Castles in Japan」カテゴリーアーカイブ

とんかつ珠圓 − Pork Cutlet of Juen at OWARI-ICHINOMIYA.

今年は平成29(2017)年のお盆休みの城攻めツアー二日目は、かっては『西美濃』とも呼ばれていた西岐阜へ。この辺りは、後世に天下分け目の決戦と呼ばれた関ヶ原の合戦場と、その前哨戦の舞台となった大垣城との中間点に位置する交通と軍事の要衝で、この地には、これまた後世に聞こえた名軍師・竹中半兵衛にゆかりの城跡や墓所、そして彼と共に両兵衛と呼ばれた黒田官兵衛の嫡男・松寿丸[a]のちの黒田長政。が匿われた場所[b]父・官兵衛が有岡城に籠城した荒木村重を翻意させるため単身で乗り込んだものの逆に捕縛され幽閉された。この時、織田信長は官兵衛が裏切って村重に同調したと思い込み、人質として岐阜に置かれていた松寿丸を処刑するよう半兵衛に申し渡した。彼は官兵衛を信じていたので、現在は五明稲荷と呼ばれていた家臣の家に匿い、信長には虚偽の報告をした。、さらには病身ながら関ヶ原の合戦では西軍についた義将・大谷吉継の軍勢を実際に指揮した勇将・平塚為広の居城があり、ついでにお隣の大垣市にも足をのばして大垣城もど〜んと見て回ってきた。
特に今回は、標高402m程の山頂に築かれた竹中半兵衛の居城の菩提山城を攻めるために、麓からかれこれ60分以上かけて山登りするなど、見て回る名所が広範囲になったのでレンタル・サイクルを利用することにした。おかげで大垣へ移動した時は足がパンパンになって釣ってしまった:$

この日最後の城攻めを終えて大垣から岐阜経由で尾張一宮にある本日の宿泊先へ移動した[c]お盆シーズンともあって、これはこれで超満員の電車だった。。そして夕飯だけれど、事前に調べておく時間がなかったので現地へ行って決めようと考えていたのだが、駅周辺はなんだか全国チェーン系列のお店ばかり。この日は大変な暑さの中をサイクリングして登山したので、どうしても「肉のパワー」で体の疲れを癒やしたいと思っていたのに。もちろんチェーン店でも味噌カツなんてのはあるだろうけど :O。そう考えると是が非でも味噌トンカツが食べたくなったので、Googleさんにお尋ねしたところ、この周辺にあるとんかつ屋はどれも頭一列といった感じ:/。結局は、この日も宿泊先から近い名鉄百貨店7Fにあるグルメフロアのとんかつ珠圓なるお店へ。

お盆休みだから並ぶのは必至と思い込んで行ってみると、殆どお客がいなかった…:O。この日の夜は大河ドラマがあるので、さっさと食べて宿へ戻ろうとメニューを見て迷うこと無く「特選厚切ひれかつ膳(140g)」(1,690円)とグラスビール(450円)を注文した。御膳がでてくるまでの間、ビールを飲みながら今日のサイクリングや登山を振り返っていたら、出てきたのがこちら:

特選厚切ひれかつ膳(140g)(1,690円)

やっぱり味噌だれ:

味噌だれ

注文してから豚肉を手切りし、衣をつけて揚げた「つくりたて」のトンカツはジューシーで美味しかった:

柔らかいひれかつを味噌ソースで

柔らかいひれかつを存分に堪能し、丸美屋の卵ふりかけで頂いた御飯はおかわりできないシステムだったので、速攻で宿へ戻って風呂入って、大河ドラマを見て寝ることにした。

とんかつ珠圓
愛知県一宮市新生1丁目1-1


ここからはおまけ。

この日は見て回る所が多く、広範囲にわたったのでJR垂井駅前の垂井町観光案内所で提供しているレンタサイクル(500円)を利用した。
こちらが今回レンタルした自転車で、他もみな関ヶ原の合戦に所縁のある武将の名前が付いていた:

レンタルサイクル(500円)

