投稿者「ミケフォ」のアーカイブ

東京国立博物館 展示 #7658、#7675 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2024.

先々週末は令和6(2024)年の大暑の候を過ぎた週末[a]【今日は何の日?】菜っ葉の日(語呂合わせ)。江戸川乱歩が没した日。オーストリアがセルビアに宣戦布告してWW1が開戦した日。に、今年二度目の東京国立博物館へ:

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大混雑だった本館

今年の関東は梅雨明けするやいなや、日中の気温は「ウナギのぼり」の日が続き、この日も例外ではなく、外に居ても家に居ても暑いので、それならばと冷房が効いた中でお目当ての美術品でも鑑賞しようと思ったのは良かったのだが、皆考えることは同じで、折しも夏休みシーズンに加え、海外からのツアー客が押しかけていて炎天下[b]この日の東京の最高気温は 36.8℃ 😣️。に入場券を購入する長い行列に並ぶ羽目に :$。しっかし自動券売機の処理の遅さはなんとかならないのだろうか・・・ :|。人間も鳩も水分補給は必須だ:

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本館脇の池では

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鳩が、しっかりと水分を

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補給していた🙂️

と云う感じで、のっけからキツイ思いをしておそらくは記憶に残る来館になるのかもしれないが、実は三年かけて「トーハク通い」してきた目的を、今回ついに達成することができたと云う意味でもまた記憶に残る鑑賞になった[c]ホント週一で展示作品をチェックしておいて良かった〜 😉️。 8)

今回、鑑賞した総合文化展[d]料金は大人1,000円。何度も鑑賞することが分かっていたら年間パスポートを買っておけばよかった 😞️。は:

  • #7658:本館2階5室・6室の「武士の装い」:2024年7月17日(水)〜 2024年10月6日(日)
  • #7796:本館2階3室の「仏教の美術」:2024年7月2日(火)〜2024年8月18日(日)
  • #7633:本館2階1室の「日本美術のあけぼの」:2024年7月2日(火)〜2024年12月22日(日)
  • #7668:本館2階1室の「仏教の興隆」:2024年7月17日(水)〜2024年10月6日(日)
  • #7672:本館1階11室の「彫刻」:2024年7月9日(火)〜2024年9月29日(日)
  • #7675:本館1階13室の「刀剣」:2024年5月28日(火)~ 2024年8月25日(日)
  • #2658:本館1階14室の「人間国宝・平田郷陽の人形」:2024年7月17日(火)~ 2024年9月1日(日)
  • #7641:本館1階16室の「アイヌと琉球」:2024年7月9日(火)~ 2024年9月23日(月)

毎度おなじみの展示の他にいろいろ巡ってきたが、その大体が人混みを避けて歩き回った結果ではある :D。「武士の装い」では念願の「角栄螺《ツノサザエ》」をついに観ることできた ;)。この兜を存在を知って、いろいろ調べていると、ここトーハクが所蔵しているとのことで、何時か鑑賞できるだろうと通いつめること三年目の大収穫。ただ毎回ぼやいているのだが、ホント照明の映り込みはなんとかならないのだろうかと云う点が残念でならない ;(

まずは、その「武士の装い」から「豊臣秀吉朱印状」。安土桃山時代(16世紀):

豊臣秀吉朱印状

織田信長によって衰退に追い込まれていた本願寺(顕如)は、信長亡きあとに秀吉に接近することで復興への道を探っていた。これは、無類の能好きとして知られた秀吉に顕如から能道具が贈られたことへの秀吉直筆の礼状とされている。

これは「毛利元就像(模本)」。原本は安土桃山時代(16世紀)で、模本は昭和時代(20世紀):

毛利元就像(模本)

一代で中国地方を制覇した戦国大名で、長州藩の藩祖でもある毛利元就の肖像画の写し。原本は、元就が中国の覇権をかけて激戦を繰り広げた尼子氏を滅ぼしたのち、永禄9(1566)年に描かせたものと伝わる。

そして「肩脱二枚胴具足《カタヌギ・ニマイドウグソク》」。安土桃山〜江戸時代(16〜17世紀):

肩脱二枚胴具足(表)

肩脱二枚胴具足(裏)

まるで片肌を脱いだ肉体をリアルに打ち出した鉄板で表現すると云う面白い意匠の当世具足。獣毛で毛髪を表した変わり兜と併せると、裸一貫で戦う荒武者を彷彿させる。その一方で、甲冑部は金箔押の切付札《キッツケザネ》を紫・紅・萌黄・紺・白の組紐からなる色々糸威になっている。

こちらは順に、重要文化財の紅糸威星兜《ベニイトオドシ・ホシカブト》・南北朝時代(14世紀)、色々糸威雑賀鉢兜《イロイロオドシ・サイカバチノカブト》・江戸時代(17世紀)、紺糸威烏帽子形兜《コンイトオドシ・トリエボシナリカブト》・江戸時代(17世紀):

紅糸威星兜

色々糸威雑賀鉢兜

紺糸威烏帽子形兜

紅糸威星兜は鉢の前後左右に渡金の地板を伏せたいわゆる五十二間四方白の星兜で、前立は鍬形に利剣を加えた三鍬形、その台に魚子地枝菊紋が薄肉彫りされている。大塔宮・護良親王《オオトウミヤ・モリヨシシンノウ》[e]父は後醍醐天皇。建武の時代の皇族であり天台宗座主であり征夷大将軍である。の兜との伝承あり。

色々糸威雑賀鉢兜に代表される雑賀鉢は雑賀荘の甲冑師による独特な造形を持つ兜。表面を錆地にした鉄板を矧ぎ合わせて縄覆輪を掛け、上部に菊型の鉄板を重ね、装飾を兼ねた菊座鋲で留めている。

紺糸威烏帽子形兜は、烏帽子の中で最も格式の高い立烏帽子《タテエボシ》を模した変わり兜。鉄製の鉢に革で作った立烏帽子を被せ、表面に粗い麻布を貼って漆で固め、金箔押で飾っている。錣や面具にも金箔押を施し、紺色の毛引威として全体的に華麗で高貴な仕立てとなっている。

こちらは紺糸肩裾取威腹巻《コンイト・カタスソドリオドシノハラマキ》。室町時代(15世紀):

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紺糸肩裾取威腹巻

本来の腹巻きは歩兵用として軽量で動きやすく作られた甲冑であったが、戦国時代初めには重武装化された騎馬武者も着用するようになった。草摺は七間五段下り、威は紺糸を中心にして上下に紅糸を配した肩裾取威としている。

