Castles in Japan」カテゴリーアーカイブ

道寸まつりと笠懸 – Memorial Service of Yoshiatsu MIURA.

2016年5月末に、神奈川県三浦市で道寸祭り〜笠懸が開催されたので行ってきた。
本来の目的は、いつもの城攻め。その昔、源頼朝の鎌倉幕府創設に貢献した三浦氏は現在の三浦半島一帯を支配し、その最後の当主・三浦義同(よしあつ、法号は道寸)の居城だった新井城址は、本丸が東京大学三崎臨海実験所の敷地になってしまっていて普段は立ち入ることができない。しかしながら、毎年一回開催される道寸祭りでは特別に一般公開されるという貴重な機会でもある。
加えて、この2016年という年は三浦道寸・荒次郎父子が北条早雲との戦いで討死して500年が経過したという節目の年でもあり、今回の道寸祭りでは三浦一族を偲ぶ供養祭も開催され、さらに三浦氏が永らく伝えてきた「笠懸」のイベントも披露されるということで城跡以外にも見所が多く楽しめた。
この日の横須賀近辺は晴天で夏日。気温も高くて、半日を砂浜で過ごした結果かなり日に焼けてしまった。

京急三崎口からバスで20分ほどの終点の油壺で下車。そこから油壺マリンパーク方面に道沿いを5分ほど歩いて行くと道寸まつりの会場入口に到着。ここは、もともとは荒井浜海水浴場へ降りていく入口にあたるようだ:

R216沿い荒井浜海水浴場への入口

ここから左手に油壺湾を見ながら海水浴場へ降りていく:

油壺湾

そして右手にどーんと開けて見えてくるのが荒井浜海水浴場で、本日の供養祭と笠懸の会場である:

荒井浜海水浴場

荒井浜海水浴場

そのまま階段を下りて浜へ移動すると会場の設営やら準備が行われていた:

道寸祭りの会場

ちなみに、上の写真の奥にみえる森の部分が新井城跡で、海側は急崖になっていた。
そして、こちらは今回の笠懸に参加する馬たち:

笠懸に参加する馬

笠懸(かさがけ)は、平安末期から鎌倉・室町時代にかけて流行した流鏑馬(やぶさめ)、犬追物(いぬおいもの)と並ぶ日本の三大古弓馬術の一つ。源頼朝が三浦三崎遊覧の際、笠懸が催され、三浦義澄、和田義盛等、三浦一族は弓上手として知られていたとか。今回の演武は武田流弓馬道一門によるもの。そのため武田菱がたなびいていた。

これは笠懸のコース。写真中央あたりのテント内で三浦道寸・荒次郎父子と三浦一族の供養祭が執り行われるという:

設営されていた笠懸のコース

お昼すぎからの供養祭にはじまり、和太鼓演奏、横須賀開国甲冑隊披露、立身流兵法の演武などが続く。これは甲冑隊披露で、笠懸で使うコースを練り歩いていたところ。予想外の炎天下でご苦労様です:

横須賀開国甲冑隊の披露式

横須賀開国甲冑隊の披露式

ほら貝を吹くパフォーマンス

これは笠懸の的で、コースの左と右の場所に二個ずつ(立的と坐的)合計四個あり、馬に乗った射手が最初は左手から、次は右手から、あるいは馬を乗り換えたりして交互に演武を行っていた:

笠懸の的

笠懸の的

こちらは三浦一族の供養祭の模様:

道寸没後5百年忌の供養祭

そして、笠懸を行うまでの儀式がたんたんと続く。こちらは馬や射手のお披露目や、馬場のお清めなど:

笠懸が始まるまでの儀式

笠懸が始まるまでの儀式

馬が五頭、射手は八名くらいいたような。代わりばんこに演武を披露していた:

射手のお披露目

馬と射手のお披露目

射手のお披露目

射手のお披露目

お披露目が終わったら、そろそろ始まるはず・・・

お昼から始まった供養祭から、二時間ほどが経過してやっと笠懸の演武が始まった:

演武(第一回戦)

演武(第一回戦)

演武(第一回戦)

浜の左手から馬を駆けて矢を射ち右手へ、次に右手から同様に馬を駆けて矢を射って左手へ移動する演武が二回行われた。

演武に見入る観客たち

演武に見入る観客たち

砂浜で思うような演武ができていないケースが多かったけど、初めて間近にみる笠懸は迫力があった。まぁ、演武の結果は拍手喝采というよりは、どちらかと言うとため息の方が多かったような気もする :X

こちらは見事に的を射えたシーン:

お見事!!

