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一茶庵支店 − This Ramen is like a So-men.

今年は令和6(2024)年のGWは暦通りに休めたものの、諸所の手配に出遅れてしまい、宿泊先を確保できた後半に二泊三日の日程で山形県の城跡をいくつか攻めてきた。その中では八年前に初めて山形県入りして以来、いつか行きたいと気になっていた長谷堂城跡とその古戦場跡を巡れたことが一番の収穫だった[a]まぁ、いろいろあったけど 😅️。。また前回の山形入りでは失念して残念な思いをした奥羽国・山形藩・初代藩主の最上義光公ら一族ゆかりの菩提寺も参詣してきた :)。最終日は雨の予報だった[b]実際にその日は雨だった 😞️。ので、時間内に行ける城跡などを詰め込めるだけ詰め込んだった感じの日程で、毎日が濃厚で疲労との戦いの二日間でもあった[c]帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。 :D

東北地方も夏日になった初日は、新庄にある城跡からスタート。東京から新庄までは新幹線で一本。午前中に到着することができたので、城跡へ向かう途中で腹ごなしすることに。山形県は「ラーメン県」と云うことで予め調べておいたラーメン屋へ:

Mikeforce::Today

元祖とりもつラーメンの一茶庵支店

「元祖とりもつラーメン」と銘を打つ店の前には行列はなかったけど、暖簾をくぐって店に入るとテーブル席や奥にある広めの座敷は客で一杯だった。まだ開店して15分くらいなのに:O

この時、かろうじてカウンター席が空いていて店員に促されるまま移動、既に何を注文するかは決めてきたが、一応は真上に掲げられていたメニューを一通り眺めた[d]ぬるまラーメン!?。いわゆる山形県のソウルフード「冷やしラーメン」(冷やし中華ではない)の類 🤨️。

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メニューはこれだけ

初来店と云うことで、ここはお店オススメの「もつラーメン」(700円)を注文し、セルフでお冷を取って席についた。カウンター席の目の前は厨房になっていて、店主が大きな窯鍋で麺を茹でていた。また注文はカウンター越しに厨房にいる店員に告げるシステムだった。

そんな中、厨房にいたおばちゃんが、注文を聞いたあと、その人の名前を聞いてノートに書き入れているのに気づいた。そう云えば、頭上にはこんな注意書きもあった:

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「注文の際は名前をお願いします」!?

どうやら注文は席ではなく名前で区別し、その名前で支払いを請求しているようであった。自分の場合は名前を聞かれなかったのだが、それは目の前にいるカウンター席だからだろうか:|

自分の背中越しに注文していく人が出始めた頃、注文した品がカウンター越しに出てきた:

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もつラーメン(700円)

あっさり醤油ベースのスープに、まるで素麺かのように白い麺の上にネギと細切りのメンマ、そして主役となる鶏のモツ煮がのっていた。麺は見た感じそのもので、コシは無く、まさに素麺かうどんをすするようにして頂くことができた。主役もモツは固くないのに、しっかりと食感を楽しむことができ、スープにも相性バグツンだった :)

と云うことで「干食」(完食)。店名と電話番号がはいったドンブリは、年季のあるラーメン屋の証である 8)

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ごちそうさまでした!

ドンブリと勘定をカウンターにのせて席を立ち振り返ると、結構な客が席待ちしていた。おそらく既に名前を伝え注文し終えた人たちであろう。

次にきた時は熱〜いスープの中に冷たい麺を放り込んでもらう「ぬるまラーメン」の鶏モツ・トッピングで行ってみよう:D

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

一茶庵支店
山形県新庄市鉄砲町10-3


ここからはオマケ。

初日の午前中はまずJR東京駅から新庄駅まで移動。こちらは(福島駅まで一緒に走行した)E5系はやぶさ。そして山形新幹線E3系つばさ。新庄駅では在来線に乗り入れていた:

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E5系はやぶさ@東京駅

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E3系つばさ@新庄駅

東京駅から乗車してすぐ、買っておいた駅弁(1,300円)を頂いた:

