Castles in Japan」カテゴリーアーカイブ

Seeing Mt.Fuji from a Castle.

先週末は令和3(2021)年の啓蟄の候、緊急事態宣言中に近場の城攻めへ。前評判では城跡へ行くまでの道が狭いとか「城跡」とは関係のないコメントをよく見かけたが、実際に攻めてみたらホント語るほどの遺構は無かった:$。片道二時間かけて行った先で、唯一の救いは富士山の眺めが良かったこと 8)。最寄り駅である小田急新松田駅の改札内からもその姿を見ることができた:

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駅改札内の渡り廊下から

この日は晴天ながら気温は思ったほど高くはなく、大勢のハイカーらが新松田駅向かいにあるJR御殿場線・松田駅へ向かって行くのをよそ目に、自分は20分ほど歩いて城跡へ[a]平時の土日なら富士急湘南バスの松81/102あたりに乗るのが近道らしいが、当時は緊急事態宣言中なので運休だった 😥 。まぁ大した距離ではなかったけど。ここ神奈川県足柄郡松田町で、この時期は「桜まつり」なるイベントが有名らしいが、こんな状況下なので中止の案内をあちらこちらで見かけた。それでも歩いていると意外と人が多い感じがしたが、彼らの目的地はどこだったんだろうか :|。もしかして、ここかな:

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西平畑公園

よく見ると梅か桜が満開で人がそれなりに居たし。桜まつりは中止ではなかったのか。

こんな時期だし(遺構なんて殆どない)城跡を巡る人は自分くらいだろうと思っいたが、車を含めて結構な人と遭遇したな[b]ほぼ全員が城跡入口に建っていた案内板をスマフォで撮ったらすぐに帰っていったけど。。城跡の入口まで行く道は確かに狭かった。しかし何故かほとんどの連中が大型車で来て、案の定、何度も切り返ししたり、すれ違いで苦労していた :D。あと猟友会みたいに散弾銃と犬を連れた集団がオレンジ色のジャンパー羽織って猪射ちしていたけど、この城跡は猟場なのか?何も知らないで立ち入ったけど、誤射したらどうするつもりなんだろうか :|

日本人が大好きな「富士山」だけど、国土交通省は「関東の富士見百景」なる地点をSNSなんかで広めているようだが、御殿場に近いこの辺ならばどこからでも素晴らしい富士山を眺めることができた。なんと贅沢な町だろうか。

こちらは城跡へ向かう途中、東名脇の側道から眺めた富士山;

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左手は東名高速道路(拡大版)

さらにズームで:

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富士山(拡大版)

こちらは酒匂川《さかわがわ》[c]静岡県と神奈川県を流れる二級河川。が流れる足柄平野と富士山。眼下に見えるのは東名高速道路:

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足柄平野と酒匂川と富士山(拡大版)

丹沢山地から流れる酒匂川は足柄平野を南下して小田原市を抜けて相模湾へと注ぐ:

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小田原市方面(拡大版)

ここが城跡。自分が立ち入った時にはオレンジ色のジャンパーを着たハンター等が大勢いたっけ:

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奥が本丸跡

この城跡の背後にある松田山の頂上にはカントリークラブがあるようだが、他にもパラグライダーの滑走路があるようだ:

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松田山

足柄平野は相模湾からの南風と丹沢山地の北風が合流してできる気流が複雑なのだとか。それを利用してフライトを楽しむ愛好家が多いらしい:

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パラグライダー

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パラグライダー

本曲輪跡から眺めた富士山:

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富士山(拡大版)

こちらも本曲輪跡から垣間見た富士山:

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富士山(拡大版)

この城跡からは富士山の他にも小田急のロマンスカーを眺めることができた:

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GSE(70000形)

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GSE(70000形)

すると、突然カメラのレンズの中を横切る物体が。よく見たらかなり大きな鳶:

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突然、眼前を横切った鳶

城攻めを終えた帰りにも素晴らしい姿の富士山:

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富士山(拡大版)

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also相模松田城攻め (フォト集)

参照

参照
a 平時の土日なら富士急湘南バスの松81/102あたりに乗るのが近道らしいが、当時は緊急事態宣言中なので運休だった 😥
b ほぼ全員が城跡入口に建っていた案内板をスマフォで撮ったらすぐに帰っていったけど。
c 静岡県と神奈川県を流れる二級河川。

弁天洞穴 − Ajiro Benten-yama Cave.