そして栄螺形兜と併せられた胴具足の二領。「栄螺」は丈夫な殻は守りが堅いに通じることから特に戦国武将に好まれた意匠であった。今回のお目当ては手前の紅糸威二枚胴具足に併せた角栄螺形兜 8)

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紅糸威二枚胴具足と白糸威二枚胴具足

まずは白糸威二枚胴具足《シロイトオドシ・ニマイドウグソク》。江戸時代(17世紀):

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白糸威二枚胴具足と栄螺形兜

兜は鉄板を打ち出して栄螺を表した変わり兜。胴は西洋の甲冑を模した和製の南蛮胴で正面に鎬《シノギ》を立てている。草摺は黒毛植で裾板のみ白毛植。要所に丸に梶葉《カジノハ》紋[f]信濃国諏訪神社の神紋。の赤銅《シャクドウ》製金物を飾る:

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白糸威二枚胴具足と栄螺形兜

そして紅糸威二枚胴具足《ベニイトオドシ・ニマイドウグソク》。具足は江戸時代(17世紀)、兜は安土桃山時代(16世紀):

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紅糸威二枚胴具足と「伝・角栄螺」

別名は金魚鱗小札二枚胴具足。胴は二枚胴で、胴正面を西欧の甲冑を模した和製の南蛮胴。袖と佩楯《ハイダテ》は龍(魚)の鱗を思わせる意匠が施されている:

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袖と佩楯には鱗の意匠

こちらも南蛮胴なので正面に鎬を立ててある。草摺は七間五段下りの紅糸威。全体的に金・白・紅といった華やかな色彩を持つ:

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紅糸威二枚胴具足の胴

自分が三年待って注目していたのは、この金箔押な栄螺形《サザゼ・ナリ》のいわゆる突盔形兜[g]読みは《トッパイ・ナリ・カブト》。頭盔とも。鉢の頂部が尖った兜。の変わり兜で、通称は「角栄螺」。ただし、この通名はあくまでも伝承であり、史料として正式な記録はないようだ:

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伝・角栄螺

他に立波の飾り板を添えた画もあるらしいが、今回は付いていなかった:

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伝・角栄螺

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伝・角栄螺

下げには本多家の「丸に立葵」紋があしらわれ、胴背面には「本多内匠 ほん多たくみの助」の金泥字が残る:

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丸に立葵は信濃飯田藩本多家の家紋

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「本多内匠 ほんたたくみの助」

この本多家は江戸時代中期に信濃国飯山藩[h]現代の長野県飯山市にかって藩庁があった。の大名で、三河岡崎藩の本多忠利の系統にあたる。最後は飯山藩本多家が所持していた、この「角栄螺」は一説に、織田信長の召領であったが、蒲生氏郷に婿引出として譲り、氏郷はこの兜を被り、岳父・信長に従って各地で奮戦し大いに名を挙げたと云う。

この兜は、のちに氏郷の家臣の一人で、持ち前の勇猛さと頭の回転の良さで晩年には1万石を食んだ岡越後守こと岡左内の手に渡った。氏郷亡き後は上杉景勝の直臣となり、関ヶ原の戦い前の奥州で伊達政宗率いる軍勢と福嶋城周辺で激戦を繰り広げた勇士の一人であった。この時、左内は角栄螺の兜と南蛮の鳩胸鴟口《ハトムネトブクチ》の具足を身に付け、氏郷の形見分けで拝領した猩々皮《ショウジョウヒ》の陣羽織[i]南蛮舶来の赤みの強い赤紫色の生地で織った陣羽織。たとえば小早川秀秋所用の陣羽織を羽織り、愛刀の貞宗二尺八寸で政宗と一騎打ちしたと伝わる。そののち徳川氏天下の時代になると左内は氏郷の愛児・秀行に仕えて會津で没したと云う。その後、彼の兜は人手を転々とし最後に本多家に渡ったらしい。

ついでながら左内の愛刀・貞宗と同じ刀工の刀も鑑賞することができた 8)。こちらは國寳「刀・相州貞宗《ソウシュウ・サダムネ》」。名物・亀甲貞宗とも。鎌倉〜南北朝時代(14世紀):

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刀・相州貞宗(名物・亀甲貞宗)

相模国鎌倉の刀工であった貞宗は正宗の実子(または養子)と云われ、師風を継承しつつ穏やかで整った作風を特徴としている。この亀甲貞宗は太刀を磨上げ《スリアゲ》て刀にしたもので、指裏の茎尻に亀甲花菱紋の彫物があることが号の由来とされる。徳川将軍家がまとめた刀剣書『享保名物帳』に所載された名物刀剣の一振。

トーハク通い三年目で、氏郷一の家臣である岡左内に由来すると伝わる品々を鑑賞することができて良かった :)

次は陣羽織。戦国時代は実用性の高かった陣羽織は、江戸時代になるとほとんど無くなり、逆に凝った意匠を施したものが作られたと云う。これは白文紗地富士に龍模様 五三桐紋付。江戸時代(18世紀):

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白文紗地富士に龍模様・五三桐紋付

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正面

こちらは黄羅紗地陣羽織 丸四ツ目結文・五七桐紋付。江戸時代(18世紀)。この陣羽織は表と裏で家紋とその替紋が入ったリバーシブル型:

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黄羅紗地陣羽織 丸四ツ目結文・五七桐紋付

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正面

「刀剣」の展示では、先に挙げた國寳・相州貞宗の他にいくつか。まず短刀・青江次直《アオエツグナオ》。南北朝時代(14世紀)。重要文化財:

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短刀・青江次直

小板目の冴えた地鉄に華やかな逆丁子の刃文を焼き入れた作品。寛永7(1630)年に二代将軍・秀忠から伊達光宗[j]二代藩主・忠宗の次男。母が秀忠の養女(実父は池田輝政、実母は家康の次女の徳姫)。が拝領した。

こちらは太刀・古備前友成。平安時代(11〜12世紀):

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太刀・古備前友成

備前国の刀工・友成の作で、刀身は長大で腰元で強く反った力強い太刀姿を示し、板目の地鉄に小沸づいた小乱れの刃文を低く焼き入れている。姫路藩主・酒井家から明治天皇に献上された太刀。

太刀・手掻包永。鎌倉時代(13世紀)。重要文化財:

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太刀・手掻包永

大和国・手掻派の名工である包永の作。反りが浅く、がっしりとした刀身に、小沸づいて冴えた細直刃の刃文を焼き入れ、鋒には二重刃が見られる。茎は大きく磨上げられ、茎尻に「包永」の銘が彫られている。

こちらは刀・主水正正清《モンドノショウ・マサキヨ》。江戸時代(17世紀):

