Castles in Japan」カテゴリーアーカイブ

角煮 三福 − A Rice Bowl of Pork Squares Seasoned.

一昨日は令和5(2023)年の大雪《タイセツ》の候少し前の週末[a]国連が採択した国際障害者デー(International day of Disabled Persons)。手品の日(One! Two! Three!)。、六年前に攻めてきた城跡を再訪してきた。そのあと、同じ都下にある城跡(居館跡)を巡る予定だったので、お昼少し前に城址公園をあとにして最寄り駅へ向かっていた時、とある店の主人が暖簾を掲げ、店前に「角煮丼」云々と書かれた看板を出していた光景が目に入った。昼飯を摂る店はあらかじめ決めていたので、最初は特に気にならなかったが、数歩あるきながら頭の中で「角煮丼、角煮丼」と復唱していたら、なぜか自然と足が止まっていた :D

角煮丼の専門店なんだろうか? と思い、ちょっと確認するために戻って店前へ :

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角煮 三福

たしかに暖簾には「角煮」と銘を打っていたのだが、ドアに掲げられていたメニューには、角煮丼の他に、かき揚げ丼やあなご丼、はたまたラーメン[b]それもワンコインで 🤩️。なんかが並んでいた:

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角煮丼専門店ではないようだが・・・

そして暖簾の隙間からのぞいて見ると、小さな店内にL字型のカウンターと椅子が5つ並んでいるだけだった :|。一応は昼の店は決めていたで、ここで無理しなくてもいいのだが、なんか妙に気になってしまった[c]単に城攻めして腹が空いていただけかも知れないが 😁️。角煮丼。さらに開店したてで客は誰も居ない。もしかしたら行列ができるお店かも知れないと考えたら、実際のところ何屋なのか判然としないまま暖簾をくぐっていた :D

席について、カウンターの中にいた主人に角煮丼を注文。水をもらった後はしばらく無音の時間となる。と云うのも、店内にはテレビやラジオなどは無く[d]店のすぐ奥にテレビが見えたので、自宅兼店舗のようだ。、客も自分一人で、聞こえてくるのは厨房から漏れる音と外を走る車の騒音くらい 。

この日は、朝は寒かったけど昼近くになると陽がでて急に暖かくなっていたので、なんともノンビリしたひとときで、思わず寝入ってしまいそうだった :D。注文してから10分位たつと客が一人入ってきたが、店内のノイズは特に変わらない。

それから、しばらくして「お待ちどうさま」の声と共に、湯気をいっぱい燻らせた角煮丼とみそ汁が出てきた:

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角煮丼(800円)

量的には期待していたほど多くない。ご飯の上に薄切りの角煮と玉ねぎ、そして紅生姜が添えられていた。みそ汁も具は豆腐だけのシンプルなもの:

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どちらかと云うと量は少な目

肝心の角煮の方はと云うと、肉と脂身の割合がほどよく、醤油ベースでやや甘めのタレがしっかり染み込んでいた。歯ですっと噛み切れる豚肉とは対象的に、こちらも味が染みた硬めの玉ねぎとの相性は抜群だった 8)

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柔らかく、味が染みた角煮片

最初は肉とご飯を交互に食べていたが、後半はご飯も角煮もたまねぎも紅生姜も皆まぜまぜして頂いた。この食べ方はオススメ。具材の良いところを一気に味わえた:

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軽く混ぜて一緒に食べるのがオススメ

食べ終わったあとは、この量で後半の城攻めまで持つかなぁと不安に思えたけど、まったく無用の心配だった :)

おあいそして、主人と軽く会話して店をあとにした。ごちそうさまでした。

角煮・三福
東京都八王子市片倉町340


ここからはオマケ。

こちらが、この日の午前中に攻めてきた片倉城跡(八王子市):

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湯殿川と片倉城跡

六年前に攻めた時、主郭と二郭の間の空堀(堀切)が藪化していて横矢掛跡を確認できなかったので再訪した次第であるが、今回も全く確認できなかった :$

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藪化したままだった空堀

今回の収穫の一つは二郭南側の大手道沿いに残る竪堀:

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二郭南側の竪堀

もう一つは二郭の空堀(堀切)。こちらは一部が遊歩道になっているようで、綺麗に残っていた:

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三郭と二郭の空堀(堀切)

三福でお昼を摂ったあとは、京王片倉から平山城址公園(日野市)へ移動し、鎌倉幕府の御家人の一人、平山季重《ヒラヤマ・スエシゲ》の館跡の他、公の墓所がある宗印寺を巡ってきた:

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大澤山・宗印寺

境内奥には万福閣なるエリアがあり、高台には平山万福稲荷大明神が祀られていた:

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万福閣

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神の使徒・牛の像

鳥居からのぞく佐源堂なる建物の中には五重塔の木造模型が置かれていた:

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佐源堂

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五重塔の模型

そして、この日の最後は三田氏館(三田城・谷保城)跡(国立市)。最寄り駅から甲州街道を横断して谷保天満宮の境内を通って向かった:

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谷保天満宮

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社殿

三田氏館跡は、その城域の大部分が私有地(三田氏の後裔の住居)であるが、空堀(堀切)跡は「谷保の城山歴史環境保全地域」の散策路になっていて、一応は遠目で城塁などを観察することができた:

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三田氏館跡の周辺は畑だった

館跡に隣接する城山公園《ジョウヤマ・コウエン》には古民家なんかが整備・復元されていた:

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旧青柳村古民家

建屋は立派なものだった:

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旧青柳村古民家

江戸時代から昭和の時代まで使われていた家の中も立派に復元されていた:

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復元された主屋

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復元された主屋

土間には農家で使われていた家財道具が展示されていた:

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往時の道具が展示されていた

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also片倉城攻め(2) (フォト集)
See Also平山季重居館攻め (フォト集)
See Also三田氏館攻め (フォト集)

参照

参照
a 国連が採択した国際障害者デー(International day of Disabled Persons)。手品の日(One! Two! Three!)。
b それもワンコインで 🤩️。
c 単に城攻めして腹が空いていただけかも知れないが 😁️。
d 店のすぐ奥にテレビが見えたので、自宅兼店舗のようだ。

手打ちそば 車屋 ー This is not just Soba-shop.

先週は令和5(2023)年の小雪の候の少し前の週末[a]土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。に、神奈川県の大磯町にある山城跡を二ヶ所攻めてきた。一応は、事前にコンビニ製おにぎりを2個購入して、標高167mほどの山頂で(早めの)お昼を摂ったのだけれど、下山して二つ目の山城跡を(徒歩で)攻めた後にはすっかりお腹が空いてしまった :D

昼の1時近く、予定より大分早く城攻めを終え、東海道は国道R1沿いの最寄りのバス停へ向かう途中、一軒の蕎麦屋を見かけた。店の前の水車が、この店は「そこいらの蕎麦屋とは違うぞ」感を醸し出していたが、ひとまずバスの時間を確認。次のバスまで小一時間ほどあったので、それならばと蕎麦屋まで戻って二度目のお昼を摂ることにした:

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旧東海道沿いにある車屋

暖簾をくぐり店内に入ると、一人用のテーブル席に通された。眼の前はテレビというお得な席だった。さらにテーブルの上の壁にはたくさんの御品書きが吊るされていたので、右から順番に眺めていく。

いつもなら城攻めを終えた後のビールで喉を洗浄するのだけれど、このあとも予定があったので、ここは我慢 :D。この日は陽が出ていたけど風が強く、歩いても歩いても体が冷えたままだったので暖かい本鴨南蛮蕎麦(1,210円)を注文した。

昼時ともあって店内には他にも客がいて、その中で最後に注文した自分の蕎麦が出てくるまで時間がかかりそうだなぁと眼の前のテレビを観ながら思っていた時、吊るされていたメニューの中の一つが目に入った。自家製・きゅうりのぬか漬け(300円)。糠が自家製なのか、きゅうりが自家製なのか詳細は不明であるが、乾いた喉を潤すために注文した:

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きゅうりのぬか漬け(300円)

