つか洞穴があったので一つづつ参拝しながら進んでいくと貴志嶋神社の社殿と神楽殿が見えてきた:

IMGP3557.resized

神楽殿と社殿

貴志嶋神社の総本社は広島県にある厳島神社と福岡県の宗像大社。御祭神は弁財天とも云われる市杵嶋姫命《いちきしまひめのみこと》。水・芸能の神様であり、学問の神様。御利益は美容健康・水難守護・航海安全・商売繁盛・技能向上。

二拝二拍一拝で参拝する際の「となえことば」。先に三回唱えてから参拝するものらしい:

IMGP3561.resized

「となえことば」

山頂とは異なり、空気が冷たくシーンと静まり返っていた厳粛な雰囲気の境内と山林を切り開いて作ったような参道:

IMGP3562.resized

こちらが本来の参道

IMGP3560.resized

こちらは鳥居からの参道

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also網代城攻め (フォト集)

参照

参照
a 平成7(1995)年に秋川市と五日市町内が合併してできた東京都多摩地域西部にある市。
b 実際、多くのハイカーや家族連れに遭遇した。
c 以前も茨城県のとある城跡を攻めた時、現地へ行って初めて立入禁止って知ったケースがあった。台風による倒木が多数あったらしい。どこにもそんな情報は発信されていなかった 👿
d 帰りに、これと同じものが武蔵増戸駅出入り口付近に貼ってあったのを見かけた。行きは全く気づかなかった…。
e 執筆現在、あきる野市のホームページには「網代弁天山公園」なる情報は無かった。おそらく過去の遺物となったのであろう。
f これが遠くからの目印になる。
g というか、入って良いものか分からなかった。バチでも当たると嫌だったし。

丸満餃子・本店 − This is just not a GYOZA Restaurant.

先週は令和元(2019)年の長月最後の週末、このところ休日ときたら天気が悪くて少し苛ついていたが、この時は一日だけ晴れ間が続くとの予報だったので、これまでに「お流れになったプラン」から茨城県古河市にあった城跡を攻めてきた。

江戸時代には古河藩の藩庁が置かれていた古河城は渡良瀬川(わたらせがわ)とそれを利用した水堀で囲まれた平山城で、天守に相当する御三階櫓が建っていた。幕府の将軍が日光社参する際に寄宿した城であり、城主は幕府の要職を務めるものが多く、同じ市内に菩提寺がある大老の土井大炊頭利勝(どい・おおいのかみ・としかつ)は有名である[a]他にも大老に堀田正俊、老中に永井尚政(ながい・なおまさ)、松平信之、本多忠良(ほんだ・ただなが)、土井利厚(どい・としあつ)、土井利位(どい・としつら)らが居る。。しかし、そんなにすごかった城は現在は跡形もない。戊辰戦争では戦火を避けることができたが、廃藩置県による廃城令で主な建造物は破却された上に、度重なる氾濫を引き起こした渡良瀬川の洪水対策として堀を含む城域の殆ど全てが埋め立てられて消滅し一部は宅地化されていた :O

そういうことで現在の城跡と云うと、破壊や宅地化を免れた一部の土塁の他、縄張を表す標柱などを見たり、古河にゆかりある御仁の菩提寺を参拝するだけではあるが、広範囲にわたって移動する必要があり徒歩では時間がかかって大変なのでレンタサイクルの「コガッツ」(無料)を活用してきた ;)

そんな古河市内巡りの合間、昼ごはんを食べてきたのが創業昭和39年の丸満餃子と云う老舗の「餃子」店だった:

丸満餃子・本店

昼時を外して行ったのだけど、流石の休日で店内は満員。名前を記載してしばし待つ。その間に店のメニューを見ていると餃子は焼き・蒸し・茹での三種類だけで、他にラーメン、ほんとん[b]このお店オリジナルのワンタンメンらしい。、もんじゃ焼き、鉄板焼き、お好み焼き、鍋料理など大部分が餃子以外の料理だった〜 :)。それから待つこと10分ほど相席御免の座敷のテーブルにとおされた。

まぁ自分は『20種類の具材の旨さが味わえる餃子』を食べにきたので、ここでは迷わず餃子定食(1,026円)を注文した:

IMG_7320.resized

餃子定食(1,026円)

出てきたお膳にはオススメの焼き餃子が8個の他、ご飯と味噌汁、そして小鉢と香の物が載っていた。まるでパンのような形をしたこの餃子は、どこから食べても同じように皮と中身を味合うことができるのだそうだ。さらにテーブルの上にあった「食べ方」によると本来は料理が出て来る前にタレを作っておくものらしい:O。まったく気づかなかった。さらに料理が出てきたら一個目の餃子はタレをつけずにそのまま食べるのがオススメで、皮のカリカリ感やショリショリした食感を堪能できるらしい。

と云うことで一口ぱくっといってみたら、マジで火傷しそうな熱さのため味を堪能するどころではなかった :$

IMG_7322.resized

一秒でも早く、まずは一口食べる

こんな猫舌の自分は数秒待ってから食べればよかったと後悔し、忘れていたタレを作ることにした。小皿が二枚あるので二種類のタレを作る。ひとつ目は「お酢+醤油+ラー油+ニンニク」と「マヨネーズにコチュジャンをアレンジした丸満特製餃子のタレ」:

IMG_7323.resized

餃子のタレ二種(左が醤油ベース、右がマヨネーズベース)