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刀・主水正正清

薩摩国の刀工・正清は徳川八代将軍・吉宗の命により、江戸の浜御殿[k]現在の浜離宮恩賜庭園で鍛刀し、その技量が認められて、茎に一葉葵紋を切ることを許された。精美な板目の地鉄、荒く沸づいた互の目乱れの刃文は、まさに正清の入念作。

そして國寳の短刀・相州行光。鎌倉時代(14世紀):

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短刀・相州行光

行光は、相州鍛冶の祖と呼ばれた新藤五國光《シントウゴ・クニミツ》の実子(または弟子)で、相州伝を大成した正宗の実父(または養父)と云われている。肌立った板目の地鉄に小沸づいて冴えた直刃を焼き入れている。加賀藩主・前田家伝来品。

今回もたくさんの仏像彫刻を鑑賞してきた。撮影可能な像の中から、まずは慶算作の毘沙門天立像。鎌倉時代(14世紀):

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毘沙門天立像

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背面

仏法を守護する四天王のうち多聞天の異名である毘沙門天は単独でも信仰を集めた。引き締まった体、左脇を締め右肘を張るという容姿は鎌倉時代の仏師・運慶以来の正当なスタイル。

こちらは大威徳明王騎牛像《ダイイトクミョウオウ・キギュウゾウ》。鎌倉時代(13世紀):

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大威徳明王騎牛像

五大明王の一尊である大威徳明王も単独でも信仰を集めた。脚が六本ある明王が水牛にまたがっている珍しい容姿。

不動明王立像。平安時代(11世紀)。重要文化財:

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不動明王立像

巻き髪で左肩に結わえた髪を垂らし、左目をすがめ、唇の上下に牙を出す姿は流りのスタイル。顔づくりが中央にまとまり、表情もおとなしいところに洗練した趣をもつ。左手には物事を正しい方向へ導くための羂索《ケンジャク》と云う縄を持つ。

こちらは薬師如来坐像。平安時代(11世紀):

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薬師如来坐像

人々の病気を治し、災厄を取り除く仏さま。厚い瞼やふくよかな頬、奥行きの薄い体つき、柔らかみのあるなだらかな衣文線など、総じて穏やかな作風は平安時代後期に流行したスタイル。

大日如来坐像。平安時代(11〜12世紀)。重要文化財:

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大日如来坐像

密教における大日如来は森羅万象の根源であり、あらゆる仏はその化身とされる。仏の王であるとして、珍しく王族の姿で表現されている。

「アイヌと琉球」文化展からドゥスディー(小袖)とウフスディー(大袖) 。色合いや文様がいかにも琉球ぽい:

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薄藍色麻地水菊芦雁模様

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黄紬地井桁崩模様

最後は現代美術で、人間國寳・平田郷陽《ヒラタ・ゴウヨウ》の創作人形。伝統的な日本人形の技術やスタイルを用いて、「生人形《イキ・ニンギョウ》」が持つ写実性から人々の生活感や心情を情緒豊かに表現をしているとのことで、意外と見入ってしまう作品を幾つか。

こちらは女性の頭部と、足利時代の将士体立姿。ともに昭和時代。写実的な表現にこだわった作品:

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女性頭部と 足利時代将士体立姿

二つに割れた桃と、そこから見栄を切って現れた桃太郎の木彫り。柔らかく肉付きのよい子供の体形は生人形の技術が生かされている。大正時代:

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桃太郎

宴の花。平田郷陽の遺作。昭和時代。若い女性の凛とした表情を木彫彩色で表現したもの:

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宴の花

今年も残り半分。ますます時間を作って観覧しに行こうと思う =)

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also2024年7月 東京国立博物館 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】菜っ葉の日(語呂合わせ)。江戸川乱歩が没した日。オーストリアがセルビアに宣戦布告してWW1が開戦した日。
b この日の東京の最高気温は 36.8℃ 😣️。
c ホント週一で展示作品をチェックしておいて良かった〜 😉️。
d 料金は大人1,000円。何度も鑑賞することが分かっていたら年間パスポートを買っておけばよかった 😞️。
e 父は後醍醐天皇。建武の時代の皇族であり天台宗座主であり征夷大将軍である。
f 信濃国諏訪神社の神紋。
g 読みは《トッパイ・ナリ・カブト》。頭盔とも。鉢の頂部が尖った兜。
h 現代の長野県飯山市にかって藩庁があった。
i 南蛮舶来の赤みの強い赤紫色の生地で織った陣羽織。たとえば小早川秀秋所用の陣羽織
j 二代藩主・忠宗の次男。母が秀忠の養女(実父は池田輝政、実母は家康の次女の徳姫)。
k 現在の浜離宮恩賜庭園

甲府市武田氏館跡歴史館 企画展 武田二十四将図展 − SHINGEN Museum.

先月は令和6(2024)年の小満の候のとある週末[a]【今日は何の日?】今月の風呂の日。桂小五郎(木戸孝允)が西南戦争中に病死した日。に山梨県甲府市にある信玄ミュージアムこと甲府市武田氏館跡歴史館で開催されていた企画展の「武田二十四将図展 〜 その成立と展開を考える 〜」を鑑賞してきた[b]たまたま見かけた時は、この企画展が月末迄とのことだったが、現地の案内板には翌月初めまで延長になっていた 😮️。。十年前の平成26(2014)年に城攻めした時は発掘調査中だった跡地に建てられた、この歴史館は平成31(2019)年に開館したとのこと:

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平成26(2014)年11月当時

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令和6(2024)年5月当時

また、せっかくなので、この展示にちなんで「甲府市指定」武田二十四将の屋敷跡を巡ってきた他、同じく十年前は発掘調査中であったが、のちに整備された躑躅ヶ崎館の梅翁曲輪《バイオウ・クルワ》跡と、こちらも参詣できなかった武田信虎公の菩提寺である大泉寺にも足を伸ばしてきた :)

この日はJR立川駅で特急スーパーあずさ(E353系[c]平成30(2018)年からそれまでのE257系から置き換えられた。)5号に乗り換えて甲府で下車。駅北口にあるホテルでレンタサイクルを借りて信玄ミュージアムへ:

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甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)

このミュージアムには無料の常設展示室と有料[d]JAF会員だと団体料金で、一般大人料金から60円引きの240円 🤩️。の特別展示室があり、今回の企画展は後者の展示室の一角で催され、絵図三種と甲陽軍鑑(写し)が展示されていた。しかし全て撮影禁止だった :(

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企画展・武田二十四将図展(拡大版)

