Castles in Japan」カテゴリーアーカイブ

米吾の吾左衛門鮓 − Komego Oshi-zushi.

一昨年は平成27(2015)年の春に広島出張があって、その週末に鳥取県の米子城を攻めてきた。米子市訪問は自身初。米子城跡は、この前年の広島出張でも攻めたかった城の一つであったのだけれど、当時の宿泊場所からはあまり交通の便が良くなかったため、日帰りの城攻めとして躊躇したと記憶しているが、この当時は広島と米子の間の高速バスが充実していたこともあり迷わず攻めてきた:D

そして城攻めを終えて、遅めのお昼を摂ろうとJR米子駅まで歩いてみたのだけれど米子ゆかりの御食事処を見つけることができなかった。仕方がないので駅構内で何か軽く食べれないかと歩いていると、米子市観光案内所の横に「米子伝統の味」なる吾左衛門とか云うお店があり、蕎麦なんかが食べれそうなので入ってみた。

入った時は蕎麦一杯くらいで良いかなぁくらいに考えていたが、それでも帰りはまたバスで3時間かかるので、ここはお腹にたまりそうな併せ物の「吾左衛門鮓付そばセット」を注文した:

吾左衛門鮓付そばセット(650円)

かけ蕎麦はごくごく普通の立ち食い系ソフト麺。で、単に付け合せレベルだと思った鯖の押し寿司が予想外に絶品で驚いてしまった:)

まるで生寿司を食べている間隔だった

鯖ということでやや脂っこいかなと思っていたけれど、「酢」が違っていたようで、まるで生寿司食べているような感覚で美味しくいただけた。脂は乗っているのだけれど、酢で占めた昆布がいい味を出していた。

そんなことで、ついつい店先でお土産に一本購入してしまった:

吾左衛門鮓 鯖(1774円)

包装を剥がすとこんな感じ。昔ながらに昆布で巻かれていた:

吾左衛門鮓 鯖

一応、小さなプラスティック製のナイフが付いているので食べやすい大きさにカットして食べた。後で調べてみると、どうやら透明なフィルムをつけたままカットするのが正しい方法らしい:P

附属の出汁醤油を付けて頂く

酢が脂を程よくさっぱりさせてくれる

ということで軽く1本ペロリと食べてしまった:D。これもまた後で知ったのだけれど、その昔豚一家も食べていたようだ。

吾左衛門鮓 JR西日本米子駅
鳥取県米子市弥生町2

うなぎ桜家 − A Grilled Eel Restaurant Started in 1856.

先週は、平成29(2017)年2月末日に静岡県三島市近郊にある城を攻めてきた。城と言っても共に宅地化が進んだ街の中で市民の憩いの場となり、遺構のようなものはほぼ残っていない所ではあったが、久しぶりに暖かい週末の城攻めと云うこともあって、のんびりと散策してきた;)。そして、ちょっと遅めのお昼を伊豆箱根鉄道の三島広小路駅すぐ近くにある安政3(1856)年創業の有名な鰻屋で食べてきた。人気店ともあって行列は必至と予想していたけど、15:00と云う遅めの時間だったからか30分も待たずに入ることができた[a]店の前で記名した時には1時間以上待ちと云われたが、これは店側の配慮だろう。

うなぎ櫻家

どこもそうだけど店の外で待っている時は鰻を焼いた時の匂いが良い具合だった。そして、お店は予想外に大きく、中にはたくさんの客がいたが、店員も多かった。1Fのテーブル席の他に2Fと3Fに御座敷があった。

今回はビタミンA補給に奮発して鰻3枚の重箱(お吸い物・香の物付き)と瓶ビールを注文した。やっぱり鰻屋はジョッキではなく瓶ビールとコップが合っているなぁ :D。そして鰻がくる5分ほど前に肝吸いと香の物が運ばれてきた。これは計算されているっぽい:

最初に香の物と肝吸いがくる

小ぶりな肝だったけど、玉子焼きが入った出汁は美味しかった:

肝吸い

そして堂々と登場の鰻3枚が乗ったお重箱:

うなぎ(3枚)重箱 (4,950円)

身は思ったほど厚くはなく、ちょっと小骨が多かったが、これが三島流の鰻と云うものなんだろうか。まずはタレをかけずに鰻→御飯→鰻→御飯という感じでしっかりと味わった。そのあとは備え付けのタレを軽くかけ、山椒をふって御飯と一緒にモリモリ食べた。メニューには書いていないけど、オプションで御飯大盛りってのもあるようだ:

うなぎ(3枚)重箱

ホント焼き具合と照り具合は絶妙で、やはり老舗店だった。

うなぎ桜家
静岡県三島市広小路町13-2

 


ここからはオマケ。

この日、最初に攻めた戸倉城跡(現在の本城山公園)の展望台から眺めた富士山。この時は雲がかかって拝めなかったが、手前の愛鷹山(あしたかやま)は見事だった:

本城山公園の展望台からの眺め

この公園がある丘陵は狩野川に囲まれていた。その川で見かけた鵜(う)。回りに幼鳥が泳いでいたから母親だろうか、周囲を警戒していた:

狩野川で観た鵜

こちらは泉頭城跡(現在の柿田川湧水公園)で見かけた桜。東海地方はもう桜の季節である:

八分咲きの桜

八分咲きの桜

園内にあった休憩所で「豆腐アイスクリーム+桜色」(250円)なるものを食べた。ホントに豆腐味だった:

桜色の豆腐アイスクリーム(250円)

そして自然公園らしく、こんなのも置いてあった:

柿田川湧水公園にて

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also戸倉城攻め (フォト集)
See Also泉頭城攻め (フォト集)

参照

参照
a 店の前で記名した時には1時間以上待ちと云われたが、これは店側の配慮だろう。

ラーメン屋あす流 − The Salt Ramen is the Standard One Here.

こちらは、先週は平成29(2017)年のまだ寒い時期に大阪へ出張し、そのついでに大阪府高槻市と京都府長岡京市にある城を攻めた際に食べたラーメン。 残念ながら前日からの願い虚しく、城攻め当日の天気は激しい雨に加えて極寒だった;(。とは言っても、せっかく来たので城攻めは決行。午前中は大阪の高槻城跡、午後は京都の勝龍寺城跡。共に宅地化の波にのまれて、ほとんどと言ってよいほど遺構は残っていない城跡。しかしながらボランティアの方々の案内もあって、それぞれ貴重な話を聞くことができたのは良かった;)。 で、高槻城址公園から次の城がある長岡京市まで移動する合間にお昼を摂ろうと、ちょうどJR高槻駅と阪急高槻市駅との中間にあるラーメン屋あす流へ。前評判が高いラーメン屋で、平日は夜のみの営業ながら日曜日のみ昼間の営業といった具合に、もし知らずに行ったら後悔しそうなかなり変則的なお店:|。さらに目立った看板が無くて、若干迷ってしまい開店直後には辿りつけなかったが、ありがたいことにさほど行列にはなっていなかった。 そしてこちらがお店。店名の「あす流」の文字はなく、ラーメン印の看板だけだったので、列に並んだ時は焦ったけど:O

ラーメン屋 あす流

それでも自分の前には3名ほど並んでいた。ドア越しに店内を見てみるとカウンタ席のみっぽい:

IMG_5072.resized

ただ一言「ラーメン屋」とだけ

待つこと20分ほどで、中から食べ終わった客が出てくるのだけれど一向に呼ばれない。なんか大丈夫かなぁと思っていると自分を含めた4名が一気に呼ばれて店内へ。見ると店員が一人だけで、調理と接客とで大変な忙しさだった:O。納得。で、メニューを見ると書かれていたのは塩ラーメンと醤油ラーメンの他には叉焼丼くらいだった。麺の具合や大盛り[a]替え玉はOKらしい。はお断りとのこと。そして「当店の基本の品は塩ラーメンです」という文字が。それならばと塩ラーメン(750円)を注文した:

塩ラーメン(750円)

二種類の叉焼がのったホントにシンプルな塩ラーメンだけれど旨い。スープが旨い。デフォルトで麺細めの固めなので、自分としては特に注文をつける必要はなかった。この寒い日にしっかりと最後までスープを飲み干すことができたので、このまま温かい気持ちで次の城攻めに行くことができた;)。あと忙しそうだったので、お代を払うタイミングが難しかったけど。 で、更にありがたいことに店を出ると雨が上がっていた。

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

ラーメン屋 あす流
大阪府高槻市紺屋町8-30 2F


ここからはオマケ。
JR東海道線の高槻駅ホームにはホームドアが設置されていたのだけれど、なにか踏切みたいに上下に昇降するタイプで、さらに接近センサーが付いていて近づき過ぎると声とアラームで警告される仕組みだった:

珍しいホームドアのタイプ

そして今年の干支である鳥たちにもいろいろ出会った。これは雨の高槻城址公園で見かけたアオサギ:

アオサギ

こちらは勝竜寺城公園で見かけた鳥。名前は不明。何かの幼鳥だろうか?:

これは何という鳥だろう?

最後に善峰川に架かる大門橋:

大門橋

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also高槻城攻め (フォト集)
See Also勝龍寺城攻め (フォト集)

参照

参照
a 替え玉はOKらしい。

麺匠・慶次 − A lunch of Osaka Business Trip.

こちらは一昨年は平成27(2015)年のはじめに大阪へ出張した時のとある日のランチ。出張先はちょっとしたビジネス街で、昼どきは商業タウンぽい趣の場所にビジネスマンが大勢いた。

その中でIMP(松下IMPビル)と云うビルの1Fにあった麺匠慶次で、塩豚ラーメンと御飯セット(900円)、それから焼餃子(300円)を注文した。:

塩豚ラーメンと餃子のランチセット(1200円)

お店的にはつけ麺がオススメらしかったが、お昼どきで行列していたので、すぐに出来そうな日替わりランチにした。うーん、味が濃すぎて塩辛かったと云う以外にこれといって特徴はなかったなぁ:O

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

麺匠・慶次
大阪府大阪市中央区城見1-3-7 松下IMPビル1F


この時の出張先はなんとその前の年に攻めた大坂城が目の前だったということで、毎朝出勤するのが楽しみだった;)

第二寝屋川ごしに眺めた大坂城天守閣(復興)

洋食屋キッチン・ゴン − Pine Rice Garlic Taste.

一昨年は平成27(2015)年の初めに仕事で大阪まで出張する機会[a]それも大坂城のすぐそば。この出張は大変有意義だった。があり、自身としては二度目[b]一度目は高校時代の修学旅行だった。となる京都で、今から400年以上も前に起こった「本䏻寺の変」にまつわる織田信長のゆかり地を巡ってきた。午前中は旧本能寺で亡くなったとされる織田信長公と主従らの墓所や公の菩提寺などを見て回ってきた。残念ながら大部分が拝観謝絶だったが:|、それでも他の戦国武将の菩提寺や自身としては人生初めてとなる「本物の」日本庭園を見ることができた。

午後は京都御所近くにある旧二条城跡や旧本能寺を見る予定だったので、地下鉄烏丸線で丸太町へ。お昼にはちょっと早かったが、今回の出張で大阪の人に勧められた京都御所近くにある洋食屋で「ピネライス」なるものを食べることにした。ピネライスは京都人で知らぬ人はいないB級グルメらしい。ということで丸太町駅から広大な敷地を持つ京都御所を横切って丸太町通りと河原町通りの交差点近くにある洋食屋キッチン・ゴン 御所東店へ。肉系の洋食屋ということでメニューを見るとステーキやハンバーグが主流。ピネライスの方はと云うと、なにやら味付けいろいろあるようで、午後もしたすら歩き回る予定だったので今回はノーマルなピネライスではなくガーリック味の「テキ」が上にのっているテキ・ピネライスを選択してみた:

ガーリック・テキ・ピネライス(1380円)

この「テキ」はステーキの略らしい。こちらは数量限定だった。一般的なピネライスは、カウンター席の両脇の人が食べていたのをみるとカツカレーのようだった。まぁこっちはこっちで、がっつりと肉と炭水化物でエネルギーを補給することができた。ちなみにご飯はチキンライスではなくチャーハン。不思議と福神漬けの相性が良かった:

ガーリック風味のステーキがのったピネライス(一日限定)

キッチン・ゴン 御所東店
京都府京都市上京区河原町通丸太町下るオーキッド山下1F


ここからはオマケ。

こちらは上京区上御霊前通り近くにある御霊神社(ごりょうじんじゃ)。信長公の墓所がある阿弥陀寺へ向かう途中にあった:

御霊神社

この神社は、応仁元(1467)年に畠山政長が御霊の森に陣をおき、畠山義就と戦いを交えたのが応仁の乱の発端となった場所らしい。大乱のわりには小さな碑だった:

「応仁の乱勃発地」の碑

こちらが応仁の乱勃発の地の由緒。この乱は室町時代は応仁元(1467)年に勃発し約10年間続いた上に、京の都が灰燼に帰す元凶となった守護大名同士の内乱。その後、応仁の乱は地方にも飛び火し、関東でも古河公方と関東管領上杉氏、太田道灌、長尾景春、伊勢新九郎(北条早雲)らを巻き込んだ騒乱に影響を与えた。そして日の本の国は下剋上による戦国時代に突入していった…:

この場所が応仁の乱の勃発にゆかりがあるのだとか

そして、こちらは信長公の菩提寺である大徳寺・総見院へ向かう途中、堀川通り沿いで偶然にみかけた紫式部の墓所:

紫式部の墓所入口

平安時代中期の学者で女性作家、歌人。源氏物語の作者と考えられている。本名は不詳で、「式部」は官位と云われている。また没年も不詳で、現在伝わるのは全て推定なのだとか:

紫式部の墓所

紫式部の墓所の隣には小野篁(おの・たかむら)と云う平安時代の公卿で文人の墓もあった:

小野篁の墓所

最後に京都御苑。と言ってもキッチン・ゴンへ行く際に横切っただけだけれど、砂利の道を歩いていると不逞浪士が居ないかついつい周囲を気にしてしまう[c]お前は壬生浪士か?:D

京都御所南側の大通りから眺めた建礼門

こちらが京都御所の南門にあたる建礼門。檜皮葺、切妻造の四脚門である:

もとは平安京内裏の外郭門の一つだった建礼門

建礼門

こちらは仙洞御所附近。江戸時代の始めに皇位を退かれた後水尾上皇の御所として建てられた。現在は庭園になっている:

仙洞御所附近で、この先は大宮御所

仙洞御所附近で、この先は寺町御門

全ての御門を見てきたわけではないけれど、旧二条城の敷地近くには、かの有名な蛤御門があった:

蛤御門

元治元(1864)年、この門の周辺で長州藩と御所の警護にあたっていた會津・薩摩・桑名藩との間で激戦が行われた(禁門の変)。名前の由来は、江戸時代の大火で、それまで固く閉じられていた門が初めて開かれたため「焼けて口開く蛤」にたとえて蛤御門と呼ばれた:

蛤御門

門の梁には、禁門の変(蛤御門の変)当時の鉄砲の弾傷らしき跡が残っている:

蛤御門の柱には弾跡らしきものが残っていた

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also織田信長公墓所と本能寺の変 (フォト集)
See Also大徳寺散策と細川家墓所 (フォト集)

参照

参照
a それも大坂城のすぐそば。この出張は大変有意義だった。
b 一度目は高校時代の修学旅行だった。
c お前は壬生浪士か?