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蕎麦・ふる川 − A Typical SARASHINA-SOBA in Sagami Region.

今月は、令和4(2022)年の処暑の候の週末に前々から気になっていた神奈川県の玉縄城跡を攻めてきた。ここ最近は天気に恵まれない日々が続いていたのだが、予報として晴天になるとのことであったので実行に移した次第[a]COVID-19 第七波のピークがやや落ち着いていた時期でもあった😉️。。しかしながら(ある程度は予想はしていたが)気づいたら気温34℃[b]体感で。の相当な酷暑であった。午前中の水分補給だけで千円近く出費した :O。水を飲んでも飲んでも体から出ていくザル状態(?)の中、五時間近くかけて12㎞以上、広大な城を想像しながら神奈川県鎌倉市は大船駅近くを歩いてきた。

こんな具合で暑くなることは予想できていたので早めに行動を開始し、エネルギー補充のお昼も行列を回避するため開店のタイミングで入店した[c]実際は早めに来店したため開店まで5分くらい行列に並んだが😅️。

午前中は龍寳寺境内にある玉縄民俗資料館を観覧し、「地黄八幡の勇将」として知られる北條綱成をはじめ歴代の玉縄城主が眠る供養塔を参詣した。そして広大な玉縄城跡を巡る前に腹ごなしするため、寺から徒歩数分ほどの蕎麦屋へ:

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蕎麦ふる川

開店したら手を消毒してから店内に入り、二人用のテーブルに案内され着席。事前に決めていた冷たい蕎麦系の鴨せいろの他に、メニューを見て玉子焼(小)を注文した。

龍寳寺の資料館ではエアコンが無かったので蒸し暑く汗をかいたので冷たいビールでも飲みたいところであったが、城攻め前なのでここは我慢:D

まず玉子焼(385円)がでてきたので、蕎麦が来る前に頂くことに:

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玉子焼・小(385円)

出汁入りの玉子焼きで甘口。そこに大根おろしをのせて味変でも楽しめたが、居酒屋で出て来るような普通の玉子焼きだった。

こちらが鴨せいろ(1,540円)。鴨肉とネギが入った蕎麦つゆは熱く、初めはおわんを手に持つことはできず、少々難儀した:$

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鴨せいろ(1,540円)

まずは蕎麦をそのまま頂く。更科そばなので、あまり香りは感じられなかった:

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普通の更科蕎麦だった

それから熱々のつゆにあわせて蕎麦をすする。鴨肉の脂が蕎麦つゆを甘くしているおかげで、若干食べていると飽きが出て来るので七味などで味変しながら完食。その頃にはつゆが冷たくなっていたけど、良いタイミングで蕎麦湯が出てきて、鴨肉から出た美味い出汁とともに最後は美味しく締めることができた:)

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完食(ごちそうさまでした)

ただ値段の割には特徴が薄く、普通すぎる味は神奈川県の蕎麦屋の特徴だろう:X

蕎麦・ふる川
神奈川県鎌倉市植木110-2


ここからはオマケ。

大船駅西口に出て柏尾川《カシワオガワ》を渡った先に聳える観音像は大船観音寺のものらしい:

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ここも玉縄城の一部で砦跡

次は龍寳寺境内にある玉縄民俗資料館(有料)で見かけたものの中から、まずは玉縄城のジオラマ。現在の大船駅西側の丘陵がほぼ城域である:

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玉縄城のジオラマ(拡大版)

甲冑なども展示されたが、特に小田原北條氏とは関係ないようだ:

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「鉄錆地三十二間関東型筋兜」

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「鉄錆地紺糸威胸取鎌倉雪ノ下五枚胴と草摺」

龍寳寺の本堂脇にある玉縄北條氏(玉縄城主)の供養塔を参詣:

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「玉縄北條氏供養塔」

供養塔脇にある碑は、なぜかいつも倒れており、直してもまた倒れていることが多かったため「ぶっけり仏」と呼ばれていたらしい[d]現在はコンクリートの上に固められていた。

広大な城域を誇る玉縄城を部分的に巡っていると、よく耳に入ってきたのが救急車のサイレン。この時期は COVID-19 蔓延中であること改めて認識させられる。救急車が立て続けに病院へ入っていったところを目撃。まぁ実際 COVID-19 の感染者かどうかはわからんが:|

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湘南鎌倉救急センター前は救急車だらけだった

最後は大船駅へ向かう途中に見かけた鵜?[e]川鵜《カワウ》と云うらしい。十数年前から大船界隈では話題になっていたようだ。

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電線の上にいた鵜たち?