ちなみに特別展示室には、発掘調査での出土品(土器など)や騎馬隊が騎乗していた馬の骨格標本(原寸大)の他、躑躅ヶ崎館について紹介するビデオ上映があった。

そのあとは常設展示室を鑑賞。ここには戦国時代の甲斐武田氏三代(信虎・信玄・勝頼)や城下町「甲府」について説明したパネルが置かれていた。

さらに同じ敷地には、昭和初めの時代に建てられた料亭旅館(木造建築物)[e]令和3(2021)年に国の有形文化財(建築物)に指定された。と庭園が「旧堀田古城園」と云う名前で移設復元されていた:

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旧堀田古城園の主屋

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旧堀田古城園の庭園

庭園を囲むように茶室[f]建物を上空から見ると武田にちなんで菱形になっている。や長屋などの建築物があり、主屋の内観も復元されていた:

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旧堀田古城園の主屋

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主屋の内観

主屋の近くの離れには中庭が再現され、その隣には合戦陣屋をイメージしたフォトブースがあり、武田菱や風林火山の幟や甲冑が置かれていた:

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フォトブースの陣屋

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陣屋と離れの間にある中庭

主屋から少し離れたところに建っている長屋は「由布姫」と云う軽食を提供するカフェになっていた:

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蕎麦・カフェ由布姫

今回の企画展を鑑賞すると、このカフェで使える「桔梗信玄ソフト+または生ビールの割引券」が付いていたので、早速利用した:

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桔梗信玄ソフト+(540円 → 440円)

桔梗信玄餅と桔梗信玄棒が添えられたソフトクリーム。なかなか食べごたえあり、このあとの武田二十四将屋敷跡巡りをこれで乗り切ることができた[g]これはウソ 🤐️。しっかり走り回ったので途中でホットドッグ2コで体力を補充した 😁️。 :D

このあとは、まず躑躅ヶ崎館と梅翁曲輪跡を攻めてきた:

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武田神社

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西曲輪南虎口跡

梅翁曲輪南側の土塁と濠、そして土塁上から躑躅ヶ崎館・西曲輪跡の眺め。その先に聳える積翠寺山を望む:

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梅翁曲輪南側の土塁・濠

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梅翁曲輪南側の土塁上

今回は甲府市のサイトを参考に甲府市指定の「武田二十四将屋敷跡」巡りをしてきた。跡地と云っても特に遺構は無いが甲府市が設置した案内看板が目印になった。

なお「武田二十四将図」と云う呼称は甲斐武田家滅亡後、江戸時代の絵師が軍記物から「勝手に」付けたものであり、信玄公存命中の時代のものではない。さらに絵図によって信玄公を含めて二十四名だったりそうでなかったり、あるいは特定の武将が含まれていたり居なかったりといった具合で、特に二十四人が皆同じ顔ぶれと云ったことでは無いようだ。

さらに徒歩で屋敷跡を巡るには坂があったり、同じ道を行き来しするなどして意外とキツイし時間もかかるので甲府市が運営しているレンタサイクルを利用した。今回はJR甲府駅北口から徒歩3分のところにあるホテルニューステーションで借りた[h]料金は 1,000円(当時)。貸出時間は9:00am 〜 18:00pm まで。法規内であればホテルの組合が加盟している損害保険が適用できる場合あり。

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レンタサイクル甲府8号車 @ホテルニューステーション

と云うことで今回巡ってきた武田家中の屋敷跡のうち案内看板があった二十三将と石碑があった武将がこちら[i]ちなみに十年前に巡ったのは八将だった 😮️。

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内藤修理亮昌豊屋敷跡

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板垣駿河守信方屋敷跡

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穴山玄蕃頭信君屋敷跡

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高坂弾正昌信屋敷跡

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真田弾正忠幸隆屋敷跡

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横田備中守高松屋敷跡

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武田刑部少輔信廉屋敷跡

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小山田左兵衛尉信茂屋敷跡

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土屋右衛門尉昌続屋敷跡

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山本勘介晴幸屋敷跡

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真田源太左衛門尉信綱屋敷跡

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原隼人佑昌胤屋敷跡

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三枝勘解由左衛門尉守友屋敷跡

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多田淡路守満頼屋敷跡

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馬場美濃守信春屋敷跡

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甘利備前守虎泰屋敷跡

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山県三郎右兵衛尉昌景屋敷跡

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小畠山城守虎盛・小幡豊後守昌盛屋敷跡

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武田典厩信繁屋敷跡

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一条右衛門太夫信竜屋敷跡

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秋山伯耆守信友屋敷跡

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飯富兵部少輔虎昌屋敷跡

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長坂左衛門尉釣閑斎邸跡

なお甲府市のサイトにあるとおり原美濃守虎胤屋敷跡は見つからず[j]案内看板はどこにあるのだろう? 🤔️。あと「武田二十四将」に該当しないため案内看板は無かったが、同サイトにあった「古府之図」から推測する屋敷跡として曾根下野守昌世や小山田備中守虎満、諸角豊後守虎光、そして相木市兵衛昌朝らの屋敷跡も巡ってきた :)

屋敷跡を巡っていく途中、十年ぶりに機山公の墓所や河尻塚にも参詣してきた:

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法性院大僧正機山信玄之墓

こちらは信虎公の菩提寺である曹洞宗・萬年山・大泉寺の総門。板塀とつながっているのが旧・番屋(右手):

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曹洞宗・萬年山・大泉寺の総門と番屋

本堂脇には公の450回忌の節目に建立された坐像があった:

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武田信虎公像

こちらが御霊殿:

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武田信虎公之墓

御堂の裏に甲斐武田氏三代の五輪塔が置かれていた他、何故か曽我兄弟の供養塔もあった:

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勝頼公、信虎公、信玄公の五輪塔

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曽我兄弟供養塔

最後は帰路で乗車した特急あずさ(E257系)74号。さすがに往路で乗車したスーパーあずさ(E354系)よりグレードが低いのは否めない :X

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特急あずさ(E257系)74号

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2024年5月 武田氏館跡歴史館 (フォト集)
See Also躑躅ヶ崎館攻め(2) (フォト集)
See Also武田家将士屋敷跡巡り (フォト集)
See Also武田信虎・信玄・勝頼公三代の墓所 (フォト集)
See Also伝・河尻秀隆公墓所(2) (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】今月の風呂の日。桂小五郎(木戸孝允)が西南戦争中に病死した日。
b たまたま見かけた時は、この企画展が月末迄とのことだったが、現地の案内板には翌月初めまで延長になっていた 😮️。
c 平成30(2018)年からそれまでのE257系から置き換えられた。
d JAF会員だと団体料金で、一般大人料金から60円引きの240円 🤩️。
e 令和3(2021)年に国の有形文化財(建築物)に指定された。
f 建物を上空から見ると武田にちなんで菱形になっている。
g これはウソ 🤐️。しっかり走り回ったので途中でホットドッグ2コで体力を補充した 😁️。
h 料金は 1,000円(当時)。貸出時間は9:00am 〜 18:00pm まで。法規内であればホテルの組合が加盟している損害保険が適用できる場合あり。
i ちなみに十年前に巡ったのは八将だった 😮️。
j 案内看板はどこにあるのだろう? 🤔️

神田・麺屋武蔵・神山 − A Tsukemen and Grilled Thick Pork perfectly.