意外とマヨネーズ味の特製タレは旨かった。ただ宣伝していたほど具材本来の旨みは感じられず、感覚的にも餃子ではなく何か別の包料理を食べているといったイメージが大きかった :|。あと、こんな餃子にはご飯よりもビールの方が合うな。

丸満餃子・本店
茨城県古河市本町1-2-39


ここからはオマケ。

まずはJR古河駅東口近くにある駅前子育てひろば わんぱくステーションで「コガッツ」なる古河市観光自転車を借りた。料金は無料で、住所と電話番号を伝え、身分証明書を提示する。返却は17:00まで:

IMGP8305.resized

この日の相棒は「コガッツ」

まず、こちらは城跡とは関係ないが、江戸時代には日光街道沿いの城下町として栄えた古河にあって美味な「鮒の煮付け」といった川魚料理を提供するぬた屋[c]但し、甘露煮は砂糖や醤油が手軽に手に入った明治時代から。それでも160年の歴史を有する。。店の構えがいかにも城下町っぽい:

IMGP8092.resized

鮒甘露煮のぬた屋

七福神の恵比寿様を祀る恵比寿神社と、蔵屋敷っぽいところに趣があるお休み処の坂長

IMGP8104.resized

恵比寿神社

IMGP8105.resized

古河のお休み処・坂長(さかちょう)

こちらは市立古河第一小学校の校門。一部のレンガが崩壊しているようで、現在は開門していないらしい:

IMGP8107

茨城県古河市立古河第一小学校の校門(拡大版)

かっての古河城・諏訪曲輪跡に建つ古河歴史博物館と通りを挟んで向かいにある鷹見泉石記念館は、古河藩士が住んでいた武家屋敷の一つで、もっぱら藩で蘭学に勤しんだ家老・鷹見泉石(たかみ・せんせき)が隠居後に住んでいた建物として保存されている[d]但し、敷地面積は往時の半分となっている。

IMGP8138.resized

鷹見泉石記念館

IMGP8140.resized

鷹見泉石記念館

一説に、この屋敷は寛永10(1633)年に当時の城主・土井利勝が御三階櫓を建てた際に残った廃材を利用して建てられたとも:

IMGP8141.resized

玄関口

IMGP8163.resized

玄関口

玄関口と行書字額(ぎょうじょじがく)「可琴軒」(かきんけん)。可琴軒は鷹見泉石の雅号(がごう)の一つ:

IMGP8143

玄関口(拡大版)

IMGP8145.resized

行書字額の「可琴軒」

屋敷の軒先と座敷:

IMGP8154.resized

屋敷の軒先

IMGP8149

座敷(拡大版)

この他に記念館の敷地には女流南画家(なんがか)・奥原晴湖(おくはら・せいこ)の画室が移築・復元されていた:

IMGP8165.resized

奥原晴湖画室の玄関

IMGP8167.resized

奥原晴湖画室

県道R9沿いの頼政神社の参道入口:

IMGP8208.resized

頼政神社の参道入口

祭神は文字どおり源頼政公。平安時代末期に平氏に敗れた源頼政が平等院鳳凰堂で自刃した後に従者が首級を持ち帰った際、関東下総国古河の立先(龍崎)に塚を作って祀ったとされる。そして古河城となった後も祀られていたが廃城後の河川改修工事のため大正時代に現在地に移転された。

この場所は古河城跡の遺構の一つである観音寺曲輪の土塁の上である:

IMGP8218

頼政神社の境内(拡大版)

元禄9(1696)年当時の城主・松平信輝は城内に先祖の源頼政公の廟所があることを知り、社殿を修築しこれを祀ったと云う。その際に大灯籠や手水鉢などが寄進された。この狛犬もまた寄進された品で、江戸時代前期の作風を今に伝える石造遺品である:

IMGP8223.resized

寄進者が不明の狛犬

IMGP8224.resized

寄進者が不明の狛犬

こちらは古河藩初代藩主で幕府の老中・大老を務めた土井大炊頭利勝公の菩提寺である正定寺(しょうじょうじ):

IMGP8231

正定寺(拡大版)

渡良瀬川に架かる三国橋から河川敷を眺めたところ(パノラマ):

IMG_7325-PANO

渡良瀬川の河川敷(パノラマ)

渡良瀬川の水位確認尺:

IMGP8286

今尚、氾濫の恐れあり(拡大版)

かっては古河城であった渡良瀬川の土手。この土手上に本丸跡の石碑があった(パノラマ):

IMGP8280-PANO

古河城址本丸付近(パノラマ)

こちらは古河公方居館跡に建つ古河公方公園から御所沼を眺めたところ:

IMGP8319

古河公方公園(拡大版)

最後は、この日に出会った動物たち。土手上のサイクリングロードで出会ったバッタと、陸上自衛隊・古河駐屯地脇の小川にいた大量のカルガモたち:

IMGP8314.resized

バッタ

IMG_7329.resized

カルガモたち

この時のフォト集はこちら:

See Also古河城攻め (フォト集)
See Also古河公方居館攻め (フォト集)
See Also永井直勝公墓所・土井利勝公墓所・鮭延秀綱公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 他にも大老に堀田正俊、老中に永井尚政(ながい・なおまさ)、松平信之、本多忠良(ほんだ・ただなが)、土井利厚(どい・としあつ)、土井利位(どい・としつら)らが居る。
b このお店オリジナルのワンタンメンらしい。
c 但し、甘露煮は砂糖や醤油が手軽に手に入った明治時代から。それでも160年の歴史を有する。
d 但し、敷地面積は往時の半分となっている。