手打ちそば 車屋 ー This is not just Soba-shop.

先週は令和5(2023)年の小雪の候の少し前の週末[a]【今日は何の日?】土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。に、神奈川県の大磯町にある山城跡を二ヶ所攻めてきた。一応は、事前にコンビニ製おにぎりを2個購入して、標高167mほどの山頂で(早めの)お昼を摂ったのだけれど、下山して二つ目の山城跡を(徒歩で)攻めた後にはすっかりお腹が空いてしまった :D

昼の1時近く、予定より大分早く城攻めを終え、東海道は国道R1沿いの最寄りのバス停へ向かう途中、一軒の蕎麦屋を見かけた。店の前の水車が、この店は「そこいらの蕎麦屋とは違うぞ」感を醸し出していたが、ひとまずバスの時間を確認。次のバスまで小一時間ほどあったので、それならばと蕎麦屋まで戻って二度目のお昼を摂ることにした:

IMG_9721.resized

旧東海道沿いにある車屋

暖簾をくぐり店内に入ると、一人用のテーブル席に通された。眼の前はテレビというお得な席だった。さらにテーブルの上の壁にはたくさんの御品書きが吊るされていたので、右から順番に眺めていく。

いつもなら城攻めを終えた後のビールで喉を洗浄するのだけれど、このあとも予定があったので、ここは我慢 :D。この日は陽が出ていたけど風が強く、歩いても歩いても体が冷えたままだったので暖かい本鴨南蛮蕎麦(1,210円)を注文した。

昼時ともあって店内には他にも客がいて、その中で最後に注文した自分の蕎麦が出てくるまで時間がかかりそうだなぁと眼の前のテレビを観ながら思っていた時、吊るされていたメニューの中の一つが目に入った。自家製・きゅうりのぬか漬け(300円)。糠が自家製なのか、きゅうりが自家製なのか詳細は不明であるが、乾いた喉を潤すために注文した:

IMG_9717.resized

きゅうりのぬか漬け(300円)

若干、浅漬けに近い味であまり糠感を感じなかったが、みずみずしくて美味しかった。食べながらふと、その奥にあった黒板に書かれた刺し身の御品書きが目に入った。この店は夜は居酒屋にもなるのだろうかと思ったくらい、お酒のおつまみの品揃えが多かった。

ぬか漬けを食べ終える前に、出てきた本鴨南蛮蕎麦がこちら:

IMG_9718.resized

本鴨南蛮蕎麦(1,210円)

熱々の濃い目のつゆに平たい蕎麦を絡ませて頂いた。鴨肉はスーパーでよくあるハム系ではなく、ちゃんとした(?)肉で、ちょっと硬かったが、脂もほどよく食べ応えがあった:

IMG_9719.resized

少々硬めの鴨肉

最後は、肌寒い中で汗をかいたからか、ややしょっぱ目のつゆをしっかりと飲み干せた。おかげで体は暖かくなって良かったけど:)

車屋
神奈川県中郡大磯町高麗2丁目1-34


ここからはオマケ。
この日の午前中は高麗山城跡を攻めてきた。比高150mほどの高麗山[b]読みは《コマヤマ》。その昔、新羅に敗れた高句麗の亡命者が、この附近に移住して高麗神社を建立したことから。築かれた城:
IMGP8150.resized

高麗山城跡と花水川

戦国時代に越後の上杉謙信小田原城攻めした際に、ここ高麗山に本陣を置いたと伝わる。

さらに花水川の先は丹沢方面で、大山を眺めることもできた:

IMGP8152.resized

花水川ごしに大山・丹沢寺山を眺める

昼を摂った蕎麦屋の目の前には化粧坂《ケワイザカ》交差点から旧東海道が走っており、近くには大磯宿跡があった。現在も道路脇に松の木が生えて情緒ある風情が残っていた(化粧坂松並木):

20231118-旧東海道大磯宿-001.resized

旧東海道の化粧坂松並木

この旧道沿いをバスの時間まで歩くことにした。こちらは化粧井戸《ケショウ・イド》:

20231118-旧東海道大磯宿-003.resized

化粧井戸

現在は水は溜まっていなかったが、鎌倉時代にここ大磯では知られた遊女・虎御前[c]上杉謙信の母御ではなく、吾妻鏡や曾我物語に登場し、「曽我兄弟の仇討ち」の一人、曾我十郎祐成の妾だったとか。がこの界隈に住み、朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでその名がついたと云う。

さらに進むと化粧坂の一里塚なる場所があり、江戸日本橋から十六里のところに設けられた休息所:

20231118-旧東海道大磯宿-005.resized

「此辺大磯宿の史跡(化粧坂の一里塚)」

往時は日陰と風よけを目的に、相模湾側に榎《エノキ》、高麗山側に栴檀《センダン》を植えていたのだとか。

こちらは大磯宿跡。江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた「東海道五拾三次之内大磯虎ヶ雨」が案内板として建っていた:

20231118-旧東海道大磯宿-007.resized

大磯宿跡

空は鼠色に曇って秋雨が降る中、大磯宿堺の傍示杭が建つ入口近くを合羽を被って馬で行く旅人や野良仕事帰りの人、笠をさした町人など、街道も濡れてなにか寂しげな風景である:

20231118-旧東海道大磯宿-009.resized

広重『東海道五拾三次・大磯・虎ヶ雨』

この地に伝わる曽我十郎と虎御前の悲恋にちなみ、恋人・十郎の死を悲しんで虎御前が流す涙と云われ、虎ヶ雨は夏の季語にもなっている。

こちらは化粧坂沿いの民家なんだろうけど、なんとも季節感いっぱいのお宅だったので、ついつい眺めてしまった :D

IMG_9738.resized

柿の木と民家

IMG_9739.resized

椪柑と民家

 
そして大磯八景碑の一つ、「化粧坂の夜雨」の場所に建つ歌碑:
20231118-旧東海道大磯宿-011.resized

大磯八景碑 〜「化粧坂の夜雨」

大磯町長・宮台謙吉が選んだ大磯の名所八景を絵葉書として出版したものを、のちに大磯小学校の校長が刻んだ歌碑が建立された。

こちらは平成の一里塚。かっての一里塚を現代に蘇らせたもので、花水川に架かる花水橋傍にあった:

IMGP8145.resized

平成の一里塚

最後は、この日二つ目の城跡である王城山城跡へ向かう途中、道に迷って見かけた「徳川家地堺」と刻まれた標柱。道路脇にあったけど、このあたりは天領だったのだろうか?:

IMGP8327.resized

「徳川家地堺」の標柱

IMGP8328.resized

標柱があった場所

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also高麗山城攻め (フォト集)
See Also玉城山城攻め (フォト集)
See Also2023年11月 旧東海道大磯宿散策 (フォト集)

参照

参照
a 【今日は何の日?】土木学会+旧建設省が制定した土木の日。漢字の「土木」を分解すると十一と十八になることから。同じような語呂合わせだと、雪見だいふくの日。
b 読みは《コマヤマ》。その昔、新羅に敗れた高句麗の亡命者が、この附近に移住して高麗神社を建立したことから。
c 上杉謙信の母御ではなく、吾妻鏡や曾我物語に登場し、「曽我兄弟の仇討ち」の一人、曾我十郎祐成の妾だったとか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*