若干、浅漬けに近い味であまり糠感を感じなかったが、みずみずしくて美味しかった。食べながらふと、その奥にあった黒板に書かれた刺し身の御品書きが目に入った。この店は夜は居酒屋にもなるのだろうかと思ったくらい、お酒のおつまみの品揃えが多かった。

ぬか漬けを食べ終える前に、出てきた本鴨南蛮蕎麦がこちら:

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本鴨南蛮蕎麦(1,210円)

熱々の濃い目のつゆに平たい蕎麦を絡ませて頂いた。鴨肉はスーパーでよくあるハム系ではなく、ちゃんとした(?)肉で、ちょっと硬かったが、脂もほどよく食べ応えがあった:

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少々硬めの鴨肉

最後は、肌寒い中で汗をかいたからか、ややしょっぱ目のつゆをしっかりと飲み干せた。おかげで体は暖かくなって良かったけど:)

車屋
神奈川県中郡大磯町高麗2丁目1-34


ここからはオマケ。
この日の午前中は高麗山城跡を攻めてきた。比高150mほどの高麗山[b]読みは《コマヤマ》。その昔、新羅に敗れた高句麗の亡命者が、この附近に移住して高麗神社を建立したことから。築かれた城:
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高麗山城跡と花水川

戦国時代に越後の上杉謙信小田原城攻めした際に、ここ高麗山に本陣を置いたと伝わる。

さらに花水川の先は丹沢方面で、大山を眺めることもできた:

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花水川ごしに大山・丹沢寺山を眺める

昼を摂った蕎麦屋の目の前には化粧坂《ケワイザカ》交差点から旧東海道が走っており、近くには大磯宿跡があった。現在も道路脇に松の木が生えて情緒ある風情が残っていた(化粧坂松並木):

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旧東海道の化粧坂松並木

この旧道沿いをバスの時間まで歩くことにした。こちらは化粧井戸《ケショウ・イド》:

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化粧井戸

現在は水は溜まっていなかったが、鎌倉時代にここ大磯では知られた遊女・虎御前[c]上杉謙信の母御ではなく、吾妻鏡や曾我物語に登場し、「曽我兄弟の仇討ち」の一人、曾我十郎祐成の妾だったとか。がこの界隈に住み、朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでその名がついたと云う。

さらに進むと化粧坂の一里塚なる場所があり、江戸日本橋から十六里のところに設けられた休息所:

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「此辺大磯宿の史跡(化粧坂の一里塚)」

往時は日陰と風よけを目的に、相模湾側に榎《エノキ》、高麗山側に栴檀《センダン》を植えていたのだとか。

こちらは大磯宿跡。江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた「東海道五拾三次之内大磯虎ヶ雨」が案内板として建っていた:

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大磯宿跡

空は鼠色に曇って秋雨が降る中、大磯宿堺の傍示杭が建つ入口近くを合羽を被って馬で行く旅人や野良仕事帰りの人、笠をさした町人など、街道も濡れてなにか寂しげな風景である:

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広重『東海道五拾三次・大磯・虎ヶ雨』

この地に伝わる曽我十郎と虎御前の悲恋にちなみ、恋人・十郎の死を悲しんで虎御前が流す涙と云われ、虎ヶ雨は夏の季語にもなっている。

こちらは化粧坂沿いの民家なんだろうけど、なんとも季節感いっぱいのお宅だったので、ついつい眺めてしまった :D

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柿の木と民家

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椪柑と民家

 
そして大磯八景碑の一つ、「化粧坂の夜雨」の場所に建つ歌碑:
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大磯八景碑 〜「化粧坂の夜雨」

大磯町長・宮台謙吉が選んだ大磯の名所八景を絵葉書として出版したものを、のちに大磯小学校の校長が刻んだ歌碑が建立された。

こちらは平成の一里塚。かっての一里塚を現代に蘇らせたもので、花水川に架かる花水橋傍にあった:

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平成の一里塚

最後は、この日二つ目の城跡である王城山城跡へ向かう途中、道に迷って見かけた「徳川家地堺」と刻まれた標柱。道路脇にあったけど、このあたりは天領だったのだろうか?:

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「徳川家地堺」の標柱

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標柱があった場所

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also高麗山城攻め (フォト集)
See Also玉城山城攻め (フォト集)
See Also2023年11月 旧東海道大磯宿散策 (フォト集)

参照

参照
a 土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。
b 読みは《コマヤマ》。その昔、新羅に敗れた高句麗の亡命者が、この附近に移住して高麗神社を建立したことから。
c 上杉謙信の母御ではなく、吾妻鏡や曾我物語に登場し、「曽我兄弟の仇討ち」の一人、曾我十郎祐成の妾だったとか。

“余湖浩一 10000城への軌跡“ @しろうたカフェ.