今回レンタルしたのは「浅野幸長公」号

この観光案内所でのレンタル時間は09:00am〜02:00pmとかなり微妙な時間帯であった。この日は菩提山への登山も予定していたので、02:00pmまでに戻ってこれるものか不安だったので万が一のこととして聞いてみると、戻ってきたら自転車を案内所脇に置いて鍵をしめ、案内所のシャッターを少し上げれると中のドアが開くので、鍵を中に置いておいてくれれば良いよと云って貰えた。まぁ、この時は間に合うだろうと安易に考えていたのだが、実際のところ間に合わなかった。ホント聞いておいて良かった〜0:)

自転車でまず最初に行ったのは垂井城跡。この城跡の近くには『垂井の泉』なる名跡がある。この泉は岐阜県指定の天然記念物で、大ケヤキの根本から湧き出したということで「垂井」と云う地名の起こりににもなったらしい。大ケヤキは樹齢800年程で、高さ約20m、目通り約8.2mもあるとのこと。松尾芭蕉も立ち寄って一句詠んだと云う名跡である:

垂井の泉

大ケヤキ

そしてアブラゼミ:

アブラゼミ

このあとは20分程かけて竹中氏陣屋跡へ。軽い上り坂が続いて意外と時間がかかった。

こちらは相川。岐阜県不破郡関ヶ原と垂井町、大垣市なんてところを流れる木曽川系一級河川:

この日も前日に続いて暑かった〜

こちらが豊臣秀吉の初期の頃の軍師・竹中半兵衛重治の像。竹中氏陣屋前に置かれていた:

竹中半兵衛重治公の坐像

竹中氏陣屋跡を攻めたあとは、この隣りにある垂井町立岩手公民館の駐車場にレンタル・サイクルを置いて菩提山城へ徒歩で移動した。で、その公民館の前には「さざれ石」やら「力石」なる巨石・奇岩が置いてあった:

すぐ近くの伊吹山が主要産地と云われる「さざれ石」

江戸時代の力比べで使われた巨石らしい

自転車を置いて公民館脇に建つ菁莪(せいが)記念館から西へぐるりと周る感じで、菩提山ハイキングコースを利用して山頂にある城まで徒歩で移動した。

その途中の風景。まずは南宮山(なんぐうさん)。関ヶ原の戦では西軍の毛利氏が陣を構えた山であり、現在はその麓あたりにJR東海道新幹線が通っていた:

南宮山(拡大版)

こちらが新幹線。菩提山ハイキングコースの登山口へ移動する間、何度も新幹線を目撃した:

南宮山の麓を疾走する新幹線(拡大版)

そして東海道本線を渡って登山口へ:

東海道本線

登山口から城跡がある山頂までは結構な角度の坂を約50分ほど登っることになったが、その甲斐があって標高402mの山頂からの眺望は素晴らしかった。ちなみに、この城から岐阜城を見ることもできた:

菩提山城の出丸跡からの眺望(拡大版)

こちらが菩提山城の本丸跡。城の周囲は急峻な崖になった戦国時代特有の山城である:

菩提山城の本丸跡

こちらは菁莪(せいが)記念館に展示してあった岩手弾正の鎧。竹中氏はこの岩手弾正を不破から追い出して、この辺り一円を支配したと云う:

岩手弾正の鎧

最後は大垣城天守閣の鬼瓦。天守三層南西隅にある鬼瓦は邪鬼を踏みつけて天守を鎮護していた:

復元された鬼面鬼瓦と邪鬼

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also垂井城攻め (フォト集)
See Also黒田長政ゆかりの五明稲荷 (フォト集)
See Also竹中氏陣屋攻め (フォト集)
See Also菩提山城攻め (フォト集)
See Also竹中重治公墓所と禅幢寺 (フォト集)
See Also大垣城攻め (フォト集)

参照

参照
a のちの黒田長政。
b 父・官兵衛が有岡城に籠城した荒木村重を翻意させるため単身で乗り込んだものの逆に捕縛され幽閉された。この時、織田信長は官兵衛が裏切って村重に同調したと思い込み、人質として岐阜に置かれていた松寿丸を処刑するよう半兵衛に申し渡した。彼は官兵衛を信じていたので、現在は五明稲荷と呼ばれていた家臣の家に匿い、信長には虚偽の報告をした。
c お盆シーズンともあって、これはこれで超満員の電車だった。

風来坊・新岐阜店 − The Original Fried Wing Tips at GIFU.

