一昨日は令和5(2023)年の大雪《タイセツ》の候少し前の週末[a]国連が採択した国際障害者デー(International day of Disabled Persons)。手品の日(One! Two! Three!)。、六年前に攻めてきた城跡を再訪してきた。そのあと、同じ都下にある城跡(居館跡)を巡る予定だったので、お昼少し前に城址公園をあとにして最寄り駅へ向かっていた時、とある店の主人が暖簾を掲げ、店前に「角煮丼」云々と書かれた看板を出していた光景が目に入った。昼飯を摂る店はあらかじめ決めていたので、最初は特に気にならなかったが、数歩あるきながら頭の中で「角煮丼、角煮丼」と復唱していたら、なぜか自然と足が止まっていた 。
角煮丼の専門店なんだろうか? と思い、ちょっと確認するために戻って店前へ :
たしかに暖簾には「角煮」と銘を打っていたのだが、ドアに掲げられていたメニューには、角煮丼の他に、かき揚げ丼やあなご丼、はたまたラーメン[b]それもワンコインで 🤩️。なんかが並んでいた:
そして暖簾の隙間からのぞいて見ると、小さな店内にL字型のカウンターと椅子が5つ並んでいるだけだった 。一応は昼の店は決めていたで、ここで無理しなくてもいいのだが、なんか妙に気になってしまった[c]単に城攻めして腹が空いていただけかも知れないが 😁️。角煮丼。さらに開店したてで客は誰も居ない。もしかしたら行列ができるお店かも知れないと考えたら、実際のところ何屋なのか判然としないまま暖簾をくぐっていた
。
席について、カウンターの中にいた主人に角煮丼を注文。水をもらった後はしばらく無音の時間となる。と云うのも、店内にはテレビやラジオなどは無く[d]店のすぐ奥にテレビが見えたので、自宅兼店舗のようだ。、客も自分一人で、聞こえてくるのは厨房から漏れる音と外を走る車の騒音くらい 。
この日は、朝は寒かったけど昼近くになると陽がでて急に暖かくなっていたので、なんともノンビリしたひとときで、思わず寝入ってしまいそうだった 。注文してから10分位たつと客が一人入ってきたが、店内のノイズは特に変わらない。
それから、しばらくして「お待ちどうさま」の声と共に、湯気をいっぱい燻らせた角煮丼とみそ汁が出てきた:
量的には期待していたほど多くない。ご飯の上に薄切りの角煮と玉ねぎ、そして紅生姜が添えられていた。みそ汁も具は豆腐だけのシンプルなもの:
肝心の角煮の方はと云うと、肉と脂身の割合がほどよく、醤油ベースでやや甘めのタレがしっかり染み込んでいた。歯ですっと噛み切れる豚肉とは対象的に、こちらも味が染みた硬めの玉ねぎとの相性は抜群だった :
最初は肉とご飯を交互に食べていたが、後半はご飯も角煮もたまねぎも紅生姜も皆まぜまぜして頂いた。この食べ方はオススメ。具材の良いところを一気に味わえた:
食べ終わったあとは、この量で後半の城攻めまで持つかなぁと不安に思えたけど、まったく無用の心配だった 。
おあいそして、主人と軽く会話して店をあとにした。ごちそうさまでした。
角煮・三福
東京都八王子市片倉町340
ここからはオマケ。
こちらが、この日の午前中に攻めてきた片倉城跡(八王子市):
六年前に攻めた時、主郭と二郭の間の空堀(堀切)が藪化していて横矢掛跡を確認できなかったので再訪した次第であるが、今回も全く確認できなかった :
今回の収穫の一つは二郭南側の大手道沿いに残る竪堀:
もう一つは二郭の空堀(堀切)。こちらは一部が遊歩道になっているようで、綺麗に残っていた:
三福でお昼を摂ったあとは、京王片倉から平山城址公園(日野市)へ移動し、鎌倉幕府の御家人の一人、平山季重《ヒラヤマ・スエシゲ》の館跡の他、公の墓所がある宗印寺を巡ってきた:
境内奥には万福閣なるエリアがあり、高台には平山万福稲荷大明神が祀られていた:
鳥居からのぞく佐源堂なる建物の中には五重塔の木造模型が置かれていた:
そして、この日の最後は三田氏館(三田城・谷保城)跡(国立市)。最寄り駅から甲州街道を横断して谷保天満宮の境内を通って向かった:
三田氏館跡は、その城域の大部分が私有地(三田氏の後裔の住居)であるが、空堀(堀切)跡は「谷保の城山歴史環境保全地域」の散策路になっていて、一応は遠目で城塁などを観察することができた:
館跡に隣接する城山公園《ジョウヤマ・コウエン》には古民家なんかが整備・復元されていた:
建屋は立派なものだった:
江戸時代から昭和の時代まで使われていた家の中も立派に復元されていた:
土間には農家で使われていた家財道具が展示されていた:
と云うことで、この時のフォト集はこちら:片倉城攻め(2) (フォト集)
平山季重居館攻め (フォト集)
三田氏館攻め (フォト集)