はやの食堂 − A Long-Standing Restaurant of Castletown.

先月は令和6(2024)年のお盆休みは滋賀県と三重県で4泊5日の城攻めツアーへ行って来た[a]両県ともに人生初上陸 😉️。。今回、事前に調べてみると攻めてみたい城跡がいろいろ出てきた上に、直前に台風7号が発生[b]発生当初は本土への上陸の可能性が出ていた。結局は上陸することはなかったが 🙂️。したりしてスケジュールを組むのに苦労したが、何とか 8 つの城攻めに絞ることができた[c]実際はスケジュールどおり全て攻めきることはできなかったのだが 😁️。

二日目[d]【今日は何の日?】大日本帝國による太平洋戦争終結の日(終戦の日)。織田信長が稲葉山城を岐阜城に改名した日(旧暦)。は彦根市内にある城跡を二つ攻めてきた。午前中は宿泊先から徒歩20分ほどの場所にある佐和山城跡。標高232mほどの佐和山に築かれていた山城で、現在はハイキングコースとして登山道が整備されている。

猛暑の中の登山を終えたあとは汗びっしょりになったので、一旦ホテルに戻って着替えしてから[e]部屋は清掃中であったが、無理を云って10分ほど時間を空けて貰って着替えした。ホテルの対応に感謝 😉️。、國寳に指定された天守がある城跡へ向かい、その途中にある食堂で腹ごなしをした:

IMG_0537.resized

はやの食堂

店の前に到着したのがお昼時と云うタイミングであったので、満席ならば諦めて別の店を探すつもりで半開きしていたドアを開けて中に入ると案の定、満席。と思った時に奥のテーブルから食べ終えたらしい人が席をたったのが見えたので、ひとまずその場で待つ。店員サンに来店を告げると相席でお願いしますと云われたので、席が空いたテーブルへ。その際に観光客よりも地元の客の方が多いように見えたが、多分そうなのだろう :)

食べたいものは既に決めていたので注文待ちするも、店員サンが一人で忙しくしていたので、とりあえず夏の甲子園の放送を観ながら待つ[f]ちょうど滋賀県代表の滋賀学園がプレイしていた 😁️。。そして前の人の皿を片付けにきたタイミングでオムライス(600円)を注文。しばらくして、さらに忙しくしていた店員サンに水もらえますかと告げると、入口付近を指さして水はセルフでお願いしますとの返事があった。其の際、周囲の客の目がテレビから俺の方に向けられたのに気づいたが、そこでやはり観光客は俺ぐらいなんだと改めて認識できた :D

セルフの水をとりに向かうと、いろいろな形をしたコップが並んでいて少し戸惑っていたところ、店員サンからお好きなコップでお好きなだけ飲んで下さいと云われた。アットホーム感がある食堂である。確かに、店内を眺めてみると「昭和の時代」の家によくあるような置物や壁掛けなどが目に入った :D

席に戻ってしばらくして「お待たせしましました。」と出てきたオムライスがこちら:

IMG_0535.resized

オムライス(600円)

まさに普通の家で頂くような昔ながらのオムライス。全然、問題なし。ナプキンで包まれたスプーンは昭和の食堂スタイルの証 ;) 。ならば昭和の食べ方で頂くのが礼儀であろう。と云うことでスプーンを立てて、カチカチと少々音をたてながら頂いた:

IMG_0536.resized

昔ながらのオムライス

暑い夏に甲子園の熱闘を観ながらオムライスを頂く。まさに昭和の時代にタイムスリップしたかのような何とも云えない懐かしい時間を過ごすことができた。これで600円は安いものである 8)

インターネットで見かけた記事によれば、創業は昭和3(1928)年とのこと。さらに長く続いてほしい[g]たぶん彦根にはまた来ることになりそうなので 😉️。

はやの食堂
滋賀県彦根市佐和町7-11


ここからはオマケ。

こちらは彦根駅の東口通路のスポットから眺めた佐和山城跡。その昔、関西方面へ出張の折に新幹線の車窓から「石田三成の城・佐和山城」の看板をよく目撃して、いつか攻めてみたい城の一つだった:

IMG_0739.resized

城跡のある風景

IMGP2726.resized

佐和山城跡

治部少に過ぎたるものが二つあり、嶋の左近と、佐和山の城

と三成を揶揄する流行詞に出てくることで知られるが、もともとは鎌倉時代に源氏の佐々木氏が築いた砦を、戦国時代に北近江の雄・浅井《アザイ》氏が六角氏に対する前線基地として利用していた。のちに織田信長と対立した浅井長政の家臣・磯野丹波守が城代として籠城したが、開城したあとは丹羽長秀が大型軍船の建造基地とした。そして関白秀吉による小田原仕置後に三成に与えられ、関ヶ原の戦いまでの10年間に城主をつとめた。

関ヶ原の戦いで西軍が敗れた翌日には井伊直政・小早川秀秋らに包囲され落城。直政が18万石で入城して居城とし、彦根城を築城し居城を移したのちに廃城となった。その際、山上の城郭は徹底的に破壊されたため、遺構はほとんど残っていない[h]その一方で、城址東側の麓にある大手跡の土塁は今でも見事に残っているよう模様 😎️。

IMGP2531.resized

佐和山城跡

この日は、まずハイキングコース入口がある龍潭寺《リョウタンジ》へ向かう前に石田三成屋敷跡に立ち寄ってきた:

20240815-佐和山城攻め-008.resized

石田三成屋敷跡

この途中に置かれていた「佐和山城跡」の看板あたりからは彦根城を眺めることができた:

IMGP2548.resized

石田三成屋敷跡近くから彦根城の眺め

歩きながら意外と近いんだなぁ思ったその時、目の前を黒い物体が横切って竹林の中に入って動かなくなった。よくよく見ると野生の猿だった:

IMGP2546

よくよく目を凝らしてみると

佐和山城跡で目撃した野生の猿

猿がこちらを警戒していた

こちらとしては、特に警戒されるような行動はとっていないが、このあと龍潭寺境内で注意板を見て納得した:

IMGP2579.resized

城跡に野猿が出没するので注意して下さい!

