釜玉中華そば ナポレオン軒@府中店 − That has Taste than it Looked.

先週は令和5(2023)年の冬至の候を過ぎたとある日[a]【今日は何の日?】鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝が落馬した日(旧暦)で翌月の1月13日に死去した。旧ソ連による大統領暗殺によるアフガニスタン紛争が勃発した日。七年前に攻めてきた城館跡(東京都府中市)を再訪してきた。そのあとは旧甲州街道から府中街道に入り、大國魂神社《オオクニタマ・ジンジャ》とその周辺を散策する前にお昼を摂ることにした。「大國魂神社西」交差点からJR府中本町駅へ抜けるあたりには麺系の御食事処が集っているらしい :)。ちょうど昼時で、現地の混み具合でお店を選ぶことにしていたので、ひとまず初来店の釜玉中華そば・ナポレオン軒(府中店)へ[b]他の候補は「中華そば・中野・青葉」、「いつみ屋」、そして「とんかつ山下」。最悪のケースは松屋か 😁️。

IMG_9801.resized

釜玉中華そばナポレオン軒@府中店

店の前には既に二人の客が行列していて、最初は何も考えずその後ろに並んだのだけれど、先客から「先に店内の券売機で食券を買ってから並ぶんだよ」と教えられたので、店内に入って自販機で「リッチ・釜玉中華そば(並)」(900円)を選択。この自販機から厨房に向かって横に伸びたカウンター席は6席。厨房に居た店員から外でお待ち下さいと云われて、再び店前へ:

IMG_9789.resized

店頭

ちなみにリッチ版にはチャーシューとメンマが乗っている。

並ぶこと10分ほど、食事を終えた客と入れ替わりで店内に入って店員に案内された席へ。これは眼の前にあった御品書:

IMG_9795.resized

御品書

IMG_9794.resized

御品書

次にカウンター席の棚にはトッピングらしきものが並んでいたのだけれど、その数がいろいろあって凄い :D

IMG_9791.resized

トッピング(その1)

IMG_9793.resized

トッピング(その2)

全てのテーブルに等しく置かれているわけではないので、混んでいる時に取るのは苦労するかも[c]今回は、自分の両脇は空席だったので手を伸ばせば苦もなく取ることができた 🙂️。。そしてテーブルの上にはきくらげの箱があった:

IMG_9792.resized

トッピング(その3)

こちらが釜玉中華そば(並)のリッチ版:

IMG_9796.resized

釜玉中華そば(並)のリッチ版(900円)

見た目は「汁なしラーメン」そのもの。正確にはスープ無しか :D。ゴマ油に浸かったネギがデフォルトのトッピングで、オプションである味付きメンマもいい感じ。隣の客のものを見たところ、辛ネギ版は「辣油」が加えられているっぽい。そして「釜玉」と冠している割には生玉子は小さめ。それらの裏に隠れているのが太麺のちぢれ平打ち麺。食べる前であるが、この麺はかなり気になった。

と云うことで湯気が出ているうちに麺をまぜまぜする:

IMG_9797.resized

釜揚げ平打ち麺に玉子を一気に絡める

釜玉うどんの場合だと泡が出るまでかき回すが、こちらは溶いた黄身を和えているって感じ。丼の底に置かれた醤油+にんにくベースの醤油ダレは濃いめながら、黄身が合体すると濃味がまろやかになる(にんにく味はそのまま)。

まずはトッピングなしで頂く。平打ち麺のコシが凄い。ラーメンと云うよりはうどんに近い感じ。食べごたえあり 8)

味が単調なのでトッピングに手を付けてみる。タレの主張が大きいので、味変と云うよりは気分転換に近いかも:

IMG_9798.resized

with きくらげ

IMG_9799.resized

and 揚げねぎ

他の客は皆、替え玉を追加で注文していた。見たところ、平打ち麺ではなく細麺のようだ。券売機横に居た客の荷物が邪魔で券売機までたどり着けそうに無かったので今回は諦めたが、(機会があれば)次回はあらかじめ購入しておこうと思った :|

