投稿者「ミケフォ」のアーカイブ

中華飯店 東華 − A Local Chinese Restaurant at MITO.

先週末は令和6(2024)年の雨水の候を過ぎた三連休の中日[a]【今日は何の日?】昭和天皇の大喪の礼《タイソウノレイ》が執り行われた日。に、八年前に攻めた近世城郭跡を再び攻めてきた。自分が巡ってきた後に、二ノ丸大手門や二ノ丸角櫓が木造復元されたらしいとのことだったので。

関東地方は、この日が唯一天気が良く暖かいと云う予想だったので直前になって決めた :)。実際、考えることは皆同じで、結構な人出で駅前広場は賑わっていたし、恒例の梅まつりに併せたイベントをいろいろ見かけた。行きは上野から水戸まで久しぶりにJR常磐線を利用したのだが、うかつにも後方の車両(2号車/15車両)に乗ってしまい、途中の土浦で15→5車両に切り離しされたため前方車両へ移動する羽目に〜[b]遠かったし、当然ながら大変混んでいた😞️。以前も同じようなミスをしたような気がする・・・😣️。ただ水戸の一つ手前の偕楽園で人が一気に下りたのには少し驚いたが。 :$

午前中に城攻めを終えたあと、帰宅する前にBS番組で昨年末に紹介されていた水戸駅周辺の町中華でお昼を摂る予定であった。ただ三連休ともあって田舎は休みの店が多い[c]あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。ことが気がかりであったが :|。で、まずは水戸東照宮近くの「中華料理・晴華」へ行ってみると、気がかりが的中 :O

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「中華料理・晴華」はお休み

仕方がないのでもう一軒の店へ向かうために駅へ戻り、さらに南口広場を縦断して川を渡った先の中華飯店・東華へ。歩いているときに営業中のネオンが見えて一安心だった:)。番組でも紹介していたが、お隣は同じ家族経営の雀荘:

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(こちらは店を出た時の写真)

暖簾をくぐって店内へ入ると奥の座敷に家族連れが一組居ただけ。昼の部が11:00〜14:00で、店に入ったのが13:30過ぎなのでギリギリかもしれない。現に食事を終えて店を出たら既に暖簾が下りていたし。「お好きな席へどうぞ」とのことで、長テーブルの厨房よりに座ってメニューを眺める。店の前でランチメニューも見たが、ここは玉ちゃんの「パイコウ」つながりで、パイコウ飯+半ラーメンのセット(1,050円)を選択した。

このあとも予定があったので「喉の洗浄」は割愛し、料理が出てくるまで町中華のしきたりとして、少年漫画に目を通す。ジャンプ、マガジン、サンデーを一通り眺めたが、特に気を引くような作品には当たらなかった。どれも線が細くて昔の作画タッチと違和感があったし、なんか印刷も薄い感じがした :|。今は漫画もデジタルの時代だからだろうか。と昔を懐かしんでいると料理が出てきた:

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パイコウ飯+半ラーメンセット(1,050円)

パイコウ(排骨)とは台湾の夜市でよく食べられる衣を付けて豚肉を揚げたもの。御飯の上で、醤油ベースのタレがかかっており、同じタレをまとった焼きネギも添えられていた:

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パイコウ飯(排骨飯)

ラーメンはあっさり系の中華そば。メンマやチャーシュが大きくて食べごたえあり:

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半ラーメン

細麺は柔らかめ。鶏ベースのしょう油味はやや薄味だった。大部分の麺を一気に食べ終えたところでパイコウ飯へ:

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”肉肉しい”パイコウ

薄い衣をまとった豚肉は肉々して脂が滲み出していた。これと焼きネギを御飯の上に載せて頂く:

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三位一体の絵

久しぶりに御飯モノが進んだ感じ。タレがいい感じだった 8)。寒い時期のネギは美味いねぇ。

こちらはレジ脇に掲げられていた玉ちゃんのサイン:

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玉ちゃんのサイン

中華飯店・東華
茨城県水戸市城南2丁目9-8

 

ここからはオマケ。
 
水戸駅と水戸黄門御一行:
 

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水戸駅の北口広場より

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黄門さま御一行

この日の水戸城跡は梅、うめ、梅づくしだった:
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弘道館公園の梅林

