黒田如水所用・銀白檀塗合子形兜 − You know, this is not a Bowl.

つい最近、十年前の懐かしい大河ドラマをイッキ観していたのだが、その主人公にちなんだ「物」のニュースを偶然インターネットで見かけた。実際のところ、そこに書かれているとおり、既に公開会期は終了していたのだが、よくよく見ていると「次回の公開は2023年9月12日〜25日になります」と追記されていたのに気づいた:)

会場は盛岡と云うことで少し躊躇したが、岩手県は自分にとって未開の地でもあったし、何よりもドラマの後押しもあって実物を観たいと云う気持ちが募って行くことにした。それも日帰りという強攻プランで :D。ただ博物館鑑賞だけではもったいないので、運良く近くにあった城跡も攻めてきた他、この「物」に大きく関与した御仁の墓所も参詣してきた。

先週末は令和5(2023)年の秋分の日[a]【今日は何の日?】昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。、まだ外が真っ暗の時間帯に起きて東京駅へ向かい、朝7時すぎの新幹線はやぶさ203号・新青森行に乗車して、盛岡に着いたのが朝9時半。この日の東北地方は晴天で、少し厚着して行ったのだけど予想外に暑かった :O[b]流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。

午前中は墓所や南部家ゆかりの場所を巡り、豚一家の御用達でもある御食事屋でお昼を摂ったあと会場へ。垂れ幕も架かっていた:

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もりおか歴史文化館

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「これはお椀ではない」

常設展示室の一角に黒田如水(官兵衛)所用と伝わる「銀白檀塗合子形兜《ギンビャクダン・ヌリ・ゴウスナリ・カブト》」(県指定文化財)が展示されていた[c]常設展示室には他に盛岡藩南部氏の歴史やゆかりの品々、そして盛岡城のジオラマが展示されていた。これは城攻めする前に観ておくことをオススメする 😃️。

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銀白檀塗合子形兜(岩手県指定有形文化財)

この難読な名称はあくまでも価値ある工芸品としての現代の呼び名だが、江戸時代には「如水の赤合子[d]合子とは身と蓋からなる小さな器のこと。《アカゴウシ》」と呼ばれていたらしい。

お椀を臥せた形状で、前立など派手な装飾がなく質素で、いかにも如水にピッタリなデザイン。X線透過撮影の結果から、表面は赤みを帯びた漆を塗った(白檀塗《ビャクダン・ヌリ》[e]透明な漆を塗って、下地を浮かび上がらせる塗り方。)、まさに御椀そのもの :D

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銀白檀塗合子形兜

錣《シコロ》は割しころの三段下り。二段以下を三分割して素懸威《スガケ・オドシ》としているが、背面のみ裾板《スソイタ》の一段目が欠損し、二段の備えになっている:

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銀白檀塗合子形兜

一説に、如水の正妻・光《テル》(照福院殿)が実家の櫛橋《クシハシ》家から嫁いできた際の進物とされる。

平成の時代に、東北芸術工科大学・文化財保存修復研究センターがX線透過撮影を実施して内部構造や劣化状態を調査したらしい[f]平成26年度のセンター年報(PDF)を参照。

その結果、鋲で六枚の扇形鉄板を留めて鉢型に成形し、上部から下部にかけて椎形から裾広がりに鞣《ナメ》して、鉢の内部は眉を打ち出して表裏を朱漆塗りした内眉庇《マビザシ》が鋲留めされていることが分かった:

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銀白檀塗合子形兜

特徴的な頭頂部の高台部分は別造りになっており、4カ所でカラクリ留めして取り付けられている:

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銀白檀塗合子形兜

黒田如水は筑前国福岡藩の藩祖であり、なぜ公の兜が盛岡の地にあるのかを説明したチラシがおいてあった:

Mikeforce::Castles

「合子形兜」はなぜ盛岡に?(拡大版)

この兜は公の右腕であった栗山利安《クリヤマ・トシヤス》(善助)が如水から形見分けとして拝領した。善助の死後に、彼の嫡男で栗山大膳《クリヤマ・ダイゼン》こと利章《トシアキラ》は父に倣って黒田家を支えてきたが、黒田長政の子で二代藩主・黒田忠之《クロダ・タダユキ》は利章ら重臣と衝突し、多くの者が減封や改易の憂き目にあった。筆頭家老である栗山大膳は主人の暴走を幕府に訴え出たが、三代将軍・徳川家光は大膳の訴えを退けた[g]ちなみに忠之の母は徳川家康の養女。家光はスーパーが付くほどの家康フリークである 😑️。上に、陸奥国の南部家への「御預[h]事実上の流罪・追放 🤬️。」の沙汰を下した(いわゆる黒田騒動)。大膳は、栗山家の家宝であるこの兜を盛岡まで持参し、のちに盛岡藩士となった子孫から南部家に献上されたのだと云う。

大膳は盛岡では手厚く待遇され、盛岡城下の発展に寄与し、同地で死去した。公の亡骸は盛岡城を見下ろす愛宕山中腹の恩流寺に埋葬された[i]現在の恩流寺は山麓へ移設されたが、墓所はそのまま中腹にある。

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栗山大膳墓所

と云うことで、この時のフォト集はこちら:
See Also2023年9月 黒田官兵衛所用「銀白檀塗合子形兜」 (フォト集)
See Also栗山大膳利章公墓所 (フォト集)

栗山大膳の墓
岩手県盛岡市愛宕下

参照

参照
a 【今日は何の日?】昼と夜の時間の長さがほぼ同じ日になる日。彼岸の中日でもある。
b 流石に夕方になるとひんやりしていたけど 😉️。
c 常設展示室には他に盛岡藩南部氏の歴史やゆかりの品々、そして盛岡城のジオラマが展示されていた。これは城攻めする前に観ておくことをオススメする 😃️。
d 合子とは身と蓋からなる小さな器のこと。
e 透明な漆を塗って、下地を浮かび上がらせる塗り方。
f 平成26年度のセンター年報(PDF)を参照。
g ちなみに忠之の母は徳川家康の養女。家光はスーパーが付くほどの家康フリークである 😑️。
h 事実上の流罪・追放 🤬️。
i 現在の恩流寺は山麓へ移設されたが、墓所はそのまま中腹にある。

黒田如水所用・銀白檀塗合子形兜 − You know, this is not a Bowl.」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 東京国立博物館 展示 #7377、#7274 etc. − TOKYO NATIONAL MUSEUM 2024. | Mikeforce::Today

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