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仙臺名物・炭火焼風・牛たん弁当(南蛮味噌漬け+塩竈の藻塩付き)

弁当箱の底に加熱装置が付いていて、紐を引っ張ると湯気が出るほど温かくなる仕組み。下手すると火傷するくらい一瞬で高温になるなんて、なんとも日本人的な発想と技術である 8)。南蛮味噌漬けは猛烈に辛かったし、温かいおかげで一層美味しくいただけるのは確かなのだが、マジで温かい弁当はちょっと駅弁らしくないと思うのは自分だけだろうか。この仕組みのおかげで御飯は少ないし、値段も割高である。ぜひ廉価版を出してほしいところ :D

そして(はやぶさ切り離しのため)福島駅に停車中の車窓からの風景。吾妻小富士《アヅマコフジ》と一切経山《イッサイギョウザン》の眺め:

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車窓からの眺め@JR福島駅(拡大版)

福島を離れ山形へ向かっている途中、車窓から偶然、南陽市の山火事(当時)であろう煙を目撃した。そこから山形方面まで煙がたなびき、晴れなのに空気が霞んで見えたことを思い出す。こちらは、そんな状況を撮ろうした際に偶然にも写っていた上山城郷土資料館[e]時間の都合で、残念ながら今回は城攻めを断念した 😞️。

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上山城郷土資料館(民家の屋根の上)

新庄駅では在来線のホームに到着。改札口へ向かう途中、秋田行き奥羽本線の701系が停車しているのを目撃:

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701系@新庄駅

次は新庄駅でわざわざ出迎えてれくれたオブジェたち。まずはホームにて新庄市公式のイメージキャラクタである「かむてん」。神室山《カムロヤマ》に住む天狗をイメージしたものらしい:

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かむてん

駅構内には、国重要無形民俗文化財新庄まつりの主役であり、有名な歌舞伎を人形であしらえた山車が展示されていた:

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新庄まつりの山車

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新庄まつりの山車

この山車は実際に、昨年は令和5(2023)年の新庄まつりで練り歩いたものらしい。演目は鬼一法眼三略巻《キイチホウゲン・サンリャクノマキ》」。

そもそもこの新庄まつりの起源は、今回攻めてきた城跡(戸澤神社)と深い関係があるらしい。

そして「きてけろくん」とJR新庄駅の駅舎。きてけろくんは正面からだと分かりづらいが、横から見ると山形県の地形になっているのだとか:

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きてけろくん

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JR新庄駅

濠に囲まれた最上公園には歴史ある建築物が多くあった。その中で県指定建造物になっている天満神社脇に学問の神様である菅原道真公を祀った御堂があり、ちゃんと撫で牛《ナデベコ》がおいてあった:

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撫で牛

こちらは、最上公園近くある新庄ふるさと歴史センターの玄関ホールで見かけた隠明寺凧《オンミョウジダコ》:

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隠明寺凧(小型)

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隠明寺凧(大型)

一つ目の城攻めを終えて、次の城跡を攻めるためJR新庄駅へ向かっている途中に見かけたホテルの案内板。ちょっと興味津々なフレーズだけれど、何が小さいのだろうか?[f]「大浴場」ではなく「小浴場」とか? 😅️

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「日本でいちばんちいさな・セントラルホテル」

この日二つ目の城跡は天童市にあった天童(古)城。最寄りであるJR天童駅のホームや駅舎、その周辺はいかにも将棋の駒の形をイメージさせるようなデザインだった:

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@JR天童駅東口

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@ホーム

天童市の市制施行65周年を記念して建立された、このモニュメントの題字は羽生善治《ハブ・ヨシハル》棋士によるもの:

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駒のモニュメント(令和6年設置)

駅下の天童将棋史料館も、竜王で名人である藤井聡太棋士の活躍にあやかり将棋ブームを一段と盛り上げようとしているようだった(知らんけど):

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@天童将棋史料館

現在、天童城跡の一部は人間将棋でも有名な天童公園になっている。観覧席から将棋盤あたりが天童城の段曲輪だった:

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王将の碑

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観覧席から将棋盤

「王将」のモニュメントの題字は故・大山康晴棋士によるもの。六年前の平成30(2018)年には人間将棋の対局数が2千を越えて(2,362)ギネスに登録された:

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1会場で同時に対局した最多数でギネス登録

天童城の主郭は、この公園ではなく山道を登った愛宕神社が建つ場所である。実際に登ってきたのだが、なんとその境内でカモシカにばったり遭遇した。

軍神を祀る愛宕神社で今回の城攻めの成功を祈願したあと、主郭跡を歩いていると正面に白い物体が目に入った。一瞬、何かの剥製?まさか?と思った:0

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え!? 何かの剥製か?・・・

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・・・白いカモシカだった

色からして熊だとは思わなかったが、それでも一瞬、固まってしまった :D。すかさず撮影するも、特にこちらに驚いていた様子はなかった様に見えた。もしかして人間慣れしているのだろうか。それでも接近して縄張り?に入るのは回避し、早々に城攻めを済ませたあと下山しようとすると、今度は参道口の目の前で此方を凝視している:

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此方を凝視するカモシカ

むむっ。日も暮れそうな時間であり、下山してこの日最後の城攻めをしたかったので、あまり刺激しないようにゆっくり参道口へ回り込んで石段を下りて天童公園へ戻った 0:)

このあとは無事に下山し、天童織田藩[g]大六天魔王・織田信長の次男である信雄の子の系統が天童織田家になる。の政庁があった陣屋跡を巡ってきた。城跡は奥羽本線に分断され、宅地化の波に押しつぶされてしまったので特に遺構はない。そんな中、印象に残ったのがやはりこちらのマンホール。さすが将棋の街。詳細は日本マンホール蓋学会山形県天童市のマンホールを参照のこと:

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天童市の市章

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将棋の駒

 と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also新庄城攻め (フォト集)
See Also新庄藩と戸澤家 (フォト集)
See Also天童城攻め (フォト集)
See Also天童御陣屋攻め (フォト集)

参照

参照
a まぁ、いろいろあったけど 😅️。
b 実際にその日は雨だった 😞️。
c 帰ってきて二週間ほど経つけどまだ疲れが残っている感じ 😥️。
d ぬるまラーメン!?。いわゆる山形県のソウルフード「冷やしラーメン」(冷やし中華ではない)の類 🤨️。
e 時間の都合で、残念ながら今回は城攻めを断念した 😞️。
f 「大浴場」ではなく「小浴場」とか? 😅️
g 大六天魔王・織田信長の次男である信雄の子の系統が天童織田家になる。

フクシマフィフティ − Fukushima 50.

外出自粛中のGWに Amazon Prime 経由で観た

この大変な時期に期間限定で有料ストリーミング(1,900円)で配信されていた作品を自宅の42inモニタで。評価も★4つとかで好評ぽく見えたのだけど、見終わった感想はなんかTVドラマ2時間モノ的な出来だったので残念だった  :|

Fukushima50

まず何を言いたかったのか。何を訴えたいのか。ドキュメンタリーにしては割愛しすぎと思うし、人間ドラマにしては登場人物の描き方がが荒すぎる。さらに、この事件の惨事や人々の悲しみを後世に伝えるという意味では「想定外の津波」が結論ではまったく論外な内容だった。

この作品を作った人達自身が訴えたいテーマを判っていないのではないか :$。どこかの記事でこの映画を観て最初から最後まで泣きっぱなしだったという著名人のコメントを観たが、その心情を全く理解できなかった。

昔観た NHK スペシャル『被曝治療83日間の記録~東海村臨界事故』というドキュメンタリーの方が断然、原発事故や放射能の怖さを理解でき、考えさせられる、というか考えないといけないなぁと思う内容だった。あと最近では HBO作『チェルノブイリ』とか。

個人的に「いちえふ」所長役の渡辺謙の演技もただ怒りまくっているイメージが強すぎて、故人にちょっと失礼だなぁ[a]実際はどうかは知らないけど。としか受け取れなかった。

本来なら★がつくかどうかの評価だけど、実際に「戦い抜いた」当事者の方々に感謝すると云う気持ちを込めて。

My Rating: ★★☆☆☆ (1.5)

参照

参照
a 実際はどうかは知らないけど。

世界の山ちゃん アスティ三河安城店 − A Nagoya Famous Local Food “Tebasaki”.