弘道館公園の梅林(偕楽園+弘道館の梅検索)から八重松島《ヤエ・マツシマ》は淡紅色で、見驚《ケンキョウ》は淡紅から移り白色:

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八重松島

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見驚

本丸(御本所)跡へ向かう本城橋あたりで見かけた梅(種類は不明):
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鮮やかなピンク色

こちらは鹿島神社の拝殿:

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御祭神は武甕槌神《タケミカヅチ》さま

その境内にあった神木鈴梅。水戸藩九代藩主・徳川斉昭《トクガワ・ナリアキ》(烈公)お手植えで鹿島神社の神木とされている。一見すると枯れ死しているようだが、ちゃんと生きている。木にまとった苔がその証拠らしい:

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神木鈴梅

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神木にまとった苔

こちらは三ノ丸跡に建つ茨城県庁の庁舎と、北三ノ丸跡に建っている水道の低区配水塔

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県庁@三ノ丸跡

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配水塔@北三ノ丸跡

令和2(2020)年に木造復元された二ノ丸の大手門:

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大手門(復元)

大手門の枡形虎口:

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枡形虎口跡

そして、同じく木造で復元された二ノ丸の角櫓。城内に八基あった隅櫓の一つ:

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二ノ丸角櫓

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二ノ丸角櫓

こちらは本丸(御本所)跡にある高校の敷地に移築された薬医門。本丸の表門にあたる橋詰御門と推定される。八年前は唯一の現存遺構であった[d]今は他にも城門の門扉や土塁などがある。

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薬医門@本丸跡

二ノ丸と本丸との間にあった堀切跡は現在はJR水郡線が通っている:

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堀跡を走る水郡線

本丸(御本所)の東側に置かれた下の丸跡も高校の敷地であるが、こちらはJR常磐線近くから眺めたもの(パノラマ):

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下の丸南側の城塁

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会茨城県のマンホールの解説を参照のこと:

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水戸市のマスコット

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水戸市の木

 と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also水戸城攻め(2) (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】昭和天皇の大喪の礼《タイソウノレイ》が執り行われた日。
b 遠かったし、当然ながら大変混んでいた😞️。以前も同じようなミスをしたような気がする・・・😣️。ただ水戸の一つ手前の偕楽園で人が一気に下りたのには少し驚いたが。
c あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。
d 今は他にも城門の門扉や土塁などがある。

お食事処・大陸亭 − It’s a Common Lunch Set, but Tasteless Something.

今週始めは令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の最終日[a]【今日は何の日?】徳川家康が征夷大将軍に就任し江戸幕府を開府した日(旧暦)。レトルトカレーの日(ボンカレーが発売された日)。世界の冒険家・植村直己の誕生日。に、群馬県の邑楽郡《ウオウラグン》にゆかりある勇将の菩提寺と館跡(城跡)を巡ってきた。

午前中に御廟と菩提寺を参詣して、館跡を巡る前に、その近くの御食事処[b]コンビニも無く、正直、この店しか選択肢が無かった 😮️。で腹ごなしすることにした。連休と云うことで田舎は休みの店が多いが[c]あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。、国道R354(館林バイパス)沿いを歩いていて「ラーメン」の幟が見えた時は正直ホッとした :)。はじめ店名から町中華系かと思ったが、どちらかと云うと「なんでも有り」のドライブイン系[d]和洋中のメニューは然り、国道沿いで五台以上は停められる駐車場もあったし 😉️。だった:

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お食事処・大陸亭

暖簾をくぐったのが昼すこし過ぎ。カウンターとテーブル席、そして奥に座敷があった。既にいくつかのテーブル席と座敷は埋まっていて、忙しそうに配膳していた店員に来店を告げると、窓側に席があると案内されると同時に、(店側にも客側にも)お手軽なランチセット(A・B・Cの三種類)を勧められた。なんか席につく前に、この場で決めてくれって感じだったので、佐野ラーメン系を期待してラーメンとチャーハンのCセット(1,100円)を注文してから席についた :|

窓側にある席と云っても、座った正面は壁で、少しだけ窓から国道を走る車が見えるって感じ :O。仕方がないので壁に貼ってあったメニューをつらつら眺めながら待つことにした。しばらくして出てきたのがこちら:

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Cランチセット(1,100円)

ラーメン単品が560円(当時)で、チャーハン単品が650円(当時)なので、ランチセットは110円もお得だった :D

ラーメンというか中華そばの方は、見た感じ佐野ラーメンぽっかったのだが、スープの味は薄くて何系なのかよく分からなかった。さらに麺は茹ですぎなのかフニャフニャに柔らかくて今ひとつ :|。もしかしたら自家製手打ち麺だろうか。製麺所の麺では無いような気もする。一方、チャーハンは妙に塩っぱい。どうやら中華麺とチャーハンを交互に食べるのが最もバランスの良い味わいになることが分かった。そう云うことで、ちょっと真面目に食べ切ってしまったのが原因なのか、城攻め中に腹が痛くなって少し難儀したけど :$

あとトイレは厨房のすぐ脇にあって、和式便器なので利用時に「生成される音」が厨房に聞こえているのではないかとハラハラしたし、衛生的にどうなんだろうか :|

お食事処・大陸亭
群馬県邑楽郡邑楽町篠塚2770-3


ここからはオマケ。

東武・館林駅から東武小泉線・西小泉行の10000系(10030型)に乗車して篠塚駅で下車:

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10030型

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単線・無人駅の篠塚駅

駅を下りて県道R152(赤岩足利線《アカイワ・アシカガ・セン》)沿いを南下したところにある篠塚伊賀守の御廟:

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御廟の境内

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御廟の境内

伊賀守は、群馬県の英雄である新田義貞に従った四天王の一人で、太平記にも登場する御仁。興味を持ったきっかけは、最近巡ってきた分倍河原古戦場跡の他、神流川古戦場にある金窪城主であった畑時能《ハタ・トキヨシ》もまた四天王の一人だったと云うこと。圧倒的な強さから、伊賀守の武勇伝は三国志演義の関羽雲長にもたとえられている。

邑楽町の英雄の御廟と供養塔。廟扉には新田氏の「新田一つ引き」紋があしらわれていた:

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御廟

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篠塚伊賀守重広公の供養塔

御廟をメンテしているのが近くにある篠塚家の菩提寺である大信寺で、その山門(赤門)は徳川四天王の一人で館林城主・榊原康政の菩提寺から移築したものらしい:

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大信寺の山門(赤門)

こちらは本堂。昭和の時代に建てられたもので、その脇には江戸時代の建立と伝わる旧本堂があった:

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改築された新しい本堂

篠塚氏の居館跡は既に宅地化されていて、遺構はあまり残っていないが、大手門跡に建つ毘沙門堂周辺には若干の堀と土塁のようなモノを確認できた:

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大手門跡と毘沙門堂

かって城域に建っていた八幡神社は移築されていた:

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現在の八幡神社

古城橋は、かっての外濠に架かっていた橋であったが、現在は暗渠になって石碑が残るのみ:

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古城橋跡

篠塚館跡の大部分は宅地化・耕地化されていた:

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篠塚館跡

一部に見られる用水路などは居館の名残であろう:

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城跡北側の用水路

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also篠塚伊賀守御廟と大信寺参詣 (フォト集)
See Also篠塚館攻め (フォト集)  

参照

参照
a 【今日は何の日?】徳川家康が征夷大将軍に就任し江戸幕府を開府した日(旧暦)。レトルトカレーの日(ボンカレーが発売された日)。世界の冒険家・植村直己の誕生日。
b コンビニも無く、正直、この店しか選択肢が無かった 😮️。
c あくまでも自分のこれまでの経験値からの結論だけど 😉️。
d 和洋中のメニューは然り、国道沿いで五台以上は停められる駐車場もあったし 😉️。

東京国立博物館 展示 #7377、#7274 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2024.