今年は令和3(2021)年の雨水《うすい》の候。それまで厳しい寒さが続いていたのに気温が17℃近くまで上がった週末、COVID-19 感染者が高止まりの気配をみせていた中を東京のあきる野市[a]平成7(1995)年に秋川市と五日市町内が合併してできた東京都多摩地域西部にある市。にある山城(リンクはPDF)を攻めてきた。

こんな時期でもあるし、天気がよく暖かい週末だったのでハイカーらと遭遇する可能性が高そうだったが[b]実際、多くのハイカーや家族連れに遭遇した。、感染対策をして本年最初の城攻めを楽しんできた。ただ緊急事態宣言下での日頃の生活のせいでだいぶ体が鈍っていたのか、城攻め翌日には足がつるなど筋肉痛に見舞われてしまったが :$

まぁ逆に云えば、それだけ山を登り降りしてきたと云うことになるのだけど、城跡の規模が小さかったので確認できそうな遺構をできるだけ見てこようと思った歩き回ったからか :D

で、この日はJR青梅線の武蔵増戸駅からスタート。途中、コンビニでお昼を調達し網代山・弁天山を目指した。当初は、あきる野のホームページにあった『春の弁天山〜小峰公園を満喫』(リンクはPDF)なる記事の中で紹介されていた網代橋を渡って行くコースを利用しようと思っていたのだが、前日に見ていた某登山者向けSNSで、現在この橋は通行不可であることを知った。自治体のホームページには何も書いていなかったが。ホント、自治体のホームページって「情報発信と共有」って基本ができてないよなぁ:|[c]以前も茨城県のとある城跡を攻めた時、現地へ行って初めて立入禁止って知ったケースがあった。台風による倒木が多数あったらしい。どこにもそんな情報は発信されていなかった 👿 。なんのためのホームページなんだろう。さらにホームページ以外で得られた他の情報によると、網代橋は平成31(2019)年の台風19号で被害を受けたらしい。

幸か不幸か事前に情報を入手することができのだが、結局はこの橋を渡れないため、かなりの距離を遠回りする羽目になった :(
こちらが現地へ行って知った迂回路の説明板[d]帰りに、これと同じものが武蔵増戸駅出入り口付近に貼ってあったのを見かけた。行きは全く気づかなかった…。

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現地へ行かないとわからんとは!

秋川を渡るのに使ったのは網代橋ではなく山田大橋:

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山田大橋

でも悪いことばかりではなかった :)。橋の上から秋川を含む周辺の景色の眺望が良かった:

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西多摩の大岳山と御嶽山(拡大版)

秋川の水面を泳いでいた鴨たち:

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秋川と鴨

そして、本日の目的地である網代城山(写真中央あたり)と弁天山(その左横あたり):

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秋川と網代弁天山(拡大版)

山田大橋を挟んで反対側には東京サマーランドのゴンドラが見えた:

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東京サマーランドの裏も城跡(拡大版)

迂回ルートで見かけた五日市トンネル。このトンネルの上が城跡:

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五日市トンネルと都道R61

こちらも迂回ルートで見つけたのだけど、超巨大な堀切と土橋に見えた :O

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急カーブ

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のつづき

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がここまで

これなんかは、もう「現代の土橋」にしか見えない :D

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両脇は谷

弁天山の登山口を示す標柱:

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「網代弁天山」方面へ

こちらが登山口(弁天山東側)。赤い鳥居は貴志嶋神社《きしじま・じんじゃ》のもの:

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網代弁天山登山口+貴志嶋神社の鳥居

ちなみに、この脇にあるのは東京でも珍しい棚田:

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棚田

神社の参道でもある登山道は整備されていたし、急斜面ではないので特に苦労はない。鳥居をくぐって登山道を進んで行くと、貴志嶋神社の社殿(と弁天洞穴)へ向かう道と弁天山・網代城山へ向かう道の分岐点に至る:

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左奥が貴志嶋神社の社殿、正面上が弁天山・網代城山方面(拡大版)