先週は、令和元(2019)年の暑いお盆休みは『桶狭間古戦場』を巡るため三泊四日の日程で愛知県へ。前半とは天候がうって変わり、三日目の名古屋地方は四国に上陸しそうな台風10号の影響で突発的な雨と強い日差しの変化について行けず、かなり難儀した一日だった。

とは言え、予定していた城攻め5ヶ所のうち1ヶ所を除いて無事に巡ることができて良かった 8)。最後の刈谷城址は公園へ向かう途中で激しい大雨に遭遇して身動きできなくなり、雨が弱まった隙をついて城攻めを諦めてやむなく宿泊先の三河安城駅へ戻ったと云う次第である。まぁ駅に着いたら雨が上がっていたので少し残念な気持ちにはなったが。

ただ新幹線の改札前に大勢の人が集まっていたので、帰宅を翌日に控えていた自分としては気になったので見てみるとJR東海による「台風10号接近に伴う東海道新幹線の運転計画」なるものが貼られていた:

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「東海道新幹線は本数を減らして運行する」とのこと(拡大版)

台風10号は四国に上陸したあとは中国地方を縦断して日本海へ抜けるとの予報になったため、翌日の山陽新幹線と山陽本線の在来線は運転見合わせ、それにより新大阪と東京間は本数を減らした運行になるとのことだった :O。ということで三河安城駅から九州や広島方面へ向かう人たちが予定を繰り上げて帰るかどうか悩んでいるようだった。

東京方面の運転見合わせは無いので、個人的にはそれほど大きな影響は受けないだろうと考えていた。むしろ東京方面へ向かう人たちも繰り上げて今日帰ってくれれば「明日」は空いているじゃないかと楽観していたくらい :D

しかしながら早々に引き上げて時間が余ってしまった「今日」の方が残念。と云うことですぐに宿泊先には戻らずに、駅ビルに入っていたチェイン店の手羽先屋で早めの夕食として飲み食いすることにした。どのみち「明日」は帰るだけなので:

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世界の山ちゃん アスティ三河安城店

このお店は昼間から開いているようで、入店するやすぐにカウンター席へ通してもらえた。ということで10年ぶりに『幻の手羽先』を食することに :O

まずは中ジョッキ(615円)。そして何十年も変化のない取り皿:

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銀河高原ビールジョッキ(615円)

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いつもの皿

それからは、ほとんど「幻の手羽先(一人前5本)」(486円)とビールの注文を繰り返していた記憶がある:

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「幻の手羽先」(486円)

この店で手羽先以外の料理は正直なところ大したことはない :X。しかし手羽先だけだと飽きてくるのでトマトスライス(378円)も注文。冷たいだけで大して美味しくはない。あとマヨキュー(313円)とみそうずら卵フライ(280円)も追加で注文した:

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「トマトスライス」(378円)

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マヨキュー(313円)とうずらフライ(280円)

って感じで手羽先を食い散らかして終了。帰りはお土産に「手羽先棒10本入」[a]うまい棒と山ちゃんのコラボ品(324円)。を購入して精算した。まぁ「どこでも変わらぬ味」は「飽きも早い」と云うことか :D。結局は宿泊先で洗濯しながら飲み直す羽目になってしまったが。

世界の山ちゃん アスティ三河安城店
愛知県安城市三河安城1丁目 三河安城駅構内


ここからはオマケ。

これは、今回の城攻め中に発見したローカル自販機の飲み物で、伊藤園の「一日分のビタミン SPARKLING」(100円)。炎天下を歩きまわって水分補給してもすぐに汗になって出てしまうのは仕方がないが、その際にしっかりと栄養分を補給することができた上に微炭酸で口当たりもよく美味しかった 8)。ぜひ関東圏でも販売して欲しい:

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伊藤園の「一日分のビタミン」(100円)