先々週は令和5(2023)年の立冬の候を過ぎた週末に、夏に参加したイベントに次いで今の趣味に関連した講演会(Presentation)に参加してきた。今回も、この趣味の界隈では知らない人は居ないほど有名な御仁がお話する(Speaker)という夢のような企画。自分の場合、はじめて攻める城跡に関して情報を得る時は、まずは(氏の名前を冠していることでも有名な)『余湖図コレクション』に目を通すことにしている[a]御本人曰く「城址を訪れる際に私の図を参考になさっている方が多いようですが、かなり未完成の部分もあります」のように謙遜しておられるが 😊️。。特に山城なんかはどこから登るかがスムーズに城攻めするキーポイントだと思っている :)

今回のトークショーは、氏がこの年に1万城の『余湖図』を完成させたお祝いはもちろん、描きあげた鳥瞰図に関してや、国内外の城攻めについてエピソードなどの話を聞けるとのことで、前回と同様に会場となるしろうたカフェのHPを見て、すぐさま予約した[b]完全予約制の理由は当日参加して理解できた。さらに予約しておいて良かったと思った 😉️。 。こちらが講演会の開催告知:

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「余湖浩一 10000城への軌跡」

開場時間からやや遅れて入店したのだけれど、既に自分以外の参加者(計25名)の大部分が着席し拝聴準備ができているようで、今回のトークショーに対する皆の期待の大きさを知ることとなった :D

そういうことあって、自分も遅れまじと残っている席の中で良い Position を確保したのだが、すぐ側にはたくさんの余湖図が展示されていた:

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余湖図コレクション

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余湖図コレクション

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余湖図コレクション

なにやら、これらはトークショー中に出題するクイズに正解した参加者へのプレゼントとのこと(計25枚用意されていた)。おおっ、楽しみである。無くなる前にしっかりと眺めておいた:D

そして、しろうたカフェ恒例の法螺貝吹きで、トークショーの始まりである:

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城攻め以外のトークも面白かった🙂️

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法螺貝でスタート😎️

まずは余湖氏の自己紹介やホームページ立ち上げの裏話など。Dial-up パソコン通信の黎明期からのトピックス[c]Nifty や Biglobe なんて懐かしいキーワードが出てきた。は自分としても馴染みあり、記憶に残っていることが多かった(これらのプレゼン資料の一部は、後日、余湖さんから頂いた):

余湖図Presentation-P01

「余湖図10000城への軌跡」

「常に意識していること」は、自分も同じポリシーを持っていたので共感することができた8)

余湖図Presentation-P07

「常に意識していること」

ただ氏の凄いところが、ホームページにアップするまでを完了してから次の城訪問へと云うサイクルを徹底していると云うこと。これを成し得てこそ1万城達成が可能なのだ。自分の場合はついつい訪問記を後回しで城攻めしてしまっているので、直近の訪問記は六年前の城攻め。氏のようなサイクルに戻すのは既に手遅れ。これでは1,000城攻めても訪問記を書き終えるのに十数年かかりそうだ :$

氏は主要な近世城郭を訪問したあとに、身近な中世城郭を訪問し始めたとのこと。自宅がある成田の城址が余湖図のスタートでもある:

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鷺山城(成田市)

城跡については身近な市史の他に『日本城郭大系』、自治体が発行する報告書の類なのだとか。あとは地方にある研究会の類にも参加しているとのこと。近年は書籍も発刊するなど大活躍である。

区切りとなった城訪問の中には、なんと海外の城もあるのだとか:

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#1000城目

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#2000城目

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#3000城目

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#4000城目

簡単に区切りとして1000城単位で紹介されていたけど、自分と比べると雲の上の、さらに上のレベルである :D。それにしても海外の城塞をしっかり描くなんて気が遠くなる:

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#5000城目

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#6000城目

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#7000城目

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#8000城目

氏の出身は新潟県佐渡とのことで、地元の城もしっかりと訪問済らしい。自分の田舎なんか城とは無縁の場所なので羨ましいかぎり。

8000城を達成したところで、10000城を目指すことを決意したのだとか:

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#9000城目

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#10,000城目

ちなみに、これら余湖図は最初は色鉛筆で描いていたとのこと。最近は絵の具の方が描くのが早いとのことで、それをデジタル化してお絵描きソフトを使って木々をコピーしながら描く手法が現在の Standard らしい[d]絵を描く道具はダイソー御用達とのこと 🙂️。

さらに最初は斜めから俯瞰した構図であったが、これだとどうしても見えない部分が出ててくるので、真上からの俯瞰図=鳥瞰図に変更して今に至るとのこと。

あと一日で訪問できる城数を稼ぐため、全国でも城郭が密集している地方[e]たとえば伊賀とか甲賀とか。あるいは愛知県なんか。を優先して選んでいるとも。

1万を越えてから、なおも増え続けている :)

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#10,270城目

2時間近くの濃密なトークショーを終えたあと、しろうたカフェさんから氏に素敵なプレゼントが:

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五稜郭をかたどったケーキ!🤩️

城マニアにとっては眺めるだけでも、うれしくなる豪華なケーキを、僕ら参加者もおいしくいただきました ;)。力攻めでは落城しなかった五稜郭もついにあとかたもなくなってしまった:D

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余湖氏と1万城ケーキ

トークショー中のクイズに正解して、自分が選んだ余湖図は熊本城。氏のサイン入り:

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余湖図・熊本城(拡大版)

参加賞として、1万城バッジも頂いた:

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1万城バッジ

この日は寒い日だったけど、熱いトークと凄い記録に圧倒されました。自分はあとを追うことは不可能な気がしていますが、氏にはいつまでも城マニアの視点で城跡を訪問して頂きたい。これからも余湖図にはお世話になります :D

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年11月 しろうたカフェ (フォト集)

しろうたカフェ
東京都福生市牛浜158 メディカルビーンズ2F

参照

参照
a 御本人曰く「城址を訪れる際に私の図を参考になさっている方が多いようですが、かなり未完成の部分もあります」のように謙遜しておられるが 😊️。
b 完全予約制の理由は当日参加して理解できた。さらに予約しておいて良かったと思った 😉️。
c Nifty や Biglobe なんて懐かしいキーワードが出てきた。
d 絵を描く道具はダイソー御用達とのこと 🙂️。
e たとえば伊賀とか甲賀とか。あるいは愛知県なんか。

ラーメンハウス香雅 − It’s tastes like stick to nothing.

先週末[a]あかりの日(エジソンが白熱電球を完成させた日)。小説家・志賀直哉の忌日。は令和5(2023)年の寒露の候に、群馬と埼玉の県境にある古戦場跡を巡ってきた。

まず、この日の午前中は瀧川一益勢が本陣を置いたとされる群馬県(上野国)側の軍配山古墳へ。JR高崎線・東海道本線(上野東京ライン)の新町駅前から出ている前橋玉村線に乗り、上之手南なるバス停で下車。そこから歩いて向かった。そして軍配山古墳周辺を巡ったあと、午後は橋の架け替えで移設されている古戦場碑を見てから神流川を渡り、埼玉県(武蔵国)側の古戦場跡を巡る予定だったので、同じ路線バスで駅へ戻った。

新町駅に着いたのが昼少し前だったので、あらかじめ見つけておいた近くにあるラーメン屋でお昼を摂って、エネルギーを満タンにしてから(瀧川勢と同じように)神流川を渡河することにした :D