そして、この辺りはその昔は昭和の時代に「網代弁天山公園[e]執筆現在、あきる野市のホームページには「網代弁天山公園」なる情報は無かった。おそらく過去の遺物となったのであろう。」として近くの網代温泉と共に賑わった観光地だったらしく、弁天山リフトなる乗り物が造られていたらしい。現在でもこの辺りに残る遺構から、その面影を見ることが出来た:

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尾根側

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敷設跡

このあと、一通り城攻めを終えて下山する際に弁天山へ立ち寄った。城攻めする前に登山したんだけど、かなり狭いエリアに大勢のハイカーが休んでいたので後回しにしていた。ついでに「弁天洞穴」なるパワースポットにも立ち寄ってきた:

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下山は弁天山から南回りで

この狭いところが弁天山の山頂。標高は292m:

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弁天山山頂

山頂からの眺望。ちょうど福生・拝島方面にあたり横田基地や、さらに西武ドーム(メットライフドーム)が見えた:

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山頂から南回りで下りるコースは意外と難所だった:

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ここから下りる

北回りの平凡な尾根道と違い、こちらは急斜面の上に巨石がゴロゴロしていた:

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弁天山山頂の南側に生えていた巨木[f]これが遠くからの目印になる。

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弁天山の目印

急斜面を下りていくと「洞窟」なる案内板が見えてきた:

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弁天洞穴

ここは貴志嶋神社の奥の院にあたり、実際に洞窟の中に入ることができるらしいが、自分は入らなかった[g]というか、入って良いものか分からなかった。バチでも当たると嫌だったし。。大黒天像や毘沙門天像が置かれているらしい:

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奥の院

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これが入口らしい

他にも幾つか洞穴があったので一つづつ参拝しながら進んでいくと貴志嶋神社の社殿と神楽殿が見えてきた:

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神楽殿と社殿

貴志嶋神社の総本社は広島県にある厳島神社と福岡県の宗像大社。御祭神は弁財天とも云われる市杵嶋姫命《いちきしまひめのみこと》。水・芸能の神様であり、学問の神様。御利益は美容健康・水難守護・航海安全・商売繁盛・技能向上。

二拝二拍一拝で参拝する際の「となえことば」。先に三回唱えてから参拝するものらしい:

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「となえことば」

山頂とは異なり、空気が冷たくシーンと静まり返っていた厳粛な雰囲気の境内と山林を切り開いて作ったような参道:

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こちらが本来の参道

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こちらは鳥居からの参道

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also網代城攻め (フォト集)

参照

参照
a 平成7(1995)年に秋川市と五日市町内が合併してできた東京都多摩地域西部にある市。
b 実際、多くのハイカーや家族連れに遭遇した。
c 以前も茨城県のとある城跡を攻めた時、現地へ行って初めて立入禁止って知ったケースがあった。台風による倒木が多数あったらしい。どこにもそんな情報は発信されていなかった 👿
d 帰りに、これと同じものが武蔵増戸駅出入り口付近に貼ってあったのを見かけた。行きは全く気づかなかった…。
e 執筆現在、あきる野市のホームページには「網代弁天山公園」なる情報は無かった。おそらく過去の遺物となったのであろう。
f これが遠くからの目印になる。
g というか、入って良いものか分からなかった。バチでも当たると嫌だったし。

炭火焼き・炉暖 − No GOTO Travel coupon available.

今年は令和2(2020)年、立冬を過ぎて朝起きると肌寒さを強く感じてきた頃の連休を利用し京都・大阪の城攻めへ。

一番の目的は今から5年前に訪問した際に実現できなかった京都大徳寺で、織田信長公の菩提寺である総見院の特別公開に参加すること。何度か予定を立てたけどなかなか行く機会を作れなかったが、COVID-19 が猛威を振るうこの時期にあって、もしかしたら今後は特別公開さえも開催されなくなるのでは[a]あるいは緊急事態宣言や県外移動禁止などの政治的な措置など。という思いから決心した次第。加えて土・日・祝日限定の予約制とのことで行ける日が限定されてしまった[b]本当は単一の土・日を狙っていたけど、拝観予約は6日前には受付終了してしまい、さらに天気予報や宿泊先の確保といった都合もあって、結局は連休になってしまった  😕 。。奇しくも GOTO トラベルを利用できるシーズンでもあり、京都では宿泊先を確保できなかったので大阪で宿を取ることに。そういう訳で初日は大阪府高槻市にある山城を攻めてきた。この年の大河ドラマに登場した戦国大名の居城であり続日本100名城の一つでもある。