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also玉縄城攻め (フォト集)
See Also龍寳寺と北條綱成公墓所 (フォト集)
See Also玉縄民俗資料館 (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

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玉縄城攻めルート

活動時間は 05:48、距離は 12.51km、消費カロリーは 2,144Kcal。

参照

参照
a COVID-19 第七波のピークがやや落ち着いていた時期でもあった😉️。
b 体感で。
c 実際は早めに来店したため開店まで5分くらい行列に並んだが😅️。
d 現在はコンクリートの上に固められていた。
e 川鵜《カワウ》と云うらしい。十数年前から大船界隈では話題になっていたようだ。

そば処・よろづや − A Soba Restaurant I was interested in before.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾第三弾、そして第四弾の城攻め(と戦国大名・信濃村上氏ゆかりの地めぐり他)は無事に完了した。そしてGW最後の城攻めは長野県千曲市にある荒砥城跡。千曲川沿いに築かれた山城で、現在は往時の姿を石積で復原・整備し、ドラマのロケ地としても利用されているのだとか。肝心の遺構は少なかったが、とにかく眺めが良かった :D

この日は時間の都合で最寄り駅であるしなの鉄道・戸倉駅からタクシーで山を登り[b]駅前から千曲市城山史跡公園まで1,940円だった(当時)。、城攻めを終えて徒歩で下りてきた。そのおかげで帰りの新幹線[c]GW後半と云うことで混雑を予想して指定席を予約しておいた。まで少し余裕ができたので、せっかくだから信州蕎麦でも食べようと上田駅周辺をうろうろして店を探してみたが、時間的にお昼近くだったこともあり、どこもかしこも大勢の客で混雑していたり行列ができていた:$

そうこうしているうちに帰りの時間が近づいてきたので、半ば諦めて駅弁でも買おうかと駅前へ向っていたところ、以前から気になっていた蕎麦屋が目に入った。この店は外から中が見えないので、これまで何度か敬遠してきた蕎麦屋 。そこで、ダメ元で引き戸を開けてみたら、店内はガラガラだったので拍子抜けしてしまった :O

こちらが、そのお店、手打ちそば・よろづや。なんとも入りづらい店構えである :$

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外から中を伺えない店構えのそば屋

帰りの時間が押し迫っていたので店に入って手を消毒し検温したら速攻で「野菜天ざるそば(1,170円)」を注文した。これは表のメニューを見て決めておいたものだ。

ゆっくり食べている時間がだんだんと無くなっていく中で、しばらくすると蕎麦がでてきた:

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野菜天ざるそば(1,170円)

正直なところ、時間が気になって味はあまり覚えていない :X。特に天ぷらは。ただ平たい蕎麦だったことと、少し硬かったような記憶はある。

でも、次からは食べる機会が増えるかも ;)

手打ちそば・よろづや
長野県上田市天神1丁目6-15


ここからはオマケ。

こちらが千曲川に架かる万葉橋から眺めた荒砥城跡(千曲市城山史跡公園)。このあたりは上山田と云う温泉街なので尾根上に「上山田温泉」の宣伝文字が見えるが、ちょうどその辺りが史跡公園[d]目を凝らすと「戸」の字の上に井楼櫓が見えるはず。

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荒砥城跡の遠景(拡大版)

そして、同じく万葉橋から眺めた千曲川と千曲市方面の眺め:

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千曲川と千曲市方面(拡大版)

千曲川を渡ったあと史跡公園へ向かうには、ここから登って行く。今回、登りはタクシーを利用し、下りは徒歩にした:

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ここを登った先に史跡公園がある

しばらく登っていくと展望エリアがあり、さらに勾配がきつくなる:

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キツイ勾配の坂

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一休みできる展望エリア

しかしながら眺めは素晴らしい:)。先程の万葉橋から眺めた時に見た温泉マークあたりから、千曲川を逆に見下ろしてみると、こんな感じ:

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温泉マークあたり(拡大版)

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千曲川と万葉橋(拡大版)

荒砥城跡は千曲市城山史跡公園として整備されており、特に石積みを多用して城跡を復原している:

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二の郭虎口あたり

しっかりとした石積みであるが、これらは復原したもので遺構ではない:

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遺構ではない石積み

復元された井楼櫓《セイロウヤグラ》からの眺めは絶品だった:

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井楼櫓

こちらは、昨日攻めるのを諦めた葛尾城跡。800mを越える葛尾山に築かれていた山城:

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千曲川ごしの葛尾城跡(拡大版)

こちらは本丸に相当する本郭跡を眺めたところ:

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荒砥城跡

本郭跡からの眺めもまたよかった。こちらは千曲市、そして長野市方面の眺望。左手奥に見えるのが北アルプス:

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長野市方面の眺め(拡大版)

さらにズームして戸隠山(標高1,904m)を含む戸隠連峰を望む:

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戸隠連峰(拡大版)

千曲川周辺で見かけた野鳥たち。まずは川辺にいた鷺《サギ》:

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川辺の鷺

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ズームした鷺

飛んでいた鷺:

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荒砥城跡と鷺

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ズームした鷺

電線上にとまっていたムクドリ:

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電線上で一休み中

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ズームしたムクドリ

徒歩で下山して戸倉駅へ向かう途中に立ち寄った水上布奈山神社《ミズカミフナヤマ・ジンジャ》:

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水上布奈山神社

この奥にある社殿が国の重要文化財だったことをあとで知った:P。ちゃんと書いてあったのに:|

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社殿は、この門の背後に見える建物の中にある

最後は古民家風の蕎麦屋。戸倉駅前の国道R18(旧北国街道)沿いを歩いていて目に入った:

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古民家風の蕎麦屋

上田駅周辺で右往左往している時、ここで食べておけばよかったかなぁと後悔した :|

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also荒砥城攻め (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

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荒戸城攻めルート(復路)

活動時間は 02:58、距離は 4.7km、消費カロリーは 946Kcal。

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b 駅前から千曲市城山史跡公園まで1,940円だった(当時)。
c GW後半と云うことで混雑を予想して指定席を予約しておいた。
d 目を凝らすと「戸」の字の上に井楼櫓が見えるはず。

旧北国街道坂木宿めぐり − A Traditional Post Town on Hokkoku Kaidō.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾、そして第三弾の城攻めは無事に完了し、第四弾として戦国時代に若き日の武田信玄を苦しめ、北信(北信濃)で最大の勢力を誇った信濃村上氏の居城として有名な[b]現代ではハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかある。なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。葛尾城《カツラオ・ジョウ》を攻めるため、長野県は埴科郡《ハニシナ・グン》坂城町《サカキ・チョウ》までやってきたが、ここにきてGW連日の山城攻めでさすがに疲れが出てきたので、この日の城攻め(山登り)を取り止めることにした[c]他にも暑かったとか、登山コースなど下準備が完全ではなかったと云うのもある。

そのかわりに旧葛尾城下にあたる坂城町で村上義清にゆかりある場所を巡ってきた他に、旧北国街道の宿場町として坂木宿[d]現代の町名は「坂城」、江戸時代は「坂木」宿または「坂木」藩。の歴史に触れてきた。実際、そういう趣を持つ建物や街の中の情景が印象深かった:)

これが街の中に建っていた探訪ガイド。ここに掲載されていた場所を巡ってきたと云う次第。この案内板も歴史を感じる:D

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北国街道坂木宿・歴史探訪ガイド(拡大版)

ガイドにある⑪坂城駅。上田駅からしなの鉄道に乗り換えてきた:

しなの鉄道

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坂城駅

駅前から北へ向かう県道R339が旧北国街道。ここ坂木宿はゆるやかな坂と鉤形の街道に沿った町割りが特徴である:

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県道R339は旧北国街道

北国街道は中山道追分宿(現在の軽井沢町)から分かれ、坂木宿をとおり、越後国高田(現在の上越市)で北陸道と結れる道で、北国往還とも呼ばれ、五街道につぐ重要な街道の一つだった。この道筋の歴史は古く、江戸時代の上杉景勝の時代に越後府中(現在の上越市)と海津城(現在の長野市)を結ぶ伝馬制がしかれたことが始まり。

まずは旧北国街道を北へ向かう。すると、右手に見えてくるのがガイドにある坂木宿・ふるさと歴史館

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坂木宿・ふるさと歴史館

ここは北国街道坂木宿本陣[e]江戸時代の宿場町で大名・旗本など位の高い者が泊まった建物。ちなみに「脇本陣」は本陣の予備の建物を指す。の跡地に建てられた木造三階建一部平屋造の住宅である。昭和4年に遊郭経営者により建てられた風情あるもので、のちに病院となって洋館部分が増築されたと云う。

この敷地には江戸時代中期に建てられた旧本陣表門が遺構として残されていた:

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旧本陣表門

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大壁造り

本陣の表門は間口六間、奥行き二間半の入母屋造り、桟瓦葺き。門扉以外は土塀による大壁造り《オオカベヅクリ》[f]壁に覆われて柱が見えない構造で、日本では近世城郭で見られる塗籠《ヌリゴメ》などがあたる。で、扉には八双金物《ハッソウカナモノ》と云う飾り金具の痕跡があることから江戸中期に建てられたと推測されている。坂城町指定有形文化財。

この表門は一部が土蔵になっていて、当時は江戸時代に使われていた生活道具などが展示されていた:

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民族史料の展示

本棟にあたるふるさと歴史館は木造三階建の住宅を利用したもので12の和室や座敷を有し、展示スペースとして利用されていた:

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元は遊郭・病院だった

玄関を入ってすぐの交流スペースには、この時期に合わせて五月人形が飾られていた:

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交流スペース

五月人形

五月人形

そして、ここ長野(北信濃国)の戦国大名である村上義清に関連する史料の他、江戸時代の坂木宿指定を示す朱印状や旧北国街道に関する史料、そしてこの地で盛んだった和算や算盤《そろばん》などの日本式算術の歴史ある展示品がたくさんあった:

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村上氏に関する史料など

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御本陣と宿場町

さらに、この歴史館で葛尾山への登山マップ[g]これがよく書かれた手書きマップ。と『坂城町郷土史シリーズ第1集・葛尾城を歩く』(笹本正治著/坂城町教育委員会)を入手。きたる城攻めに向けての準備もできた :)

歴史館を出て再び旧北国街道を北上していくと、こちらも江戸時代の坂木宿の名残を残す建物がいくつか見かけた。こちらがガイドにある⑨大門町・春日家・山浦家⑩名主坂田家の屋敷:

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名主・坂田家の建物

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大門町・春日家・山浦家の建物。

さらに北上して村上氏の居館跡とされる⑥満泉寺へ立ち寄ったあと、次の宿場町である上戸倉に向けて西へ折れる旧北国街道を越えたところに鎮座する⑦坂城神社へ:

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坂城神社

主祭神は、日本神話にも登場する出雲の大国主神《オオクニヌシノカミ》。その昔、日本武尊《ヤマトタケルノミコト》が東征した折に、この地に祖神を祀り社殿を建てたのが始まりなのだとか。戦国時代はこの地を納めた村上氏によって代々崇敬され、武田信玄が領した際には祭祀を再興し、その子・勝頼も保護したと云う古文書が残る。

現代は縁結びの神様として多くの参拝者がいるらしいとのことだったが、GWなのにほとんど誰もいなかったけど :|

拝殿

拝殿に入る手前には町指定有形文化財の狛犬がある。これは天和2(1682)年から元禄16(1703)年までの二十二年間坂木に陣屋を置いていた坂木藩板倉氏の家臣・石川義孝が寄進したものと伝わる。

境内は見事な杉の木に囲まれていた:

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境内の杉の木

そして坂城神社裏にある葛尾城跡の登城口を確認したあとは、村上義清公ゆかりの地を巡って坂城町を南へ縦断し、再び坂城駅へ。

こちらは旧北国街道沿いに建っていた釣り鐘:

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坂城町の釣り鐘

坂城駅隣にある多目的広場には平成25(2013)年に惜しまれつつも引退となった169系電車(S51編成)が展示されていた。それも、なつかしの湘南色:

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169系電車

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169系電車

169系電車は信越本線(横川〜軽井沢間)の急勾配な碓氷峠において、EF63 型電気機関車と協調運転することで輸送力とスピードアップを図ることを目的として昭和43(1968)年に誕生した。主に信越本線の中長距離向けに、急行「信州(上野〜長野)」、「妙高(上野〜長野〜直江津)」、「志賀(上野〜湯田中)」の各路線で活躍した。

この日の最後は鉄の展示館・コミュニティセンター[h]坂木宿・ふるさと歴史館と一緒に観覧する場合は割引あり。

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鉄の展示館

ここ坂城町は、人間国宝で坂城町出身の刀鍛冶の故・宮入行平《ミヤイリ・ユキヒラ》氏のもとで修行した多くの刀匠が宮入一門会として活躍していることに因んで「刀匠の町」として広く知られているらしい。それに関連して趣向を凝らした企画展や故・高倉健氏所蔵の刀剣類などを展示しているのだとか。

戦国好きではあるが、正直なところ刀剣については自慢できるほど深い造詣はなく、最近の巷でのブームには全く関心がない自分ではあったけど、ここで見た刀剣の基本みたいな説明図は大変勉強になった:)。これからは刀剣の歴史についても勉強しようと思う。

まずは『日本刀ができるまで』。刀の原料(玉鋼《タマハガネ》)からいくつもの工程を経て日本刀ができあがるまでをわかりやすくフローにた図:

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日本刀の誕生(拡大版)

この図を見て、今まで知らなかったことが分かって大変勉強になった ;)

他にも『日本刀の裏表』とか『銘の種類』など丁寧に説明してくれる図があった。これらは必見:

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『日本刀の裏表』

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『銘の種類』

展示室はこんな感じ。撮影はフリーだった 8)

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展示室

全て撮りきれなかったが、ひとまず気になったものを紹介していくと、こちらは鎌倉時代後期の太刀。備州長船則光、附・黒漆塗鞘打ち刀:

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備州長船則光

鎌倉時代の太刀。この村上大國魂神社奉納大太刀は、信濃村上氏が埴科郡に進出する前に大國魂神社へ奉納されたもの:

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村上大国魂神社奉納大太刀

鎌倉時代中期の太刀で無銘。肥後藩主細川忠興の差料を幕末に模したもの:

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太刀・無銘(景安)

人間国宝・宮入行平刀匠に関するもの:

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刀匠・宮入行平像「鉄の華」

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宮入行平肖像画

専用の展示室:

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宮入行平展示室

大関昇進した長野県出身の御嶽海関が一日館長を務めたらしい[i]後ろの張り紙から察するに大関昇進前のイベントか。

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一日館長の御嶽海関

最後は季節柄、必須な五月人形のひな壇?:

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五月人形?

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also2022年5月 坂木宿とふるさと歴史館 (フォト集)
See Also2022年5月 坂城町鉄の展示館 (フォト集)

こちらが今回の散策ルート:

坂城町巡り

旧北国街道坂木宿めぐりルート

活動時間は 03:23、距離は 5.5km、消費カロリーは 1,251Kcal。

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b 現代ではハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかある。なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。
c 他にも暑かったとか、登山コースなど下準備が完全ではなかったと云うのもある。
d 現代の町名は「坂城」、江戸時代は「坂木」宿または「坂木」藩。
e 江戸時代の宿場町で大名・旗本など位の高い者が泊まった建物。ちなみに「脇本陣」は本陣の予備の建物を指す。
f 壁に覆われて柱が見えない構造で、日本では近世城郭で見られる塗籠《ヌリゴメ》などがあたる。
g これがよく書かれた手書きマップ。
h 坂木宿・ふるさと歴史館と一緒に観覧する場合は割引あり。
i 後ろの張り紙から察するに大関昇進前のイベントか。