先週末は令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の初日[a]【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。に、栃木県にある城跡を攻め、本場モノの讃岐うどんを食べての帰宅途中に、今年初の東京国立博物館へ立ち寄って鑑賞してきた。

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閉館間際の本館

当時は目玉の特別展があったり、海外からの観光客も押し寄せるなどあって、閉館前二時間くらいの観覧ではあったけれどかなり混んでいた :|。今回、鑑賞した総合文化展[b]料金は大人1,000円(当時)。は:

  • #7377:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2024年2月6日(火)~ 2024年4月2日(日)
  • #2639:本館2階4室の「茶碗」:2024年1月2日(火)~ 2024年3月10日(日)
  • #7273:本館1階13室の「刀剣」:2024年1月2日(火)~ 2024年3月3日(日)
  • #2613:本館1階11室の「彫刻」:2024年1月2日(火)~ 2024年4月7日(日)

全体的には昨年に鑑賞した作品が主であったが、その中で「刀剣」の展示では國寳に指定されている「天下五剣[c]江戸時代、日本刀の中で特に名刀と云われる五振りの総称。」の一つを人生で初めて鑑賞することができたし、「武士の装い」では昨年、岩手県の盛岡まで足を運んで鑑賞してきたにゆかりある御仁の肖像画[d]原本ではなく模本ではあるが 😅️。を鑑賞できたのは収穫であった 8)

まずは甲冑。こちらは樫鳥糸肩赤威胴丸《カシドリイト・カタアカオドシ・ノ・ドウマル》(重要文化財)。室町時代(15世紀)。陸奥三春藩・秋田家の伝来品:

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樫鳥糸肩赤威胴丸

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樫鳥糸肩赤威胴丸

胴に兜と大袖を備えた三ツ物皆具《ミツモノカイグ》の胴丸で、兜は総覆輪筋兜《ソウフクリン・スジカブト》で正面に鍬形を飾り、上級武士の権威を象徴した重厚かつ豪華な造形を持つ。

こちらは黒韋肩白威胴丸《クロカワカタジロオトシ・ノドウマル》(重要文化財)。南北朝時代(14世紀)。加賀藩・前田家の重臣の一人、長《チョウ》家の伝来品:

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黒韋肩白威胴丸

全体を黒韋威とし肩を白糸威とし、棟に杏葉《ギョウヨウ》を下げている。

そして色々糸威腹巻《イロイロイトオドシ・ハラマキ》(重要文化財)。室町時代(15世紀):

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色々糸威腹巻

全体は茶糸と紅糸と白糸を交互に威して華やかな配色であり、胴の胸板、脇板や壺袖の冠板の金具廻を藻獅子韋《モジシガワ》で飾った上に、要所に枝菊紋の飾金具を配す。

兜は既に昨年鑑賞しているものしかなかったが、その中から紺糸威筋兜《コンイトオドシ・ノ・スジカブト》の一頭。室町時代(15世紀):

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紺糸威筋兜

鯨の髭製を束ねた菖蒲形の前立を飾り、鳶口形の鼻を持つ面具を備えている。

そして黒田如水像《クロダジョスイ・ゾウ》の模本。これは昭和時代の作で、原本は如水が亡くなった三年後に嫡子の長政が作らせた[e]こちらは福岡県福岡市の崇福寺が所蔵しているとのこと。

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黒田如水像(模本)

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黒田如水像(模本)

如水は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた戦国武将の一人。頭上には、如水が帰依した京都・大徳寺の僧・春屋宗園《シュンオク・ソウエン》による賛文が記されてる。

こちらは青井戸茶碗・土岐井戸《アオイドチャワン・トキイド》。朝鮮時代(16世紀)。「井戸茶碗」は高麗茶碗の主流の一つで、すっきりと直線的な形状が特徴:

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青井戸茶碗・土岐井戸

刀剣としては、まず國寳の太刀・三条宗近《タチ・サンジョウムネチカ》。名物・三日月宗近《メイブツ・ミカヅキムネチカ》とも。平安時代(12世紀):

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太刀・三条宗近

宗近は京三条の刀工で、本作はその代表作で、手元が強く反った細身の刀身に、三日月のように見える打除け[f]焼入れの際に刃中に現れる模様のこと。を映す刃紋を持つ(赤丸の中にある破線のように見える模様):

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三日月のように見える打除け(赤丸の部分)

この太刀に付属する梨地菊桐文蒔絵糸巻太刀鞘《ナシジ・キクキリモン・マキエイトマキ・ノ・タチノサヤ》。江戸時代(16世紀)。この糸巻太刀の鞘には金蒔絵で豊臣家の菊桐紋を描き、帯執《オビトリ》の太鼓金《タイコガネ》には雲形と三日月を飾る:

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梨地菊桐文蒔絵糸巻太刀鞘

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金蒔絵の菊桐紋

この太刀・三条宗近は、豊臣秀吉の正室・高台院《コウダイイン》[g]北政所、おね(ねね)はよく知られた呼び名。の遺品でもあり、のちに徳川将軍家に伝来し、天下五剣の一つとなる。

こちらは黒漆太刀《コクシツノタチ》。鎌倉〜南北朝時代(13〜14世紀)。鎌倉時代に多く用いられた太刀拵《タチ・ゴシラエ》:

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黒漆太刀

毛利輝元から小笠原氏に贈られたもので、柄《ツカ》は鮫着黒漆塗《サメキセクロウルシヌリ》に黒韋巻《クロカワマキ》とし、小笠原家の家紋である三階菱紋《サンガイビシモン》の目貫《メヌキ》を飾る:

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目貫は小笠原家の家紋である三階菱紋

光り輝く漆が目につく、こちらは潤漆千段巻塗打刀《ウルミウルシ・センダンマキヌリ・ウチガタナ》。江戸時代(19世紀)。郷義弘の拵《コシラエ》:

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潤漆千段巻塗打刀

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潤漆千段巻塗打刀

鞘全体に多数の凸凹を平行に付けて、表面を漆塗とする千段巻塗で、目貫、笄、小柄には水仙、縁頭には葵紋と六つ葵紋を飾り、葵紋透鍔が付けられている。

これは越前国・朝倉氏景(またはその一族)の所用で、敵の籠手を一刀したことが銘の由来になった、刀・伝相州正宗《カタナ・デン・ソウシュウマサムネ》。名物・籠手切正宗《メイブツ・コテギリマサムネ》とも。南北朝時代(14世紀):

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刀・伝相州正宗

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のちに織田信長が所持して磨上げ、その後は近習の大津伝十郎長昌《オオツ・デンジュウロウ・ナガマサ》が拝領した。

最後は彫刻の作品からいくつか。武家が武運を願い崇敬を集めた八幡神《ヤハタノカミ/ハチマンシン》像。モデルは第十五代天皇である応神天皇《オウジンテンノウ》とも。島根県の赤穴八幡宮に伝わる、慶覚(鏡覚)《キョウカク》作の八幡三神坐像の三体が展示されていた。

まず大和朝廷の守護神でもある八幡神坐像《ハチマンシンザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀):

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八幡神坐像

二体目は息長足姫坐像《オキナガタラシヒメザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀)。息長足姫は応神天皇の母・神功皇后とされている:

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息長足姫坐像

三体目は比売神坐像《ヒメガミザゾウ》(重要文化財)。鎌倉時代(12〜13世紀)。比売神は特定の神ではなく、神社の主な祭神と関係の深い女性を指すと云われる:

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比売神坐像

最後は千手観音菩薩坐像。南北朝時代(14世紀)。十一の頭上面をいだき、合掌する二本の腕と四十本の脇手《ワキシュ》を表す:

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千手観音菩薩坐像

「千手」とあるが、実際は腕の数を省略した姿が一般的なのだとか。像はもちろん、台座や背後の光背に至るまで精美な彫刻になっている。

今年も時間を作って観覧しに行こうと思う =)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2024年2月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。
b 料金は大人1,000円(当時)。
c 江戸時代、日本刀の中で特に名刀と云われる五振りの総称。
d 原本ではなく模本ではあるが 😅️。
e こちらは福岡県福岡市の崇福寺が所蔵しているとのこと。
f 焼入れの際に刃中に現れる模様のこと。
g 北政所、おね(ねね)はよく知られた呼び名。

讃岐うどん処・合掌松屋 − This is so the Sanuki Udon.