龍潭寺へ向かう途中にある井伊家の菩提寺[i]直政の次男で三代藩主・直孝が父の菩提を弔うために開基したもので、山号と寺号は井伊直政の戒名からとっている。清凉寺の境内は、一説に三成から破格の待遇で迎えられた嶋左近の屋敷跡だったとも:

IMGP2553.resized

祥壽山清凉寺の山門

IMGP2556.resized

三成の軍師・嶋左近の屋敷跡(伝)

井伊直政死後に、遠江国の井伊谷の龍潭寺五世・昊天《コウテン》和尚が、彦根の地に分寺して創建したとされる弘徳山龍潭寺:

IMGP2570.resized

弘徳山龍潭寺の山門

IMGP2572-EDIT.resized

弘徳山龍潭寺の本堂

龍潭寺の門前には、昭和の時代に「彦根石田三成公顕彰会」が建立した石田三成公の坐像があった:

IMG_0526.resized

石田三成公像

顕彰の理由として、佐和山城主の時代には近隣住民の徳望を集めたこと、そして没後に密かに祀られた石田地蔵を偲んだことが挙げられていた。

なお、この像が置かれていた場所は、かって徳川家康の不興を買って改易処分となった大久保忠隣が彦根藩預りとなって幽居されていた場所でもあるらしい。

ハイキングコースへ向かう途中に置かれていた七福神像:

IMG_0528.resized

この先がハイキングコース入口

この内奥にあるハイキングコース入口(北登山口)から登山を開始。西ノ丸跡や竪堀などを見ながら30分くらいで本丸跡に到着。あまりにも何も残っていないので琵琶湖や彦根城、伊吹山などの眺望を楽しんだ:

IMGP2634-EDIT

彦根城と琵琶湖

すると、背後の方からカラカラと音とするので、もしやまた野猿が現れたか?と思い、音がする方へ向かってみると、この先で賽銭箱をこねくり回している奴がいた :(。どうも俺の気配に気づいたようで、賽銭箱を置いて小走りに下山して行ったのだが、自分としてはあまりに突飛な光景に遭遇しカメラを向けるだけの対応しか出来なかった:O

IMGP2624.resized

こいつは賽銭箱を

IMGP2625.resized

こねくり回していた野郎です🤬️

IMGP2626.resized

(泥棒かどうかは不明)

ふm。白昼堂々と賽銭箱をこねくり回す奴がいるんだねぇ。ちなみに、仏前に置かれたこの賽銭箱上面には「仏様が見てござる」と書かれていたので、結構な頻度で出現しているのだろう[j]野猿並に? 😶️ :(

20240815-佐和山城攻め-052.resized

萬霊供養地蔵尊とお賽銭入れ

このあとは千貫井跡や太鼓丸跡などを巡りながら国道R8側の南登山口に向けて下山。こちらは本丸石垣の隅石と伝わる石材。これだけだと今ひとつ分からない:

IMGP2662.resized

本丸隅石垣跡

南登山口から出ると国道を挟んで向こう側に天守閣や四脚門のような建築物が目に入ってきた:

IMGP2722.resized

模擬天守?

IMGP2723-EDIT.resized

どこかの山門?

遠目で見る限り、放置された建造物に見えたが、あとでインターネットで知らべてみると、こんな記事を発見。どうも遊園地跡らしい。ある事業家が構想した石田三成のテーマパークらしく、建造物はなんと全て手作り。しかしながら完成することなく現在は放置されたままらしい(立入り禁止) :|

最後は彦根駅西口2Fからの眺め。佐和山城攻めの後は彦根城攻めへ。暑くてあまり人が居ない。この下のロータリーには井伊直政公騎馬像があるが、彦根城が完成したのは直政死後である:

IMG_0531.resized

JR彦根駅西口の眺め

と云うことで、この時のフォト集はこちら:

See Also佐和山城攻め (フォト集)

参照

参照
a 両県ともに人生初上陸 😉️。
b 発生当初は本土への上陸の可能性が出ていた。結局は上陸することはなかったが 🙂️。
c 実際はスケジュールどおり全て攻めきることはできなかったのだが 😁️。
d 【今日は何の日?】大日本帝國による太平洋戦争終結の日(終戦の日)。織田信長が稲葉山城を岐阜城に改名した日(旧暦)。
e 部屋は清掃中であったが、無理を云って10分ほど時間を空けて貰って着替えした。ホテルの対応に感謝 😉️。
f ちょうど滋賀県代表の滋賀学園がプレイしていた 😁️。
g たぶん彦根にはまた来ることになりそうなので 😉️。
h その一方で、城址東側の麓にある大手跡の土塁は今でも見事に残っているよう模様 😎️。
i 直政の次男で三代藩主・直孝が父の菩提を弔うために開基したもので、山号と寺号は井伊直政の戒名からとっている。
j 野猿並に? 😶️

はやの食堂 − A Long-Standing Restaurant of Castletown.” に1件のフィードバックがあります

  1. ピンバック: 献上伊吹そば・つる亀庵 − The Soba which a Master of Hikone-Domain used to eat. | Mikeforce::Today

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*