今年は平成29(2017)年のお盆休みの城攻めツアーはやや強引なプランではあったが、何とか無事初日を終えることができた。しかしながら、この日の岐阜は暑かった:$〜。岐阜城攻めの後は織田信長公の墓所や『美濃の蝮』こと斎藤道三公の首塚や菩提寺を巡ってきた。運良くそれぞれ岐阜城から徒歩30分圏内ということもあって長良川を往復して渡るなどして、なんとか見て回ることができた。しかし、この辺りは日差しを遮るほど高い建物が少ないので、初日にしてかなりのエネルギーを消費し、見事に顔や腕が真っ赤に日焼けしてしまった;(

そういうこともあってJR岐阜駅から遠い宿泊先に着いて、また駅前あたりまで行って夕食を済ます気にはなれなかったので、宿泊先の目の前にあった古臭い[a]すみません。でも最初のインスピレーションはホントそんな感じ。居酒屋の暖簾をくぐった。そこは元祖手羽先唐揚の風来坊(新岐阜店)と云う全国展開のチェーン店だった。あとで知ったけど。てっきり地元のお店かと思った:P

カウンターに座って生ビールを注文すると、お通しとして元祖手羽唐揚一人前(450円)を追加で注文する羽目に。まぁ正直あまり期待していなかったが、出てきたのはタレの付いた唐揚げといった感じ。この店自慢の一品:

元祖手羽先唐揚(450円)

熱々な手羽先を手羽先の食べ方を参考にしてパクパクいってしまった。これが手羽先だねぇ。ここから鶏肉を軸に焼き系・揚げ系を注文した。

これも店オススメの一品である元祖手羽元唐揚(450円)。こちらも美味しかった:

元祖手羽元唐揚(450円)

途中、トマトスライス(300円)やかんぱち刺し(740円)を注文したけど、こちらは大したことはなかったねぇ:O。ということで、ビールと鶏肉で回すことに。

こちらは奥美濃古地鶏串(250円)。もう少し大きい肉を想像していたのだが:

奥美濃古地鶏串(250円)

五平餅みたいなつくね串をタレで。玉子が欲しかった〜。甘たるかったので:

つくね串(250円)

総合的には大した料理は無かったけど、やっぱり店自慢の手羽唐揚げは美味しかった。正直、これとビールで十分だったなぁ :|。ちなみに豚一家も同じチェーン店で完食していたようだ。

明日は西美濃(西岐阜)の垂井まで行って軍師・竹中半兵衛ゆかりの城を巡る予定。

風来坊・新岐阜店
岐阜県岐阜市長住町1-10

 

ということで、この日のフォト集はこちら:
See Also崇福寺の織田信長公父子廟 (フォト集)
See Also道三塚と斎藤家菩提寺 (フォト集)

参照

参照
a すみません。でも最初のインスピレーションはホントそんな感じ。

金華山展望レストラン・ポンシェル − A French Restaurant On The Famous Castle!?.

今年は平成29(2017)年のお盆シーズンは日本全国の天候が不順で、興味深く攻めることができそうな城がなかなか決まらず、休みに入る二日前くらいの天気予報でなんとか攻めれそうな城を見つけ、思い切って宿泊先を確保し三泊四日の城攻めツアーへ行ってきた。
実際のところ、お盆休みは前半の数日間だけ天気が良く、後半はボロボロだった ;(。そういうことで雨ふったらどうしようか等と余計な代替プランも併せて考えるのに時間をくって、やや強行感が否めず、寝不足のままお盆休み真っ只中の新幹線に飛び乗った。行き先は岐阜県。
この日の関東は早朝から大雨。まずは07:47amのJR新幹線のぞみ101号・広島行[a]この新幹線はその昔の広島出張でよく利用した便だった。懐かし〜。に乗り09:21amに名古屋に到着。それからJR東海道本線特別快速・米原[b]「まいばら」と読む。今までずっと「よねはら」って読んでいた。行に乗り、09:50amに人生初の岐阜へ上陸した :)。関東とは異なり、ここ岐阜は晴天。初日の最初は岐阜城跡へ。