先週末は令和6(2024)年の立春の候を過ぎた最初の三連休の初日[a]【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。に、栃木県下野市にある城跡を攻めてきた。

この日は、お昼を目標に城攻めを終えたら、最寄り駅であるJR宇都宮線の石橋駅へ戻る途中にあって創業90年を越す老舗食堂で、とんかつ定食でも食べてから長い帰宅の途につく予定だった。あらかじめ調べておいた時に、この食堂は昼と夜の二部構成で、昼の部は 13:30 がラストオーダーで 14:00 に閉店することは、しっかり頭に入れておいた。

今回の城跡は単郭ながら整備が行き届いていて見所が多く、予想外に時間をくってしまった。城跡から駅までは凡そ徒歩40分ほど。頑張って歩いて[b]往路は初めての土地なのでやや時間がかかったが、復路は信号などの障害を回避したり短縮できた 😎️。ラストオーダーに数分残したまま店前に到着できたのだが、なんと閉店時間を繰り上げたらしく、既に暖簾が下り「午前の営業は終りました」との張り紙が :O

この現実に直面したあと一層お腹が減ってきて、この際は選択肢はないと頭を切り替えて、周辺にある御食事処を探してみた。その時、日光街道(国道R4)を挟んだ所にある大衆割烹料理店の看板が目に入った。店前にはランチタイムのメニューがあって営業中であることをしっかりと確認。しかし暖簾をくぐるやいなや女将から営業終了を告げられた[c]あとで調べてみると、こちらは昼の部は 13:30 が閉店なので、完全な OUT of Service 🤨️ :O

もう、こうなったら何か腹に入れないと電車に乗れないなぁと思っている中、今いる場所から数分のところにあるうどん屋を偶然発見した[d]何か引き寄せられるかのように地図上に浮き上がってきたうどん屋の文字(ただのズーム効果だが)。もしかしたら、この日の運命だったのかもしれない 😃️。

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讃岐うどん処・合掌松屋

まだ暖簾が上がっていることを確認し、窓からは店内が見えたので、まずは一安心で暖簾をくぐった。一見するとテーブル席はだいぶ埋まっているようだったが、忙しそうな主人が奥にある二人席を案内してくれた。

この店は夫婦二人で切り盛りしているようで、水はセルフだし、注文を取りにきてくれるような雰囲気でもなかった :|。ひとまずメニューを見て「讃岐うどん」であることを知り、つけ汁うどん(豚肉汁)と天麩羅(たまご+鶏)に決めて、タイミングをみて注文を完了。この時、「うどんを茹でるのに15分ほどかかるけどいいですか?」と尋ねられたが、この際、腹に入れれるならば待ちましょう!ってことで「全然大丈夫です」と返した :D

注文が出てくるまでの間、メニューの脇にあった一冊のアルバムを眺めた。この中には、ご夫婦が讃岐うどん屋を始めるきっかけとして本場の四国でうどん屋巡りした時の話[e]特にオススメの店などが紹介されていた。や、四国の人たちの交流、試行錯誤で始めた讃岐うどん作りの話など、15分ではぜんぜん追いつかないくらいのストーリーが盛り込まれていた 8)

そして「お待たせしてすみません」の声と一緒に出てきた品がこちら:

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つけ汁うどん(950円)+天麩羅(350円)

まず最初に目についたのが、太くて形が不均一(non-uniformed)な「讃岐うどん」:

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普通盛りの讃岐うどん(冷)

本場四国の製粉所から取り寄せた小麦粉を玄関前の厨房で手打ちしているようで、その輝きから茹で上がりが見事なうどん。水や塩は店主自らが味わって選択したもの。

そして温かいつけ汁(ねぎと豚肉):

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つけ汁(豚肉汁)

そして薬味(天かすとネギ)と香の物、そして箸休めのデザート付き:

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白菜の漬物+天かす+ネギ+生姜とゼリー(?)

あつあつの天麩羅がこちら。四種から二種を選択するシステムながら、好物のいも天がオマケについていた 8)

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天麩羅二種+オマケ

手打ちの「讃岐うどん」と同様に、天麩羅粉や油はもちろん具材に不純物や添加物はなしとのこと。

最初はつけ汁と併せず、そのまま「讃岐うどん」を頂いたのだが、小麦の香りと甘さが直に伝わってきた上に、コシの凄さはこれまでのうどん人生で一番だった:

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素のままで十分に美味い

この「讃岐うどん」をつけ汁に付けて頂くと、素のコシがすーっと抜けた感じで、しっかりと噛み切れるほど柔らかくなる。これぞ「本場」の証 =)。「讃岐うどん」が太いので、一本一本しっかり頂くことで普通盛りでも十分に満足できた:

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一本ずつ頂く

天麩羅はそのままでいけた。うどんのチェイン店が出す使い古しで匂いがキツイ油ではないし、素材も良いので余計な味付けは不要と改めて思った。ホント、いも天は甘くて美味しかった:

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そのままで美味しい天麩羅

この日、この店にたどり着くまでの仕打ち(?)はどこへやら。大満足で店を出ることが出来た。また食べにきたい。たとえ攻める城がなくても :D

讃岐うどん処 合掌 松屋
栃木県下野市石橋207


ここからはオマケ。

こちらは城跡へ向かう途中にあった下野厄除け大師

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(城跡へショートカットできる?)

立派な山門(仁王門)とその境内:

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仁王門

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本堂や薬師堂があった

このお寺の隣がちょうど城跡なので、境内を横切って行けるか確認したが、途中に私有地があってショートカットは出来なかった :|

城跡の中はもちろん、周辺の案内図も整備されていて道に迷うことはなかった:

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数箇所に案内板あり

登城口前には二台分の駐車場があった:

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この先が城域(二ノ郭跡)

二ノ郭東側の堀跡:

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左手が主郭跡方面

二ノ郭南側にある堀跡近くに建っていた社:

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土塁跡に建てられていた社

二ノ郭跡に作られた遊歩道(登城道)には番犬がいた :D

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番犬?

案内板によると、植物の無断持ち出しがあるらしく、防犯カメラが作動中(?)とのことだった[f]この番犬の目にでも特殊なカメラがついているのだろうか 😁️。

二ノ郭との間にある主郭土橋:

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主郭南側の虎口

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主郭南側の堀

虎口から振り返って見た土橋:

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主郭虎口から見下ろした土橋と堀

虎口からみた 主郭跡。周囲には高い土塁が巡らされていた:

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主郭跡

主郭土塁上とそこから眺めた主郭跡:

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土塁上

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主郭跡

主郭を取り巻く堀跡にも下りてみた:

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主郭の堀跡

最後は、城域を巡っていた際に目撃したマンホール蓋。詳細は日本マンホール蓋学会栃木県下野市のマンホールの解説を参照のこと:

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旧石橋町のマンホール蓋

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also児山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】ふとんの日、ふきのとうの日、豚丼の日(すべて 2と10の語呂合わせから)。永享の乱で鎌倉公方・足利持氏が自刃した日(旧暦)。
b 往路は初めての土地なのでやや時間がかかったが、復路は信号などの障害を回避したり短縮できた 😎️。
c あとで調べてみると、こちらは昼の部は 13:30 が閉店なので、完全な OUT of Service 🤨️
d 何か引き寄せられるかのように地図上に浮き上がってきたうどん屋の文字(ただのズーム効果だが)。もしかしたら、この日の運命だったのかもしれない 😃️。
e 特にオススメの店などが紹介されていた。
f この番犬の目にでも特殊なカメラがついているのだろうか 😁️。

登利平@深谷店 − A Lunch at Restaurant where was acclaimed for “Torijū”(TAKE2).

昨日は令和6(2024)年の立春の候にあたる週末[a]【今日は何の日?】暦の上では春の気配が現れてくる日。旧暦だと、太政大臣・平清盛が病没した日であり、赤穂浪士の四十七士が切腹した日。、前回の城攻めに続いて再び埼玉県深谷市にある城跡と、その時に見落としていた場所を併せて巡ってきた。

この日は、JR深谷駅前からコミュニティバスで城跡に近い「幡羅公民館《ハタラ・コウミンカン》」まで100円で移動できると云うことで、その時刻に合わせて早起きして向かったのだが、当のバス停には該当する路線や行き先がない :|。あれぇ? まわりには他に停留所は無いし、出発時間も近づきつつあって、あげく北口あたりをうろうろしたのだけれど、とうとう見つけることが出来ず :$。仕方がないので1,700円をかけてタクシーで移動した。現在「幡羅生涯学習センター」と呼ばれているその場所でゲートボールを楽しんでいた御老人に聞いてみると、なんと自分が見ていたのは平成時代のバスの情報(リンクはPDF)だった〜 :O。こんな「賞味期限切れ」の情報をいつまでもインターネット上で公開しておくのはどうなんだろうか[b]これだって立派な偽情報だが、Google Searching を信じた俺のミス(自己責任)なんだろうなぁ 🤬️。 :O