移動の前日には、大阪府で COVID-19 の感染者が最多となったニュースが流れていたので、かなり注意して行動する必要があると感じ、その準備をしたのだけれど、流石に三連休ということで京都までの新幹線は満席だった :$。直前に、感染防止を重視して自由席から指定席に変更したんだけど全く意味が無かった :|。京都でJR京都線新快速・姫路行に乗り換えて高槻駅に着いたのが朝10時半。それから駅前から高槻市営バス51・循環・塚脇《つかわき》行へ乗って最寄りのバス停に着いたのが11時半。そこから比高150mほどの三好山にあった城跡を4時間近く歩きまわってきた:D[c]記録したデータによると総距離5.09km、タイムは03:17:16、996カロリーだった。

城攻めを終えて下山し、再び塚脇のバス停から高槻駅へ移動して宿泊先がある新大阪に到着したのが夕方4時過ぎ。いや〜、駅構内も大勢の人ですごかった :$。ということで、早々に東口近くの宿泊先へ向かおうとしたのだけど、やはり朝から歩き回っていたせいでお腹が空いたのと疲れがあったので、途中に見かけた居酒屋へ:

炉暖 新大阪東口店

時間が早かったせいか客は自分ひとり[d]まぁ、それを確認して店を決めたんだけど :-)。店の入口で検温とアルコール消毒してカウンター席に通された。COVID-19 が蔓延してから居酒屋に入ったのはもう半年以上も前。

まずは生ビール中(490円)。これも久しぶり:D

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生ビール(490円)+お通し(350円)

ビールを飲みながら注文。こちらは黒豆の枝豆(490円)。茹でたてでホント美味しかった:

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黒豆の枝豆(490円)

そして旬の魚の刺身三点盛(990円)。ハマチ、鮃、鯛。こちらは冷蔵庫にはいったままだったのか、だいぶ乾いていて硬かったなぁ:

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刺し身3品盛り(990円)

続いてお店自慢の焼き鳥。ねぎま(200円)、かしわ(200円)、レバー(200円)。すべて塩。そして一番美味かったのがお手製つくね(280円)。思わず追加してしまった:)

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焼き鳥(各200円)+つくね(280円)

ここから梅酒ロック(440円)に飲み変えて、玉ねぎの串揚げ(100円)。やっぱり大阪ではソースが違う:

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玉ねぎの串揚げ(100円)+梅酒ロック(440円)

この時の店内は家族連れ(3名)だけだったけど、突然、店前に大勢の人だかりが見えたかと思うと、既に酔っ払っているおっさん連中9名が入ってきた:|。おいおい、府知事から会食は4人までってお達しがあったはずだが、この連中は一体?

ということで、本当はもう少し注文したかったけど、席は離れていても大声で話す連中とは関わり合いたくないので、この二品を最後におあいそしてもらうことにした:

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数量限定しまちょう(390円)+つくね(280円)

メニューにあった「しまちょう(数量限定)」が気になって聞いてみたら「ホルモン」だった。タレだったけど美味しかったな〜。もう一本食べたかったけど、やはりルール無視の連中が気になったので出ることにした:(

全般的に駅周辺の人通りは普通で感染予防している人が多い中、駅の階段で缶ビール飲んで大声を出していたおっさんなんかも居たりして、今ひとつ危機感が薄いなぁと思った。

この店は GOTO トラベル対象外で、ちょっと値段は高かったけど平均して美味しかった。次回、また行きたい店。

炉暖 新大阪東口点
大阪府大阪市東淀川区西淡路1丁目1−36


ここからはオマケ。

こちらはJR高槻駅北口のバスターミナルあたり。3年前に初めて高槻へ来た時は南口を利用したっけ:

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JR高槻駅北口の眺め

城攻めでは北口からバスに乗ったんだけど、少し時間があったので周辺をうろうろ。こちらはマンホールの蓋:

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高槻市のマンホールの蓋

こちらが、この日に攻めた芥川山《あくたがわさん》城跡の想像図。塚脇という最寄りのバス停には沢山の説明板や案内板があった:

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「芥川山城推定復元図」(拡大版)

ここは戦国時代に畿内の覇者である三好長慶《みよし・ながよし》の居城であったことで有名。技巧的な遺構が多く残っていて見所が多かった。

COVID-19 蔓延期でも山城は比較的に人が少ない方であるけど、この日は多くの人を見かけた。ただ皆がマスク付けていたわけでなかったので山道でもすれ違う時は、距離をとった控えめな挨拶だった :|

こちらは登城口へ向かう途中、見かけたトルハルバンという石像。韓国の済州島の石像で、町の入口になどに立てられ、日本の道祖神やお地蔵さまのような存在なんだとか:

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妙力寺前にあったトルハルバン像

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妙力寺入口

この城跡は私有地になっているおかげで、貴重な遺構がたくさん残されていたが、これは珍しい竪土塁。麓に向かて土塁が縦に延びている:

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竪土塁

山城ということで実城あたりからの眺望は素晴らしかった:

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主郭下の腰郭跡から高槻市街の眺め(拡大版)

主郭(本丸)跡からは大阪市(右手)も眺めることができた:

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主郭跡からの眺め(パノラマ)

大阪市の高層ビル群:

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あべのハルカス等が見えた(拡大版)

この城跡は私有地ながら、GF (Green Friends)というボランティアの方々が説明板や案内板、はたまた大木の伐採や登城道の整備などをしてくれているおかげで特に問題なく見て回ることができた。ホント、感謝である 8)

そんなことで GF の方に声をかけて頂いて、主郭北側の遺構についてガイドしてもらう機会を得た:

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GFの方と城好きの皆さん

こちらは下山時に見かけた倒木。近年の台風の影響が大きいらしく、完全には整備の手がまわっていないのだとか:

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台風による倒木

最後は宿泊先でもらった GOTO トラベル地域共通クーポン。炉暖では使えなかったので、この翌日の京都で使用した:

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GOTO トラベル地域共通クーポン

ということで、この時のフォト集はこちら:

See Also芥川山城攻め (フォト集)

参照

参照
a あるいは緊急事態宣言や県外移動禁止などの政治的な措置など。
b 本当は単一の土・日を狙っていたけど、拝観予約は6日前には受付終了してしまい、さらに天気予報や宿泊先の確保といった都合もあって、結局は連休になってしまった  😕 。
c 記録したデータによると総距離5.09km、タイムは03:17:16、996カロリーだった。
d まぁ、それを確認して店を決めたんだけど :-)

Migrating to the New Photo Gallery.

5年前の最後の自宅サーバ構築以来、本サイトで現在使用中のフォト・ギャラリーは、今から15年も前に GNOME プロジェクトでアート系のマテリアル作成を担当していた Jakub ‘Jimmac’ Steiner 氏が開発・公開した O.r.i.g.i.n.a.l. というフォト・オーガナイザーをベースに、日本語化向上やPHP7に対応させたもの。このオーガナイザーは重量級の DB や Javascripts を多用せずに PHP 主体で、アルバム整理や閲覧、コメント投稿、テーマの変更といった機能を実現したシンプルで使いやすいシステムであった。

そういうことで現代風の User Experiences に対しては今ひとつな感じはするが、特に致命的な問題はなく利用してきたのだが、趣味で城跡攻めするようになってからデジタル画像の数が膨大になり手間が気になりだしてきた。さらにキーボードでの操作ができない実装で、常にマウスを使って閲覧するのが少し苦痛でもあった。その中で最も大きな欠点はやはりモバイル対応。基本的にデスクトップ規模のウェブブラウザが前提の実装なのでスマフォから閲覧するのはかなり辛い :|

と云うことでフォト・オーガナイザーのフレームワークをアップグレードしようといろいろ調べた結果、Piwigo というオープンソースのウェブ向けフォト・ギャラリーソフトウェアを見つけた。というかフリーで利用できるのはこれくらいしか無かったのが本当のところだが :X