巷のラーメンDBase のエントリはこちら

釜玉中華そば・ナポレオン軒(府中店)
東京都府中市本町一丁目9-41


ここからはオマケ。

JR府中本町駅前を通る鎌倉街道から府中市街地の眺め。道路の奥に見える跨線橋[d]線路を跨ぐような形で架けた橋。《コセンキョウ》は東西の高さが異なるのでループ式の橋になっているのが珍しい:

IMGP9062.resized

府中市街の遠望

京王府中駅前のけやき並木通りには八幡太郎こと源義家《ミナモト・ノ・ヨシイエ》の像があった。平成4(1992)年の建立とのことだけど、残念ながら、この街に住んで居た時に見た覚えがない :X

IMGP9022.resized

源義家公とけやき並木

源氏武士の先祖と云われる義家は、平安時代末に父・頼義《ヨリヨシ》と陸奥国で起こった地侍の反乱(前九年の役)の鎮圧に向かう途中、府中の大國魂神社で戦勝祈願し、平定後に戦勝報告し、その報賽《ホウサイ》として、けやきの苗木を奉納したと云う。

この他に、源頼義・義家父子は同じように志村城そばの熊野神社に立ち寄り武運と祈願している。

なお義家の弟・(新良三郎)義光《(シンラサブロウ)ヨシミツ》は信濃国源氏の祖であり、武田信玄で有名な甲斐武田氏の先祖にもあたる。

こちらが大國魂神社。大鳥居前にあるけやきは、この伝承にちなんで徳川家康が追加で寄進したものの一つらしく、既に枯れ死しているが御神木として残されている:

IMGP9018.resized

武蔵総社・大國魂神社

IMGP9029.resized

門前のケヤキ

今回は七年前に一度攻めた高安寺館跡を再訪した。特に目立った遺構はないが城塁らしきものを確認できた:

IMGP9003.resized

曹洞宗・龍門山・高安寺

室町時代の征夷大将軍・足利尊氏が再興した禅寺。二度の分倍河原合戦では諸勢が本陣を置き、勝利を勝ち取った縁起の良い館跡。ただし、その度に兵火で伽藍などを焼失し、幾度か再興・再建されている。

山門は明治5(1872)年の再建(都選定歴史的建造物指定):

IMGP8951.resized

四脚楼門形式の山門

本堂・山門と同じ線(参道)上にある弥勒菩薩像:

IMGP8960.resized

高安寺境内には源義経の郎党の一人、武蔵坊弁慶にゆかりありと伝わる井戸跡がある:

IMGP8981.resized

伝・弁慶硯の井

平家滅亡後、兄の源頼朝に鎌倉入りを許されなかった義経はやむなく京へ戻る途中、赦免祈願のため立ち寄った見性寺(現・高安寺)で大般若経を写したが、その際に硯に使う水を弁慶がここから汲み取ったらしい。

分倍河原合戦で鎌倉(執権北條)勢を敗走させた新田義貞公の騎馬像がJR分倍河原駅ロータリーにある[e]公は鎌倉方面を向いている。。こちらの像は昔から知っている :D

IMGP8926.resized

新田義貞公之像

個人的には、公の四天王[f]篠塚重広、栗生顕友、畑時能、由良具滋の四人。が剛勇ぞろいで凄いと思う。

最後は、その昔に歓送迎会や忘年会で利用した居酒屋の割烹・番場屋。手前が旧甲州街道:

IMGP9011.resized

割烹・番場屋

江戸時代、ここの辺りの集落には「番場宿」なる宿場町があったらしい。

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also分倍河原古戦場巡り (フォト集)
See Also高安寺館攻め(2) (フォト集)
See Also2023年12月 大國魂神社と武蔵国府跡巡り (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝が落馬した日(旧暦)で翌月の1月13日に死去した。旧ソ連による大統領暗殺によるアフガニスタン紛争が勃発した日。
b 他の候補は「中華そば・中野・青葉」、「いつみ屋」、そして「とんかつ山下」。最悪のケースは松屋か 😁️。
c 今回は、自分の両脇は空席だったので手を伸ばせば苦もなく取ることができた 🙂️。
d 線路を跨ぐような形で架けた橋。
e 公は鎌倉方面を向いている。
f 篠塚重広、栗生顕友、畑時能、由良具滋の四人。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*