ともあれ、無事に予定を済ませたあとJR深谷駅へ向かう途中[c]帰りは徒歩にした 😐️。、再び前回お昼を頂いたお店へ(投稿としては同じ店が連チャンになってしまったが・・・):

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上州御用鳥めし本舗・登利平@深谷店

お昼を少し過ぎただけの時間であったが Eat-In のスペースは誰も居らず、自分が最初の客だった[d]前回と今回の来店で思ったのだが、この店はどちらかというと弁当の持ち帰り客の方が多い感じがした 😮️。。お好きなところへどうぞと云うことで通してもらった。

前回は定食ものを選択したが、今回は御重のエントリからソースかつ重(980円)、そして一品料理から、もも串とねぎもも串(共に塩で210円/本)を注文した:

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ソースかつ重(980円)と串2本(210円/本)

前回の鳥合わせ定食にもあったチキンかつが三枚、ソースがしっかりとまとわれ、普通盛りの御飯の上にのっていた。味噌汁と香の物は同じ。自家製ソースとの相性が抜群なチキンかつの中は熱々だった:

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柔らかくて熱々のチキンカツ

串ものは脂がしっかりにのっていて、塩でさっぱりいけた:

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もも串(210円)とねぎもも串(210円)

ビールなどアルコールの提供がないのが残念。

まだまだ城跡の多い深谷市には、これからも足を運ぶ機会があるだろう 8)。ただ西や南なんだけどなぁ。

登利平(深谷店)
埼玉県深谷市国済寺 332-21


ここからはオマケ。

この日は深谷城の支城とも出城とも云われている東方城《ヒガシカタジョウ》跡へ。ちょうど現在城攻め訪問記で栃木県の西方城《ニシカタジョウ》跡を執筆中であり、なにかしらの「縁」を感じた :D

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御所屋敷跡あたり

主な遺構は土塁や土壇と云ったところ:

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御所屋敷の土塁

土塁上から見下ろした郭内は藪化し、枯葉の他にチャリが埋もれていた。一応、この敷地は市指定文化財なのだが :|

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深谷市指定文化財・東方城跡

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「埋もれた古城」ならぬ埋もれた自転車

こちらも東方城の一部とされている熊野大神社《クマノ・ダイジンジャ》。「東方」と云う地名もこの神社がゆかりなのだとか:

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熊野大神社

鳥居の脇には立派な大欅の御神木がある:

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御神木

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御神木の大欅

深谷城主をつとめた深谷上杉氏が深く崇敬、のちに徳川家康の家臣で、東方城主となった松平丹波守康長《マツダイラ・タンバノカミ・ヤスナガ》が保護し信仰した:

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熊野大神社

本殿裏には諏訪大社や八坂神社など各地から勧請された社が、土塁跡の上に建っていた:

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土塁跡と伊奈利神社

こちらは熊野大神社のお隣りにあった真言宗の寺院・弥勒院《ミロクイン》:

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真言宗・熊野山・弥勒院

境内には不動明王が鎮座していた:

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不動明王像

こちらは「ガリガリ君」で有名な赤城乳業㈱本社ビル。前日に観た「出川哲朗の充電させてもらえませんか」に出ていて、せっかくなので :D

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赤城乳業 ㈱ 本社ビル

最後は駅前にあった「ふかっちゃん」像:

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「ねぎあげます・・・」

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also東方城攻め (フォト集)
See Also廰鼻和(庁鼻和)城攻め(2) (フォト集) 

参照

参照
a 【今日は何の日?】暦の上では春の気配が現れてくる日。旧暦だと、太政大臣・平清盛が病没した日であり、赤穂浪士の四十七士が切腹した日。
b これだって立派な偽情報だが、Google Searching を信じた俺のミス(自己責任)なんだろうなぁ 🤬️。
c 帰りは徒歩にした 😐️。
d 前回と今回の来店で思ったのだが、この店はどちらかというと弁当の持ち帰り客の方が多い感じがした 😮️。