お食事・居酒屋 こっくどーる − the 4th Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾、そして第三弾の城攻めは無事に完了。

そしてGW 2022も後半戦へ突入し、幸いにも天気は良好続きとの予報だった。第四弾は長野県の城攻め。こちらも長年温めていた山城で、標高800mを越える葛尾山《カツラオヤマ》山頂に築かれた信濃村上氏の居城・葛尾城跡。ハイカーらにも人気のある山登りコースが幾つかあり[b]なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。、カメラを背負ってガレ場を登ることを予想して気合を入れて準備をしてきたのだが、ここにきて若干ではあるがGW前半の疲れが出てきた感じがしたので、山登り(葛尾城攻め)はせず、信濃村上氏の中でも、あの武田信玄を苦しめた村上義清《ムラカミ・ヨシキヨ》の居館跡や供養塔といったゆかりの場所を巡ることにした。それ以外にも北国街道坂木宿《ホッコクカイドウ・サカキジュク》という古い歴史が残るこの街には歴史館や刀剣の博物館もあるようなので、来る葛尾城攻めの下調べも兼ねると云う意味でも無理をしないことにした[c]この次の日も山登りの計画だったし 😂️。 :)

この日は、朝9時半過ぎに東京駅発の北陸新幹線・金沢行きのはくたか557号に乗って上田駅に着いたのが11時前。次にしなの鉄道・長野行に乗り換えて、今日の目的地である坂城《さかき》駅に着いたのが昼12時少し前:

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しなの鉄道・坂城駅

山登りして城攻めする予定では無かったが、お腹が空いたので駅前にある御食事処へ:

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居酒屋(お食事・大小宴会)こっくどーる

このお店、夕方になると居酒屋になるようで昼メニューと夜メニューとに分けられていた。事前に調べてみたらおしぼりうどんなる坂城名物を出してくれるとのことで、検温+手を消毒してカウンター席につくまで、その名物を食べるつもりだったけどランチタイムだったこともあり、曜日替わりのヒレカツ定食(750円)にした:D

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ヒレカツ定食・コーヒー付き(750円)

御前の上はごくごく普通の彩りではあったが味は文句なしで美味しく頂けた。ヒレカツも柔らかかったし。食後のコーヒーには落花生が入った硬くて甘くない煎餅が添えてあった:)

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食後のコーヒーと硬くて甘くない煎餅

この時のお客は先客が一人だけで、田舎にありながら感染対策を徹底しているお店で安心した。

居酒屋(お食事・大小宴会)こっくどーる
長野県埴科郡坂城町大字坂城立町6318−1


ここからはオマケ。

坂城駅前の通りの県道R339は旧北国街道。ここ坂木宿はゆるやかな坂と鉤形の町割りが特徴である:

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県道R339は旧北国街道

信濃村上氏の居城である葛尾城攻めを取り止めた代わりに、この説明図に記載された村上義清ゆかりの名所を巡ってきた:

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村上義清ゆかりの名所(拡大版)

ここ村上山・満泉寺は信濃村上氏代々の菩提寺で、戦国時代に村上義清の子・國清により村上氏の居館跡に建立された:

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山号が村上山の満泉寺は村上氏居館跡に建てられている

戦のない平時には、ここに建てられていた居館で生活し、いったん敵に攻め込まれ戦となると、背後にある葛尾城(詰めの城)に籠もったと云う:

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葛尾城跡と姫城跡(拡大版)

葛尾城は、現在の葛尾山尾根筋を利用して築かれた典型的な山城である。上の写真左端にみえる尾根が姫城跡、その次の尾根が葛尾城跡。麓の坂城神社から徒歩で約60分。東側の尾根づたいにいくつもの堀切跡が残っているのだとか。特筆は、葛尾城主郭跡から眼下に千曲川をのぞむ見晴らしである。

こちらが葛尾山の麓にある坂城神社:

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坂城神社

その坂城神社の裏手には村上國清公の供養塔があった[d]せっかくなので、このフォトと一緒に Google Map に登録しておいた。

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「村上国清の供養塔」

さらに町にある歴史館で信濃村上氏や村上義清と武田信玄との戦いについて詳しい情報の他、葛尾城跡への登山ルートについて詳細を入手することができた:

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坂木宿・ふるさと歴史館

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村上氏に関する史料など

ちなみに、この歴史館には江戸時代の宿場町であった坂木宿の本陣表門が移築されている。

こちらは、駅近くにある村上義清の供養塔へ向かう途中に眺めた菅平《スガダイラ》高原方面。この日は「こどもの日」だった:

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坂城町から菅平方面の眺め(拡大版)

もう一枚。これは村上義清が武田晴信(信玄)を破り、重臣の板垣信方らを討ち取った上田原古戦場方面の眺め[e]と云ってもかなり遠いが😁️。

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上田原古戦場方面の眺め(拡大版)

村上義清公の供養塔は、旧北国街道沿いある田町十王堂《タマチ・ジュウオドウ》裏にある:

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田町十王堂

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村上義清公供養塔

ちなみに、この田町十王堂は閻魔堂のことで、十王とは死後に冥府で人間の生前の罪業を裁くとされる十人の王のことで、その頂点にいるのが閻魔大王らしい。

葛尾城下で葛尾城跡へ登城口やと登城ルート、そして村上義清公についていろいろ情報を得ることができたことで、一段と葛尾城攻めしたい気持ちが強くなってきた:D。そろそろ計画でもたてようか。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also村上義清公墓所とゆかりの地 (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤬️。
b なんと6時間かけて尾根を縦断するルートが人気らしい。
c この次の日も山登りの計画だったし 😂️。
d せっかくなので、このフォトと一緒に Google Map に登録しておいた。
e と云ってもかなり遠いが😁️。

栃木県宇都宮市 − the 3rd Attack of GW 2022.

今年は令和4(2022)年のGWは外出自粛といった恒例の措置[a]毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤭️。は施行されなかったので、十分な対策を講じて城攻め三昧な Week を計画した。既に第一弾第二弾の城攻めは完了。そしてGW 2022も後半戦へ。

と云うことで今年の GW 城攻め第三弾は栃木県宇都宮市にある多気城跡へ。この城跡は以前から攻めてみたいと思っていた山城の一つであったものの、その規模(城域の広さ)から日帰りでは時間的にキビシイと思い、なかなか実行に移せなかったのだが、幸運にもGWのこの時期に最寄りの町で宿が取れたので、この城一本に絞って計画を立てて実行に移したと云う次第。

結果から云うと、残念がら期待したほどの遺構は残っていない上に、せいぜい攻めれる箇所は主郭周辺くらいで、あとは藪化が激しくて立ち入れなかった :$。山登りとしては多気不動尊《タゲ・フドウソン》のあの長い階段を含めると結構なハードさはあったが、城攻めと云うよりは山登りで終わってしまったのが正直な感想で、かなり期待外れだった:|[b]勝手に期待していたのは俺なのだけれど。。おかげで帰りのバスの時間までだいぶ空いてしまったので、バス停近くにあった奇岩と大谷景観公園を観てきた:D[c]こちらは観光地と云うことで(多気山と比較すると)大賑いで人や車でごった返していた 😆️

この日は朝9時前にチェックアウトして、荷物を宇都宮駅のコインロッカーに預け、キビシイ登山になるであろうと予想してカメラ機材のみの荷物を担いで現地へ向かった。朝9時過ぎに駅西口から関東自動車の立岩《タテイワ》行のバスに乗り、最寄りである「立岩入口」のバス停に着いたのが朝10時前。

これはバス停近くから眺めた多気城跡(多気山)。多気城は多気山をまるまる城砦化したものだったらしい:

多気城跡

ここから多気山の山頂までは徒歩で移動した。こちらはその途中に見た「らくだ岩」と呼ばれている奇岩。ちょっと緑が多くて分かりづらいが、岩がラクダの首と背中の形をしている[d]緑の部分を消すとイメージしやすい。

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らくだ岩

そして、なぜか旧帝国ホテル中央玄関前の壺なるオブジェ:

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旧帝国ホテル中央玄関前の壺

なぜこんなオブジェがあるかと云うと、宇都宮市の特産である大谷石《オオヤイシ》は古来から建築用材として使われた経緯があるらしく、大正12(1923)年に完成した旧帝国ホテルにもふんだんに使われていたのだとか。このオブジェは記念として実物を模したレプリカらしい。