先月は令和6(2024)年の小満《ショウマン》の候のとある週末[a]【今日は何の日?】広辞苑記念日。楠木正成と正季《マサスエ》兄弟が湊川の戦いで足利尊氏に敗北し自刃した日(旧暦)。に、戎光祥出版《エビスコウショウ・シュッパン》が開催する恒例の歴史セミナーのVol.39『本能寺の変をぶった斬る!!(講師:柴裕之)』に参加してきた。この二ヶ月前に初めて参加したセミナーに続いて二度目の参加 :)

開催場所は前回同様に、JR神田駅西口から徒歩5分ほどのところにある貸会議室。会場入りする前に西口商店街で腹ごなしすることに。前回食べたつけ麺屋はリニューアル工事中(当時)であったが、流石に知る人ぞ知るラーメン激戦区の商店街でお店を見つけるのに苦労はしなかった :D

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神田・西口商店街

と云うことで今回は行列になっていなかった神田・麺屋武蔵・神山《カンザン》へ。自身初の来店。時間はお昼どき(12:45):

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麺屋武蔵・神山(12:46)

この日は陽射しの強い晴天で汗ばむ暑さ。朝は軽めだったので、今回はセミナーが終わる夕方近くまでしっかり腹持ちしそうなボリュームある品を選択したかった。入店して右手にある液晶パネル式券売機で一通りメニューを見て、デフォルトの神山つけ麺のつけ並(1,450円)を選択し、案内されたカウンター席へ。周囲を見るとソロの女性客が何人か居た。

そして、しばらくして出てきた品がこちら:

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神山つけ麺(1,450円)+つけ並(280g)

並(茹で前 180g / 茹で後 280gほど)の麺の上で一番に目を引く肉厚の豚バラのブロックは、この神山店で有名な「蒲焼チャーシュー」。さらに温泉卵が載っている。そしてつけ汁は醤油系だろうか。こちらにもチャーシュの小さなブロックと二種類のネギが入っている。

本当の食べ方がどうなのか分からないが、ひとまず麺の上に載っている温泉卵を崩し、麺に絡めて食べることにした:

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温泉卵を絡める

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つけ汁にくぐらせる

やや甘めの魚介系醤油ベースのつけ汁に、黄身をくるませた麺を入れて頂く。若干すべるのですくい上げるように箸を運ぶ。つけ汁の絶妙な味の中でしっかりと麺のコシを楽しむことができた。そして主役(?)であるチャーシュにかぶりつく。蒸して余分な脂を落としているとはいえ、味わうのに必要な脂がしっかりと残っており、パリッとした皮と柔らかい身の二層それぞれ美味しく頂けた:

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蒲焼チャーシュー

どうしても残ってしまう卵は、スープ割りのつけ汁の中にレンゲで運んで絡ませて頂いた。これが正統な食し方かどうかは分からんが、美味い  :D

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残った卵

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スープ割りのつけ汁

このチャーシューが主役のメニューなので全品1千円以上の値段であるが、麺の増量が一定量は無料とのことで、次回は倍盛りで頂きたい。

神田・麺屋武蔵・神山
東京都千代田区内神田3-8-7 神田ビル


ここからはオマケ。

こちらが今回参加した戎光祥出版のセミナーの概要。講師はTVでも見かける柴裕之氏:

戎光祥ヒストリカルセミナーvol39

本䏻寺の変がテーマなので必然的に惟任光秀《コレトウ・ミツヒデ》[b]氏曰く、「明智」光秀ではないとのこと。のお話が中心。現代広く伝わる「本䏻寺の変」は明治時代に上がった推論であり、まだ確定していない。信長を討った原因は?とか、変後の動き。そして信長と共に信忠を討った理由は?、長岡藤孝や筒井順慶には事前には知らせていなかった、など興味深い話が聞けた。あと Surprise Guest として黒田基樹氏が最後にコメントしていた。

このセミナーに参加する際に、氏が編集した書籍のお取り置きもしてきた。特別価格(税込)で2割引き 8)

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「図説・明智光秀」と「図説・豊臣秀吉」

セミナー終了後は直筆サインも頂いた:

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直筆でサインも頂いた

つい先日、次回セミナーの告知があったようだが、自分が知った時点で既に定員になって締め切られていた :O

会場へ向かう途中、今回も参拝してきた佐竹稲荷神社

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佐竹稲荷神社

今回もこの近くに「佐竹藩江戸屋敷跡」の碑があることを忘れていた :$

参照

参照
a 【今日は何の日?】広辞苑記念日。楠木正成と正季《マサスエ》兄弟が湊川の戦いで足利尊氏に敗北し自刃した日(旧暦)。
b 氏曰く、「明智」光秀ではないとのこと。

Yokota Friendship Festival 2024.

先月は、令和5(2024)年5月中旬の週末に恒例の友好祭に行って来た :)

今回で連続で三度目の5月開催。もう完全に通例になってしまった、この週末の初日は晴天で夏日、そして最終日は曇りのち雨との予報であったが、特に気にせずに昨年同様、最終日に行って来た。現地時間としては30分ほど遅い到着になってしまったけど、こちらも昨年とほぼ同じ場所から入場までの行列に加わることができた。

ただし今回の Security Checks は例年になく厳しかった〜 :(。ID Check はほぼ全員が対象で、さらに昨年は無かった金属探知機による身体検査[a]ポケットに入れたものは全て出して手に持つことを強制された 😅️。も全員が対象で、最後は手荷物検査。複数の行列に対して、この規模の検査なので Stacked するのは当然か :$

曇り空の下で観覧中、ときおり雨がボツポツ降ってきたし、地上展示や飛行展示は期待していたほど規模ではなかったが、来場者は昨年と変わらず多かったように見えた:

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横田基地友好祭2024のポスター

今年も、昨年と同様の時間帯に八高線の東福生駅へ向かい、国道R16沿いに伸びた Supply Gate (一般開放ゲート)へ向かう行列に加わった。昨年よりも電車が一本遅かったので30分ほど遅れての到着であったのだけれど、結果的に昨年とさほど変わらない場所からのスタートだった:

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国道R16沿いの行列(08:35am)