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ラーメンハウス香雅

店前の駐車場(ニ台分)は満車であり、この店のホームページの内容から、もしかしたら地元では人気の店?なんて入る前からあらぬ期待をしてまった[b]意外と午前中は歩き回ったので腹が減っていたからだろう 😅️。。そして店内に入ると既に二つあるテーブル席は埋まっており、厨房を囲むL字型のカウンター席も1/3は先客が。

こんな具合でさらに期待を(勝手に)膨らませ、既に注文する品は決めていたのだが、一応はメニューを眺めた。ただお品書きはどこにでもある内容であったが、かまわずカウンター越しに店一番人気でこだわりの一品(930円)を注文。このあとも10分くらい待ったが、お昼どきともあって、その間にも客がどんどん入ってきたっけ。

で、出てきた広東メンがこちら:

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広東メン(930円)

写真ではよくわからないけど、かなりの熱々で湯気々。ここ群馬のからっ風は相当キツイだろうと想像し、午前中は体が冷えるはずだから、熱々の広東メンで体を十分に温めてから午後がんばろうと思っていたのだが、予想に反してこの日の群馬は暑かった〜(店内も暑かった) :O

ハフハフしながら食べ始めると、なんか味が物足りない。と云うか、ほとんど味がしない感じだった。餡はいい具合の色だったのだけれど、スープではなくただの「お湯」で溶いた感じ:|。お湯と云うと、以前同じようなラーメンを食べたことを思い出してしまった。うーm、周りを見ると広東メン食べているのは俺一人。もしかしたらハズレかも。と考えながら、とりあえず味の無い餡の中から麺と具材だけをすくい上げて食べ終えた(スープは残したまま)。

そんな感じで食べ終えた頃、店の入口には客が数人待っていたので、汗をふきつつ御勘定。このとき「広東メンは一番人気ですか?」と聞いてみたら「はい」って返ってきたっけ :|

店の「こだわり」が注ぎこまれた品であれば「930円」は高くはないと諦めるけど、「こんな味わい」が店の「こだわり」と云うのであれば「勘違い」も甚だしいな :$。期待して損した感じとは、まさにこのこと:/

このあとは駅中のコンビニでパンを購入して駅前のベンチで食ることに[c]かなり高く付いたパンになってしまった 🤬️。

ラーメンハウス香雅
群馬県高崎市新町2159-9


ここからはオマケ。

こちらが軍配山古墳(玉村町指定史蹟)。古墳時代の墳墓で、神流川合戦では瀧川一益が本陣をおいたと伝わる:

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軍配山古墳

一面に広がる田んぼの中にぽつんとあるので、遠くからでもすぐに分かった。近づいてみるとただの小山なんだけど、頂上には石碑、麓には説明板が建っていた(手前の黒い石碑は無関係):

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軍配山古墳

頂上から神流川古戦場(渡河地点)方面を眺めてみたが、川はまったく見えなかった:

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古墳上からの眺め

明治時代に発掘調査が行われたあと建てられた石碑(出土品の一覧)の裏面には「軍配山」と呼ばれた由緒が刻まれていた:

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「・・・瀧川一益挙兵ニ際シ軍配ヲ此ノ山ニ・・・」

古墳のまわりは田んぼだった。当時はまさに収穫の季節:

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クボタ ER448

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「♫ 燃える男の 赤いトラクター」

あと、古墳の近くには「滝川」って名前の川が流れ、そこに架かっていた橋は「一本橋[d]いかにも戦国時代にありそうな名前 😄️。」って名前だったけど、これも瀧川左近将監と何か関係があるのだろうか?:

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滝川

こちらが「神流川古戦場跡」の石碑など。JR高崎線のすぐ脇に移設されていた:

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移設されたもの

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JR高崎線の側

移設された物の中で一番奥にあるのが「神流川古戦場跡」の碑。それ以外は常夜燈やら道祖神やらで、あまり合戦とは関係のないものばかり。「森田新吉」って誰よ:|

このあと新しい神流川橋を渡る。古い神流川橋が撤去されずに残っていた。一番奥がJR高崎線:

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新旧の神流川橋とJR高崎線

これらは神流川橋からの眺め。流石に橋の上は風が強かったけど:

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赤城山

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天気が良かった

風が強い上空には必ず出現する鳶:

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そして神流川。この先が烏川《カラスガワ》との合流点で、その近くで北條勢と激突したらしい:

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現在の神流川

瀧川勢が渡河した場所は、今はゴルフ場だった:

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神流川の土手上(左手がゴルフ場)

この日、出会った虫たち(大分ちっちゃいけど :D):

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バッタ

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カマキリ

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トンボ

神流川橋の架替えにより旧道になった国道R17沿いを歩いていた時に、廃車なのか中古車なのかよく分からない置き場所があった。車の墓場にしては、なかなか貴重な車を見かけたけど :O

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車の墓場?