まずは岐阜駅の北口に建つ織田信長公に挨拶。でもなんで金色なんだろう!?:|

織田信長公像

それから岐阜バスの岐阜公園・岐阜城・岐阜市歴史博物館行きに乗って岐阜公園歴史博物館前と云う停留所で下車したのが10:25am。ここまでは全然順調。しかしながら、流石に岐阜。気温が高く、ちょっと大変な城攻めになりそうな予感。

バス停から歩いて、プランどおり金華山の麓で現在でも発掘調査が続いている信長公居館跡を見学。暑い中をじっくりとプランどおりの時間を一杯一杯使って見て回り、これまたプランどおり金華山ロープウェイで山頂にある岐阜城を攻めようと切符売り場へ移動してみると、炎天下の中で行列に並ぶことに :O

炎天下の中を10分ほど並んでやっと屋内へ

まぁ、普通に考えれば、晴天の岐阜で眺めの良い金華山へ登ろう感覚で行くなら混雑して行列になるのは当然だろうと想像できたはずで、ゆっくり信長公居館跡なんか見て回っている場合でないことも理解できたはずなのだが、今回の強行城攻め(我攻め)のツケが徐々にやってきた感じ:$[c]混雑や行列を想定して、まず何よりも先に山頂に登って天守閣からの眺望を拝んで、人が少ない時間帯に早々と写真を取って麓に下りるべきだった。眠くて暑くて頭が回らなかった。。これは山頂へ行って天守閣へ向かう時にも痛感した。山頂は、とにかく大変な混みようなのである。
岐阜城をゆっくりと堪能させてくれない人混みと熱気と暑さである。とにかく人ばかりで、天守閣などの遺構を写真に納めるのに炎天下で人が過ぎるのをただひたすら待つしかないのである ;(

そんな感じでなかなか良い写真を取らせてくれないジレンマに悩まされる中、時間はプランどおり刻々と過ぎていく。ということで展望レストランで昼を摂る予定だったけど、次の予定もあるので時間的にスキップするしかないかなぁと思ったが、やはりこの気温では体力の消耗が激しく、この後のお寺巡りも不安が残ったのでしっかりと食べることにした。で、写真の奥に見えるのが展望レストラン・ポンシェル(フランス語で Le Pont de Ciel):

城跡にフランス・レストラン?

岐阜城にフランス料理のレストランがあるのか?と思って行ってみると、食券を買って行列に並ぶ普通の日本式レストランだった。違うのは、ここからの見晴らしが岐阜城の天守閣よりも良いこと! 8)。時間帯なのか高い店なのかわからないが、ありがたいことに窓際の席に案内された。岐阜城から長良川を見下ろし、さらに先には関ヶ原が:

展望レストランからの眺め

ここでは予め決めておいた岐阜県B級グルメでグランプリをとった「信長どて丼」(750円)を注文。箸袋には、織田家の家紋である織田木瓜も:

箸袋

信長どて丼(750円)

お腹が減っていたのでペロリと完食した。マスタードが良いアクセントになったし、岐阜の赤味噌もよかった。食べ終わってよく見ると丼の底にも織田木瓜が:

完食

最後にデザートについていた杏仁豆腐を食べながら眼下に広がる岐阜市街地を眺めていると、なんだか店を出たくなくなってきた:P

金華山展望レストラン・ポンシェル
岐阜県岐阜市千畳敷下257 金華山山頂


ここからはおまけ。

実はお金を払って展望レストランに行かずとも、レストランの建物の屋上がビアガーデン会場になっていて、さらに昼時なら誰もいないので思いっきり素晴らしい眺めを堪能できるのだ;)

展望レストランと同じ角度での眺め(拡大版)