そして国道R293に出て多気山参道の坂を上がり、市営の駐車場で一休みして一気に多気不動尊まで移動した。こちらは交通安全祈願ができる明王殿。自転車祈願も受け付けているのだとか。いかにもモダンな御不動様だ:

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明王殿

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南無大聖不動明王

明王殿の奥には水かけ不動があり、さらに立派な山門をくぐった先にある126段の石段を登って本堂へ向かう:

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水かけ不動

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126段の石段を登りきらないと本堂へ行けない

こちらが本堂、そして歳神殿。さらに奥には弘法大師堂もあった;

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歳神殿

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本堂

大聖不動妙王を祀る多気山不動尊。ここで本日の城攻めの成功と家族の御加護を祈願した:

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多気山不動尊

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線香をたいて祈願する(100円)

境内で今日一日と実家の安全を祈願して、登山口から七曲りの登山道を登った。正直なところ城攻めで登っているの俺ぐらいなもので、ほとんどがハイカーの集団か家族連れだった:

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登山口

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七曲りの登山道

登山口から多気山山頂にあって御殿平《ゴテンダイラ》と呼ばれている多気城本郭跡まではおよそ20分程の山登り。直線距離にして0.6km。キツイ勾配はないので休みながら登っても30分はかからない:

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山頂の御殿平に建つ「多気城跡」の碑

昨日に続いて筑波山を拝むことができた:

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栃木県から茨城県の筑波山を望む(拡大版)

さらにパノラマで眺めた宇都宮市:

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多気山山頂からの眺め(パノラマ版)

多気城跡は山頂の主郭周辺にしか遺構が残っていなかったので、実質的にはただの山登りになってしまった:O。このあと握り飯を食べて帰りのバスに間に合うように下山した。

その途中でにわか雨に遭遇したが、この日はなんとなく天気が不安定になりそうだとふと思いついたのでアウターを持ってきたが、これが功を奏した感じ。もしかしたら多気不動尊の御加護かもしれない:)。そう云えば、途中ですれ違った普段着の家族連れを麓の駐車場で見かけたが、靴やら上着やらが泥だらけだったっけ。

下山したあとは駐車場前にあった茶屋で手作りお甘酒と団子を頂いた:

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甘酒と団子セット(200円+300円)

桃畑茶屋
栃木県宇都宮市田下町729-2

そして再び「立岩入口」のバス停まで戻ったのだけれど、次のバスまで30分ほど時間が空いてしまったので周辺にある奇岩をいろいろ眺めてきた。

まずは「弁慶の太刀割り岩」と「亀岩}。この二つの岩は同じ岩からなる(表と裏で呼び名が違うらしい):

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弁慶の太刀割り岩

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亀岩

日本全国津々浦々、巨大な岩は武蔵坊弁慶にあやかるものが多いようで:D

これは居然と呼ばれている奇岩:

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居然(東側面)

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居然(北側面)

ついでに大谷景観公園まで足を伸ばしてきた:

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大谷景観公園

大谷資料館(有料)へ行くともっといろいろ分かるようだけど、バスの時間もあったので今回は駐車場あたりでウロウロしながら奇岩を眺めてきた:

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「御止岩」(史跡名勝天然記念物)

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「御止岩」(史跡名勝天然記念物)

こんなに自然の偉大さを感じたのは、コロナ渦の生活にあって久しぶりである:

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他にもいろいろな奇岩

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他にもいろいろな奇岩

機会あれば大谷資料館にも行ってみたくなった。

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also多気城攻め (フォト集)

参照

参照
a 毎度のことながら個人の分別にる判断に依るところが大きいが、他人と接触機会を減らすことは対策として最も基本的かつ有効なもののあるのは自明なので。何処かの馬鹿はそんなことさえ理解していなかったが🤭️。
b 勝手に期待していたのは俺なのだけれど。
c こちらは観光地と云うことで(多気山と比較すると)大賑いで人や車でごった返していた 😆️
d 緑の部分を消すとイメージしやすい。