二回戦は砂浜右手から、一回戦よりも低いところにある的を射る:

演武(第二回戦)

演武(第二回戦)

演武(第二回戦)

女性の射手も参加して健闘していた:

女性も演武していた

そして季節違いの日焼けを被って道寸祭りの会場をあとにした。

こちらは油壺湾とは逆側(北側)の小網代湾に面した胴網海岸の風景。三浦半島は長い歴史の中で陸地の隆起が激しい場所のようで、三浦道寸の時代と今の時代とはかなり地形(高さ)が異なるものだとか:

胴網海岸の急崖

この急崖の上に三浦道寸の供養塔があり、この日は参拝者が絶えなかった。北条早雲に敗れはしたものの、武勇絶倫ながらも歌道にも通じる文武両道の道寸を慕う人気は今もなお高かった8)

三浦道寸の供養塔が建つ崖

胴網海岸

See Also新井城攻め (フォト集)

 

小田原で目撃した電車など – Local Trains and so on at ODAWARA City.

もう一昨年近く前だけれど、小田原付近にあるこの城あの城を攻めに行った時に見た電車や街の風景など。

それまで、小田原の街には一度だけ車で行ったことがあるけど、実際に小田原駅で乗り降りしたのは、この時が初めて。行きは横浜から特急「踊り子」号に乗り換えして30分ほどで小田原に着いた記憶がある:

JR東日本の185系特急「踊り子」

JR東日本の185系特急「踊り子」@横浜駅

こちらはJR小田原駅に乗り入れている伊豆箱根鉄道:

伊豆箱根鉄道の5000系 (大雄山線)

こちらもJR小田原駅に乗り入れている小田急電鉄:

小田急電鉄の1000系(箱根登山塗装)

小田原城址公園の二の丸堀で見かけた鴨:

二の丸堀で見かけた鴨

そして小田原市のマンホール蓋:

小田原城と酒匂川の渡し、箱根連山、霊峰富士

そして、こちらは石垣山一夜城歴史公園へ行く途中の農道沿いで実っていたデコポン”

石垣山農道沿いで実っていたデコポン

石垣山農道沿いで実っていたデコポン

同じく石垣山農道からの相模湾の眺め:

石垣山農道からの相模湾の眺め

最後に、これは石垣山一夜城の西曲輪跡でみかけた彼岸花:

彼岸花

広島出張 2014 – Hiroshima Business Trip in 2014.

一昨年の2014年の秋に入ろうとする時期に広島出張が終わって自宅へ戻ることになり、それまで一緒に広島で仕事してきたお仲間とここでオススメしたお好み焼き屋へ行ってきた。仕事も生活も色々な面で大変だったけど、知り合いになれたことも含めてお互いに感謝しつつ、良い思い出ができたということで=)。この時の自分はお気に入りの「ダービースペシャルに山芋トッピング」を頂いた:

皆、思い思いのトッピング

自分は山芋トッピング

ここのお店が一番美味しかった

いろいろ大変だったけど・・・

いや、まだまだ続くなぁと

お好み焼き そばらいファーム
広島県広島市佐伯区藤垂園6-10


 

これは、とある広島市内の風景。半年間の出張だったけど、感慨深いのは仕事を含めて、知らないことや見たことのないものに触れることができたということか;)

広島は山が多く、この辺りは全て埋立地

その中でも、やはり一番の収穫は城攻め。写真やテレビで見るだけなら、特にここまでハマらなかったな。やっぱり自分の足で歩いて、目で見るとでは大違い。もしかしたら二度と行くことはないような場所へ行ったり、初めて食べた料理だとかも印象深いし8)。こっちに戻ってきた今でも城攻めは欠かせない。

初めて触れた広島の文化

広島の地元ファンもスゴイ

 

仕事はまだまだ長く続きそう(現に続いているの)だけれど、広島の文化や生活感は新鮮でなかなかよかった。ホント、広島は地元愛はスゴイねぇ =)

jR広島駅構内で

いろいろ大変だったけど・・・

Thank you, Hiroshima and See you again.

 

愛媛県大洲・宇和島旅行 – Tour of Ōzu and Uwajima Cities in 2014.