捨てられているのか?、保管されているのか?:

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MINI 1300

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これは保管中?

いやいや売り物だった :O

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72年式 VW ビートル

こちらは、帰りお腹がすいたので、立て続けにJRの自販機で購入したもの。最近の自販機のバラエティさは限度がないらしい。飲む時は目をつぶって :D

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お米が入っていた

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微妙な味だった

最後は踏切信号。今までまじまじと見たことは無かったけど、最新型は意外と elegant だった ;)

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踏切信号

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also神流川古戦場巡り (フォト集)
See Also軍配山古墳攻め (フォト集)
See Also金窪城攻め (フォト集)

参照

参照
a あかりの日(エジソンが白熱電球を完成させた日)。小説家・志賀直哉の忌日。
b 意外と午前中は歩き回ったので腹が減っていたからだろう 😅️。
c かなり高く付いたパンになってしまった 🤬️。
d いかにも戦国時代にありそうな名前 😄️。

焼肉・冷麺 大同苑 − Just ate Morioka-Cold-Noodle Before go Home.

先週末は令和5(2023)年の秋分の日[a]昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。貴重な文化財を観に岩手県は盛岡まで行って来た。まだ外が真っ暗の時間帯に起きて東京駅へ向かい、朝7時すぎの新幹線はやぶさ203号・新青森行に乗車して、盛岡に着いたのが朝9時半。この日の東北地方は大雨の関東とは違い、やわらかい陽がさす晴天で、少し厚着して行ったのだけど予想外に暑かった :O[b]流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。

この人生初の盛岡入りは日帰りのプランではあったが、(可能ならばを含め)観たいものは全て観ることができた[c]観覧ポイントは意外とまとまっていたが、中には結構な移動距離を往復歩くことになりそうだったので 😮️。ので満足して帰宅の途へ。ただ、この日の昼はしっかり食べたのに、城攻めで歩き回ったあとはすっかりお腹が空いてしまった :D。そんな具合で駅へ徒歩で向かっていた時、ちょうど事前に調べておいた御食事処が近くにあることを思い出し、サクッと店まで行ってサクッと盛岡のソウルフードを食べることができた:

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焼肉・冷麺 大同苑

こちらも豚一家の胃袋を満足させたお店で焼肉屋。夕食どきながら焼肉ではなく冷麺だけ食べにきたのに、気持ち良くボックス席に通してもらえて嬉しかった[d]もちろん1時間だけという制限はあったが。 ;)

グラスビール(720円)も注文して、胃袋のウォーミングアップをしながら待つこと10分ほど。人生で数えるくらいしか食したことがない冷麺、それも本場物がこちら:

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盛岡冷麺(1,080円)

前沢牛+いわて牛をベースにしたスープの真ん中に盛られた麺は北海道産のジャガイモ(馬鈴薯)の粉を使っているのだとか。付け合せの大根キムチで辛さを調節するらしいが、ひとまず素の冷麺を頂く:

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盛岡冷麺

さらにテーブルにあった酢を軽くかけて頂いて、キムチをど〜んと入れて食べた:

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盛岡冷麺+キムチ+酢

中太で弾力がある麺と、見た目は薄いがしっかりとした旨味のある冷たい牛スープが、味変でさらに味が引き立てられ、最後の一滴までしっかりと飲み干せた。辛さの苦手な自分でも問題なくいけた:

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しっかり完食

これまで食した冷麺では見事一番。見た目はシンプルながら、スープが美味しいと、それだけで違いが出るものなんだなぁ8)