しかしながら、行列の進みが悪くて開場時間09:00amを過ぎた時刻に第五ゲート前の交差点へ到達。昨年よりも60分ほど遅い[b]30分遅れの行動なので、実質的には昨年よりも30分くらい遅い 😞️。

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第五ゲート前の交差点を渡る(09:04am)

こちらが第五ゲートをくぐった先の Security Checks の行列。この時点で例年とは何か違った異様な Stack に見えた :(

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第五ゲート前

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Security Checks までの行列(09:05am)

この先で米軍による ID確認、その左手奥で身体検査。さらにその先で自衛隊による手荷物検査が行われていた:

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ID確認と身体検査待ちの行列

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手荷物検査の様子

この「長〜いトンネル」を抜け、McGuire通りに沿って会場へ向かうことができたのが 09:44am:

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会場へ続く McGuire Ave.(09:44am)

こちらが今回のMy GPS Activity。総移動距離は9.53km(➘)であるが、消費カロリーは1,543C(➚) で、気温は最高20℃(➚)。帰りは牛浜駅を利用。()内は前年比:

MyGPSActivity

My GPS Activity on Yokoto AB

さらに昨年の行列開始点には印を付けておいた。今回はお昼を食べたあと雨が降ってきて不安定な天気に変わってきたこともあり、2:00 pm 頃には撤退した。

会場入口前で、格納庫15脇には航空自衛隊・横田基地と自治体のイベント・ブースがあった。今回は航空自衛隊・宇宙作戦群の広報部隊が展開していたし、自衛隊の制服の試着や記念撮影のスポットが置かれていた。

そして恒例のマスコットとしては航空自衛隊@横田基地の「ハヤテくん」の他に、ここ横田基地の一部を領有する東京都西多摩郡瑞穂町の「みずほまる」も目撃した:

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空自・横田基地のマスコット「はやてくん」

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瑞穂町のマスコット「みずほまる」

会場に入ると、まずはフードブースでお出迎え。こんな風景を見るとアメリカに上陸した感じ:

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Welcome to Yokota AB 🤠️

さらに、こちらも恒例の「待ち合わせ場所」の目印である横田基地所属 Lockheed MartinC-130J-30 Hercules 輸送機(14-5807):

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米空軍 Lockheed Martin C-130J-30 Hercules(14-5807)

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YJ = Yokota Japan

開場から1時間近くたったフードブース周辺の様子(09:49am)。もうブースで食事を買い込んでいた人がいた :D

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フードブース周辺の様子(拡大版)

フードブースを通過して航空機地上展示エリアへ。今回は反時計回りに見学してきた。

ここで滑走路から二機の米空軍 C-130J-30 が離陸した。空挺降下の飛行展示&デモであろう 8)

離陸した光景を眺めてから民間機の展示ブースへ。Cessna 社のセスナ機や Diamond Aircraft 社の軽飛行機。ちなみに Cessna 172H 以外は横田基地のヨコタ・アエロ・クラブ所有機:

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Diamond DA40 Diamond Star(N144UA)

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Cessna 172M Skyhawk(N22905)

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Cessna 172H Ram(JA3353)

JA3353 のエンジンはLycoming O320-D2J、最大出力は160馬力、最大巡航速度は220km/h、通常巡航速度は185km/h、離陸距離270m / 着陸距離165m。乗員乗客は1+3名。茨城県筑西市からこの友好祭のために毎年飛来している。

さらに小型ビジネス・ジェット機として Cessna 社や Honda 社の Hondajet が展示されていた。Hondajet はエンジンを一般的な胴体後部ではなく主翼上面に配置しているのが特徴:

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Honda HA-420 HondaJet(JA123P)

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Cessna 510 Citation Mustang(JA001Z)

続いて陸上自衛隊機。 東部方面隊立川駐屯地の第1飛行隊から Fuji UH-1J 多用途ヘリコプター(41832)、そして同じく東部方面隊木更津駐屯地の第4対戦車ヘリコプター隊から AH-1S 対戦車ヘリコプター「コブラ」(73491)。それぞれ Bell 社から富士重工がライセンス生産+拡張したもの:

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陸上自衛隊の Fuji UH-1J(41832)

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陸上自衛隊 Fuji AH-1S(73492)

AH-1S は、対戦車誘導弾などの火力及び特有の機動力をもって、主として対戦車戦闘の任務で使用する。乗員は操縦士・射手の二人、巡航速度は約230㎞/h。両翼に TOWミサイル、70mmロケット、操縦席下に 20mmガン、横に伸びているのは風向風速センサ:

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Fuji AH-1S (73492)

こちらも友好祭はお馴染みになった航空自衛隊 Mitsubishi F-2A(43-8528)は百里基地・第7航空団・第3飛行隊所属:

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航空自衛隊 Mitsubishi F-2A(43-8528)

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Mitsubishi F-2A(43-8528)

そして航空自衛隊・入間基地の中部航空方面隊司令部・支援飛行隊から Kawasaki T-4 中等練習機(56-5735):

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航空自衛隊 Kawasaki T-4 (56-5735)

同じく航空自衛隊・入間基地の第2輸送航空隊の第402飛行隊所属の Kawasaki C-2(18-1215):

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航空自衛隊 Kawasaki C-2(18-1215)

昨年は令和5(2023)年4月に、スーダン共和国で在留邦人らの避難・輸送で使われたものと同型機[c]実際には美保基地所属・第3輸送航空隊の C-2が使われた。。乗員2〜5名+輸送員110名。全長 43.9m、全幅 44.4m、全高14.2m。最高速度 820㎞/h。航続距離は約 7600㎞:

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Kawasaki C-2(18-1215)

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Kawasaki C-2(18-1215)

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Kawasaki C-2(18-1215)

ここからはしばらく米空軍機。嘉手納基地の第18航空団所属の Boeing KC-135R Stratotanker 空中給油機・輸送機(60-0342) :

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米空軍 Boeing KC-135R Stratotanker(60-0342)

近代化の改修によりエンジンがターボファンエンジンに換装されている。 第909空中給油飛行隊(AIR REFUELING SQUADRON)のモットーは “ALWAYS THERE“。  第718航空機整備飛行隊(Aircraft Maintenance Squadron)所属機:

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第909空中給油飛行隊のロゴ

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718 AMXS/909th AMU のロゴ

KC-135R がある地上展示エリアの北端から立入禁止のエプロンには本日の飛行展示で使われるであろう機体が駐機していた:

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北側エプロンの様子

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北側エプロンの様子

ここで場内アナウンスに促されて上空を見上げてみると、既に離陸していた C-130J-30 2機が飛来して陸上自衛隊・第1空挺団による空挺降下がデモされた。よく見ると隊員の脚に結び付けられたフラグがたなびいていた:

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米国の星条旗

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日本の日の丸

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第1空挺団旗

このあとは折り返して、再び地上展示エリアの観覧へ。まず、こちらも常連の米空軍・航空機動軍団(Air Mobility Command)所属の Lockheed C-5 Super Galaxy 大型長距離輸送機(87-0042):

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米空軍 Lockheed C-5 Super Galaxy(87-0042)

ペイロードは米軍最大で、主力戦車2両分に相当する122トンもの貨物を搭載可能で、機首と機体後部の両方に搭載口を持つ前後貫通式:

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後部格納口

隣は米空軍・ハワイ州パールハーバー・ヒッカム統合基地所属の Boeing C-17 Globemaster III(05-5153):

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米空軍 Boeing C-17 Globemaster III(05-5153)

貨物室の内部と、その先にあるコックピット背面部:

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貨物室内部

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コックピット背面

さらに進むと人だかりができている場所があったが、どうやら米空軍の主役機が展示されているようだった:

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米空軍の花形戦闘機たちの展示エリア

ついに登場。こちらもC-17 同様に、ハワイ州パールハーバー・ヒッカム統合基地所属で、12年ぶりに横田基地へ飛来した 米空軍 Lockheed Martin F-22A Raptor(03-4050 と 03-4055) :

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米空軍 Lockheed Martin F-22A Raptor(03-4050)

ステルス性、超巡航性、操縦性、そして統合されたアビオニクスを組み合わせた新世代の機体で、サポート性の向上と相まって、戦闘能力が飛躍的に向上する。特に空対空任務と空対地任務の両方を実行し、21世紀の空軍にとって不可欠な作戦コンセプトを完全に実現できる設計になっている。全長 18.9m、全高 5.1m、翼幅 13.6m:

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米空軍 Lockheed Martin F-22A Raptor(03-4055)

日米友好祭で初めて F22 を見たのは十五年前の平成21(2009)年で、その時はMPが立ち、機体背後に回り込んで見ることはできなかったが、今回は背後から眺めることができた。ただし、さすがに極秘であるエンジン部は完全にカバーされてのぞき見ることはできなかったが:

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米空軍 Lockheed Martin F-22A Raptor(03-4055)

ここで再び場内アナウンス。地上展示を観覧する前に飛び立った米空軍 C-130J-30 から陸上自衛隊・第1空挺団の空挺降下が始まった:

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第1空挺団による空挺降下のデモ

 

このあとは地上展示の観覧を再開。F-22A のお隣は二機の米空軍 General Dynamics  F-16 Fighting Falcon。一機目は F-16CJ  多用途戦闘機(91-0405)。州軍 である Minesota ANG(Air National Guard)から。従来機よりエンジンが強力になり、さらに AGM-88対レーダーミサイルが追加された型。エンジンカバーには 148th Fighter Wing のエンブレムが描かれていた:

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米空軍 General Dynamics F-16CJ Fighting Falcon(91-0405)

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米空軍 F-16CJ(91-0405)

二機目は嘉手納基地から F-16CM 多用途戦闘機(88-0512)。州軍 である South Dakota ANG(Air National Guard)。エンジンカバーにはサウスダコタ州・ラシュモア山国立記念公園にある四人の Presidents [d]ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーンの四人。の彫像が描かれていた:

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米空軍 F-16CM(88-0512)

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米空軍 General Dynamics F-16CM Fighting Falcon(88-0512)

そして、こちらも友好祭ではお馴染みにである横田基地所属の第21特殊作戦支援中隊(21st Special Operations Squadron)の米空軍 Bell Boeing V-22 Osprey(12-0062) :

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米空軍 Bell Boeing CV-22B Osprey(12-0062)

昨年末に屋久島沖で横田基地所属の Osprey 墜落事故があったため、今回は飛行展示はなく地上展示のみ。予定では海兵隊の Osprey も飛来予定だったがキャンセルされた模様。

実際、応対してくれた第21特殊作戦支援中隊所属の隊員に Osprey は本当に安全なのか?と質問してみたら、しばらく考えてから一言「俺は信じている」と返答があった 8)

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完全装備の隊員

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談笑する隊員ら

ATV(全地形対応車)のMRZR-4 の展示の他、個人装備や後部ランプに取り付けられた GAU21 重機関銃などを見ることができた:

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個人装備

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後部ランプに取り付けられた GAU21重機関銃

三沢基地から海軍機として電子戦部隊 Yellow Jackets VAQ-138 の Boeing EA-18G Growler(168931):

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米海軍 Boeing EA-18G Growler(168931)

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米海軍 EA-18G (168931)

そんな時、先程の飛行展示を披露してくれた米空軍 C-130J-30 が帰投してきた:

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着陸する米空軍 C-130J-30

地上展示機の観覧に戻り、こちらは航空自衛隊 Mitsubishi F-15J Eagle(52-8863)。宮崎県の新田原基地《ニュウタバル・キチ》・第5航空団・第305飛行隊からの参加:

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航空自衛隊 Mitsubishi F-15J Eagle(52-8863)

こちらは赤いストライプが特徴的な入間基地・飛行点検隊所属の U-680A Citation Latitude(02-3032)。機体はセスナ社が開発したビジネス・ジェット機をベースにしている:

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航空自衛隊 Cessna Citation Latitude(02-3032)

この航空自衛隊 Lockheed C-130H Hercules(45-1074)は小牧基地・第1輸送航空隊・第404飛行隊所属機:

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航空自衛隊 Lockheed C-130H Hercules(45-1074)

6人の乗員と最大92人の輸送員を積載するために四基のターボ・プロップ・エンジン(T56-A-15)を搭載し、最大航続距離(5t搭載時)は約4,000㎞:

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T56-A-15

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T56-A-15 ターボ・プロップ・エンジン

米陸軍 Beachcraft C-12 軽輸送機(86-0081):

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米陸軍 Beechcraft C-12J(86-0081)

地上展示機の最後は横田基地・第36空輸飛行隊(36th Airlift Squadron)所属の Lockheed Martin C-130J Commando II 特殊作戦機(14-5813)。空軍特殊部隊用の輸送機:

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米空軍 Lockheed Martin MC-130J Commando II(14-5813)

AE2100-D3エンジンと六翅プロペラを採用した最新型:

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AE2100-D3エンジンと六翅プロペラ

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六翅プロペラ

地上展示を見終わった後、鳥居を見て、屋外ステージでしばらく休んだ(11:40am):

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鳥居とFriendship Festival 2024 のイルミ