この日は台風の影響を気にしながら名古屋市内に残る城跡を巡ってきた。まずは清洲城

清洲城の模擬天主(拡大版)

宿泊先の三河安城から新清洲までやってくると雲の流れが速く雨になりそうな予感がしたが、案の定、模擬天主の中の博物館を観覧している最中に突然、強い雨が降ってきた :O。しばし庭園脇の休憩所で雨宿りをして次の城跡へ向かった:

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未だ晴天だった時の清洲城周辺

こちらは清洲城近くを流れる五条川で見かけた鷺:

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五条川で見かけた鷺

清洲公園には桶狭間出陣時の信長公と濃姫の銅像が建っていた:

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濃姫像

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信長公像(拡大版)

こちらは豊臣秀吉こと木下藤吉郎の右腕であった蜂須賀小六公の墓所で菩提寺でもある蓮華寺にて顕彰碑:

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「蜂須賀小六正勝顕彰碑」(拡大版)

このお寺もまた蜂須賀城の一部だったとか。で、この時に境内を横断していたミドリガメに遭遇した。台風による雨を察知したのかどうかは不明だが、蜂須賀小六公の墓所を参拝して戻ってきた時には居なかったので、境内の池に無事に辿り着いたと思われる :)

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ミドリガメ

こちらは勝幡(しょばた)駅前に建っていた織田信秀・土田御前、そして吉法師の家族ぐるみの銅像。この街に近くにあった勝幡城は信長公が誕生した場所とされている:

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「織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の信長」の銅像

こちらが現在の勝幡城跡。特に遺構はない:

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勝幡城址

最後は知立城跡。と言っても現在は児童公園:

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「知立古城址」の碑

知立は旧東海道の39番目の宿場町で往時は池鯉鮒宿(ちりふしゅく)と綴っていた:

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東海道・池鯉鮒宿跡の碑

そして、この日の最後の目的地である刈谷市駅を下りたあたりから、だいぶ空模様が怪しくなってきたので急遽、コンビニに立ち寄って傘を購入した。で、コンビニをでて数十歩歩いたところで突然の土砂降り。数メートル先が見えないくらいの強い雨だった :$

30分近く雨宿りしたが止みそうもないので刈谷城址行きは諦めて宿泊先がある三河安城へ戻った。これは駅構内に展示されていた安城市のジオラマ:

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「愛知県安城市」のジオラマ

帰宅する翌日も朝から雨が降ったり止んだりの落ち着かない天気。帰省ラッシュにぶつからないように早々にチェックアウトして三河安城を朝9時前に出発するこだま636号で乗り換えすることなくそのまま午前中のうちに無事帰ることができた:)

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こだま636号

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突然の雨

この時のフォト集はこちら:

See Also清洲城攻め (フォト集)
See Also蜂須賀城攻めと蜂須賀小六公菩提寺 (フォト集)
See Also勝幡城攻め (フォト集)
See Also知立城攻め (フォト集)

参照

参照
a うまい棒と山ちゃんのコラボ品(324円)。

Shin Godzilla.

観てきた。それも MX4D というオプション付きで。

ちなみに邦題は「シン・ゴジラ」。Made in Japan の「ゴジラ」としては約12年ぶりだとか。と言っても前作は観ていない。その間に輸入盤を観た記憶があるが「文化」のギャップが如何に大きいものだったのかを思い知らされた記憶がある :(。で、今作は純粋に「現代日本」が制作したゴジラがどうのこうのよりも、かなり前評判が高いことが「気になっただけ」で劇場へ足を運んでみただけなんだけど:X。そんな心構えだったので、上映時間119分があっという間で観終わったら充実感があった。やっぱり、これは怪獣映画というよりは Disaster Movie なのだろう。このところ悲劇的な災害をたて続けに経験している日本人としては「Blackbox 的な世界」を知ることができて、ちょっと安心したというか、情報を共有できたというのがストレートな感想だった:

シン・ゴジラ

災害時、ニュースでは知ることができない裏側、例えば自衛隊、政治家、自治体なんかの動きを「見る」ことができたのでなんかちょっと安堵した。現実はもっといろいろ台本以外のことが起こるから、映画のように思い通りにはならないと思うけど、ある程度の外部の動きを予測できれば、実際の災害時の行動に役に立つだろうと思ったり。でも、個人的には娯楽映画のゴジラを見たかったなぁ。