今となっては一昨年の、2014年の夏の終り、広島での長期出張を終えるということで、中四国地方で最後に見ておきたかった城攻めとして山陰の米子城や萩城と迷った挙句に、天気の良さそうな四国の大洲城宇和島城を選択した。スケジュールとしては、初日の午前中に四国へ渡り、午後に大洲城攻め、それから宇和島へ移動して一泊し、次の日の午前中に宇和島城攻めし、午後に広島へ戻るといったもの。

まず別宅を6:30amに出発して広電で広島港・宇品へ移動。この出張では広電にホントにお世話になりました ;):

広電5100系グリーンムーバーマックス

広電5100系グリーンムーバーマックス

四国の愛媛と広島間は、その年のGWに伊予松山城攻めした時と同様、広島港と松山観光港を結ぶスーパージェットで移動(渡海)した。ちなみ運行会社は、前回は石崎汽船で、今回は瀬戸内汽船。こちらは広島港のスーパージェットの桟橋:

正面に見えるのは江田島

松山観光港発の便が来るらしいので、この桟橋で待つことにした:

松山観光港発広島港行の便

桟橋で待つ作業員のおじさん

着岸したスーパージェット「宮島」

08:30amに、再び松山観光港へ向かうための準備をしている間、いろいろとスーパージェットを観察してみた:

瀬戸内汽船の「宮島」

客室は1Fと2Fにある

08:30am発の松山行き

後部デッキ

後部デッキと全没型水中翼

日立造船製の全没型水中翼

広島から松山へは、途中に呉港に立ち寄って、およそ1時間20分ほど。朝が早かったので、乗船後しばらくして睡魔に負けてしまい、いつのまにか松山観光港に到着していた:O。下船して周りを見ると、九州と四国を結ぶ客船(カー・フエリー)が停泊していた:

松山・小倉フェリーの「くるしま」

正面に見えるのは興居島の小富士

曇り空だった広島とはうってかわって、松山は晴天だった。
松山観光港には09:40am頃に到着し、ここからは徒歩で伊予鉄高浜線の最寄り駅に移動する。バスも出ているようだけど、すばらしい風景を眺めながら歩けば20分なんてあっという間 :)

由良湾を眺めながらR19沿いを歩いて高浜駅まで

興居島(ごごしま)

興居島の小富士

正面に見えるのが松山観光港

透明度の高い由良湾

由良湾に浮かぶ岩礁

伊予鉄道の高浜駅前にあるフェリー乗り場では、高浜と(興居島の隣りにある)中島とを結ぶフェリーや、興居島の由良行きのフェリーなどを目撃した。小さな離島が多い瀬戸内海ならではの風景:

中島汽船の「あさかぜ」

松山と中島を結ぶフェリー

「あさかぜ」の後部デッキ

由良行きのごごしま「あいらんど」

そして10:00am発の伊予鉄高浜線で大手町まで移動して、そこからの松山市駅行きに乗り換えて松山市駅前まで移動した:

伊予鉄3000系(高浜線)

伊予鉄道モハ50系(松山市内線)

松前駅前で腹ごなしして、松山から大洲城のある伊予大洲までは11:25am発の特急宇和海11号に乗車する。こちらは電車待ちしていた時に見たJR松山駅の風景:

JR四国の松山駅構内

JR四国の松山駅構内

そして、こちらが特急宇和海11号で、四国ではおなじみのアンパンマン列車:

特急「宇和海」(アンパンマン列車)

特急「宇和海」(アンパンマン列車)

伊予大洲には0:00pmに到着し、そこから徒歩20分ほど歩くと肱川が見えてくる:

肱川と大洲城の苧綿櫓(おわたやぐら)

0:30pmくらいから、たっぷり4時間近くを城攻めしてきた。城攻めが終わったあと、「大洲市埋蔵文化センター」「大洲市埋蔵文化センター」の研究員の方から教えてもらった、大洲の美味しい・お土産処として大洲まちの駅あさもやが近くにあるということで行ってきた。あさもやの周辺には赤煉瓦館とかポコペン横丁、おはななはん通り(NHKのドラマ)など観光名所がいくつかあった。その中には、ドラマの「東京ラブストーリー」でリカが別れの手紙を出したポストとか、その昔、土佐藩を脱藩した坂本龍馬が、立ち寄って食事をしたという通りの志保町(旧塩屋町)なんかがあった:

ドラマで使用したポスト

坂本龍馬が立ち寄った通り

ぐるりと大洲市の街を歩いた後は、肱川通りから肱川橋を渡って、伊予大洲駅へ向かい、06:08pm発のJR特急いしづち(TSE:Trans Shikoku Experimental)に乗って宇和島へ移動した:

伊予大洲駅で目撃した車両

JR四国2000系(特急いしづち)