現在運用しているサーバのリソースを大きく変更することがなくインストールに必要な要件もクリアしていたのが導入の大きな理由でもある。インストールは簡単で、ソースをダウンロードして Apache と MySQL の設定[a]Apache2.0では PHP-7.0 のメモリ上限を変更し、MySQLでは Piwigo 専用ユーザとデータベースを追加して権限をセットするだけだった。を追加・更新してから PIwigo のインストール画面にウェブからアクセスして設定するだけ。ただし「日本語」の翻訳がイマイチだったので全て見なおして翻訳を更新・修正することにした。

あとは旧ギャラリーから PIwigo に写真やコメントを移行することになるが、残念ながらこの作業は一つ一つ手作業にせざるを得なかった。なるべく前の状態を維持したかったので。写真の数が多いので仕方がないのだが :$

ということで今後は古いフォト・ギャラリーを更新せず、未だ移行は完了していないが新しいフォト・オーガナイザーの運用と公開を開始した。プラグインやテーマも充実している他、iOS 向けの専用アプリもあるようだ 8)。但し、アルバム毎に OpenStreetMap を表示するプラグインを導入しているがこれが使用するブラウザによっては閲覧に時間がかかる場合があるようだ。今後の検討課題である。

See AlsoMikeforce::Photo Gallery (只今、旧ギャラリーから移行中)

参照

参照
a Apache2.0では PHP-7.0 のメモリ上限を変更し、MySQLでは Piwigo 専用ユーザとデータベースを追加して権限をセットするだけだった。

三月九日 青春食堂 − An Old Folk House Style Restaurant at IWAMURADA.

先々週は令和二(2020)年の正月明けに長野県佐久市と小諸市にある城を攻めてきたが、最終日の二日目は晴天に恵まれた。そして最も気になっていたのが前日よりも暖かくなるとの予報 :)。そういうことで早々に宿泊先をチェックアウトして佐久平駅へ。まずは北斗の拳デザインマンホールを見物し、この日最初の城攻めのためJR小海線・小諸駅へ移動した。

小諸駅隣にある観光案内所へ直行し、レンタサイクルを借りて飯縄山公園(いいづなやま・こうえん)へ向かい、その山頂付近の富士見城跡こと「歴史の広場」へ。自転車での移動と云うことで道路の凍結が気になっていたが、結果的には心配するほどのことはなかった =)。標高830mの富士見城跡は関東の富士見百景に選定されるくらい360度のパノラマが素晴らしいもので、富士山はもちろん浅間山や北アルプス、そして八ヶ岳連峰など拝むことができた。一方の富士見城跡だけれども、こちらもパノラマ眺望に負けず劣らずたくさんの石垣と連続した段郭跡で攻めごたえ十分だった 8)

城攻めを終えて飯縄山公園をあとにして観光案内所へ戻りレンタサイクルを返却して、次の目的地である岩村田(いわむらだ)行きのJR小海線がくるまでの間、今から六年前に攻めた小諸城が懐かしいので大手門を見に行ってきた。

そして本日の最後の目的地である岩村田駅に到着したのがお昼の01:30過ぎ。
ひとまず腹ごしらえするため、駅から10分ほどの岩村田商店街が直営する「築百年の古民家」をモダンに改装した御食事処へ:

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三月九日 青春食堂

お昼(11:30〜14:00)は、その名のとおり「三月九日 青春食堂[a]「三」と「九」は佐久を、そして心はいつも感謝の「サンキュー」で、いつまでも若々しい気持ちで愛される食堂でありたいと云う気持ちが店の名前になっているらしい。としてお手頃なランチを提供し、夜(18:00〜22:00)になると「九月九日 ふくろう亭」と云うおしゃれな居酒屋に変わるのだそうだ:

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昼の部の三月九日 青春食堂

お昼の部が昼02:00までとのことで店に着いたのが40分前くらい。そういうことで店内は閑散としていたが気持よくカウンターに通してもらえた。おまけに、この席からは厨房と作っているところを観ることができた。

メニューにはとにかく美味しいそうな定食が並んでいたが、ここはお店オススメであった「信州豚のしょうが焼き定食」(1,000円)を注文した。ご飯は大盛り無料とのことで、これもまた感謝である:

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信州豚のしょうが焼き定食(1,000円)