で、今回つけてみたオプション(+1,200円)だけど、映画鑑賞にしてはちょっと大げさな Experience ではあったかなぁ :|。こちらはMX4Dで鑑賞する際の諸注意。荷物は絶対にロッカーに預けるべき。不意に椅子が飛び跳ねるので、たとえ膝の上に置いておける位のモノでもロッカーの利用を強くオススメする;):

MX4D鑑賞にあたっての注意事項

シートはこんな感じ。通常のシートより視線が高くなる:

四席が一つの台の上にあり、連動して動く

シートからの視線はこんな感じ

ゴジラが登場している時は水しぶきを何度も浴びることになる。あと、意外とトイレに行って戻ってきて、いざ座ると突然動き出す、なんてことがあるので注意した方がよいかも  =)


こちらはオマケ。シン・ゴジラでも撮影協賛しているミドリ安全の「備蓄保存用パン・ミドリのサバイバルパン」。但し、賞味期限切れ:P

ミドリのサバイバルパン

 

Tour of San-in Region in 2014.

昨年は2014年の8月初めの週末を利用して、島根県は安来(やすぎ)市にある月山富田城と、同じく鹿足郡津和野町にある津和野城を攻めてきたのだけれど、残念ながら後半は天候に恵まれず、台風の影響のため津和野城攻めの方は中止する羽目になってしまった。
どちらも別宅のある広島からだと地理的にも交通の便が良くないので、そうそう行ける機会がないのだけれど、まぁ天気ばかりは如何ともしがたく、とても残念な思いをした;(。加えて、津和野町あたりは、その前年の大豪雨で阿武川の橋梁が流出したり、土砂崩れでトンネルが不通になったりして、当時も依然として復旧作業が続いていたということで、行きはJR山口線の益田から津和野までは電車で行くことはできたものの、帰りは津和野駅から振替高速バスで新山口まで移動した思い出がある:$

そんなことで、まずは初日は別宅のある広島から岡山を経由して島根県安来へ移動した。この時も雨が降っていてなんとも先行きが不安だった。
で、これは広島駅で目撃したJR西日本とJR九州の新幹線:

JR東日本のN700系

JR西日本+JR九州のN700系新幹線

岡山からは特急やくもで伯備線の安来まで移動した:

381系特急やくも

こちらは岡山駅で見かけた117系サンライナー。岡山と福山間の快速列車:

117系SUNLINER

山陽新幹線に乗っていた時は大雨だったけれど、安来に着くと雨は上がっていた:

JR安来駅

島根県で最も東にある安来駅で見かけたローカル列車たち:

キハ40系普通列車

キハ126系普通列車

島根県安来市は「やすぎどじょう」と「どじょうすくい」が有名で、町のキャラクターである「あらエッサくん」がアチラコチラにいた:

安来駅構内に飾ってあった「あらエッサくん」

駅前のロータリーにいた「あらエッサくん」

こちらは「すくい愛」をモチーフにした(?)「安来節の像」:

安来節のモニュメント

記憶に無いのだけれど、ゆるキャラの「しまねっこ」なんかも写真に収めていた:D

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で、月山富田城がある広瀬町へは駅前から安来市が運行しているイエローバスというマイクロバスで移動した。

これは広瀬町を流れる富田川こと高梨川からみた月山富田城と月山県立自然公園の案内図:

月山富田城址

月山周辺は自然公園になっている

高梨川の広い川岸は三日月公園として整備されていた:

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お昼は、隣に安来市立歴史資料館のある道の駅で済ませた。カツ丼かなにか食べた記憶がある:

道の駅に併設されていた喫茶「藍」

ひとまず一日目の富田城攻めは、なんとか天気が保ってくれたので助かった〜 8)。イエローバスで再びJR安来駅へ戻り、この日は松江市のホテルに一泊した。最上階に温泉があるホテルで、自分一人だけしか入っておらず、夜景を背景に松江城の眺望を楽しんできた。