宇和島について駅前にある宿にチェックインして、城攻めの汗を流した後は、宇和島の美味しいものを食べて、翌朝の城攻めに備えた(?):P

翌日は08:00amにチェックアウトし、荷物を宇和島駅のコインロッカーに預けて、徒歩で宇和島城へ移動。早朝の宇和島駅前はこんな感じ:

宇和島駅前を通るR320の支道

R320沿いの交差点から

宇和島は闘牛の街でもある

私鉄宇和島鉄道の蒸気機関車

08:30amから、こちらもたっぷり4時間ほど城攻めしてきた。こちらは宇和島城でみた生き物たち:

長門丸下の石垣の小径にいた蜘蛛

本丸でみかけた鳶

城攻めを終えてJR宇和島駅までの途中でみた宇和島市のシンボルでもある牛鬼(うしおに)は、現在では祭りで練り歩く山車ことを指すらしい:

商店街で見た牛鬼

商店街で見た牛鬼

歩道に埋め込まれた牛鬼

マンホールも牛鬼

闘牛も有名

宇和島からは0:56pm発の宇和海14号に乗って松山へ移動した。こちらは宇和島駅構内でみた電車:

JR四国の各種車両

JR四国の8000系特急

JR四国の高級観光列車伊予灘ものがたりを初めて見た:

伊予灘ものがたり

豪華な客車

で、自分が乗ったのは、こちらの特急宇和海:

特急「宇和海」で松山へ

松山に着いたのが2:00pm過ぎだったので、来るときに食べようと思った鯛釜飯をお昼ごはんにして、あとは来た時と同様に伊予鉄で高浜まで移動した。高浜には3:00pm前に到着:

帰りも伊予鉄3000系

そして徒歩で松山観光港まで移動し、スーパージェットの乗船券を購入し、準備ができるまで待合スペースで待機したり、お土産を物色したりする。

帰りは石崎汽船のスーパージェットに乗船し、4:00pmに松山観光港を出発。帰りも1時間ちょっとの船旅:

石崎汽船のスーパージェット「瑞光」

帰りはいろいろな船を目撃した:

呉港付近で見た巨大なタンカー

そして、同じく呉で目撃した第4護衛隊群第4護衛隊所属のいせ (護衛艦) 、とわだ(補給艦)ら自衛艦:

護衛艦「いせ」他

護衛艦「いせ」他

護衛艦「いせ」他

護衛艦「いせ」他

ということで、広島港には5:30pm近くに到着。そこから広島の別宅に戻って、帰京の準備やらいろいろ。

広島出張で最後の城攻めは天気はもちろん、いろいろな人の出会いや初めて食べる料理など、かなり刺激を受けた二日間だった。大変、満足で良い思い出になった=)。 また時間があれば来てみたい。

Tour of Kinki Region in 2014.

一昨年は2014年のお盆休みを利用して、出張先から近畿地方まで足を伸ばし、大坂城岸和田城和歌山城、そして眞田幸村ゆかりの地を巡ってきた。大阪はこれまでに三度、岸和田と和歌山は初めての訪問。

08:00amの新幹線のぞみ120号に乗って09:28amに新大阪に到着。降車ホームで見かけたJR西日本の新幹線たち:

のぞみ700系

のぞみ700系(奥)とN700系(手前)

のぞみ700系(奥)とN700系(手前)

のぞみ700系

まずは大坂城攻めということで、新大阪から東海道本線で大阪へ移動し、そこから大阪環状線外周り(京橋/舞橋行)で大阪城公園で下車:

大阪環状線

で、大阪ビジネスパークのクリスタルタワーへ行くために、大阪城ホールを横目に水上バスのりばを横切って第二寝屋川を渡った:

大阪城ホール

結局は、今回はお盆休みでクリスタルタワー21Fにあるカフェからの大坂城縄張展望はできず、かなり残念だったけど;(、なんとか持ち直して青屋門から大坂城攻めを開始した。で、今だから言えるのだけれど、この大阪城攻めの翌年の2015年の2月に運良く大阪出張があり、それも大阪城公園近くで仕事していたおかげで、平日にクリスタルタワー21Fのキャッスルカフェなるお店に入ることができ;)、確かに縄張具合を拝めることが出来たけど、皆窓側に座っていたので写真には収められなかった。その上、半分以上はブラインドが降ろされていて、今思うとそんなに期待するほどのものではなかったかなぁと:X

そして青屋門へ行く途中に、始めて間近見た鷹匠。なんとも大坂城にぴったりな動物:

青屋門の手前で遭遇した鷹匠

他には、猫が沢山住み着いていたなぁ。別にこれは大坂城に限ったことではないけど。それも、カメラを向けるとプイと顔を隠す恥ずかしがり屋で人懐っこそうな猫が多かった:

大手多聞櫓付近で見た猫

東内堀付近で見た猫

東内堀付近で見た猫

東内堀付近で見た猫

あと、山里丸にはこんな立て札があった。城攻めするようになって、「まむしに注意」だとか「崖に注意」なんていう注意書きをよく見てきたけど、なんとも大阪っぽいなぁ:D:

マムシではなく痴漢に注意!!