豚肉がやわらかくジューシー。そこに大盛りの醤油味ジンジャーソースがかかっていて、ご飯がパクパクいけた。意外と具だくさんのお味噌汁も旨かった。大満足だった :)

実は他にもうどんやカレーライスなど気になるメニューがあって時間がなかったので諦めたが、また次回きたらいろいろと食べてみたいお店。

三月九日 青春食堂
長野県佐久市762-5


ここからはオマケ。

まずは、こちらが小諸市観光案内所でレンタルした電動アシスト型サイクル[b]当時は、3時間で1,000円だった。

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電動アシスト付きのレンタサイクル

小諸駅前から飯縄山公園南側駐車場までは30分もかからなかった。途中、交差点を渡るために地下通路を通ることになったけど :$。あとちょっとキツイ坂があったが電動アシストで十分に楽できた。
公園駐車場に着いたらレンタサクルを停め、そこからドッグラン競技場を横目に小諸高原美術館裏の歴史の広場へ登った。

こちらは、その途中に眺めた浅間山:

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飯縄山公園の駐車場からの眺め(拡大版)

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浅間山

とにかく360度、眺めがとても良かった。空気も澄んでいた:

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飯縄山公園から佐久市の眺望(パノラマ)

高原美術館の裏にある歴史の広場が富士見城跡:

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富士見城跡

この城の主郭跡には展望台施設があって、ここが富士見百景に指定されていた:

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主郭跡

この日は少し靄がかかって分かりづらかったが、なんとか富士山を眺めることができた :)

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富士見百景から眺めた富士山

他にも浅間山と棚田の風景とか:

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旗塚跡あたりから眺めた浅間山と棚田(拡大版)

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棚田

松本方面の北アルプスの眺め:

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長野県松本方面の眺望(拡大版)

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北アルプスの眺め(拡大版)

見所はこれだけではなく、見事な石積み・石垣がたくさん残っていた:

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主郭・ニの郭の石垣

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富士見城の石垣(拡大版)

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富士見城の石垣(拡大版)

こちらは小諸観光案内所へ戻り、次の電車までの合間に立ち寄った大手門公園の一角にある小諸城大手門:

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仙石権兵衛秀久が城を築いた時代の建築物(拡大版)

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左右の石垣の間に櫓を載せた門

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左右の石垣の間に櫓を載せた門

佐久平駅の待合室には中山道と宿場の一覧が紹介されていた。この日の目的地である岩村田もかっての宿場町で、江戸から数えて二十二次にあたる:

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目的の岩村田宿へ(拡大版)

こちらは小諸城主だった仙石権兵衛秀久の菩提寺である西念寺の本堂棟。左から内藤家の下り藤紋、松平家の葵紋、仙石家の永楽通宝紋が掲げられていた:

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西念寺本堂の屋根(拡大版)

こちらは岩村田城跡。岩村田藩の最後の藩主が築いた城だったが完成間もなく明治時代となり廃城となった:

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岩村田城跡

昨年の台風の被害が浮き彫りになっていた:

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台風被害だろうか?

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台風被害だろうか?

この日の最後の城攻めは大井城跡で、現在は公園であったが、その敷地には長野県指定天然記念物・王城のケヤキがたっていた:

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王城のケヤキ(拡大版)

もちろん遊具もあった:

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大井城跡にあった遊具

さらに高台の公園から真っ赤な鼻顔稲荷神社が見えた:

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鼻顔稲荷神社

一泊二日の長野県佐久市周辺の城攻めを終えて、帰宅するために佐久平駅へ戻り新幹線を待つまでのあいだ、駅に隣接したプラザ佐久でお土産を買ったり一休みしたり:

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おつまみセット(900円)

佐久平駅の新幹線ホーム:

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佐久平駅

昨年は台風の被害を受けた北陸新幹線も区間を限定して走行していた:

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北陸新幹線

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北陸新幹線

ということで、この時のフォト集はこちら:

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参照

参照
a 「三」と「九」は佐久を、そして心はいつも感謝の「サンキュー」で、いつまでも若々しい気持ちで愛される食堂でありたいと云う気持ちが店の名前になっているらしい。
b 当時は、3時間で1,000円だった。