岐阜城天守閣近くに建つ岐阜城資料館(天守閣とセットで有料)では信長公ゆかりの甲冑や漫画「センゴク権兵衛」(宮下英樹氏)のパネル、ゲーム信長の野望のパッケージイラストで有名な長野剛氏の信長公肖像などが展示されていた。
こちらは長野剛氏の信長公肖像画:

「信長の野望」ではお馴染みのイラスト

宮下英樹氏のセンゴク権兵衛のイラスト:

IMG_5522.resized

センゴク権兵衛の信長公

センゴク権兵衛

レプリカ甲冑。左手はビロード風の南蛮マントが印象的な銀箔押南蛮胴具足(甲冑師・熱田伸道氏の作)、右手は「舌を噛みそうな名前」の黒塗濃萌葱糸素懸威二枚胴具足(同氏の作):

(ぎんぱくおし・なんばん・どうぐそく)

IMG_5517.resized

(くろぬり・のうもえぎいと・すかけおどし・にまい・どうぐそく)

こちらはロープウェイで下りて岐阜公園総合案内所近くで見上げた岐阜城の山頂付近。左手から天守閣・気象庁の施設・展望レストラン・ロープウエイ山頂駅:

岐阜城山頂付近(拡大版)

そして若き信長公の騎馬像。案内所ができるまでは同じ麓にある信長公居館跡前に置かれていたらしい:

「若き日の織田信長像」

最後に、長良川と金華山。信長公の時代は稲葉山とも。こんな風に眺めるといかにも難攻不落の城のように見えるが、実は五回も落城している:

長良川に架かる長良橋から

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also岐阜城(稲葉山城)攻め (フォト集)

参照

参照
a この新幹線はその昔の広島出張でよく利用した便だった。懐かし〜。
b 「まいばら」と読む。今までずっと「よねはら」って読んでいた。
c 混雑や行列を想定して、まず何よりも先に山頂に登って天守閣からの眺望を拝んで、人が少ない時間帯に早々と写真を取って麓に下りるべきだった。眠くて暑くて頭が回らなかった。

うなぎ乃甚八 − A kakegawa eel.

一昨年は平成27(2015)年のGWに「自身初」の静岡県掛川市にある城をいくつか攻めてきた。初日は早朝の新幹線に乗ってJR掛川駅に着いたのが8:15am。そこから午前中たっぷり使って掛川城を攻めてきた。

午後はJR掛川駅前から、しずてつジャストラインバスの掛川大東浜岡線・入山瀬経由・大東支所行に乗った先にある高天神城跡を攻める予定で、お昼を駅近くで摂ろうと事前に調査したところ、大人気の鰻屋があるようで開店11:00前には行列の先頭くらいに並べるような時間に掛川城公園をあとにした:)

で、ちょっとお店まで行くのに寄り道をしていたら開店前直前になってしまい、既にお店の前には15人前後の行列ができていたが殆どが複数人のグループで、カウンター席狙いの独り者は自分の他に2〜3名くらいだったと記憶している 0:):

うなぎ乃甚八

そういうこともあり、一周目で入店することができた。案の定、カウンターの一番端に通された。注文したのは、店オススメの二段重(当時3,700円)。注文を聞いて焼きが始まるので、これから30分ほど待つことになる。

そして出てきたのがコレ。鰻は二人前。重箱の御飯の中に一人前が埋められ、さらに重箱の屋根皿に一人前があって二段と云うらしい:

二段重(3700円)

さらに肝吸い、香の物、サラダ、ボーンフライ(骨を油で揚げたもの)、そして肝焼きが付いているという豪華さ 8)

蓋を開けて鰻が隠れている御飯の上に、焼き立てのうなぎを皿から載せて食べる。脂が載っていて、鼻と口で堪能してきた。継ぎ足しで作っている鰻のタレが、これまた絶妙で味の奥深さを感じることができて大満足だった。香の物(サラダと漬物)があるおかげで飽きること無く一気に食べることが出来た:

美味しくて手が震えてしまった

付け合せも豪華

で、もちろん食前と食後は静岡茶で ;)。この日は、自分が店を出た時点で「閉店」の札がかかっていた。

うなぎ乃甚八
静岡県掛川市肴町7-12


ここからはおまけ。

こちらはJR掛川駅北口。JR東海の東海道本線と東海道新幹線、そして天竜浜名湖鉄道の天竜浜名湖線が乗り入れている。新幹線に乗る場合は左手の地下通路から南口方面へ移動する。また天竜浜名湖線とバスターミナルは右手奥にある:

JR掛川駅北口

北口ターミナルにある二宮金次郎の像:

二宮金次郎の像

当時は子供の日でもあったので掛川城本丸には鯉幟が泳いでいた:

掛川城天守閣と鯉幟

140年ぶりに木造で復元された掛川城天守閣(モノクロ調):

掛川城の天守閣

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also掛川城攻め (フォト集)

そば工房蕎花 川越札の辻店 − Grinded Homemade Buckwheat Noodle.

一昨年は平成27(2015)年の春、城攻めしに自身初めての埼玉県川越市へ行ってきた。その前日までは一ヶ月ほど広島出張があって、あちらは未だ春が訪れたばかりだったけど、こちらはとポカポカの陽気で、桜が見頃の季節に突入していた :)川越市は城下町の名残を残す「小江戸」のイメージしかなかったんだけど、実際に云ってみると天海僧正が住職を務めた由緒ある喜多院という大師もあったので、東武東上線の川越駅から城跡へ向かう途中に立ち寄ってみると、もう「花見」真っ盛りで大変な賑だった。ホント、江戸っ子はお花見が大好きだなぁ :D

近世城郭はすっかり宅地化されていて、本丸御殿(それも一部だけ)くらいしか見所がなかったので、早々に城攻めを終えて小江戸街を散策し、ちょっとランチタイムを外した時間にそば工房蕎花と云うお蕎麦屋さんで遅めのお昼を摂ることにした。

小江戸の蔵町・菓子屋横丁の近くにある小さな石臼自家製粉の手打蕎麦屋さんで野菜天丼がついた「どんぶりセット」を注文した:

どんぶりセット(880円)

この日は川越駅から川越城まで往復した上に、晴天だったので冷たいお蕎麦にして正解だった 8)。蕎麦はのど越しよく、美味しく頂けた。

そば工房蕎花 川越札の辻店
埼玉県川越市元町1-14-2


ここからはおまけ。

こちらが城攻めする前に立ち寄った喜多院:

星野山・喜多院

山門:

山門

どろぼうばし。その昔、喜多院と東照宮の境内は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、藩の町奉行の力が及ばない場所であったことを知った盗人が、当時は丸木橋だったこの橋を渡って境内に逃げ込んだ。しかし盗人は寺男らに捕らえられ、寺僧に諭されて改心した。厄除元三大師(やくよけ・がんさいだいし)に心から罪を許してもらえるように祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。そこで寺は幕府に事の次第を報告して無罪放免の許しを得た。その後、元盗人は全く悪事を働くことなく真面目に一生を過ごしたと云う:

どろぼうばし

喜多院の境内:

桜が見頃だった

多宝堂と桜吹雪:

多宝堂

多宝堂と桜吹雪

慈恵堂:

慈恵堂

東照宮随身門。この門を潜った先は仙波東照宮:

東照宮随身門

まさに「The お花見」:

桜が似合う多宝堂

山門前に建っていた天海大僧正(てんかい・だいそうじょう)の像。喜多院第27世住職であり、会津高田(現在の福島県會津美里町)出身、江戸時代初期に喜多院を復興した。家康の信頼あつく、宗教政策の顧問としえ助言を行い、家康もまた度々、川越城と喜多院を訪れているのだとか。108歳で遷化(他界)した後、朝廷より慈眼大師の称号を賜った人物:

天海大僧正の像

川越のマンホール蓋は小江戸っぽく粋な纏(まとい)と川越の文字が描かれていた:

粋な纏(まとい)がデザインされていた

ということで、この時のフォト集はこちら:
See Also河越城攻め (フォト集)
See Also河越夜戦跡 (フォト集)