店を出ると、冷たいものを食べて若干涼しさが増した感じがしたが、そのまま菜園通り沿いを歩き、北上川を渡って駅へ向った:

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開運橋から見下ろした北上川

焼肉・冷麺 大同苑(盛岡総本店)
岩手県盛岡市菜園2-6-19


ここからはオマケ。 
 
今回のツアーの目的である貴重な工芸品の他、もりおか歴史文化館には南部家に関する史料(含むレプリカ)がいろいろ展示されていた:

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不動明王打出五枚胴具足

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白羅紗地日の出紋陣羽織

盛岡城の壮大なジオラマは、城攻めする前に観ておくと良いかも:
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盛岡城のジオラマ

他には、盛岡秋まつりで使われた明治時代と現代の山車(レプリカ)なんて物も展示されていた:

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明治時代の山車

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現代の山車

このツアーの目的を成就したあと、午後は東北随一の石垣を持つと評判の盛岡城跡(巖手公園)を巡ってきたのだが、城址北側にある三ノ丸跡の一部は石垣修復工事のため立ち入りできなかった。そんな情報はホームページには無かったが :|
さらに公園内に入ると、翌日(日曜日)にはなにやらこの街恒例の音楽祭が開催されるとのことで、いろいろな場所[e]会場となる台所屋敷跡の多目的広場だけではなく、三ノ丸跡の一部や石垣の前とか 🤬️。さらに国の史跡である石垣の前に平気で車と停めていた。石垣はお前のものではない 🤬️。に注意書きの看板やら柵がおかれていた。別に今日じゃなくても良いだろうにと思ったが、前夜祭として打ち上げ花火が開催されるとのことで、午後5時頃には(暗黙のうちに)公園から閉め出される羽目に :$。田舎の行政は余所者には斯くの如くキビシイものか :X
 
これが三ノ丸北西部の石垣修復工事現場。もちろん休日なので作業はしていない:
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三ノ丸虎口の瓦御門跡

解体された石垣は公園内で空いているいろいろなエリアに保管されていた。したがって当然ながらそこには立ち入りできない:

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台所屋敷跡(多目的広場)

こちらは公園北側の三ノ丸石垣の上に置かれていた烏帽子岩(兜岩)。築城時に神域から出土したらしく、南部盛岡藩の守り岩:

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烏帽子岩

今回の園内は残念な状態ではあったが、石垣はさすがに素晴らしく見どころはあった8)。たとえば本丸と二ノ丸の石垣と堀切とか:

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本丸北東隅石垣

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二ノ丸南東隅の石垣と堀切跡

こちらは二ノ丸跡から眺めた岩手山:

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岩手山

本丸跡には立派な「トマソン[f]まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物のこと。」があったが、これは盛岡藩南部家四十二代当主であり、日露戦争で戦死した南部利祥《ナンブ・トシナガ》公の騎馬像が建っていたが、先の大戦で供出された状態のままなのだとか:

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南部利祥中尉銅像台座

最後は、惣構え南端にあった穀丁惣門《コクチョウ・ソウモン》跡へ向かう途中に偶然見つけた新渡戸稲造生誕の地:

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新渡戸稲造生誕の地

文久2(1862)年に南部藩士・新渡戸十次郎の三男として、この地で生まれ、農学博士・法学博士となって北海道の札幌農学校や京都帝国大学、東京帝国大学などで教鞭をとった:

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新渡戸稲造像

第一次世界大戦後は国際連盟事務局でも活躍したというが、個人的にはやはり著書の「武士道」と云う日本の魂についての解釈が印象的である

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年9月 もりおか歴史文化館 (フォト集)
See Also盛岡城攻め (フォト集)

参照

参照
a 昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。
b 流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。
c 観覧ポイントは意外とまとまっていたが、中には結構な移動距離を往復歩くことになりそうだったので 😮️。
d もちろん1時間だけという制限はあったが。
e 会場となる台所屋敷跡の多目的広場だけではなく、三ノ丸跡の一部や石垣の前とか 🤬️。さらに国の史跡である石垣の前に平気で車と停めていた。石垣はお前のものではない 🤬️。
f まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物のこと。