大阪市のマンホール蓋。このレリーフ以外に無いよねぇ、やっぱり:

大阪市のマンホール蓋

一日目の夕食は天王寺の先の市営阿倍野駅近くでラーメンを食べてきたのだけれど、阪神高速14号松原線の下は「熊野かいどう」なんだねぇ:

熊野かいどうの碑とゴミ

夕食を終えて来た道を戻っていたら、なんとも空高くそびえるビルが気になった。これが、噂の(?)あべのハルカスかと。もちろん観るのは初めて:

天王寺駅前から見たあべのハルカス

あべのハルカス

あべのハルカス

あべのハルカス

結局、天王寺まで歩いて、そこから地下鉄で宿泊先へ戻った。その際に、あべの筋で目撃した阪堺電軌上町線の路面電車:

阪堺電気軌道の路面電車

そして、これは大阪市交通局の地下鉄:

大阪市営交通の谷町線

大阪市営交通の谷町線

二日目は岸和田市へ。宿泊先から天王寺まで大阪市営地下鉄。天王寺からJR大阪環状線で新今宮へ移動し、新今宮からは南海電鉄に乗り換えて岸和田まで移動した。初めて見た南海電鉄のラピートも:

JR大阪環状線

南海電鉄

南海電鉄

「ラピート」はドイツ語で「速い」という意味らしい:

特急ラピート

特急ラピート

特急ラピート

岸和田駅を降りて直ぐ正面に観光案内所があり、親切な案内係のおじいさんから岸和田城周辺の街歩きマップやデザイナーで有名なコシノファミリーゆかり地マップなどをもらい(直筆でオススメコースも教えてい頂いた)、だんじり祭りやご当地グルメなどの情報も入手した。先に岸和田城を攻めて、駅へ戻る際に見た物など。まずは岸和田城でみた亀:

岸和田城の堀にて

これは、だんじり祭りのロゴの付いた鉄柵。まぁ、岸和田ではこれは外せないんだろうねぇ:

だんじり祭りのロゴの付いた柵

こちらはコシノファミリーゆかりの地。駅前の商店街の中にあった:

コシノ洋装店(復元)

朝ドラ「カーネーション」の衣装

本物のコシノファミリー跡地

商店街で、こんなラムネを飲んでみたけど、味はごくごく普通のラムネだった:

だんじりラムネ(味は普通)

岸和田城の次は和歌山城ということで、これも南海電鉄に乗って和歌山市駅へ移動した。和歌山に着いた時は、それまではっきりしない天気だったのがカラリと晴天になり、気温も高かったので、水分補給でいろいろ飲んだなぁ:

ミカンは外せない

一本300円の水

「大師の水」は、予想外に美味しかった :)。そして和歌山城攻めを終えて大阪市内の宿泊先へ戻る際に乗った電車:

南海電鉄の特急サザン

JR片町線

JR大阪環状線

宿泊先近くのコンビニで買ったガリガリ君は当りだった:

ガリガリ君は当りだった

最終日は宿泊先をチェックアウトして、眞田幸村公ゆかりの地を巡った。これは玉造駅から三光神社へ向かう途中の商店街の幟で、六連銭がロゴとして付いていた:

日之出通商店街

天王寺にある安居神社へ行く途中には愛染堂や清水寺に因んだ坂があった:

天王寺七坂の一つ愛染坂(あいぜんざか)

天王寺七坂の一つ

天王寺七坂の一つ清水坂(きよみずざか)

そして天王寺付近の有名な建物:

まだまだ現役の通天閣

あべのハルカス

天王寺のシンボルと言ったら通天閣

こちらは天王寺のシンボル?

やはりこちらがシンボルか

やはりこちらがシンボルか

やはりこちらがシンボルか

天王寺からは、来た時と同じように環状線と東海道を使って新大阪まで移動し、新幹線で別宅へ帰宅した:

JR天王寺駅のホームから

といった2014年の暑い夏の小旅行でした。