このあたりで空模様が怪しくなってきたが、ひとまずお昼を調達することに :)。流石にお昼時なので、どこのブースも長蛇の列。その中で意外と空いていたのが「500gステーキセット」。値段が 2,500円と云うところも空いていた理由の一つかもしれない :X

Mikeforce::Today

500gステーキセットのブース

・・・と思ったら、空いていたのは注文用の行列で、ステーキの受け取りはその先にある長い行列だった :$。このセットは 500g のステーキ、ハワイアンロール、ミネラルウォータ、そして小袋のチップスといった構成。この時期(当時)の「異常な円安」により値段も高い。

まぁ海外旅行に来たとでも思って行列に並んでみた。支払いを済ませると米軍御用達の Purified Water[e]日本語に直訳すると「精製水」だが、こちらは米軍にしか卸されていないミネラルウォータ。ナイアガラの水らしい 😎️。 500mlとチップスの小袋を渡されるので、それを持って今度はステーキ待ちの行列に並び直す:

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Ruffles とPurified Water

こちらは Backyard の様子。専用の移動式コンロの上でステーキが焼かれていた:

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いかにもアメリカンな風景

受け取ったステーキセット(2,500円)がこちら:O 。円安とは恐ろしいものだ・・・ :|。屋外ステージ前へ移動し、演奏を聞きながら食べることにした:

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ステーキ500gとハワイアンロール1個

Costco で売ってそうなパンがハワイアンロール。意外と重く、もちもちして柔らかった。肉の方は、もうここまでくるとグラム数なんかどうでもよいのだが、味が付いていて予想外に柔らかく、普通に美味しかった:

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味が付いていた

ついでに CRAFT BEER(800円)も。三種類あるフレーバーの中から Type-B の MODERN TIMESINFINITE PATIENCE)を注文。PASSION FRUIT, BLUEBERRY, CITRUS の香りがいい感じ:

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Infinite Patience / Modern Times Beer

屋外ステージの演奏を見ながら食べていると、雨がポツリ、ポツリと降ってきてちょっと焦ったが、なんとか完食できた。

食べている最中、轟音と共に頭上を F-16CM が通過していった(フォーク持っていたので後半は撮影が追いつかず :D):

雨が止んだところで撤退することに。こちらは格納庫15の様子。雨が降ってきたことで密集度が高かった:

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格納庫15(12:40pm)

can-am社の COMMANDER 800R(2020年モデル):

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can-am 社の COMMANDER 800R

軍用犬 K-9 のデモを横目に一般開放ゲートへ向かった。今年はスムースに退出することができたが、R16を渡ってJR牛浜駅へ向かう途中、来場者の列がすごかった。もちろん駅へ向かう行列もすごく車道にはみ出しそうで怖かったので、ショートカットして福生市民会館へ逃げ込み、1Fにあるカフェで牛浜ジェラート(500円)を頂いて一休み。三つまでフレーバーを選べると云うことだったけど、ほとんど選択肢がなかった :|

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牛浜ジェラート@福生市民会館

最後は、牛浜駅からから友好祭へ向かう行列の眺め。どうも駅前から行列になるように強制されるようで、一般開放ゲートまでこんな感じだった:O

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牛浜駅ホームから(02:46pm)

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牛浜駅ホームから(02:46pm)

ここから一般開放ゲートどれくらい時間がかかるんだろうと考えるだけでも恐ろしい[f]もしかしたら 夜8時の花火が目的なのかも 🙄️。・・・ :O

See Also 横田友好祭2024    (フォト集)

これまでのブログはこちら

参照

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a ポケットに入れたものは全て出して手に持つことを強制された 😅️。
b 30分遅れの行動なので、実質的には昨年よりも30分くらい遅い 😞️。
c 実際には美保基地所属・第3輸送航空隊の C-2が使われた。
d ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーンの四人。
e 日本語に直訳すると「精製水」だが、こちらは米軍にしか卸されていないミネラルウォータ。ナイアガラの水らしい 😎️。
f もしかしたら 夜8時の花火が目的なのかも 🙄️。

The Certificate Expiration Notice for the first time in 2 Years.

先日、二年ぶりに The Let’s Encrypt Team からサーバ証明書の期限切れが近づいている旨のメールを受け取った。証明書の更新を確認して Web サーバのエラーを確認せよ、との事だが、基本的に毎月はじめに Team 提供のスクリプトで証明書は更新しているはず。

Webサーバのログを見てみると確かに更新が失敗していた。Rotated している過去ログを見ると、先月から失敗しているようだった。dry-run モードで実際に実行してみると、ログに記録されているものと同じ結果となった:

IMPORTANT NOTES:
– The following errors were reported by the server:
  Timeout during connect (likely firewall problem)

二年前に遭遇した際も同じログだったので、てっきり Firewall に余計なURLsが追加されて[a]Let’s Encrypt は HTTP のポートにアクセスしてくるので、ここにアクセスしてくるサーバを排除したとか。サーバのNGリストは自動更新しているので、稀に間違ったsource(IPアドレス)を追加してしまうケースあり 😅️。、Access Denied したのかもしれないと思った :/。と云うことで Firewall のログと日付を睨めっこして 、問題発生する前の URLs に戻してから、もう一度 dry-run モードで実行したが、結果は同じだった :|

ふm。HTTP→HTTPSの Redirect も問題ない。問題発生する前から Let’s Encrypt からのアクセスは Redirect しないようにしている。

期限が迫る中、何か簡単には対応できなさそうに思えていた矢先に、こんな記事を発見した:

確かにスクリプト(certbot-auto)を dry-run モードで実行したら、次のようなログが記録されていた:

Your system is not supported by certbot-auto anymore.
certbot-auto and its Certbot installation will no longer receive updates.
You will not receive any bug fixes including those fixing server compatibility
or security problems.
Please visit https://certbot.eff.org/ to check for other alternatives.

どうやら使っているスクリプトは Debian 系プラットフォームではサポートされなくなって久しくなったようだ(もう4年も経過している:O)。

そして代わりに使える方法を教えてくれる https://certbot.eff.org/  にアクセスし、Web サーバの構成を入力して代替方法を得ることができた ;)。そこで提示された手順にしたがって実行していくと証明書の更新が成功した:

$ certbot –version
certbot 2.10.0

ひとまず次の期限切れまで監視はしていく予定だが、なぜに、このような大事なことが事前に連絡されないのだろうか :/

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a Let’s Encrypt は HTTP のポートにアクセスしてくるので、ここにアクセスしてくるサーバを排除したとか。サーバのNGリストは自動更新しているので、稀に間違ったsource(IPアドレス)を追加してしまうケースあり 😅️。