翌朝は8:36amのスーパーまつかぜ1号で松江から益田へ移動した:

松江から益田までスーパーまつかぜ

まだこの時は雨は降っていなかったが、益田に着いたあたりから本降りになっていた。こちらは益田駅から山口線に乗り換えた時に乗ったキハ47系:

益田駅から乗り換えたキハ47系気動車

津和野に到着したキハ47系気動車

 

そして、その他の電車たち:

益田駅にて。キハ126系。

国鉄時代の小郡保線区067。津和野駅にて。

益田から40分ほどで津和野へ到着したのだけれど、こちらも本降りで止む気配が全くなかったので、この時点で城攻めを諦めた。当初の予定としては、駅前にある貸自転車屋で自転車をレンタルして鯉料理をお昼に食べて、津和野城址の入口であるリフト乗り場まで移動して城攻めする計画だった:

津和野駅の駅前。左下にあるのがレンタルサイクル屋

ということで、改札を出て駅窓口へ行き、早々にJR山口線の振替高速バス(津和野駅から新山口駅まで当時3670円)を予約購入した。バスは1時間後に出発ということで、時間をつぶすために駅前を中心にぶらぶら観光することにした。

山に囲まれた津和野の町は、山陰の「小京都」と呼ばれており、写真を見てもわかるように、ほとんどの家の屋根が朱色になっている。そして、何よりもSLの街として知られており、津和野駅前にはD51型蒸気機関車が展示されていた:

D50型の改良型であるD51型蒸気機関車

昭和11(1936)年から同19年まで製造された

現在は全国に181両が静状態で保存されている

それから駅通りを西へ歩いて、津和野郵便局あたりから青野山を眺めたところ:

正面が青野山

本通りには地元の商店街の他に観光向けのお店や、保存された武家屋敷などが立ち並んでいた。さらに、本通りの正面には津和野城址が・・・:O。うーん、つくづく恨めしい天気だと思った:

本通り。正面の山が津和野城址。

ホント、京都っぽい町並みで情緒豊かな通りだった。あと、地酒屋が多かったなぁ。こちらは老舗っぽい蔵元「古橋酒造」:

杉玉を吊った古橋酒造

古橋酒造の初陣

さらに津和野は城下町の時代から鯉が飼われていたとか。それ以来、街全体では人口を越える鯉が住んでいると云われている:

大きな鯉

大きな鯉

大きな鯉

本町通りを抜けて、殿町通りに入ると津和野川が見えてくる:

津和野川と青野山

津和野川と津和野大橋

津和野川沿いに建つ津和野共存病院

こちらにも鯉のオブジェや鷺舞の像といったものがあった:

鯉のオブジェ

津和野大橋を渡って郷土館の前に立っている松の木:

郷土館の前の道路に建っていた松の木

津和野橋と並行に走っているJR山口線:

津和野川とJR山口線

そして、その向こうに見えるは津和野城址:

石垣は津和野城の三ノ丸跡

駅に戻る時に立ち寄った「城下町の小さな農家レストラン ちしゃの木」という喫茶・軽食屋さんでは無農薬の栗を使った料理が豊富で、ここで栗モナカ(アイス)を食べた。人懐っこい店のおばさんから栗羊羹を味見させてくれた。なかなかの美味だったのでお土産に購入した。栗の木は虫がつきやすく、無農薬で育てるのは、それはもう大変なんだとか:

無農薬の栗を使った羊羹

こんな感じで、津和野川を越えたところまで行って戻ってきただけの、ちょっとした観光で時間をつぶして、JRの代行バスに乗って津和野をあとにした。

バスに乗って山陰道を走って、遠くにある津和野城の三ノ丸跡を眺めていて、城攻めできなくてホント残念だったのだけれど、実は今年は2015年の3月に一ヶ月ほど広島出張があって、そこで改めて津和野城を攻めることができた。この時はJR山口線も完全復旧し、おまけにSLやまぐち号にまで乗れるという幸運にも恵まれた=)。そう思うと、この時はこれでよかったんだなぁと思ったり。