献上伊吹そば・つる亀庵 − The Soba which a Master of Hikone-Domain used to eat.

先月は令和6(2024)年のお盆休みは滋賀県と三重県で4泊5日の城攻めツアーへ行って来た[a]両県ともに人生初上陸 😉️。。今回、事前に調べてみると攻めてみたい城跡がいろいろ出てきた上に、直前に台風7号が発生[b]発生当初は本土への上陸の可能性が出ていた。結局は上陸することはなかったが 🙂️。したりしてスケジュールを組むのに苦労したが、何とか 8 つの城攻めに絞ることができた[c]実際はスケジュールどおり全て攻めきることはできなかったのだが 😁️。

二日目[d]【今日は何の日?】大日本帝國による太平洋戦争終結の日(終戦の日)。織田信長が稲葉山城を岐阜城に改名した日(旧暦)。は彦根市内にある城跡を攻めてきた。午前中に佐和山城跡を攻めたあと、お昼を挟んで午後からは天守建造物が國寳[e]三層三階の天守と、それに連結するしている附櫓と多聞櫓が國寳の指定。に指定されている彦根城攻め。二ノ丸跡を含めるとかなり広いエリアを巡ることになりそうなので、午後一杯の時間をあてたのだけど予想以上に広くて予定どおりには巡れなかった。

とはいえ17:00 の閉城時間一杯まで歩きまわれば当然お腹も減るわけで、ホテルへ帰る前に佐和口を出て中濠沿いにある蕎麦屋で夕食を摂ることにした:

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献上伊吹そば つる亀庵

開店して直ぐの来店だったので一番乗りでテーブル席につき、とりあえず瓶ビール(650円)を注文し、喉を消毒しながらメニュー[f]お盆時期のため、この店のWebにある品書きとは異なるメニューの上に、膳ものなど、いくつかの品は提供していなかった 🤨️。を手にとって歴史あると云う「伊吹在来そば」のラインナップを眺める。ここはオーソドックスな冷蕎麦と天麩羅の盛り合わせ(1,680円)と腹に溜まりそうなとろろ御飯のミニ(450円)を追加で注文し、ビールを飲みながら城攻めの写真を眺めることにした :)

店の玄関前で見た説明板によると、「献上伊吹そば」は伊吹山で育てられた蕎麦の実と、伊吹山麓の水を使い、古くは平安時代の先人たちが作りあげた小粒で香りの高い特徴を持つ伊吹そばで、江戸時代には彦根藩主はもちろん、他藩への献上品にも利用されていたとのこと。

こちらが天ぷらもりそば。蕎麦は「ひきたて・うちたて・ゆでたて」の三たてとのこと:

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天ぷらもりそば(1,680円)

自分としても初めて食す蕎麦だったので、最初はそのまま頂く。どちらかと云うと硬めで、確かに咬むと香りが口の中に広がる。蕎麦つゆに漬けて頂くと、のど越しも良い。大盛りにしておけば良かったかなぁと残念な思いに :|。最後に出された蕎麦湯はホント濃厚度x2だった。伊吹そばと蕎麦湯だけで十分で、余計なものはいらなかったなぁ :D

(その余計なものの)天麩羅は食材は良さげに見えたが、揚げ方が✕かな。なぜか衣が硬かった。天つゆもイマイチ :(。残念ながら、ほとんどは塩で頂いた:

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天麩羅のタネは近江の食材?

それにメニューに載っていた天麩羅は、すじエビのかき揚げだったのに、何も補足説明なく出して来るし[g]隣の席の家族グループはまさに赤備え膳を期待していたらしく、お盆期間はやっていないとの答えを受けて、すぐに店を出ていったなぁ 😶️。。混んで居ないのに意外と雑な感じ。これも時期的な問題なのだろうか。

こちらはとろろ御飯のミニ(450円)。この程度の出来なら、正直なところ蕎麦を大盛りにしたほうが良かった :(

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とろろ御飯ミニ(450円)

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は期待はずれ😞️

また機会があれば蕎麦だけを食べにきたい。まぁ「伊吹そば」だけなら他の店でもよいが :X

献上伊吹そば・つる亀庵
滋賀県彦根市立花1-1


ここからはオマケ。

彦根城、実際に巡るまでは犬山城くらいの規模かと思っていたけど、さすがに天下普請《テンカブシン》で二十年近くかけて築いたともあって、意外と広かったし見どころも多かった ・・・ のだが、午後一杯だけでは全く時間が足りなくて、結局は半分くらいしか巡ってこれなかった :|。あと、当時はサギの繁殖期[h]サギの糞落下と悪臭による衛生上の懸念で市の保健当局から通行禁止の命令が継続中だったとのこと 😣️。ともあって黒門を含む西の丸以北のエリアは通行不可だった。ただ心配していた耐震工事による天守内部の観覧不可はギリギリ回避することができた。他にも天秤櫓、太鼓門と続櫓、西の丸三重櫓の内部も公開されていた。ちなみに佐和口多聞櫓内部は耐震工事中で観覧できなかった[i]これらの詳細な情報は現地に行かないと分からない 🤨️。

まず、こちらは佐和口門跡へ向かう途中のいろは松の並木:

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いろは松

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中濠と二ノ丸跡

佐和口門跡へ向かう途中にある第十六代藩主で幕末には大老を務めた井伊直弼の歌碑(は、この説明板の奥):

