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手打ちそば処 麓 − A Soba shop at the Castle Town in Ishioka.

先日は令和6(2024)年の清明の候を過ぎた週末[a]【今日は何の日】徳川家康の三男で二代将軍となる徳川秀忠の誕生日。豊臣政権の五奉行の一人である浅野長吉(長政)が江戸で没した日。共に旧暦。に茨城県石岡市にある城跡を攻めてきた。午前中に城攻め、そして縁ある武将らの墓所を参詣した後はそのまま最寄りのバス停へ向かうつもりだった[b]所要時間としては凡そ徒歩30分。。と云うのも、かって藩があったこの城下町跡は、現在はその大部分が田畑と地主らの豪邸があるだけで御食事処は期待できなかったから :|

ところが、かっての城主である瀧川雄利《タキガワ・カツトシ》ら瀧川一族(雄利系)が眠る泰寧寺《タイネイジ》からバス停へ向かおうとした際に「手打ちそば」なる幟が目に入った。近くに蕎麦屋があったのかと思い、調べてみると寺の裏手にあることが分かった :)

このままバス停へ向かうと予定どおりJR石岡駅へ向かうバスに乗れるが、昼を摂るのが困る[c]駅前にある御食事処は全て日曜が定休 😞️。。反対に、その蕎麦屋でお昼と摂るとバスに乗れるのは二時間以上先になる :O。軽く悩んだが、すぐに足は蕎麦屋へ向かっていた :D

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ここを左に入る

意外と駐車場が空いていたので、すんなりありつけるかなと思い、入口前に置いてあった案内板でオススメを確認してから暖簾をくぐった:

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手打ちそば処・麓

店の中に入り靴を脱いで、厨房と座敷を忙しく行き来している店員に来店を告げると、挨拶されたまま少し待たされた。座敷を覗くとだいぶテーブル席は埋まっていたが、入店時に入れ替わりで出ていった人のテーブル席が空いていることを確認。座敷と反対側にある厨房も忙しそうにしていて声をかけるに戸惑っていたところ、空いている席へどうぞと案内されて座敷の中へ。

一応はテーブルの上にあったメニューを見るが、既に店口の案内板でみた「ぶっかけ納豆そば」(1,250円)に決めていた。さらに店員に確認して大盛りのオプションを追加(250円)。注文してから15分くらい待って出てきたのがこちら。大盛りにしておいてよかった :)

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ぶっかけ納豆そば(1,250円)+大盛り(250円)

この蕎麦屋は、以前までは種から蕎麦の実を育てていたらしいが、今は旧・八郷町(現・石岡市)の農家が作った蕎麦の実を石臼で挽き、黒っぽい色をしたその「挽きぐるみ」で新鮮な味と香りを堪能してもらいたいのだとか。

自家挽き+自家打ち蕎麦の上には薬味として、大根おろし+特製油揚げ+カイワレ+ネギ+大葉、そして山形産の紅大豆「茶々丸」の納豆がかかっている。茨城産ではないところがミソ:

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「茶々丸」納豆

納豆大好きの自分としては、まず素の茶々丸を頂いた。思ったほど糸はひいておらず、小粒ながら咬むとふんわり鼻にぬける香りがいい感じ。味が薄めの蕎麦つゆと衝突せずに、よくよく味わうことができた。箸休めの酢の物もいい感じ。

だいたい食べ終わりそうなタイミングで蕎麦湯とデザートが出てきた:

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蕎麦ゼリーと蕎麦湯

「この蕎麦にこの蕎麦湯あり」って感じで、ホント濃厚 :)。冷めても味わいがあった。ゼリーの方はきな粉がかかっているので香りは感じられないが、口入れるとたしかに蕎麦の味がした:

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濃厚な蕎麦湯

いやぁ〜、大盛りにしておいて良かった。これでも少ないくらいだった。あと日曜日営業で助かった〜。

ちなみに蕎麦はなくなり次第で終了らしく、自分が店を出たときには「閉店」の札がかかっていた。そして、次のバスの時刻まで1時間以上あったので、根小屋周辺をゆっくり遠回りしながら最寄りのバス停へ向かった :D

手打ちそば処・麓《フモト》
茨城県石岡市根古屋829-1


ここからはオマケ。
 
これは七代天神社の北側にある、片野城址の碑と案内板:
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片野城址

この城跡は夏が近くづくにつれて藪化が激しくなって攻めるのが大変らしいので、この時期に行って来た。この時期でも主郭部の大部分は藪化したままで、当時は昨日の大雨で泥濘んでいたこともあり、堀跡に降りることはしなかったが、深く幅広の堀跡は郭跡の上からでも楽しめた。

こちらは城址北東隅の堀跡と郭跡。ここは藪化してなかったので、一応は整備が行われているようだった[d]市指定史跡だから当たり前か😅️。

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城址北東隅に遺る堀跡と郭跡

こちらは根小屋七代天神社。片野城の守護神として、常陸国の佐竹氏の郷から七代天神を迎祀したのが始まり:

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根小屋七代天神社の社殿

片野城址の郭であった境内には神々しい木々が立っていた。これらは御神木として人々から畏敬され神として崇められてきたと云う。樹齢は400年は越えているらしい:

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神々しい杉の木

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神々しい欅

社殿前から鳥居が建つ参道口へ真っ直ぐ伸びた参道。この先の鳥居脇には土塁と枡形虎口が残っていた:

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参道

この神社境内の南側にある浄瑠璃光寺《ジョウルリコウジ》[e]住職が居ない無住寺院。も片野城の郭跡:

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浄瑠璃光寺

この境内には片野城主だった太田資正(号して三楽斎)公の墓所がある:

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太田資正公之墓所

資正は名将・太田道灌の玄孫《ヤシャゴ》にあたる。かっては岩付城主であり、宿敵・小田原北條氏に与した子に裏切られて奪われたのちは、岩付城帰還をよりどころとし、末は常陸国の戦国大名で「坂東太郎」の異名を持つ佐竹義重の客将となって片野城に入った。天正18(1590)年に小田原北條氏は滅亡したが、岩付城には戻ること叶わず、この地で無念ながら没した。享年70。現在の墓所は、平成の時代に十三世後裔が整備したもの。

こちらが瀧川雄利公を祖とする瀧川家の菩提寺である泰寧寺:

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泰寧寺

本堂裏手の小高い丘上に三代当主の瀧川利貞《タキガワ・トシサダ》公の墓所と瀧川雄利公の墓碑が建っている:

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瀧川利貞公の五輪塔

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瀧川雄利公の墓碑

利貞は元は土岐家の次男坊で、のちに片野藩の瀧川正利《タキガワ・マサトシ》の養子に入り瀧川家を継承した。

雄利はかっては出家したが、還俗して織田信長の重臣の一人で関東管領を務めた瀧川一益《タキガワ・カズマス》の娘を娶って「瀧川」の姓を拝領し一族に加わった。のちに太閤秀吉の直臣となり、関ヶ原の戦いでは西軍についたが、徳川家康に召し出されて片野城主となった。

この時期の石岡市根小屋あたりは桜が満開だった:

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片野城下の桜

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片野城下の桜

前日の大雨に負けず満開だった:

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望月桜?

この日は、城攻めしていた午前中は曇りであったが、お昼を摂ってバス停へ向かう頃は若干、雲がはけて筑波山を眺めることができた:

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筑波山

最後はバス停へ向かっている際に目撃したもの:

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スイーツ自販機

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林小学校のクスノキ

「スイーツ自販機」は需要に供給が間に合わない手作りのデザートのためか、全て売り切れだった。メニューには写真は無く文字ばかりで何が出てくるか分からない気がするが :O

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also片野城攻め (フォト集)
See Also太田資正公墓所 (フォト集)
See Also瀧川雄利公墓所 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日】徳川家康の三男で二代将軍となる徳川秀忠の誕生日。豊臣政権の五奉行の一人である浅野長吉(長政)が江戸で没した日。共に旧暦。
b 所要時間としては凡そ徒歩30分。
c 駅前にある御食事処は全て日曜が定休 😞️。
d 市指定史跡だから当たり前か😅️。
e 住職が居ない無住寺院。