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説明板の奥に井伊大老歌碑

こちらが中濠ごしに見た二の丸の佐和口門跡に建つ多聞櫓。左手は重要文化財、右手は復元(現在は開国記念館):

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佐和口多聞櫓(現存)

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佐和口多聞櫓(復元)

中濠の白鳥がお出迎え:

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中濠と白鳥

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中濠と白鳥

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中濠と白鳥

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中濠と白鳥

種類としてはコブハクチョウ(瘤白鳥):

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瘤白鳥

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瘤白鳥

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瘤白鳥

さらに重要文化財の馬屋には馬(模型)が居た:

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馬屋に居た馬(レプリカ)

二の丸跡には彦根城線(県道R518)が走っており、巡回バスが横断していた。京橋口にて:

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京橋口の枡形虎口

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近江鉄道のご城下巡回バス

二の丸跡の彦根城線(県道R518)から内濠越しに眺めた鐘の丸石垣(パノラマ):

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鐘の丸石垣(パノラマ)

表門橋前に建つ「琵琶湖八景・月明・彦根の古城」の碑:

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琵琶湖八景の碑 #7

大人800円(当時)の入城料を払い表門山道を登る:

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ここから先は有料エリア

山道を登った先は太鼓丸と鐘の丸の間の大堀切で、二つの郭をつなぐ廊下橋と天秤櫓が出現する:

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大堀切と廊下橋

江戸時代後期に天秤櫓の大修理が行われ、台座石垣の半分が積み直しされた。廊下橋を中心に左手が積み直しされた落と積み、右手が築城当時の牛蒡《ゴボウ》積み:

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積み直しの中心になる廊下橋の橋桁

鐘の丸坂虎口から眺めた天秤櫓。往時、この虎口には櫓門が建っていたので、(櫓門が邪魔で)このように眺めることはできなかったはず:

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重要文化財の天秤櫓

こちらが重要文化財の天秤櫓(表側)。往時、非常時は廊下橋を落として寄手の本丸への侵入を防ぐ手はずになっていた:

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廊下橋から天秤櫓

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天秤櫓から廊下橋

本丸の虎口にあたる太鼓門櫓と続櫓も重要文化財。この門は他の城からの移築門であるが、どこの城のものかは不明なのだとか:

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本丸の表口にあたる太鼓門

太鼓門を上がった先が本丸で、國寳の天守の他、名物キャラ(レプリカ)がお出迎え:

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ひこにゃんはレプリカ(看板)

近づいてみると、意外と小ぶりな三層三階・地下一階の天守。天守台から張り出した玄関から入る:

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現存の天守(拡大版)

せっかくなので行列に並んで天守内部を観てきた。当時は翌週から始まる耐震工事の準備で機材が置かれていたり立入禁止の部屋があった:

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二階の廊下

最上階の天井の梁:

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最上階の三階と天井の梁

多種な破風を用いた複雑な外観を持ち、最上階には高欄付き廻縁を巡らす天守は、大津城の旧天守を移築したものと云う説が有力:

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國寳の天守

こちらは本丸に置かれていた水の自販機。250円/1本(当時) :O。ゴミ箱は無いので、ペットボトルは持って下りる必要あり:

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本丸の水は250円

本丸北の西の丸から眺めた附櫓と天守。こちら側から眺めるのがオススメの撮影ポイント 8)

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國寳の天守・附櫓

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國寳の天守・附櫓(拡大版)

西の丸北西隅には現存で三重櫓と続櫓(重要文化財)があり、内部も公開されていた:

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西の丸三重櫓

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三重櫓一階内部

西の丸から伊吹山の眺め。佐和山城の本丸跡からは霞んで見えたが、午後のこの時間はくっきり見えた ;)

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伊吹山

西の丸から本丸南東隅の着見櫓(着見台)跡を眺めたところ。屏風折れした本丸の高石垣が見事だった:

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着見台と本丸高石垣

最後は御当地の名物キャラ・ひこにゃんもの。まずは駅前お城通り沿いの石材店に鎮座していたひこにゃん:

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「おいでやす」ではなく「いらっしゃいませ」

彦根駅構内で見かけた「ひこにゃん」と「ひこどん」:

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ひこにゃん

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ひこどん

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also彦根城攻め (フォト集)

参照

参照
a 両県ともに人生初上陸 😉️。
b 発生当初は本土への上陸の可能性が出ていた。結局は上陸することはなかったが 🙂️。
c 実際はスケジュールどおり全て攻めきることはできなかったのだが 😁️。
d 【今日は何の日?】大日本帝國による太平洋戦争終結の日(終戦の日)。織田信長が稲葉山城を岐阜城に改名した日(旧暦)。
e 三層三階の天守と、それに連結するしている附櫓と多聞櫓が國寳の指定。
f お盆時期のため、この店のWebにある品書きとは異なるメニューの上に、膳ものなど、いくつかの品は提供していなかった 🤨️。
g 隣の席の家族グループはまさに赤備え膳を期待していたらしく、お盆期間はやっていないとの答えを受けて、すぐに店を出ていったなぁ 😶️。
h サギの糞落下と悪臭による衛生上の懸念で市の保健当局から通行禁止の命令が継続中だったとのこと 😣️。
i これらの詳細な情報は現地に行かないと分からない 🤨️。

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